五 : 来る者、断腸の思い




「某を、岡崎へ?」
 ある日、浜松城に出仕した忠勝は家康から呼び出しを受けた。何の用か皆目見当がつかないまま伺うと、岡崎へ行って欲しいと告げられた。
「そうだ。信康が『忠勝から武人としての心得を知りたい』と申してきた」
 文机に置かれた書状を忠勝に手渡す。拝読すると、確かにその旨の内容が記されていた。
「はて……某が直々に指名される心当たりはありませぬが」
「何を申すか。お主の名は、家中どころか他家にまで広く鳴り響いているのだぞ。武勲を挙げたい気持ちも分からなくもない。済まぬが、岡崎まで出向いて伝授してくれまいか?」
 離れ離れになっているとは言え、自らの血を継いでいる我が子を想う気持ちに違いない。いつしか家康は君主の顔から父親の顔になっている。
「……分かりました。某でよければ謹んでお受け致します」
「そうか! では頼んだぞ」
 忠勝の返答を聞いて、家康はパッと明るい顔を浮かべた。主君が喜ぶ姿を目に出来るのは、家臣として冥利に尽きることだと実感した。

 二日後。忠勝は岡崎城へ上がると、取次の者から中庭へ向かうよう伝えられた。中庭に行くと、そこには片方の肩を晒した姿で弓を構える信康が居た。
「おぉ、忠勝か。よく参った。待ち侘びていたぞ」
 忠勝の姿を目にすると相好を崩す信康。日々武芸の稽古を欠かさず行っているのは、体を見れば分かる。余分な肉は付いておらず、筋肉で引き締まった体つきをしていた。
「済まぬが、あと一本だけ残っている。そこに座って待っていてくれ」
 そう言うと、矢立てに残っていた最後の一本を手に取る。直後、穏やかな笑みを浮かべていたのが嘘のように真剣な眼差しに切り替わる。ゆったりとした動作で弓を構えると静かに呼吸を整え、鋭い眼光で離れた的を見据える。弦を極限まで引き絞り、じっと狙いを定めて、放つ。
 虚空を切り裂きながら真っ直ぐ飛んだ矢は、的の中心部を見事に射抜いた。
「お見事」
 命中したのを確認して忠勝が褒めると、信康は照れ臭そうに笑った。
「今は上手く放てたが、中心から外れることも多々ある。まだまだ精進せねば」
「いやいや。力強さと正確さを兼ね備えた一矢でした。素晴らしいものです」
 弓は技量だけでなく心理面も精度に大きく影響する。若年ながら自らの精神を研ぎ澄ませ高められるのは大したものだ。しかも“当てる”為に放ったのではなく“射抜く”為に放ったのは、もしかすると武芸の才能があるのかも知れない。
 信康は小姓から手拭いを受け取ると、額や腕に浮いた汗を拭う。一心地つくと信康は唐突に切り出した。
「ところで忠勝。聞きたいことがあるのだが」
「某でよければ、何なりとお答えしましょう」
「儂も初陣を果たし、戦場に幾度か立った。されど、未だに満足するような手柄を挙げておらぬ。お主は初陣以来、数え切れない程に首級を獲ただけでなく、武功も家中随一と聞いている。何か心得とか秘策はあるのか?」
「さて。某は特別何かあるという訳ではありませんが……強いて挙げるなら、敵と相対しても気持ちで負けないよう心掛けているだけです」
「……それだけか?」
 やや拍子抜けしたような顔で信康が尋ねる。
「はい。戦の目的は敵に勝つこと。ですので、闘う気持ちを炎のように保たなければなりませんが、その炎が大きくなり過ぎると逆に気持ちが先走ってしまい隙を招いてしまいます。“平常心”という言葉もありますが、己の心を制御することこそ肝要と存じます」
「成る程……」
「無論、相手を破るには技量も大切です。人それぞれ器の大きさは異なりますが、鍛錬を積まなければ敗北につながります。武芸の腕を磨くことで心を磨くことにも結び付きますので、日々の稽古を欠かしてはなりません。己に打ち勝つことで他者にも勝てるのです」
「承知した。胸に刻んでおこう。して、戦場で武功を挙げるにはどうすれば良い?」
「はてさて、それは……言い表すのは難しいです。その場で感じる気であったり、呼吸であったり。某も数え切れぬ戦場を踏んできましたが、未だによく分かっておりません」
 信康からの質問に、忠勝は申し訳なさそうに答えた。こればかりは独特の感覚なので、言葉で上手に伝えられない。
 人と人が命を賭して戦うので、命を落とす者は必ず出てくる。生きて故郷に帰っても戦の傷が原因で亡くなることも多々ある。幸いなことに忠勝はこれまで一度も掠り傷一つ受けたことが無い。運不運の要素もあるが、傷を負わない能力も重要と考える。例え多くの首級を獲ても、命を失えば全て無に帰してしまう。
「まずは型、基本を体に叩き込みましょう。頭で考えて動いていると、どうしても初動が僅かに遅れてしまいます。ですので、基礎を意識しなくても平気なくらいまで慣れるのが、戦へ臨む初歩となります」
 忠勝が噛んで含めるよう丁寧に話すと、信康はふむふむと頷く。真摯な気持ちで吸収しようとする姿勢が伝わってくる。
「型が自然に出るようになれば土台は完成です。その後は型を崩して応用に転じるか、愚直に基本を極めるか。どちらを選んでも一朝一夕で上達しません。己の実力を過信すれば必ず足元を掬われます。某の知る朋輩や先達も、己の実力を見誤って戦場で格下の雑兵に討たれました。くれぐれもこれだけは肝に銘じておいて下され」
「うむ。……最後に一つ、頼みたいことがある」
「何なりと」
「勇名を馳せる忠勝と、一つ手合わせを願いたい。己の実力を確かめたいのだ」
「それは……」
 忠勝は返事に詰まった。稽古の類では実戦とは打って変わって滅法弱くなるからだ。
 しかし信康はそれを謙遜と受け止め、さらに言葉を重ねた。
「儂が主君の子であろうと、遠慮は無用。皆と同じように稽古をつけてもらいたい」
 純粋な瞳で頼む信康に忠勝も流石に断るのは躊躇われた。暫し逡巡した末に、絞りだすように答えた。
「……某で相手が務まるのであれば、喜んでお受け致します」
「そうか!では早速用意をさせるぞ」
 忠勝の応諾に破顔一笑した信康は、すぐに近くで侍っていた小姓へ興奮した口調で支度を命じる。これ程まで喜ばれるのであれば本望だが、内心複雑な心境だった。
 稽古で用いる木製の槍が届けられ、信康は揚々とした面持ちで木槍を回転させる。今更「稽古は苦手」と切り出す訳にもいかず気は重いが、やるしかない。
 信康は穂先をやや下段に構えている。基本の型を崩して自己流に工夫を加えたのだろう。
「参る!」
 一言発すると、忠勝の顔へ目掛けて鋭い突きを繰り出してきた。浮き上がるような軌道を見極めると忠勝は自らの槍で払うが、信康の突きは早いだけでなく一撃が重い。体格に恵まれているのもあるが、才能の片鱗を垣間見た気分だ。頼もしさを感じたのも束の間、すぐに次の一撃を放ってくる。
 信康の技を受けた印象としては、父の家康と違った傾向をしている。信康は腕力を活かして型に嵌まらず立て続けに打ち込んでくる。対して父の家康は、基本の型を崩さずに相手の隙を狙って一撃を放つ。それぞれの性格が戦い方にも表れているのだが、どちらかと言えば実の父よりも舅の信長に近いように感じた。既存の枠に捉われず新たな手法を探る辺りは特にそう思う。
 戦の時と勝手が違うので調子が狂う、とは言い訳にしか聞こえないかも知れない。しかし、これは紛れもない事実だった。
 忠勝は受け流している風を装っているものの、息つく暇を与えず果敢に攻める信康を相手にして完全に後手へ廻っていた。いつまで保つか冷や汗を流している所に、痛烈な一撃が放たれた―――

 手にしていた木槍を絡め取られ、決着した。当然ながら信康の勝ちである。
「ははは、これでは稽古にならぬではないか。忠勝」
 終わって発した第一声が、以前家康と稽古した際のものと同じだった。そういう所も親子で似るのかと不思議な気持ちだった。
 荒れていた息も落ち着いてきた頃、忠勝が信康に話しかけた。
「しかし、久しぶりに岡崎へ参りましたが、凄い賑わいですな」
 前回岡崎を訪ねた時は、信玄死去の直後ということもあって街中でも出歩く人は少なかったが、見違える程に人の数が多くなっていた。
 京から浜松にかけて安心して往来出来るようになった影響も大きいが、武田を制して勢いに乗る徳川に期待して岡崎にも人が集まっているのかも知れない。
 信康は少し胸を張って答えた。
「岡崎は三河を治める重要な拠点であり、我が徳川の原点だ。他国の者が訪れても恥ずかしくない町でなければいけない」
「すると、若君が考えられた施策を行っているのですか?」
「自分なりに町が発展する方策を考えているが、まだ実績が乏しいこともあって後見の数正や父が任じた奉行が主導して行っている。だが、この岡崎をいつか駿府や清洲を超える大きくて賑やかな町にしてみせる」
 語り口こそ落ち着いていたが、瞳はキラキラと輝いていた。話している内容も本気で目指しているらしく熱が伝わってくる。
 徳川の跡継の期待と責任が懸かる身として、人に恥じぬよう一生懸命努めているのだろう。自分のように己のことだけ考えていれば良いとはいかない。
「それは楽しみですな。一日も早く、若君の理想となる岡崎を見とうございます」
「うむ。期待しておれ」
 忠勝の言葉に信康は弾けた笑顔で応じた。これが先日父の煮え切らない姿勢に憤りを見せていた人物とは思えなかった。
 偉大な義父と疎遠な実父に挟まれた難しい立ち位置に翻弄されながらも、背筋を伸ばして懸命に律している姿に忠勝は胸を痛めた。願わくば、今見せている笑顔が本当の姿であって欲しいと切に願った。

 徳川家の勢力が拡大するのに合わせて、家臣の数も増えていった。織田と同盟を結んでいるので西から攻められる心配は無いが、代わりに領地を求めるには東へ向かうしか道が無い。甲信の武田、関東の北条、さらに奥羽陸奥と強敵がまだまだ控えている。今後も戦が続くと見込まれる以上、一人でも多く有志を抱えていて損はない。
 武田から三河・遠江の領地を着々と奪還しているこの時期に徳川家の未来を支える有能な男が二人も加わった。ただ、その内の一人は忠勝にとって好まざる人物であったが。

 天正五年、春。忠勝は家康の呼び出しに応じて浜松城へ登城した。廊下を歩いていると、向こうから多くの書類を運ぶ小姓の姿が目に入った。
 小姓は主君の身の回りの世話であったり城内の雑用を行ったりする存在だが、家臣の子どもや陪臣の有望株が多く集められて英才教育を施す狙いも含まれている。忠勝や康政も幼い頃に経験してきたし、元忠や数正は家康が人質として駿府へ送られた際に同行した。
 まだ初々しさが残る小姓とすれ違いながら、自分が同じ年頃の時を振り返る。机の前に座って筆を動かす時間よりも、来るべき戦に備えて自らの体を鍛えていた時間の方が多かったように思う。……あまり今と変わってないか、と一人苦笑する。
 昔のことを思い出してこそばゆい気持ちになりながら、主の待つ部屋へ入る。すると家康は、小姓と思われる若者と熱心に話し込んでいる様子だった。微かに聞こえてくる言葉の内容から、話しているのは内政に関することか。
「おぉ、忠勝。参ったか」
 来訪に気付いた家康が声をかける。すると小姓は忠勝が入室したことに気付いていなかったらしく、取り乱した様子を見せた。
「こ、これは失礼しました……すぐに下がりますので」
 振り返った小姓は端整な顔立ちで涼やかな風貌をしていた。一瞬衆道の間柄かと疑ったが、そのような雰囲気は見られないので違うみたいだ。
 慌てて立ち上がった小姓に、家康は優しい声色で呼びかける。
「構わぬ。後学の為に同席せよ」
 主からそう言われては断る訳にもいかず、小姓は忠勝に一礼して家康の後方に座る。家臣の中には「身分違いだ」と露骨に抗議する者も居るが、忠勝は気にしない性質なので特に問題はない。ただ、軍事機密に関わる内容だと是が非でも席を外してもらうが。
 どうやら家康から寵愛を受けているようで、小姓を見る家康の目には期待が滲んでいた。主君直々に教えを受けるなど特別な存在であることを物語っているも同然だ。側近くに侍っても主君から声を掛けられるのは稀、お叱りや注意ではなく指導や教授となるとさらに稀少だ。小姓の教育に時間や手間を割くのは、それだけ期待している証左だ。
 小姓が座るのを確かめると、家康は再び口を開いた。
「そういえば忠勝とは初見だったか。この者は万千代。井伊の出身だ」
「井伊……」
 忠勝が小首を傾げると、万千代が間髪入れず補足を挟んだ。
「遠江の大井川を上流に溯った先にある小さな谷に御座います」
 はきはきとした口調で説明されて、ようやく思い出した。同時に、主君が気に入る理由も何となく分かった。
 頭の回転も早く、受け答えもしっかりしている、相手が何を求め何を考えているのか察する能力も長けている。これは将来有望な若人だ。
 徳川家では現在三河由来の者が中心を占めているが、近年遠江を地盤にする土豪や他国から流れてきた者も登用されるようになってきた。奥平や小笠原といった面々もそうだが、今目の前に居る万千代もその中に含まれる。
「井伊の領主から人質として出仕させられたが、利発で気配りも出来るから手元に置いている。先々我が家を支えてくれる頼もしき存在になると儂は思っている」
 家康から手放しに褒められると、万千代は頬を少し赤く染めて頭を下げた。その落ち着き払った所作も同年代の者と比べると抜きん出ている。
 紹介を終えると、四半刻ほど家康と遠江や西駿河の現状について意見交換を行った。その間万千代は一言も発さず議論の経緯を静かに見つめていた。
 その後も城中で家康直属の兵士に鍛錬をつけ、終わった頃にはすっかり夜も更けていた。
 早く城下の屋敷へ帰りたいと思いながら廊下を歩いていると、中庭に誰か居るのが目に留まった。月の光が差し込んでいるので普段より明るいが、こんな夜中に一体何をしているのだろうか。城の間取りを調べる間者とは考えにくいが、気になったので近付いてみる。
 月明かりの下、両肩を出して棒のような物を一心不乱に振っている。その息遣い、風切り音、足を擦る音が、静寂な空間の中で響いていた。
 果たして誰かと覗いて見ると、その人物は忠勝も覚えのある人物だった。
「万千代ではないか!?」
 思わず発した声に反応した万千代は、すぐに手を止めて忠勝の方を向く。手にしていたのは稽古用の木槍だった。
「これは本多様」
「お主、こんな夜に何をしている?」
 忠勝が訊ねると万千代はやや狼狽した表情で答える。
「槍の鍛錬をしておりました」
「何故このような時間に行う必要がある? お役目もあるだろうが、合間を縫えば十分に行えるであろう」
 重ねて問い質すと、万千代は胸を張って「足りませぬ」と言い切った。
「朋輩と同じ程度の量では、並の歩みでしか上達しません。御家の為に活躍するのを考えると、遅すぎます。ですから、人が休んでいる間もこうして稽古を積むのが最善の道と考えます。それに……私は一刻も早く手柄を挙げなければなりません」
 万千代の表情が一瞬険しくなったのを、忠勝は見逃さなかった。
「それは何か理由があるのか?」
「井伊は遠江の山奥を領する土豪で、おまけに一度は跡継ぎ不在で廃れる寸前まで追い込まれた時期もありました。私は井伊家の未来を託されて送り出された身。戦場で『井伊の万千代ここにあり』と皆に知らしめる必要があるのです」
 そう話す万千代の瞳は野心でギラギラと輝いていた。初陣を経験していない若者が戦場で華々しい活躍に憧れるのはよくある事だが、ここまで立身出世を貪欲にする者はなかなか居ない。主流から外れているのも『もっと上に上がりたい』と渇望する気持ちを増幅させる材料になっているようだ。
 自分が万千代と同じ年頃の時にも『戦場に立ちたい』と思ったが、本多の家を背負っているとは微塵も思わなかった。主君から期待されている立場であっても驕らず慢心せず、愚直に上を目指す気持ちが強いのは目を見れば分かる。
 ……殿が特別注目する理由も分かる。今の徳川家の中では多少毛色が異なるものの、こういう人材を欲していたのだ。
「寝不足で万一の時に支障を来たしては元も子もない。体を休めることもお役目の内であることを忘れるな」
「ご忠告、ありがとうございます」
 万千代は深く頭を下げた。忠勝は頭を垂れる若者に内心期待を膨らませながら、その場を立ち去った。
 これから五年後の天正十年、万千代は元服して名を“直政”と改める。以降、直政は若年ながら家康の側近として、文武両面から献身的に支える貴重な存在として成長していく。

 それからもう一人。こちらは忠勝にとって招かれざる存在だった。
 天正五年、秋。米の収穫も大方終わり、野原には薄の穂が揺れる頃。忠勝が浜松城に登城すると、その人物と偶然廊下で遭遇した。
「これはこれは、平八郎殿。お久しゅう御座います」
「……お主、いつ戻った」
 人を嫌うことが殆ど無い忠勝にしては珍しく、露骨に顔を顰める。一方の話しかけた人物はニコニコと愛想笑いを浮かべていた。
「先日、新十郎(大久保忠世)殿の執り成しにより帰参が適いました。今後は御家の為に粉骨砕身尽力する所存です」
「そのまま塵になれば良かったのに、な」
 辛辣な言葉を容赦なくぶつける忠勝の剣幕に、人物は肩を竦める。
「おぉ、怖い怖い。諸国にその勇名を轟かせる平八郎殿のお言葉とは思えませぬ」
「黙れ、弥八郎。我が本多一族の恥晒しめが」
 大袈裟に怖がる正信に、忠勝は苛立った声で吐き捨てた。
 本多“弥八郎”正信。忠勝と同じ本多一族であるが、一度は徳川家から追われた曰く付きの人物だった。
 永禄六年に勃発した三河一向一揆で、正信は徳川家に仕える身でありながら門徒側に味方した。徳川家が一揆を鎮圧すると、正信は三河を出て諸国を放浪することとなった。
 忠勝が正信を毛嫌いするのは過去の造反もあるが、生理的に受け容れられない面が大きかった。唐瘡(梅毒)を患った後遺症で肌が赤黒く変色して所々に斑点が浮かんでいる醜悪な外見よりも、正信本人の性格的な面が主な要因だった。
 三河武士の多くは無駄口を叩かず武勇を重んじる傾向が強かったが、正信は武勇よりも謀略の方が得意であった。その点では徳川家の武士の中では異色と言っても良い。
 ただ、その影響か家中の評判は突出して悪かった。元は鷹匠と噂されて生粋の武士ではないことや、謀事を陰湿と捉える三河武士の価値観など様々な要因はあった。戦場で命を削って御家の勝利の為に働く軍人が、安全地帯であれこれ指図する文官を忌み嫌う構造とよく似ていた。
「何はともあれ、今後は微力ながら御家の為に励む所存です。それでは、失礼」
 あまりの剣幕に、正信は長居するのは得策ではないとばかりに、そそくさと退散していった。遠ざかっていく背中に忠勝は一つ舌打ちした。
 長篠の戦いから数年の間に加わった二人は後々まで徳川家の屋台骨を支えていくことになる。ただ、磐石な徳川家を根幹から揺るがす一大事がその近くまで迫っていることに誰も気付いていなかった―――

 設楽原で大敗して武田の影響力が弱まったことで、徳川は着実に力を蓄えていった。遠江内における武田方の城を囲み、駿河へ兵を送り込むなど地道に敵の力を削いでいった。
 しかし、順風満帆に見える徳川家だったが、懸念すべき材料が無いわけではなかった。それも徳川家の内部に火種を抱えていた。
 先にも触れたが、家康の正室・築山殿という女人が居る。家康が今川への人質として駿府で過ごしていた頃、今川義元が烏帽子親となって名を“元康”と改めた前後に結婚したので夫婦の付き合いは相当な年月である。
 築山殿が嫁ぐに当たり一旦義元の養女となった上で結ばれたことから、家康が今川を支える有望株として認識されていたことが伝わってくる。政略結婚の意味合いが強かったのもあるが、矜持も高く気の強い性格だった築山殿を家康が苦手に感じていたことから、夫婦仲は良好とは言い難かった。
 桶狭間の合戦における敗戦を契機に家康は今川から独立したが、築山殿は変わらず駿府で人質として据え置かれた。その後今川家との人質交換で徳川家に身柄が戻ってきたものの、家康が拠点とする浜松ではなく岡崎に移された。夫婦仲が親密でなければ距離を隔てる必要など無いので、二人の関係は当時から冷え切っていたのが分かると思う。
 今川との繋がりが深い築山殿からすれば、義元が亡くなると掌を反して敵対していた織田と手を結んだことを快く思っておらず、息子の信康が養父の仇である信長の長女・徳姫を娶ったのも気に食わない。その結果、築山殿は嫁の徳姫にきつく当たるようになり、岡崎城の奥は姑・築山殿の駿河閥と嫁・徳姫の尾張閥に分かれて不穏な空気に包まれた。
 深刻な嫁姑の対立にも、信康は特に関与する訳でもなく放置したことで、事態はさらに泥沼化の様相を呈していくこととなった。
 天正七年、度重なる姑の嫌がらせが我慢の限界に達した徳姫は実父・信長に告発文を送った。その中身は『築山殿が武田の間者と内通している』とか『夫・信康の素行に問題あり』といった感じで、決して穏やかでない内容が記されていた。
 娘からの告発文を受け取った信長は看過できない内容と判断して、家康に詳細を確かめるべく使者を安土へ送るよう要請。家康は直ちに筆頭家老格の酒井忠次を安土へ向かわせたが、この人選が致命的な誤りであることに気付いていなかった。
 七月下旬、忠勝は家康から緊急招集の呼び出しを受けた。急いで浜松城に登城すると、既に主立った家臣が顔を揃えており、中には普段岡崎城に常駐している石川数正や三河に配置されている家臣の姿もあった。続々と所定の位置に座っていくのだが、何故か酒井忠次だけは一番下座に座っていた。その顔色は異様に蒼く汗が全身から噴き出しており、まるでお達しを待つ罪人のようである。
 そこへ家康が登場したのだが……その表情は尋常でない程に険しい。付き従う小姓もお気に入りの万千代しか伴ってないのも違和感を覚えた。
「皆の衆、大儀である」
 第一声を発した家康の声はいつもより硬く、声量もやや小さく震えている。全体を一度見渡すと、ゆっくりとした口調で発した。
「忠次。上総介殿より伝えられたことを皆に話せ」
 そういえば忠次は先日まで安土に派遣されていたなと忠勝は今更ながら思い出した。一方の忠次は明らかに硬直した体で一礼すると、恐る恐る口を開いた。
「去る七月上旬、信長公の元へ若君に関する嫌疑について面会して参りました。ただ……我等の弁明を聞き終えると信長公は『信康は徳川を継ぐに相応しからず。即刻腹を召せ』と一言」
 最後の方は明らかに震えた声で明かされた内容に、居並ぶ面々の間に大きな動揺が広がった。真偽が定かでない情報を根拠に、同盟相手の嫡男に切腹を要求するなど聞いたことがない。明らかな内政干渉に当たる。
 補足すれば、忠次は信長に対して釈明も弁解もしていなかった。信長と余人を挟まず二人きりで会うと、徳姫から送られてきた文の内容を一つ一つ確認していったのだが、忠次はこの場で内容の正否を明確に示さなかった。忠次からすればその場で初めて知らされた事ばかりで、迂闊に返答してはならないと自重したのが表現としては相応しい。
 だが、忠次の反応を見た信長が『怪しい』と判断した事実に変わりはない。
 これが信康の後見役であり織田との交渉役でもある石川数正だったならば、異なる展開になっていたかも知れない。徳川家臣団の中でも弁が立つ上に交渉事の経験も豊富、さらには岡崎城の内部事情にも精通していた。忠次とは違って、疑わしい点については明確に否定したことだろう。
 事情はともあれ、忠次は信康の嫌疑を晴らすことなく信長から一方的な通告を受けて戻ってきた次第である。
「こうなれば再度安土へ赴き、信長公の誤解を解いてきたく存じます!!我が命に代えましても若君の命を救って―――」
「……下がっておれ」
 唾を吐きながら必死の形相で訴える忠次に、家康は頭を押さえながら命じた。これにより忠次は今回の一件に関して発言権を完全に失った形となった。家康から退室を命じられた忠次は肩を落として退場していった。
 忠次が下がると、家康は大きな溜息を一つ吐いてから出席した面々に問い掛けた。
「……仔細そのようになった。皆の存念を聞きたい」
 言い終えると右手の人差し指でこめかみを押さえた。苦悩している胸の内が表れているが、満座は重苦しい雰囲気に支配されて皆口を固く閉ざしている。
 静寂の時がやや続いた後に「恐れながら」と切り出した人物が現れた。忠次と同格の石川数正だ。
「私が改めて使者となり弁明に参ります。若君の後見であり岡崎の内情を把握している私なら、信長公もきっと話を聞いて頂けるかと……」
「数正よ。その前に一つ確認したい。上総介殿に伝えられた内容は事実なのか?」
 家康が訊ねると数正は渋い表情に変わる。
「奥方様の件に関しましては奥の話になりますので憚られますが……噂では、薬師とも僧侶とも言われる者が頻繁に出入りしていると聞いております。些か誤解を招く不用意な行動ですので慎んで頂きたいのですが……。若君は気性の荒い性格ではありますが、それも若気の至りの範疇に入るかと……」
 目付役も兼ねている数正も言葉を濁した。真相を正確に掴んでいない以上、白とも黒とも受け止められる。歯痒い状況に家康は爪を噛む。
 この状況に大久保忠佐が立ち上がると大声で吼えた。
「大体、織田は何様のつもりだ!!我等とは対等の関係、そればかりか信長が上洛する際から幾度も兵を出してきたではないか!!こうなれば徳川の底力を見せつけてくれようぞ!!」
「そうだそうだ!!」
「織田の言いなりになるか!!」
 忠佐の発言をきっかけに次々と怒りの声が上がる。心の内に蓄積されていた織田への不満が一挙に爆発した形となった。
 忠義心の篤い性格の持ち主が多くを占める徳川家だったが、同盟を結ぶ相手の嫡男に切腹を求める非礼は到底許容出来るものではなかった。反織田の機運が高まる中、議論はさらに加熱していく。
「こうなれば織田と袂を分かって、いっそ武田と手を結びましょう! 織田は畿内に軸足を移しておるから尾張・美濃は手薄になっている! この二国は手に入ったも同然!!」
「三河も遠江も尾張の腰抜け共と違い精兵揃い!!所詮数だけの織田は恐るるに足らず!!」
 過激な意見が次々と飛び出す中、本多正信が諌めるように割って入る。
「お待ちあれ、皆様方。仰ることは分かりますが、仮にも織田は京を押さえて畿内だけでなく北陸・中国にも版図を広げる大大名ですぞ。一時の激情に任せて織田を敵に回すのは決して得策ではないかと……」
 白熱する議論に水を差す発言をした正信に、猛然と反発の声が上がる。
「これは損得の問題でない! 徳川の威信が脅かされている以上、断固として戦う必要があるのだ! 鷹匠上がりは黙っておれ!!」
「左様! 我等小なりとも意地がある! 例え織田に攻め滅ぼされても若君は渡さぬ!!」
 家中でも突出して嫌われている正信が口を挟んだことで、火に油を注ぐ結果となってしまった。槍働きに命を賭けている荒くれ者達にとって、戦場にも立たない正信を信頼の置けない奴と憎んでいた。
「……あの奸臣め。物の道理をまるで分かっておらん」
 榊原康政も苛立ちを隠さず斬って捨てる。康政も忠勝と同様に正信を毛嫌いしていた。
 ただ、この状況にあって忠勝は渋面を浮かべたまま沈黙を貫いていた。本来であれば忠佐の発言を聞いて真っ先に賛同するだろうが、加熱する議論に加わる兆しは見えない。
(果たして、勝てるのか)
 沸騰する座にあって、その一点に絞って考えた。
 康政や正信のように知恵がある方ではないので、小難しい政治的な視点は排除して純粋に戦闘面に絞って考えた。これくらいなら自分の経験を基にすれば見立ては可能だ。
 感情では皆と同じように『同盟相手の嫡男に切腹を迫るなど言語道断、即刻手を切るべき』と叫びたいが、それはあまりに無謀な選択だと思う。
 織田軍は三河や甲斐の兵と比べれば個人の戦闘能力は格段に劣るが、その差も近年急速に縮まりつつある。鉄砲や長槍など強力な武器を与え、戦闘専門の兵を常時雇うことで季節を問わず兵を動かせ、効率的な兵站が確立されたことで迅速な行軍を可能としている。合戦は武器や兵糧、兵に払う日当など何かと出費が必要となるが、京や堺など主要商業都市を掌握しているので莫大な資金力も保持している。個々の兵力差を埋められ、相手を圧倒する数で押し寄せれば……敗北は必至だ。
 もしも武田と手を結んだ場合、救援にどれだけの時間がかかり、どれだけの兵を出してくれるか。織田は動員可能な人数は五万を優に超え、各地への押さえを差し引いても三万を超える軍はいつでも動かせる。徳川は各地からかき集めても一万に迫る程度、武田も一万五千から二万弱だが隣接する上杉や北条への備えで一定数の兵を残さなければならない。それ等を勘案すれば徳川と武田で二万が限度だ。
 野戦を挑めば、徳川方に有利な条件が幾つか重なるか、相手の采配で致命的な欠陥が幾つか重ならなければ到底勝ち目は無い。つまり、織田は無難に手堅く戦運びをすれば十中八九勝てるのだ。籠城策を選択しても、城を十重二十重に囲んでいる間に別働隊が周辺の城を各個撃破して孤立無援になるのが目に見えている。どちらにしても勝てる可能性は限りなくゼロに近い。
 さらに言えば、武田は往年の勢いを完全に失っている。長篠の戦いで有力家臣と兵を多く失い、残っているのは主君の顔色を窺う輩と主君から距離を置く家臣。信玄存命時と比べれば戦力は半減、いやそれ以上に弱体化していると考えていい。
 考えて、考えて、考え抜いて。
「……各々方。設楽原で並べられた銃口がこちらに向けられても、勝てるとお思いか?」
 落ち着いた口調で投げかけた忠勝の言葉に、沸騰していた議場は水を打ったように静まり返った。
 最強と謳われた武田の騎馬軍団も、大量に飛んでくる鉛玉の前で一敗地に塗れた。その記憶と衝撃は徳川家臣団の脳裏にも強く焼き付いていた。鮮明に思い起こさせるからこそ余計にその凄さが伝わる。
 批判を一身に浴びていた正信から感謝の眼差しを感じたが封殺する。あの正信と同意見なのは癪だが、御家一番と堪える。
 その後も武人を中心とした徹底抗戦派と若干名の受諾派で議論が交わされたが、頃合を見てそれまで聞き役に徹していた家康が重い口を開いた。
「……皆の考えはよく分かった。ただ、今暫し考える時間をくれ」
 絞り出された言葉には様々な感情が滲んでおり、誰も声をかけられず頭を垂れるしかなかった。それを見届けると家康は何も言わず下がっていった。その背中はいつもと比べて小さく丸いように映った。
 八月三日。家康は岡崎城に入ると信康を城主から解任、二俣城へ移送の上で蟄居を命じた。母・築山殿も身柄を拘束され遠江へ護送する途中、二十九日に家臣の手で謀殺された。
 九月十五日、信康は家康の命により切腹。享年二十一。
 築山殿が実際に武田と内通していたか真相は定かでなく、信康がその動きに関与していたかも不明だった。一説には、信康の覇気溢れる才能に信長が危機感を覚えて始末したとする見方もある。
 いずれにしても、徳川家は将来有望な跡継ぎを犠牲にして、御家存続の道を選んだ。その選択が正しいか間違っているか分からないが、徳川家に携わる者全ての心に深く刻み込まれる悲しい顛末であった。

 正室と嫡子を失う悲劇を乗り越えた徳川家は、落ち目にある武田の力を徐々に削いでいった。そして遂に天正八年九月、因縁の高天神城の奪還に動く。
 高天神城の守将は旧今川家臣・岡部元信。主家を裏切っただけでなく、滅亡に追い込んだ徳川のことを心底から憎み怨んでいた。
 開城に向けた交渉の余地は無く家康も城攻めを決断したが、将兵は激しく抵抗したため徳川方は少なからず損害を被った。止む無く兵糧攻めに切り替え、持久戦に持ち込んだ。
 元信を始めとして城兵は辛抱強く飢えに耐えた。しかし、甲斐の勝頼に救援を求めたが、弱体化した武田に遠江で孤立する高天神城へ援軍を送るだけの余力は残されていなかった。
 半年後の天正九年三月、徳川陣へ切り込み元信以下多数の城兵が討ち死する最期を遂げた。勝頼は高天神城を見殺しにしたこととなり、さらなる求心力の低下を招くこととなる。同年には武田の有力家臣・木曽義昌が織田へ離反したが、その背景には高天神城陥落の影響が大きかった。
 年が明けて、天正十年二月。いよいよ満を持して信長は武田征伐を決断した。徳川もこの動きに同調して駿河方面から侵攻を開始する。ただ、高天神城への対応を目の当たりにした駿河の武将達は武田家への信頼が著しく失墜しており、駿河を任されていた武田一門の穴山信君(後の梅雪)も徳川が迫ると知ると即座に内応したこともあり、大半の城は戦わず降伏を選んだ。信君の母は信玄の姉であり、信君の妻は信玄の娘と大将の勝頼に極めて近しい存在だっただけに、武田家家臣に与えた衝撃は計り知れない。
 相次ぐ家臣の離反に自らの不利を悟った勝頼は、僅かばかりの手勢と身内を連れて逃走を図るも、最後まで付き従っていた小山田信茂に土壇場で裏切られて進退に窮した。追い詰められた勝頼は天目山で自害、これにより一時代を築いた名門武田氏は滅亡した。
 織田と徳川を滅亡の瀬戸際まで追い込んだ強敵は、内部崩壊という形で呆気なく戦国の世から消えていってしまった。


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