三 :三方ヶ原の戦い、九年前の誓い




 元亀三年十二月十九日、二俣城が武田の手に陥ち、遠江北部の大半が武田の影響下に入ってしまった。その一方で、織田信長が派遣した援軍も浜松城に到着した。
 その内訳は織田家の重臣である佐久間信盛、平手汎秀、林秀貞の三将と兵三千。徳川を遥かに上回る勢力であるにも関わらず、僅か三千の援軍しか送ってこなかった。これは徳川が金ヶ埼の時に参陣した際の五千、姉川へ応援に赴いた際の八千より少なかった。
 この当時、織田の勢力圏は尾張・美濃から畿内の広範囲を掌握しており、五万を超える軍勢を動かすことが出来た。しかし、朝倉・浅井・石山本願寺・旧六角や斉藤の残党・三好と敵対する勢力と対峙しており、兵も広範囲に配置せざるを得ない状況に陥っていた。さらに間の悪いことに、美濃の国境から武田軍が侵攻しており、そちらにも兵を割かなければならなくなったのだ。
 そこで苦肉の策として、兵数を絞る代わりに筆頭家老の佐久間信盛ら武将を三名派遣して、『決して粗略にするつもりはない』という姿勢を示すことにしたのである。
 三人の将は着いて早々に家康へ面会を求めてきた。その求めに応じて、家康は大広間で直ちに対面する段取りを整えた。
 危機が差し迫っている状況ということで家康は鎧姿で上座に腰を下ろす。左右に徳川の家臣が並び、中央に織田から遣わされた三将が座る。
 年長格の佐久間信盛が代表して口を開いた。
「我が主より言伝を預かって参りました」
「うむ、聞こう」
「『武田が如何に挑発してきても門扉を固く閉ざし、手出しすること一切無用のこと』と」
 信盛の口から告げられたのは、籠城を軸とした消極策であった。これでは、例え武田勢が領内を通過しても見送れと言っているも同然ではないか。一部の徳川家臣が色めき立つ。
 家康は信長からの言伝を伝えられると、僅かに眉を顰めた。
「上総介殿は左様に申されたのか」
「はっ。必ず伝えよと厳命されました。その証として、文も持参しております」
 脇に控えていた平手汎秀が前へ進み出て、一通の文を差し出してきた。文面を確認すると、確かに述べられた内容と同じ文章が記されていた。それを見て家康は黙り込んだ。
 三河や遠江の各城に兵を配しているので、徳川が現在動員可能な人数はおよそ八千。それに織田から援軍として送られてきた三千を加えても一万一千。対する武田は美濃方面にも兵を割いているとは言え、総大将信玄が率いる本軍は少なく見積もっても三万は下らない。真っ向からぶつかっても勝機は薄い。
「……相分かった。御三方も遠路はるばる御苦労であった。今宵はゆるりと休まれよ」
 家康が労いの言葉と共に促すと、小姓が先導して用意した部屋へ引き上げていった。織田の三将が去った後の家康は脇息に体を預け、苦悩した表情を浮かべた。

 それから三日後。日の出前に浜松城へ火急の使者が駆け込んできた。
「申し上げます!!二俣城に入っていた武田勢が動き始めました!!」
 二俣城を陥落した後に暫く留まっていた武田が動いたと知ると、家康は即座に軍議を開催すると宣言した。主立った将は浜松城に詰めていたので、間を置かず大広間には徳川家の家臣や織田の武将が集まり、あとは家康の着座を待つのみとなった。当然ながら居並ぶ面子の中に忠勝も含まれていた。
 先日の一言坂における戦で、忠勝の活躍は味方を大いに鼓舞させた。しかし、当の本人は上がった評判よりも負けたことを気にしていた。名声で味方が増える訳でも敵が減る訳でもない。逆に有名になったと有頂天になれば、自然と驕りや緩みの気持ちが生まれて身を滅ぼすことに繋がると考えていた。
 常と変わらない心構えで静かに主の登場を待つ。暫らくすると、奥から甲冑の擦れる音が近付いてくるのが聞こえた。居並ぶ諸将が平伏すると、家康が大広間へ入ってきた。
「状況は」
 腰を下ろすなり家康が訊ねた。武田の本軍が動いたと知り、緊張で顔が強張っている。
「現在、物見を放って確かめさせております」
 家康の問いに酒井忠次が応えた。軍議を開くと告げてからまだ半刻も経っておらず、詳細はまだ掴めてなくて当然だ。その分かりきった答えに焦れたらしく、家康は親指の爪を噛み始めた。先日同様にあまり良い傾向でないと忠勝は感じた。
 そこへ慌しく駆けてくる足音が耳に入った。恐らく武田の様子を探っていた物見の者だろう。
 息を切らして駆け込んできた武者は膝をついて報告した。
「申し上げます!!二俣城を発した武田勢、一路西へ向けて進軍している模様!!」
 物見の者が興奮冷めやらぬ声色で言上する。ただ、その内容に忠勝は違和感を覚えた。
 それは他の者も同じ思いだったらしく、康政が武者に訊ねる。
「……それは武田が浜松城を素通りして先を急いでいる、ということか?」
「はっ。そのように見受けられました」
 康政の問いに武者が応じた。
 今回、武田が遠江へ侵略してきたのは京へ上洛するのが目的。点在する城一つ一つを虱潰しに陥としていけば無駄に時を費やすことになるので多少見逃すことは考えられるが、一万を超える軍勢が入る浜松城を後回しにするのは不可解だ。仮に三河や尾張で手間取った場合、手付かずで残っている徳川勢と挟み撃ちにされる恐れがある。前後を挟まれれば屈強な武田勢でも劣勢に立たされるのは明らかなのに、どうして素通りしていくのか。
 しかし、武田勢がこちらに向かって来ないと知ると、籠城策を提案していた織田の将や消極的な姿勢を見せていた一部の遠江の国人が安堵の色を浮かべた。天下にその強さを広く知られている武田と一戦交えずに済むと分かって胸を撫で下ろしているが、忠勝からすれば逆にその選択が怪しいとしか思えなかった。
 予想外の展開に一堂が口を噤む重苦しい雰囲気を、一気に吹き飛ばしたのは意外な人物だった。
「おのれ信玄め……」
 声を発した人物は怒りの形相ですっと立ち上がり、その衝撃で床机が倒れたが構うことなく言葉を続けた。
「これより直ちに出陣して武田の背中を突く!!城中の者は急ぎ支度を整えよ!!」
「お待ち下さい、殿。一旦落ち着いて……」
 あまりの豹変ぶりに困惑しながら懸命に宥める忠次。その相手とは、自軍の大将である家康であった。
 顔を真っ赤に染めた家康は、諌めてきた忠次に猛然と反論する。
「これが落ち着いていられる場合か! 我が領地を敵が無人の野を行くのを見過ごすなど、堪え難き恥辱も同然!!徳川の意地を見せつけてくれようぞ!!」
 激昂する家康の姿に、織田から派遣されてきた三人は唖然と眺めるしかなかった。
 過激な物言いであったが、筋は通っている。領民から年貢や税を徴収する代わりに、平穏な暮らしを保障するのが武士の務め。領民の財産や安心の為に武家は命を賭して戦うのだ。無抵抗のまま降参すれば、領主としての存在意義が疑われる。ただ、戦に臨んで負けた場合には、兵や将だけでなく領地も名誉も失われることになる。領主は意地を通す一方で無謀な賭けに出ず堪えることも必要だった。
 しかしながら、今の家康には何を言っても聞く耳を持たないだろう。癇癪を起こした子どものように、周りの状況が見えていない。慎重に物事を捉える常日頃の姿からはまるでかけ離れていた。平静なら家臣の策が良いと考えれば持論を曲げることもあるが、元来頑固な性格で型に嵌まると梃子でも考えを変えようとしない。ここは状況を理解してもらうしか方策はない。
「……殿、どのようにして武田を攻めるおつもりでしょうか?」
 忠勝が訊ねると家康は即座に答えた。
「二俣から西へ向かえば、必ず三方ヶ原を通る筈だ。武田があの高台を降りた後に我等が背後から仕掛ければ必ず優位に立てる」
 三方ヶ原は浜松の北にある台地で、二俣から三河方面へ向かう場合には必ず通過する場所である。大軍を展開するだけの広さもあり、背後から追撃する場合には絶好の場所だ。
 成る程、頭に血が上っているだけではないようだ。忠勝は主の答えに安堵するが、それでも一抹の不安は拭いきれない。
 群雄割拠していた信濃の大半を手中に収め、時勢を伺い上野と駿河も掠めた信玄がそう簡単に隙を見せるだろうか……そもそも進軍自体がこちらを誘き出す罠の可能性もある。
 忠勝は続けて物見に出ていた武者に声をかけた。
「武田の進軍速度は?」
「通常よりも若干速いように見受けられました」
 ハキハキとした返事に忠勝は思案顔になる。
 敵も追撃を警戒して動いているのか、一刻も早く上洛すべく急いでいるのか、それとも別の思惑があるのか。武田の意図が読めない以上は無理に兵を出す必要は無いと忠勝は考えるが……前のめりになっている家康は今の報告を聞いてどう捉えるか不安で仕方がない。
 満座が注視する中で、家康は自らの考えを述べた。
「恐らく信玄坊主は我等が籠城策に出ると決めつけ、その間に東遠江・三河へ向けて近付こうという魂胆なのだろう。だが、我等にも小なりとも武門としての意地がある! 徳川の兵を侮ったことを後悔させてやるわ!!」
 ……やはり、そう受け止めたか。家康の裁定に異議を挟むことなど出来ず、忠勝は黙って頭を垂れるしかなかった。

 軍議が終わると出撃準備の為に城中が慌しくなった。喧騒に包まれる中、大広間から出た忠勝に後ろから康政に声をかけられた。
「どうした、平八郎。そんな暗い顔をして」
「お主こそ表情が冴えないぞ」
 忠勝の指摘通り、声をかけてきた康政は普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、どこか沈んでいるように映った。若年の頃より互いに切磋琢磨してきた仲なので、些細な変化には敏感であった。
 付き合いが長い忠勝には隠し通せないと諦めた康政は、周囲を気にしつつ声を潜めて話しかけてきた。
「……先程の殿を見ていて、九年前の時と同じ顔をされていたのが無性に不安を覚えた」
「うむ。某もあの一向一揆の際の御姿と重なって映った。だからこそ、怖い」
 二人の言う九年前の一向一揆とは、永禄六年に三河で勃発した一揆だ。元々三河は浄土真宗の教えが広く浸透しており、松平家中でも一揆に呼応して家臣が離反、家中を二分する厳しい戦いに繋がった。通常の一揆では門徒の百姓が主体となるのだが、東海道筋でも随一の兵の強さを誇る武士も一揆に加わったことで、事態は深刻な状況に陥ることとなる。家康の政略もあって一揆は半年で鎮圧したものの、長期化していれば三河も加賀と同様に『一向一揆の国』となっていてもおかしくなかった。
 家康だけでなく家臣達にとっても三河の一向一揆は心に深い傷を刻む結果となったが、その痛みはまだはっきりと残っていた。
「先の二俣城の時から、殿が前のめりになっておられる。相手が武田とあって気負う気持ちも分からなくもないのだが、些か冷静さを欠いている。先日は辛くも難を逃れられたが、此度も無事とは限らぬ」
 二ヶ月前には家康自ら後詰めの兵を出して、忠勝が命懸けで食い止めて撤退させる一幕があったばかりだ。結果的に首と胴が繋がって生還することが出来たが、あの場で討ち死していてもおかしくないくらい、厳しい戦いであった。忠勝の首一つで済むならまだしも、もし仮に武田が迅速かつ猛烈な勢いで、家康率いる本軍に襲い掛かっていたとしたら……と想像しただけで背筋がゾッとする。
 忠勝としては再び勇み足を踏まないかと、心配で仕方ない。
「あの時はお主の活躍で被害を最小限に抑えられた。尤も、二俣を奪られたのは痛いが」
 康政は一向一揆の時に初陣を飾り、それから幾度と戦場を切り抜けてきた猛者だからこそ忠勝の心境も理解できた。恐らく康政も忠勝と同じ状況に立てば、迷わず己を犠牲にする覚悟で武田と対峙したに違いない。
「軍議で殿が発した事も確かに分かるが……無謀に立ち向かって御家の評判を落とすのも如何かと思うが、お主はどう考える?」
 康政は武の才だけでなく政の才も兼ね備えていた。他家との取次であったり統治の助言を求められたりする程で、戦働きしか能のない者が多い徳川家において文武に秀でた貴重な人物として存在感を発揮していた。
 しかし、康政の問いかけに忠勝は興味なさ気にあっさりと答えた。
「そういう細かい意図は知らん。某は槍一本携えて、殿の下知に従うまで。それが例え火の中水の中、地獄の底であろうと一番槍を目指して暴れるのみ」
「お主のそういう単純な思考が心底から羨ましい」
 きっぱりと言い切った忠勝に、康政は苦笑いを浮かべるのみであった。
 康政が万事上手に切り盛りする型であれば、忠勝は武のみ突出している型である。忠勝は正しく典型的な三河武士の象徴だが、康政は戦に関して天賦の才を持つ忠勝を羨ましく思うことが度々あった。
 単騎突貫する勇気、周囲を十重二十重に囲まれても生き残れるだけの腕力、ここぞという攻め時を外さない勝負勘、敵中で奮戦していても息を乱さない体力、それら全てを備えているからこそ鬼のように働けるのだ。まるで合戦の申し子である。余計な詮索をしない分だけ判断に迷いが無いのかも知れない。
 だが、忠勝も康政の懸念に関して思わないこともなかった。
「殿は全てを一人で抱え込まれている。織田への面子や遠江の地侍達の動向、それに三河に留まっている家臣達の反応。気が立っている分だけ過敏になっておられるのだろう」
 槍働き一筋で生きてきた身でも、それくらい察せられるだけの思慮はあった。康政程に広く物事は見えないが、己の見えている範囲なら見当がつく。
 忠勝の返答に“我が意を得たり”と康政は力強く頷く。だが、すぐに顔色が曇る。
「気が逸って、前へ前へと出なければいいのだが……」
 弱々しく呟いた康政の言葉は、城中の慌しい空気に紛れて霧散してしまった。これから日が傾く刻限に差し掛かる中、何としても主君の命だけは守らねばと忠勝は心に誓った。

 元亀三年十二月二十二日、午後。織田の援軍三千を加えた徳川軍一万一千は浜松城を出撃。三方ヶ原を目指して進軍し、夕刻に到着する算段であった。
 だが、三方ヶ原を目前にして、家康本軍の元に急報が飛び込んできた。
「申し上げます!!この先の三方ヶ原に武田軍が布陣しております!!その数、およそ三万」
「何だと!?」
 馬上で報告を受けた、家康は思わず驚きの声を上げた。武田が三方ヶ原を通過する前提で立てた作戦が根底から覆されてしまった。
 仮に武田が待ち伏せしていても一部の兵を残して本隊は先を急ぐ、と読んでいた家康の見立ては完全に誤っていたことになる。先を急いでいたのも偽りで、家康が城を出るのを待ち構えていたということか。
 家康は急いで再度物見を発すると同時に全軍を停止させた。問題はここから先だ。
 もしも兵を引けば、反転する隙を突いて武田は攻め寄せてくる。そうなれば先日の一言坂の戦いの比でない損害を被るのは明白。眼前には倍の兵、しかも上杉と並んで戦国最強と謳われている武田。ここまで来た以上は―――家康は覚悟を決めた。
 すると様子を探っていた物見の者が駆け込んできた。
「武田勢、魚鱗の陣を敷いている模様です」
「相分かった。我が方は直ちに鶴翼の陣を敷く」
 それから家康は各将に持ち場を指示していく。左翼に酒井忠次を主とした兵三千、右翼を援軍として派遣された織田勢三千、扇の要となる中央に家康本陣八千。
 “鶴翼の陣”とは鶴が両翼を広げた形のように左右へ展開し、相手を包み込んで殲滅する陣形だ。対して武田は魚の鱗のように先端を尖らせた形で中央突破を試みる陣形である。魚鱗の陣に対して鶴翼の陣で対抗するのは有効な対処策……ただ、これはあくまで両軍ほぼ互角な場合だ。呑み込むように包囲しても、一点を破られれば戦力差で劣る徳川は一気に崩壊する危険性を孕んでいる。
 しかし、家康は終始強気だった。それまで苛まれていた焦燥や不安から解き放たれ、思考も心もすっきりしているようだった。
 徳川家の存亡を賭けた乾坤一擲の大勝負が、いよいよ始まろうとしていた。

 城を出た時には真上にあった太陽も大分傾き、その分だけ光の強さも幾分和らいでいる。
 馬上から忠勝は遠くを仰ぐ。視線の先には武田菱の入った旗が乱立していた。その下には恐らく数え切れないくらいの兵が待機しているのだろう。そう考えると心がウズウズと騒ぎ始める。しかし、その一方で片隅に何かがモヤモヤと引っかかっている。これまで経験したことのない気持ちに不安が疼く。
――― ……臆しているのか? ―――
 不意に声が聞こえ、周囲を見渡す。だが、誰も声を発した様子は見られない。それに、その声に聞き覚えもなかった。
(馬鹿を申すな。これまで何度も戦に出たが、気持ちで他人に劣ったと思った事は一度たりとも無い。殿から頂戴した“蜻蛉切”で暴れて、我が方に勝利を導くだけだ)
 誰とも分からぬ声に忠勝は強い口調で返す。すると再び声が聞こえてきた。
――― ……そうか。お前の決意を疑って悪かった ―――
 そう言い残して気配はスッと消えていった。何だったのかと思ったのも束の間、脇に抱えた蜻蛉切が少しだけ軽くなったように感じた。握ってみると、今まで以上に自分の手に馴染むような気もする。
 よくよく考えてみれば、先程の声にどこか親近感を抱いていた。一体何者なのだろうか。
 ……今は目の前の戦に集中だ。気が散って雑兵に討たれては末代までの恥だ、と気持ちを引き締めた。

 夕刻、遂に合戦の火蓋が切って落とされた。
 まず武田の先手が徳川右翼の織田勢に襲い掛かる。交戦していく内に織田勢は武田側へズルズルと引き寄せられていく。
「まずいな」
 馬上で忠勝が周りの兵に聞こえない声で漏らす。鶴翼の陣は左右が連携して敵と対峙しなければならないのに、片方を置き去りにして突出している。これでは相手の思う壷だ。釣られるように徳川の左翼も、慎重に武田との距離を詰めていく。
 ただでさえ兵数で劣る徳川勢。層の厚みに不安のある中で不用意に動くのは危険だ。しかし、いざ戦場に立つと頭に血が上って判断能力が鈍ってしまう。如何に冷静な思考を保つかが戦では重要な鍵となる。そう考えると織田の動きは些か性急だ。
 止まれ。引け。一旦陣を整え直せ。忠勝は必死に心の中で叫んだが、願いは届かず逃げる武田勢を追いかけるように織田勢は押していく。
 そして、恐れていた事態を迎えてしまった。
 背中を見せて引いていた武田の先手が突然二つに割れると、奥から騎馬武者が押し出してきた。急な猛攻に晒されて織田の兵は算を乱して逃げ惑うが、武田勢はこの機を逃さず新手を送り出してくる。それと同時に左翼でも徳川勢が武田勢と激突していた。こちらはほぼ互角、拮抗していた。
 右翼が崩れかけたと見た家康は、素早く支えの兵を送り出す。その分だけ中央の本陣が薄くなるが、右翼が崩壊しては敗北必至な状況なので背に腹は変えられない。だが一度傾いた勢いは衰えず、徐々に右翼が磨り減らされていく。既に形は崩れ、踏み留まっているだけで精一杯だ。徳川勢で残っているのは遊撃的位置づけの旗本衆のみ、対して武田勢はまだまだ戦力が控えている。
 武田勢の攻め方は、まるで狩りに長けた虎のようだった。獲物の体力をじわじわと削り、牙を剥くその瞬間をじっと待っている。忠勝には老獪な武田勢の手強さをまざまざと見せつけられている感があった。
 開戦から一刻、遂に武田の陣から総攻撃を告げる大法螺が鳴り響いた。
 既に右翼は原形を留めない程に崩壊しており、左翼でも奮戦していた徳川勢に疲労の色が出てきて徐々に押されつつあった。ここが勝負所と踏んだ信玄が仕上げの一手を打ってきたのだ。猛烈な勢いで迫って来る武田勢を目にしても、徳川勢の戦意は衰えていなかった。織田の将達は我先に逃げてしまったが、三河以来の譜代や遠江から仕えている地侍は“退く”という選択肢を持ち合わせていなかった。覚悟を決めた勇士が次々と天下に名高い無敵の騎馬軍団の中へ飛び込んでいく。
「おりゃ!!」
「死ねぃ!!」
 振り下ろされる刀、繰り出される槍。どちらも急所を外さず重い一撃を放ってくる。咄嗟に反応して蜻蛉切で仕留めるが、次から次へと新手が現れて襲い掛かってくる。左翼でも敵味方が入り乱れる大混戦となっており、次々と武田の兵が雪崩れ込んでいる状況だ。
果たして本陣は、殿は無事か。微かに思いが過るがすぐ現実に引き戻される。余計な事を考えていては命を落としかねない。
 三河の一向一揆以来、数々の戦場で功を上げてきた百戦錬磨の忠勝でさえ、武田の端武者相手に苦戦していた。それは周りの家臣達も同様で、返り血で真っ赤に染まりながら奮戦している同士に声をかける暇すら与えてくれない。
 夕暮れが近付いて徐々に辺りが暗くなる中、徳川方は圧倒的劣勢に立たされている。右翼は跡形も無く壊滅、左翼もどんどん押し出してくる武田の勢いに負けて後退を余儀なくされている。そして中央は形勢危うしと右翼へ兵を割いたのが災いして、武田の軍勢が殺到している状況だ。当初は鶴が羽を大きく広げた形であったが、今では無残にもズタズタに引き裂かれてしまっている。
 左翼に配された忠勝も懸命に奮闘していたが、自分一人の力では到底覆せない程に戦況は悪化していた。何も出来ない自分が歯痒くて仕方なかった。
 次の瞬間、戦場に掲げられていた家康の旗印が視界から消えた。
 『厭離穢土欣求浄土』の文字が染め抜かれた大旗が戦場に立っているからこそ、忠勝は後顧の憂いなく目の前の敵に集中出来た。それが消えたのは即ち、主君家康の身に危険が及んでいる証だ。
「殿ー!!」
 反射的に野獣のような咆哮を放つと、忠勝は後先考えず黒夜叉に鞭を入れて駆けさせた。今は主の安否をこの目で確かめるのが最優先だ。
 しかし、敵も易々と通してくれない。忠勝の前方に兜首目当ての雑兵が群がってくる。単騎突出してきた武者は恩賞に飢えた恰好の標的に見えるのだろう。
「邪魔だ! 通せ!」
 一々構っていられないとばかりに蜻蛉切を横に一閃すると、目の前に立ち塞がっていた雑兵の何人が紙屑のように吹き飛ぶ。その様を目の当たりにして怯える雑兵を尻目に、開いた隙間を強行突破して先を急ぐ。遠目で眺めても、本陣があった場所は既に人垣に囲まれて様子が伺えない。それが余計に忠勝の心を焦らせる。
(殿、どうかご無事で……忠勝が今参りますぞ)
 下から繰り出された槍を避けつつ柄を掴み、グイと引っ張って強奪すると目前の騎馬武者へ投げる。槍の穂が首を貫通した武者は信じられない表情で馬から転げ落ち、側に居た武者も蜻蛉切の穂で脇腹を突いて捻じ伏せる。飛来する矢も槍で払うまでもなく忠勝の体を避けるように地面へ刺さっていく。得物を奪われた雑兵も間を置かず蜻蛉切の餌食となり、血を吐いて倒れる。こうして忠勝の前を塞ぐ者は居なくなった。
 どうにか本陣を構えていた場所へ辿り着くも、その場の光景を目の当たりにして背筋を凍らせた。葵の紋が入った陣幕は引き倒されて泥や足跡で汚され、敵味方の屍があちらこちらに転がっている。主は何処だ。陣内を見回すも、それらしき姿は捉えられない。
「本多平八郎様!!」
 声をかけられて振り返ると、そこには家康付の小姓達の姿があった。皆返り血や泥で汚れており、混乱していた中で奮戦していた様子が窺える。
「殿は、殿は何処に!?」
 やや錯乱気味に忠勝が訊ねると、小姓の一人が落ち着いた口調で応じる。
「御安心下さい。半刻程前に、数騎の護衛と共に落ち延びられました」
「そうか……」
 主君が無事と知り、忠勝の強張った頬が少しだけ緩んだ。仮に武田が今から追手を差し向けても、追いつく前に浜松城へ入る可能性が高い。
 だが、忠勝はすぐに表情を引き締める。
「なれど、殿が城へ入られるまで刻を稼ぐ必要がある。某の命と引き換えにして、武田の足を食い止めてみせようぞ」
 先日の一言坂の戦い同様に、忠勝は捨て駒となる覚悟を決めていた。己の名が敵にも知れ渡っていることは自覚しているので、敵中へ斬り込めば間違いなく恩賞目当てに兵が殺到するのは必定。忠勝も簡単に首を差し出すつもりは微塵も無いので、暫しの間は釘付けに出来るだろう。時間を稼いだ分だけ主の命が延びると思えば、本望である。
 しかし、小姓達は忠勝の予想していなかった反応を見せた。
「本多平八郎様。お願いしたき儀が御座います」
 主君付の小姓が直臣に対して意見する行為は本来有り得ない振る舞いであるが、当人達の真剣な眼差しに忠勝も気圧された。
「殿が退かれる際に身代わりとなって敵陣へ斬り込まれた方々から言伝を預かりました。『もし仮に殿の信任篤い方が陣へ駆け付けたらこう伝えよ。“殿を頼む”』と」
 自らの命を盾として先に散っていった同志の言葉に、忠勝は沈痛な面持ちになる。さらに小姓は続ける。
「殿は、この場に留まって討ち死する覚悟を決められていました。されど皆で強引に馬へ乗せ、馬の尻を思い切り刀の背で叩いて無理矢理戦場から逃しました。『忠臣を多く死なせた責任は全て儂にある。故に留まる』と叫ばれているのを、陣外に控えていた我等の耳にも届きました。そして残された者同士で“これ以上の犠牲は出さぬ。身分の上下に関わらず我等のみで食い止める”と決めました。……なので、本多平八郎様には申し訳ありませぬが、この場は我等にお任せ下さい」
 小姓は言い終えると柔らかな笑みを浮かべた。自分より明らかに年下ながら、死が迫る状況でも凛としている。将来は徳川家を支える立派な勇士になっていただろうに……と思うと悔しくて堪らなかった。
「……相分かった。よろしく頼む」
「承知致しました。どうか、御武運を」
 忠勝はすぐに馬首を返して黒夜叉の横腹を蹴った。後ろを振り返らず、小姓達が生き延びる事を微かに願いながら敵陣へ向けて突撃した。尽きること無く湧いてくる雑兵を前に、感傷は瞬く間に消えていった。

 開戦から一刻、日没とほぼ同時刻。大勢は決した。
 武田の死傷者二百に対して徳川の死傷者は二千、徳川方は出撃した兵の五分の一を失う壊滅的な大敗であった。武田が夕暮れと共に攻撃の手を緩めなければ損害はさらに拡大、大将・家康の首が討たれていてもおかしくなかった。
 忠勝は自らの部隊と他部隊の残兵を収容して、武田の追撃をかわして浜松城へ帰還した。生きて城門を通れたのは決して多くない。この戦で三河以来の忠臣や将来有望な若手将校を多く失った。織田方も援軍の将の一人、平手汎秀が討ち死している。
 城内は敗戦の影響で重苦しい雰囲気に包まれていた。顔を落とす者、傷が痛んで呻く者、疲弊して固まる者。乾坤一擲の大勝負に出た代償はあまりに大きかった。暗く沈んだ中を忠勝はずんずんと奥へ進んでいく。
 辿り着いた先は、家康が常日頃在中している居室であった。
「失礼仕る」
 障子は開け放たれていたが、一言断りを入れて踏み入れる。
 そこには、暗闇の中で魂が抜けたような姿で胡坐をかく家康の姿があった。指で軽く突いただけでコロリと倒れてしまいそうだ。そして……少々臭う。具体的に言えば、糞の臭い。忠勝が入室しても家康は一切反応を示そうとしない。
 目線は僅か先の畳を見つめるばかりで視線が上向く気配を見せない。立ち尽くしたまま主の言葉を待っていたが、抜け殻となった姿から一向に戻らないので堪忍袋の緒が切れた。
「御免」
 短く言い放つと、忠勝は家康の左頬を思い切り叩いた。強烈な一撃で目が覚めたのか、家康の瞳に少しだけ光が戻った。忠勝は続け様に胸倉を掴むと主の体を持ち上げる。
「殿は、九年前の誓いをお忘れになられたか!!」
 それまで抑えていた感情が一気に爆発して叫ぶ。腑抜けた姿を見せられるのも仕える家臣として我慢ならなかった。諸々の想いが、全てその一喝に込められていた。
「九年前の、誓い……」
 家康が呟くと、みるみる内に瞳から涙が零れ始める。忠勝が手を放すと、すとんと砕けたように床へ崩れ落ちた。
  ***
 遡ること九年前、永禄六年。まだ“松平”と名乗り、今川からの支配から脱却して一大名として自立しようとしていた頃。家中を二分する大騒動が松平家を襲った。一向一揆だ。
 元々三河の国では一向宗(浄土真宗)が広く浸透しており、松平家中にも熱狂的な一向宗の信者の家臣が多く所属していた。他国の一向一揆では百姓や地侍など反権力勢力が主体だが、三河の一向一揆では武家に仕える権力側の勢力も加わる事態となった。幸い曹洞宗の影響が強い東三河では離反の動きは見られなかったが、松平家に代々仕える譜代の家臣が一族揃って一揆勢へ加勢するなど、影響は甚大であった。
 発端は諸説あるが、一向宗の寺が持つ特権に家康が介入しようとして反発した説が有力とされる。当時の寺社では現世と隔離されると考えられていて、様々な特権を有していた。その一部を取り除こうと動いた家康だったが、既得権益を脅かされると寺社側の猛反発に遭った形だ。
 近隣にその兵の強さが知られる三河で同じ土地の者同士が争う内乱は、今川と袂を分かって間もなく支持基盤が固まっていない松平家にとって由々しき事態だった。一刻も早く鎮圧させないと今川から侵略される恐れもある上に、一揆に滅ぼされる可能性もある。正しく、存亡の危機に瀕していたと言っても過言でない。
 酒井や本多といった松平家を長年支えてきた家から敵方に寝返る者も後を絶たず、味方の間でも『敵に通じているのでは』と疑心暗鬼に陥っており、士気は著しく低迷していた。
 家康は予想以上の離反に絶望的な心境であった。一揆勢を討つべく家臣達に参集を呼びかけているが、未だ姿を現さない者も多く頭を抱えていた。
(……あの忠勝が、敵になるのか)
 三年前の桶狭間の戦いで初陣を果たし、翌年に初めて首級を挙げてから素晴らしい働きをしていた印象が家康の中で強く残っていた。普段は小姓として無駄口を叩かず黙々と役目を従事するが、合戦となると人が変わったように暴れるので将来が楽しみだと思っていただけに、残念である。その刃先がこちらへ向けられると考えただけで背筋がゾッとする。
 親指の爪を噛みながら思案に耽っている所に、廊下を勇ましく踏み鳴らす足音が耳に入る。誰かと思って目線を上げると―――
「遅くなり申した」
 甲冑姿で現れたのは、先程まで敵方へ寝返ったかと懸念していた忠勝の姿だった。本多一族は一向宗を信仰しており、その大半が一揆勢についたと聞いていたので率直に驚いた。
「忠勝、お主確か……」
「先程、殿と同じ浄土宗へ改宗致しました。生きるも死ぬも殿と一緒。この平八郎、生涯殿のお供を致す所存」
 まさか宗旨替えまでして付いてくる家臣が居るなんて想像もしていなかったらしく、家康は感激した表情のまま忠勝の元へ歩み寄り、控える忠勝の手を両手でそっと包んだ。
「儂はお主のような忠義者を持てて幸せに思う。今この場に居る面々もそうだ。だから儂は決めた。まだまだ心許ない主君である儂を信じて命を預けてくれる家臣達を、見捨てるような真似は決してしない。そして、無謀な策で皆の命を失わせるような愚かなことはしない。ここに今、誓おう」
 忠勝は両の手に包まれた温もりを感じながら、この主に仕えることに幸せを覚えた。
 幼少期に家臣の裏切りによって織田へ連れ去られ、その後解放されるも間を置かず今度は今川へ人質として送り出された。家康は駿府にて苦難の日々を過ごし、三河の民は奴隷も同然の扱いを受けた。
 それも桶狭間の戦いで今川義元が討たれたことで一変した。今川の影響力が弱まったのを好機と捉えて独立。それから三河国から今川の色を一つ一つ潰していき、やっと松平家は正真正銘の大名に返り咲いた。苦労と辛酸の日々から、ようやく解き放たれたのだ。
 だから家康は偉ぶることなく、家臣を一人の人間として真正面から接してくれる。それが嬉しくて嬉しくて、たまらない。
 命尽き果てる時まで殿に仕える。どんな試練が待ち受けようとも、殿の為に尽くす。忠勝も言葉に出さなかったが、主君と共に固く誓った。
 その後、主従の結束が固く結ばれた松平勢は一向一揆勢に機先を制して攻撃を仕掛け、見事勝利を収める。さらに家康の政治的圧力もあり、半年余りで一向一揆を鎮圧させることに成功した。一度は反旗を翻した旧臣も罪を不問として帰参を認めたこともあり、松平家は以前にも増して強靭な絆で一致団結することとなった。
  ***
「某は今でもあの時握られた殿の手の温もりを覚えております!!その御姿、御声、佇まい、全てが脳裏に強く焼き付いております!!」
 溢れんばかりの感情をぶつける忠勝の目から、一粒の涙が零れ落ちる。
「失った命も時も、戻ってきませぬ!!されど、殿を信じて付き従う者は大勢います!!ならば、命が燃え尽きるその一瞬まで、家臣を束ねる身として果たすべき役割があるのではないですか!?」
 忠勝の魂の叫びに、家康の瞳に少しずつ光が蘇っていく。一方、忠勝は言い終えると背中を翻してドカドカと大股で部屋を後にした。
 言いたい事は言った。これで元の殿に戻らなければそれまで。城を枕に討ち死するしかない。だが、忠勝の思っている殿であったなら、腑抜けていた空白を埋め戻すべく猛烈な勢いで動かれるだろう。忠勝は信じていた。長年側で仕えてきた経験が、揺るぎない自信となって満ちている。
 それからの家康は、忠勝の予想通りに見違えるような働きを見せた。
 まずは城の守りに対して指示を出したが、その内容は驚くべきものであった。
「全ての門を開け放て。篝火を焚いて明るくせよ。門を守る兵も不用」
 つい先刻、僅かな供廻りで帰ってきたとは思えない命令である。兵の居ない城門など、宝の部屋の扉を開放するに等しい行為だ。盗人なら宝を持ち去るだけで済むが、敗走直後の本拠地でこの対応とは命を捨てるも同然だ。困惑し反対する意見も多数挙がったが、家康が厳守するようきつく申し付けられたので仕方なく従う。
 次に行ったのは、意外にも自らの姿を絵師に描かせたことだ。それも家康は「ありのまま、多少醜くても構わぬ」と注文を出した。肖像画と言えば、普通は“立派”とか“格好良く”と注文を付けるが、敢えて大敗して間もない傷心状態の自分を絵という形で残させたのだ。絵師も言われた通りに脚色せず醜い表情をそのまま描いた。完成すると掛け軸にするよう装丁を依頼して、絵師を下がらせた。
 そして家康は衣装を着替えると、湯漬けを腹一杯になるまで平らげて、そのまま板の間にゴロリと横になると高イビキをかいて深い眠りについてしまった。その姿に家臣達もやや呆れ気味に眺めていたが、負けて帰ってきたのに大胆にも大の字で寝る大将の姿に、ある種の頼もしさを覚えていた。

 城門が解放されたことで、遅れて戻ってきた兵達も篝火に迎えられる形で城に収容されていく。その一方で浜松城の目前まで迫った武田勢はあまりの無防備さに警戒心を抱いた。
(下手に入れば待ち構える城兵の餌食になるのでは?)
(あまりに怪しい。きっと我等を誘い入れる罠に違いない)
 無人の城門を前に武田勢は兵を退いた。また、退かざるを得ない事態が発生していた。
 遡ること半刻前。城中で小休憩していた忠勝の元に大久保忠世が声を掛けてきた。
「お主、もう一暴れしたくないか?」
 意味あり気に不適な笑みを浮かべる忠世。何かあると読んだ忠勝は身を乗り出す。
「これより武田に夜襲を仕掛ける。お主も一緒に来ないか」
 敵は恐らく先程の大敗で徳川は意気消沈していると思っているだろう。その隙を突く形で、地の利を活かして奇襲攻撃を行うのだ。忠勝は迷わず賛同した。このまま負けたままで終われない気持ちが強く、一矢報いないと殿のように眠れそうにない。
 こうして、大久保忠世や天野康景を中心とした精鋭部隊は、浜松城の北にある犀ヶ崖で野営していた武田勢へ夜襲を仕掛けた。想定外の攻撃に武田方は大混乱に陥り、多数の死傷者を出す結果となった。三方ヶ原での大敗はあったが、武田勢に徳川侮りがたしという印象を強く植え付けることとなった。

 日没から暫くした頃。三方ヶ原に留まる武田本軍の本陣に山県“源四郎”昌景が信玄の前に現れた。この時、昌景四十三歳。脂の乗り切った年齢で、武田の有力武将として他国にも知られる存在であった。信玄からの信頼も篤く、今回の西上作戦でも先鋒として役目を果たしていた。
「源四郎か」
 近習として仕えていた名残から幼名で呼ばれる事も多く、今夜もそうであった。だが、戦の疲れからか信玄の声に張りがないのが気掛かりではあるが。
「此度はお見苦しい様を晒してしまい、申し訳ありませぬ」
 山県勢は徳川方の左翼と交戦したが、徳川勢の粘りに根負けする形で一時崩れかける事態となった。味方の救援もあり事無きを得たが、こちらを下回る軍勢であったにも関わらず互角以上の勝負をした事実に、昌景は徳川の底力の深さを痛感させられた思いであった。
「後始末が済みましたので、ご報告を。お屋形様の見立て通り、我方の大勝でございます。野戦に持ち込んだのが功を奏しましたな」
 首実験も行われ、徳川・織田の武将の首級が次々と運び込まれてきた。武田の損害も規模と時間を考えれば少なく済んだ。夕刻の開戦だったため、大将の家康を逃してしまったのは残念だが、壊滅的な惨敗を喫して暫くは動けないだろう。その間に三河・遠江の要所を押さえ、尾張・美濃へ向けて軍を進めていきたいと武田の将達は考えていた。
「……源四郎よ」
 床机に腰かける信玄が昌景に話しかける。主の発言に、昌景は無意識の内に姿勢を正す。
「今回の戦、徳川の兵は皆一様に西を向いて倒れていたそうだ」
 まるで他人事のように語られた内容に、昌景は思わず息を呑んだ。通常の戦の場合だと、敵から逃れる為に敵陣とは反対の方角に倒れる者も少なくない。無論、立ち向かうべく敵の方向を向いて倒れる者や、乱戦となって思わぬ方向に倒れる者も居る。それが西側、つまり武田側を向いて息絶える者が続出したというのは、死ぬ間際まで戦う意思があったことを如実に表していた。今は上洛に向けて士気が高い武田の兵でも、敗色濃厚となればそこまでの姿勢を見せられるかと問われれば答えに窮するくらいに、徳川は上下に関わらず戦意を失っていなかった。
 篝火に照らされる信玄の顔の影が普段より濃く感じられるのは、今回の戦いが想像以上に手強い相手であったことが関係しているかも知れない。
「あの若造を野戦に引っ張り出して今回は勝ちを得たが、もしかすると京へ向かう我等を苦しめる存在になるやも知れぬな……」
 徳川は九年前に一向一揆で国を二分する騒動となったが、それ以降は家康を中心に一致結束していた。その絆は、他家が付け入る隙さえ見られない程に強固な結びつきであった。家臣の個が強い武田は信玄の絶大な統率力で一つに纏め上げているが、過去には不満を抱いた家臣によってお家騒動に発展する事態が何度も起きていた。信玄も先代信虎に反感を抱いた家臣団に担がれる形で家を継ぎ、嫡男義信は家臣に唆される形で反逆の動きが見られた為に廃嫡するに至っている。
「むっ……」
 突如信玄の顔が曇る。下腹部に強い痛みを覚えたらしく、患部を手で押さえて苦悶の表情を浮かべる。
「お屋形様、大丈夫ですか?」
「……何、心配は無用。ちと疲れが溜まっているだけだ」
 昌景の懸念に落ち着いた態度で返したものの、その表情は未だ険しいままである。信玄は昌景に下がるよう促した後も、一人床机に座り痛みを堪えていた。

 徳川、三方ヶ原にて武田に挑むも鎧袖一触で大敗。その一報は主に畿内方面へ迅速に伝わった。圧倒的な大差を見せつけられた織田は武田の脅威に震え上がり、防戦一方だった反織田勢力を勇気付けた。
 このままの勢いで武田は尾張・美濃へ進軍。周囲を反織田勢力に囲まれて身動きの取れない織田は風前の灯。織田を倒した信玄は京へ上洛して、次は武田の天下―――と多くの者が信じて疑わなかった。
 しかし―――事態は思わぬ方向へ急展開を見せることとなる。

 半月後、年が明けて元亀四年一月。武田勢は三河へ侵攻すると野田城を囲んだ。三方ヶ原で大勝した勢いのまま火の如く苛烈に攻める……と思いきや、城兵五百の小規模な城を落とすのに二月も費やした。しかも城を開城させると、三河における徳川の最重要拠点である岡崎へ向かわず、甲斐へ引き返してしまった。三方ヶ原での敗戦の影響で浜松から動けない家康を始めとして、信玄の来訪を待ち望む反織田勢力や信長討伐の旗頭である足利義昭などもこの不可解な行動に首を傾げた。
 家康は直ちに武田の内情を探らせた。徳川には伊賀の忍びで有名な服部家の血筋の者が居たので、この手の表に出ない裏の駆け引きにも通じていた。武田も草の者や忍びを多く抱え、信玄の身辺にも暗殺防止と機密保持を兼ねて厳重に配置されていた。しかし、武田家の内部に予期せぬ事態が起きていたのか、内情は間を置かず判明した。
“総大将・信玄、病の悪化により帰国”
 第一報が飛び込んできた時には、俄かに信じ難い話だった。信玄が病に侵されているという話は耳にしたことはないし、三方ヶ原の戦いでも信玄の居場所を示す旗印が戦場に堂々と掲げられていたのは徳川家の人間も多数目撃している。しかし、続報が届けられるにつれ信玄重病説が現実味を帯びてきた。虚報を流しても味方の士気が落ちたり家臣の間に動揺が広がるだけで、有益な効果は生まれないことも背中を押す材料となった。
 ある程度確証の持てる情報が集まった段階で、家康は家臣達を浜松城に参集させて軍議を開いた。
「野田城程度の小城に二月も刻を費やした上に、開城させると甲斐へ向けて戻っていった。信玄に病の噂があるが、定かでない。さて、我等はどう動こうか」
 桶狭間の戦いでも大将の今川義元が織田方に討たれても三度同じ情報を確認した程に、家康は突発的に発生した事案に対して慎重な姿勢を崩さない。迂闊に動いて罠だった場合、被害は甚大である。
 居並ぶ面々が口を閉ざす中で切り出したのは、康政であった。
「殿、試しに武田の手に陥ちた城に兵を出してみては如何でしょうか? もし守兵も少なく空城同然ならば我等の物とし、押さえの兵がある程度残っているのであれば周りを囲んで様子を見る、と」
「うむ。捨てていったなら拾っても文句は言われないな」
「それと、武田方に寝返った者に再度徳川へ戻るよう誘いの使者を出されてはどうでしょうか。頼みの武田は引き揚げ、敵に囲まれて孤立している状況ですから気持ちも揺らいでいるものと思われます。それに、徳川と通じていると武田が仮に知ることとなれば『向背定まらず』と疑心暗鬼になることでしょう。成果は得られるかと存じます」
 知略に通ずる同朋の康政の策に、忠勝は素直に舌を巻いた。自分は忠義一筋で戦働きしか能がないので、文武双方を兼ね備える康政が一段と輝いて映った。
 家康も膝をハタと叩いて満足気に頷いた。
「流石は康政だ。早速三河や遠江にて鞍替えした者へ書状を出せ。また、岡崎に居る兵に支度をさせよ」
 家康の下知を受けて一同一斉に頭を垂れた。間を置かず、武田方に奪われた城へ物見の兵を出すと同時に、武田へ寝返った武将への調略が開始された。
 結果は、康政の見立て通りであった。城には兵は残っておらず空城同然の状態であったので、次々と武田が捨てていった城を接収していった。一方で調略の方は少し時間を要したが、奥三河の武将達を徳川方へ帰属させる事に成功した。
 対して、武田方。それまでとは一転して静々と甲斐へ戻る途中、信濃の駒場にて四月十二日に総大将・武田信玄が死去した。享年五十三。長く憧れた京の地を踏むことは惜しくも叶わなかった。自らの死は三年間秘匿とするよう言い遺したと甲州軍鑑に記されている。
 また、山県昌景に『源四郎よ、明日は瀬田に武田の旗を立てよ』と伝えたとする逸話も残されている。瀬田とは京の手前にある地名であり、その言葉から上洛に対して並々ならぬ執念を燃やしていたことが窺い知れる。
 一人の男の死により、天下の情勢は大きく風向きを変えた。
 武田は偉大な主君の遺言を貫く姿勢を見せるも、信玄の死は数日中に敵方に伝わる事となった。実際に信長が越後の上杉へ送った書状に「信玄は数日前に死去した」とする内容が記されていた、とする文書が存在する。
 最大の窮地から脱した織田・徳川の両家は反転攻勢に打って出る。信玄の死から三ヵ月後、信長は反織田勢力の旗頭として暗躍していた足利義昭を京から追放、翌八月には数年に渡り苦しめられてきた朝倉・浅井を次々と滅ぼした。一方の家康も武田に奪われた三河・遠江の領地を着々と回復、さらに隣国駿河を窺えるまでに勢力を取り戻した。
 織田と徳川は、戦国最強と謳われる武田の強さに揉まれたことで一回り成長することが出来た。両家はこの後も飛躍を遂げていくこととなる。


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