四:生きて、戻る

 桶狭間で休止していた今川本隊に奇襲を仕掛けた事で奇蹟的大勝を収めた織田方だったが、尾張国内にはまだ二万を超える今川の軍勢が留まっていることから、首実検を済ませると速やかに清洲へ帰還した。この時今川方の兵の大半は総大将義元を失った衝撃で総崩れとなっていたが、数で劣る織田方は今川方の敵討ちを何よりも恐れた。
 同日夜、清洲城へ生還した信長だったが……。
「お帰りなさいませ」
 主の帰還を三つ指ついて出迎えてくれた濃姫だったが、普段の打掛に小袖姿ではなく、戦装束に薙刀を携えての姿だった。後ろに控える女中達も同じような恰好をしていたが、その中でも濃姫が一番板についていた。
「殿の出陣ということで、動ける者は皆出て行かれました。されど、城を空にしておく訳にも参りませんので、お恥ずかしながら我等が守っておりました」
「……で、あるか」
 口癖となっている台詞を述べる信長。積もる話はあったが、何からどう話せばいいか皆目見当がつかなかった。
 棒立ちのまま黙っている信長に、穏やかな笑みを浮かべながら濃姫は話しかけた。
「さぁ、湯浴みの支度は整っております。先ずは汗を流されて、湯漬けを召し上がられては如何ですか?」
 濃姫に促されて、初めて自分が空腹であることに気付いた。信長は無言で頷くと、濃姫は早速控えていた女中にあれこれ指示を出していく。
 極限まで張り詰めた緊張から解放された信長は、それまでの反動か魂が抜けたように成すがままにされていた。

 湯浴みを終えた信長は運ばれてきた湯漬けを丼三杯あっという間に平らげると、一心地ついたのか「ふう」と息をついた。それを合図に、隣で食事の様子を眺めていた濃姫が白湯の入った茶碗を差し出す。
「……勝ったぞ」
「はい」
「濃は俺が勝つと思っていたのか?」
「はい。殿が『必ず帰る』と仰いましたので」
 迷いなく即答されて、信長は苦笑するしかなかった。俺自身勝てるかどうか分からなかったのに、濃は俺の裏付けのない言葉を信じ切っていた。やはり女人は肝が据わっている、いや蝮の娘だからか。
「……これで、当面は今川の脅威に怯えなくて済む」
 岡部元信が守る鳴海城や近藤景春が守る沓掛城など今川方の拠点は依然として残っているが、総大将今川義元を始めとして有力武将を多く失った今川家が再度大規模な軍事行動を興すまで相当な時間が掛かることだろう。それに後継者の嫡男・氏直は連歌や蹴鞠に秀でていると聞くが、武人としての器量は父・義元に遠く及ばないと評されていた。次期当主がこの有様では、暫くの内は御家建て直しに奔走することとなるに違いない。先代信秀の急逝に伴い生じた動乱を経験してきた信長だからこそ、今川家も同じ道を辿ると睨んだ。
 侵攻される不安が取り除かれた今こそ、尾張国内に根付いている今川勢力を一掃する絶好の機会だ。まずは足場固めが最優先だ。
(……竹千代はどう動くか)
 ふと頭を過ったのは、十三年前に尾張へ人質として送られてきた一人の少年だった。
 今川家に、若手注目株の武将で松平元康という人物が居る。代々今川家に仕えてきた譜代の家柄ではなく、元は三河で自立した大名だった松平家の血筋だ。今回の合戦でも丸根砦を攻略し、敵中で孤立する大高城へ兵糧を運び込む見事な働きを見せていた。
 信秀による三河侵攻や家中の内紛によって弱体化した松平家を建て直すべく、竹千代の父・広忠は今川家に助力を要請。その見返りに、嫡男の竹千代を駿府へ人質に差し出すことを求められた。言わば今川の軍門に下るも同然だったが、背に腹は変えられず広忠はこの要求を呑むこととなった。
 しかし……駿府へ向かう途上、家臣の叛意で竹千代の身柄は当時敵対関係にあった織田家へ売られてしまう。不本意ながら尾張に連れて来られた竹千代は清洲郊外の屋敷に軟禁されることとなったが、信長はその頃に幾度か屋敷を訪ねたことがあった。当時信長は元服を済ませていたが、勝手気侭な振る舞いは依然健在で、三河から連れて来られた人質とやらを一目見たい好奇心があった。
 当時六歳だった竹千代は泣き喚いたり怒鳴り散らしたりすることは一切無く、唇を固く結んで必死に堪えている表情を浮かべていた印象が強かった。軟禁先を訪ねた信長は巷で流れている世情の話や自身の体験談を話すと、竹千代は興味津々に頷いて聞き入っていた。訪問の回数を重ねていく内に、竹千代の警戒心も解けて二人の距離は縮まっていった。
 しかし、織田方が大敗した小豆坂の戦いで庶兄・信広が今川方に生け捕りにされ、その身柄を交換する形で竹千代は尾張から去っていった。その後の交流は無いが、元服する際に義元から偏諱を与えられ、義元の姪を嫁にするなど厚遇されていたことから、竹千代の器量を義元が高く評価していたことが伺い知れる。
 将来は今川家の屋台骨を支える存在になると遇されていた元康だったが、重石となっていた義元という存在が取り除かれたことで変化が生まれるかも知れない。絶対的存在だった義元を失った今川家は建て直しに奔走されるため、属国である三河の扱いは後回しになる筈だ。その間隙を突く形で三河国内に蔓延る今川勢力を追い払えば……一国の大名に復帰することもそう難しくない。
 織田家としては、松平家が三河で返り咲くのは大歓迎だ。先代信秀の頃に侵攻された時は頑強に抵抗してきたが、逆に松平勢が尾張の国境を跨ぐことは一度も無かった。つまり、こちらから手を出さなければ仕掛けてこないのだ。元康がどう考えるか分からないが、独立を図るなら今川は共通の敵となるので、暫くは国境を脅かされる不安は解消される。
「……此度は幾つもの幸運が重なったからこそ、万に一つの勝ちを拾えた。こうして今このように命を永らえていることが、未だに信じられない」
 濃姫から渡された白湯を一口飲んだ信長は、独り言のように洩らした。
 思いがけない大勝を収めた信長だったが、終結して数刻経った今でもまだ半信半疑の心地だった。
 もしあの時政綱が報せを届けてくれなかったら。もしあの時暴風雨に遭遇していなかったら。もしあの時今川本隊が桶狭間で休止していなかったら。どれか一つでも欠けていたら、首台に載せられていたのは間違いなく俺の首だった。『勝負は時の運』とよく言うが、正しくその通りだ。今回は俺に運があったに過ぎない。存外、此度の勝利は熱田大神の御加護のお陰かも知れない。
 いずれにしても、死中に活を求めるではないが、開き直って動いたからこそ掴んだ勝利であることに変わりはない。
(此度の勝利は天から齎された奇蹟であって、俺の力で掴み取ったものでは決してない。心得違いして驕りや慢心すれば、次は俺がその報いを受けることとなろう)
 信長は白湯を啜りながら、自分自身に言い聞かせるように心へ刻んだ。
 これ以降の信長は、戦に臨む際は慎重に慎重を期すようになり、一か八かの博奕に出ることは一度の例外を除いて行わなかった。圧倒的優位に立ち勝勢が揺るがない状況であっても、総大将が討たれれば全て覆ることを信長自身が身を以て味わったからこそ、自らの進退に細心の注意を払ったのである。
(……俺は、これから何を成すのか。親父のように何か成せるのか)
 信長から見て、父の信秀は英邁な人物だった。商いが盛んだった津島や熱田に着目して、さらに栄える仕組みを設けたことで織田弾正忠家は経済的優位に立つことが出来た。その原資を元手に積極的な外征を行い、一時は西三河まで版図を広げるまでに成長を遂げた。戦に強かったこともあるが、従来の価値観に捉われず新たな手法を生み出せる知恵も備え、周囲から反対されても自らの意思を断固貫く芯の強さも有していた。今日の織田弾正忠家の礎を築いたのは、紛れもなく信秀の功績だ。
 守護職斯波氏の陪臣の家柄だった織田弾正忠家を尾張統一まで拡大させた信秀は、中興の祖として後世にその名が刻まれることとなるだろう。では、偉大な父の血を継いだ俺は、今後父を超えるような存在になれるのだろうか?
 一人考えを巡らせていると、傍らに座っていた濃姫と目が合った。
(……止めだ。濃が申した通り、何を成すか今から考えていても詮無きことだ。目の前の出来事を一つ一つ片付けていけば、自ずと先が見えてくる)
 それから思考を切り替え、今後の展望について考えることにする。
 取り敢えず、尾張国内に根を張っている今川方の拠点や領地を奪還することが先決。東からの脅威を払拭したら、次は勢力下に入っていない上尾張に手を付ける。こちらは守護代の岩倉織田家が治めているが、単独で軍事行動を起こす程の力は無いので、環境が整い次第速やかに攻略することとしよう。尾張を制すれば父・信秀の頃と同規模になる。
 尾張の次は東の三河か、それとも北の美濃か。東へ向かえば屋台骨を失い建て直しが急務となっている今川領があるが……
「……濃よ」
 唐突に声を掛けられた濃姫は、微笑みを浮かべながら信長の方を向いた。
「稲葉山へ帰れるとしたら、帰りたいか?」
 稲葉山とは美濃を治める斎藤氏の居城で、濃姫が織田家へ嫁いでくるまで暮らしていた場所でもある。
 空白地帯も同然の遠江を食い荒らすには、まず三河を制さなければならない。三河の兵は精悍で知られる強兵な上に、大半が山地で僅かな平地も痩せた土地ばかりと旨みが少ない。そして何より、今川家からの独立を画策している松平家を無闇に刺激すれば、泥沼の攻防戦に引き摺り込まれる可能性が高い。三河を巡る攻防に時を費やしている間に今川家が持ち直してしまえば、東に版図を広げる展望は失われる。
 一方の美濃はどうか。尾張と美濃は地続きで繋がっており、長良川や木曽川を越えれば清洲から稲葉山まで容易に進軍出来る。実際、父の信秀は過去に何度も稲葉山城へ攻め込んでいる。東からの脅威を完全に取り除けば、美濃攻めに全力を注げる。美濃の兵も強く家臣団も結束しているので一筋縄にはいかないが、肥沃な地が広がる美濃は魅力的だ。
 それに……。
(美濃を制すれば、京への道も拓ける)
 昨年、信長は僅かな手勢を連れて上洛した。目的は第十三代将軍の足利義輝と謁見することだったが、初めて踏んだ京の都や足を伸ばして訪れた堺で見聞きしたことは、尾張で生まれ育った信長にとって貴重な経験だった。
 奇しくも、今回今川義元が兵を興したのは、京に今川の旗を立てることだった。十年以上に渡って続いた応仁の乱で足利将軍家は求心力を失い、その余波で衰退した守護職を勃興した新勢力が凌駕する“下克上”が各地で行われるようになった。濃姫の父・斎藤道三は油売りから美濃一国を制したし、信長の父・信秀は主家を凌ぐまでに成長した。足利将軍家や帝、朝廷など権威ある存在の後ろ盾となることは、全国に数多ある武家の頂点に立つも同然だ。織田家の当主である信長自身も、いつかはそうした存在になりたいと漠然ながら願望を抱いていた。
 美濃を制すれば、京までは近江を残すのみ。しかも南近江を確保すれば、京と美濃を自由に行き来することが可能だ。京に木瓜印の旗を立てることも夢ではない。
 信長から唐突に投げかけられた問いに濃姫は暫く考えていたが、思ってもいなかった返答が返ってきた。
「殿と一緒に居られるなら、私は何処でも構いませんよ」
「……稲葉山に思い入れは無いのか?」
 思いの外あっさりとした答えに、信長は重ねて訊ねた。
「それはありますよ。でも……」
 そこで言葉を区切った濃姫は、少しだけ寂しそうな表情を浮かべながら続けた。
「……今は、他人の家ですから」
 寂しさの混じった声に、信長は胸を衝かれた。我ながら無神経な問いだったと悔やんだ。
 斎藤家の現当主・義龍は濃姫の異母兄に当たるが、父の道三とは深い確執があった。道三は義龍を廃嫡しようと目論んだが事前に察知され失敗、逆に義龍の方が打倒道三の兵を挙げるに至った。美濃国内の国人達の多くは義龍方につき、道三は圧倒的劣勢に立たされた。四年前に両者が激突した長良川の戦いで道三は敗死、義龍が新たな国主となった。
 父殺しの汚名を薄めるためか足利義輝から一色姓を名乗ることを許された義龍は、斎藤姓を捨てて一色治部大輔と称するようになった。結果、濃姫が生まれ育った斎藤家は全く別の家となってしまった。
 長良川の戦いでは信長も義父道三の窮地を救おうと美濃へ急行したが、義龍が配した手勢の前に行く手を阻まれた。信長にとっても、義父道三を討った義龍は仇敵だ。
「……いつか、見てみたいな。濃が過ごした稲葉山から望む景色を」
 まだ目にしたことのない光景に思いを馳せながら、信長は近い将来に向けて決意を新たにした。

 桶狭間の戦いで今川方は総大将義元の他に久野元宗や松井宗信、井伊直盛など多くの有力武将を失った。この敗戦に浮き足立った今川方は算を乱して遠江・駿河へ潰走した。
 大勝で勢いづいた織田方はこの機に乗じて尾張国内の今川勢力の一掃に動いた。桶狭間の戦いから二日後の六月二十一日には沓掛城を攻略するなど、離反等で失った領地や城砦を次々と奪還していった。
 “海道一の弓取り”と呼ばれた今川義元を失い這々の体で逃げていった今川勢の中で、松平元康と岡部元信の両名は武門の意地を見せた。
 大高城に兵糧を届けた松平元康は大高城で待機していたが、「義元討たれる」の一報を聞いた家康は松平家の菩提寺である三河国大樹寺へ移動。先々を悲観した元康は腹を切ろうとしたが、住職から『厭離穢土 欣求浄土』と説かれ、切腹を思い留まった。その後松平勢は今川が放棄した岡崎城に入った。
 鳴海城を預かっていた岡部元信は「義元討たれる」の一報を受けても踏み留まり、周辺の拠点が陥とされていく中でも最後まで頑強に抵抗し続けた。元信の篤い忠義に感動した信長は、義元の首級を渡す代わりに鳴海城の開城を求めた。この条件を呑んだ元信は鳴海城を開城、義元の首級と共に駿河へと引き揚げていった。

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