其の九「天狗現る」




 雨が止むと再び同じ場所に坂本は居た。
 濡れた袖・袴も何とも思わずひたすら奇々怪々な刀と真っ正面から向き合っていた。
 使えば使うほど謎が深まるばかりの刀にどうしようもなかった。
 (この刀は何を求めているのだ・・・。そして何を思っている・・・。)
 対等に話し合っているつもりなのだが相手からの返事は何もない。相手はただ沈黙を守り白銀に映る太陽の光を映しだしていた。
 まぁ普通に刀とお喋りできたら変人扱いされかねないのだが。
 濡れた髪をたくし上げるとその足で寺子屋へと向かおうとした。
 その時だった。竹藪の何処かからか不穏な気配を感じた。そして徐々に自分の方向へと近付いてきていた。
 (敵か。いやしかしそれにしては様子がおかしい・・・。)
 敵方の忍びならば複数で電光石火のように攻撃してくるが今回の相手は様子を窺っているみたいだ。
 刀を鞘に収めて臨戦態勢に入る。いつでも居合いが出来る状況である。
 しかし突如その気配は何事もなかったかのように消えてしまった。
 不審に思いつつも遠ざかった気配に緊張の糸が緩んだ。
 緊張の糸が解けた瞬間、その気配は再び現れた。しかも自分の頭上に。
 不意を突かれたが、鞘から刀を抜くと頭上からの一撃を間一髪で防いだ。
 相手は高下駄を履き、何やら怪しげな山伏の格好。更に鼻が象のように長く、それに負けず劣らずで白い髭も蓄えている。
 それに付け加えて一段と怪しさを醸し出しているのは―――奇妙な天狗の仮面。
 見れば見るほど謎が深まる。正にこの“なまくら”のように。
 錫杖を地面につけると右手で長い髭を触ると喋ってきた。
 「ふむ。なかなか良い動きをするな。平々凡々な連中とは格が違う。」
 「・・・お主、何者?」
 奇怪な格好と言い、物言いと言い何から何まで怪しい。
 「ふっ。見て判らぬか。わしゃ天狗じゃよ。」
 「天狗・・・だと。巫山戯る(ふざける)な。下らない戯言を言うな。」
 「巫山戯てなどおらぬ。“鞍馬の天狗”とも呼ばれていた時代もあったかな。遮那王を育てた事もあったしな。」
 遮那王―――後の源義経の事で鞍馬寺に預けられていた時の法名である。
 (※法名・・・仏の弟子になると与えられる名前。それにより俗世と決別したことを意味する。)
 鞍馬寺に入れられていたときに密かに武術を教えていたのが“鞍馬の天狗”と伝えられている。
 その奇抜で従来類を見ない見事な戦術で向かうところ敵はなく、平家滅亡に大きく貢献した。
 「まぁこのご時世なのだから簡単に手練れな剣客を探すのに困っておるわい。先日相手した堂上の次男坊も大した事なかったしのぉ。」
 これは厄介な相手だな、と察することが出来た。
 先日接触した堂上嶽家は関西はおろか全国でも剣客には知られている有名な手練れ。
 それをあっさりと『大したことない』と言い切れるところだと格段な力の差があると推測できる。
 自分でも相手の力量が計り知れない。此方が上か、それ若しくは相手が上か。
 しかし相手の方が上だろうと見た。先程の一撃は非常に重たく、手が痺れそうな感覚だった。
 さらに竹の群生地帯を俊敏に動き回る脚力、さらに何百年も培われた経験則。
 わかっているだけでも全て自分が負けている。
 (面白い。どこまで自分の腕が通用するか試してみるか。)心の底から何とも言い難い挑戦心が湧き上がってきた。
 その表情を見て天狗は此方側の意向を感じ取った。
 「ふむ。その目、気に入った。お主の名前は何という?」
 「永禮。坂本永禮と申す。」
 「その名前も気に入った。いざ尋常に勝負!」
 視界から一瞬のうちに消えた。しかし気配は背後にある。
 なんとか後ろを取られないように走るが相手もピッタリ自分と同じ速さで追い掛けてくる。そして背後にいる関係は解消されない。
 竹林が無規則にそびえ立っているので視界も悪い上に足場も悪い。スピードを出しすぎると簡単に竹とぶつかってしまうだろう。
 白銀に光る刀をさっと抜くとそれまで飛ぶが如く歩めていた脚を止めてそこから一気に体を捻って片手で背後を斬った。
 だが斬れたのは立っていた竹だけで天狗は斬れなかった。
 停止から攻撃に移り変わる刹那の間に常人では不可能なくらいの高さを跳躍して攻撃を避けたのだ。
 だが高く上がりすぎたせいか天狗の姿は依然として宙にあった。その隙を見逃すはずはなかった。
 逆手に握りを変えると天狗が着地するタイミングを見計らって体を器用に一回転させて辺りのモノ全てを一瞬にして斬った。
 彼の周囲の竹を薙ぎ倒され、絨毯(じゅうたん)のように地面狭しと敷き詰められていた落ち葉は行き場を失って宙に待っていた。
 それ程威力が絶大にある技なのであろう。
 回転後低姿勢に蹲(うずくま)っている彼はふと目線を上げると天狗の姿は眼前にあった。
 「ほっほっほ。お見事、お見事。まさか“真空”まで斬るとはのぉ。」
 蓄えられた細長い髭をさするその表情は実に楽しそうな顔つきだった。
 地面に錫杖をドンと叩くとついている丸い三つの鉄はシャナリ澄んだ綺麗な音を鳴らした。
 ふと足下を落としてみると天狗の高下駄は左側の二対あるものが前面だけ綺麗に斬れていた。
 「拙者渾身の技『風龍真技(ふうりゅうしんぎ)“斬空”』が通じぬとは・・・。手応えがあったがそれだけか。」
 ガッカリしたような口調だが顔色は実に明るかった。滅多に表情を表に出さない顔からは笑みがこぼれていた。
 「ふむ。『風龍真技』の使い手とは・・・。お主はやはり代々受け継がれし神から授けられた血筋の子孫か。」
 天狗は高下駄を脱ぎ捨てると足袋も脱いで裸足になっていた。その口振りからは何らかの事実を知っていることが伺い知れた。
 落ち葉の湿気を足裏に馴染ませると脱ぎ捨てた下駄の裏側と切り落とされた下駄の脚をじっと見つめた。
 見ていたのは斬られた断面。鋭利な刃物で切断したような切り口に天狗はただただ唸(うな)るしかなかった。
 宙に浮いている時点では彼との距離は確実に刀が届かない部分に着地する予定だった。そのため刀が当たったとしても剣先が掠(かす)る斬れる程の威力はなくなっているはずである。
 しかし断面は綺麗に真っ二つに斬られたことが現実を物語っている。
 まるで見えない刃(やいば)が稲妻の如く空を駆けぬけたかのように・・・
 「その技、やはり空(くう)を斬れるのか・・・。」天狗は察したように呟いた。
 対して彼は膝を持ち上げると袴に付いた落ち葉を払い落とすと口元を緩めた。
 「流石天狗といったところか。左様、この“斬空”は空を斬ることが可能。」
 現在においても何もないのにモノが切断されるということが稀に起きることがある。
 主に気圧の高いところから低いところへ気圧が移動するときに風が発生する。その高低差が大きいほど風は強くなる。
 だがその高低差がある程度を超えた時、風は刃と化する。何もモノがないのに風によって物体が切断されるのだ。それは最大で1キロ四方に被害が渡る“見えない鋭利な凶器”なのである。
 日本では“カマイタチ”という妖怪伝説が残っているがこれがそれに当たる。
 この原理に似ているのがウォーターカッターと呼ばれるダイヤモンドなどを加工するときに用いられるモノだ。
 とても高い水圧によって刃物が歯に立たない堅いモノでも切断する事が出来る。
 彼もまた方法は定かではないがそういった類の技が使えるのである。
 「また厄介じゃのう。お主は若そうだが腕は全国で十指に入るに違いない。手加減できないのぉ。・・・」
 まるで独り言を呟くようにボソボソと口を滑らせていた。
 何が何だかわからないで相手の様子を窺っていると天狗は「よし」と発した後また此方に向かって話してきた。
 「楽しみは後々まで残しておきたいのぉ。ここは一旦退かせてもらおう。いつでも良いから満月の夜に嵐山へ来い。万全を期して待っていてやろう。」
 そう言い残すと懐から取りだした大きな葉っぱを振り翳(かざ)すと辺り一帯に旋風(つむじかぜ)が発生して一瞬のうちに天狗はその場から消えてしまった。
 呆然と立ち尽くしていると突然極度の疲労感に襲われて意識を失ってしまった。







 次に目を開けたときには寺子屋の天井が上にあった。
 布団から出ると傍らには頑真と上様が心配そうな表情を浮かべていた。
 起き上がったは良いが妙に強い倦怠感と疲労に襲われてまた布団の上に倒れ込んでしまった。
 「永禮、気分はどうだ?」問いかける上様の顔色は実に悪く、寝ていないような表情だ。
 あまり状況を把握できていない所にいつの間にか控えていたお龍が説明した。
 「お主が無惨に切り倒された竹藪の中にひっそり仰向けになって倒れているのを土地の者が発見したそうだ。幸い手当てが早かったお陰で一命を取り留めたが・・・」
 この報告にふと奇妙なことが頭の中に引っかかった。
 私は倒れる直前まで微かに覚えている記憶を紐解くと膝の力がなくなってそのまま地面にガクンと着いた後平衡をとれずに前へ倒れ込んだのだ。
 そうなると確実に俯せになっているはずだ。だが発見されたときには仰向けにされていたのだ。
ここから導き出される答え。それは“天狗が何か私に慈悲を授けた”ということ。
 「・・・聞いているのか。お主。」
 気付いたときには喉元にお龍の右手に握られた小刀が今にも刺そうと思わんばかりの距離に突きつけられていた。
 返事どころか身動きすらとれない状況に上様が宥めるとお龍は渋々小刀を鞘に収めた。
 「何にしても医者の言うには静養が一番らしい。ここは暫く休養するように・・・」
 そんなことを言っている間にも彼は立ち上がって手足の感覚を確かめていた。
 先程まで体を縛り付けていた倦怠感・疲労感は全く感じられなくなり、逆に調子が非常に良くなっていた。
 突然の様変わりに周りの人達は何があったのかわからない表情だった。正しく“狐につままれた”という表現が一番似合う。
 その後も何事もなかったかのように振る舞い、(周りの者が心配していたので)一日休んだだけで翌日からは桂・西郷の仲直り工作に赴いた。
 変わったことと言えばその日一日の食欲がいつも以上に旺盛だったことか。

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