七 : 決死の小牧




 天下獲りを目前にして倒れた信長の後釜を巡って、情勢は大きく揺れ動いた。
 天正十年六月二十七日。織田家の新たな後継者を選ぶ会議が尾張清洲で開かれ、明智を討ち破った羽柴秀吉が推す信忠の嫡子・三法師にすることを決定。その裁定に異議を唱えた柴田勝家が同じく反対した神戸信孝と結託して、秀吉に対抗するべく手を結んだ。
 翌年の四月、近江賤ヶ岳にて柴田勝家勢と羽柴秀吉勢が激突、敗れた勝家は越前北ノ庄城で自害。合戦後には信孝も自害した。
 一方の徳川勢は中央の覇権争いには一切関与せず、甲信二カ国の奪取に心血を注いでいた。天正十年十月に北条と和睦を結んでからは、新領地二カ国の治政に専念した。
 しかし、中央に興味を示さなくても、徳川は織田家内の騒乱に巻き込まれることとなる……

 天正十二年一月三日。正月ということで、新年を迎えられた喜びを祝う宴があちこちで行われていた。忠勝も例外でなく康政の屋敷に招かれていた。
「一昨年まで三河と遠江、それに駿河の一部を治める身だった御家も、今では駿河全域だけでなく甲信も加えた五カ国の主。いや、誰が想像出来たか」
「真だ。おまけに細心の注意を払っていた信長公も居なくなった。心なしか、殿の顔も例年と比べて晴れ晴れとされていたように映った」
 忠勝は上機嫌な様子で喋ると、康政も揚々と応じる。
 元旦の挨拶をすべく駿府城へ登城したが、皆一様に明るい表情を浮かべていた。僅か二年で大幅に伸張しただけでなく、精神的な重石も取り払われた影響はやはり想像以上に大きかったようだ。
 忠勝も気分を良く盃を空けていくが、康政は一旦盃を床に置いて神妙な面持ちで話す。
「……だが、喜んでばかりはいられない」
 硬い声色の康政に忠勝の酔いも一気に醒めた。
「どういうことだ?」
「近頃、殿の元に織田三介殿の遣いが頻繁に訪れている」
 織田“三介”信雄は信長の次男だが、織田家の家督は早い段階から嫡男の信忠に譲ることが決まっており、信雄は伊勢の名門・北畠家へ養子に出されている。
 本能寺の変の後に、旧姓の織田へ復帰。賤ヶ岳の戦いでは秀吉に味方し、勝利した後は旧領伊勢に加えて尾張も与えられた。また、織田家後継の三法師はまだ幼子なので、親類の信雄が後見人の役割を担うこととなった。
 秀吉と蜜月関係にある信雄が、一体どうして徳川に近付く理由があるのか?忠勝には解せなかった。
 一昨年の十月に北条と和睦を結ぶに際して信雄に仲介を依頼した経緯はあるが、徳川は織田と同盟関係を継続しつつも深入りすることは避けてきた。中央のゴタゴタに巻き込まれたくないのもあるが、新たに領地となった甲信二カ国を磐石にしたい思惑があった。
 もし信雄が徳川に近付いていることが秀吉の元に伝われば、「徳川と手を組んで自分を排除する意図がある」と疑われる危険がある。現在の秀吉は十カ国以上を治める太守であり、二カ国の信雄を遥かに凌駕していた。
 康政は声を潜めて内情を明かしてくれた。
「実はな、三介殿は最近秀吉から蔑ろにされていることに不満を抱いている」
 元々秀吉は信長の家臣、一方の信雄は信長の次男。父の信長が亡くなった後も、秀吉は主筋の自分に臣従してくれると頭から信じて疑わなかった。
 ところが、賤ヶ岳の戦いが終わると一転して対等、それどころか家臣に接するような態度を秀吉が示すようになった。織田家に仕えていた他の家臣達も信雄の前に姿を見せず、秀吉の家臣のように振る舞っている。
 信雄は根底から勘違いしていた。戦国の世では血統ではなく、実力が全てであることを。
 武家が最優先に考えるのは自家の存続、次いで繁栄である。例え絶大な繁栄を築いても、滅んでしまえば全て無に帰す。甲斐の武田、越前の朝倉、駿河の今川、戦国の荒波に消えた大名は数知れない。だからこそ御家の未来を託すに相応しい者に従うのだ。信長という偉大な主君を失った今、皆は秀吉という新たな存在へ何の躊躇いもなく乗り換えた。
 邪魔者の柴田勝家を排除したことで、秀吉も遠慮する必要が無くなった。それまで同僚だった者を自らの家臣と同じように接したし、織田の血を引く者を丁重に扱うのも止めた。
 秀吉の変化に信雄は当初こそ不満を感じていたが、次第に恐怖を抱くようになった。日に日に勢力を拡大していく秀吉に『いつか信孝のように潰されるか』と怯えた。尤も、信孝を自害に追い込んだのは、信孝を目の敵にしていた信雄本人だったが。
 秀吉への対抗策を考えていた信雄は、家康という第三者の存在に気がついた。織田と二十年以上に渡って同盟を結び、織田が絶体絶命の危機に瀕しても味方であり続けた。今回も自分が助けを求めればきっと手を差し伸べてくれると確信していた。
「三介殿の意図は分かったが……三介殿と与して我等に得はあるのか?」
 忠勝は頭を掻きながら訊ねた。
「まぁ、長い目で考えれば」
 盃の縁を指の腹でなぞりながら康政は応えた。
 徳川家から見れば、強大な勢力と新たに隣接することは好ましく思わない。とりあえず距離を置いて様子見する方向だが、相手の出方次第では五カ国を治める太守として全力でぶつかる覚悟はある。侮れば痛い目に遭う、と相手に分からせる必要があるからだ。
「戦か」
 忠勝の瞳がギラリと光る。その表情は心なしか活き活きとしているように見える。根っからの武人だけあって、戦と聞けば血が騒ぐのだろう。
 そんな単純な話ではない、と康政は冷めた目で見ていた。しかし、売られた喧嘩は買わないといけないとも考えている。
 相手は京を押さえ、信長亡き後の織田家の勢力を引き継いだ難敵だ。対峙するとなれば、相応の覚悟を固めて臨まなければならない。
「そう逸るな。まだ決まった訳ではないのだから」
 前のめりになる忠勝を制するように口にしたが、康政自身もそう遠くない時期に両者がぶつかると予想していた。
 正月は戦と無縁でゆったり過ごせたものの、それは一時の安らぎだった。関与しなくても織田家を巡る争いの渦に巻き込まれることとなる……

 信雄と秀吉の関係が急速に冷え込む中、遂に事態は大きく動いた。
 天正十二年三月六日、突如信雄は津川・浅井・岡田の三家老を殺害した。三家老は以前より秀吉と内通している疑いがあり、実際に三家老は秀吉と内密に接触していた。親秀吉派の三家老を殺害することで、秀吉と敵対する姿勢を明示した。
 三家老を始末した信雄は直ちに家康に協力を要請。これに応じた家康は三月十三日に尾張へ向けて出陣、十八日には小牧山に入った。対する秀吉も、三家老殺害の報を耳にすると即座に信雄討伐を決断した。
 忠勝も家康に従って尾張に入ったが、忠勝が臨んでいるような展開にはならなかった。
 まず家康は秀吉と敵対する紀州の雑賀衆・根来衆や越中の佐々成政などへ書状を送り、背後から牽制するよう促す外交の下地作りに終始した。そうした仕事は政事勘のある直政や康政が適任で、合戦専門の忠勝は現場に出て土塁や野陣の構築に汗を流すしかなかった。
 特に康政は、秀吉が織田家から受けた恩を忘れ仇で返すやり方を非難する檄文を書いて各地にばら撒き、その激しい内容に憤怒した秀吉が康政の首に十万石を与える触れを出すほどの仕事を果たした。
 三月二十一日に大坂を発した秀吉は二十七日に尾張犬山へ着陣するが、先に到着していた徳川方が堅牢な陣形を築いていたのを見ると『攻めるのは得策ではない』と判断、両者が睨み合う持久戦に突入した。

 膠着状態が続くと、陣内には停滞した空気が蔓延する。兵達に慣れから来る緊張の緩みや士気の低下が広がれば事態が急転した際に対応が遅れる恐れがあるので、上官が常に巡回して気を引き締めているものの長続きしない。
「さてさて、退屈だのう」
 忠勝の隣を歩く忠佐がポツリと漏らす。秀吉率いる上方の軍と一戦交えられると喜び勇んで三河から出てきたが、肩透かしを喰らって不本意に感じていたのだろう。
「治右衛門殿、陣中ですぞ」
 まだ幾許か分別のある忠勝が慌てて小声で諌める。部下の耳に届けば影響は必至だ。忠佐はつまらなそうにフンと鼻を鳴らす。
 確かに、期待していた展開からは大きく外れていた。徳川・織田信雄の連合軍二万は小牧山に篭もり、平野には羽柴軍七万が所狭しと陣取っている。徳川は動員可能な最大数を揃えたものの、甲信に押さえの兵を割いているので増援は見込めない。
 対して羽柴は小牧山を攻めるには足りないが、北陸や中国筋の兵は温存しているので兵の上積みは可能だ。一見すると拮抗した状態に映るがそれは地形的優位を含めての換算であり、徳川勢から見れば磐石と言い難い。
「お主が羽柴だったらこの状況、どう動く?」
 忠佐がニヤニヤしながら問いかけてきた。ただ、本気で意見を求めているのではなく雑談の延長線のような軽い感じであった。
 そう言われて忠勝は暫時考えた。大局的視野で俯瞰するのは苦手なので、もっと簡潔に捉えてみようと考えを巡らせる。
 相手は人数で劣るが陣地を固めて守りに専念している。こちらは数で上回っており、相手を陣地の外に引き摺り出したい。……となれば。
「左様ですな、相手の背中に回り込んで後方から脅かすのが有効かと」
 敵は人数で劣っているので、自分から攻める愚は冒さない。敵の眼前に少数の兵を囮に置いても釣り出される可能性は低く、隙が生まれるのをじっと待つ。
 ならばこちらは数的優位を活かして、兵を割いて敵の後ろ側へ部隊を送り込む。すると敵は『挟み撃ちされたくない』と考えて、後ろに回った部隊を叩くべく動く。その隙を逃さず、突く。
 今の状況に置き換えるならば、長陣に焦れた羽柴が迂回して徳川の後方へ兵を送り込むことが考えられる。
「我等の、後方だと……?」
 困惑する忠佐の反応に忠勝も気がついた。尾張は織田信雄の領地だが、その先の三河は徳川の領地。連合軍の体ではあるが、実態は徳川が主戦力だ。甲斐や信濃はまだ統治して間もないので兵を置いているが、安全圏の三河はがら空きに等しい。もしそこを攻められれば……想像しただけで背筋が凍る思いだ。
 そこへ家康付の小姓が二人の姿を見つけて駆け寄ってきた。
「大久保治右衛門様、本多平八郎様。殿がお呼びです。急ぎ本陣へ」
「相分かった。すぐに参る」
 先程の話の直後ということもあり嫌な予感が脳裏を過る。不安な気持ちを心に秘めて本陣へ向かった。

 四月七日、家康の元に風雲急を告げる一報が飛び込んできた。
『三河国内を羽柴勢と思しき旗を掲げた部隊が通過中』
 その情報は服部半蔵配下の忍びや鳥居元忠の物見、さらに地元の地侍から届けられた。信憑性が高いと確信した家康は対策を講じるべく緊急で軍議を開いた。
 まず口を開いたのは元忠だった。
「敵の別働隊はおよそ二万。狙いは岡崎と思われます」
 各所から続々と入る情報から相手の動きを予測した結果を明かす。元忠の報告に家康が唸る。
「して、陣容は?」
 直政が訊ねると元忠は澱みなく答えた。
「四段に分かれ、先頭を行くのは池田恒興。次いで森長可、三好信吉(秀吉の甥、後の羽柴秀次)、最後尾に堀秀政」
 池田恒興と森長可は信長存命時より猛将として知られた武闘派、堀秀政も戦経験の豊富な武将だ。大将格の三好信吉は若年で戦の経験は浅いが、秀吉の血縁者なので率いる兵も四将の中で最大だ。
 奇襲部隊に猛者を揃えてきたことから、本気で岡崎を狙っているのは伝わってくる。
「……されど、些か人数が多くございますな」
 忠次が気になった点を口にする。
 相手の狙いは徳川方の背後を撹乱すること。敵の目を欺く為に行軍は秘匿にするのが大前提だが、それにしては二万という人数は多過ぎる。人数が多ければ進軍速度は鈍るし、それだけの集団が動けば遠目でも目立つ。やろうとしている事とやっている事がチグハグで噛み合っていない。
「恐らく身内に箔を付けたかったか、池田や森に遠慮したか、それとも両方か」
 数正が自らの見解を述べる。
 池田も森も元々は織田の直臣で、秀吉より役職も上だった。それが逆転して今は主従の関係となったが、複雑な間柄を考慮すればぞんざいに扱えない。実際、池田恒興は当初信雄に味方する見込みだったのを、秀吉が高報酬を見返りに自陣営へ引き込んだ経緯がある。武家出身ではない秀吉特有の苦悩が透けて見える。
 だが、それは徳川方にとって絶好の材料だ。
「康政。康高と共に先発せよ。儂もすぐに追う」
「承知致しました」
 指名された康政と大須賀康高が頭を下げると、直ちに立ち上がって陣を後にする。
 家康が出陣するとなれば、本腰を入れて羽柴の別働隊を叩く意思を表明したに等しい。敵の裏をかくつもりだ。
「忠次、数正。この小牧山の留守を任せる。万一に備えて忠勝も付ける。守りを固めて、何があっても山から一歩も出るな」
「はっ」
 大役を任された両名、そして忠勝も頭を下げる。戦場で大暴れしたかった忠勝としては正直不本意だったが、主命なので逆らえない。
 康政率いる部隊が敵勢へ向けて先発、織田からの援軍も加わった本隊も順次小牧山から出発する。小牧山には五千の兵を残した。
 尾張・小幡城で合流した迎撃部隊は翌九日に羽柴勢へ奇襲を仕掛けることで一致。小休憩を挟むと、満を持して未明に出撃した。

 九日早朝。長久手で休息していた三好勢に、徳川勢一万五千が襲い掛かった。兵達が朝餉の支度をしていた頃合と重なり、場は一瞬にして大混乱に陥った。大将の信吉は供廻りが必死の抵抗をしている間に辛くも逃れることが出来たものの、乗っていた馬は潰され徒歩で脱出する有様だった。一刻の内に三好勢は壊滅する惨々たる結果となった。
 堀秀政は三好勢急襲受けるの報を聞くと即座に動き、大将信吉と敗残兵を収容しながら迅速に撤退を開始。三好勢を撃破して勢いづく徳川勢を返り討ちにして、敵地から無事に脱出することに成功した。
 そして、残されたのは前線で孤立した池田・森の両勢のみ。この頃には、後ろを行く二隊が襲撃されたのも伝わっていた。やがて池田・森勢と徳川勢は激突し、一刻に及ぶ激戦の末に池田恒興・森長可の両名が討たれる敗北を喫した。合戦を終えた徳川勢は悠々と小幡城へと引き揚げた。

 同日午後、小牧山の麓に陣を構えていた羽柴軍が俄に慌しくなった。
 人が頻繁に行き来を繰り返し、掲げられている旗が忙しなく動き、荷駄を急いで用意する様子が遠目から見てもよく分かる。恐らく別働隊急襲の一報が入ったのだろう。徳川の陣にも戦勝を報せる使者が到着していたので、眼下の敵が救援に向かう手筈を整えていると簡単に想像出来る。
 その反応を確かめると、忠勝は勇んで本陣に入った。その様を上座に腰掛ける年長者の忠次と数正が冷ややかな目で見ていた。
「どうした平八郎。そんなに慌てて」
 煩そうな表情で忠次が訊ねる。
「外の様子をご覧になられましたか?」
「見た。それがどうした?」
 問いかける忠次の言葉に、やや頬を紅潮させて忠勝が断言した。
「出撃しましょう」
 忠勝の進言に忠次は「はぁっ!?」と思わず声を上げ、露骨に顔を顰めた。数正の方は微かに眉を吊り上げただけで、静観の姿勢を貫いている。
 あまりの暴論に忠次は忠勝を封じにかかる。
「何を寝惚けたことを言っている!?敵は別働隊に兵を割いたとはいえ総勢五万、対して我方はたった五千だぞ!!十倍の相手に挑むなど、正気の沙汰ではないわ!!」
 唾を吐きながら忠次は叫ぶように言い放つ。しかし忠勝も怯むことなく猛然と反論する。
「なれど五万の兵を黙って見過ごす訳にもいきますまい!!味方は朝から連戦続きで疲弊している一方、敵勢は体力十分。野戦になれば圧倒的不利、仮に城へ篭もっても勝機はありませぬ!!ならば、ここは小牧山を下りて時を稼ぐことこそ御家の為ではないのですか!?」
 忠勝も何の考えもなく提案したわけではない。今置かれた状況が御家存亡の危機と切実に感じているからこそ、無謀とも取れる策を進言したのだ。大局的視野に欠けるが、御家の忠誠心の篤さや駆け引きで培った戦場勘は誰もが認める存在だった。
 三河を狙う羽柴の別働隊は打ち破ったが、少なからず損害は出ている上に疲れも蓄積している。小牧へ戻る途上で羽柴の本軍と遭遇すれば朝方と結果が逆転するし、小幡城に引き揚げても周囲を十重二十重に囲まれれば脱出の目処は立たない。どちらを選択しても、待っているのは敗北だ。どれだけ大勝しても終わりまで勝たなければ意味が無い。忠勝はそれを危惧した。
 だが、日頃から忠勝の直情的な行動を迷惑に思っている忠次には屁理屈にしか聞こえなかった。
「やかましい!」
 一喝すると畳み掛けるように言葉を重ねる。
「殿から『守りを固め、山から出るな』と命ぜられている! それを違えるつもりはない!!」
「ならば結構!!我が手勢だけで参ります!!」
 頑なに拒絶された忠勝は言い捨てると、荒々しい足取りで本陣の外へ出て行った。その背中に「待て!」と忠次は叫ぶが、忠勝の耳には届かなかった。
 数正は一連の成り行きを瞑目して一言も発さなかった。残された二人は忠勝が暴発に出ないことをただただ祈るしかなかった。

「どうでしたか?」
「聞く耳も持たず斥けられた」
 自陣へ帰ってきた忠勝を都築秀綱が訊ねると、憮然とした表情で応じた。事前に予想はついていたのか、秀綱はそれ以上聞かなかった。
 忠勝が指揮する兵達は既に戦支度が整っていた。あとは忠勝の命令があれば、いつでも出撃出来る状態だ。
「では……」
「仕方あるまい。我が手勢のみで攻める」
 小姓が持ってきた鹿の角を模した兜の紐を締めると、忠勝ははっきりと告げた。
 何事も慎重な姿勢を崩さない忠次に、五万の兵を足止めさせる策が受け容れられるとは思っていなかった。だが、自分の考えは間違ってないと確信している忠勝は最悪自分の手勢だけで決行する覚悟を固めていた。裁量出来るのは僅か五百名程度だが、皆無鉄砲な主人を信じて従ってくれる強者揃い。忠勝も絶大な信頼を抱いていた。
 忠勝は馬に跨ると、近くに控えていた小姓を手招きして言伝を頼んだ。
「与七郎様の陣へ伝えてくれ。『仮に我等が全滅しても手出しは無用』と」
 頑固者の忠次に比べて柔軟な思考を持つ数正に後事を託すと、蜻蛉切の穂先を眼下に乱立する羽柴軍の旗へ向けて忠勝は叫んだ。
「行くぞ!!三河者の意地を見せつけてやれ!!」
 馬の横腹を蹴ると、忠勝を先頭に全員が土煙を上げながら一斉に駆け下りていく。五万の敵に五百の兵で挑む、無茶な作戦が始まろうとしていた。

(……風が心地いいな)
 百倍の相手に挑む身ながら、自分でも驚くくらいに穏やかな気持ちだった。
 今乗っている馬は二代目黒夜叉。艶のある黒色の毛並みは父親譲り、円らな優しい瞳は母親にそっくりだ。性格は従順で大人しいが、走り出すと大海原を行く船のようにスイスイと進んでいく。少々物足りなさを感じるのは長年乗り慣れた先代の感触がまだ残っているのかも知れない。
 そういえば一言坂で武田と死闘を繰り広げた際も、率いた兵の数は五百だった。今回加わっている者の中で、あの修羅場を経験している者はどれくらい居るのだろうか。老いて兵役から退いた者も居れば、志半ばで命を落とした者も少なくない。兵は大半が入れ替わったのに、自分は年を重ねても相変わらず無茶ばかりしている。そんな自分が可笑しく笑いが零れる。
 長久手方面へ出撃した羽柴勢は、後方から迫る少人数の部隊に気付いているだろう。だが、こんな少数で何が出来るかと高を括っているに違いない。百倍の相手に挑むなど馬鹿げている。だが、その馬鹿げたことを本気でやろうと考えている者がここに居る。
 そして忠勝もまた全力で羽柴勢を止めようと考えていなかった。この作戦に命を賭けているが、刺し違える気は毛頭ない。要するに、五万の大軍の足を遅らせれば済む話だ。その為にいやらしく立ち回るつもりである。
 敵の最後尾がはっきりと視認出来る距離まで詰めると、鉄砲を斉射させた。照準は別に合わせなくても構わない。撃った事実と発砲音を相手の耳に入れる二点が重要だから。
 前方を進む敵勢に変化は見られない。すかさず馬に乗り、さらに近付いてから発砲する。
 すると、前方を進んでいた羽柴勢の足が止まった。その直後、人垣が割れると十数騎がこちらへ向かって来る。
「―――かかった」
 手応えを感じると、忠勝は不敵な笑みを口元に浮かべる。すぐに鉄砲の放ち手を下げ、代わりに騎馬武者を並べる。皆、腕に自信のある精鋭揃いだ。
 度々ちょっかいを出してくる煩い小蝿を追い払うつもりだろうが、たかだか十数騎とは随分舐められたものだ。
「皆の衆、ちょっと遊んでやれ」
 まるで童の相手をするように告げると、忠勝が真っ先に抜け出した。その背中を追うように次々と続いていく。
 互いに距離を縮めていく内に相手の先頭を走る者の顔がはっきりとしてきた。齢は二十前後の若武者、殿に配置されて割を食ったと露骨に出ている。
 奇遇だな。こちらも同じことを考えていた。
 若武者が手にした槍をこちらへ繰り出す刹那―――蜻蛉切の穂が若武者の喉を貫いていた。若武者は何が起きたのか理解出来ず、驚きで目を剥いたまま崩れるように馬上から転げ落ちた。
(弱い、これでは肩慣らしにもならん)
 ほんの一瞬で勝負が終わって、忠勝は大いに不満だった。
 部下はどうなっているかと振り返れば、既に敵を返り討ちにした後だった。誰も息は乱れておらず、まだまだ余裕がある表情を浮かべている。
「なんだ、上方の侍は大したことが無いのう」
「左様、左様。これでは稽古にもならんわ」
 部下が嘲笑していると、羽柴勢が再び兵が出てきた。今度は先程の三倍は居るか。
 このままでは沽券に関わると思い、本腰を入れて叩き潰そうと乗り出したのだろう。
「退くぞ」
 忠勝が声を掛けると、後ろの武者から順に馬首を翻して退いていく。先頭に立つ忠勝が殿となり敵を引きつける。
 退いていく本多勢に敵も懸命に追いかけてくる。背中を見せて逃げる兵は格好の標的だ。あわよくば首級を挙げて武功を稼ぎたい、と欲が表に出ている。それも忠勝の計算通りだ。
 すると突然、一目散に退いていた本多勢が左右に分かれた。追撃の先頭を行く騎馬武者が何かを察知したが、後ろには何も知らない味方が続々と迫っているので身動きが取れず前へ前へと押し出される。
 そして次の瞬間、辺りに発砲音が鳴り響いた。その直後、先頭を走っていた羽柴勢の武者数人が馬上から倒れ込んだ。
 左右に割れた先に居たのは、先程まで散々挑発していた鉄砲隊。鉄砲隊を指揮する都築秀綱の合図で並べられた銃口が火を噴いたのだ。
 さらに退いていた部隊も発砲音を合図に反転、鉄砲で怯んだ羽柴勢に突撃する。
 突然の発砲と俄かの反撃に動揺した羽柴勢は、完全に足が止まってしまった。
「かかれー!!」
 忠勝が咆哮すると敵中へ斬り込む。戦意が挫けた相手は、勢いに乗る本多勢の敵ではなかった。
 薙ぐ、突く、叩く。面白いように敵が倒れていく。相棒の蜻蛉切も戦いに飢えていたのか、体の一部となったように働いてくれる。
 もしかすると忠勝の身に蜻蛉切の妖気が流れ込んでいるのかも知れないが、今は些末なことだ。この一時を思い切り楽しもうではないか。
 一人また一人と減じていく状況に形勢悪しと判断して、羽柴勢は退却を決断。這々の体で逃げていった。
「いやー、平八郎様の策が見事に嵌まりましたな」
 梶勝忠が揚々とした面持ちで近付いてきた。勝忠も根っからの武人で、忠勝と同じように戦場で大暴れすることを生き甲斐としていた。
 この局地戦で本多勢の損害は軽微、死者は一人も出さなかった。対して羽柴勢を数十騎も討ち取った。完勝と言っていい。
「勝鬨を上げましょうか?」
「いや。この程度の小競り合いなど物の数に入らぬから無用だ。それより、どれくらい経った?」
 忠勝は勝利の余韻に浸るわけでもなく、あくまで冷静だった。
「そうですな……およそ半刻、といったところでしょうか」
「左様か」
 視線の先にある羽柴勢の方をじっと睨みながら、忠勝は少しだけ思案顔になった。
 やがて納得したように一つ首肯すると、落ち着いた口調で側に居た勝忠に話しかけた。
「―――勝忠。兵を収容して小牧山へ帰還せよ」
「承知しました……しかし、平八郎様は?」
 一抹の不安を覚えたのか勝忠が問いかけてきた。普段は戦になると頭に血が上って周りが見えなくなるのに、今日はやけに勘が鋭い。
 忠勝は満面の笑みで返した。
「まだ残っている事があるから、この場に留まる」
「ですが……」
 それから何か言おうとした勝忠だったが、忠勝の顔を見て言葉を飲み込んだ。
 不安そうな眼差しで見つめる勝忠に忠勝はさらに言葉を重ねた。
「某に危険が及んでも手出しは無用。万一の場合は与七郎様の下知に従うように」
「……畏って、候」
 屹度言い渡すと勝忠は絞るような声で応諾する。一礼してから立ち去る勝忠の背中を一瞥すると、再び前を向く。
「……済まぬな。もう少しだけ主の我が儘に付き合ってくれ」
 忠勝が黒夜叉の首筋を優しく撫でると、黒夜叉は主人の気持ちを察したのかブルルと首を振る。まるで「気にするな」と言っているようであった。
 遠ざかっていく味方の気配を背中で感じながら、忠勝は幸せを感じていた。
 無謀な策にも文句一つ言わず従ってくれる家臣達、仕えるに相応しい主君、共に競い合える仲間、そして……苦楽を共有してきた相棒。
 戦へ赴く時には『生きて帰る』と思った事は無かったが、『死ぬかも知れない』と感じた事も無かった。常に味方の勝利の為に、朋輩よりも目立つ活躍をする為に、無我夢中で槍を振り回してきた。武功と勝利の他に考える余地は残っていなかった。
 単騎突貫した姉川でも、激戦となった一言坂でも、我武者羅に敵を倒すことしか頭になかったことだ。
 だが―――幾多の戦場を経験してきて、初めて『死』を覚悟した。
 僅か五百の兵を相手に、局地戦とは言え二度も苦杯を舐めさせられた。十カ国以上を保有する羽柴からすれば堪え難い屈辱である。流石に羽柴軍の沽券に関わるので、次は本気で潰しにかかってくるだろう。恐らく数千、名のある武将が直々に出てくるに違いない。それくらいなら本多勢の全滅で終わる。
 しかし、秀吉自ら出馬すればどうなるか。総勢五万の大軍は、本多勢を押し潰した勢いで小牧山まで攻め上がるだろう。そうなれば主君から留守を預かる忠次・数正も応戦せざるを得なくなる。自分一人の身勝手で御家の危機を招く危険がある以上、手打ちにするなら今だと判断した。
 本多忠勝と言えば、一言坂で一躍武名を轟かせた猛将。その首を獲れれば二度の敗戦も帳消しに出来るに違いない。
 但し、容易く首を差し出す気は毛頭ない。命尽きる最期の一瞬まで、敵を地獄へ道連れにするつもりだ。『天下に本多忠勝ここにあり』と生きていた証を示してみせる。
「さて、参ろうか」
 一人呟くと黒夜叉を促して、前へ歩ませる。ふと近くに小川が流れているのが目に留まり、思い立って黒夜叉から下りて顔を洗う。
 これから死地に赴くというのに、忠勝の心は清々しい程に空っぽだった。死の間際はこれまでの出来事が走馬灯のように巡ると聞いていただけに、少々拍子抜けした気分だ。幾度も切所で語りかけてきた蜻蛉切も至って静かである。
(……?)
 様子が、おかしい。忠勝が孤立しているにも関わらず、羽柴軍に動きが見られないのだ。
 鹿の角を模した黒漆の兜に黒の具足、それに首から大きな数珠をぶら下げている身形。世に知れ渡っている本多忠勝の姿に相違ないのに、こちらへ向かって来る気配が一向に表れない。
 戦場では鬼神の如き働きぶりとは言え、たった一人では何も出来ない。百人の兵で包み込むように囲めば討ち取れるはずだ。大将首を前にして誰も手を出さないとは異常な事だ。
 一体どうなっているのか、自分でも分からなかった。
 すると、焦れたように黒夜叉が頭を擦り付けてきた。澄んだ円らな瞳でこちらを見つめてきて、まるで「どうする?」と問い掛けているようであった。
 忠勝は気落ちしたように一つ大きな溜め息を吐くと応じた。
「……仕方ない。とりあえず小牧山へ戻るとするか」
 どれだけ待っても敵に動きがない以上、自分も引き揚げるしかあるまい。まさか根競べで負けると思っていなかったので不思議な心境だった。
 小牧山へ戻る道中、何故自分が生かされたのか考えてみたものの、どれだけ頭を捻っても理由は見つからなかった。

 同時刻。小牧の羽柴本軍。
 羽柴勢の中央付近に掲げられている千成瓢箪の馬印。その下には煌びやかな格好をした小柄な男が馬に乗っていた。日焼けして赤黒い肌、顔には大小無数の皺が刻まれていることから、猿と見間違えそうになる。
 そこへ一人の若い長身の男が近付いてきた。立派な体躯をしており、周りの人達と比べて頭一つ抜けている。
「おーう、虎。待っておったぞ」
 猿顔の小柄な男が若い男を見つけると扇子で自らの位置を示して、そのまま招き寄せた。
 『虎』と呼ばれた男は、加藤“虎之助”清正。若年ながら数々の戦で武功を挙げており、羽柴家期待の若手武将として秀吉から可愛がられていた。先日行われた賤ヶ岳の戦いでは敵将・山路正国を討ち取る大手柄を挙げ、秀吉から三千石の所領を授かっていた。戦場での槍働きこそ生き甲斐としている点では、清正は忠勝と同類であった。
「遅くなりました」
「何、構わぬ。それより、どうだった?」
 鷹揚に振る舞うこの猿顔の男こそ、羽柴軍の総大将である羽柴秀吉だ。この時、齢四十七。信長亡き後、天下人に最も近い存在にある人物だ。
「本多忠勝は暫し遠巻きに我等の方を眺めておりましたが、諦めて小牧山の方へ戻っていきました」
「そうかそうか」
 うむうむと深く二度頷く秀吉。その様子をやや納得のいかない様子でいる清正。
「……されど、本当によろしかったのですか?生かしておけば後々禍根を残すことになることも十分に考えられると思いますが」
 岡崎を目指していた別働隊が徳川勢の奇襲に遭ったという一報を受けると、秀吉は直ちに出撃を決断した。総勢五万の兵で長久手方面を向かおうとした矢先、小牧山から少勢が後方から追いかけてきた。旗印から本多忠勝の手勢だとすぐに分かった。
 始めの内は遠くから鉄砲を撃ちかけてくる挑発を繰り返していたが、あまりにしつこかった為に業を煮やした後方の部隊が追手を差し向けた。だが、結果は大半の者が討ち取られる惨敗を喫した。
 散々に弄ばれた挙げ句、大将と思しき人物が一人戦場に残ってこちらの様子を窺っているという。雪辱を晴らす意味でも討ち取るべきだという意見が大勢を占めた。
 しかし、後方で行われた小競り合いを耳にした秀吉は、その場で『手出し無用』を言い渡した。総大将の決定には逆らえず、逃がしてしまった。
「あれ程の逸材、こんな所で命を散らすのは天下の為にならぬ」
 秀吉は真剣な表情でキッパリと言い切った。敵方の武将を手放しに褒め称えるのは秀吉にはよくあることだが、その本気度はいつもより濃いように清正には感じた。
 秀吉はさらに続ける。
「姉川では危険を顧みず単騎突貫して血路を開き、一言坂では圧倒的劣勢の中で武田と互角の勝負を演じて主君を逃し、今もまた五万の兵を相手に堂々と渡り合った。彼奴が手に入るなら五十万石出しても惜しくない」
 秀吉は物事を大袈裟に表現する性格のだが、その言葉が誇張でも虚勢でもないことはその眼差しの鋭さが証明していた。
 槍の腕前だけでなく戦場での駆け引き、物怖じしない度胸、良いと思えば突き進む行動力、揺るぎない忠誠心。全て揃っている当代随一の武将と秀吉は見ていた。
「いつかあの男を家臣にしたいものだのう……」
 小牧山の方を眺めながら秀吉はしみじみと呟いた。

 九日深夜に小幡城を秘かに出立した徳川勢は、無事に小牧山へ帰還した。一方の羽柴勢は翌十日に小幡城へ到着したが、もぬけの殻だったため小牧に戻った。再び膠着状態に陥り、両者睨み合いの日々が続くこととなる。
 決着の落とし所が見出せないまま半年が経過した十一月、事態は急展開を見せる。
 家康と共に大将を務め、戦の発端を作った織田信雄が、あろうことか敵方の総大将の秀吉と秘かに講和してしまったのだ。
 尾張の最前線では五分五分で拮抗していたが、信雄の領国である伊勢では状況が異なった。秀吉の弟・羽柴秀長の手により領内の城を次々と陥とされ、このままでは信雄の本拠に迫る勢いだった。
 その弱味に付け込む形で、秀吉の方から信雄方へ極秘裏に接触。秀吉は「自分にも非がある」と陳謝して関係の修復を提案すると、厭戦気分だった信雄も過去の遺恨を水で流すことで同意した。
 一方で、梯子を勝手に外された徳川は俄かに入ってきた講和の話に困惑した。元々は信雄が秀吉の態度に憤りを覚えて始まった戦を、こちらの意向も聞かず勝手に矛を収めてしまった。信雄を助けるという名目で立ち上がった家康だったが、肝心の当事者が何の相談もなく舞台から下りてしまった為に秀吉と争う大義名分を失ってしまった。
 一人宙に浮いた状態でどう動けば良いか分からなくなった家康は、十一月十七日に三河へ帰国。翌月には秀吉から使者が送られ、信雄と和睦した経緯を報告されると共に、徳川と講和するため驚くべき条件を提示してきた。
『和睦するに当たり、人質を大坂へ出せ』
 徳川は今回の戦いで負けておらず、寧ろ長久手では羽柴方の武将を二人も討ち取る大勝を収めたのに、どうして敗者のような扱いを受けなければならないのか。徳川家中からは当然の如く猛反発の声が上がった。こうなれば全面対決だと息巻く者も少なからず存在したが、家康の懐刀である正信は違う見解を示した。
「我等は確かに戦で勝った。しかし、政で負けた」
 秀吉は信雄と和睦する際、戦で奪った領地と城を返還した上に北伊勢も割譲することで合意した。秀吉も過去の振る舞いを謝罪して今後は粗略に扱わないと誓った。だが、どんな形であれ『信雄の方から和を乞うた』と見るのが世間の評価だ。
 信雄と同列の家康に対しても、信雄と同程度の見返りを求めて当然だと秀吉は言うのだ。旗色が悪い状況を外交で引っくり返す辺り、天下人に相応しいやり方だ。
 そしてまた家康も外交の盲点を突かれた点を痛感していた。
「仕方あるまい。於義丸を大坂へ送る」
 徳川単独では秀吉に勝てないことは重々承知していた家康は、理不尽な要求を呑む苦汁の決断を下した。但し、人質として送る於義丸を“秀吉への養子”とすることで小さな抵抗を示した。
 於義丸は次男だったが、三歳になるまで父の家康と対面が許されない程に冷遇されていた。出生当時正室だった築山殿を憚った為とも当時“畜生腹”と呼ばれ忌み嫌われていた双子で生まれた為とも言われている。扱いに困っていた次男を実質的に厄介払いした形だ。
 どちらにせよ、徳川家には腑に落ちない形で羽柴との戦いは終結した。ただ、今回の戦により圧倒的兵力にも屈さなかった徳川の強さは諸国に広まり、それと同時に僅かな兵で立ち向かった忠勝の武勇も広く知られることとなる。


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