美濃赤坂に設けた幔幕の内に家康が入ると、そこには軍目付として先発していた忠勝と直政が控えていた。
「お待ちしておりました」
忠勝が声をかけると、家康はやや疲れた面持ちながら快く応じてから床机に腰を下ろす。
「……中山道の秀忠様は?」
直政が恐る恐る訊ねると、家康は途端に渋い表情で首を横に振る。
「まだ連絡は届いておらぬ。恐らく、間に合わん」
二十一歳の秀忠は、此度の合戦が初陣となる。通常の初陣であれば元服を終えて間もない十五歳前後で行うが、秀忠は初陣に相応しい合戦と縁が無かった。
そのため、まだ経験の浅い指揮官を補佐する形で、歴戦の猛者である榊原康政や大久保忠佐を充てた。家康と早期合流することを軸に行軍する―――予定だった。
徳川家の主力軍三万八千を前にして対決姿勢を鮮明にした者が現れた。その男の名前は、真田“安房守”昌幸。
真田家は昌幸の父・幸隆の代に信濃小県と上野吾妻を収める勢力に成長、昌幸は武田信玄から直接薫陶を受けた老獪な武将だ。武田家滅亡後は織田・北条・徳川・上杉・豊臣と仕える家を次々と鞍替え。その変わり様から『表裏比興の者』と呼ばれ、乱世をしぶとく生き抜いてきた。
昌幸は過去に一度、徳川と戦って勝利を収めている。小牧長久手の戦いの翌年である天正十三年、真田家は領土の割譲を巡って徳川家から離脱。それに怒った家康は上田城へ兵を送り込んだが、手痛い損害を受けて退けられてしまった。
今回の上杉征伐にも昌幸は参加していたが、小山評定の直前になって東軍から離脱。二男の信繁(後の幸村)と共に西軍へ鞍替えしてしまった。ただ、長男の信幸は忠勝の娘・小松姫を家康の養女という形で輿入れしている関係から、昌幸の離脱後も東軍に留まった。
親子で敵味方に分かれる状況となったが、どちらが勝っても片方は勝利側に入ることが出来る。御家継続の為に非情な選択を下したとも受け取れる。
昌幸の狙いは、徳川の主力部隊である秀忠隊の行軍を少しでも遅らせることにあった。秀忠が率いる軍勢は中山道を通って上方を目指すが、その途上には昌幸の拠城である上田城があった。
九月三日、昌幸は長男の信幸を介して、秀忠に降伏の意志を伝えてきた。だが、降伏について条件を詰める段取りになると、昌幸は突然のらりくらりと先延ばしし始めた。交渉は遅々として進まず、日数だけが過ぎていく状況が続いた。
業を煮やした秀忠は「これ以上回答を避けるのであれば一戦も止む無し」と最後通告を送ると、昌幸は「城が欲しければ力づくで奪ってみろ」と挑発。昌幸の掌の上で弄ばれた屈辱に激昂した秀忠は、正信の諫止も無視して上田城攻めを決断した。
攻める徳川勢三万八千に対して、守る真田勢は三千。圧倒的に劣る真田に到底勝ち目は無い……と見るのが普通だ。
九月八日、牧野康成の手勢が上田城下の稲を刈る挑発に出る。目の前で行われる狼藉に、上田城から百名程度の兵が出てきた。牧野勢はこれに応戦、小規模な戦闘の末に真田勢が城へ敗走した。徳川軍は他の部隊も加わり城へ猛追する。
だが、真田勢による一連の行動は全て昌幸の策だった。
徳川勢が大手門に押し寄せると、門の内側に潜んでいた鉄砲隊が発射。思わぬ反撃で損害を出した第一陣は退却しようとするも、第二陣が攻め寄せるべく前進してきて身動きが取れない状況に陥った。そこに大手門が開いて真田の騎馬部隊が突撃、さらに犠牲を増やした為に一旦退却することを決断した。
しかし、徳川勢が上田城郊外を流れる神川を通過する頃合で、突然鉄砲水が襲ってきた。予め上流で塞き止め、上田城から上がる狼煙を合図に堰を切ったのだ。撤退途中の徳川兵は濁流に呑み込まれ、被害をさらに拡大させてしまった。
思わぬ敗戦に動揺する秀忠の元に、家康の書状を携えた使者が舞い込んできた。『九日までに美濃赤坂へ到着しろ』とする命令だったが、この書状を受け取った時点で九日だった。
止む無く上田城へ押さえの兵を配置して、中山道を西進。道中悪天候で進軍が遅滞したこともあり、結果として秀忠率いる徳川軍は関ヶ原の戦いに間に合わなかった。
「……本当に、何事も筋書き通りにいかぬのう」
忠勝と直政から不在の間の経緯を聞いて、家康は愚痴が零れた。ただ、これは心理的に余裕のある証だ。天下分け目の大戦が眼前に迫っても、気負っている風には見えない。
家康は扇子で胸元をパタパタと扇いで一時の涼を味わうと、すぐに武人の顔に戻って明かした。
「これより開く軍議にて、『大垣は捨てて佐和山を目指す』と皆の前で伝える。だが、それこそ敵を城から引き剥がす囮よ」
現在、大垣城には西軍の実質的大将の石田三成を始めとした伊勢・美濃方面担当の大名が集結している。攻城戦を不得手としている家康は、自らの得意な野戦に持ち込む構えだ。
東軍に参加している大名の中には西軍と通じている者も居るだろうし、西軍から放たれた間者も陣中に紛れているだろう。敢えて偽の情報をばら撒くことで、西軍が城から出るよう仕向けるのが狙いだ。
直政が大垣周辺の絵図を広げると、家康は徐に口を開いた。
「相手は恐らく、我等の行く手を塞ぐように布陣する筈だ。大軍が展開するに相応しい地は……」
扇子の先で示したのは、関ヶ原。北国街道と東山道が交わり、伊勢方面に通じる道も通っている交通の要所である。小高い山々に囲まれているが、ある程度開けた土地もあるので陣を敷くには格好の場所だ。
「敵は必ずこちらの誘いに乗る。明日は天下獲りに向けた大一番になるだろう」
「どうして分かるのです?」
忠勝が訊ねると家康ははっきりとした口調で答えた。
「儂が三成の立場なら、そうするからだ。不安要素は幾つかあるが、政敵を除ける可能性が最も高いからな」
石田三成は戦功で実績がなく武将としての器量を疑問視する者も多かったが、家康はその三成を自らの立場を脅かす存在と見ていた。
秀吉の側で政策の立案から実務に至るまで、幅広く支えてきた三成の豊臣家に尽くす忠誠心は揺るぎない。西国の雄・毛利輝元を総大将に据えることに成功しただけでなく、徳川と対等以上の戦力を揃えてみせた。家康の野望に対抗出来る人物は、石田三成の他に存在しないと言っても良い。
地図を眺めていた家康だったが、顔を上げて二人に声をかける。
「さて、この戦は『豊臣家の内紛』ではなく、『天下分け目の戦い』にしたい。その手立てを考えようか」
「先陣は確か福島侍従でしたな」
直政が悩ましげな表情を浮かべる。
先述しているが、正則は文字通りの『戦馬鹿』だ。手柄を挙げたいとする気持ちが尋常じゃない程に強い。岐阜城攻めでも、共に先陣を任されていた池田輝政に『自分を出し抜いて先駆けした』と因縁をつける始末。他人が自分を上回ることを許せないのだ。
しかも、今回の戦いは憎き石田三成を討てる絶好の機会。この手で討ち取ると躍起になっていると聞いている。先陣は自分だと信じきっており、譲る気は微塵もない。おまけに、思慮に欠けるため政治的な駆け引きも通用しない。非常に厄介な存在だ。
こんな野獣を差し置いて、何が何でも徳川の手で戦を始めたい。家康はそう言っていたが、相当な無理難題である。
「忠勝、何か策はないか?」
いきなり話を振られて忠勝は仰天した。
「某に訊ねるより、直政に聞かれた方が良いのでは……?」
忠勝が謙遜するように言うも、家康は静かに首を振った。
「直政や康政は、万の兵を差配する才がある。なれど、少人数で戦をするならば家中に勇士は多いが、忠勝に勝る者は居ない。だからこそ御主の意見を聞きたい」
思わぬ所で主君から褒められ、忠勝はこそばゆくなる。顎に手を当てて暫し考え込む。
「なれば、こういう策はどうでしょうか……―――」
翌九月十五日、早朝。関ヶ原一帯は濃い霧に包まれていた。
「直政は上手くやれたかのう……」
白く霞んだ先を見つめながら呟く家康。ウロウロと幔幕の内を歩いて落ち着かない様子だ。心配性な性格はこんな時でも顔を覗かせる。
「この陣に姿を見せないので、事は順調に進んでいると考えてよろしいかと」
徳川軍の軍監を務める忠勝が、心配する主君を宥めるように応じた。その声に「そうか」と答えると、家康は床机に腰かける。
ただ、忠勝の発言には半分嘘が含まれていた。当初連れていった百名の内、六十名が戻ってきたと忠勝の元に報告が入っていた。直政本人が帰還してないので事実を伏せたが、半分以上の人数が戻されたのは想定外だった。
今更じたばたしても仕方ないので堂々と構える。駄目なら駄目で、その時に対処法を考えればいいのだ。
と、その時だった。霧の中から突如パラパラと何かが弾ける音が湧き上がった。
音が聞こえた瞬間、座っていた床机から立ち上がって音のした方角を確かめる家康。
「やったか!!」
手応えを感じた声をかき消すように、応戦する発砲音が聞こえてくる。遂に、歴史上最大の合戦が火蓋を切った。
時は少し溯り、九月十五日早暁。まだ太陽が昇る前の宵闇に包まれた中を、直政は百騎の兵を連れて関ヶ原を西へ進んでいた。
「止まれ。何奴だ」
先頭を行く直政に、闇の中から不意に声が掛かる。その喉元には、槍の穂先が突き付けられている。
「怪しい者ではない。徳川家の臣、井伊万千代だ」
直政が名乗ると、闇中の何者かがフンと鼻を鳴らした。相手が家康の右腕として名高い直政と知っても、萎縮するどころか態度を改めるつもりはない。大した男だ。
「拙者、福島家の臣で可児才蔵。存じていると思うが、我等はお主の主から本日の戦で先鋒を任されている。我が主から、抜け駆けする者は何人であろうと斬り捨てよと命を受けている。それ以上先へ進むのであれば……容赦せぬ」
可児“才蔵”吉長は、他家にも知られる有名人だった。柴田家や明智家など仕える家を転じながら、数々の武功を挙げてきた歴戦の猛者である。あまりに活躍するため全ての首級を持てず、死者の口に笹の葉を噛ませて自ら討ち取った証とした逸話が残っている。
しかし、不運なことに才蔵の仕えた家の大半が滅亡していた。そのため年齢を重ねた現在でも一兵卒に甘んじているが、もし仕える家に恵まれていれば大名になっていても不思議でない実力者だ。
「言葉を慎め」
才蔵の警告に、直政は厳しい口調で反論する。
「こちらに居るのは、我等が主君の四男・忠吉様である。此度初陣を飾られ、後学の為に戦の陣立てをご覧になられる。従って、邪魔立てするな」
そう言われてしまえば、流石の才蔵も黙らざるを得ない。自分は陪臣、対して相手は直臣。格の違いは歴然で、止める術はない。
「……陣立てを検分するだけなら、そんなに人数は必要無い。供廻りだけ連れて行けばいいだろ」
才蔵はささやかな抵抗を試みる。主である正則から『誰も通すな』と言われている以上、これだけは譲れない。
その指摘も道理と直政はその場で護衛を四十騎に絞り込み、残りの者は自陣へ戻るよう命じた。才蔵は恨めしく直政が率いる部隊を見送るしかなかった。
「……危なかったな」
才蔵から離れると、忠吉は小声で直政に話しかけた。互いに譲れない意地のぶつかり合いに、胆を冷やしたらしい。
「戦陣では皆気が立つものです。想定の内にございます」
直政は微笑みながら答える。しかし、すぐに表情を引き締めてはっきりと告げた。
「忠吉様は手筈通り、一番後ろへ。これより鉄砲が発射されましたら、脇目も振らず駆けて下さいませ。例え、何があっても決して立ち止まらぬように」
「……しかし、それでは直政が」
心配そうに直政を見つめる忠吉。その気持ちを振り払うように直政は明るく応えた。
「ご懸念には及びません。ここは戦場です。もし私が流れ弾に当たって死ぬようなら、それまでの男だっただけのこと」
身分が高くなっても、常に部隊の先頭に立って突撃してきた直政。数々の修羅場をくぐり抜け、勝ち取った武功の代償で体中に傷を刻んできた男の発言は重みがあった。
「総員、弾込め。引き金を引き次第、直ちに戦場から離脱せよ。忠吉様を死なせるな」
今回の作戦では敵と戦うのが目的ではない。戦のきっかけを作るだけだ。その一点こそ、直政が命を晒して成し遂げるべき事だ。
直政が右手を上げると一斉に銃口を西に向けた。その手が振り下ろされた瞬間、戦が始まりを告げた。
「申し上げます! 宇喜多勢、福島勢へ襲い掛かった模様」
開戦を確定させる報告が入り、胸を撫で下ろす家康と忠勝。直政による奇襲が成功したことに安堵した。
その後も各地の戦況が続々と家康の本陣に届けられた。
藤堂高虎・京極高知勢は大谷吉継勢と激突、黒田長政・細川忠興勢は敵の総大将である石田三成の陣へ攻めかかった。関ヶ原の各地で戦闘が繰り広げられていた。
ただ、入ってくる情報は好ましいとは到底思えないものばかりであった。
「……思っていたよりやるのう」
家康は一言だけ絞り出すように呟くと、目の前に置かれた盤の上に並べられた駒を渋い表情で見つめる。忠勝も報告を受けて駒を動かしているが、主君と同じ思いだった。
戦況は、明らかな東軍劣勢だった。
先陣を横取りされた怒りに駆られて押し出した福島勢だったが、宇喜多勢の猛反撃に遭って逆に前線を大きく後退させた。大谷・小西勢も健闘しており、石田勢は黒田・細川の両勢を軽くあしらっている。島津勢に至っては、合戦に加わっている気配すらない。
特に石田三成は官僚畑一筋、禄も二十万石程度と、今回参陣した大名の中では少ない部類に入る。従って大した戦力を保有していないと考えていただけに、予想外の善戦である。
しかも西軍は松尾山に陣取る小早川、南宮山に陣取る毛利・吉川が戦闘に参加していない。もしこの状況で参戦すれば……東軍は支えきれず、即座に崩壊してしまうだろう。
「南宮山は本当に大丈夫だろうか?」
家康が懸念を示したのは、徳川本陣の背後にある南宮山に陣取っている毛利の大軍だ。
総大将の輝元は大坂から離れられず、一族の秀元を代理で美濃に派遣していた。秀元は齢二十一と若年ながら朝鮮での戦も経験しており、補佐に吉川広家と安国寺恵瓊が付いていた。この二人も独立した大名格であり、二人の軍勢も合わせれば二万と十分すぎる戦力を誇っていた。
もし仮に南宮山から毛利の軍勢が押し出してくれば、徳川本陣の背中を脅かされるのは必至だ。
「それはまず心配ないでしょう」
家康の懸念に、忠勝はあっさりと答えた。
忠勝は南宮山の方を指差すと、家康も忠勝の指した方角に目線を向ける。
「ご覧の通り、南宮山の山頂に毛利、中腹に安国寺、麓に吉川がそれぞれ陣を構えております。もしも毛利が我等の背後を突こうと動こうとすれば、山を下りるだけで半刻は要するでしょう。それともう一つ、吉川が麓を押さえている事こそ肝要です」
「吉川、だと?」
「既に吉川広家は我等に誼を通じております。『全ては安国寺の口先に踊らされただけ、徳川と敵対する意志は一切無い』と主張しており、その証として誓書も送られています」
中国地方の雄である毛利の屋台骨を支えているのは、外交担当の安国寺恵瓊と軍事担当の吉川広家の両者だが、この両者は犬猿の仲であった。特に毛利元就の次男・元春の子である広家は、他所者の恵瓊が家中で絶大な影響力を有していることを好ましく思っていなかった。豊臣家における吏僚派と武闘派の関係と似た状況が、毛利家でも起きていたのだ。
今回の件でも、恵瓊が家中に「徳川を討てば毛利が天下人になれる」と積極的に説いて回った結果、輝元が西軍の総大将として大坂に入ることを決断した。しかし御家存続を第一に考える広家は危ない橋は渡りたくないと、秘かに東軍へ使者を送って恭順の意向を忠勝に伝えてきた。その後、二人の間で『不戦の暁には本領安堵』の密約が交わされていた。
「例え毛利と安国寺が山を下りても、麓を固める吉川が行く手を塞いでいるので、南宮山から出ることは適いません。ですので、南宮山は数こそ多いですが案山子も同然」
恵瓊は毛利の軍勢を率いる秀元の戦意が揺らがないよう、側に控えていたかったのだろうが、吉川が寝返っているとは考えていなかったに違いない。二万の兵が南宮山に釘付けとなるのは戦力で劣る東軍からすれば大きい。
「……だが、戦は何が起きるか分からない。用心の為に押さえの兵を置いておこう」
家康は後方に控えていた池田輝政と有馬豊氏の兵五千を配置することを即決した。両軍へ指示を伝えるべく、陣中が俄かに慌しくなった。
しかし、盤上に描かれている戦況は決して好ましいとは言えなかった。盤を睨む忠勝の表情も、だんだん険しいものになっていく。
西軍は意思統一の図られていない烏合の衆と考えていたが、ここまで強いとは予想外だった。彼等が実力以上に戦えているのは、本気で豊臣家の未来の為に勝とうとする意思の固さの表れだ。
宇喜多秀家は幼少期から秀吉が親代わりとなって育てられ、一時は秀吉の猶子になった。石田三成や大谷吉継も小姓として秀吉の傍らで天下獲りの過程を支え、成長してきた。小西行長も秀吉に見出されて大名になり、朝鮮の戦では外交と先鋒を任された。それぞれ豊臣家に並々ならぬ愛着を持っていた。
それに加えて、石田三成や大谷吉継が禄高以上の手勢を率いてきたのは内政能力の高さが挙げられる。大谷吉継は日本海側随一の取り扱い量を誇る越前敦賀を抱え、船運から多額の副収入を得ていた。小西行長は元々堺の薬商の出、商いに通じている上に切利支丹でもあったので外国との交易を行って利益を上げていた。石田三成も商業都市である堺・博多の代官を任され、実入りは少なくなかった。
家康は禄高の他に入る副収入で目算を誤り、西軍の勢力を過小評価していた。
開戦から一刻が経過しても、東軍劣勢の戦況に変化は見られない。時折石田勢が陣取る笹尾山の方角から、大筒の発射音が微かに聞こえてくる。逐一届けられる報告も、味方の戦死や劣勢を伝えるものばかりで、好転する兆しは見られない。
総勢七万超の軍勢のたった半分の三万五千しか機能していない西軍相手に、五万の東軍が押されている。このままでは、『もしかしたら』の事態が起きないとも限らない。
床机に座る家康も、いつの間にか親指の爪を噛んでいた。言葉数も開戦当初から比べて激減している。自分の思い描いた展開に幾つか予期せぬ誤算が重なり、脳内で様々な感情が複雑に絡み合っているのだろう。
家康も現状を挽回すべく策を打っていた。激戦の続く笹尾山の方面に加藤嘉明や竹中重門の軍勢を増援に充て、苦戦気味の大谷勢に寺沢広高勢を送る。徳川軍の松平忠吉や井伊直政にも出撃の準備を命じた。
だが、第二陣を投入したものの効果は薄く、各地から入る報告は芳しくない内容ばかりだった。
前をじっと睨みながら懸命に策を考える家康だったが、不意に噛んでいた親指を唇から離すと忠勝の方に顔を向けた。
「……忠勝、ここは我が軍を引―――」
「―――何と!?『我が陣を前方へ押し出せ』と!!流石は殿で御座います。その英断にこの忠勝、感服しております!!」
主の言葉を遮るように、忠勝は声を張り上げた。周囲の者も忠勝の声を聞いて、納得の表情を浮かべる。
陣を後退させれば、『味方はそんなに押されているのか』と交戦中の味方に動揺を与え、戦意が鈍る恐れがある。ただでさえ敵に押され気味にある中で動揺が全軍に波及すれば、何とか持ち堪えている前線が崩壊しかねない。ここは虚勢を張ってで、も強気を演じて味方を鼓舞しなければいけなかった。
忠勝の先走った発言は既に徳川本陣の兵士達に広く伝わっており、今更前言を翻すような雰囲気ではなかった。
「……おのれ忠勝。恨むぞ」
主君から恨み言を漏らされたが、忠勝は無言で頭を下げるに留めた。恨み言なら幾らでも引き受ける所存だ。
本陣を前へ押し出すために陣中が慌しくなる中、忠勝は腕組みしながら盤の上の駒を見つめていた。
(……そろそろ頃合、か)
床机に座っていた忠勝が、覚悟を固めた表情で立ち上がる。直後、驚いた様子で家康が忠勝の方を見た。
「何処へ行く?」
「某も出撃致します」
本多家の軍の大半は嫡男の忠政に預けているので忠勝が率いる手勢は五百名程度だが、梶勝忠を始めとした強者が揃っている。
忠勝の勘が“勝負所”と言っている。自らの勘を信じて、出撃しようとしていた。
だが、家康から思いがけない言葉が飛び出した。
「ならぬ」
短く、強く、はっきりと家康は発した。
まさか主君から止められるとは考えてなかったのか困惑する忠勝に、家康はさらに言葉を重ねる。
「お主は我が徳川にとって切り札だ。場は多少荒れているが、まだ手札は残っている。戦が始まってまだ一刻しか経っていないのに、奥の手を切る局面ではない」
普段賭け事を嗜まない家康が、そのような表現を使うのは異例中の異例だが、たった五百の少勢を切り札と断言したのは忠勝に対する絶大な信頼の裏返しだった。主君からそこまで言われては、流石の忠勝も腰を下ろさざるを得なかった。
しかし、依然として東軍不利な状況に変化はない。しかも、笹尾山の石田勢と小西勢の中間にある島津勢二千は一刻を経過しても戦闘に加わる気配を見せておらず、関ヶ原の南方にある松尾山に布陣した小早川勢も静観を貫いている。
小早川の当主秀秋は二十一歳の若年ではあるが、太閤秀吉の正妻・寧々の親類で一時は実子の無い秀吉の養子になった。その後、西国の雄である小早川の養子となり家督を継ぎ、朝鮮出兵にも参加している。ただ、朝鮮での行いに不届きがあったとして、筑前名島三十万石から越前北ノ庄十五万石に減封の処分を受けた。しかし、この処分は太閤逝去の後に解除され、筑前筑後の内で五十九万石に加増されている。
朝鮮出兵で処罰を受けてから石田三成と距離を置いており、その間隙を突く形で家康が秀秋に接近。内々に東軍へ寝返る約束を取り付けた。小早川勢一万五千が敵から味方に転じるのは大きい。
だが、小早川の矛先が東軍へ向けられたとすれば……辛うじて踏み留まっている戦況は一気に西軍へ傾くだろう。そうなれば、南宮山の吉川も掌を反して徳川の背中へ襲い掛かるに違いない。
逆に松尾山の麓に陣取る大谷勢へ雪崩れ込めば……戦力の均衡が大きく変わり、一転して東軍優勢に覆る。どちらにしても、両軍の運命は小早川がどちらの天秤に乗るかに懸かっている。
戦場独特の息遣いを肌で感じながら、忠勝は松尾山の方角を睨んだ。松尾山は静寂を保ったまま、林立している小早川勢の旗が風にはためいていた。
開戦から一刻半、関ヶ原のあちこちで激しい戦いが繰り広げられているが、依然として両軍は決定的な勝機を見出せていない。
徳川本陣が前方へ押し出されたことにより、宇喜多勢を相手に苦戦していた福島勢が息を吹き返した。各地から入る報告も好転しており、奮闘していることが伝わってくる。ただ、完全に覆したとは言い難く、五分に戻したといった所か。
戦況が膠着しているのを苦々しく感じているのは敵方も同様らしく、笹尾山から合図と思しき狼煙が何度も上がっていた。狼煙の対象は南宮山の毛利勢と松尾山の小早川勢と推察されるが、どちらも静観していた。石田勢の隣に布陣する島津も戦闘に加わろうとしていない。
総大将の家康も刻一刻と苛立ちが募り、表情が険しくなってきた。
数多の合戦を経験してきた家康だが、ここまで先の見通せない戦は過去に経験が無かった。大抵の場合は一刻も経過すれば戦況ははっきりするものだが、西軍優勢ながら不安定要素が幾つも含まれている為にまだどちらへ転ぶか分からない。それも自分の手でなく他者の手に運命が委ねられているというのが、余計に腹立たしく感じているらしい。齢五十九にして、何故このような事態に陥っているのか悔しい思いも含まれていると推察される。
忠勝もまた主命に従い主君の側に控えているが、焦燥や苛立ちが混在している複雑な表情の主君を目にするのは初めての経験だった。……よくよく振り返ってみれば、戦に参陣している時はいつも戦場に居た。こうして主君の顔をじっくり眺める機会は新鮮に感じた。
「小早川はまだ動かぬか!!」
松尾山の小早川秀秋とは事前に『葵の紋が入った大旗が振られたら、山を駆け下りて西軍を攻撃せよ』と取り決めを交わしていた。さらに、裏切りが確実に履行されるのを見届けるべく、徳川家の家臣と黒田長政の家臣が小早川勢の陣中に派遣されていた。
「いえ、まだ……」
忠勝は困惑したように言葉を濁す。
先程から何度も松尾山の方角に向けて大旗を振っているが、黙殺されていた。恐らく勝ち馬に乗ろうという魂胆なのだろう。小早川にはこちらへ寝返らせるべく大幅な加増を約束したが、それでも動かないのは敵からも相応の見返りが提示されているからに違いない。
筑前五十九万石、総勢一万五千の兵は今の状況では喉から手が出るくらいに欲しい存在だ。小早川が旗幟を鮮明にすれば、その瞬間から形勢は大きく変わる。
家康からすれば、孫くらい齢の離れた若造に自らの命運を握られている状況を快く思っている筈がない。
思い返せば、家康の半生は忍従の連続だった。幼い頃は尾張・駿河で人質として過ごし、青年期は武田との壮絶な死闘で神経をすり減らし、壮年期は同盟とは名ばかりの隷従を強いられ、ようやく解き放たれたと思えば成り上がり者に先を越された。
小牧長久手の戦いでは明らかに勝っていながら秀吉の政治力で引き分けにされ、最終的には後塵を拝す形で臣下の礼を取った。それから十二年の間、律義者の皮を被って時が訪れるのをひたすら待ち続けた。堪え忍ぶことは慣れていたが、いつまで続くか分からず天下獲りの野望を捨てようと思ったことも数知れず。それでも時が過ぎるのを必死に堪えた。
そして、秀吉が逝去したことでようやく巡ってきた天下獲りの機会。懸命に策を用い、地道に天下獲りの下地を着々と積み上げてきた。それが―――あと少しで手が届く段階になっても、身を焦がすような労苦を味わうとは思わなかった。
三河一国を治める弱小大名の時代から付き従っている忠勝も、主の気持ちが嫌でも伝わってきた。何とかしたい気持ちは山々だが、今の自分ではどうすることも出来ない。ただ側で戦況を静かに見守る他にない。
「忠勝!!」
怒りを含んだ声で呼ばれ、ビクッと体を震わせる。そんな忠勝の反応に目もくれず、烈火の如き憤怒の形相で荒々しく告げる。
「松尾山の山頂へ向けて空鉄砲を撃て! あの山に篭もる若造を、何としてでも戦場へ引き摺り出すのだ!!」
「殿、それは……」
あまりに無謀かつ乱暴な命令に忠勝は尻込みする。下手をすれば『敵意あり』と捉えて、兵をこちらに差し向ける恐れがある。辛うじて踏み留まっている味方に小早川一万五千が押し寄せてくれば、間違いなく間を置かず崩壊するだろう。その時こそ、家康が長い年月をかけて積み上げてきた実績も名声も雲散霧消する瞬間だ。賭けと呼ぶにはあまりに危険な選択と言える。
何とか思い留まるよう説得を試みようと思ったが、主君が鬼の形相で睨むため忠勝は言葉を飲み込んでしまった。そして家康も忠勝が何を言いたいか即座に理解したらしく、口答えする家臣を一喝した。
「やかましい!!今日に至るまで天下を獲るべく幾つも博打を打ってきたのだ!!今更一つくらい増えても大差ないわ!!」
逡巡している忠勝に興奮した様子で言い放つ家康。確かに、これまで自らの野心を実現するべく危ない橋を幾つも渡ってきた。この戦いに敗れれば無に帰すし、勝てば全てが手に入る。
それは家臣である忠勝も同じだ。家康の立身出世に伴い、忠勝の身代も大きくなってきた。主君と家臣はどんな時も一蓮托生。それは仕えて以来一貫して変わっていない。
家康が発した命令は無茶苦茶にも聞こえるが、道理でもある。それに主命は絶対であり、拒むことは許されない。
「……承知致しました。直ちに支度を整えます」
これ以上言い募っても感情を逆撫でするだけと判断した忠勝は席を立った。鉄砲放ち手が二十人程度の一部隊を編成させて、松尾山の麓へ向かうよう手筈を整える。
あとは、野となれ山となれ。こうなれば物事が上手く転がるように祈るだけである。
正午前、松尾山の麓から鉄砲の斉射音が湧き上がった。山頂まで到底届く筈がないのだが、家康が怒っていることを表す示威行為には充分だった。
発射直後は目立った動きは見られなかったが、暫くして松尾山の山麓に乱立している旗が揺れ動くのが捉えられた。
明らかに行動を起こす前兆だが、果たして静観していた小早川がどう出るか。
「松尾山に動きがありました!」
小早川勢の異変は徳川本陣へ直ちに届けられる。それは幔幕の内に居た家康と忠勝にも見えていた。
松尾山の山頂から法螺貝が鳴らされると、喊声が上がり軍勢が駆け下りていく。松尾山の下では大谷勢と藤堂勢が一進一退の攻防を繰り広げている。小早川の矛先が向けられるのは大谷勢か、藤堂勢か。固唾を呑んでその行方を注視する。
小早川一万五千の矛先が向けられたのは―――大谷勢の方だった!
「申し上げます!!松尾山の小早川勢、寝返り!!」
直後、物見に出ていた兵が陣中に駆け込んできた。その報告を聞いて、今目の当たりにしている光景が現実のものだと確信した。
今日初めて勝機を掴んだ家康は高揚感から頬を上気させ、興奮した面持ちで立ち上がる。
だが、大谷吉継は小早川勢の裏切りを最初から想定したようで、松尾山の方に遊撃部隊を展開させて数で圧倒する小早川勢を逆に押し返した。その見事な采配振りに忠勝も唸る。
しかし、小早川の寝返りで別の方向に大きな作用をもたらした。小早川勢裏切りに備えて松尾山の麓に配置されていた脇坂安治・小川祐忠・赤座直保・朽木元綱の四将四千が、小早川勢の動きに呼応する形で大谷勢の脇腹へ攻撃を仕掛けたのだ。四将による想定外の裏切りに、流石の大谷勢も堪え切れず大波に呑まれるように崩壊。その影響は隣接する小西行長の陣にも波及し、そのまま西軍全体に広がっていった。
「今ぞ!!旗本勢を宇喜多へぶつけよ!!」
家康は立ったまま下知する。温存していた徳川本隊を投入、一気に片付けるべく勝負に打って出た。南から大谷勢を撃破した小早川勢、東から息を吹き返した福島勢と徳川本隊の両面から攻められた宇喜多勢は支えきれず瓦解。小西勢も傾いた勢いに呑まれるように敗走した。唯一戦場に残された石田勢も態勢を立て直すことは適わず、大将の三成は秘かに伊吹山方面へ脱出した。
こうして、小早川の裏切りから僅か半刻で、天下分け目の合戦は大勢が決した。
笹尾山の石田勢との戦いも決着がつき、戦乱の渦の中にあった関ヶ原一帯も落ち着きを取り戻しつつあった。抵抗する者も居なくなり、事態はこのまま終息に向かう……と誰もが信じて疑わなかった。
しかし、まだ終わっていない。決着した頃合で動き出した軍勢があった。
それは、島津勢。
薩摩・大隅を領する島津は鎌倉時代から続く由緒ある名家で、その兵はとても強いことで知られ、一時は九州全土を席巻する勢いだった。先日の朝鮮出兵でも無類の強さを誇り、明や朝鮮の兵から恐れられた逸話が数多く残っている。
その島津は西軍に参加していながら開戦してからずっと中立を保ち、近付いてくる兵を敵味方問わず発砲して追い返すだけで静観を貫いていた。自ら攻撃しないと分かった東軍諸将は、島津を放置して他の西軍諸侯に殺到した。戦の大勢が決した後も、東軍諸将の多くはその存在を見落としていた。
一貫して沈黙を貫いていた島津勢二千だったが、大勢が決してから俄かに動き出した。関ヶ原の中央に陣取る東軍の軍勢へ向けて、進軍を開始したのだ。
当初、島津勢の動きを東軍諸将は傍観するに留めた。合戦の大勢が決した今、島津に手を出しても益は薄いと見たからだ。
東軍諸将の脇をすり抜けるように通過していくが、その先に待ち構えるのは徳川勢。数十倍の敵が目の前に居るのを承知の上で、島津勢はさらに前進を続ける。その速度は緩むことなく、猛然と突き進んでいく。徳川家家臣の軍勢や旗本勢の先にあるのは……家康が居る本陣だ。
「申し上げます。島津勢二千、我が方へ向けて進軍しています」
「捨て置け。今の島津は死兵。下手に手を出せば損害は必至だ」
家康も始めの内は気に留めなかったが、距離が詰まると放置しておけなくなった。向かって来る以上は、迎撃しなければ示しがつかない。徳川本隊の最前線に居た小笠原・井伊の両部隊が島津の行く手を塞ぐ。
しかし島津勢は鉄砲を撃ち放ち、騎馬で両部隊を蹂躙するように突破。続く旗本勢の分厚い壁もものともせず切り裂いていく。
刻一刻と迫る島津の勢いに、忠勝は強い危機感を抱いた。このままでは半日に渡った激戦の末に手に入れた勝利が危うくなる。
「殿、某が参ります」
戦巧者の直政でも止められなかったのであれば、自分が出るしかない。並々ならぬ決意を察して家康も頷く。
「頼む」
短い言葉だったが、その一言こそ忠勝を発奮させる魔法の言葉だった。
忠勝は無言で一礼してから主の前を辞した。徳川にとって正念場を迎えた今、ようやく忠勝にとって戦が始まろうとしていた。
自らの部隊に戻ると、兵士達が慌しく臨戦態勢を整えていた。朝から行われていた合戦では控えに甘んじていたが、突然巡ってきた出番にも動じることなく着々と準備が進められていた。
「状況は」
忠勝が訊ねると、不在だった隊を束ねていた梶勝忠が応じた。
「只今旗本勢が懸命に食い止めていますが、島津勢は速度を落とさずこちらへ向かっています」
敵中を突破するとは、何と大胆不敵な行動か。一見無謀とも取れる暴挙だが、これこそ島津の流儀なのだろう。九州の大名達を震え上がらせた島津の強さは、今も衰えてないと考えて良いだろう。
前方から喊声や発砲音が絶え間なく聞こえてくる。ここからは見えないが、皆懸命になって島津を止めようと奮闘している様が感じられる。井伊や小笠原、徳川家直属の旗本勢が全力で応戦し、さらに松平忠吉勢も後方から撹乱を試みているのだろう。しかし、刻一刻と音の発生源が近付いているのが分かる。
状況を確認すべく部隊の最前線に出た直後、目の前の人垣に割れ目が生じた。その小さな隙間は徐々に大きく広がり、その間から一塊の集団が姿を現した。旗指物こそ見当たらないが、島津の兵に相違ない。全員が脇目も振らず前方だけ見つめ、瞳には殺気を灯しながら歩みを進めている。『寄らば倒す、塞げば倒す』と全身から発せられる気からヒシヒシと伝わってくる。
旗本勢と本多隊の間には、僅かながら空間が広がっていた。ただ、本多隊のすぐ後ろに家康が居る本陣があり、ここを抜かれれば主君の身に危険が及ぶ可能性が高まる。是が非でも通す訳にはいかない。
「鉄砲衆、弾込め」
配下の鉄砲衆に準備を命じるが、死を覚悟して突っ込んでくる敵を相手にして、五十に満たない数の鉛玉で島津の勢いが鈍るとは考えにくい。文字通り、体を張って止めるしか手立てはない。
「発射後は直ちに刀槍に持ち替え、足軽勢と共に行動せよ。追って指示を伝える」
鉄砲は一発撃つと次弾の装填が完了するまで役に立たない。前衛に留まっても足を引っ張るだけなので、早急に後方へ下げる。あとは真正面からぶつかり合うだけだ。
ここに至るまで多少は数を減らしているだろうが、それでも島津勢の方が人数では上だろう。たった五百の少勢で止められるとは思ってないが、少しでも出足を鈍らせて時を稼ぐしかない。
島津も生き延びる為に負けられないのだろうが、それはこちらも同じだ。万が一にも主君の命が脅かされるような事態になれば、折角の勝ち戦に傷がつく。この小さな傷が今後の天下獲りへ向けて足枷になるとも限らない。徳川の威信に賭けて、ここは全力で死守させてもらう。
「くれぐれも油断するな。敵は無類の強さを誇る島津であることを胆に命じておくように」
それだけ伝えると忠勝は曳かれて来た馬に跨る。今回連れて来たのは“三国黒”。秀忠より拝領した馬で、荒々しい性格と力強い走りは初代黒夜叉を彷彿とさせた。手にするのは長年の相棒である“蜻蛉切”、鹿角脇立兜を締め、黒糸威胴丸具足を身に着け、首から大数珠をぶら下げる出で立ちに変わりはない。
迫り来る脅威に、恐怖は微塵も感じなかった。むしろ、老境に差し掛かる身でありながら強敵と相見える幸せに体を震わせていた。
徐々に相手の人相が把握出来る距離まで近付き、忠勝は静かに左手を上げた。
「鉄砲衆、構え……放て!!」
左手を振り下ろした瞬間、耳を劈く轟音が鳴り響く。島津勢の先頭を行く武者の内で何名か落馬したが、猛進してくる勢いに陰りは見られない。あの島津が鉄砲玉如きで怯むとは思ってなかったので、想定の範囲内だ。
右手に持っていた蜻蛉切を天高く掲げると、腹の底から咆えた。
「我等の強さを示す時ぞ!!突撃!!」
忠勝が先陣を切って駆け出すのと同時に、背後から地を揺らさんばかりに鬨の声が上がる。忠勝の意気に部下も負けず劣らず奮起していることを確かめ、安堵した。
こちらの動きを察知して、島津勢の一番先頭に居た武者が単身で突出してきた。大太刀を肩にかけながら悠々と進み出る様から、戦の経験豊富な猛者であることが一目見ただけで窺える。
ならば、自分もそれに応じるしかあるまい。
忠勝も部隊から頭一つ抜け出したので、自然と一騎打ちの形になった。相手の顔がはっきり分かる間合いになって忠勝は驚いた。南国の者特有の灼けた肌、白く染まる髪や髭、顔には深い皺。明らかに自分より年上と思われる人物だった。老武者は嬉々とした表情を浮かべてこちらを眺めている。
三国黒を走らせたまま、老武者へ蜻蛉切を突き出す―――が、蜻蛉切の穂先は相手に届かなかった。直前で大太刀に払われ、切っ先を僅かに逸らされてしまった。
「ほう。儂の一太刀を堪えるとは……」
顎から伸びる髭を撫でながら、野太い声で感心した風に呟く老武者。一方の忠勝も表情に出さなかったが、内心では大層驚いていた。
全力でないにしても、七割方で突いた槍を撥ねられた経験は過去に数える程度しかない。しかも、相手は片手で軽く薙いだだけだ。歴戦の猛者が纏う独特の気を発していたが、その実力は忠勝でさえも計り知れなかった。
「どれ、ならばこちらから参るとするか」
まるで碁を打つような軽い調子で呟くと、老武者は斬撃を繰り出してきた。ヒュッと空気を裂く風切り音と共に刃が忠勝を襲うが、その一撃は重たく受けた手が軽く痺れる程だ。急所を的確に狙いながらも大太刀を振る所作に無駄は無く、重量のある大太刀をまるで棒切れを振るように軽々と扱っている。常識外れの怪力と言っても良い。
防戦一方の苦しい状況が続く中、忠勝は懸命に反撃の糸口を探る。徳川家で一番の武辺者を自認する身であり、このままで終わる訳にはいかない。
(今だ!)
連撃の後に斬り下ろされた太刀を渾身の力で強引に払い除け、返す刀で鋭い刺突を放つ。
しかし、老武者は巧みに手綱を捌いて忠勝の一撃を器用に避ける。そのまま間合いを空けて互いに睨み合う形となった。
息つく間もなく続いた攻防が一段落すると、老武者はいきなり呵々と笑い始めた。
「はっはっは!!流石は太閤から“天下無双”と評された男だ。世の中には看板倒れな偽者の武辺者が掃いて捨てる程に居るが、噂に違わぬ実力だ。いや、愉快愉快」
どうやら老武者は自分のことを知っているらしいが、勝手に納得して楽しまれても困る。豪快な笑いが収まると、拍子抜けした顔で見つめられているのを察知したのか、老武者は忠勝の方に向き直った。
「久方振りに本物の武辺者と会えてつい興奮してしまった、失敬。貴殿の武名は遠く薩摩にも届いておる。会えて嬉しいぞ、本多平八郎。儂の名は島津義弘、今は入道して惟新斎と号しておるがな」
……とんでもない大物ではないか。滅多に驚くことのない忠勝も流石に面喰った。
並外れた腕力、戦慣れした体捌き、体から滲み出る雰囲気。名前が判明すると謎が全て氷解した。相手は島津勢の総大将で、その名は広く知られる猛将・島津“又四郎”義弘。
島津家の当主義久の実弟で、島津家が九州全土に勢力を拡大するのに大きく貢献。采配を振るうだけでなく、自らも戦陣に立ち武功を挙げてきた。秀吉による圧倒的物量と兵力差を前に屈することとなったが、二度に渡る朝鮮出兵でもその強さを如何なく発揮。その無類の強さから、現地で『鬼島津(石曼子)』と呼ばれ恐れられた逸話が残されている。
今回の戦いでは当初懇意にしていた家康に恩を報いるべく伏見城へ入ろうとしたが、何も知らない鳥居元忠がこれを拒絶。仕方なく西軍に属することとなったが、小勢と侮った三成から心ない仕打ちを受けたことから中立を決断。ただ、惟新斎の紆余曲折は忠勝の知るところではない。
「惟新斎殿、既に勝敗は決した。大人しく矛を収められよ」
「……天下無双の本多平八郎ともあろう者が何を寝惚けたことを申すか。戦はまだ終わっておらん」
忠勝が説得を試みるも、惟新斎ははっきりとした口調で断言した。
「これ以上争っても無駄な血を流すだけで、何も生まれない。そもそも目的を果たした我等は、合戦時に動かなかった貴殿達に敵意は持ってない。何故そこまでして戦うのだ?」
「決まっておろう。“島津は退く際も敵に背中は見せない”、島津の流儀を貫くまで」
堂々と宣言した惟新斎の表情は、清々しいものだった。自らの意地を通す為だけに無謀とも取れる強攻策を選ぶ。その潔さは感服するが、巻き込まれる側からすれば迷惑な話だ。
「邪魔立てするなら全力で排除する。それが雑兵だろうと天下人だろうと同じ。曲げず、押し通る。我等を止めたければ、最後の一人まで倒してみよ」
そう告げると、惟新斎は再び大太刀を構える。話は終わりだと態度で示していた。
周囲では本多勢と島津勢が入り乱れて戦っている。大将同士の一騎打ちに割り込んでくる無粋な輩は一人も居ない。尤も、乱入すれば瞬く間に返り討ちにされるのが目に見えているが。
惟新斎の決意に一点の揺らぎはなく、心臓が止まるその時まで前進を続けるだろう。本来であれば関わらないのが道理だが、主君の命がかかっているのでは避けて通る訳にもいかない。売られた喧嘩は買わなければ臆病者の謗りを受ける。忠勝としても三河武士の意地に賭けて応じなければならない。
蜻蛉切の柄を握り直し、間合いを保ちながら三国黒を歩ませる。対する惟新斎も愛馬をゆるゆると進ませながら、忠勝を牽制する。その様に一寸の隙も見られない。数多の戦場を生き抜いてきた猛者はやはり呼吸から違う。
互いに相手の出方を伺っていたが、惟新斎が不意を突いて距離を詰めてきた。闘気を微塵も漂わせず動いてきたが、忠勝も冷静に待ち受ける。袈裟がけに一閃された一太刀を槍の穂で弾くと、続け様に二の太刀を出してくるので手綱を引いて避ける。惟新斎に僅かな隙が生まれたので槍を繰り出したが、大太刀を素早く返して応じる。
たった数合のやりとりで、蜻蛉切を握る手が微かに痺れるのを感じた。
(……この入道、化け物か)
齢五十二を数える自分より、明らかな年長者と思われる惟新斎の底知れぬ体力と桁外れな破壊力に内心舌を巻いた。
実際惟新斎はこの時六十七歳と忠勝より十五も上だったが、息も乱さず疲れも見せず、それどころか命のやりとりを楽しんでいる節さえ見られた。並の者なら腰が曲がり脚力も衰えるのに、筋骨逞しく若者と対等に張り合える強靭な肉体を保っていた。おまけに、惟新斎は分厚い東軍の壁を突破して今に至っている。常識では考えられない超人としか言い様がない。
惟新斎は顎に手を当てて不敵な笑みを浮かべていた。
「朝鮮でも軟弱者ばかりでつまらない思いをしたが、このような場で心躍る相手と巡り合えるとは夢にも思わなかったわ。さて……まだまだ楽しませてくれよ、平八郎殿」
勝手に盛り上がっている所恐縮だが、戦塵の中でしか生きられない戦闘狂ではない忠勝としては勘弁願いたい心境だ。懸命に隠しているが、体力の限界が近付いているのが分かる。どれだけ保つか定かでないが、このままでは間違いなくジリ貧だ。
惟新斎が大太刀を構え直してこちらへ歩みを進めようとした、その時―――二人の間に一発の銃声が割り込んできた。
直後、忠勝が乗る三国黒が突如膝を折り、馬上の忠勝も地面へ投げ出された。咄嗟に受身を取って大事に至らなかったが、具足や顔に泥が付着する。すぐに起き上がって蜻蛉切が離れてないことを知ると、すぐさま周囲を威嚇する。一瞬の油断で生死が分かれる戦場にあるので忠勝も必死だ。
「誰ぞ!!」
突然の闖入に気分を害した惟新斎が、声を荒げて叫ぶ。
音のした方角に目を向けると、馬上でまだ煙の上がる鉄砲を構えた一人の若武者が佇んでいた。
「何をするか又七郎!!」
折角の楽しみを邪魔された惟新斎が鬼気迫る勢いで糾す。
島津“又七郎”豊久。義弘の弟・家久の子でこの時三十歳。島津が九州全土へ勢力を拡大する中で初陣を果たし、以後数々の戦いで従軍している。島津一族ながら自ら前線に出て武功を挙げており、義弘も目覚しい活躍を続けている若い甥に篤い信頼を置いていた。
「叔父上、潮時にございます」
「馬鹿なことを申すな! 儂にこのまま退けと言うのか!」
今にも手にした大太刀で斬り掛からんばかりに殺気を放つ惟新斎の迫力に、豊久は動じることなく答える。
「もう充分に島津の意地は示しました。これ以上の戦いは無意味です。逃れるなら今しかありません」
「笑止!!敵に背中を見せるくらいならこの場で腹を切るわ!!」
「……残念ながら、そういう訳にもいきません」
頑として聞き入れない惟新斎に、豊久は諭すように続ける。
「皆、旗頭である叔父上を薩摩へ帰す為に命を捨てる覚悟で戦っております。故に、叔父上には是が非でも生き延びてもらわなければなりません。先に逝った同朋の為にも、ここは信念を曲げて退いて下され」
淡々と語りかける豊久の言葉に、惟新斎も胸を衝かれる。本来、島津家は中央の覇権争いに介入する気は無かった。それを京に滞在していた惟新斎が自らの一存で参加することを決め、惟新斎の呼び掛けに応じた勇士が遠く薩摩から馳せ参じた次第だ。この場に居る兵は当主義久の命令でなく、惟新斎の心意気に賛同して参加したのだ。
そして兵達も大将である惟新斎が敵に討たれることを恥と考え、島津の意地を貫こうとしていた。自らの行動で少なくない同朋を巻き込んだ顛末を見届ける義務が、惟新斎にはある。
「……分かった」
島津勢の命運を背負っている以上、自分一人の我儘に固執する愚は犯さない。重々しく頷いたのを確かめると、豊久は告げた。
「退路を拓きます。殿は私にお任せを」
「……頼む」
惟新斎の同意を確かめた豊久は、忠勝の方に向き直る。
「……本多殿。このような仕儀に至りましたので、この勝負は次の機会まで持ち越しとさせて頂きます。では、御免」
まず、惟新斎が馬首を翻して南の方角へ離脱する。その後を島津の士卒が続々と追っていく。馬上で太刀を抜いた豊久は切先を忠勝の方に向けて対峙していたが、味方が退いたのを確認すると軽く一礼して立ち去っていった。
「平八郎様!!」
豊久の姿が見えなくなるのと入れ替わりに、梶勝忠や家臣達が一斉に駆け寄ってきた。
「お怪我は!?」
「大事ない。それより、当方の被害は?」
「まだ詳細は掴めていませんが……軽微とは言い難いです」
周りを見渡せば、敵味方問わず地面に伏している人があちらこちらに散見される。息のある者も呻き声を発していたり、傷口を押さえて痛みに耐えていたりと、地獄絵図のような光景が広がっている。忠勝の元に近付いてきた家臣達も、激戦を象徴するように皆揃って汚れている。
「承知した。今から殿に報告へ伺うため暫し離れる。皆は負傷した兵の手当てに尽力せよ」
「あの……島津は如何します?」
「放っておけ」
おずおずと訊ねた梶勝忠に、忠勝は即答した。
「今の島津は、瀕死の瀬戸際の手負い獅子と思え。無闇に手を出せば、刺し違える覚悟で誰彼構わず噛み付く。そんな相手に関わっても痛い目に遭うだけだ。絶対に深追いするな」
「……畏まりました」
忠勝の言葉に、家臣達は一礼してから離れていった。そして、自分もずっと片膝をついていたことを思い出してゆっくりと立ち上がるが、自分の体が金属のように重く感じた。惟新斎との激闘で心身共に負担がかかっていたことを、改めて痛感させられた。
島津勢は家康の本陣手前まで迫ると、急転換して南の伊勢街道へ向かった。それを逃すまいと徳川勢が追撃を仕掛けるが、島津勢も決死の抵抗を試みた。
少人数が最後尾に留まると、鉄砲を放った後に追撃してくる敵に突貫する捨て身の戦法で時間を稼いだ。その結果、豊久を始めとする島津勢の有力武将が数多く討たれたが、惟新斎は無事に薩摩へ戻ることが出来た。徳川方も井伊直政が狙撃され重傷、松平忠吉も負傷するなど多大な損害を出した。井伊直政はこの時受けた傷が原因で、後に病死している。
この“捨て奸”と呼ばれる戦法は、島津の恐ろしさと強さを全国に改めて知らしめることとなった。
両軍合わせて十五万人を超える軍勢が参加した天下分け目の大戦は、たった一日で雌雄を決した。関ヶ原の合戦に勝利した家康は、以後天下人として政事に邁進していくことになる―――