第一話:カフカとハイチ




 「なぁ、敦」
 「どうした、翔」
 翌日の休み時間、同じクラスで友人の平野 翔太[ひらの しょうた]が話しかけてきた。入学して間もない時期に翔太が読んでいたラノベがちょうど俺も読んでいたのがキッカケで話しかけ、話していく内に読む本の傾向でも意気投合して一気に距離が縮まった間柄だ。活動実体が存在してるか疑わしい読書倶楽部の一員でもある。
 「お前さぁ、川辺と付き合ってるのか?」
 いきなりとんでもない爆弾を放り投げてきて噴き出す。ちょうど茉里奈も所用で席を外しているタイミングであったが、突拍子もなく投げつけられた爆弾は見事に炸裂して俺の心に大ダメージを与えた。乱れた呼吸を整え、返事を返す。
 「い、一体どういう根拠でそういう話になるんだよ……」
 「だってさー、小学校からクラスどころか席も離れ離れになったことが無くて、部活も川辺が放課後に用事がある時だけ顔出しているって感じだし、登下校も一緒。家も隣同士で頻繁にお邪魔しているんだろ?川辺も敦のこと嫌がっている節は見られないし、こういう関係性って世間一般的に交際しているのと同じじゃないの?」
 確かに道筋を立てて話す翔の内容にも頷ける。過去を深く知らない身であればそう捉えても不思議ではない。
 だが、これだけははっきりと翔の見方が断じて違うことを伝えなければならない。誤解されたまま他人に話が広がってしまうと、色々と膨らんでとんでもない方向に転がっていく可能性が非常に高い。最悪の事態を招く前にこの場で防ぐことが重要だ。
 「翔の言っていることの大半は合っている。だがな、それは俺と茉里……川辺とは幼馴染なだけであってそれ以上の関係なんかでは決してない!!登下校なのも声を出せないから川辺の親から頼まれて一緒に帰っているだけで、恋愛感情は一切持っていない!!」
 猛烈な勢いで反論する俺の気迫に翔はやや押されて身を引きつつ問い返してくる。
 「……敦の言いたいことは分かった。じゃあ逆に、川辺の世話を面倒とか嫌とか考えたことはあるのか?」
 「いや?特に感じたことは無いかな。どっちかと言うと義務とか役割、みたいな」
 「ふーん……」
 それきり翔は何も聞いてくることなく「分かった」とだけ告げて切り上げた。付き合いはまだ短いけれど他人に面白おかしく話を広げるタイプでないと知っているので、とりあえず彼の疑問に対して納得した様子なので安心した。
 しかし翔は敦とは別の考えに思い至ったことに気付いていなかった。
 話が終わったタイミングで茉里奈が席に戻ってきた。翔は茉里奈を巻き込むつもりは最初から一切無い上で質問してきた辺り、空気の読めるヤツで本当に助かった、と俺は心の底から感謝した。

 金曜日。最後の授業の終わりを告げるチャイムが教室内に鳴り響くと、途端に空気が緩む。運動部の連中は今からが本番かも知れないが、帰宅部の人間にしてみれば放課後から土日と連休が待っている。俺も心持ち軽く帰り支度をしていたら、隣から袖を引かれた。相手は当然、茉里奈だ。
 「どうした?職員室に行くのか?」
 いつものように訊ねると茉里奈は首をフルフルと首を横に振る。するとメモ帳にさらさらと何か書き出した。言葉を発することが出来ない茉里奈は具体的に意思を伝えたい際には筆談で行うので、いつでも使えるようペンとメモ帳を常備している。
 『明日、空いてる?』
 『え、明日?特に用事はないがどうした?』
 『一緒にコーヒー飲みに行かない?』
 続けて提示された内容に驚きを隠せなかった。これまで何度も休日に出掛けることはあったが、コーヒーを飲みに行きたいなんて誘われたことは一度もない。俺の記憶上でもコーヒーを飲んでいる茉里奈の姿を目撃したのはゼロで、大体がお茶かジュースか精々がコーヒー牛乳くらいだった。戸惑いを隠せない俺を尻目にして茉里奈は再びペンを動かす。
 『昔から行ってみたいと思っていた場所があって、高校生にもなったし行ってみようかなー?って』
 なるほど、そういう背景があったのか。納得すると共に茉里奈がそんなことを考えていたとは夢にも思っていなかったので意外だなという印象を抱いた。
 メモから目を上げると小首を傾げて俺を見つめてくる茉里奈の顔があった。大きな瞳が潤んで俺を凝視する様は、ふと子犬が飼い主に遊んで欲しいと懇願するイメージが思い浮かんで慌ててかき消す。茉里奈も気軽に頼める相手が居ないようで、俺が断れば恐らく諦めるに違いない。
 ―――そうなると、答えは一つしかないじゃないか。
 「……まぁ、暇だし別に良いよ」
 返事を聞いた途端、茉里奈の顔にパァッと弾けるような笑顔の花を咲いた。周囲の目を気にして抑え気味ではあるが、相当に嬉しかったらしい。どうして俺を誘うのか一瞬だけ疑問が湧いたが、幼馴染の間柄で頼みやすい関係だし茉里奈が喜ぶのであれば別に良いかと納得した。声の出せない茉里奈が初めての店に一人で足を踏み入れるのは勇気が要ることだし、自分の代わりに注文してもらうなら気の置けない相手なら楽だろう。そう考えれば、必然と俺という選択に行き着く。
 それから待ち合わせの時間だけ決めると、いつもと同じように帰るべく足を踏み出した。心持ち茉里奈の足取りが軽いように映ったので、それだけ喜んでくれることなのかと俺も嬉しい気持ちになった。

 次の日。約束の十時より五分早く家を出ると、もう既に茉里奈が外で待っていた。
 あれ、もしかして時間間違えた!?焦ったが茉里奈の横顔に苛立ちや待たされている感じが出ていないので一安心して、歩み寄る。
 「早いな。結構待ってた?」
 問い掛けると軽く顔を振った。良かったと内心ホッとした思いである。昔のことだが冬で雪が舞う中で少し遅れたことがあった時は物凄く鋭い目つきで睨まれて背筋が凍る体験をしたのが強く印象に残っていた。
 いつも見慣れている制服や自宅で身に着けている普段着でないのが逆に新鮮な気分だ。上はベージュ色のフード付パーカー、下は濃紺のロングスカート、靴も青と白のスニーカー。完全に“お出かけ”って感じの服装である。見た目が変われば雰囲気もガラリと違うんだな、と感心してしまった。まぁ、俺も俺でそれなりに“お出かけ”の恰好をしているからお相子だが。
 目的の珈琲店『カフカ』は自前で珈琲豆を一から焙煎していて美味しいと評判の店で、茉里奈はずっと前から行ってみたかったとメールで心境を教えてくれた。「中学生だと敷居が高い気がして、高校生になったら珈琲デビューを飾ろう」と心に誓っていたらしい。その気持ち、分かるような分からないような……同じく高校生になった俺には今一つピンと来なかった。まぁ、新生活を迎えたことをキッカケにして挑戦するのは良いことだと前向きに捉えよう。
 『カフカ』は中心地から郊外へ向かう大きな幹線道路から一本曲がった閑静な住宅街の十字路の一角に店を構えていた。家から歩いて十五分くらいの距離ではあったが、天気も良く朗らかな陽気で肌に触れる風が心地いいくらいだったので問題なかった。
 お店の外観はクリーム色の外壁が特徴といった感じで、それ以外は普通の住宅みたいな外観であった。ただ、店の窓には『自家焙煎珈琲』や『カフカ』といった白染めの文字がペイントされており、それでお店だと認識することが出来る。
 休日とあって五台ある駐車場の内で半分は既に埋まっている。開店時間の十時を少し過ぎた程度でこの状況ということは、やはりそれだけ人気なのだと窺える。
 店を前にして少し緊張した面持ちを浮かべる茉里奈。その背中を押すように「入ろうか」と優しい声で声をかけると、促されるように茉里奈は意を決して店の扉を引く。
 「いらっしゃいませ」
 扉に付けられた鈴がカランカランと高らかに音を奏でると共に、カウンターの内側に立つマスターがこちらを向いて穏やかな声で出迎えてくれた。メガネをかけた少し背の高いマスターは柔和な笑みを浮かべており、まるで老紳士な人だと俺の印象に残った。
 店内は五組座れるテーブル席と一人掛けのカウンター席が八つ。テーブル席には既に二組、カウンターの一番奥に一人の先客が既に座っていた。「お好きな席どうぞ」とマスターが言われると茉里奈は一番手前のカウンターに腰を下ろした。てっきりテーブル席に行くと思っていた俺からすれば意外な選択だったが、ここは主役の意思に従う。
 カウンターの脇にある入り口から髪を短めに刈ったボーイッシュな若い女性が姿を現れると、俺達の方を見て「いらっしゃいませ」と挨拶してきた。カウンターの端にある台に置かれたグラスに氷を入れてピッチャーの水を注ぐと、銀色のお盆に載せて俺達の前へ静かに置く。
 「こちら、メニューになります」
 差し出されたのはコピー用紙サイズのメニュー表。珈琲の種類と値段が書かれている。裏返すとデザートやトーストなどのサイドメニュー、珈琲豆の値段が記されていた。
 ……本格的な珈琲のお店には初めて来たけれど、驚かされたのは珈琲の種類の多さ。
 <ハウスブレンド>と呼ばれるお店独自のブレンド珈琲と、<オリジン>と呼ばれる単一品種のみの二種類に分けられ、<オリジン>は珈琲豆の原産国名の後ろに格付けや品種を示す単語が付けられている。
 焙煎の具合に応じて<浅煎り><中煎り><中深煎り><深煎り>の四段階に分類され、浅い焙煎であれば酸味が引き立ち、逆に深い焙煎だと苦味が際立つらしい。あまり珈琲を口にした経験の無い俺からすれば「コーヒー=苦い」と思っていたので、焙煎の違いで味に大きく差が出るなんて知らなかった。
 俺達が座っているカウンターの向こう側にある大きな棚にはラベルの貼られた珈琲豆が詰まった大小様々なガラス瓶が置かれていた。他にも珈琲に関する著書だったりカップなども入れられている。
 カウンターから通路を挟んで置かれているレジ台の後ろは大きなガラスが張られており、その先には大きな焙煎機が設置されているのが見える。何となく外見や色合いから世界的に有名な機関車のキャラクターがふと思い浮かんだ。
 店内は落ち着いた洋楽の音楽が流れている中、茉里奈の右目はメニューにずっと釘付けである。茉里奈の気持ちも分からなくもない。初めて入る店で初めての経験、緊張と不安で自分のことだけで手一杯なのだろう。いつもは気遣いの出来るいいヤツだけど、今は仕方ない。
 俺は声をかけず、名前の知らない音楽に耳を傾けながらお冷に口をつけて茉里奈からメニューを渡されるその時まで待つことにする。カウンターの机の隅には国内外のアクセサリーや小物が並べられていたので、それを何気なく見ている。店内を見渡せば絵画だったりパッチワークだったりが飾られているが、店の雰囲気を壊しておらず一体となっていた。
 暫くのんびりと店内を観察していたら、若干申し訳なさそうにメニューが勧められた。……とは言っても、コーヒー初心者の俺はメニューに載っている外国の名前すら馴染みが薄いので同じ焙煎度合いで味がどう違うのか皆目見当がつかない。そもそも焙煎の違いで味がどれだけ変わるかすら分からないのだが。
 「お決まりですか?」
 若い女性の店員さんが頃合を見計らって注文を聞きに来た。メニューとにらめっこして迷い悩んでいた俺は覚悟を決めて口を開いた。
 「すみません、ハイチと……カフカブレンドを」
 とりあえずコーヒー初心者の俺は『苦いのは避けたい』という安直な理由で、目に付いたハイチを選択。茉里奈に目線で促すと、お店の看板であり定番のカフカブレンドを指で指していた。
 それに加えて、まだ苦味に耐性のない俺は保険としてクリームブリュレを注文。どうやら茉里奈も同じことを考えていたらしく、ロールケーキを指で指定する。
 「お願いします。カフカ・ハイチ・ロール・ブリュレ、オールワンです」
 女性がオーダーを通すとマスターは短くも力強く「はい」と応じた。すぐに後ろを向いて棚から注文したコーヒーの銘柄がシールに貼られた瓶を手に取ると、蓋を開けて小匙で中の豆を掬って機械へ投入する。取っ手を右にスライドさせると機械が唸りを上げ、下の口から先に入れられた豆が粉末となってマスターの持つ赤銅色の器へ落ちていく。全て粉状になると器の底を一旦棚の角にコンコンと叩いて、クルクルと器の中身を回転させながら反対の手に器の底を何回か打つ。台形のペーパーをドリッパーへふわりとセッティングすると手に持っていた器を傾けて、粉末となったコーヒーを滑らせる。一連の動作は実に自然かつ滑らかで長年淹れ続けてきた職人たる風格を感じられた。
 先の細く狭い口をした銀色のポットからドリッパーへ静かにお湯を注ぐ。水気を含んだコーヒーの粉は瞬く間に膨らんでいく。注がれたお湯は熱でコーヒーを蒸らしつつ下へ下へと浸透していき、やがてドリッパー最下部の出口から一滴また一滴と雫になってサーバーへ落ちていく。頃合を見てお湯を追加すると気泡がふんわりと丸みを帯びた山を形成して、すぐに萎む。それを幾度か繰り返していく内にサーバーの中には艶のある琥珀色の液体で満たされていた。
 目の前で行われる作業に俺も茉里奈も釘付けとなる。マスターにしてみれば数え切れないくらい重ねてきた動作だろうが、こちらは全てが斬新で見ていても全然飽きない。次から次へ変わっていく様すら楽しく感じた。成る程、確かに茉里奈が行きたいと思ったのが分かる。子どもから大人へ心身共に変わっていく中で大人の世界の片鱗に僅かでも構わないから触れてみたいのだ。こういう店でゆったりと珈琲を飲みながら時を過ごす、そんな嗜みを味わっている姿を想像しただけで胸が躍る。
 カップにお湯を注ぐと白い湯気が立ち昇る。直後にコーヒーの溜まったサーバーにスプーンを入れて一口啜ると、サーバーをコンロにかけて加熱する。温まるまでの間に温めていたカップのお湯を捨ててコーヒーを入れる支度を整える。また女性も受け皿やミルクの入った小容器を手早く準備した。全ての段取りを終えるとマスターは静かに目を瞑り、天井を仰ぐように顔を上げて待つ。
 そして、その時が訪れた。
 「まず、カフカ」
 マスターが一言声をかけて用意したカップへ静かに注ぐ。続けて「ハイチ」と告げてから次のサーバーを手に取ってゆっくりと傾ける。二つ入れ終わると女性がカップをお盆の上に置いた受け皿へ載せて、こちらへ運んで来た。
 「お待たせしました、カフカです」
 茉里奈が手を上げると目の前にそっとカップが差し出される。続けて俺のハイチが置かれた。そして一旦カウンターに戻って奥から出してきたデザートを銀色の盆に載せて静かに置いていく。
 そして最後に伝票を俺の前にスッと置いてから「ごゆっくりどうぞ」と言い添えて女性は下がっていった。
 コーヒーの経験値は無いに等しいそんな俺の前には、熟練のプロが淹れた本格的なコーヒー。黒というより濃縮された飴色の飲み物は、果たしてどのような味なのだろうか。
 食事の時と同じように手を合わせて「頂きます」と微かに唱えて、そっとカップを持つ。気分的にはお茶会に参加しているみたいだ。
 まず香りを嗅ぐと焙煎された珈琲豆の匂いが素人の俺にも分かった。率直に良い香りだなと驚きと感服しながら、いよいよコーヒーに口を付ける。焼けるような熱さが最初に訪れた直後、あっさりとした酸味を舌が捉え、少し経って後から苦味が少しだけキリッと一瞬だけ顔を出してすぐに引いていった。
 美味しい。溜息と共に思わず口から洩れてしまった。
 一緒に頼んだクリームブリュレも食べてみようと一旦カップを置いてスプーンに持ち替える。スプーンを入れるとサクッと軽快な音を立てて表面の焦げ目が割れ、間から黄色いクリームがたっぷりと詰まっていた。そのクリームを一口頬張ると濃厚なクリームの甘さと共にバニラビーンズの香りが口中に広がる。コーヒーとの相性も良く双方が互いの味を良く引き立てていた。
 隣に座る茉里奈はどうなのかと横目で伺うと、俺と同じように出されたコーヒーの味に驚いている様子だった。声は出ず横顔の左目は眼帯で隠れているが、座っている佇まいや雰囲気から何となく伝わってくる。カップを両手で大事そうに持って固まっている様は絵画に描かれている女性のようであった。
 「美味しい?」
 問い掛けると茉里奈は首を縦に振った。見開かれた瞳は想像以上の衝撃だったことを物語っている。
 「交換してみる?」
 何気なく投げた提案に茉里奈は頷いて、自分のカップをこちらへ差し出してきた。それと交換する形で俺のカップを茉里奈へ渡して、一口飲む。……素人でも分かるくらい、味が全然違う。
 俺が注文したのは単一種で茉里奈の頼んだのは色々な種類を配合したブレンド。中深煎りなので酸味よりも苦味が強いが、その苦味もすっきりとした味で飲みやすいし美味い。店名が入るハウスブレンドだけあって、店の味を代表する看板商品である理由がよく分かる。焙煎や配合の割合で独自の味となり、珈琲に通じている人はそれだけで店の傾向や実力を把握するらしい。文字通り“店の味”で、不味いはずがない。
 続けてロールケーキも勧めてきたので一口頂く。ふわっとした生地にチーズの香りが仄かに感じられる控えめな甘さのクリームが相まってこちらも美味しい。こちらも当然ながらコーヒーとも合う。
 ……何だか、凄く背伸びしている気分だ。
 いつもの休みの日は家で一人ゴロゴロと漫画を読んだり昼寝したり、友人と待ち合わせて街へ遊びに出掛けたりカラオケしたり。無駄か忙しないか極端だが、こうしてコーヒーを嗜んでいる時間はその両方に該当しない。何かするのに目的は大切だけど、こうして一息つくために時間を使うのも悪くない。
 大人の時間を少しだけ拝借して、本格的な珈琲の香りと味と店の雰囲気を満喫した。

 「ありがとうございました」
 一時間弱ほど店に滞在した俺達が店から出る際に、温かみのある声でマスターは二人の背中に声をかけてくれた。
 「美味しかったね」
 茉里奈に訊ねると、静かに頷く。店に居る間はあまり話しかけず、持ってきた文庫本を読んだりコーヒーを飲んだり店内に流れる音楽に耳を傾けていたり各々が自由に過ごした。たったそれだけなのに、心は驚くほどにリフレッシュしていた。
 しかし、一方で“借りてきた猫”みたいな窮屈な感覚でもあった。別に拒絶されているとか威圧されているとか無かったけれど、白一色に染まっている中で黒が一点だけ混じっているみたいな場違い感と言えばいいか。やっぱり高校生がふらっと入るにはまだ早い気がした。もっと足繁く通うなら大学生になってからの方が心に余裕が持てて良いかも。
 「……でも、まだ俺にはちょっと早いかな」
 率直に自分の気持ちを打ち明けると、茉里奈も照れたように笑いながら同意を示してくれた。どうやら俺と一緒で居心地は良かったけれど肩身は狭かったみたいだ。共感出来たことが妙に嬉しい。
 ふと腕時計を覗けば、まだ正午前。そろそろお昼ご飯の時間だ。
 「何か食べに行くか」
 提案するとコクンと頷いた。何がいいかなと考えると、近くにハンバーガーショップがあるのを思い出した。
 今は背伸びした贅沢より、手の届くファストフードで良い。

 桜の花が風に舞っている中、肩を並べて歩く二人。
 爽やかに吹き抜けていく風のように、足取りは軽やかだった。


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