ふと現実に戻るといつの間にか夕暮れになっていた。
無我夢中で歩いていたので周りの景色が目に入らなかったのだ。
「坂本殿。如何致す?目的の宿まで幾ばくかありますが。」
陽はもう地に沈もうとしていた。いくら急いだとしても暗くなるまでに到着する見込みはない。
しかし引き返そうにも前の宿場までは更に遠い場所にあった。
前に進むしか道はないのである。
黙って足を進めた。それに着いてくるように中岡も後を来る。
いつしか陽は完全に落ちて周りは闇に包まれた。
一帯は野原で一筋の道があるのみ。そして一直線に宿場がある。
しかしどうにも彼等を通すことは出来ないと言わんばかりに横一列に人が並んでいた。
「・・・昨日の奴等か。」
坂本は呟くように言った。
「左様ですね。昨日の日中に見た顔が数人見かけられます。」
そして闇に紛れて背後にも多数の殺気を放つ者に睨まれていた。挟み撃ちにされた。
どうにもこうにも逃げる術は戦うしかないらしい。
仕方なく中岡は刀を包んでいる布を解くと下段の構えで相手の出方を伺う。対して坂本は意外にも剣を抜かず居合いの姿勢。
両人とも“待ち”の体勢である。
そんな中から一人の大男が現れた。
「こんばんは。お二方。」
やけに関西の訛が入っている声だった。
如何せんこの地方は関西訛が混じっている方言なのだが、この男はやけに訛りが強い。
「わてらはとある方に頼まれてのぉ。あんたら始末してくれゆわれてのぉ。だからここら辺で死んでもらえまへんか?」
初対面の他人からそんな事言われて易々と自分の命を渡す馬鹿などいない。
どうやら関西の誰かが我々の正体に感づいて知られたくない内に闇の中で抹殺する、という魂胆か。そう直感した。
大体昨日あれだけ手の込んだ事をしてまで人殺しをするとなると相当の金を貰っているに違いない。
あの時深追いしても良かったが、生憎地の利は相手にあって逆に痛い目を見ていたかも知れない。
どちらにしろあの時ケリをつけていたら今こんな多勢と戦うことはなかっただろう。
「断る。」
坂本は強い語気で言い放った。当たり前のように易々と差し出しても構わない命ではない。
この返答に頭領と思われる者は黙って後方へ下がっていった。
またそれが不気味である。周りからは雑音が消え去り、風に揺れる草の音や風の音が一帯に広がった。
「いやぁぁぁぁ!!!」
突如後ろからけたたましい掛け声と共に突っ込んでくる者が向かってきた。
しかしその声は次の瞬間轟音と共に遠くに飛ばされていった。
中岡の大刀が簡単に薙ぎ払ったのだ。相当の重量の大刀を普通の刀のように扱う剛力は我ながら羨ましい。
「なにやら数だけみたいですな。」
挑発気味にヘラヘラと笑いながら中岡は話す。
「和尚殿。殺生は仏門では御法度ですぞ。」
「何を言う。仏門に背いている者にすこし懲らしめるだけです。仏も許して下さるでしょう。」
背中を隣り合わせにくっつけて背後を取られないようにした。
中岡の剛力の威力と坂本の何とも言い難い威圧。これで怯んでなかなか攻め込んで来られない。
互いに攻め手を欠く膠着状態の場合、痺れを切らした方が負けになる。二人は肝が据わっていた。
痺れを切らして飛び出してきた弱虫をバッサバッサと倒す。また膠着状態に陥る。その繰り返しで徐々に敵の数を減らしていった。
こうした悪循環に耐えきれなくなった頭領は叫んだ。
「えぇい!何をしている!一度にまとまってかかれば怖くなどない!」
こうなった場合、質では勝るが数で劣る此方は分が悪い。
確かにリーチの長い中岡は半円を描くだけで大量の敵を倒すことが出来る。しかし隙が非常に大きく攻撃後に狙われる可能性は大きい。
逆に隙が小さい坂本は連続で斬り続ければ良いのだが、如何せん多人数対一人には適していない。
怖じ気づいて逃げた者を除いて残りの数がどれくらいかは暗いので見当も付かないが不利には変わりはない。
「がははははっ!遂に首を、首を獲ったぞ!これでわても出せ・・・」
次の言葉が出てくる前に地面にバタンと頭領は倒れた。
胸にはくない手裏剣が刺さっていた。
(・・・お龍か。)
お龍とは坂本の事を何かと世話するくの一、つまり忍びである。
坂本が全国行脚の旅をサポートし逐一報告する連絡役でもある。
腕は一流の忍びで主に諜報活動で活躍。武術も得意で時には暗殺もこなす。
さて、司令塔である猿山のボスが倒されたので残りの者は散り散りになって逃げていった。
一段落したが、この場所では目立つので人の居ない場所へ移動した。
「お龍。また何故こんな所に?」
坂本は京若しくは江戸に向かったお龍が何故此処にいるのか訊ねた。
「京で情報を集めていたら偶然にも北国街道に刺客を放ったと聞いた。なので至急向かったら交戦中だった。」
表情一つ変えず、淡々と喋る。その様子から仲間内では“鉄仮面”とまで言われている。
顔は良いのだが、これではなかなか嫁の貰い手がいなくて困っていると両親は嘆いている。
「そう同じ顔で話すなよ。堅苦しい。こっちまで顔が固まってしまう。」
耐えきれず中岡は表情を和らげた。
「そうか?こんな話をヘラヘラ笑いながら話したら気持ち悪い。」
確かに。坂本もそう思った。
その後もお龍は先程と同じ表情で話し続けた。
「どうやら大阪城代が謀反の企てをしているみたいだ。」
「何!?本当か!?」
坂本と中岡は非常に驚いた。
大阪城代と言えば関西以西の外様大名へ睨みを利かせる為に設置されている。
そこが江戸の幕府に対して反乱を起こした場合、確実に西国の不満を抱いている外様大名と手を組んでしまう。
事実に50万石以上の大名は複数おり、これらの兵力が一致団結すると一気に幕府の地盤は揺らぐだろう。
関西の守りには京都所司代も一応監視に携わっているが実質上は大阪城代なので権力はない。
それだったら昨日そして先程襲ってきた拝啓の理由もわかる。
推測だが、多分大阪城代は北国街道を南下している我々を幕府が放った刺客と勘違いして対処しようと考えたのだと思われる。
「これは天下の一大事だな。」
「・・・という事は大阪に至急向かえという事か。」
「私が手に入れた密書では『京都で様子見しろ』と特命があった。」
ガサガサとまさぐると上様直筆の密書を取りだした。
『皆の衆。元気にしているか。余は元気にしている。
余の耳に入った所によると今回の指令はかなり危ないものになる。
敵はどのくらい居るかまだ想像もできない。今でもこんな天下を揺るがす企てがあるとは信じられがたい。
なので一度京都で情報を集め、勝手な行動は慎むように。決して命を粗末にするな。』
花押もしっかり入っている。本物だ。
「相分かった。・・・それで京都へ入るのは何時が良い?」
「我々の方も準備が必要。5日後、大文字山にて待ち合わせる。」
「心得た。」
坂本と中岡は力強い声で言った。
「では私は先に行く。御免。」
闇に紛れ込んで風のように去っていった。