ここはとある保育園。今の時間は休み時間なのか、久しぶりに雲ひとつない冬の青空の下で園児達が運動場を所狭しと駆け回っていた。
白い息を吐きながら、冷たい北風と身を一体にして遊んでいる姿は元気な子どもの証である。
その運動場の片隅にある砂場では、数人の子どもが砂遊びに夢中だった。皆プラスチック製のスコップやバケツを大いに活用して大きな山を作ろうとしていた。
一生懸命遊んでいる中の一人の男の子が、スコップを握りながら他の園児に語りかけた。
彼はいつも“たっちゃん”と呼ばれ、性格も明るくみんなをまとめるリーダー的存在であった。
「ねぇ、サンタさんにどんなおねがいした?」
時期は12月の中旬。あと何回か眠れば自分が眠っている枕元にプレゼントが置かれることを皆知っており、それを待ち望んでいる。
子どもは時間の流れの感じ方が長いため、クリスマスと正月がやってくるこの時期は誰もが心待ちにしている。自らの誕生日と同じビックイベントなのである。
「わたし、クマさんのぬいぐるみー!」
「おれゲームソフト!」
「ぼくはおもちゃ!」
それぞれが手を動かすのを止めて、自分の欲しいプレゼントを挙げていく。
しかし一人だけ俯いて砂山を作っている男の子がいた。普段から物静かであまり喋らないこの子をみんなは“ゆーくん”と呼んでいた。
何も語らず、ただ静かに砂をスコップで集めてバケツに入れ、それを逆さまにして山を作っていた。
「おい、おまえはなにたのんだんだ!」
ちょっと苛立っているたっちゃんがゆーくんに対して話しかけたが、何も反応がない。
何回も何回も繰り返すうちに返事がないことに腹が立ったのか、たっちゃんはそれまでゆーくんが一生懸命積み上げていた砂山を足で蹴り飛ばしてしまった。
それに激昂したゆーくんは自分の山を蹴り飛ばしたたっちゃんに向かって飛び掛っていった。まさか反撃されるとは思ってもいなかったたっちゃんは砂場に倒され、その後上になったゆーくんから顔を一発殴られた。
これで火がついたのか取っ組み合いのケンカにまで発展してしまった。それぞれ口に砂が入っていることなどお構いなしに殴る・蹴る・噛むの応酬を繰り広げる。
他の園児達は自分達がその中に割って入ることもできず、遠くで異変に気付いた園児の一人が慌てて職員室に駆け込んだ。
「せんせい、すなばでたっちゃんとゆーくんがケンカしているー!」
すぐさま先生が行ってみると、そこには砂だらけになった服で泣いているたっちゃんとムスッとした顔で座っているゆーくんの姿があった。
周囲の園児に話を聞き、二人を別室に連れて行って話を聞いて状況を確認した。
「たっちゃん、ゆーくんがいっしょうけんめいつくっていたおやまをこわしたらゆーくんはどうおもう?」
先生は柔らかい口調で語りかける。たっちゃんは自分が悪いことをしたことに反省し、ただただ泣きじゃくるだけであった。
そして今度はゆーくんの方を向いて優しく話しかけた。
「ゆーくん、どうしてたっちゃんのしつもんにこたえなかったの?」
ゆーくんの口は真一文字に結ばれたままであった。まだ怒っているのか、それ若しくは答えたくないのか。
さらに先生は問いかけてみるが、表情は硬いままで口を閉ざしている。そして顔をプイと背けてしまう有様であった。
数分ほどしてようやくゆーくんが「ごめんなさい」という小さく短い言葉を発し、その場は収まった。しかしゆーくんの表情が変わることはなかった。
3時になった。
お昼寝をして体を休めた後も活発に遊んだ子ども達は、迎えに来た母親の手を引かれて家路についていった。
先程まであれだけ泣いていたたっちゃんも、今は全く違う顔で帰っていく。それだけ母親が来るのを待ち望んでいたのだろうか。
中には家の近い友人と一緒に帰っていく人もいる。そういう子どもは今日起こった出来事や、家の出来事を会話のネタにして笑いながら帰っていく。
しかしゆーくんの顔は笑っていなかった。顔を真っ赤にして、目は険しいままで。迎えに来た母親が何かを聞いても何も答えないため困っている様子であった。
それから数日が経過し、12月24日の朝が来た。
今日はクリスマスイブの日であり、みんなが待ち焦がれていたサンタが来る夜の日であった。
本当ならば宗教的意味合いが強いのであるが、小さい子ども達にはそんなことなど関係ない。眠っている間にサンタがプレゼントを持ってきて、朝が来れば枕元にプレゼントが置いてある。
もっともサンタさんの関係上真昼から仕事をしていたり、クリスマス前にサンタさんが街中で働いていることもあるが、特に気にしない……はず。
この日は朝から子ども達の表情は活気に満ちていた。自分達がお願いしていたプレゼントが届く期待が、本当に届くのだろうかという不安を大きく超えているからである。
あの砂場で遊んでいた子ども達も、今日も教室の中でクリスマスの話題を話していた。
「おれんちのクリスマスツリー、すごいんだぜ!おれのしんちょうよりもたかいんだぞ!」
「あたしんちのケーキなんかママのてづくりなんだから!」
自慢とも取れる会話があちこちで飛び交うが、ダンマリしている子が一人いた。
あのゆーくんであった。
普段から物静かではあったが、朝来てから友達に話しかけず石のように黙り込んでいるようなことはほとんどなかった。しかも表情は険しい。
まるで人を近づけたくないというオーラを発しているかのようである。
そこに先生が教室に入ってきた。散らばっていた園児達は皆それぞれ自分の席に座る。
おはようございますと先生が言うと園児達から元気におはようございますという声が戻ってくる。
そして話題は一番旬なクリスマスの話になった。
「みんなー!きょうは『なんのひ』かしっているかな?」
「クリスマスイブでーす!」
期待の現われなのか一段と声も大きい。
お歌でも歌いましょうか、と言って先生はピアノの椅子に腰掛け、鍵盤に手を添える。
その女性特有の細い指で鍵盤から奏でられる曲は“あわてんぼうのサンタクロース”であった。
慌てんぼうなサンタクロースが勘違いしてクリスマス前にプレゼントを配りに行ってしまい、焦っていたからか煙突から落っこちて家族に見つかる……という歌であるが、クリスマス前に歌うのが定番のようになっている。
みんながいつも以上に大きな声で歌っている中、一人だけ元気のない声で歌っている子どもがいた。やはりあのゆーくんだった。
口を開けようとせず、うつむき加減にもじもじとしている。伴奏を担当している先生の目には一人だけ違う様子でいるゆーくんがはっきりとわかる。
「ゆーくん。ちゃんとおうたうたわないとだめでしょ。」
先生が優しい口調で促してもゆーくんは唇をぎゅっと噛み締めている。何かを堪えているのか、それとも何かを我慢しているのか。
そしてその場に居た堪れなくなったゆーくんは突然教室を飛び出していってしまった。
教室にいる子どもはおろか、先生もこの突然の行動に驚いた。先生が立ち上がった頃には既にゆーくんは保育園の門を後にしていた。
先生は自分の教室の園児を園長に託し、ゆーくんを探しにいくために保育園の外に出た。
まさかの出来事に今でも戸惑いを覚えているのだが、そんなことばかり言っていられない。もしかしたら自分の言葉に何かゆーくんを衝動に駆らせる言葉が含まれていたのかも知れないし、そうとなれば自分の責任だ。
警察の協力も、他の先生方の協力も借りない。この事を大事にすると大変な騒ぎに発展しかねないし、最も傷つくのはゆーくんなのだから。
しかしゆーくんの行き先は一体どこなのか。毎日母親が行き帰りを一緒にしている点、そう遠くはない。保育園児だから行動範囲も大人より狭い。
様々な考察材料はある。だがこれと断定できるような決定打がない。
走っている中でゆーくんの行き先を考えるも、徐々に息が上がってきた。毎日園児相手に遊んでいて体力には自信があるが、やはり息は上がる。むしろ相手は無尽蔵なスタミナを持っているので非常に手強いが。
足が疲れ、息が続かなくなってやむなく足を止めた。顔や耳は熱さで真っ赤になり、手は寒さで真っ赤になっている。呼吸は激しく、そして荒い。
ふと顔を上げ、横に目をやるとそこには公園があった。今の時間帯は幼稚園や保育園に入ってない子どもが親に連れられて公園で遊んでいる姿が多く見られる。
もしかしたら……という気持ち。女の勘がそうさせる。女の勘とは本当に感心するくらいに当たることが多い。その勘がゆーくんがここにいると感じている。
公園の中には子連れのお母さん方が多くいた。この時間帯だと自分の家の子どもは保育園・幼稚園に預けているので、ご近所の奥様と優雅にお話タイムといったところか。
一方、保育園・幼稚園の入園に満たない子ども達は公園のあちこちで遊んでいる。すべり台を足繁く往復する子もいれば、砂場で山を作っている子もいるし、親と一緒にボール遊びをしている子もいる。
そんな中をエプロン姿の先生が公園内を探し回る。ある意味不思議な光景ではあるが、保護者の方もなんとなく事情は察しているようであった。
先生、と後ろから声がした。振り返ってみると、そこにはゆーくんと同じクラスの子どもが入園している保護者の姿であった。
「草むらでゆーくんが泣いているんですけれど、何かあったのでしょうか……」
自分の勘は正しかった。どこからかゆーくんの気配がこの公園から感じ取り、引き付けられた。そして、実際にゆーくんはここにいた。
指摘された草むらへ行ってみると、確かにゆーくんがいた。草むらの影でしゃがんですすり泣いている。
保育園の制服は、少し汚れていた。どこかで転んだのか、それとも何かあったのか。それよりも、泣いているゆーくんの姿を見ていると心が痛んだ。
いつもならみんなと仲良く遊んでいたのに、この数日はどことなく強がっている様子があった。こんな弱々しい反面がゆーくんにあるとは思ってもいなかったので、素直に驚いた。
脆い心、とはこのようなことを言うのか。表こそ確かに何事が起きても耐えれるかのように頑丈そうだが、裏を見ればそれは儚く脆い。
人の心とは皆このようなものなのかも知れない。むしろ強がっている人ほど弱いのかも知れない。
「ゆーくん」
嗚咽が一瞬止まった。
涙でいっぱいになった瞳、林檎のように赤い頬。振り返ったゆーくんの顔はこの日一番印象に残った。
「かえろっか。」
笑顔で、優しく声をかけた。
表裏の無い言葉をゆーくんにかけると、ゆーくんは先生の胸の中へと飛び込んできた。
止まったはずの涙が瞳からまた溢れだし、大きく温かい胸の中でゆーくんは泣いた。相当何かを我慢していたのだろう、堰を切ったように激しく泣き出した。
そして“ごめんなさい”と声が嗚咽で掠れながらもゆーくんは胸の中で謝った。自分がやっていることがどれ程いけないことなのかも、わかっているようであった。
言葉は何もいらない。余計な言葉は必要ない。いるのはゆーくんを受け止める心だけ。
ただ黙ってゆーくんを抱きしめた。頭をナデナデした。言葉では伝えられないもの、愛情を込めてゆーくんに接した。
ゆーくんが落ち着くと、ゆーくんの手を引いて保育園の方へと歩いていく。
これまで溜め込んできたものを涙と共に出したゆーくんの顔は少し明るくなっていた。
「ゆーくん」
「なぁに?せんせい」
こちらの声に、顔を向けてくれた。顔はちょっと笑っている。こころなしか声のトーンも上がっている。
どんなに黒い雲も雨を降らせば白くなる。ゆーくんの顔から黒い雲のように立ち込めていた険しさも、涙という雨が全て出してしまったからかもしれない。
予定外のお散歩、といったところか。だが、雲行きはゆーくんの顔模様と真逆に悪化している。
遠くには真っ黒な雲が覆っている。風も強くて寒い。今夜辺りは雨ではなく雪が降るかもしれない。
「ゆーくんは、クリスマスがきらいなの?」
一瞬ゆーくんの顔が曇った。複雑そうな顔をしていることから推測すると、他の子どもと同じように心から喜んでいるようではない。
しばらく二人は沈黙したまま歩いていると、ゆーくんは重い口を開いた。
「……サンタさんは、ぼくのうちにはこないもん」
サンタ。サンタクロース。クリスマスの日にプレゼントを持ってくると言われる赤い服を着た翁のことである。トレードマークは白いお髭。
聖夜の日に子ども達の枕元に置かれた靴下の中にプレゼントを入れるサンタは子ども達からの人気者。それ故に子ども達はこの日を待ち遠しく待っているのである。
クリスマスも今や日本の風土に染み込んだ文化になりつつある。12月の中旬になると街中にはクリスマスをモチーフにした電飾で飾られ、あちこちにはラッピングされたプレゼントが店頭に並びだす。ケーキ屋さんも、ケーキ作りに奔走して猫の手も借りたい気持ちになる。
元々クリスマスというのはキリスト教の文化であり、キリストが生まれた日をお祝いするためにクリスマスが存在する。
しかも何故か日本人はイヴの方を大切にしている。キリストの誕生日の前日という意味でイヴと使われていることに、日本人は気付いているのか定かではない。
近年の日本においては無宗教化傾向が強まっているが、クリスマスだけは何故か衰える気配はない。釈迦の生まれた日のお祝いはないのに、キリストの生まれた日には盛大なお祝いをするというのも滑稽な話でもあるが。
それだけクリスマスは日本人の中に浸透したという証である。
「……」
先生はゆーくんの『サンタは、ぼくのうちにこないもん』という意味を掴みかねた。
精一杯の勇気を振り絞って吐き出した言葉を受け止めようとしたが、どう返せば良いかわからない。
答えを探しながら黙々と歩いていくが、足は重い。空気も重い。雲も重い。
そんなこんなで保育園に到着した時にはお昼寝の時間だった。ゆーくんは少し遅いお昼寝タイムにつくが、先生の心の中にある曇りは晴れない。
お昼寝が終わって、親御さんが迎えに来るまでゆーくんはずっと一人で黙り込んでいた。
その背中はどことなく寂しそうだったことを、先生だけは気付いていた……
【聖なる夜に祝福を】
夕日はいつの間にか沈んでいた。雲が地平線の彼方まで覆い尽くしているので、太陽の姿は全く見えない。
そして静かに闇はやってきて、夜になった。
テレビをつけても、クリスマスの特番がクリスマスムードを演出しているばかり。中身がある番組とは到底思えない。ただ馬鹿騒ぎしているようにしか見えない。
家の中ではクリスマスツリーも飾られていなければ、部屋の装飾もない。至って普通の日の装いというところか。
しかし特別な日なのかもしれない。テーブルの上には特大のふわふわオムライスが乗っていて、とても美味しそうである。
部屋にはゆーくんがいる。保育園にいる時と違ってどことなくゆーくんの顔色はやや明るい。
やや遠くにある台所にはゆーくんの母親がいた。いそいそと何かを作っている様子だが、何を作っているのかまでは確認できない。
それにしても静かである。ギャーギャー言っているテレビの音を除けば、台所の音以外何も残らないであろう。
これ程静かな日というのも珍しい。これもクリスマスの効果なのか。
時計の短い針が5と6の間に差し掛かった頃、ゆーくんの父親が帰ってきた。
「おかえりー」
ゆーくんは父親を迎えに玄関まで走っていった。父親が羽織っている茶色のコートには薄っすら白いものが被っている。
白いものといっても砂糖にあらず。砂糖ならば部屋に入った途端に消えていくはずがないのだから。
「ただいま、いい子にしていたかい?」
父親は手袋を脱ぐとゆーくんの頭をなでなでした。
ゆーくんは少し照れくさいのか、タタタッと居間の方へと戻っていった。すれ違い様に母親が玄関の方へと向かう。
「おかえりなさい、寒かったでしょう」
「あぁ、雪が降っていた。この分だと明日には積もりそうだ」
滅多に雪が降らない地域なので、雪が積もることだけでも大きなニュースものである。この聖なる夜に雪が降ると人は何故かいつもよりもロマンティックに感じる。
既に窓の外は薄っすらと白いもので彩られている。クレープの生地のように薄く雪が積もったのだろうが、これだけでも印象はガラリと変わる。
コートに被っている白いモノを払うと、父親はゆーくんのいる居間へと向かった。暖房がかかった居間は冬風に晒された父親にしてみてばさぞかし暖かいと感じるだろう。
だが、父親は何かを思い出して再び外の方へと歩みを変えた。暫くして戻ってきた父親の胸には、何か大きな包みを大切そうに抱えていた。
数分後、着替えてきた父親には大きな包みはなかった。
ゆーくんと母親は既に椅子に座って父親が来るのを待っていた。テーブルの上には大きなふわふわオムライスの他にとろとろビーフシチューが乗せられている。
「おぉ、今日は一段と豪華だな」
父親は笑みを隠せなかった。母親が丹精込めて作った手料理の数々に笑顔が出ないはずがない。
その反応を見た母親も、自然と笑顔になった。一生懸命作った料理を褒められれば嬉しくないはずがないだろう。
ゆーくんもまた笑顔である。保育園では終日むすっとした顔でいたが、家庭では全く違った顔を見せていた。
家族全員がテーブルについた。時は満ちた。
「ゆーくん、おめでとーう!」
家族が乾杯をすると、さらに場の雰囲気が明るくなった。
しかし何がどうおめでとうなのか?わからない方もいるかもしれない。
そう、ゆーくんの誕生日は今日12月24日である。一年に一回しかないビックイベントだけに、家族もさぞ嬉しいことだろう。
ふわふわオムライスも、とろとろビーフシチューもゆーくんの大好物。母親の手料理の中でも特に好きなメニューが今日は二つもあるので、口いっぱいに頬張って喜びを噛み締めている。
和やかな食卓、あふれる笑顔。理想の食卓とはこういうことを言うのだろうか。
家族の食事が一段落すると、父親は席を立った。暫くして戻ってくると、先程持っていた白い紙に包まれた何かを持ってきた。
「ゆーくん、誕生日おめでとう。ほら、プレゼントだよ」
ゆーくんは目をキラキラと輝かせながら包みを破いた。中に包まれていたのは、前々からゆーくんが欲しかった車のおもちゃであった。
「おとうさん、ありがとう」
会心の笑顔。父親はゆーくんの喜んでいる顔を見て、なんだか自分も嬉しくなってきて頬がほころんだ。
我が子がこれほど喜ぶ姿も一年の内にそうそうない。貴重な笑顔を見ていると今日の疲れも吹っ飛んでしまうような気もした。
そして夕食が終わると、母親がケーキを持ってきた。もちろん誕生日祝いのケーキである。
大きなイチゴがケーキの上に乗っていて、ロウソクもキチンと6本立っている。あとは火を点して消すだけ。
父親がロウソクに火を点すと、照明が消えた。主役は既にケーキの前にいて、いつでも消火できるよう準備万端である。
「Happy Birthday to you, Happy Birthday to you ……」
よく誕生日の時に歌われる曲が両親によって歌われた。残念ながら曲名は忘れてしまったが、大体誕生日のお祝いの時には必ずと言って良い程この曲が流れる。
ゆーくんは頬をいっぱいに膨らませると、ロウソクの火を一気に吹き消した。ムードは最高潮を迎えた。
電気がつけられると、母親はケーキに包丁を入れて、何等分かに切り分けた。その内の3つを皿に移して、食後のデザートになった。
ケーキを口の中に入れると、生クリームは口の温かさだけで溶けていった。そして舌の上に残る甘さ。至極の一時である。
今日という日が一年の中でも一番好きなのかも知れない。ゆーくんの表情は実に充実したような顔であった。……但し、昼間のことを除いては。
母親に促され、ゆーくんは寝る支度を整えていた。
甘い物も美味しい物も沢山食べたので、歯磨きはいつも以上にしっかりしないと。歯ブラシを持って洗面台に向かう。
ゆーくんが一人廊下を歩いていると、両親の声が居間から聞こえてきた。
「……この時期って色々大変よね」
「あぁ」
湯飲みを片手に何かを話している。何があったのだろうか?
「やっぱり誕生日ケーキって事前に頼まないと無理みたい。どこもアレのケーキで大忙しみたいだし……」
「オモチャ屋に行っても同じだよ。こっちから『包装は白い紙で』って言わないとアレの包装になるから。季節柄仕方ないかと思うけれどね……」
『アレ』というのは当然ながらクリスマス仕様のことであろう。
「去年なんか予約するの忘れてクリスマスケーキ買ってきて、飾りつけゆーくんが帰る前に全部食べて新しく飾りつけしたのだから……本当に大変よね」
「でもゆーくんの一年に一回だけの誕生日。楽しませてあげないとね……」
溜息こそ出ないが、雰囲気は暗い。
ゆーくんはそんな重苦しい雰囲気から逃げるように、洗面台へ向かった。
気にしないようにしていたが、両親があのようなことを言っているのを聞いては色々と考えざるをえない。
この日に生まれてきたばかりに自分は貧乏くじを引いているような気がしてならない。
友人はおろか先生にまで誕生日のお祝いの一言もない。みんなクリスマスという大きなイベントに浮かれてしまって、自分の誕生日など忘れている。覚えているかも定かではない。
心の片隅で微かに期待しているが、期待は毎年見事に裏切られる。何日前から話の話題はクリスマスの話ばかり。気まずい以外の何物でもない。
しかも心苦しいことにサンタクロースは絶対家には来ない。正体について知っていようがいまいがサンタクロースが来ない確信があった。
去年母親に『うちはサンタクロースはこないの?』と聞いたことがある。
至極当然の疑問である。周囲の家にサンタクロースが来ているのに、自分の家には来ない。妙と言えば妙である。
すると、ゆーくんの目を見つめて母親はこう答えた。
『サンタさんもね、みんなにプレゼント持ってくるんだけれど、ゆーくんの誕生日プレゼントとサンタさんから貰ったプレゼントがごちゃごちゃになったら困るでしょ?』
なんとなく説得力があるような気がした。現実にはどうなのかは兎も角、うちにサンタクロースが来ないことだけはなんとなくわかった。
だが、周りがこれだけ騒いでいると自分の家だけ来ないなどとは誰にも言えない。
変な見栄だと言われればそうだろうが、子どもの世界では見栄だの虚勢だの小難しい感情など存在しない。
あるのはただただ純粋な感情だけ。嫌か・好きかの二者択一。
大人には大人の世界がある。子どもには子どもの社会がある。なのに、大人は大人の勝手で子どもの社会に入り込んでくる。
自分勝手な理由と権力で子どもの意思を削いでいくが、削いでいくことで子どもの自由を損なわれるのをわかってない。
欲望に忠実と言えば聞こえが悪い。ただ単に、純粋なだけである。
子どもの心は、大人の身勝手によって汚され、そして子どもを苦しめる。
それが大人個人の解釈に留まらず、子どものことを思っての行動であったとしても同じである。
その行為が自らの体に傷をつけるようなことでも、子どもであれば躊躇いなく一線を越える。その予防策が、逆に子どもを苦しめるなど、大人達は到底思わないだろう。
もっとも、成長した大人も元は子どもなのだが、何故か子どもの気持ちなどわからない。それは汚れきっているからなのか、大人になってしまって心が変わってしまったからかは知らない。
そんな難しい話なんかゆーくんにはわからない。わからないことはわからないし、そんな複雑なことを考えることも全くない。
だけど、なんとなくは察することは出来た。
しかしながら、本音を言うならば両方欲しい。自分もクリスマスを素直に喜びたい。みんなから「お誕生日おめでとう」の言葉を言われたい。
我侭かも知れないけれど、本当は……
もぞもぞと布団に潜り込んだその時、コンコンという音が聞こえた。
音は聞こえたが姿は見えず。音の方角へ目線で辿ってみると、その先にあったのは窓。恐らく誰かが窓をノックしたのだろう。
が、疑問点が一つ。ゆーくんの住んでいるのはマンションであり、しかもここは8階。人が登ってくるなど到底考えられない。
泥棒・空き巣の類だったら親切にノックして家に忍び込むなんてことはしない。わざわざ来訪を知らせるなど警察に捕まりたいと言っているようなものだ。
ならば、あの音はなんだろうか?
好奇心と恐怖が交錯する中、ゆーくんはゆっくりと窓の方へと近付いていく。
異様な静けさと、雪明りで和らいでいる暗闇の中を、慎重に。音を立てず、歩幅はやや小さめ。
窓まで近付くにつれて、ゆーくんは体を徐々に屈めていく。まるでかくれんぼや缶けりの鬼が隠れている子を見つける時のように。
相手の姿が見えていなくても、見つけられたくないのだろう。見つかった時の残念な気持ちと、見つかった後に待ち受けているかも知れない恐怖に。
気分的には極秘指令を受けて敵地に潜入したスパイか、秘宝を狙う怪盗といったところか。ワクワクドキドキが胸いっぱいなのだろう。
だからこそ事は慎重に進められた。見つからないように、壁に体を密着させ、カタツムリが壁を登っていくが如くゆっくりと顔を上へ上げていく。
そして、そーっと窓から外の様子を覗いてみると……
トナカイにひかれたソリに乗る、白い髭で赤い服のおじいさん。
紛れもなくサンタクロースだった。何故か知らないがソリは宙に浮いている。
信じられなかった。自分の家には絶対来ないと信じていたのに、来ないと信じていた人が目の前にいるのだから。
これは幻なのだろうか。目を擦って確かめても、確かに自分の視界の中にはサンタクロースがいる。
もしかしたら夢の中なのかも知れない。思わず思いっきり頬をつねってみるが、痛い。虫歯の治療より痛くないけれど、痛い。痛いということは起きているのだ。
大人の事情もなんとなくわかっているはずだった。でも、今目の前にいる人は一体なんでいるのだろうか。
一生懸命理解しようと考えてみた。頭がパンクしそうなくらい考えた。でも、わからない。わかるはずがない。どんなに頭が良い人でも、わからないだろう。
だけど、サンタクロースが今ゆーくんの前にいる事実は揺ぎ無い真実であった。
「Hey ! Merry Christmas ! 」
サンタクロースは高揚した顔でゆーくんに叫んだ。1年に1回しか来ない聖なる夜に興奮しているのだろうか。
しかしながら肝心のゆーくんは依然ボーっとしていた。まだ現実を呑み込めないこともあるが、初めて接した外国語に戸惑いを隠せないのだろう。
現在日本語の中に外国語が浸透してきているのは事実ではあるが、イントネーションや細かいアクセントに関しては全く違うと言っても過言ではない。
今まで日本語しか耳にしていないゆーくんにとって、サンタクロースが話した言語を理解することは非常に難しい。言語のみならず、習慣や文化も違うのだが。
イマイチ状況を呑み込めない様子を察したサンタクロースは、両手を前に出して“こっちにおいで”というアクションをした。
言葉は通じなくとも伝えたいことは理解した。が、問題がある。ここは高層階だ。
ソリと建物の間はサンタクロースが巧みな手綱捌きで近づけてくれたが、まだ数十センチの幅が空いている。視覚で見る限りそれ以上に遠く感じる上に、夜なので上手く見えない。
サンタクロースもまたゆーくんが怯えないように「 come on 」と優しく語り掛けるが、まだソリに移るタイミングがつかめないのか一歩を踏み出すことに躊躇していた。
窓枠に上るまでは出来た。しかし、恐怖心から下をチラッと見てしまった。
ぼんやりと明るい闇。雪が積もっているらしく、いつも見ている景色と変貌を遂げていた。そして改めて思い知らされる、高さ。
足が竦んでしまってあと一歩が踏み出せない。数十センチなんていつも簡単に跳び越えていたのに、今夜はその数十センチがあまりにも遠い。
一歩踏み出そうとして躊躇して。何回か足を出したり引いたりを繰り返した時であった。
廊下からパタパタとスリッパが床に擦れる時の音が近付いてきた。
今の状況下で逃げ場など存在しない。足を踏み外せば地面まで一直線、布団に戻ろうにも距離が遠すぎる。
選ぶべき道は一つしかなかった。それを選ばなければ叱られることは明白だし、サンタクロースの存在がばれてしまう。
腹を括って、なかなか出せなかった一歩を踏み出した。
が、まだ恐怖から完全に脱し切れていなかったのか、踏み出した一歩はいつもよりも狭く、届くはずだった手前で踏み出した足は置くべき場所へ到達できなかった。
それに釣られてゆーくんの体もバランスを失い、地上へと引き込まれるように落ちていく。
(しまった)と思った時には既に時遅し。込み上げてくる不安と恐怖からゆーくんは目を瞑った。
・
・
・
「大丈夫かイ?」
聞きなれないおじいさんの声。発音も微妙に変だ。
そういえばなんだかふわふわとしている。ふわふわしているようで、なんだか抱っこされているような不思議な感覚。
ゆーくんは不思議な感覚が気になってそっと目を開けてみた。
目の前に飛び込んできたのは、サンタクロースの優しい微笑み。ここは天国なんかではなく、サンタクロースの腕の中なのだ。
サンタクロースがそっとゆーくんをソリの上に降ろすと、“横を見てごらん”とアピールした。
ソリの欄干に手を置いて外の様子を見てみると、なんとそこには雪でデコレーションされた町の夜景が広がっていた。
ゆーくんが気を失っている間にトナカイが一生懸命宙を駆けていき、高度をぐんぐんと上げていった。
遠足などで山に行って町の景色を眺めたこともあったが、ここまで全方位が見えるようなことはまずなかった。
それに夜景というのは何故か人の心に普通の景色をロマンティックに見せる媚薬の効果もある。それはまるで夜空に広がる無数の星空を目にした時と同じような感覚である。
黒いキャンバスの上に不規則に散らばっている小さな光の点。点の大きさも見えるか見えないかの際どい光もあれば燦燦と輝く強い光もあって、同じ点などない。
そして、先程よりも遥かに高い位置にあるのにも関わらず、恐怖は感じられない。これこそ夜景のマジックとしか言い様がない。
高さを感じることにより発生するリスクよりも、目の前に広がる芸術的な情報が上回ることにより恐怖を感じない……と精神分析に詳しい人は言っていないので、これといって根拠はないが。
ゆーくんの瞳は眼下に広がる無数の光の絨毯と、白く彩られた街並みの虜となっていた。
寒さ・高さなんか気にならない。目の前に広がる絶景に言葉なんかいらない。何も言わずに眺めているだけでも幸せだった。
だが、これだけの景色を見せるだけがクリスマスのイベントではないみたいだ。
サンタクロースはソリの後方にある白い袋の中からラッピングされた白い箱を取り出すと、ゆーくんにプレゼントした。
最初自分の肩を叩かれた時には何がなんだかわからなかったが、それがクリスマスのプレゼントだとわかると満面の笑みを浮かべた。
無邪気な笑い顔。まさか一日に二回もプレゼントを貰えるなんて思ってもみなかった。
しかも、それが誕生日プレゼントとクリスマスのプレゼントと完全に区別されている。これ以上の喜びなど今まで経験していないだろう。
他の人から見れば「あぁ、二つプレゼント貰ったのかな」程度に思うかも知れない。だが、この二つの区別がついているということは、それだけに大きな意義が存在していることはゆーくんだけにしかわからないだろう。
いつの間にかゆーくんは夢の中にいた。それが果たして夢なのか現実なのか判別する術を今のゆーくんは持っていない。だから夢ということにしておこう。
母親がそっとゆーくんの様子を見に来た時には、ゆーくんは幸せそうな顔をして寝ていた。それを確認して母親は再び居間の方向へと歩いていった。
夢の中でもサンタクロースと一緒に楽しい時間を過ごしているのだろうか。その日のゆーくんの寝顔は誰の目に見ても幸せそうな寝顔だった。
そして幸せな顔をしたゆーくんの胸の中には、丁重にラッピングされた白い包みがあったことに、母親は気付かなかった。
翌日。12月25日。
寝ている間に枕元に置かれたサンタクロースからプレゼントを貰った子ども達は、いつもよりもテンションが高かった。
当然のことながら、話題は昨日の夜に貰ったプレゼントの話ばかりである。
それはそれは、みんなそれぞれキラキラと目を輝かせて自分の貰ったプレゼントの話を他の友達にしていた。他の子どもがどんなプレゼントを貰ったのかも気になるらしく、独りよがりの演説に近い程の自慢話にも耳を傾ける子どもが多い。
しかし全員が“一晩の内にサンタクロースが我が家に来訪して、プレゼントを置いていっただけ”という印象だけで、実際にこの目でサンタクロースの姿を見たという子はいない。
サンタクロース自体がその子の家まで来て、プレゼントを枕元に置いたという確たる証拠はない。寝ている内にプレゼントが置かれたという事実しかない。
それでも、子ども達はまだ見ぬサンタクロースを脳裏に描いて、他の子ども達に今日の朝の出来事を話しているのである。
そう、ある一人の子を別にして……。
「ほんとなんだよ!ぼく、サンタクロースにあったんだよ!」
他の子どもとは全く違う興奮の中、他の子ども達に話している子が保育園の中に存在した。
それは、あれだけクリスマスを嫌っていたゆーくん本人である。
昨日まで沈んで鬱屈そうな表情とは打って変わって、目を爛々と輝かせて他の子ども達にサンタクロースとの夢の一夜について語っていた。
それは誰の目から見ても明らかに、昨日尾のゆーくんとは違っていた。クリスマス前の怪訝そうな表情とは違い、今は活き活きして、凄く魅力的な男の子に見える。
これもクリスマスの魔術なのか。ゆーくんのことをあまり知らない先生方はそう捉えた。一人の先生を除いて。
ゆーくんの担任の先生だけは遠巻きにゆーくんの様子を眺めるだけに留めて、他の子と一緒に遊んだり雑務に集中するなど、特に気にしている様子はなかった。
多くの園児の一人と考えてしまえばそうなのかも知れないが……少し冷たくないか、と思う方もいるだろう。
ここまで変わったのに、昨日は保育園を抜け出すという一大事件を起こした張本人が思いがけない変貌を遂げたのに。
周囲の疑念を特に気にする素振りもないまま、朝の慌しい時間は過ぎていった。
そして朝の時間がやってきた。外で遊んでいた子どもも、室内で友達と話していた子どもも、みんな一斉に部屋の中へ入っていく。
先生が元気よく「おはようございます」とみんなに声をかけると、子ども達は先生の数倍以上の声で「おはようございます」と返す。有り余るパワーを声に変えて。
ちらりと横を見ると、昨晩振った雪が僅かな日陰で小さな塊となって冬の柔らかな陽光から身を隠している。
子ども達にとってはこれもまたサンタクロースの贈り物だと頭から信じきっている。その恩恵に預かって、今朝は外で遊ぶ子どもの割合が格段に増えた。
都会では普段お目にかかれない……いや、肌に触れることのできない貴重な冷たい贈り物に興奮しないはずがない。
ほんのささやかな楽しみとして掌サイズの雪だるまを作る子もいれば、プチ雪合戦をする子もいた。全ての子が、滅多に触れることの出来ない白い物に夢中になっている。
この小さな贈り物に皆目をキラキラと輝かせていた。その影響か、外で遊んでいた子の多くはまだ頬が赤い。
「きょうはクリスマス!きのうはクリスマスイブ!みんなはサンタさんからプレゼントもらったかな〜?」
はぁーい!と元気よく返事をする園児達。サンタさんから欲しかった物が貰えたことの嬉しさが表情によく出ている。
中には「おれは……」と自分の貰った物を先生に話す園児もいたが、嫌な顔をすることなく優しい微笑みで話を聞いた。
そうなると収拾がつかなくなる。我も我もと続けざまに自分のプレゼントを先生に報告していった。
延々と続いた園児達のプレゼント紹介が終わった頃、先生は手をパンパンと叩いた。
「せんせい、みんながプレゼントもらってすっごくうれしいことはわかったよ〜」
まだキャイキャイと騒ぐ園児達。こういった状況では何を言っても園児達の耳に入らないので、一度園児達の昂った気持ちを落ち着かせた。
ようやく静寂を取り戻した教室に、再び先生の声が響き渡る。
「でもね、きのうはサンタさんがプレゼントをくれるだけじゃないんだよ」
園児達の顔には先生の言っていることがわからないと見える。この光景を表すならば頭の上にクエッションマークが浮かんでいる状態だろう。
突然の謎かけに園児達も困惑しているのだろう。昨日はクリスマスイブで、サンタさんがプレゼントをくれる日という認識しか持っていない子が大半を占めるからである。
ただ一人だけ先生の謎かけに勘付いた様子。その子は、昨日がクリスマスイブがサンタクロースからプレゼントをもらえる日だということ以外で何かあるということを知っている。
みんな一生懸命考えているものの、答えは見つからない。頭を抱え込んで深刻に悩んでいる子もいるから、どれだけ真剣に考えているかを伺える。
先生はみんなの難しい顔を見てクスクスと笑い、ちらっと答えがわかっていると思われる子を見た。
「じつはね……きのうはゆーくんのたんじょうびだったのです!」
一斉に湧き上がる歓声。再びどよめく室内。
ガヤガヤと話し始める園児達を尻目に、先生は一人静かに廊下に出た。
先生という指導者がいなくなると、注目は忘れ去られた主役の元へ。一斉にゆーくんの元に駆け寄って質問攻めが始まる。
性格が大人しいので普段目立たない部類に入るゆーくんだが、突然訪れたスポットライトに戸惑いを隠せない。
この場は1対全員である。全員が一斉に話しかけてくるわ囲むわで落ち着いていられない。
「ゆーくんってきのうたんじょうびだったんだー」
「ねぇねぇ、なにもらったの?」
「サンタのプレゼントとたんじょうびプレゼントのふたつもらったの?」
色々なことが一度に飛んでくるのだから応える身にはたまったものじゃない。質問を聞き取ることだけでも困難なのに、質問に答える余裕は今のゆーくんにはなかった。
そこへようやくまとめ役の先生が帰ってきた。その手には大きなプレゼントボックスが。そして二重三重に取り囲まれているゆーくんの元へ。
園児達の人垣を掻き分け、一直線にゆーくんに歩み寄った。
流石にゆーくんも驚いた表情である。まさか自分の誕生日祝いのためにこんな大きなプレゼントを用意してくれているとは思ってもいなかった。誰も想像していなかっただろうが。
よっこいしょと先生がプレゼントを床に置くと、今度はプレゼントに群がる園児達。だが、先生は園児達がプレゼントに触れる前に制止させた。
「これはゆーくんのプレゼント。みんなが先にゆーくんのプレゼントを見たらダメでしょ?」
一部には「ふこうへいだー」とふくれっ面を見せる園児もいたが、この一言でみんなはプレゼントに触ろうとはしなくなった。プレゼントから半径1歩の場所で。
先生はゆーくんの頭の上に手を乗せて、ゆーくんと同じ目線になるよう屈んだ。
「ごめんなさい。ゆーくんのたんじょうびわすれて。だからきょうはみんなでゆーくんだけのたんじょうびかいをやりましょ?」
本日の主役は今日起こった全ての出来事とこれから訪れる幸せを予感した。
今まで体験したことのない祝福、家族以外の大勢で迎える誕生日、賑やかな空間の中心に立てる幸せ。
これまで感じたことのないくらい、幸せな時間を過ごすことが出来た。そして、これからは寂しいクリスマスイブを過ごすこともなくなった。
サンタクロースも家に来てくれるし、みんなも誕生日を祝ってくれる。それだけでゆーくんは幸せだった。
大きな出来事に目をやりがちで、目の前にある小さな出来事を等閑にしてしまう。
決して大が悪いということではない。大によって幸福を分け合うこともあるのだから。
しかし、大が小を呑みこんでしまう危険性も否定できない。小にだって、幸福を求めるものがいるのだから。
たまには小を見てくれる人がいてもいいじゃない。そんなお話。
聖なる夜に祝福を。全ての人に幸福を。
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