寺岡レポート






 本部で仕事をしていると、一本の電話が入ってきた。相手は、彼。
 彼は現在とある極秘任務のため、潜入調査を行っている。私はそのサポートを任されている関係上、接触する機会も多い。
 また彼の仕事関係かな。そう思いながら電話に出る。
 「はい、こちら本部」
 『今から画像を送る。その人物を調査してくれ』
 了解、と応答するとすぐに電話は切れた。仕事熱心な彼からかかってくる電話は用件が終わるとさっさと通信を切ってしまう。もう少しフランクになってもいいのに、といつも思う。
 一件のメールが届いたので開いてみると、添付ファイルが一つだけで文字は一切書かれてない。添付されていたのは画像で、彼がその場で撮った写真みたいだ。
 そこに映っていたのは赤い縁取りのメガネをかけた、光沢のある指通りの良さそうな青色の髪の毛をした、作業着姿の女性。
 何かの身辺調査なのかしら。彼の任務とはかけ離れた人物ではあったが、とりあえず画像を元に検索してみる。
 調査にあまり時間はかからなかった。その筋では有名な人物だったので身元はあっさりと特定された。
 寺岡薫。和桐製作所に勤める研究員。会社では主に新製品の設計・開発を行う。
 有名大学にて博士号を取得。専攻はサイボーグ関連。単身渡米した後も研究を続け、数々の論文を発表している。
 サイボーグ研究の分野において相当な知名度があるらしく、発表した論文も世界中の人から称賛を浴びているみたいだ。
 ……しかし、どうして彼がこんな人物の身辺調査を依頼してきたのだろうか?
 疑問は頭の片隅に置いといて、とりあえず簡潔にまとめた調査書を彼の元へ送った。



 * * * * *



 [ 寺岡レポート ]



 対象者  : 寺岡薫
 勤務先  : 和桐製作所
 調査理由 : 大量に違法サイボーグパーツを購入している場面を捜査員が確認。また本人はサイボーグ研究の第一人者であることから、その動向に対して要警戒と判断したため。



 * * * * *



 彼から詳しい話を聞いた時、寺岡がシロかクロか判断がつかなかった。
 非合法のパーツを大量に購入していながら会社の領収書を切るという矛盾、後日このことについて訊ねてみると本人は無自覚な様子だったこと。
 接触してみて分かったことだが、寺岡本人はほんわかとした人物で危険性のある人物には到底思えなかった、とのこと。
 彼が総合的に判断した結果、寺岡に関しては疑わしい点は多々あるものの違法サイボーグと関連する人物であるとは思えない、との結論に至った。
 疑えばキリがないかも知れないが、怪しいことには間違いない。
 ただ、彼女に接触した彼は極秘任務との兼ね合いもあって深追いは出来ない。そこで私が彼女の調査を協力してあげることにした。



 寺岡の行動パターンは掴んだ。毎日遅くまで仕事をして帰る際には、この十字路を必ず通る。この時間帯になると既に太陽は沈んでおり、街灯も少なく見通しは決して良いとは言えない。
 ……だからこそ、好都合なのだ。
 遠くから足音が聞こえてくる。規則正しく地面を歩く足音がこちらに向かって近づいてきた。あとはタイミングを見計らって―――
 「あいたたた……ああ、ごめんなさい、すみません。お怪我はありませんか?」
 勢いよく駆け出して、出会い頭に衝突。歩いてきた寺岡は地面に倒れ込み、こちらもぶつかった反動で倒れる。尚、こちらは予めぶつかることは分かっていたので見た目よりかは痛くないが。
 地面に尻餅をついている寺岡の手を取り、立ち上がらせる。思ったよりも重たいな、と感じた。
 「い、いえ……ちょっと、びっくりしましたけど」
 夜道を歩いていて突然現れた人に驚いている様子ではあったが、どこか怪我をしているという風には見えなかった。
 「あーっ!」
 「あ、あの……何か?」
 急に大声を上げられて再びびっくりした表情を浮かべる寺岡。まだ変化に気付いていないらしい。
 「水溜りに突っ込んじゃってるじゃないですか!」
 えっ、と自分の着衣を確認する。後ろ側には確かに水溜りに突っ込んだと思しき水の跡が。これも私の細工であるが。
 指摘されて「あああ〜」と明らかに服が汚れたことにがっかりする寺岡。よし、ここまで私の描いていた通りに進んでいる。

 「あの……こんなことまでして頂かなくとも」
 服の弁償代の代わりではないが、近くの居酒屋へ寺岡を連れ込んだ。仕事帰りのサラリーマンと思われるスーツ姿の男性が多く居る店ではあったが、店の雰囲気はそんなに悪くない。
 適当に注文して一人勝手にビールも注文して本格的に飲みのモードに入る私を尻目に、申し訳なさそうにちょこんと席に座ってウーロン茶を飲んでいる。
 「いいのいいの、こうやって知り合ったのも何かの縁。食事を奢ることくらいは当然のことですよ」
 「いえ、でも、しかし……」
 「おにいさん、焼き鳥追加ね〜!」
 はーい、と奥の厨房に居る割烹着を着た無精髭のお兄さんが返事をする。板前さんは寡黙ではあるが、料理の腕は確かみたいだ。
 その隣には常にニコニコと笑顔を浮かべる髪の毛を後ろに束ねた着物姿の女将さんの姿が。あれは夫婦なのか、板前さんとの息がぴったり合っている。
 偶然入った店ではあったが、味は凄く私の好みだった。焼き鳥は塩味が絶妙で、肉も噛み締めれば奥から旨みがぎゅっと溢れ出して来る。これはビールの肴には最適だ。
 きゅうりの浅漬けも漬かりすぎず浅すぎず、ご飯のお供にも酒のお供にも両方いける。これがスーパーで売っていれば間違いなく大量に買い込むこと間違いなし。
 終始控えめに座っている寺岡を尻目に、どんどんお酒は進んでいく。
 「あの……ちょっとお手洗いに」
 どうぞ〜と軽く声をかけると、寺岡は店の奥にあるお手洗いへと向かった。
 その背中が完全に見えなくなるのを確認して、向かいにある寺岡のカバンに手を伸ばした。目当ては彼女の個人情報。今日一番の任務は忘れてない。
 店の中は混雑していて私の不審な行動に目を向ける人もいない。先程まで仲良さげに話していたので、こういうことをしていても咎めることもないだろう。
 仕事に使っていると思われる手帳は比較的カバンの上の方にあった。自宅の住所や電話番号も手帳の中にきっちり書かれていた。
 無用心ではあるが、日常生活を送っている人は案外自分の個人情報に無頓着だったりするものだ。悪いことかも知れないが、ドライな性格なのか仕事だと簡単に割り切っている。
 仕事を終える頃には寺岡が戻ってきた。やることを終えて残っていたグラスを一気に飲み干した。



 * * * * *



 [ 寺岡レポート ]



 曲がり角で偶然を装って接触。その後、居酒屋へ連れ込み親交を深める。
 短い時間ではあったが、彼女に危険思考は特に見られない。
 彼女は和桐製作所において研究員として勤務。主に新製品の設計・開発に携わっている(本人談)。
 以下彼女の個人情報
 ―――



 * * * * *



 「なんだよ、いきなり呼び出して」
 深夜、待ち合わせに指定した公園に現れた彼は開口一番にそう言った。
 「はい、寺岡の住所と携帯番号。あとは交友リストと近況報告」
 あの後すぐに本部へ立ち寄って手に入れた物証を元に資料を作成。簡潔ではあるが必要な情報は上手くまとめた、と自分では思っている。
 え、と驚く彼。そりゃそうだ。彼に言ってなかったもの。
 「いやあ、チョロかったわ。あとよろしく」
 渡す物を渡して帰ろうとする私を呼び止める彼。ホント、察しの悪い人ね。
 「……ん?決まってるじゃない。研究一筋の独身女の心のスキマにつけ込んで、情報を搾り取ってやるのよぅ」
 語尾をちょっと可愛い女の子っぽく言ってみるが、彼は苦い顔をするだけで何も言わない。
 「それで用済みになったら、キメ台詞はこうよ。『夢を見られて良かったな』。いやあ、もうアンタ最悪?」
 酒も入って気分がいいのかスラスラと言葉が滑り出てくる。なんだか言っていて楽しくなってきた。
 だが、彼から返ってきた答えは「ごめん」だった。
 あまりに予想していなかった答えにポカンとしていると、彼は心底申し訳なさそうな顔をして続ける。
 「俺がちゃんと調査していればこんなことまで、お前がする必要無かったのにな」
 彼は私がどういう風にして情報を入手したのか分かっているみたいだった。もう、ホントにどうでもいい所だけ察しが良い。
 「そんな。大したことないよ」
 「でも、今の君は罪の意識を感じてるんじゃないか。だからハイになっているんだ」
 ぐ。鋭い。
 確かに本人に内緒で情報を探り出したことに罪悪感を感じていない訳ではない。私がやったことは立派な犯罪なのだから。でも仕事だと割り切って実行した。
 だが彼は真っ向から核心を突いてきた。私が無意識に逃げていたことを、目を逸らしていたことを強引に目を向けようとさせている。
 「じょ、冗談じゃないわ!……分かったわよ。あんたがやる気ないんだったら、寺岡の調査は最後まで私がやるわ」
 「いや、だけど……」と止めようとする彼ではあるが、私の方は腹の虫が収まらない。普段鈍感な癖してこういう時だけメッチャ鋭い彼にムカついた。
 「大丈夫、あんたには迷惑かけないから。それに、どうせやりかけたヤマだしね」
 幸いにも寺岡の方は私に対して悪い印象は持ってない。さっき言った通り、これも何かの縁かも知れない。
 こうなったら意地でもこの案件を調べつくしてやる。私の中にメラメラと何かの炎が燃え上がった瞬間であった。



 それから何度か彼女と飲む機会があった。
 仕事が忙しいのか頻繁に会うことは出来なかったが、会う度に彼女との距離が縮まっていくのを肌で感じた。
 話の内容はその時次第である。私が(企業に勤めている営業のキャリアウーマンという設定で)仕事の愚痴を話すこともあれば、彼女の仕事について他愛も無いことを喋ったり。
 会う場所は決まって初めて会った時に使った居酒屋だった。いつ行ってもガヤガヤと騒がしいが、その賑やかさが逆に二人の気持ちをグッと持ち上げているのかも知れない。
 私は一人ビールを注文して飲むが、彼女は決まってウーロン茶を頼んだ。どうやら酒はあまり飲まないみたいだ。
 幾度か会ってある程度親交が深まった後、彼女は唐突に切り出した。
 「実は私、昔大きな病を患っていたんですよ」
 珍しく頼んだビールを少しだけ口をつけ、淡々と自分のことについて語りだした。
 全身に転移する悪性の腫瘍。根本的な治療法がなく、手術するしか手が無かった。
 大学生の時に手術が成功して今はこうして普通に日常生活を送れるようになったが、それまでは入退院を繰り返していた。
 「だから今、とっても充実した毎日を過ごしているんです。好きなことを仕事に出来て、病気に怯えることなく生活出来て、こうして気の合う人とお喋りして……凄く、楽しいんです」
 それはそれは幸せそうな表情を浮かべ、嬉々としながら話していた。
 ……彼女もまた、平坦な人生を送っている訳ではないんだな。すっかり泡が消えてぬるくなったビールを一気に呷った。
 そういえば、今の私って彼女からは“気の合う人”なんだ。その一言が、ちょっと嬉しかった。
 だって、私も楽しいから。

 「だ・か・ら!どーして、そこで身を引いちゃうのよ!」
 発端は彼女の何気ない一言から始まった。
 些細な女心に対して鈍い彼のことを一方的にこき下ろして、彼女がその話を聞いてクスクスと笑っていた時のことだった。
 『なんだか分かるなぁ。私にもそういう人がいたんですよ』
 その時の表情にどこかピンと来るものがあった私が根掘り葉掘りその人のことについて聞いてみると、彼女はその勢いに根負けして昔好きだったと告白してくれた。
 私の勘は正しかった!と一人勝ち誇っていたが、その人についてさらに詳しく聞いていく内に好意を伝えずその人の元から去った、と明かしたことで私の中で何かがプッツンと切れた。
 「……だって」
 「『……だって』じゃないでしょうが!ホントにもう。いい男が手に入るチャンスなんて奇跡みたいな確率なんだから」
 聞けばその人も彼女のことを好きだったらしいが、その人には別に好きな女の人が居たらしく、それを察した彼女が自分から身を引いた、という訳だ。
 勿体無い。話を聞けば聞く程にその人と一緒にならなかったことが残念で仕方がない。私だったら何が何でも一緒になっていたのに、どうして諦めたんだと当時の彼女の元に行って諭してあげたいくらいだ。
 「……当然、別れる前にはやることはやったんでしょうね?」
 「あの……な、なんか凄いこと言ってません?目、据わってますよ」
 顔を真っ赤にして私の発言を確認する。この純真乙女がっ!その癖して“やること”の意味は理解しているし。
 「はぁ〜、アンタ全然ダメだわ。大体何その寝癖。そんなに綺麗な髪の毛していてロクに手入れしてないなんて何考えているんだか」
 彼女は年齢の割には綺麗な髪の毛をしているし、肌の瑞々しさやハリも若い子のようだ。何か手入れしているの?と訊ねてみたが彼女は「何もしてないですよ」の一点張りだった。
 それにも関わらず自分の外見には無頓着らしく、いつも髪の毛は寝癖でボサボサだ。私でさえ最低限気にしているのに、彼女は女を捨てているも同然だ。
 「でも、会社の仕事が忙しくって」
 またいつもの台詞で逃げられる。何かあったら『会社の仕事が忙しい』が出てくる。
 「ええい、そんな会社辞めちまえ!肌だって年下の私よりキレイな癖に全然何もしてないんでしょ!」
 「……はぁ」
 力ない返事に何か本気でムカついてきた。
 「ムッキー!!ええい、その身体で遊ばせろ!まずはツインテールにしてやる!」
 茹蛸のように顔を紅く染め、私の魔の手から必死に逃れる。その光景に何事かと遠巻きに客や店の人が見つめる。
 ボサボサの頭をツインテールに仕立て上げることは叶わなかったが、その柔肌を触ることで今回は勘弁してやることにした。
 ……果たして、これは仕事と呼べるのだろうか。



 * * * * *



 [ 寺岡レポート ]



 かなり打ち解けてきたものの、何か大事な事を隠していると思われる。
 (尚、これは個人的な見解であり、事実に関しては不明)
 寺岡本人は悪い人ではなく、寧ろ善良な精神を持った人物である。これに関しては自信を持って断言出来る。
 仕事は忙しいものの、それを生きがいに生きている節さえ感じられる。
 さらに寺岡と接触回数を増やし、謎の解明に努める。



 * * * * *



 何度か食事を重ねたある日のこと。
 先に店に着いた私は一人ビールを片手に待っていると、彼女は約束の時間から少し遅れてやって来た。「すみません、すみません」と謝る彼女に「大丈夫、気にしてないから」と優しく声をかける。
 どうやら彼女のやっている仕事が佳境を迎えているらしく、それに比例して仕事量も増えているらしい。
 「それで、仕事の方は順調?」
 「ええと、まあ……それなりに」
 仕事のことを聞いても「忙しい」と言うことはあっても決して内容のことは明かさなかった。自分の扱っている仕事の内容を決して他人に話さない姿勢を貫いているのは、同じ仕事人として賛同出来る。まぁ、ここまで来ると堅物の域ではあるが。
 「……ふーん。相変わらず、寝癖も直さずに。そんなこっちゃ、キューティクルがボロボロに痛んじゃうよ。」
 彼女のキレイな髪に手を伸ばす。触れた瞬間、すぐに違和感に気付いた。
 髪の毛がどちらの方向にも滑る。普通の髪ではこうならないはずだ。私の職業上、サイボーグのパーツを触る機会が多いからすぐに分かった。
 警戒してなかったから彼女が拒むことは出来なかった。知られたくなかった秘密がバレてバツの悪い表情になる。
 「そうか……そうだったのね。造り物の髪の毛」
 「―――……か、かつらじゃないですよ?」
 彼女は懸命に笑う。無理に作っている笑顔が、逆に痛々しい。
 「……肌も、そうなの?」
 「…… …… ……はい」
 その答えで全てを悟った。
 「そういえば昔、凄い病気だったって……そう言ってたよね。それで、サイボーグに?」
 彼女の中で堪えていた何かが、その瞬間崩壊した。こみ上げてくる嗚咽を必死に噛み殺すが、抑えきれない感情が涙となって溢れ出してくる。
 一粒零れれば、あとは二つ三つと次々と頬を濡らす。行き場を失った雫は、ポタリポタリと落ちて年季の入った木製の机を濡らす。
 「し、仕方なかった……ん……」
 嗚咽の中から必死に弁解しようとする。一人が号泣する異様な光景に普段は賑やかに騒いでいる客達も一斉に静かになり、こちらのことをじっと見守っている。
 ―――分かったから。もう何も喋らなくていいから。
 「ああ、もう……泣かないの」
 (改造比率の高いサイボーグは確か違法だったわよねぇ)目の前で泣いている彼女を宥めながら、仕事のことを考えている自分に少しだけ嫌気が差した。



 彼女が泣き止んだ後も居心地が悪くなってすぐに店を出た。平然と普段通り支払いの応対をしてくれる店員さんの心遣いに頭が下がる思いだった。
 二人並んで歩く帰り道、空には大きく丸いお月様が暗い夜道を背中から押してくれた。
 暫く無言で歩いていると、彼女は私に隠していたことを打ち明けてくれた。
 「えっ、病気はまだ治ってない?」
 「ええ。サイボーグ化していない部分にやがて異常細胞が発生するのです。その度に、そこを人工のものと置き換えているのです」
 前話していた悪性の腫瘍。生きる為には腫瘍でダメになった部分をサイボーグで補うしかない。人でなくなる選択を選んで、彼女は生き延びた。
 だが、それでも腫瘍は生きていた。サイボーグのパーツで補完しても、彼女の無傷な部分を蝕んでいった。
 これからも腫瘍とのイタチごっこは続いていくのだろう。彼女の命が続く限り。
 「―――ちょっと待って。じゃあ脳は?脳は無事なの?」
 心臓も肺も今の世の中の技術で代替品は存在するが、一つだけ存在しないものがある。記憶を司る脳だ。
 「……有機コンピュータに少しずつ交換してます。交換率は四十五パーセントってとこですね」
 そんな。言葉が、言葉にならない。
 現実は非情である。陳腐な言い回しかも知れないが、痛切にそう思わざるを得ない。
 有機コンピュータに置き換えれば記憶は出来る。でも、新しいコンピュータへ置き換わる度に過去の記憶は薄れていく。
 あんなに恋焦がれた人の声も、顔も、想い出も。跡形もなく消え去ってしまうなんて。
 「ねえ、芙喜子さん。私って、まだ人間なんでしょうか?」
 初めて下の名前で呼ばれた。彼女は黒く染まった家々の影の上にぽっかりと浮かぶ月を眺めながら、力なく呟いた。
 「あ、当ったり前でしょう!例え、アンタの全てが人工のものに置き換わったとしても―――アンタは、私の大事な友達よ!」
 その弱弱しい後姿に向かって、私は叫ぶように答えた。
 すると彼女はようやくこちらを向いてくれた。月の光に遮られて、その表情を伺い知ることは出来なかった。
 「良かった……それなら、まだ生きていけるような気がします」
 ようやく確認することが出来た彼女の顔は、心の底から安堵していたように映った。
 でも次の瞬間には彼女の顔は歪んで見えた。月の光が目に沁みて、視界全体がぼんやりとしてしまったから。





 * * * * *



 [ 寺岡レポート ]



 * * * * *





 組織への忠誠心には自信がある方だと自負していた。
 でも、組織に提出する寺岡レポートの最終報告だけは、最後まで真実を書けなかった。
 組織的に見れば彼女は違法サイボーグに該当する。そうなれば違法サイボーグとして彼女の命を奪わなければならない。仮に私が手を下さなくても。
 私は組織に対して忠実な僕ではあるが、今回だけはそれを辞めることにした。適当に理由を仕立て上げ、お茶を濁すような形で最終報告書をまとめあげた。
 彼女はテロを起こしている犯罪者達とは違う。そう分かっていても組織としてはそれを許さないだろう。
 つくづく、今の仕事に嫌気が差した。無二の親友であっても、その人が違法サイボーグなら差し出さなければいけないのか、と。



 彼女に関する最終報告書を本部に提出し、部長に口頭で調査結果を報告した。組織から信頼されているからか、特に何か言われることは無かった。これで全て終わった。
 いや、まだ私にはやるべきことが残っている。調査の結果を彼に伝える約束が残っていた。
 一応核心に触れる部分は避けて適当に誤魔化すつもりだ。でも、もし彼が私の気持ちに気付いたなら、全てを打ち明けよう。
 まだ、月は出ているかな。急いで身支度を整えて、私は家を出た。





 END






 パワポケ8における寺岡薫のイベントを白瀬の視点から書いてみました。
 一年程前には既に大まかな構想は出来上がっていたのですが、何度も何度も書いてみたのですが自分の納得がいく作品にならず、已む無くお蔵入りに。スタバでのんびりと小説のことを考えている内に「そういえば白瀬と寺岡の作品があったな」と思い至り、その場で流れをまとめて帰宅後に執筆開始。夕食と風呂を挟んで九時間で書き上げました。
 最初は白瀬視点だけでなく寺岡視点で徐々に白瀬と仲良くなっていく描写も書こうと思いましたが、どうも自分の中で腑に落ちずボツに。改めて書き直してスラスラと書き上げられた辺り、小説を書くのに勢いが必要だとか序盤の躓きは致命傷になるんだなと改めて感じました。

 ストーリーの流れに関しては原作のイベントから殆ど手を入れていません。8主(彼)が出会ってから寺岡が白瀬に真実を告白するまで、原作の流れを壊さないよう最小限に肉付けしただけとなっています。あまり脚色を加えていないので、これが果たして“作品”と呼べる代物なのかは分かりませんが。
 何事にも斜に構えていて仕事の為なら何でもやる、という性格の白瀬。でも研究一筋で真っ直ぐな寺岡と関わっていく内に白瀬の中に隠れていたロマンチストで乙女な部分が見え隠れする、という感じでしょうか。白瀬がはっちゃける部分に関しては書いている身としてもなかなか面白いなと思っていたりしました。
 シリアスな場面の描写は苦手としているのですが、今回はすんなりと書けることが出来ました。これも筆の勢いというものなのでしょうか。

 白瀬は本当にパワポケ8において万能に使えますね。キーマンにもなり、ワンシーンでも使え、脇役にも主役にもなり得る。私のパワポケ8の小説において彼女七面六腑の大活躍をしてくれます。どうしてなんでしょうね?

 およそ8500字。改行が多い分だけ長く感じますが、実際に読んでいると短く感じられると思います。
 この作品を最後まで読んでいただき、真にありがとうございました。感想など頂けると作者は狂喜乱舞致します。



 (2015.08.12. up.)

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