「……ねぇ、風来坊さん」
「ん?」
雲一つない澄んだ青空の下、川沿いの道を歩くアタシと隣にいる人。
口に道端で摘んだ茎の長い葉っぱを咥える、傍らにいる“風来坊さん”と呼ばれた人は間の抜ける声を返してきた。
茶色のテンガロンハットを浅めに被り、黄色のマフラーを巻いて茶色のコートに身を包んでいる独特の服装。どことなく各地を歩く旅人の雰囲気を醸し出している。
この人の本名は実のところ知らない。野球が出来ること以外、一切のことを語ろうとしないのだ。
本人が話したがらないのは理由があると思って聞いていない。ただ名無しでは不都合があるので、私は勝手に“風来坊さん”と呼んでいる。
風来坊さんはある日ふらりとアタシ達の前に現れて、いつの間にか河川敷にテントを張って腰を落ち着かせてしまった。
あまりに怪しい風体だったので最初の内は警戒する動きもあったけれど、別に誰かに迷惑をかけている訳でもないので構わないと私は思った。むしろ好感を抱いていた。
何者にも縛られることなく、自分の信念を貫く。そんな生き方に共感を得たのかも知れない。
でも、流石に自給自足の生活には限界があった。住まいはテント、食料は川の魚や自生する野草で凌げるが、衣服だけはどうにもならない。
風来坊さんの服は今着ている一張羅のみ。川で洗濯や水浴びは出来ても、臭いだけは抑えきれない。
まぁ、色々とあってアタシと風来坊さんは付き合うことになったのだが―――
「今、幸せ?」
アタシからの問いかけに風来坊さんは不思議そうな顔をして、じっと顔を見つめていた。ほんの少しだけ、空気が重くなったように感じた。
嗚呼、空はこんなに晴れ渡っているのに、アタシの心の中はどうしてこんなに曇っているのかな。
《 アンドロイドは幸せになれないのだろうか? 》
アタシも風来坊さん同様、他の所からやってきた人間だった。今は商店街の一角に漢方店を開いている。
カレー店を営んでいる奈津姫とは同級生で親友。そこの息子のカンタには『おばちゃん』呼ばわりされているのが少し気に食わない。
みんなに聞いたら多分こんなことが返ってくるに違いない。
―――でも、それが全くのデタラメだったら、私のことをどのように思うだろうか?
世界的大企業“オオガミ”。そのオオガミが運営する研究所がアタシの生まれた場所だ。
正確に言えば『生まれた』というよりも『造られた』と表現した方が正しいかも知れない。
試験管の中に複数のサンプルDNAを投入して培養。それを大人サイズになるまで成長させる。そして出来上がった肉体に研究者達は機械を埋め込んで完成したのが、アタシ。
ここまでに至る経緯で分かったと思うが、アタシは正確には人間ではない。アンドロイドだ。
複雑な事情で生み出された命なので、当然のことながら人間としてではなく実験生物として研究者達から扱われた。
アタシは自由が欲しかった。人として生きる。命の危険を冒して、研究所から脱出した。
外見こそ普通の人と判別はつかないもののアタシには人として生きるには全ての面で不足していた。故郷、縁故、資金、そして経験。
オオガミの追っ手から逃れるために、仲間に協力してもらって遠前町の住人として溶け込むことにした。
商店街の一角にある空き家を漢方薬局に店を構えて、交友関係も当たり障りのない程度に記憶を刷り込んだ。おかげで自然に商店街の仲間入りを果たすことが出来た。
だからアタシは風来坊さんと似たような匂いがする。似た者同士だから気が合ったのかも知れない。
「どういうこと?」
さっぱり分からないという表情をして、アタシに逆質問をしてきた。
自分の考えすぎなのかも知れない。頭の中で否定するけれど、どれだけ打ち消しても心の奥底から静かに湧き上がってくる。
こんなに空は青いのに、暖かな陽射しが燦々と降り注いでいるのに、どうしてアタシの心は厚い雲が覆っているの。
川沿いを爽やかな風が吹き抜けていくのに、季節外れの北風が容赦なくアタシの心に吹き付けてくる。
こうやって生きていること、風来坊さんと一緒の道を歩いていることが、凄く幸せなことだと感じているのに。
ふと、道に落ちている小石が足に当たった。
特に意識して蹴った訳ではないが、蹴られた小石はコロコロと勢いよく転がっていき、道脇の草むらへと飛び込んでいった。
……無意識の内に、その小石と自分自身を重ねて見ている自分がいる。そんなことないと懸命に否定しても、何か似ている部分があると感じてしまう。
草木が時をかけて地中深くに根を下ろすように、人間関係も時間と共に深みを帯びていく。
それなのに、アタシは根っこの部分が浅い。どんなに完璧な人間関係を上辺だけで作ったとしても、僅かな拍子で抜けてしまうかも知れない。
もしも本当のことをみんなが知ったらどうなるんだろうか。
所詮アタシは試験管の中から生まれてきた人間。それが真実であり、事実なのだ。
どれだけ頑張っても、みんなと同じにはなれない。体中に埋め込まれている機械を取り除いて可能な限り人間に近付いても、だ。
奈津姫は今まで通りに接してくれるのかな。カンタはアタシのことを『おばちゃん』と言ってくれるのかな。
平穏が、日常が、崩れ去ってしまうのが、無性に怖い。
いつも明るく振舞っているけれど、それは自分が常日頃抱えている不安の裏返し。そうしないと押しつぶされてしまいそうだから。
「どうしたんだ、武美?」
風来坊さんの声が聞こえた。ハッと振り向くと、心配そうな表情を浮かべてこちらを見ていた。
ヤバイ、今のアタシってそんなに深刻な表情をしていたのかな。上手く顔を繕えず、またしても暗い気持ちになる。
嗚呼、何で中途半端に感情をつけたのかな。
気持ちが昂っても涙が出ない割にそれ以外の感情は人並みに感じる。喜びも、怒りも、愛情も。
今アタシの心は不安でいっぱいだ。この幸せが、日常が、ちょっと拍子で崩れていくことが、怖い。
……もう限界。自分一人で抱えきれない。
「アタシなんかでいいの?」
この言葉でなんとなくピンと来た様子。
「別に。武美は武美なんだから。体に機械が埋め込まれていても、関係ない」
一度だけ、風来坊さんにアタシの体を見られたことがある。
見られてしまったものは仕方がない。これまでの経緯も含めて、全て話した。
それでも秘密を知った風来坊さんは、全く変わることなく接してくれた。距離感も、話し方も、声のトーンも、奈津姫やカンタと話している時のように同じだ。
商店街の仲間から一歩互いに歩み寄った関係になっても変わってない。
なのに……心の底から湧き上がってくる、黒いドロドロとした気持ちはなんだろう。
心のどこかに負い目を感じている自分がいる。決して今ある幸せを壊そうとは思っていないけれど、相手のことを考えたらこのままでいいのかと考えてしまう。
「だってアタシ普通じゃないし……風来坊さんが我慢しているんじゃないかなって」
すると突然それまで真剣に話を聞いていた風来坊さんが噴き出して笑い始めた。ただ単に笑っているというよりも爆笑していると表現した方が近い。
一方のアタシはどこにそんな笑うポイントがあったのか全く分からないまま置いてけぼりにされている。
腹を抱えて笑っている風来坊さんを見ていたら無性に腹が立ってきた。
「武美って、意外と小さいことで悩んでいるんだなー」
いつもならば『小さいって言うなー、気にしているのに』と噛み付く所だが、今日はそんな気分にはならない。
理由を聞かせてくれず一人で大笑いしていた風来坊さんではあったが、そろそろ波の頂点を過ぎたみたいで笑いすぎて溢れた涙を拭って若干表情を引き締めて、こちらに向き直った。
「愛のカタチなんて誰も見たことがないんだ。だから人それぞれ別々のカタチがあっても文句はないだろ?」
「でもさ……」
恥ずかしさが上回って口に出すのを憚る言葉。『恋人らしいことが出来ない』とは、自分の口から到底言えない。
全ては想像の上での話になるが、これからもっと親密になると互いの距離がどんどん近くなる。そこまで辿り着くまでに立ちはだかるのは、自分という大きな障壁。
口を噤んでモジモジとしているアタシの様子を見て察してくれたみたいだ。
「交わらなくてもいいんだ。傍に居て、肩を寄せ合って、手を取り合って、言葉を掛け合って、二人で笑う……オレにはこれだけで充分だ」
不意に風来坊さんの腕がアタシの肩に伸びて来て、グイッと寄せてくる。一気に二人の距離が縮まって、顔が一気に熱くなる。
小柄なアタシを包む風来坊さんの腕に、触れ合っている体に、それまで感じたことのない安堵感を覚えた。
それと同時に、今まで心を覆っていたモヤモヤが先程の一言で瞬く間に消え去ってしまった。
残ったのは清々しい青空。今、二人の間には爽やかな風が吹き抜けている。
もう、悩むことも、迷うこともない。
間違いなく、正真正銘、アタシは人間だ。誰が何と言っても、風来坊さんは裏切らないから。
この関係がどこまで続くか分からないけれど、強い絆で結ばれた二人に怖いものは相手から逃げていくさ。
思いっきり抱きついた。さっきまで恥ずかしい台詞を平気な顔して言っていたのに恥ずかしそうな表情を浮かべた。可愛らしい。でもそれが今は限りなく愛おしい。
アタシ、今すっごく幸せ!
fin.....
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