【本人否定 〜GAME〜】(ゴズィラ作) 【本人否定 〜GAME〜】  "九回の表…一点リード。しかし、二死満塁…。逆転の可能性もあり得ます!"  "…いいともさ。進君のリードがあれば、この状況は…打破できるさ!" 「……外角…高め……スライダー」 「良し…"YES"!」 「ポドス選手に対しての第一球目……外角に決まり、ストライク…」 「ん…じゃあ進君、二球目のサインをお願いできるかな?」  グラウンドの片隅、右翼席のポール付近で…猪狩進と、神童裕二郎は、互いに背中  合わせで座り…瞑想するかのように目を瞑り、ブツブツと会話を繰り返す。神童の  口からは、進の問いに対して…の回答を続けていた。…大リーグ・  レギュラーリーグのRED・ANGELS。…その本拠地で、サウスポーエースと、レギュラー  捕手の日本人が…"イメージトレーニング"と銘打ち、行っているこのゲーム…。  二人の周りに…チームメイトの人だかりが、いつの間に出来ているのは…いつもの  光景だったりする。神童が先発投手で、進も捕手として出ている試合の想定…。進の  サインに納得したら…"YES"。そうでなければ、"NO"。サイン成立ならば、"投球"と  なり…その投じた結果は、その時の進の頭の中に張り巡らされた、データに基づき…  判定する。 中々、興味深い内容だが…判定するのは、一個人の気まぐれに過ぎない。  神童が気が付けば、"大乱調"になる事もマンザラではないようだ。この日も、"神童の  調子"とやらは…今ひとつ。  でも進は、"神童の乱調"を自分のせいにしてしまう…。自分の判断した結果に…そして  自分が野球をしている事にも…納得はしていないようだ…。 「…真ん中…低め…直球…。カウントは2−3です」 「……"NO"!」 「……うん? …そうですか…。じゃあ…内角…低め…同球種」 「"YES"」 「ポドス選手に対しての第六球目………。…左中間を破る…2ベースヒットです…」 「………そうか…」 「ランナーが一掃されました…」 「あぁ…ゴメンな、進君…。ちょっと…僕がすっぽかしてしまったみたいだね?」 「いえ、貴方の投球は…完璧でした…。何一つ落ちこぼれた投球は…ないんです!」  進は少し体をふら付かせながら、何とかその場から立ち上がる。神童の広い背中から  離れた彼の姿は、一見すれば禍禍しいと感じるに違いない…。進は…掌を空に向け、  雲を掻き毟るように…、何かに憑依されたように…進は、白く縮んでしまった瞳は…  必死に西海岸沿いに走る…青く輝く空の雲を…羨望していた。 「……! 本当に済まないけれども、皆…少し……進君と僕とで…二人にしてくれない  かな…? 僕達も…後で、皆の元へ戻るからさ」  進の異変…。それでも神童はあくまで冷静沈着を貫き通し、周りを囲む…自分たちより  もガタイ体格のチームメイトに、申し訳無さそうに手を合わした。…彼等は、体格の  外観とは裏腹に…物分かりの筋はある。一人が神童の頭にバフリ! と大きい日に焼け  た掌を置き、歯を剥き出しに大きく高笑い。 「HA! HA! HA! イヤァ、Sorryなのはオレタチダゼ。……ジャマをシテ…ワルカッタナ。  …ダイジョーブ! …アトデ、ユックリ…ナ?」 「……うん、また……後でね…」 「See you again!」(またな!)  皆はそれぞれ、思い思いのグラウンドの場所へと、自分達の練習ポジションへと帰って  いく。それを見送ると、神童は…再び、切なさを噛み締めるように…進に目を光らす。  ANGELSのイメージカラーの赤キャップを…後ろに被り…、全身も大リーグ・レギュラー  リーグ…強豪チーム所属の証…赤と白の色が配色されているユニフォーム。 「神童さん…」 「……どうしたんだい? 進君…」 *  空の彼方を請うようだった視線を横へとスライドさせ、…自分の視線の方向に立っている  であろう僕の姿を捉えている。…しかし、焦点の定まらない…酷く、白色に濁った瞳は…  恐らく…僕の姿なんて正確に捉えていない筈。ミステリアスな進君の瞳は、腐りかけて  いるのだから…。 ただ…"僕の居る方向"を直感的に察知し、ゆっくり口を開く。 「今の上空……どんな感じですか…?」 「あぁ…そうだねぇ。…凄いよ。白雲の量も丁度良くてさ……空自体も…太平洋の海を  映したみたいで…綺麗で…」  僕はポールが聳え立つ、もっとその先を垂直に見上げた…。晴天に恵まれ、まさしく…  地上から見渡せる絶景。透き通るようなスカイブルーに、トッピングされたように…  神々しい太陽と、その使いの雲が連なる。何という壮麗な…昼下がり。…暫くして、  僕は空に移し変えていた感情を、再び進君に移入する…。  僕と同じ、赤色のキャップ…、ユニフォーム。白く濁ってしまった神秘的で、悲しい瞳。    ━━そして……時折、風に吹けば薬品臭が漂う…"緑色の髪の毛"━━…  僕のズボンの中には、彼の…必需品…白縁の視力認識ゴーグル。言葉には出してはいな  いけれども、きっと困っている…。そう、口には出せないだけ。彼は僕に、とても…  とても、遠慮していた…。━━━でも…オリックス時代からの仲じゃないか!  ━━━遠慮なんて…一つもする必要は…君には無くても良いんだよ…。 「ぅあ! ……神童さん?」  僕は、慎重に敢えて何も言わず、背後から彼の両眼にゴーグルを掛けさせた。すると、  ビクリと彼の体はひきつって、刹那の間の…視界の転換に驚いてしまったようだ。 「おっと、ゴメンよ。驚かすつもりなんて、毛頭無かったけれど…。でも、やっぱ、  この方が…よく見えるだろ? …空がね!」  ゴーグルを手で擦りながら、進君は小さく顔を頷かせた。すると、戸惑いながらも…  今度は僕の姿を完璧に捉えながら、彼は震えた声で…僕に訴えた。 「神童さん…。僕の事を…貴方は否定しなかった! あんな滅茶苦茶な瞑想ゲームでも、  貴方は…僕を嫌わなかった! …オリックスに在籍していた頃だって…そうでした…」 「進君…、焦って話さなくても構わない…。…もう一回、座ろうか?」 「……はい、すみません…」  さっきは背中合わせ。でも今度は面と向かい合う。深呼吸するように促すと、進君は  高鳴る胸の鼓動を自制するかのように、胸を軽く押さえながら…息を整える。そして  柔らかい天然芝生の上で…進君は、西海岸の町を照らす…空全体をチラリと、見向き  ながら…大分、落ち着いた口調で…僕に話し掛けてくる。 「僕は…兄さん以上の大切な支えを見つけたんです。"プロペラ団の捨て駒"なんて…  世間から囃し立てられていた時、僕は…オリックスに入団した…」 「………」 「でも、でも! 神童さんは…僕の全てを抱擁してくれた…。……嬉しかった…!!  貴方は気兼ねなく、僕との練習を積極的に組んでくれましたね…。貴方は…僕にとって  "野球の原点"のような、大切な存在…です。昔も今も!」 「ありがとう、進君…。僕も…進君は…大切なパートナーだよ!」 「…………僕が、思い悩んでた時は…よく、美味しい神戸牛のステーキのお店に連れて  行って貰っては、心が晴れるまで……僕の話に対して、親身になって答えてくれた」 「ハハハハハッ! あった、あった。…あの時は、僕も…本当に安心できたよ…」  僕が声を出し、笑っていても…進君の表情は冴えない。それはゴーグル越しからでも  はっきりと分かる。彼にとって、その白いゴーグルはただ単の"表情隠し"の道具なの  だろう…。けど、僕には…隠された進君の心情がそのままそっくりと、ゴーグルから  零れているような気がした。 明るすぎる空とはまるで対照的な自分を隠すように、  進君は…僕とも…目を合わそうとせず……いや、視界を無くそうとした…。 「僕のこの姿は…"偽り"なんです。僕は貴方とはいつも、このゴーグルを装着して……  顔を見合いながら…話し合いました。でも、結局…それは虚像に過ぎないのですよ」 「君は偽りなんかじゃない…。現にこうして、進君は…僕と話してるじゃないかい」 「あっと…イケナイ…」  徐に、進君は例のゴーグルを額にまで上げて…僕に"本質"を見せる。  ………進君の瞳からは…涙ではなく…"真っ白な液体"が流れ…頬にシルクの印を残す。  決して…"涙ではなく"…まるで錆び付いた機械の隙間から流れ落ちる、腐敗したオイル  のように…、進君の涙腺も…人体改造によって破壊され…何かしらの排出物を示すよう  に…ふいに流れ出るのであった。 「……ごめんなさい、神童さん…。僕は"不純物"なんです、昔から言ってますけど。  色んな要素ががむしゃらに混ざり合って、構築されているんですよ…! だから…」 「だから、君は自分を"虚像"と呼ぶのかい…?」 「……はい、すみません…」  何度も、進君は僕に謝る。僕にはその意図らしきものが理解できないが、きっと彼は  "虚像"を受け入れてくれる僕のことに対し……、"それは誤りだ"と投げ掛けている様で  堪らなかった…。……"虚像"なんかじゃない。ましてや、遠くに浮かぶ蜃気楼や、陽炎  のような浮いた存在ではない…。君が…どんなに眼から"白い液体"を流そうと、どんな  に一風変わっているように捉えられてしまう、エメラルドグリーンの髪の毛を……  持っていようと、進君は…進君なんだ。その存在は、神様だって変える事は出来ない  筈さ。  でも…それを自分の手で強引に変えようとするのは…ルール違反じゃないかな?  "消し去ってはいけない"。過去の産物から逃げる事無く…足元から延びている、道を  見据えて…生きてゆくんだよ。……だから、君に課せられた長い道筋を、また階段を  "走れるようになるまで"、僕も一緒に…歩いていく。 「進君…。君は君なんだ! 猪狩進という君は…こうして、僕の目の前に座っている。  オリックス時代を過ごした…昔も、そして…今も…、君は…僕に話してくれている」 「神童さん……。…どうして、そんなに僕を認めてくれるんです? こ、こんな僕の  事を認めても……何も……ぁ」  僕は進君の傍に近寄ると、右袖で彼自身の"排出物"で汚れてしまった顔を拭き取る。  途中欠けの彼の台詞。……でも、そんなものはどうだっていい。君は否定しなくても、  今の環境は…進君を精一杯…もてなすように迎え入れてくれている。認めている。  僕なんて、案の定…君の人柄…"優しさ"に何度だって触れてきているんだ。進君は…  高校時代…事実、オカルト教団に染まり…道を外した。  そして…君は"野球マスク"という呼称までオマケで付けられた。  でもな、進君…、君は"野球に対する温かい情熱"は…何一つ…変わっていない。  罪滅ぼし…ではなく、それが君の本来の姿なのだからね。…きっと、"野球の楽しさ、  素晴らしさを伝えていく"、僕の遥かな夢を…君は……引き継いでくれる!  「……だ、駄目ですよ。神童さん、ユニフォームに無駄な汚れが……」 「大丈夫だよ! 洗えば落とせるさ…。……ほ〜らっ、その代わり綺麗になった!」  僕は腕組みをして、進君の顔を覗う。彼は軽く息を吐きながら、あどけない表情を  表している。額に上げたゴーグルのレンズが日光で、キラッと反射するように…  進君の心身も輝きを取り戻してくれたような気がして…。 「進君は…本当に温かいね…。表情も…野球をしている時も…、全部そうさ!」 「人をからかうのは…体に毒ですよ…」 「ハハハハッ! からかってなんかはいないよ。…ただこれだけは、信じて欲しい…。  僕は君を否定したりしない! なのに……さっきのトレーニングゲームで、君は…  僕の投球配分を、自らのせいにしていた…、否定していた…。…何故だい?」  進君はゴーグルを掛け直すと、ゆっくり手を地面につき、立ち上がる。さっきは  軽くではあったが…今度は肩で大きく息をし、ゆっくりと僕の前を通り過ぎる…。  すると彼は、ポールの前で足を止め…ペタペタと金属製のそれに、手を宛がうと、  進君は…自らの拳を振り上げ…ポールに行き成り、右ストレートをお見舞いする…。  ポールの隅を僅かながら掠ったものの、ポールは鈍い金属音を響かせていた…。 「…………成るほど、進君。君は"自分の力"が…憎いのだね?」  彼の行動の意味を直ぐに悟った。ポールは、掠った部分が見事に抉られており、  内部の空洞までハッキリと分かるくらいに…貫通している。しかし、彼の右腕は…  鉄くずを微小に帯びているだけで、掠り傷一つも負ってはいない。でも、僕はそんな  彼の"自己主張"には全く動じようとはしなかった。そして彼は冷徹な表情を僕に向けて、  密かに微笑している……。 「神童さん…。"これは明らかに僕ではない"のです。……こんな、鬼畜地味た力…、  人間では出来ないのでは?」 「だから…何を僕に言いたい?」 「僕は幾度と無く、あの組織に"ヤク漬け"にされて、もうそれが…抜け切らなくなる  までになってしまったのです。もう……こんな体、無くせるものなら…」  進君は自分の体全体を、恨むように眺めていると…、力が放出されたように…、フェンス  に凭れ…ずり落ちながら…座りこけた。時々、ゴーグルで指で押し上げながら…、何か  光るものを拭き取る仕草を見せながら。 「こんな…こんな…の、滅ぼしたい! …僕は…自分が憎いんです…」    そして…彼は完全に塞ぎ込んだ…。声まで完全に霞みに包まれて…、静かなる自暴自棄  に犯されようとしていた…。そういえば……こんなのは、初めてじゃなかったっけ。  進君は…見えぬ病気に浸食されている…。憎き己の体を呪い…恨む……。そして、  そんな彼を平穏に導く役目は僕が、代々担ってきた。…僕は…進君のパートナーとして  良き理解者として…、今までずっと…色々な進君を見た。  今回も例外じゃない。だから、難しい事ではないんだ…。"本人否定"…自分自身に  犯されている体を治すには…僕…神童裕二郎が唯一の特効薬になる…、そう信じた。  今、この時もそうだ! それが…進君…"野球マスク"を鎮静化するには適している。 「進君…、君のその力…"物をぶち抜く"に用いるのでは無い事は…君自身が知っている  事だろう? …君の"今の力"は……僕達のファンに魅せる為の…恵みだよ…」 「恵み…?」 「うん♪ 過去の清算は…君のプレイ…一つ、一つに丹精を込めればいいんだ…。  例え…それが、理不尽な力だとしても…君には…"野球を続ける義務"があるんだよ?」 「……」  力落として…蹲っていた進君は…黙って立ち上がり…、背筋をピンと伸ばした。  僕の言葉に反応を示してくれたみたいで、瞳を大きく見開いている。ゴーグルのお陰  で僕の顔は、明確に描かれている筈だ。……進君は…咄嗟に僕の腕に縋り付き、まるで  嘆願するかのように、"自分への答え"を求める…。 「……僕のプレイ…ベースボール・プレイ……、待ち望んでいる人はいるのでしょうか?」 「何を言ってるんだい。僕は…進君の野球に注ぐ熱意…、しかと受け止めている! この  スタジアムに来るお客さんだって、君のリードに魅了されている…。僕も……君の  リードを受けていると…どんなピンチな場面でも…落ち着ける…」  僕は君が…君自身を"虚像"というなら、あの"妄想ゲーム"の中の進君が…"虚像"に  ふさわしい姿…。偽りは…ただ単純なゲームの世界だけで…充分だよ。本当の……  試合(ゲーム)の世界は想像上とは…違う。 「試合開始直前…進君がキャッチャーマスクを被る寸前、マウンドの僕に燃え滾る眼差し  で闘志を注入してくれる。耳を澄ませば…歓声が……、放送席からは…白髪のベテラン  実況アナウンサーと解説者との次元の高いユーモラスな話が展開しているであろう…。  勿論…それは進君と僕の日本人バッテリーの話題さ…」 「神童…さん?」 「ハハハハッ…。駄目かな? 僕のイメージトレーニングは…」  キョトーンとした顔つきで、長台詞を言う僕を眺める。僕が口を半開きにしている  進君に…ウィンクをして、軽く微笑めば…進君も、手に口を当て…クスリと半笑い。 夢の続きを閲覧するように…、僕と進君は同じ場所で、もう1回…背中を合わせて  座る。進君もゴーグルを外して…目を閉じれば、僕は…僕が抱く、"ゲームの話"を  する…。ルールなんてものは存在しない。  ただ…ちょっとした創造力を働かせるだけで…視界の閉ざされている世界には、  瞬く間に"ゲーム"は浸透していく…。  ただ…ちょっとした創造力を働かせるだけで…それは素晴らしいものになるんだよ…。 *   "ベーブルースはヤンキーススタジアムのホットドッグを、試合中に19個も食べた事で  有名だけれど、あの二人がもし挑戦するとしたら、どれくらい…食べられるかな?  "そうだねぇ、彼らは意思の疎通が図れているから、ススムがユウジロウに、サインを  出すと同時に…そのイニングが終わってからの、食べる数も一緒に指すんだ…"  "それはいいね。いいけど…でもぉ、首を横に振られたら…厄介だけれどね" "う〜〜〜〜ん………?"    他愛も無い、余計な話題を僕達と関連付ける放送席の面々。ワイシャツの裾を捲くり  ネクタイを緩める姿は…これから始まる"game"の熱狂ぶりを暗示するかのようだ。  スタジアム全体には、ラップミュージックのBGMが流れ、最新の音響設備のお陰で…  しっくり染み渡るのだ。ポップコーンやナッツ、コーラを売り歩く金髪の青年。  長年…一緒に野球の試合を観続けて来た、仲の良い老夫婦の姿も見える…。ハシャギ  回る子供、その手にはファールボールを掴み取る為の、野球グローブがしっかりと。  お気に入りの選手の名前を入れた、プラカードを持っている人もいる。皆が皆……  1回の表…僕達選手が、グラウンドに散り散りになる瞬間を待ち遠しく思うのだ。    そして、僕と進君は…試合を始まる前に…士気が集まり、熱気で漲っている…整備された  ベンチから、コッソリ顔を出し、その様子を嬉しそうに見つめる。 「ほほぉ、千客万来だね…」 「いつもの事じゃないですか! 神童さん、今日は…宜しくお願いしますよ♪」 「あぁ! ヨロシクね!」  僕ら二人は、互いに拳を差し出すと、それをゴツンと互いにぶつける。其処には、いつも  の暗い影を残す進君の姿は…いないんだ。表情は、非常にリラックスしていて、試合前の  キャッチャーミットの手入れでも、好きなミュージシャンの歌のハミングを交えながら、  その時が来るのを楽しみにしているみたいである。それが終わると、進君は笑顔を零し  ながら…"今日のサインはどうしましょう?"と言う。 「君は、毎回…試合直前に…サインを変えてくるから、自分の頭が回らないよ」  と…僕は情け深げに、頭を掻き撫でていると…進君はゴーグルを指で誇らしげに上げる。 「それはですねぇ。神童さんが…ボケないようにと…その防止対策ですよ!」 「はぁ…、そうかい、そうかい。そりゃあ…僕ももう少しで三十路だけどね。30はまだ  早いと思うよ…?」  どうでもいいと感じる会話が…僕と進君にとっては、"絆"なのだ。年も背丈も…見た目の  ギャップはあるけれども、心の距離は同じ高さにある…。プライドは僕よりも高いけれど  僕の前では、気を許す彼に…本当の純粋さを感じる事が出来るのは、何物にも替え難い  喜びがある。 「そろそろ…行こうか……、君の事を皆が待っている」 「………はい!」  元気に飛び上がる君は、一拍子置いて…キャッチャーマスクとミットを抱えて、皆を  先導するように…一気にベンチの外に飛び出るんだ。昔の自分をかなぐり捨て、今の自分  を迎え入れた君は、デイゲームを飾る晴天の太陽の如く、晴々としている。ヘンテコな  ゴーグルがなんだ…、風と舞えば薬品臭のする君のグリーンヘアーがなんだ…、一見する  と弱り切った瞳が…なんだと言うのだ。 確かに君は…"猪狩 進"だったよ。形がどうあれ  グラウンドに出れば…熱狂的な野球小僧に変わる…。ただ…真っ直ぐに野球を愛する  大リーガーに様変わりするんだ。 そう…大切なのは…"変わらない事"なのさ。昔と今  とでは大分違う。でも大丈夫、進君は…"そのままの進君"の筈さ…。  そして、飛び出していった彼に続き、僕もゆっくりとベンチから解き放たれる。溜まりに  溜まったものをぶつけるように、スタジアム全体からは…大きな……、否…"大きい"以上  の歓声と、所々から聴こえるキレの良い口笛。カメラのフラッシュが焚かれ、電光掲示板  には"It's Show Time!!"の文字が光っている…。 「進君、どうだい? 誰も君を変な目で見てはいないさ。これが"君を待ち望んでいる"事  なんだよ!」 「そっか…。そうですよね! 何か僕…こんなに胸の高鳴りが抑えられなくなったのは、  本当に…本当に…久しぶりです!」 「僕も! 今日は…実に楽しめそうだ!」 「……はい! それでは…始めましょう」  マウンドに立つ僕に嬉しそうに話し、進君はスタスタとバッターボックスに歩いてゆく。  そして其処から僕を、目を細め…真剣な眼差しで……そうさ、さっき僕が言っていた  "燃え滾る眼差し"そのものだ! 彼は僕を奮い立たせるように、力一杯に頷く…。  僕も…それに、グラブの中でボールを転がしながら…同調するように、頷く……。  すると、君は恥ずかしそうに…顔を綻ばせ、ゴーグルの位置を微調整する。そして、  君がキャッチャーマスクを被った…刹那……、スタジアムは第2波の熱気にことごとく  さらわれる。進君がしゃがみ込むと、相手チームの一番バッターがバッターボックスに  入り…、主審の"PLAY BALL!!"の叫びと共に…いよいよ、試合が始まった…。  君が第一球目のサインを出す。  僕が快く、首を縦に振れば…君は口元をニヤリとさせ…グラブを構える。  僕が大きいオーバースローの体勢から、思い切り…サイン通りに投じれば…、君は  体をウズウズさせながら、僕の…ボールを……受け取る。サイン通りの内角際どい  コースに決まり、主審は文句無しに"ストライク!"と叫びながら、やや大袈裟に  ジェスチャーをするのである…。 思わず、僕も進君も…目立たない程度に、小さく  ガッツポーズ! そう…、この時…この瞬間…、僕らは野球に夢中になる、"ただの  野球選手"になったんだ。進君が気持ちの良い笑顔を潤ませ…僕に返球すれば…、  僕は…何もかもの邪念を拭い去って、次の投球に移る事が出来る…。 「イイゾォ! "パーフェクト・バッテリー"!!」  観客席から、缶ビールを片手にしたお客さんが熱い声援が木霊する。まだ、ワン・  ストライクが入ったばかりなのに、試合はまだ始まったばかりなのに…、所々から  大きな拍手が飛び交う。 …"パーフェクト・バッテリー"……か…。  そうだね、僕と君なら━━… *  ━━━ガギィ…!!    神童さんのウィニングショットである、切れ味鋭いスライダーは、僕のミットに納まる  事はせず、相手チームの右打者のバッドの根元に当たり、飛球は…力無く、しかし…  ホームベース頭上に高々と打ち上げられた。完璧な打ち損ないである。キャッチャー  マスクを投げ捨てるように外し、僕は上空の気紛れな風に流される、ボールの行方を  追う。流されているとはいえ、充分に手の届く範囲だろう…。バックネットに向かって  僕は走る、追う。  追う…。追う……。そして、ゆっくりと落ちて来るボールをグラブの中に捕まえんと  している瞬間…僕の目の前に飛び込んでくるのは、バックネットのフェンスだった…。  グラブにボールを収めると同時に、僕の体はしたたかに、そのフェンスにぶつかった。 「進君!!」  神童さんは驚愕しながらも、僕がぶつかる様を…呆然と見守るしかないのであった。  全身が跳ね返され、僕の目元で…"バリッ!"と耳を引っ掻かれるような音も聞こえる。  でも…僕の執念はあくまで、ボールに向けられているもので、周りの状況は気にも  留める事は無かったのである。━━━あの投球は、僕が受けるものだった…。だから  こそ、どんな形であれ…受け止めなければいけない…。  それは些細な我侭…なのかもしれないけれど、でもそれくらいに…神童さんの全力投球  を無駄には出来ないという、強い思いが…何層にも渡って重なっていると、誇示づける  僕がいる。そんな考え…神童さんには通用するのかな? 「アウトォォォ!!」  コテンと倒れ込んでいる僕のグラブに、しっかりボールが吸い込まれているのを確認  し、主審が腕を大きく振って、打者の凡退宣告を告げる。 「……よし!」  またもや、僕は余りにも小さなガッツポーズをする。大丈夫、あれだけ…強く全身を  打ったけれど……、僕自身、痛みは感じないのだ。こういう時に…"この体を手に入れて  良かった"と切実に思う僕の気持ちが、痛かった…。  僕は大きく息を吸って、その場から身を起こす。高々とボールの入っているグラブを  天に掲げ……"アウト"のアピールをする。観客席やベンチからも、驚きの混じった  歓声と惜しみない拍手が響き渡る。そして…チームメイトの皆も…グラブをバシバシ  叩いて…喜んでくれている。勿論…神童さんだって…。  そうか…、この力は…"皆の為に使いなさい"という、神様からのささやかな贈り物  なのかな…。重大な責任だけれど、それは僕が僕の判断で、別れ道の一つを選んだ結果。  お客さんや、グラウンドにいるチームメイトや、…そして、大切なパートナー…  神童 裕二郎という選手の為に…この力を用いるのかな? "破壊"ではなく、野球の  喜び…嬉しさ…楽しさ…全てを含蓄している宝物だとしたら…?  もし…この疑問が全て正当だとすれば、僕は喜んでこの力を使おうじゃないか。  まだ…答えは分からないけれど、きっと…この"ゲーム"から解放される時には…  僕の解答は決まっている…。 「……進君、体はOKかな?」 「はい! 大丈夫ですよ! ……これ、ボールです」  僕はマウンドに立っている神童さんに駆け寄り、ボールを直接…手渡しした。  やっぱり…其処には笑顔が似合う、神童さんが居て…。"あぁ、僕はこんな凄い  人から…今まで何年も…バッテリーを組んできたんだな…"と…不思議に満ちる。  ボールを渡し、ほくそ笑んでいると…突然に、神童さんはちょっぴり残念な顔を  浮かべる。僕の"緑色の髪"の上に…ゆっくりと手を翳している。……そんな、神童  さんは…"僕の心の内"を悟っているかのようで、僕に尚も優しく微笑んでいた。 「"答え"は…見つかったかな? 進君…本当にすまないけれど、時間が来たようだね…」 「えっ…? 時間…って、一体どういう事なんでしょうか…」 「…………ハハハハッ! "game"の終わりだよ…」 「そうでしたね! ……ごめんなさい。…つい、楽しくなっちゃって…」  そうですね…。そういえば…これは、神童さんの思い描いていた世界でしたね。  その中で僕は……一生懸命に走っていた! あの飛球を追いかけていた時も……、  ボールの他に、僕の真の意味で捉えたかった何かが…あったのかもしれない…。  "答え"…。"答え"…。僕から僕に捧げる答え…。 「進君、ゴーグル…ヒビが入ってるみたいだけど…」 「えっ? ……あぁ、気が付かなかったですよ!」  ゴーグルの左眼のレンズに触れると、成る程…やや広範囲にヒビ割れが入っているのが  分かった。それと伴い、視界にも亀裂が入ってるみたいだけど…、心配する必要は、  多分無い。ゲームが終了すれば…それは元通りになっているだろうから。いつもなら、  嫌気が差して堪らない僕の"人口眼"だけれど、何だか…今となって見れば、僕のちょっぴり  小さい相棒。僕の眼となり、また歩みの灯台となる、もう一つの相棒……。 「…………楽しかったです。こんな素敵な事が…現実でも起これば…」 「起こるさ!」  ド〜ンと神童さんは頼もしそうに、拳を胸に当てる。誇らしげに…僕も…彼みたく  なってみたいものだ。そして、僕のゴーグルは…ゲームの終わりを刻々と示す事になる。    やがて……歓声が消え、スタジアムも消え……グラウンドも、一緒に立っていたマウンド  も…消えた。後に残るは、真っ白い…何もかもがハサミで綺麗に切り取られた幻…。  "夢のようで…本当に夢だった世界"は拭い去られ…見つめる先は…白い霧に覆われる。  その白くほのかに淡い霧の中に…僕と神童さんだけが…見受けられている。       ━━━━……ありがとうございます…。神童さん!━━━━…              僕が深々とお辞儀をすれば…。       ━━━━……早く…君の答えが…見つかるといいね…━━━━…            "はい…僕も、そう思っていますよ"  そして…白い霧の空間からは、強い光が染み出てきて…僕と神童さんを包み込む。  そうだ、僕らは"ゲーム"から"リアル"に戻る…。完全に…視界が光で閉ざされた時…  神童さんの創造した世界は終わりを迎えたのだ…。  …僕が…、次に目を開けたときは…いつも通りの、ポールの聳えるライトフェンスの  近くに座っているはずさ。その近くには神童さんも居るはずさ。そんな予想をしている  自分だけれど…これだけはズバリ言える。  "答え"…。"答え"…。僕から僕に捧げる答え…。  その答えは…絶対に自分を否定しない答えだと…。今の自分を…認める答えだと…。  僕が目を覚ませば…きっと、其処は別世界━━━…  "現実"であろうと…其処は…僕にとっては、別世界だろうね…。僕が、いつまでも…  微笑んでいられような…素晴らしき日常…。ゴーグルを外しても、暗闇ではなく…光が  漂う日常であることを…僕は願いたい…。       "…そういや、この後は…神童さんと投球練習だったね……" fin.