ふたひらの蛾虫―或いはモスラ対バトラ 作:カリート 阿畑。正味な話、チームのみんなには悪いけどオレはお前を誇らしく思う。 7回オモテの攻撃は4番の三本松から始まった。 つまり一人出ればオレまで打順が回るが、三本松はお前のクソ度胸を発揮した内角攻めの前に3打席連続の三振を喫した。 この試合、お前の投球には舌を巻くばかりや。 八嶋は高めの速球でフライに討ち取り 四条にはデータ無視のなりふりかまわぬ変化球攻め。 二宮には1打席目にデッドボールをお見舞いして逆上させ本来のフォームを狂わし そのあとの三本松と徹底したインハイ勝負。 七井はナックル(『阿畑ボール』なんて恥ずかしいから言えんわ)と速球を巧みに織りまぜたお前の配球にくるくる三振しよった。 そんな試合展開なのに、オレは笑いがこみ上げてくるのを抑えきれん。何でやろうなあ。 「おい九十九!あのナックルは捨ててシュートか直球を狙い打て!」 ベンチを出て用意をするオレに監督が甲高い声で指示する。声がデカすぎるでェ監督。 まあ、苛立つのも仕方ないといえば仕方ない気もする。 常勝不敗・完全勝利がモットーの名門あかつき大附属高校が、夏の甲子園予選決勝とは言え、そよ風なんて無名校の一投手に翻弄されて未だ得点できていないんやから。 試合が0対0のまま進行しているなんていつ以来やろか。 (福本豊が解説で言っとったけど、たしかにたこ焼きみたいやな) 「0」の並んだ球場の電光掲示板を眺めてオレは思う。 こっちの投手は猪狩守。 掛け値なしの超高校級投手で、ノビのある速球と多彩な変化球を持っちゃいるがアイツでもオレらあかつきの強力打線を無失点で抑えることなんて出来んはずや。 チョーシ乗るから面と向かっては言わんけど……阿畑、ホンマにお前は大した男やで。 なあ、阿畑。初めてお前と会ったのは中学野球部の挨拶のときやったな。 友達になりたくないなというのがオレの第一印象やった。無駄口ばっかりきいてハイテンションで無神経、どうせ大したことあらへん男やろうとオレは思ってた。 中年顔して120km/hオーバーの速球を放れる男やなんて夢にも思わんかった。 だから入部以来ずっといけ好かんやっちゃという目でお前を見てたけど、そんなことにも気づかなかったお前が最初にオレに言った言葉をいまだに覚えてる。 『九十九。お前の名前、宇宙って書いて「ひろし」?』 『日ハムの芝草やん!宇宙で「そら」って読むんや。覚えとけ』 『おーおー喧嘩ごしやな。……お前弟とかおる?』 『何でまた』 『いやー。おったら小宇宙と書いて「コスモ」君なんやろなって思って』 『聖矢ネタかい!』 『がはは。なんや根暗かと思ったら意外とオモロイな。ワイは阿畑。よろしく』 『えっ……ああ』 やっぱりお前には人徳みたいなモンがあるわ。 初対面の人間にも距離を感じさせない喋りをするし、お前がちょっとアドバイスしただけで見違えるような動きを見せるようになった後輩がぎょうさんおった。 口で教えるお前がキャプテン、背中で示すオレが副キャプ。 顧問の教師がやる気なくても、そんなオレらがおったからチームのレベルは高かった。 中学時代は県下敵無し。 チームは一枚岩になって戦ったし、どんな相手でも最低オレが3打点あげてお前が2点以内に抑えれば勝てとった。 天性の打撃センスを持つ九十九、本格派右腕の阿畑――ローカル新聞の記事にそんなこと書かれてて、お互い天才ちゃうか、なんて幸せにもうぬぼれとった。 野球が楽しくて仕方なかった。 短距離、長距離、遠投。ついでにルックス、カラオケの点数。 全部オレの方が上やったけどオレらはやっぱりライバルや。 お互いが意識しあって力を伸ばしてきた。 オレは打者でお前は投手。 これは初めから決まっていたことのように、オレは投球でお前に張り合おうなんて考えてなかったし、お前も打撃でオレに勝とうなんて考えてなかった。 それは暗黙の内に侵犯を禁止されて、オレらの関係の均衡を保たせていたように思う。 オレがあかつきに特待生で呼ばれたとき、お前は言ったなぁ。 『九十九!あかつきでも4番になれよ。お前ならやれる』 『当たり前じゃ!お前もエースでチームを引っぱれや!いつか対戦しよう』 『おう!試合はワイとお前の勝負が中心になるやろうな。がはは』 お互い自信は有り余るほどあった。 オレの未来予想図じゃ3年後には、あかつきの4番として甲子園で騒がれてドラフトで5球団の指名を受けながら「阪神以外には行きたくないんス」みたいなわがままを押し通してるはずやった。 それが無知なガキンチョの妄想やと気づかされたんは入部初日にあったあかつき名物の10球試験。新入部員の数はそれこそ百は下らなかったんちゃうか。 オレは、実力を誇示する絶好のチャンスだと喜び意気込んだ。 ホームランを2発、残りは華麗に打ち分けて周りのボンクラどもに九十九宇宙という存在を印象付けてやろうと思ってた。 しかし始まって、出てきた投手の速球を見てまず驚き、それを苦もなく弾き返す同級の男どもにオレはたまげた。 二宮瑞穂。オレより一回りも二回りも上の打撃力。 気色悪いほどセカンド・ショートの頭上に打球を飛ばし次には長打を放った。 しかも打ってるあいだ親の仇に対峙する狂犬みたいな眼を見せ、投手を萎縮させとった。 間違いなくアブナイ奴やと思ったわ。 三本松一。すでに身長が185以上あってパッと見、トーテムポールかと思った。 うどの大木タイプであることを祈りながら試験を見てたら、あかん、オレがコルクバット使ってラビットボール打っても出ないような打球の飛距離や。 オレは頭痛がしてきた。 七井=アレフト。お米の国の人はよくわからんわ。 三本松よりパワーは無いが確実性があって、逆方向にも打球が伸びていった。 打球を七井が打つたびに奴の立っている打席を確認して、その天才的な広角打法に身震いした。 他にもオレ以上のバッティングをする奴は腐るほどおった。 自分の顔がこわばっていくのが意識されるなんて初めてやった。 なんちゅー高校に入ったんかと後悔した。 監督が「この試験で一定のポイントを得なかったものは入部を許さない」なんて言うのを聞いて「あははー監督。そんなアホな」とかベタなツッコミかましそうになったけど、監督の目が笑ってなかったからオレはさらに後悔、というより泣きたい衝動にかられた。 ついにおれに順番が回ってきた。 オレの合格ラインは10点で、単打3本で充分クリアできる数字やった。 一球目はストレートに力負けせんように早く振ってファール。 それを見た相手投手は目を細めたのをオレは気づいてた。 そして次に来たのが顔面スレスレのブラッシュボール。おそらく135km/hは出とった。 オレは尻餅をついて倒れ、次に来た内角いっぱいのカーブに腰が引けて見逃した。 途端、周りから失笑がもれた。 草野球じゃねぇんだからよ、と口さがない二宮がオレを侮辱する言葉を吐きよったが、そんなこと気にとめている余裕すらオレは持ち合わせてなかった。 無様な格好でボールに食らいつき、9球目までにテキサスヒット一本、三遊間への深い当たりというお情けのようなヒット2本を打ち、2球目のボールの1点を合わせてその時点で9点がカウントされていた。だからあと1点でええ。背に腹は変えられん。 オレは……バントを試みた。 当たる瞬間に力を入れるとボールは死んで、三塁線を切れずに転がった。 その瞬間に入部は確定したが、オレはオレが情けなくてしゃあなかった。 『ふうむ。特待生は蝶ばかりと思っていたが、蛾虫が混じっていたようだな』 『――!』 10球目を見事な空振りで終わらせたオレが打席から退き、他の1年が集まっている方へ歩こうとしたとき、監督が独り言のように口にした言葉。 蛾虫が混じっている――それはオレを指していることは疑いようがなかった。 通常の汗とは違った、冷たいものが背中を伝っていたのを今でも覚えとる。 オレは1年のあいだ、監督の言った「蛾虫」という単語にとり憑かれていた。 監督の目は節穴や、絶対レギュラーを取ってオレがひとひらの「蝶」であることを 認識させてやる。そう思って血反吐を吐くほど練習を重ねた。 中学時代の遊びみたいな練習やない。 地味でおもろない、ただ苦しいだけの練習を根性でやり通してきた。 しかしみんな同じぐらいの、人によったらそれ以上の練習をこなしてる奴がいてオレはどうしていいかわからんかった。 平生ボーッと眠たげにしてたけど、心の中ではいつも焦燥感に襲われとった。 顔が汗みずくになって、指先を真っ赤にしながら岩山を登ってる夢をひんぱんに見た。 登りきったときオレを待っている景色は、さらに天高くそびえたつ岩山の群れ。 そして、それら岩石がさらなる高みへと自ら伸びて成長していく姿やった。 どいつも一つはずば抜けとった。六本木は守備、八嶋は足、五十嵐は肩。 すべて先天的な素質で、練習じゃ補いようがない種類のものやった。 四条にだけは負けてないと思ってたけど、試合になると膨大なデータから相手投手の弱点を算出してケースバイケースで一番イヤな打撃、走塁をする冷徹さがある。アホなオレに真似できるわけがなかった。 「ストライーク!バッターアウトッ!」 三振を喫した七井が「ガッデムシット!」と唸りながらベンチに帰ってくる。 オレがネクストバッターズサークルに移動すると、お前はひざに手を当てて体を支えうつむいた姿勢で、オレの方を睨んでくる。 しんどそうやなァ。ここまでの5試合、ほとんど完投しとるらしいから無理もない。 ただ、まだヘタレるなよ。 この試合だけはオレら2人が中心にならなあかん。 あかつき×そよ風――その勝敗を分けるのはオレとお前や。 高校生活を通じてクリーンナップを打つことはないやろう。 1・2番を任されることもありえへん。 同学年の顔ぶれを眺めてオレはそう分析した。 オレの打順はもっぱら下位打線、6、7番が関の山や。 一発は狙えるが三振も多い五十嵐と同じタイプでおったらオレはレギュラーにはなられへん。チャンスに強くコツンと流せて安定感のある打者になろうとオレは決めた。 生き残るためにはスラッガーの夢は捨てるしかなかった。 阿畑。お前は相変わらず高校でも変な練習を取り入れてたらしいな。 風の噂かあかつき偵察隊の報告書か、どこで知ったか詳しいことは言わんけども。 そやけどオレも練習の奇抜さやったら負けへんつもりや。 もう普通の練習をしても他の奴と大差がつかないことはわかってた。 最終的な判断基準は入れ替え試験。 土壇場の状況で打って打って打ちまくる精神力を培おうとオレは思った。 そのために、一人場末の雀荘へサイフも持たず入りこみ知らん人間と麻雀打ったり バットとバットケース担いでどこぞの組事務所に乗りこんで修羅場に遭遇したり ブッサイクな女(カ、カレンとか言ったかな)をあえて真剣に口説き落としたりして 明鏡止水の精神を獲得しようと試みた。 成果があったかは定かやないけど、オレはスタメンに入った。 おそらくスタメンとして一番控えに近い男やろうけど。 オレがスタメンの座を手にしたころ、お前は変化球研究に没頭しとったらしいな。 オレはその話を聞いて失望した。 高校になってお前も自分の速球が絶対的なモノやないことに気づいて、壁にぶち当たった気持ちになったんやろうと同情はしたが、変化球の開発なんてのは半チクな投手の発想やと思って、オレは心底むかついた。 親友関係もライバルも終わりやなと考えた。 オレは常勝不敗あかつき大附属の一構成員として、全国制覇を達成することに気持ちが移って、2年次はお前のことなんか思案の外、ひたすら流し打ちの練習と精神鍛錬と瞑想に耽った。 そんなオレの推測が間違いやと気づいたのは夏の甲子園予選が始まる2週間前。 あかつき偵察隊が送ってよこした報告書にオレは爽快な戦慄をおぼえた。 〈甲子園の常連・満腹高校との練習試合でそよ風高校の阿畑やすしは4安打完封。 投球数は118。10個の奪三振のうち「阿畑ボール」と称するナックルボールでは3奪三振。 残りはすべて速球による。球種は他にシュートが確認されただけである〉 オレはお前に謝りたくなった。 変化球を覚えまくって自身の投球スタイルを見失ってしまうと考えとったから。 お前は今まで覚えていたカーブやスライダーを封印して、効果的な見せ球としてのナックル、芯をはずして簡単に討ち取るためのシュートを用いて、究極のところ速球を決め球とする独自の投球スタイルを確立した。オレはお前を見損なってた。 すまんかったな、阿畑。 「ボール!」「ボール!」 あら……初球から2球ボールが続くなんてこの試合初めてや。もうバテてきたか? そう思ってたら、オレのほうを向いてお前は不敵に笑いよる。 そうかい。この回2アウト1塁、お前とオレの勝負で決着つけようってか。 ホンマにお前は変わり者やで。 オレら関西人は、どんなに切羽詰った状況でもおもろいことを追求する癖があるんやな。 オレはもう自分が「蛾虫」であることを拒否しない。 監督がオレに押した烙印はそのままオレの誇りになった。 そしてお前もオレと同類、ひとひらの蛾虫に過ぎん。 知ってるか、阿畑。蛾でも昼の世界に生きる奴らがおるんや。 薄汚く枯れた笹の葉みたいな、電灯のわずかな光や焚き火に突っ込んでいくようなアホで悲しい蛾やない。もっと派手で陽気で無鉄砲な色をしとる。 華やかで優雅、誰からも愛される蝶々に負けんように頑張ってはいるが、結局どこかミスっとんねん、色はどぎつくて見てくれは品がない。 羽を休めるときにはつい本性が出てしまって、ガバッと羽を広げとる。 そんなふうにしてお天道様の真下で立場もわきまえずに生きとる奴らがおるんや。 わははッ。なんかオレらと似てるように思わんかー。 「ボール!フォアボール!」 五十嵐に四球を与えたお前は笑ってる。 ホンマに、オレはお前の親友であることを誇らしく思うで。 二流の才能しかないお前があかつきのエリートども(宝石のように華麗な蝶どもや)を なで斬りなんてな。こんな傑作な話はない。 お前は「ワイは天才や!」なんてうそぶくやろうけど、オレらはどこまでいっても蛾虫じゃ。そんでもって蛾虫のとどめは蛾虫が刺すべきやろ。 ――バトラを倒せるのはモスラしかおらんってな。 わっはっは!オレ結構上手いこと言ったよな? 「前フリが長すぎた」とかお前はダメ出ししよるやろうけど。 7番 ライト 九十九君! オレは打席に入る。お前は楽しそうにロジンバッグを右手にまぶす。 太陽は最高に照りつけてくる。 今、球場を占拠しているのはふたひらの蛾虫。 監督。アンタの指示には従わんで。 阿畑はオレだけにわかるようナックルボールをグローブの中で用意しとる。 ザッザッ。土をならして準備万端や。さあ!この一打席、一生忘れることはないやろう。 子供の名前も忘れるぐらいボケたとしても、この勝負は覚えていられる自信があるでェ。 帝王実業へのリベンジも、全国制覇ですらも、この一打席に比べれば色あせて思える。 お前は肩で息をしていたが、オレと目が合った瞬間、クイックで渾身の一球を投じた。 風に揺れながら落ちてくる阿畑ボール。 名前はカッコ悪いけど、最高の変化球や! 流し打ちなんてせこい真似はオレもせーへん。久々のフルスイングで応えたる! ――阿畑やすしよ。楽しいな。オレらの最後の夏は今、最高潮に達しとるんやなァ! (了)