夫婦小話(カリート作) 「茜ー。ワイ、相方がお前やったら一生うまくやっていけそうやと思てるんや」 夏の予選に向けた厳しい練習の後、部室のウラ側に芹沢茜をよんで、内心緊張しながらもそれを悟られないよう、サラッとこんなことを言ったのは阿畑やすしである。 ――このまま友達以上恋人未満の関係を続けとったら、茜にも悪いしワイ自身にもよくない。茜のこと、死ぬほど好きってわけでもないけど、ワイの彼女は茜において他におらんからな。お!コクったら、何か頭がスッキリしよった。 じつは今日こそ告白してやろうと考えて部活後に茜が部室から着替えて出てくるのを待っていたときから、緊張と不安から後頭部あたりに頭痛がしていたのだが、いざ言ってしまえば後は『人事を尽して天命を待つ』で、阿畑は茜の反応をうかがった。 「……はっ?」 しかし当の茜は相手の言うことがよく理解できず、目を細めて怪訝な表情をしていた。  夫婦小話(めおとコント) 作:カリート ――うーわ、素のリアクションやん。貴様それでも関西人の端くれか。ワイがこう言うとるんやから「あたしもやっちゃんとやったらええコンビ組めると思ててん」「ちゃうがな!実はワイと付きおうてほしいんや」「あら、夫婦漫才で売り出すんや」「そうそう。さすが察しがええな、宮川大介花子なんて目やあらへん。って、それも違う!ワイは本気でお前に惚れてんねやー!(キラーン)」「……うん。ええよ(しおらしく)」「マジでか茜!よっしゃー!」みたいな掛け合いまでは予想範囲内やったけど、なんじゃ目を点にしよってからに。ワイが一世一代の大勝負に打って出たのに、鈍感なやっちゃなー。 一生うまくやれるいうたけど自信なくなってきたわ。やっぱ「相方」って表現は変化球すぎたわ。男たるもの、ここぞという時は真っ向勝負でいかなあかんかったかなぁ。 ……っていうかワイ、もしかしてフラれかけてるんちゃうん?茜は全部理解した上で迷ってるとかちゃうよな?嘘やろ?それは無いて、ありえへん。しかもよりによって茜にとか。赤星が場外ホームラン打つぐらいありえへん。初芝が盗塁王獲るぐらいありえへん。ナベツネが謙虚になるぐらいありえへん。ああ、ワイって例え上手♪とか言うとる場合ちゃうで!ホンマどないやねん、茜! 茜がやっとのことで阿畑の言葉を完全に飲み込むあいだ(3秒間)に、焦った阿畑の脳内では、このような無数のボケとツッコミの応酬が繰り広げられていたのである。 そして3秒後、茜は告白に感激してじわっと目に涙を浮かべた。 これは嬉し涙なのだったが、アホな阿畑の混乱はすでに絶頂であった。 ――え、ええ!?何泣いてんねん!あーもうわけわからん。わっけわっからーん。がはは、は。ワイも泣きたくなってきたわ。これは絶対アレや。よくあるパターンやん。 「やっちゃんのこと、ずっと友達みたいに思てたから、今さら彼氏としては見れへんわ。ゴメンね。……ダッ!(←唐突にかけ出す音)」そこでワイが女々しいひと言。「ああ!茜、あかねぇー!もう友達にも戻れへんやろか(泣)」……幼なじみをフるにはお約束のセリフやな。男としては屈辱的なやられ方やがな!「アンタ何言うてんのん!?あたしと付き合おうなんて調子乗るのもたいがいにしときや。ヒゲ!一重!中年顔!」とか罵倒されるほうが、まだすっきりするんやけどなぁ。いや、こっちのほうが正直ヘコむかもしれん。とくに中年顔。けど名刀で斬られるほうが、なまくら刀で斬られるより回復は早いっていうやないか。茜、中途半端な優しさはいらんでぇ……。ぐすんっ。 「実はあたしも……って、泣いてるでこの人。おーい、やっちゃん」 なさけなく顔をゆがめて泣きだした阿畑に茜は少しあきれた。 「しくしく。ひと思いにザックリやってくれ、茜。二の太刀のいらんようにな」 「なんやのん、それ」 「い、いや、こっちの事情や。それで返事は!?」 「…………」 1度目ですんなり阿畑が聞いていればよかったのだが、また言い出すとなると茜も照れてしまい、うつむいたまま無言であった。それでまた阿畑が暴走しだす。 ――最悪や。申しわけなさそうにうつむいとる。これは確変確定や。エビや。カメや。ジュゴンやー……あかん、自分でも意味わからんようなってきた。また頭痛なってきた。茜のことやからワイがフラれたことなんて1週間で全校に広めてまうやろな。この前、茜にコクった陸上部のアイツは告白内容を一字一句漏らさずバラされて、後輩からも嘲笑の的になっとるからな。どないしよう、無難にパワフル高校へ転校しよか。九十九を頼ってあかつきに行くか。けど3年の今ごろになって転校したら夏の大会出られへんし。高校中退でプロ入り目指すのも厳しいしなぁ。それならいっそ、茜の口を封じたほうが……。 「ちょっと、やっちゃん。悪い顔になってるで」 「(ギクッ!)べつに法律にひっかかるようなこと、考えてるわけじゃないわい!」 「なに怖いこと言うてるん」 「いや、今のはワイの中におる別人格の『きよし』がやなぁ……」 「ふふ、今日のやっちゃん、おかしいね」と茜はほほを染めて言った。「それで返事は……あのね、中学時代の話やねんけど、あたし宇宙ちゃん(あかつきのライト・九十九のこと)に好きやって言われたことがあるんよ、それでね」 茜は中学時代に九十九をフった話を続けたが、阿畑は魂の抜けた顔をして、聞いちゃいなかった。阿畑の耳には「好きや」までの声しか届いていない。そこから阿畑はまたも暴走していた。 ――うそん……。九十九と中学時代からデキてたんか。この世の果てにいる気分や。九十九なんかのどこがええねん。悪球打ちのパワーヒッターでもないのに葉っぱ咥えやがって。スベっとんねん。あの眠たい目のロンゲに負けるなんてありえへんわ。たしかに野球はうまいし、あかつきでレギュラーはってるのは凄いけどもやな、茜のタイプではないやろ。「あたし元気な人が好きやねん」って言うてたやん!九十九とか、軽く死相でてるやん! ――ん?待てよ、やっぱ九十九と茜が付きおうてるのはありえへんことや。根拠ないけど。もしかしたら中学時代に九十九に襲われたとか……ありえる!九十九は元々変質者っぽいもんな。それで茜もワイと付き合うのをためらってんねや。きっとそうや。「あたしは汚れてるから」ってな。健気な女や、いじらしいなー。茜、心配せんでええぞ。ワイが一生守ったる。それにしても九十九、許さんからなァ!! 「あの頃はやっちゃんのこと意識してなかってんけど、今はちが」 「茜。もうええ。ツライことは話さんでもええんや(ワイかっこいいー)」 「いやいや。さてはアンタ、話聞いてなかったな」 「手始めに九十九を半殺しと半殺しで全殺しにしてくるから、待っといてくれ!」 そういい残して阿畑は夕方のグラウンドを走りだし、そよ風の古い木造校舎を渡り、校門からあかつき大附属高校へ恐ろしいスピードで向かった。 「あ、やっちゃん! あかん、あのアホなんか勘ちがいしてるわ。あたしも追わな」 【あかつき大附属高校野球部専用グラウンド】 「はぁはぁ、あーしんど」 汗だくの阿畑はひざに手をついて呼吸を整え、それから大声をはりあげた。 「たのもー!おいコラ!九十九のボケおるか!」 まだ日が落ちるには早い時間ではあったが、夜間照明灯はすでにグラウンド全体を照らしていた。これが二軍の設備だと思うたびに阿畑はやる気が失せてくるのだったが、今日はそんなことを考える余裕をもち合わせていなかった。 「あ、そよ風の阿畑さんじゃないですか。こんちには」 礼儀よく対応したのは、今練習を終えたばかりらしい猪狩進だった。 「おう、あかつきの楽太郎やないか」 「進です。どんな間違え方ですか」 「まあ気にすんな。それよりThe・外道の九十九おるか?ちょいと用があるんやけど」 「九十九先輩なら室内練習場でバッティング練習していると思います」 「マジか!ありがとうな楽太郎」 「まだ言いますか。けど阿畑さん、関係者以外が立ち入るのはまずいですよ」 「九十九の知り合いやっちゅーことを楽太郎があとで証明してくれたらええねん」 「もう遅いので、さようなら」 「コラ待て!ああ、逃げよった、さすが俊足……。しゃーない。どうにでもなれや!」 阿畑は球場を突っきった所にあるあかつきの室内練習場に向かった。あかつきの部員達はこのそよ風の制服を来た男を不審に思ったが、自分に危害を加えるつもりはないとわかると、見えないもののように存在を無視した。 ――けっ。どいつも自分のことが一番大事、みたいな顔しとる。エリートは気にくわん。うおっ!人が通ってんねんからキャッチボール止めんかい。当たりかけたやないか。ボールの飛ぶあいだを歩くワイもアカンかもしれんけどやな、こいつらの辞書に人情という文字はないんかい。 ――お!あれが室内練習場か。カーンカーンてバットの音がしとるわ。ここに人でなしの九十九がおるはずや。 阿畑はガチャっとドアノブを回して思いっきり押し開いた。 バァン! 「おーい九十九!出てこいや!」 途端に場内はシーンとして、ただマシーンから出る球がクッションに埋まる音がした。 「お、どこのチンピラが乗り込んできたんかと思ったら阿畑やんけ。どないした?」 九十九はマシン打撃で流した汗をぬぐいながら阿畑へ親しげに近づくが、阿畑の発する殺気に気づいて足を止めた。阿畑は手に硬球を握りしめている。 ――われー、ワイの未来の伴侶・茜を、中学なんてまだ心身ともに未成熟な時期に、あんなことやこんなことをしようとしたんちゃうんかい。見損なったわボケ。よくもまあぬけぬけとワイと普通に話せるもんやな。 お前はワイの甲子園出場の夢だけでは飽きたらず、ワイの大事な人の平穏な暮らしまで奪ったんやぞ!この腐れ外道が。人間のクズ!絶対許さんからなー! 「どうもこうもあるかい!茜の仇討たせてもらうでー」 「なんの話やねん。……ああ、中学のころに茜が風船アイス食うてるのを見て、わざと風船割ったことあったけど、もしやそれか」 「そうそう。風船が割れると中のアイスがぼちゃって落ちるから、もの凄い切ないんよなー、ってコラ!違うわ!もっと、なんつーか、茜の幸福追求権に関わる問題や!自分の胸に聞いてみぃ」 「(憲法13条?)俺は心当たりないぞ。お得意の早とちりとちゃうか?」 「なんやとー、往生際が悪いで九十九!こうなったら武力行使じゃー スパーン 「……ああ、星が輝いとる……」 ドサッ 「ふう。宇宙ちゃん、ご名答」 遅ればせながら到着した茜のスコアブックによる一撃で、阿畑は硬球を振りかざした格好のまま前のめりに倒れたのだった。 その後、茜はあかつきの人間らに「うちの阿畑がご迷惑かけまして」とひたすら謝り、まぬけ面で気絶している阿畑を引きとって帰った。女の茜が阿畑を担ぐことは不可能なので、ちょうど九十九と一緒に室内練習場にてバッティング練習をしていた190cmの大男、三本松一の力を借りて、あかつきの敷地の外にある公園まで阿畑を運んだ。もう夜のカーテンが世界を薄くおおってきていた。 「三本松さん。おおきに」 「う、うむ。ではワシはこれで」 三本松がそそくさと室内練習場に向かって走っていったのを見て九十九は 「三本松のやつ、ガラにもなく照れとったな。ネタにしたろ。わはは」 「宇宙ちゃんもごめんね。このアホ、なにをどう勘ちがいしたんやろ」 ポカッと、茜はまぬけ面してベンチにもたれている阿畑をこついた。 「妄想の飛躍は天才的やからな。まあ元気そうで良かったわ。そんじゃな」 「うん。また会うのは夏の大会の決勝で、やね」 九十九は咥えた葉っぱをおどらせて室内練習場へ走ったが、しばらくしてふり向き、抑揚のない調子で言った。 「なあ、茜」 「えー、なんやの?」 「阿畑と一緒におったら、楽しいか?」 茜には九十九の言わんとするところがわかった。困った顔をして茜は 「相手するのがしんどいときもあるけど、やっぱり楽しいわぁ」と、はにかんだ。 「そうかー。……それじゃ試合は勝たせてやれんな。覚悟しとけよー」 「くすっ。ほら、やっちゃんが起きる前に行ったほうがええで。さよなら宇宙ちゃん」 わかっとる、と笑って九十九は向こうへ走っていった。その後ろ姿は、幼なじみの宇宙ちゃんを拒否して「あかつき一のクラッチヒッター」としての九十九宇宙を、自分に見せつけているように茜には思えた。 「………ハッ!お、茜か。あの腐れ外道はどこ行った! アイツを一回シメんことにはワイの気がおさま スパコーン 「もうええっちゅうねん!やっちゃん、宇宙ちゃんが何したんよ?」 ――イタタタ……。こいつ角で殴んなよ。それにしても茜の反応を見てると、やっぱワイの早とちりやったんやろか。九十九は根暗な外見しとっても、ホンマはええやつやし。空回りやったみたいやなぁ。がはは。よかったよかった。 「なんでもない。積年の恨みが発作的に爆発してもうた。それだけや」 阿畑は、茜が何かされたのだと思ったから九十九を全殺しにしようとしたなんて、あまりに熱い男らしくて、恥ずかしかった。だからとっさに嘘をついた。 「けっけっけ」 「不気味な笑い方すんなや」 「かめへんやろ。それよりお腹減ったわ。デラたこおごって。 今日はやっちゃんのせいで疲れたー。まさかイヤとは言わんでしょうね?」 「へいよー。おごったるおごったる。感謝せーよ」 「やったー!めずらしく気前ええやん」 2人はそよ風高校に帰る途中の商店街にあるデラたこ屋まで歩いていった。 「5個入りを2つ買うより11個入りを一つの方が安いから、それにしよ」 「はいはい。まいどありー」 アルバイトにしては年配の、白いうらなり顔の店員が、さも面倒くさそうに言った。 ――ホンマここらへんはしっかりしとるというかがめついというか。……おい、何やねん、店のおっちゃん。ニヤニヤしてワイらを見てきやがって。羨ましいんか。こっちだって苦悩があるんや。若いねぇやと?ボケ。老成したみたいな口をきくな。うちのご隠居(=小暮監督)が泣くわ。 商店街からちょっと歩いて、阿畑と茜はそよ風高校前のバス停のイスに座り、パックに詰められたデラたこをほおばった。茜が本当においしそうに食べるので、最後にあまる一個は彼女にあげようと思った。 「あ、1個残ってもうたね」 「茜が食べえや。ワイはもう腹いっぱいや」 「ウソウソ。デラたこや言うてもアンタが5個で腹いっぱいになるわけないやん。やっちゃんこそ食べなよ。自分で買ったんやから、あたしが多く食べたらあかんでしょ?」 「遠慮すんなって。別に恩に着せたりせえへんから」 「こっちもええって。あたしはアンタの恋女房やねんから。夫はたてなあかん」 「…………」 ――今のって、もしかしてもしかしたん?OKの返事?マジで?いや、所詮茜やからワイをフるなんてことありえへんとは信じとったよ。けど、あかん、めっさ嬉しいわ。ワイも普通の純情少年やったんやなぁ。ええね、恋女房。恋女房、ええ響きやー。 「……何か言ってよ。先にコクってきたんはそっちでしょ?」 2人ともタコのように顔を真っ赤。阿畑は何と言おうか考えに考えた末、口を開いた。 「……うん。あか「あー、阿畑さんと茜ちゃんでやんす!」 阿畑の興奮にかすれた声は、ある人物らの陽気なかけ声にかき消された。 そよ風高校野球部2年、阿畑の後輩にあたるP君とY君であった。この2人は部活後も近くの神社で練習をしたりする古風な野球バカである。 「あ、キャプテン。こんな遅くに2人で何してるんですか?」 「た、たこ焼き食うてたんや。茜がおごれおごれってうるさいから」 阿畑は平静をよそおって対応した。それが気にいらない茜は激しく阿畑をにらむが、基本的に彼らの前では気性穏やかな親しみの持てるマネージャーというキャラクターを作ることに最近ハマっているので、阿畑の尻をつねるぐらいで抑えておいた。 「あ、たこ焼き一個あまってるじゃないですか。いただきまーす」 このP君、身体能力の高さと空気の読めないことでは部内でも有名であった。 阿畑の持っていたパックに刺された3本目のつまようじで、残る最後のたこ焼きを口に放りこんだ。 「「ああ!!」」と、阿畑と茜が叫ぶ。 「(モグモグ)いやー。商店街のたこ焼き屋のやつですよね、これ。うまーい!」 ……ガシッ! 「えっ、何するんですかキャプテン?」 いきなり阿畑に羽交い絞めにされたので、P君はのほほんとした顔をこわばらせる。 見ると前では茜が眉をつり上がらせ、眼には殺気をたたえ、あああー!と低い声で唸りながら拳に気をためている。かなり怖い。 「何でたこ焼き一個でこんなことされるんですかー!(泣)」 ――ただのたこ焼きちゃうんじゃボケェ!タイミング悪いところに出てきた上に、茜が譲ってくれたたこ焼き食いやがって。お前アホやろ!そのたこ焼きをワイが照れながら食ったあとに茜にあらためて告白する流れやったのに、ぶっ潰しにしやがってー! 「しゃかーしい!茜、バチボコにしたってやー!」 「わかっとるわ……このボケェェェッ!!」茜の顔は阿修羅のごとくである。 グハッ、ゲフッ、ドガッ!パキッ、ベキッィ!ミシ、メキメキメキッ!というような不吉な音が続いた。惨劇の終わったあとのP君の姿は筆舌に尽しがたい。片方のY君はというと、親友が苦しんでいるのに助けようとはハナから考えていないらしく、ただ骨だけは拾ってやるぞという具合で、自分に危険が及ばないように遠くからこれを見ていた。 そしてのんきにつぶやいた。 「あーあ。P君ヤバイでやんす。必殺コンボ喰らってるでやんす。 それにしても、阿畑さんと茜ちゃんは息ピッタリでやんす。夫婦と言っても誰も疑わないでやんすよ。そりゃもうずっと付き合ってるんでやんすからねぇ。……あれ?そういえば、詳しいところあの2人は付き合って何年になるんでやんすかね?」