一筋の白い糸:カリート作 あるプロ野球のナイターゲーム。試合は8回裏、もう終盤に入っていたが、両軍無得点のまま膠着状態が続いていた。先発投手・萩原は顔にタオルをかけ腕を頭の上にのせて、ベンチに横になっている。萩原は疲労で薄れゆく意識に、父への遥かな愛慕を、今までの野球人生を想起する。―― プロ野球の選手である萩原が父親の訃報を聞いたのは自軍のロッカールームで着替えていたときのこと、時刻は昼すぎだった。突然のことに彼は動揺したが、あまりに突然だったので悲しい気持ちが湧いてこず、また、今日の先発試合の方に意識があったからなのだろうか、涙も流さなかった。 「親父が死んだというのに涙ひとつ流さないなんて、俺は薄情な息子だな」 そんな自分に萩原は不快を感じた。どんなに今日の試合が大切だからといえども……。 「それにしても、何という因果だろうか……」彼は呟いた。 そういえば父はこの2・3年で一気に衰えたように萩原は感じていた。正月に会ったとき、一段と老いたその姿に切なくなったことも、今になってみると納得できた。 田舎の百姓だった父は性格も愚直で他人の悪口を言っているのを萩原はとうとう見たことがなかった。 そんな父親は彼が今いる球団に指名されたとき――それは何十年も前のことだ――彼の父は入団に猛反対だった。父は家業を息子に継いでほしかったのだ。彼も父の仕事を彼も誇りにしていたし、仕事も嫌いではなかったが、下位指名とはいえ中学・高校でやってきた野球を、プロ野球の舞台で続けることができ、もしかするとそれをなりわいに良い生活をおくれるという魅力に負けて、彼は何とか頑固なその父親を説得した。父もしだいに息子の情熱に押され、プロ野球選手になることを認めたのだった。認めてからは父もあんなに反対していたのが嘘のように、息子のことをよく自慢していたらしい。 入団する年の正月に父は萩原に「俺は百姓だが、お前も100勝するぐらいの投手になれよ」と下手な冗談まじりの励ましの言葉をかけ、笑った。毎年会うたびにそう言った。今年は萩原もヒジの手術から回復し、ここ数年、延ばしのばしになっていた約束の100勝を達成できる自信があったから、正月に会って父親がいつものそれを言うと、「必ずやってやる」と真剣な顔で誓ったのだった。 そして今日、今まで通算99勝をあげている萩原は100勝目のマウンドに立つことになっていた。 父の訃報を聞いても彼はいつもと同じようにユニフォームに着替え、入念にアップをして、ゆっくりふくらはぎを意識してランニングを行なった。若手の2人組みが談笑しながら萩原を追い抜いていったが、彼は気にもとめなかった。ペナントレースも終盤に差しかかったこの季節にしては今日の気温は高く、スタジアムの旗をなびかせる風が肌に心地よかった。 それからブルペンで丁寧に指のかかり具合や変化球を調べる。体全体が軽い。いつも苦しめられる肘の鈍痛が今日は眠っていてくれるようだ。調子はすこぶる良かった。今日は勝てると手ごたえを感じていた。 「萩原、お前このまま試合に出ていいのか」と傍にいた北原監督が言った。事情を知っていたからだろう。萩原はふり向きもせずただ、ええ、と答えて投球練習を繰り返した。 彼には父の元に駆けつけようなんて考えはなかった。仕事をなおざりにするのは父の一番嫌っていたことだ。今会いに行っても決して喜びはしないと思った。むしろこのまま先発で100勝を達成することが、父への供養になると信じていた。 萩原が100勝に王手と迫るまでの苦労は並大抵のものではなかった。彼も今年で37、スポーツ選手の、それもプロ野球の投手としてだから、かなりのロートルだ。 もともと恵まれた体躯ではない。 18年前、今の球団に指名された時も下位でのことだったし、プロ入りからしばらくは2軍生活が続いた。人の何倍もの努力をして一軍に上がっても、すぐに先発ではなく、地味な中継ぎの仕事がほとんどだった。先発投手陣の一翼を担うようになっても彼は決してエースと呼ばれる存在にはならなかった。代わりに自分と違って才能のある若手が、さして努力もせずにエースと呼ばれては数年の活躍のうちに消えていくのを彼は三度もみた。 タイトルは中継ぎのころの最多登板と先発転向して最優秀勝率が一度づつ。投手三冠なんて華々しいタイトルとは無縁。球団からの信頼は厚かったが、それでも彼は日蔭の存在だった。 ここ数年間は肘の故障や体の衰えで100勝が目前なのに勝てない時期が続いた。昨年の契約更改で大幅に減らされた今年の年俸は、全盛期の半分もない。 引退して投手コーチ就任の話を球団から打診されたこともあった。それでも萩原が現役を望んだのは父との約束の他に、ある夢があったからだった。彼はまだ身体が耐えうるうちに「一筋の白い糸」を見てみたかったのだ。 萩原がまだ入団して数年目、まだ2軍生活を送っていたころに長年球団の屋台骨を支えた大投手が引退をした。同じ世代の人間の多くがその大投手を尊敬していて、萩原も同じように慕っていた。その投手が引退する年、ある試合後のヒーローインタビューで口にした言葉を、まだ若かった萩原は爽快な戦慄をもって聞いた。 「自分の指先とミットが一筋の白い糸に結ばれて、それに沿って腕を振り下ろすと自然にボールはミットへ吸い込まれた。打者はピクリともせず見逃した――」 そのまぼろしの一球を投げることが萩原にとって100勝することに次ぐ願いだった ――カキーンッと鋭い打球音と、それと共に湧きあがる歓声が萩原の意識を取り戻させる。ガバリと起き上がってグラウンドを覗くと、味方の外国人選手がその重い身体を揺すってダイヤモンドを一周してホームベースを踏んだところだった。試合の均衡を破るホームラン。それは勝利打点になるべきものだ。 次の打者が凡退して、萩原はグラウンドに出てキャッチボールを始めた。9回を投げきるには彼は年老いていたが、監督・北原は抑えを起用することなど考えていなかった。 これまでの8回、萩原はここ数年で一番のピッチングを見せているし、ならば100勝目は完投で飾らしてやりたいという、指揮官には相応しくない甘い情けと楽観的な性格を北原は持っていた。萩原は萩原で老いてなお健在な、投手に通有する傲慢から続投は当然の采配だと考えていた。 自軍の攻撃が終り、亡き父との約束を果たすために萩原はマウンドに上る。久しぶりに長いイニングを投げる疲労と痛み止めの切れてきた古傷で、彼はすでに満身創痍だ。しかしそんな感傷やボロボロの身体に反して萩原はこれ以上ないぐらい冷静だった。今はもうグラウンド内に感覚が収斂されている。スタンドの声援やメガホンの音はもはや彼の耳には入ってこなかったが、グラウンド内なら針の落ちる音でも聞こえただろう。 〈9回 ノーアウト〉 相手は少しベテランの4番打者。カーブが低めにきまりワンストライク。 萩原はその見逃し方を見て、相手はカウントが厳しくなってからの自分の甘い球を打って後続に繋げようとしていると感じた。 萩原はコントロールミスを注意して内角にストレートを放った。 窮屈なスイングで打たれたボールは鋭い打球音と共に一塁線をわずかにファールになる。最高のコースに行ったストレートがこうも弾き返されると、衰えを感じずにはいられないのが悲しかった。彼はふいに父のことが思い浮かび、2・3年で急に年老いたのは自分も同じか、と苦笑した。 次の外角にうまく避けていく変化球も、内角の厳しいシュートも見極められていた。カウントは2−2。ここからが勝負だと萩原は自分に言った。相手は4番とはいえパワーヒッターの部類ではない。変化球も難しいストレートもうまくさばく巧打者だ。ここで走者が出るのはすこぶるまずい、ベンチは慌てて投手交代を告げるかも知れない。どうしても萩原はこの相手を打ちとりたかった。 彼はど真ん中にストレートを投げた。およそ真ん中に行く球は失投で、力もなく、それゆえ痛打されるが、力のあるストレートが真ん中にくると意外に躊躇するということを彼は経験のうちに知っていた。そして相手は何回も対戦してきたベテラン打者で、投手の考えを読んでくるタイプであることも、彼に危険なストレートを投げさせた理由だった。 快音が響く。打球は右中間に飛んでいった。が、フェンス手前で中堅手に捕球された。 すでに球数は140球を越えていて、萩原は呼吸が苦しくなるのがわかった。10年若いころはどれだけ投げても翌日には元気になっていたのになぁ、と帽子のひさしを触りながら自嘲気味に呟く。 彼はこの状態では試合を投げきったとしたら、残りのシーズンを無事に過ごせるような気がしなかった。若いころから父の農作業を手伝うことで生んだ強靭な足腰も、今の萩原に限界を訴えており、もう血の気がなくなって柔軟なバネを失いかけている。 〈9回 ワンアウト〉 次の5番打者はこのロートル選手の疲労を見こして、カウント2−1から何十球も粘る。 萩原にしてみれば裏をかいても球に力がないためにカットされるのが歯痒い。失投しないよう一球一球ボールの握りを確認し、丁寧にロージンの粉を手につけて放った。外角高めのスライダーに打者が引っかけキッチャーファールフライになる。 ろくに曲がらない変化球にタイミングが狂ったのだろうか。萩原の粘り勝ちだ。 彼は疲労のあまり頭を垂れ、膝に手をついて呼吸を整えようとした。 世間で使われる「限界」なんて感覚を、今の萩原はとうに越えていた。顔は蒼ざめ足が悲鳴をあげる。呼吸する苦しさも今まで味わったことがなかったものだ。グラウンドに収斂され支配していた感覚も今は霧散して消え失せ、周りはもはや茫漠とした鈍色の景色。 唯一ただ彼が認識できるのはキャッチャーミットだけだった。 〈9回 ツーアウト〉 6番打者は若い勢いのある強打者で、萩原はこういうタイプの選手を日ごろ一番警戒していた。しかし、もう彼に打者を意識する感覚は残されていなかった。ただ相手の放つ空気になかば本能的に球種を選択して、投げていった。自分が自分でないような気さえした。 若い打者は内角のシュートを逃げるようにさばいてファールにし、外角のスライダーに思わず手を出した。高めのつり球を振りそうになるのをなんとか堪えて、低めの落ちる球にバットが出て必死に喰らいついてカットした。 普通に見ればどれも打てない球ではない。ただこの若い選手はマウンドに立つ亡霊のようなロートル投手に、どうしようもなく気圧されていた。 もう呼吸すらままならなかった。萩原の本能はストレートを球種に選択した。 ワインドアップモーションから投球動作に入り軸足に体重をのせる。 その時、心臓がドクンッと跳ね、萩原は不思議な感覚に支配された。 時空が歪む、そんな曖昧な言葉がしっくりくるような曖昧な感覚だった。そうして全方向から激しい圧力がかかったように、萩原には世界が鈍重に感じられた。足を前に踏み出した時には完全に時空が停止してしまっていた。 同時に萩原自身の動きもたしかに止まった。しかし彼の身体から抜け出して、なお時空の圧力に抗い、ゆっくり投球動作を続けている「彼」の姿が眼前にあった! 幽体離脱をしたように彼の投手としての精神が、極限状態の肉体と取り残してそこに幻影を映しているように思えた。そしてそれは明瞭な残像をまとわせている。彼はふるえた。萩原は腕を振りかぶり、胸を張った体勢のままわけのわからない力に拘束されたまま、その抜け出た眼前の自分を見ていた。それの残像は細かい連続写真のようで、それらに放たれた白球は幾つも空中にとどまり連なって、リリースした時点の「彼」の指先からミットまでに一筋の道を形成している。それはまさしく「一筋の白い糸」だった。―― ボールは白い糸にそって吸い込まれるようにミットに収まった。 若い打者は為すところもなく見逃し三振をきっし、審判はゲームセットを告げる。 萩原は最後の一球を放ったあと、力が抜けたようにマウンドに膝をつき、それを見たキャッチャーがあわてて彼を抱きかかえ、他のナインが心配そうに集まってくる。 ミットにボールが収まる響きが波紋の広がりを見せるように、徐々に萩原は視覚や聴覚の感覚を取り戻した。回復した彼の感覚が真っ先にとらえたのは、怒涛のような歓声、興奮するファンの姿。「100勝おめでとう」と横断幕を広げている人たち。眩しいフラッシュ。…… キャッチャーに寄りかかったままの萩原にボールガールが少しぎこちなく花束を渡しに来、萩原は薄目を開けてそれを受けとったその時、ファンの歓声やチームメイトの声とは全く違う響きで何かが語りかけたような気がした。 うっう、と愉快な気分をかみ殺すことができない笑いと嬉し涙の混じったような声が聞こえる。「お前もやっと百姓になったな」と100勝を達成した萩原に労わりと慈愛の感情を持って話す父の声だった。 萩原のほほを、彼が気づかぬうちに涙が流れた。 それは自分の想像が言わせたものかも知れない。しかし、それにしてはあまりにもはっきりした響きを持って、萩原に聞こえた。どこも不可思議には思えなかった。 萩原もまたうつむいて少し笑みを浮かべ、キャッチャーから身体を離して、天を仰いで受けとった花束を高く掲げた。するとまた一層大きな歓声が湧く。そんな光景に萩原は父との秘密を思い、苦笑をした。 「結局あの『白い糸』とは何だったのだろう」 萩原は、夢から覚めたあとのように、何か漠然とした感じでしかそれを思い出すことができなかった。おそらく二度と「白い糸」を見ることはないだろう、それどころか、もう自分はプロ野球の投手としてまともに投げることすら不可能であることを彼は知っていた。 『白い糸』はプロ野球選手にとって、いわゆる死兆星だったのだ……それでも良かった。 今はもう霞みがかった記憶の奥に逃れていく光景、それは何と凄絶な輝きだったろう!――彼は何か納得した心地だった。 歓声はまだ鳴り止まない。彼は、そう言えばこんな激しい歓声を受けたのは自分のプロ野球人生で初めてだということに気づいた。哀しい皮肉だったが、彼の心は晴れやかだった。自分は何て幸せな選手なのだとも思った。 彼は両手に花束と帽子を手に持ち、めずらしく嬉しそうな表情をあらわにして、もう聞くことのないだろうグラウンドでの歓声に応えていた。                                    (了)