真夜中の死闘: lnan 篠宮が所属する地元の草野球チームは、結成以降初めてそれなりの規模の大会で決勝まで進んでいた。周辺地域出身者だけが参加可能という条件がかなり有効にはたらいていたのかもしれないが、試合に勝てばうれしいに決まっているし、何より大会の規模の割には豪華な優勝賞品も魅力的であった。 「鈴本さん。決勝がある真中島って離島ですよね」 練習後のミーティング、というよりは与太話の応酬の中で、篠宮は何気なく隣に座っていたチーム最年長の鈴本に尋ねてみた。 「そうだな。フェリーで四十分ぐらいだな」 「どうしてそんなところであるんですかね」 「なんでも、大会主催者がそこの島の出身だとかで、決勝は是非そこでって話らしい」 続いて、そんなところに野球ができるようなグラウンドがあるのかと尋ねると、あの島には小中学校ぐらいはあったはずであるから、おそらくはそこでするに違いないというような話であった。 その後も、そうたいした興味があるわけでもないのだが、話のはずみで島の特色だとかを尋ねたりして、そうこうしているうちに決勝当日を迎えた。遠くで発生している台風の影響だとかで一行を乗せたフェリーはかなり大きく揺れたが、きっかり四十分かけて島へと到着した。乗降場には大会の運営関係者らしき人物が待機しており、高圧的でもなければへりくだるわけでもなく、彼自身も立場をつかみかねているようなやや自信のなさそうな口調でこれからの日程などを簡単に説明してきた。 「試合は六時半からとなっています。会場につきましては、先ほど説明しましたあなたがたが泊まる旅館に面した坂をずっと上ったところ、ええ、一本道ですから迷わないと思いますよ、そこの学校となっています」 ひどく狭く、曲がりくねった道を案内されたが、別段近道だとかで裏道を通ってきたというわけでもなく、道から半歩ほど踏み入れたところにいかにも日本旅館然とした玄関が唐突に建っていた。 荷物を置いた後、全員でランニングも兼ねて島を散策することになった。真中島は周囲をぐるりと両側二車線ほどの幅の道路が敷いてあったが、長く補修されていないのか、ほとんどの場所では中央線が完全に消えており、また、しばしばアスファルトが陥没しており、それをおざなりに修復したような跡も見られた。島の内部は乗用車が通れるかどうか際どい幅の道が毛細血管のように入り組んでいたが。いくつかの家々の敷地内には軽トラックが停められていたが、篠宮ら外部の人間にとっては、一体それらをどのように運用しているのかは大いに謎であった。 夕暮れどきになると、店舗の照明や街灯が全く存在しないために、島は急速に暗く、静かになっていった。旅館で渡された懐中電灯を頼りに坂道を登っていくと、試合の会場らしい学校の照明が見えてきた。会場となった学校は、法外に広いというわけでもないが、離島ということから篠宮が想像していたよりは広い校庭を有していた。客席らしい場所にはござやブルーシートなどが引かれており、ちらと耳にしたところによれば、暇を持て余した島中の住人がこの余興を見物にやってきているらしい。島にある唯一の商店街の主人らしき人物が、クーラーボックスを台車に載せて世間話をしながら不真面目な様子で徘徊している。 「それでは、時間となりましたので試合を始めたいと思います。両チーム集合してください」 四方に設置されたスピーカーから大会運営者のざりざりとした声が響くと、レンガに板を渡した簡素なベンチの周辺にたむろしていたユニフォーム姿の参加者らは移動式のバックネットの近くに駆け寄ってきた。待ちくたびれていた観客からは堰を切るような拍手喝采が上がった。篠宮は大会運営者らが座っていると思しき本部席のテントにざっと目を通してみたが、全員白の鍔付帽に紺のベストといった無個性な服装をしており、その中からこの大会の主催者らしい人物を見つけるには至らなかった。 三回の攻守が終わった時点で、いくらかの四球が出たものの双方攻めあぐねたまま無得点でいた。相手投手の球筋だとか、ナイターでの照明の影響といったことを、打席に向かいながら篠宮がぼんやりと頭に浮かべていると、突如、ばちんという太いゴムが切れたような音が鳴り、と同時に目の前が真っ暗になった。すぐに両チームのベンチ、観客席、本部席からめいめいにどよめきだとか嬌声だとかが流れてきた。この状態でボールを投げられてはどこに当たるかわかったものじゃないと、篠宮は中腰ですり足をしながらバッターボックスから少し遠のいておいた。相手チームの捕手に何か話しかけようかと思ったが、すぐ近くのはずの相手の顔がわからぬほど周囲は左右も奥行きもない暗闇に包まれていた。 本部席のあたりでせわしなく懐中電灯が動かされているようであったが、照明は一向に復旧する気配がない。腰を下ろして空を眺めてみたが、折からの台風の影響なのか、月も星も何も見当たらない。暗闇に目が慣れようにも、ここまで一切の光がない状態では依然として夜の深遠ばかりが辺りを覆っていた。 そろそろ心細くなってきたところで、篠宮のもとへ懐中電灯を持った大会運営者の一人がやってきた。試合について話があるので、両チームとも一旦本部席まで集まって欲しいとのことらしい。 「無茶ですよ、こんな状況で試合を続けろだなんて」 「ええ、ええ。もちろん、もちろん無茶は承知の上です。しかし、わたくしどもとしては試合を中止することの方がよほど無茶なのです。わたくしどもの立場を酌んで、なんとかやってもらえないでしょうか」 皆からやや遅れて篠宮が本部席に行ってみると、驚くべきことに試合を続行せよという議論が持ち上がっていた。 「ほかの日でもいいじゃないですか」 「いえ、今日のこの時間帯しか無理なのです。この大会の主催者である松岡様はこの試合を見ることを何より楽しみにしていらっしゃいました。しかし、どうしてもスケジュールの都合が合いませんで、現在、とあるホテルの一室でこの試合の中継を観戦中なのです。松岡様はまことにご多忙な方でして、その時間だって各方面に無理を通してなんとか確保したものなのです。ですから、もしこの試合が無事に行われなかったとなれば……」 口にするのもはばかれるのか、恐ろしいのか、大会運営者は弱々しく言葉を濁した。既にさまざまな対策に尽力、奔走したのか、ひどく打ちのめされた猫のように、すっかり憔悴しきっている様子でいた。 次第に、ここで押し問答を繰り返して、誰かを責めていても仕方があるまいという気配がその場の人々の間で漂い始め、かなりの戸惑いと不満を抱えながらも、両チームの合意のもと、このまま試合を続行することが決定された。 「ただ、現実問題としてこう真っ暗じゃあな」 誰彼ともなく至極もっともな意見が上がると、この機を逃すまいと、すかさず大会運営者の声がどこからか聞こえてきた。 「その点につきましては、先ほどわたくしどもたちも検討いたしまして、中継について、映像に不具合が出たものの、音声については問題なしという立場で続けようかと思います。後日、適当に編集したビデオを松岡様にはお見せすればなんとかなるかと」 「しかし、まともに試合なんてできないじゃないか」 「はい。ですから、皆さんで協力して、試合をしているかのような音を立てていただこうと思います。幸い、松岡様はそれほど野球に詳しくありませんので、ええ、この試合を見たいというのも、野球への興味というよりは自分が開いた大会がどれほどのものであるかが気になったというのが本当のところでして、いかにもそれらしくやっていただければ大きな問題はないでしょう。そうですね、正式な勝敗につきましてはまた後日改めて日程を設けさせていただきます」 皆完全には納得し切れぬ様子であったが、こうして試合が中断している時間が長くなればそれはそれで問題になると急かされて、かくして暗闇の中での音声野球は始められた。 「じゃあ、おれが打席に入るところからですね」 そういって、篠宮は金属バットを軽く打ち鳴らした。すると、それに応えて、少し離れたところからおそらく相手チームのキャッチャーらしい人物が「よし」という声と共に、キャッチャーミットを威勢よく叩く音を立てた。先を続けようとすると、大会運営者の誰かが口を開いた。 「もっと派手にできませんかねえ。それからわかりやすく。なにしろ、松岡様は野球についての知識があまりないものですから」 「実況解説でも入れればどうですか」 「しかし、わたくしどもの中にそんな器用な人間もおりませんし、こと野球に関してはこの中では選手の方々が一番詳しいでしょう? たとえば、もっと臨場感のあるセリフを積極的に発言してみてくれませんか」 どうも妙なことになってきたと思いながらも、篠宮たちはちゃちな光を漏らす懐中電灯を囲みながらいわれたどおりの展開を試みた。 「さあ、張り切って打っていくぞ。塁に出ないと」 「三振だ、三振をねらっていこう」 「サインは外角高めにストレートか。よし」 「あ、ちょっと待ってください」 かなりの馬鹿馬鹿しさのためか、照れ隠しのようにあまり真剣みのないふうでいるのがとがめられたのかと思ったが、大会運営者は小声ながらも毅然として更なる要求を出してきた。 「松岡様はそれで理解していただけますかね。なにせ、野球についてはあまり詳しくないようですので、ひょっとすると、ピッチャーがボールを投げて、バッターがそれを打つという基本的な現象すら把握していないかもしれません。つまりですね、選手の方々がめいめい勝手に発言したとしても、一体どこの誰がそれを口にしたのかが伝わらないのではないかと思うのです。また、わたくしどももあながたとそれほど親しいわけでもないのですから、後で音声と合わせるにしたって、声だけではどちら様の発言であるか判断いたしかねることが予想されます」 「と、いいますと」 「そこでですね、これからの発言に際しては、最初にご自分の名前をいっていただけませんか。たとえば、わたくしの名前は遠田というのですが、『遠田。がんばりましょう』といった具合に」 篠宮も含めて、周囲に集まった選手らは皆一様にいかにも不可解であるといった釈然とせぬ表情を並べていたのだが、そんな表情が伝わるはずもなく、遠田は蛍光塗料が塗られた腕時計の針をちらちらと動かすと、さあさあと一同を急かし立てた。 「篠宮。初球はとりあえず見ていこうか」 篠宮がそういったところで、何か不満を見つけたのか、またしても遠田が口をはさんだ。 「セリフの中で普通自分の名前をいいますかね。いっそのこと、セリフの前に自分の名前をいってみてはどうですか」 どういうことだと黙っていると、すかさず遠田が手本を見せた。 遠田「こうするんですよ。この方がずっと伝わりやすいでしょう」 いよいよ奇妙なことになってきたと思いながら、篠宮がううむと喉の奥でうなると、これもまた何事かを恩田に思いつかせることになった。 遠田「それから、そう、今のように黙って考え込んだとしても、中継先にはそんな微妙な感情や動作の変化なんて絶対に伝わりませんよ。全部口にしていっていただかないと」 篠宮「いよいよ厄介なことになってきたと思いながら、篠宮がううむと喉の奥でうなると、これもまた何事かを恩田に思いつかせることになった。こういうことですか」 遠田「ああ、いいですね。遠田は満足げにうなずいて見せた」 篠宮「じゃあ、じゃあですよ。風が強くなってきたとか、観客はもう一人残らず帰ったようだとか、そういうことは誰がいえばいいんですか。少しなじるように尋ねた」 遠田「気づいた人がその場その場でいえばいいじゃないですか。現に、今篠宮さんはそれを口にしてみせたじゃないですか。遠田は再び時計盤を覗き込んだ。ほら、こうしている間にも、松岡様への中継は滞ってしまうんですよ」 篠宮「篠宮は二三何か反駁しようかと思ったが、急にそうしてむきになることがますます馬鹿馬鹿しく恥ずかしいように感じられてきて、そうした葛藤を強引に振り払うかのようにやけくそ気味で大声を出した。うわ、球が速いなあ。今のは二百キロは出てた」 二川「二川は相手チームのキャッチャーであり、篠宮の突然の暴言に一瞬ぎょっとしたが、すぐにその暴言の主の感情に感化され、もうどうにでもなれと投げやりに続けた。いいよいいよ、今日は球が走ってる」 遠田「ああ、いいです、実にいいですよ。しかし、効果音も合った方が臨場感が出るんじゃないんですかね」 青木「相手チームのピッチャーの青木は生来真面目な性格だったために、この遠田の要望にごく素朴に応えてしまった。ピッチャー投げた、シュッ、ゴーッ、バン」 篠宮「篠宮は露骨に迷惑そうな顔をしたが、しかし、やってしまったものはしかたあるまいと、嫌々ながらこの路線に乗っかった。振った、カキーン、ヒューン、ポトン」 中村「相手チームのセンターだ。走った、タッタッタッ、取った、いや、届かない、三センチ、いや、ほんのわずか1ミリ足りない。ボールはバックネットを転がっている。ボールはまだ生きている」 二川「二川は慌てて辻褄を合わせようと、中村の語尾に半ば重ねるように続けた。いやその、取った後にバックホームを投げたんですね、これは。パシッ、すばやくボールを拾い上げると、さあ、クロスプレーだ。相手は全部で四人。ダッダッダッ、姿が隠れるほどの猛烈な砂埃を舞い上げながら猛牛のように突進してきた」 篠宮「はて、自分は最初のバッターだったはずだがなあと思いながら、篠宮もまた話の辻褄を合わせることを考えた。なんと、分身しています。篠宮は四人に分身しています。何の意味があるのかは知りませんが、とにかく分身しています。ドカン、バキ、ヒューン」 二川「バシ、シュバババーン、ピーヒョロロ。衝撃でホームには巨大な穴が」 青木「判定は」 中村「アウト、いや、セーフ。多数決、多数決」 遠田「いい、いい。実にいい。すばらしいじゃないですか」 篠宮「結局、試合は双方が三桁台の得点を出しながらも、死傷による退場者数がそれぞれ三名となったところでコールドで終わった。その晩、篠宮らは溺れるほどの酒を朝まで飲み、帰りのフェリーの中は苦悶と嗚咽の声で溢れた。後日、この試合はぎこちないCG付きで映像が再現されることとなり、ずっと後になってそれを見た大会主催者は素っ気なく『野球はよくわからんが、まあ面白かった』とだけ一言述べた」