地球はやっぱり丸かった:木沢作  金属音と共に、白球が二遊間を割った。  それを見た瞬間、グラウンドにいた観客達は一斉に叫んだ。    一塁側は歓喜で。三塁側は悲痛で。    対戦相手と礼をした後、俺はスコアボードをちらりと見た。  そこには0がひたすら並んでいた、3回表0、5回裏0、7回表0……。  9回裏のところでようやく1があった。    ――ただし相手チームの、だが。    ため息をついているとマネージャーが近寄ってきた。 「また、負けちゃったね」  その声は一見明るく言っているような感じもするが、そこには呆れと哀れみと特に色濃い絶望が含まれていた。  だから俺は少しそっぽを向いてああとだけ答えた。    ――本当に酷かったからな、この試合は。    得点だけを見ればこれは投手戦にも見える。  だがエースの自分が言うのもあれだが、この球はとても投手戦に似合う物ではない。  相手チームも俺とどっこいどっこいだ。  だが、へぼいのはピッチャーだけではなくバッターも同じだった。バットを振り回しても全く快音が響かない。    いわばこの試合はキザな『投手戦』などではなく、バットの風だけが吹く『扇風機戦』だった。    結局、試合の結末は俺が四球を出した後、ワイルドピッチとエラーが重なり  最後は4番バッターにヒットを打たれてしまい幕を閉じた。    ――数日後に迫る地方大会の結果が目に見えるようだ。   「俺たち今日も勝てなかったなー」  声のするほうを振り向くと同じチームの智也が立っていた。  その馬鹿にしたような口調にお前のセカンドのエラーだって原因だろ、と思わず言いそうだったが口を結んで頷くだけにした。 「何の用だよ」  そう俺が言うと、そっけないなーと返してきた。 「せっかく俺が話しかけてきたんだからちょっとは愛想良くしろよ」 「はいはい、とっとと監督の所へ行こうぜ」  監督の方を指すと智也は少し眉を寄せた。 「まじかよー、どうせ反省会だろ」  ほら行くぞと言おうとする前に智也が声を潜めた。   「なあ……、逃げちゃわね? 」  えっと言いながらも思わず行きに乗った自転車の方をチラッと見た。  監督達の居る所とは別の場所にあり、行こうと思えば行けそうだった。 「今、監督もキャプテンと話してるしチャンスだよチャンス」  軽く言っているようだが、智也の口調には「絶対俺の言うとおりにするはずだ」という自信を感じた。 「……じゃあ、行くか」  これって乗せられてるのかな、とちょっと癪に障った。  だけど、俺もきっと監督の小言が聞きたくないからだよなと理由付けた。  ――どうも言い訳臭い。   「よし、じゃあ行くぞ」  結局その声に反応した俺は、智也と共に思いっきり自転車の方へ駆け出した。  後ろからはキャプテンや監督達のの怒声が聞こえるがそんなのは気にしない。気にしないようにしよう、ちょっと後悔したが。  チェーンを急いで外し、サドルに腰掛けペダルを一気にこぐ。    空は快晴だった。ペダルをこぐたびに顔に心地よい風が当たった。  後で反省文を3枚書く羽目になるだろう。だが、今はとにかく最高の気分だった。  ――監督の小言と言う単純な理由だけで俺を連れ回したわけではないような気がした。  智也はさっきから何かを言いたそうに「なあ……」と声をかけてくる。その度に何だ、と答えるのだが急に、沈黙した後「何でもない」と返してくる。  いつもは軽い調子で喋る奴だが、大事な話のときに限って言おうとしない。そんな奴だった。  こっそりと苦笑した後、「ちょっと止まるか」と言ってやった。智也はそうだなとそっけなく言ったが、声が若干弾んでいる。それでまた苦笑した。  止まった場所がちょうど公園の近くだったので、そこに寄ってみることにした。    ゆっくりとコーラを飲み干した後、チラッと智也のほうを見た。  あいつは炭酸が飲めないのでお気に入りの「おーいお茶」を啜っていたが、やはりちらっとこっちを見てくる。  流石にいらいらしてきたので「何か言いたい事があるんだろ? 」と聞いてみた。  その問いに智也はあわててこっちを振り向き、残りのお茶を流し込んでゴミ箱に捨てた。舌を少しなめる。 「……あのさ」 「なんだよ、はっきり言えよ」  智也は空を見上げる、つられて同じ方を向くとあいつは俺の全く予想外のことを言ってきた。 「……地球って丸いと思うか? 」  ――は?    ――なあ、何言っているんだ?   ――何で急にそんなことを言うんだよ   ――お前はどっかの思想家か?   矢継ぎ早に喋ったが、何も返してこないのでため息をついて言った。 「……地球は丸いに決まっているじゃねえか」  少し智也が頷く。    ――まじ、じれったい。 「けどさ、お前って実際に見た事あるか? 」 「あるよ。お前だってあるだろう」 「それって、知ったかぶりじゃないのか? お前が見たって言うのは絵とか写真とかだろ。実際に見た事はあるのか? 」    ――いや、そりゃ無いけどさ。そもそも話が見えてこないんだけど。 「結局何が言いたいわけ? 」 「……お前ってさ」 「ああ? なんだよ」 「本当に俺達のチームのことをよく知ってるわけ? 」    ――一瞬言葉に詰まったことを自覚した。 「……当たり前じゃねえか。何言ってんだよ」    ――少し声がうわずる。  俺はその問いに自信たっぷりに「そうだ」と言える、はずだ。  役立たずの監督や優柔不断のキャプテンなんかよりも絶対に人望はあるし、誰よりもチームを理解しまとめていった、はずだ。    だが、智也の言葉を聴いた瞬間、何だかその自信が本当にあるのかが分からなくなってしまった。 「お前ってさ。みんなの野球に対するやる気とか能力とかだけを見ていないか? 」 「みんなだってさ、野球がつまらなく感じたり、挫折したりすることとかあるんじゃないの? 」  その言葉にドキリとする。前に野球をやめたいと言ってきた奴を仲間全員で、(そういえば智也いたっけ? )シカトをしたことがあるからだ。  いつの間にかそれは学年全体に浸透し、今そいつは不登校だったような気がする。      まだ、智也は話を続けている。 「……マネージャーの親父さん。うちらのチームの元高校球児だってこと知っているか? 」 「その親父さんが末期ガンで寝たきりになっていることは? 」 「マネージャーがいつも見舞いに行くたびに『甲子園にもう行ったか? 』と聞いてくる事も知っているか? 」  徐々に声を荒げているが、俺はただ頷くことしか出来なかった。 「まだ、他の奴等だっていろいろとあるんだぞ」  ため息をつく。試合で負けたときより強い感じがした。 「……なんで、お前はそんな事まで知っているんだ? 」  そう聞くとはあと言うような顔をして答えた。 「弱みを人に見せないからだろ」 「え? 」 「だからさ。お前はキャプテンよりもチームの中心人物だろ。だけどお前は自分は完璧でいないとチームはまとまらないと思っているんじゃないのか? 」  俺達はいつの間にか花壇に腰を掛けていた。手を見ると雑草が付いていた。知らず知らずにむしっていたようだ。  手で匂いをかぐと草のキツイ匂いが妙に鼻へツンとくる。 「それってさ、堅苦しいしさ辛いと思うぜ。俺は……」          俺は智也の頬を思いっきり殴っていた。  周りがざわめく、智也が訳が分からなそうにこっちを向く。 「帰ってくんねえか」 「は? 」 「いいから帰れ! 」  そう言うと俺は草の匂いをかいでいないのにまた鼻がツンとした。 「……分かったよ」  俺はもう何も言わずにそっぽを向いた。  智也はまだ、何か言ってきたが、無駄だと知ったのか「分かったよ」と言った。    ――最後にあいつがぽつりと発した言葉に俺は反応して振り向いた。  だが、既にあいつは自転車の方へ駆け出していた。       空を見上げる。    ――俺はチームにとってどんな存在なのだろう。  そんなことは聞いたこともなかった。あいつの言った「知ったかぶり」が頭にふっと浮かんだ。    ――結局、あいつの言うとおり俺は地球が本当に丸いのか疑問に持たず生きているのような人間かもしれないな。  空は曇天だった。水がポツンと肩に当たる。  雨は嫌いだけど、今は降って欲しかった。  そうでないとひざにうずめた顔をとても上げられそうに無いからだ。  地方大会は、雲一つ無い晴天だった。  俺は、スパイクでマウンドを慣らす。ロージンパックを手に馴染ませながら空を仰ぐ。  ――いい天気だな。  呑気にそんなことを考える。  甲子園のような大舞台ではないけれど、ここに立っているというだけで興奮してくる。  ホームベースの方を見るとバッターが構えている。  ロージンバッグを捨て、主審の「プレイボール」の声を聞く。  俺は振りかぶり、ボールを投げた。  目指す先はミットだ。バットには当てさせない。  結局、俺は自分自身の方針を変えるつもりはなかった。  無断で逃げ出した罰として反省文を書いた後、  グラウンドでいつものようにキャプテンよりチームをまとめ、  ミスを厳しく怒り、巧い奴は褒める。何も変わらないと思った。  ただ、試合の前にみんなにこんなことを言われた。 「なんか、少し人当たりよくなったね」――これはマネージャー。 「あまり、練習中に怖い顔しなくなったな。いい顔だぞ」――初めてキャプテンがキャプテンらしく見えた。 「お前も、野球を通して体も心も成長したんじゃないか? 部活は精神を鍛えるんだからな」――じじいの話はどうだっていいが。  俺はその時、智也の声を聞きたいと思った。  ――だが、もうあいつはいない。 「俺、明日からいなくなるから」  公園で聞いた、その唐突な話に俺は急には理解できなかった。  その言葉の意味は翌日分かった。智也の家族が夜逃げをしたのだ。  父のギャンブルが原因で借金が返せない額までに上ったらしい。  みんな、そのことは知らなかったらしい。  ――なんだ、おまえだって人に弱みを見せなかったじゃないか。  あいつは言うだけ言っといて去ってしまったのだ。 「……むかつく」  その言葉が誰に対してなのかは分からなかった。  9回裏、2アウト満塁。これだけ見れば一打逆転の場面にも思える。  しかし、スコアは6−0。ホームランを打っても逆転できそうに無い。  バッターがぎこちなく立つ。  相手チームが決まったとき、俺達は敗北を確信した。  何年か前は甲子園にもいった古豪で、去年はベスト8まで進んだ。  周りからは「今年は不作のチーム」とも言われるが、俺達のチームは何十年も前から凶作のチームだ。  試合は大方の予想通り完敗に近づいてきたが、チームが一致団結したのが良かったか、  マネージャーのお守りが(『目指せ!甲子園』の文字を縫い付けるのはやめて欲しかったが)が良かったのか、9回まですることができた。  そして今、エラーとフォアボールで満塁。ドラマみたいな展開になってしまった。  そして、その舞台の主役は何を隠そう6失点のこの俺だった。  カウントは二ストライク。前打席もその前打席も三振の俺に打てるのだろうか。  タイムをかけ、バットを振る、情けないスイングだなと思った。  だけど、絶対打てる。奇跡は起こる。  俺はバッターボックスに立った。  今、俺はどんなバッターにも負けない気がした。   「で、三振したわけか」 「……ああ」  試合が終わって数ヵ月後、ひょっこりと智也が現れた。  今、俺たちはあの公園に立っている。  少し、痩せたなと思った。服も少しに匂う。  だが、間違いなく智也だった。 「あれからどうなった」  俺は問いかけるがまあぼちぼちかなとしか答えない。 「智也」 「何? 」  ――ここで、謝らないといけない。  だが、どうしてもそれができなかった。あいつを恨んでいる訳じゃないのに。感謝したいのに。  沈黙がしばらく続く。  それを破ったのは智也だった。  「悪い。俺もう行かなきゃ」  そう言うと智也は背を向け歩き出した。  あいつはまた別の所へ行くらしい。居場所は智也自身も分からないらしい。  ――あいつが去るのをまた見届けるだけなのか?  声をかけると、めんどくさそうに智也が振り向く。  ――謝るんだ。それができなかったらせめて礼を言うだけでも。 「10年たったら、またここに来ないか? 」 「この日この時間に」時計は午後1時を示していた。  智也の顔を見たが、表情では読み取れなかった。  また智也が背を向ける。  もう、俺はもう声をかけることが出来なかった。  あいつの姿が見えなくなるまで見続け、見えなくなった瞬間自分の頭をこつんと殴った。  周りは木の葉のせせらぎしか聞こえなかった。   公園は平日だからか人は少なかった。  ベンチにに寝そべり空を見上げる。  今日この日は、たとえ日が暮れても待ち続けようと思った。  あの時言えなかった「ごめん」と「ありがとう」を言うために。  足跡がする。俺は起き上がって音の方を向くと、智也ではなく小さい子供が歩いていた。  その子に手を振る。子供は驚いて足を止めお辞儀をする。  苦笑して、またベンチに寝そべる。  ――あの子智也に似ていたかな……。  なんてな、と呟く。    雲が流れる。  太陽が照りつける。  眩しいほどの青。  何も変わらない空が急に丸く感じた。  ――ああ、やっぱり地球は丸いんだなあ。  時計を見る。  約束の時間まで、あと30分だった。 〜End〜