「気付かぬ死人」:鬆作 あの日の夜 俺は 彼女を失った・・・・. 「気付かぬ死人」 深夜3時弱。 山の中を通る真っ暗で長いトンネルの中を一台だけ、車が走っていた。 あまりにも田舎な為、トンネル内にライトはなく頼りの光は車のライトだけだ。 「し、信二・・・ちょっと暗くない?」 不安そうに隣で運転している信二に亜由美が聞いた。 「大丈夫、大丈夫、他に車もないんだから事故に合う筈もないよ。」 信二と呼ばれた男は気楽にそう言うと、片手で運転をしながらタバコを吸い始めた。 亜由美とは裏腹にどこかはしゃいでいる様子だ。 此処は「縁結びのトンネル」と呼ばれる地元では有名だったデートスポット。 カップル達の間で少しだけ有名な「深夜3時過ぎにこのトンネルを男女で通るとその男女は永遠に結ばれる」という話を聞いて結婚間近の年齢の2人はこのトンネルに来た。 トンネルに入って凡そ5分が経過した。 信二はなんとなく苛立ちを感じて少しだけスピードを上げる。 「思ったより長いね。」 信二がタバコの煙を吐き出して、言った。 このトンネルに来るのは初めての2人はこんなにもこのトンネルが長いとは知らなかった。 「うん・・・。」 亜由美は何となくこのトンネルの中に居ちゃいけない気がして不安な表情をしていた。 「あ、ほら出口が見えてきたよ。」 そんな亜由美の様子に気付くことなく信二が前に見えた光を指して笑顔で言った。 そして、一気にスピードを上げる。 「し、信二…あれ…本当に出口の光なのかな…。」 亜由美が少し速すぎるスピードで近づいてくる目の前の光を見つめながら怪訝そうな表情で言った。 信二がそんな亜由美を不思議に思い、何か言おうと口を開いた。 よく考えてみるとおかしな話だ。 何故深夜のトンネルの出口に光があるんだ。 「し…信二、アレ違うよ…出口じゃない! 避けて!」 亜由美の叫び声にビックリして慌てて信二が前を見た。 しかし、既に遅かった。 「うわぁあー!」 キキキーーー・・ーー・・ ドンッ!!! 信二が入り口の光だと思っていたものは大きなトラックのライトの光だった。 あの日のあの夜・・・僕は亜由美という大切な彼女を失った。 俺が、・・・・俺の責任、俺の罪、俺の所為で・・・。 俺 ガ 悪 イ ノ ニ 。 亜由美、戻ってきておくれよ・・・なぁ・・?。 数週間後。 信二は一人で自分のアパートに戻ってきた。 ドサッ・・・。 部屋に入ると信二は倒れこむようにベッドの上に暫くうつ伏せになった。 顔には覇気がなく、無表情だ。 無心になって自分を落ち着かせようとしているのだろう。 うつ伏せの状態のまま、ふと机の上を見た。 幸せそうに笑う、信二と亜由美の写真が目に入った。 「ちっ・・畜生!」 拳を思いっきり枕に打ち付ける。 自分の責任で彼女を失った罪悪感と虚無感。 目に溜まった涙が少し、流れた。 「亜由美…帰ってきてくれよ・・・。」 悲痛に満ちた、震える声で呟いた。 どうしようもない事だ、亜由美は死んだ、帰ってくるはずが無い。 感情の渦に飲み込まれないように出来るだけ論理的な考えを持とうとしたが頭ではわかっても、心は亜由美を求め続けた。 心臓が痛い、喉の奥が痒い、呼吸が苦しい。 いっその事、このまま死んで亜由美に詫びを入れに行きたい。 「信二・・・。」 ふと懐かしい声が信二の耳に入った。 目を見開いてき、反射的に上半身を起こした。 ゆっくりと声が聞こえた方に首を回した。 信じられない、有り得ない、幻覚だ。 あまりのことに信二は冷静にその現実を否定した。 しかし、確かに信二の瞳にはあの懐かしい女性が映っていた。 「亜由美…!」 目の前には、自分の所為で失くしてしまった恋人が確かに居た。 足もある。生きている! 幻覚でもなんでも良い、消えないでくれ。お前の正体が俺を殺しに来た悪魔だろうと死神だろうと何でも良い。 亜由美の姿で殺されるなら本望だ。 だから、もう、俺の前から消えないでくれ。 もう一度、笑いかけて欲しい。 急いでベッドから飛び降りて亜由美に近寄りながら信二がもう一度呼びかけた。 「亜由美・・・。」 気持ちは急いでいるのに足が震えて上手く歩けなかった。 それでも一歩一歩亜由美に確実に近づいていた。 少しずつ、亜由美の身体を抱きしめようと腕を左右に広げた。 信二の両腕は確かに一瞬、亜由美を包み込んだ筈だ。 「え…?」 目の前に居て抱きしめようとした筈の信二の両腕は亜由美に触れることなくそのまま亜由美の身体をすり抜け、信二の両腕は亜由美に触れることは無かった。。 信二はへなへなとその場座り込んだ。 寸秒、事態が掴めずに信二の視線は床の上を這いまわっていた。 テレビ番組や雑誌にはよく載っていることだ。 元々そういうのは信じる方じゃなかったしどちらかというと否定派だ。 しかし今自分の身に起こった事はソレ以外にどう説明しようというのだ。 幻覚? ありえない、こんなに意識がハッキリとしていてはっきり見える幻覚があるものか。 亜由美は、幽霊だ。 「そうか・・・お前・・。」 信二は全てと悟った。そしてそれ以上は言わなかった。 亜由美自身もきっと溜まらなく辛いに決まっている。 俺の、所為だ。 亜由美は悲しそうな表情のまま、机の上の写真を見つめた。 写真の中の二人は何が起ころうと変わることなく笑顔だ。 それが逆に残酷に思えた。 「ああ、あの写真ね・・楽しかったなぁ、あの頃は・・・。」 信二は写真の中で笑顔で楽しそうな2人と今の自分と変わり果てた亜由美の様子とのギャップがおかしくて涙を流しながらうすら笑いを浮かべた。 信二はまだ亜由美の様子が変なことに気付かない。 亜由美の視線は壁や床や家具を捉えるばかりでまるで信二を見ていなかった。 「信二・・・食べてね。」 亜由美は擦れた声でそう言うとどうやらずっと持っていたらしいオニギリを机の写真の横に置いた。 暫く悲しそうに写真を見つめたかと思うと驚くほど早いスピードで部屋から出て行った。 「まって! 亜由美! 行かないでくれ!」 信二が慌てて亜由美を追いかけようと、立ち上がったが何かにひっかかり、転んでしまった。 慌てて立ち上がったときは既に亜由美の姿はなかった。 皮肉にもひっかかったものは亜由美が誕生日プレゼントにくれた抱き枕だった。 「亜由美・・亜由美・・亜由美ぃ・・・。」 信二は抱き枕を抱えてその後、ずっと、ずっと、涙を流し亜由美の名を呼んだ。 次の日。 信二は亜由美が置いていってくれたおにぎりに手をつける事なく、ひたすら部屋に閉じこもっていた。 ベッドに潜り込んで別のことを考えようとしても 亜由美だと思って抱き枕を抱えてみても ボーと天井を見上げて無心になろうとしても すぐに最愛の恋人のことを思い出して涙が溢れてきた。 そして、とうとう夜になってしまった。 「信二・・・。」 背後から愛しい声。 まさか、奇跡とは2度起こるものなのだろうか。 それとも今度こそ幻覚なのだろうか。 また、亜由美が現れた。。 「亜由美!」 信二は立ち上がって亜由美に触れようと近づいて手を差し伸べたがもちろん触れる事はできなかった。 当然だ、亜由美は幽霊なのだから。 と、信二は頭の中で呟いた。 信二は一度、手を離して今度は亜由美の頬を撫でるように手を動かした。 もちろん、感覚は無いが気分だけでも亜由美に触れていたかった。 「亜由美…もうどこにも行かないでくれよ…君がどんな存在だろうと、まだ愛しているんだ!ずっと、ずっと、此処に居てくれ…。」 信二はそう言うと亜由美の頬にキスをした。 もちろん、亜由美の体温も亜由美の頬の柔らかさも感じることはできなかった。 どうしようもない虚無感が信二を襲った。 「亜由美・・・。」 信二は亜由美の暖かい体を思い出してよけいに虚しくなった。 今の亜由美には冷たさも暖かさも無いんだ。 亜由美はそんな信二をやはり見ることもなく、話しかけることもなく、ただ写真を見つめて悲しそうな表情をした。 そして今度は写真の信二の頬を親指でそっと撫でて部屋から出ていこうと回れ右をした。 「亜由美!」 今度は行かせまいと亜由美の腕を掴もうとしたがもちろんそんなことはできる筈がなく、また亜由美は部屋を出て行ってしまった。 もう、どこを見回しても亜由美の姿は無い。 先程まで近くに居たのにもう居ない。 隣に居たのに触れることもできなかった。 このもどかしさと虚しさと悲しさと寂しさはやはり亜由美を殺した 俺への神からの罰なのだろうか? それともやはりアレは亜由美の姿をした死神が俺をからかいにきたのだろうか。 どうでもいい。まだ触れなかった。 ひと撫ででいい、触りたい。 一言で良い、話したい。 でも、叶わない。 「…畜生、ちくしょう!」 ドン、ドン、ドン! 信二は拳で床を殴り続けた。 また寂しく辛い一人の時間が来たのだ。 信二はまた部屋から出ることなくひたすら一人、部屋の中で過ごした。 不思議と空腹も何も感じない。 ただ、亜由美への思いにだけは胸が押しつぶされそうだった。 しかし何となくまた亜由美に会えそうな気がした。 期待と反面して不安が信二を容赦なく襲った。 もし亜由美と話せたとしても俺のことを恨んでいるんじゃにだろうか。 俺を殺すために此処に通っているんじゃないだろうか。 亜由美に殺されるのはかまわない。罪悪感も薄れるだろう。 しかし、亜由美に恨まれているんじゃないかと思うと心臓がつぶされそうなくらい痛んだ。 3度目の夜、亜由美はやはり現れた。 亜由美は信二に恨みの言葉をかけるわけでも視線を合わせるわけでもなくやはり写真だけ見つめて帰って言った。 信二は今度は話しかけることなくただ亜由美を見つめて帰っていく背中を視線で見送った。 そして心の中で呟いた。また明日、と。 不思議な事に亜由美は毎晩現れた。 しかしパターンは同じだ。 視線を合わせることも会話をすることなく。 亜由美は写真の信二を見つめて信二はその亜由美を見つめた。 亜由美が毎晩来るようになって数日立った。 信二はただ部屋の中で亜由美を待つだけを日々を送っていた。 それだけが、”生きがい”になっていた。 毎回無言で悲しそうな亜由美を見つめる。 初めは寂しかったが段々亜由美を見ることに幸せを感じることが出来る。 触ることは出来ないが確かに愛しているものが目の前に存在していることを確認できる。 目の前の女性は死神でも悪魔でもない、亜由美だ。 午後3時。 昼間だが外は雪で薄暗かった。 信二はいつものように亜由美が入ってくる部屋のドアを見つめて亜由美が来るのを待っていた。 まだ午後3時。 亜由美が来るのはいつも深夜、まだ来るはずが無いのは信二も分かっていた。 しかし他に何もする気が起こらなかった。 亜由美を見たい。信二の欲はそれだけだ。 食欲も性欲も何も沸かない。まるで死人だ。 「あれ・・?」 突然、物音がした。 近所の人間だろうか…否、違う。 3人の人間の声と足音がした。 どの声もどこかで聞いたことある声だ。 そのうちの一つの声が凄く胸に響く…この感じ…。 亜由美だ! 気配は確実な足音となって信二の部屋に近づいてきた。 ガチャ・・・。 信二が居る部屋のドアが開いた。 信二ははっきりと3人の人間の姿を捉えた。 小太りの男に優しい目をした中年女性に…亜由美。 一瞬、亜由美に見蕩れて我を忘れたがすぐに現実に戻った。 亜由美と一緒に居る中年男女は…信二と父親と母親だ。 そういえば両親にもずっと会って居ない。 信二は懐かしいようなくすぐったいような気持ちにさせられた。 「母さんに父さん、亜由美…?」 3人の名を呼んでから事の滑稽さに気付いた。 亜由美は、死んでるんだ。幽霊なんだ。 霊感も何にもない平凡な信二の両親に幽霊なんて見える筈がない。有り得ないんだ。 しかし今、信二の目の前に現れた3人は会話をしている。 あ、父さんが亜由美の肩に乗せた。 乗せたフリでもなんでもない。たしかに父さんは亜由美に触れている。 何故だ! 俺は亜由美触れることなんてできなかったのに…。 「な、何で? 父さんと母さん亜由美と居るの?」 信二は立ち上がって両親に問いかけた。 しかし、反応はまるでない。 それどころか信二の姿すら見ようともしない。 久しぶりに一人息子との再会だというのに何て親だ! 信二は3人に対して強い口調で怒鳴ったが反応は先ほどと同じく、まるでない。 信二は分けがわからずに頭をかいた。 こんなに話しかけているのに3人は返事一つしない。 それどころか自分の姿を見ようともしない。 3人は突然、信二の部屋の物を片付け始めた。 「何やってんだよ! 勝手に人の部屋を…。」 信二は当然、怒って3人に怒鳴りつけた。 やはり反応はない。 わかった、きっと亜由美は生きていたんだ。 そして毎晩現れて事故恨みを晴らすために嫌がらせしていたんだ。 きっと今の3人がしていることも事故を起こした自分への当てつけに違いない。 そう思うと段々腹が立ってきた。 堪忍袋の尾が切れるとはこのことを言うのだろう。 「やめろよ! 母さん!」 信二の私物をどんどん袋に詰め込んでいる 母を止めようと信二は母の手首を掴もうとした。 「あれ・・・?」 信二の手は亜由美に触れようとしたときのように母親の手首をすりぬけた。 「・・・・なんで?」 信二は自分の手と母親の手を交互に見つめた。 母さんの手確かに自分の私物を掴んでいる。 赤みを帯びた色は確かに生きた手の色だ。 なんで……? 「うっ・・・うわぁああああん!」 突然、亜由美が泣き崩れた。 信二の父親が泣き崩れた亜由美の肩をそっと持って数回うなづいた。 信二はワケが分からずに呆然と3人の様子を見ていた。 「亜由美ちゃん・・・・。」 信二の母が亜由美にそっと近づいて優しく呟いた。 亜由美はただ、泣き続けていた。 嫌がらせにしてはおかしすぎる。 どういうことなんだ? 俺の父さんと母さんと亜由美は何がしたいんだ? 無視されることを承知で信二は問いかけた。 「母さん・・何で? 亜由美は死んだんじゃないのか?」 もちろん、返事はない。 「信二ぃ・・信二・・・何で私を置いて言っちゃったの…。」 震える声で亜由美が言った。 置いて行った? 俺が亜由美を? どういうことだ? 疑問は尽きない。 「亜由美さん・・・お気持ちはわかりますがそんなに泣かれたら”死んだ信二”が報われませんよ・・・。」 信二の父親が言った。 信二は父親の言葉を何度も頭の中で繰り返した。 毎晩現れる亜由美はまるで俺を見なかった。 亜由美が俺に触れられないんじゃない。俺が亜由美に触れない存在だったんだ。 そうか、そういうことか…そうだったんだ。 父親の言葉を聞いた時、頭では即座に現実を理解した。 しかし、心はそうはいかない。 目の前で泣いている亜由美、父さん、母さんは確かに生きている。 俺は、俺は、 シンダ。 「う…うああぁあああ!!!! い、いやだ・・・ 嫌だ!!!!!」 最後の信二の叫びは 誰の耳にも入ることはなかった。 もちろん、最愛の恋人、亜由美にさえ…。 そして、昔はデートスポットで有名だったあのトンネルも 亜由美と信二たちが来るちょっと前からは カップルの事故が多いことから 縁を引き裂かれることで有名なオカルトスポットだった。 END