シャボン玉:AIR作 シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた シャボン玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風々吹くな シャボン玉とばそ どこからともなくなつかしい歌が聞こえてきた。どうやらその歌は縁側の方から聞こえてくるようだ。 「楓、お前か。歌を歌っていたのは」 「あ、兄ちゃん」 小さな少女と間違われてもおかしくない容姿の少年が、縁側に佇んでいる。 小坂楓(こさか かえで)は、兄の小坂修二(こさか しゅうじ)を見上げて、あどけない無邪気な笑みを浮かべる。 「その歌、どこで覚えたんだ?」 「この間読んだ絵本に載ってたの」 シャボン玉の歌か・・・・・ 「ねえ、兄ちゃん」 「ん、何だ?」 「ぼくシャボン玉が欲しい」 「え?」 楓はじっと真っ直ぐに修二を見つめる。修二は少したじろいで、ハア、とため息をついた。弟の言いたいことはわかっている。 修二は楓の頭を撫でる。 「わかったよ。兄ちゃんが買ってきてやる」 「わー、ほんとに?」 「おう」 「ありがと兄ちゃん」 修二はもう一度楓の頭を撫でてやる。 「じゃあ、兄ちゃん出かけて来るから、良い子にして待ってるんだぞ」 「うん」 修二は数少ない貴重な小遣いを少しためらいながらもポッケにつっこんで家を出た。 春の風が足元を吹き抜けて行く。午後の陽光が降り注いでいる。 温かい。心地良いな。 この十字路を右に曲がると少し年季のある最寄のスーパーに辿り着く。 ガラスの自動ドアを開けて店内に足を踏み入れる。子供のおもちゃ売り場のコーナーに赴くと、かつて自分もこんなおもちゃたちで遊んだんだなと懐かしい気持ちになる。 「あった、これだな」 透明なシャボン玉が宙に浮かぶと、楓はきゃっきゃとはしゃぐ。 が、やがてシャボン玉が割れて消えると、楓の顔に陰がかかる。 「どうして消えちゃうのぉ?」 楓は修二の方に向き直って腕を引っ張る。 「ねえ、何でシャボン玉は消えちゃうの?」 ふと、修二は自分の幼き頃の風景がフラッシュバックする。 おれも、何でシャボン玉は消えてしまうのか不思議でならなかった。 生まれて、宙にふわふわと浮かんで、突然割れて消えてしまう。 何で?何で?どうして? 修二は幼き頃の自分の姿を目の前の楓に重ねる。 お前もか、楓。お前も不思議だろう。 「何でだろうな・・・・・」 空を見上げる。青いきれいな空だ。視線を再び楓に下ろす。 「兄ちゃんにもわからないや」 修二は作り笑いを浮かべる。 「今度は消えないでね」 すがるように願う楓を見ていると、何故か抱きしめたいという衝動がわく。 修二は小さな子供達が好きだった。無邪気で、純粋で、世間知らずで、自分達とは違った視点、感動する心を持っている、そんな小さな子供達が。 無論、弟の楓も好きだ。まだ、年端もゆかない、心に一切の濁りがない楓が。 また、シャボン玉が宙に浮かぶ。楓の視線はそのシャボン玉一点に集中している。 びゅう、と一陣の風が吹き、十秒足らずでシャボン玉は消えてしまった。 修二はちらっと楓に視線を投げる。楓は俯いて寂しげな顔をしている。修二は視線を楓から反らして地面に視線を下ろした。 アリが長い長い列を作って巣に向かって行進している。 「シャボン玉か」 後ろから声がした。振り返る。 「何だ、じいちゃんか」 「あ、おじいちゃん。見て、シャボン玉」 「おお、きれいだな」 修二たちの祖父、清春(きよはる)は髪の毛こそ白くなってしまったが、本数は維持している。 「あっ、また消えちゃった・・・」 清春は楓の小さな肩にそっと手を置いた。 「ねえ、じいちゃん。何でシャボン玉は消えちゃうの?」 清春を仰ぎ見て楓は尋ねる。 「楓・・・それは違うぞ」 柔和な顔で優しく清春は言った。 「シャボン玉は消えてなんかいない」 「じゃあ、どこに行ったの?」 「遥か遠くの空へと旅立ったんだ。例え、姿かたちがなくなろうとも、決してシャボン玉の存在は消えたりはしない」 「本当に?」 「ああ」 清春は優しく楓の頭を撫でる。 ああ、さすがじいちゃんだな。修二は空を見上げた。西の空が茜色に染まっている。頭上でカラスの鳴き声が聞こえた。 「兄ちゃん、ぼく、またシャボン玉飛ばしたい」 「はいはい、また今度買って来てやるよ」 楓は満面の笑みを浮かべた。 「ええっ、シャボン玉に乗って飛ぶ夢?」 「うん」 翌朝、楓は朝食を食べていた修二に、昨日の夜に見た夢について興奮した様子で喋りだしたのだ。 何でも、シャボン玉に包まれて空高くどこまでも飛んで行ったらしい。 「へえ、良かったなぁ、楓」 かわいい夢だな。それでね、それでね、と弾んだ声で楓は続ける。 修二は頬を緩めて、楓の話に耳を傾ける。 おれも昔、楓と同じ夢を見た。今でも記憶の片隅に残る、今では思い出のその夢が鮮明に蘇る。 辺り一辺何も見当たらない、ただひたすら緑の草原に佇んでいた。 突然、どこから現れたのかわからない大きな大きなシャボン玉に体が包まれてゆっくりと上昇して行った。 不思議な感覚だった。胸がトクントクンと高鳴っていた。 おれを乗せたシャボン玉はどこまでも、高く昇って行った。 「ねえ、兄ちゃんもやらない?」 昨日と同じく、暖かな陽射しが縁側を照らし出す。 楓は屈託の無い笑顔で、修二にシャボン玉液と一本の管を差し出した。 小坂家の門の所には、小さな桜の木が立っている。 今年の日本の桜前線は例年よりも少し遅れていて、近頃ようやく木々が鮮やかなうす桃色に染まってきた。 風に揺られて舞う桜が修二の目の前を過ぎった。 「よし、じゃあ兄ちゃんもやるかな」 ニッコリと笑みを楓に向ける。 管の先をシャボン玉液につける。 ああ、懐かしいな。 そして、管に息を吹き込む。シャボン玉が生まれる。 そのシャボン玉は風が吹いても割れずにゆっくりと空に向かって行った。 「わあ、兄ちゃん、あのシャボン玉割れないで飛んでるよっ」 「ああ」 シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた シャボン玉消えた とばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた 風々吹くな シャボン玉とばそ fin.