classical days(hiramatu様作) classical days 日曜の昼下がり。 河原の芝生に葉っぱをくわえた、20代後半ぐらいの男が座っている。 その男の視線の先には、賢明に声を張り上げて野球をする子ども達、それをどこか懐かしそうな目で眺める男。 「オレにもこんな頃があったんかなぁ〜」 そう言うと、その男は芝生の上に倒れ込みそのまま空を見上げる。 空には太陽がさんさんと照っていて、いくつか浮かんだ雲が空の青に良く映えている。 「晴天って言葉が似合いすぎるぐらい晴天やなぁ〜」 男は口にくわえた葉っぱを落とすことなく、起用に晴れた空に向かって独り言を吐く。 こんな晴れた日は、懐かしい青春時代を思い出さずにはいられない、高校時代、あかつき大附属高校で一心不乱に野球に打ち込み、仲間と共に甲子園出場を果たした。 九十九宇宙。 奔馳中から特待生として、であかつき大附属高校に入学、一年の秋にはライトのレギュラーを勝ち取り、三年間それを誰にも譲ることは無かった。 『あかつきのライト九十九』や『流し打ちの名人、九十九』と言えば、その地区の高校球児で知らぬ者はおらず、甲子園に出れば、堅実な守備とシュアなバッティングで三年生の時にはチームのベスト4入りに貢献した。 その後はあかつき大学に進学し、そこでもレギュラーとして活躍した、しかしプロから声がかかることはなく、卒業後は独学でお好み焼き屋を始めた、最初の頃は客足も伸びず何度も辞めようと思ったが、最近やっと店が軌道に乗ってきて、なんとか一段落と言ったところだ。 あかつきで高校時代はベスト4,大学でもレギュラーを張った自分が、お好み焼き屋の店長をしているのも多少おかしな話だと思う時もある、同じチームでプレーしていた二宮、猪狩、一ノ瀬さんは今や全日本代表だ、しかしお好み焼き屋の店長を今やっているのは、自分らしいと言えば自分らしいとも思っている。 「お好み焼き屋の店長がこんなところで寝てて、ええんかい」 九十九の目の前に広がる空の中に、頭にタオルを巻いた無精ひげの男が入ってくる。 「お前はどうやねん」 「ワイはええねん、たこ焼き屋やから」 「どういう理屈やねん」 「まぁええやん」 そう言うと無精ひげの男は九十九の横に、倒れ込むように寝ころぶ。 「なぁ阿畑……どうや?プロ辞めて…」 少しばかり神妙な口調で九十九は隣の男に話しかける。 「ん……なんとかな、まぁええやん、そんなまじめな話するために昼間っから男二人集まったわけやないし」 阿畑と呼ばれたその男は、九十九の発している神妙な雰囲気を取り払うように、明るいトーンで九十九に言葉を返す。 「まぁな……それより見てみぃ」 そう言って九十九が空を見上げたまま、反対の岸にある河川敷球場のほうを指さす。 中学生の頃は、幾度と無くあの球場でプレーしたものだ、あそこで野球の楽しさを知り、野球の厳しさも教えてもらった、ある種あそこは九十九の野球の原点と言っても過言ではない。 「おっ、中学の試合か……懐かしいなぁ」 「お前とオレが初めて会ったのも中学やったよな?」 「そやなぁ…お前と初めて合ったときはなぁ…『ホンマに同級生か?絶対歳ごまかしとる』って思ったわ、変な葉っぱもくわえてたし」 「『変な』は余計や『変な』は…」 その瞬間、九十九の頭の中に阿畑と初めて出会ったときの光景がフラッシュバックした。 「なぁ、お前メチャクチャ上手いな」 振り返ると、後ろには見覚えのない、いやっ新入生が集まった時に少し見た覚えがある、たしか……阿畑とか言った…か?名前ぐらいしか覚えてないな。 「ん、ありがとな」 「お前九十九って言うたか?オレ阿畑言うねん、よろしくな」 そう言うと阿畑は九十九に笑顔のまま握手を求める、まだ初対面のヤツにいきなり馴れ馴れしいヤツだとは思ったが、そんなテンションは九十九も嫌いでは無かった 「おう、よろしくな」 これが二人の初めての出会いだった、九十九は入部と共にすぐレギュラーとなったが、阿畑はそう言うわけにはいかなかったが、三年が引退し、新チームになると投手陣が手薄だったことも手伝い、阿畑は着実にエースの路を歩み始めた。 そして迎えた2年の春。 このチームのエースは阿畑、それはこのチームの全員がそうなると思っていたし、阿畑自信もそうなるだろうと思っていた……が、現実は違っていた。 マウンド上には、それほど背の高くない真新しいユニフォームを着た選手が立っている、おそらくこの春に入部した新入生だろう。 18メートルほど先には、このチームの正捕手の赤城雄志がキャッチャーミットを構えている、この男もこの春からは阿畑とバッテリーを組むと思っている一人である。 「じゃあ行きますよ」 マウンド上の一年生はそう言うと、ゆっくりとモーションに入る。 その一年生は美しく、そして力強く、そして豪快。 そのフォームを見ただけでその一年がかなりの実力者であることは、グラウンドにいるほとんどの者が理解した。 そしてその右腕が躍動した……その瞬間。 ────皆は違う世界を見た。 白い閃光がマウンドとホームの間を駆け抜けた、そう思った瞬間にはグラウンドにすさまじいミット音が響いていた。 「ス…スゴイやん、名前なんて言うん?」 赤城が動揺も収まりきらないうちに、マウンド上の一年生に名を訪ねる。 「オレですか?オレは西条友明です」 西条…そう言えば地元の少年野球のチームにそんな名前の、天才と呼ばれる子どもがいるとかいないとか、赤城は小耳に挟んだことがあった。 『スゴイ一年が入ってくるらしい』とは、阿畑も聞いていたし、多少の覚悟はしていた、しかし西条の実力は阿畑の想像を遙かに超えていた。 別にエースとなることが約束されていたわけでもない、三年生もいるし、別に自分がなると決まっていたわけではない、しかしそれは他の者にも言えることで、皆が平等な状況で競い合うはずだった。 しかし、西条という一年が現れた今、その図式は崩れた。 絶対的強者が存在し、それにむかって努力する、一年の時と全く同じ状況に皆が引き戻された。 「なぁ九十九……それに赤城」 「……なんや?」 「………?」 西条の実力を見せつけられ、普段は何があっても笑顔で気丈に振る舞う阿畑が落ち込んだ表情を見せた、そんな阿畑を見た二人は、阿畑の気持ちを察してのことなのか、その日の練習でも、ここまでの帰り道も阿畑に話しかけることはなかった。 しかし突然、阿畑がその沈黙を破るように口を開いた、赤城は声を出して反応したが、九十九は突然阿畑が口を開いたことに驚いたようで、声を出して反応することは出来なかった。 「スゴイの…入ってきたなぁ…」 「そうやなぁ…でもスゴイって言っても一年やん、お前の凄さ見せつけたれ」 「アホか…見せつけられたんわ、ワイのほうや」 普段こんな皮肉的なことを言わない阿畑の口から、こんな言葉が出る、それっほどまでに落ち込んでいると言うことなのだろうか? 確かに阿畑が皮肉的になるのも解らなくもない、西条のあのボールは明らかに阿畑とはレベルの違うボールだった、しかしピッチャーは球の速さ、ストレートの凄さで決まる物ではない、コントロール、変化球のキレ、しかもエースともなれば、ピッチングだけでなく、良いテンポでボールを投げ、ゲームの流れを作ることなど、様々な物が要求される。 『ピッチングで勝てないなら他の面で』そう二人は阿畑に言おうと思ったが、スグにその提案は却下された。 阿畑は確かにチームのことには一生懸命だが、時としてそれが空回りし、周りが見えなくなることがある、周りを見渡すほどの冷静さが無いのだ、まぁ西条にその冷静さがあるかは現段階ではわからないが、もし阿畑と似たような性格ならば、その時は投手としての実力が優先される、よって阿畑がエースにはおそらくなれないだろう。 「確かに西条には今の阿畑じゃ勝てへんなぁ」 赤城は茜色に染まった空に浮かぶ夕日を見ながら口を開く。 「んなこたぁわかっとるわ」 「だからそう皮肉になんなや」 「まぁまぁ、二人とも最後まで聞けや、勝てへんのはあくまで『今の阿畑』や」 赤城は『今の阿畑』と言う言葉を意味深に強調している、二人は色々思うこともあったが、この場は赤城の言葉を最後まで聞くことにした。 「確かに西条は凄い、あのストレートはオレ等…まぁ九十九は別としてやな、オレと阿畑とは違う世界で野球しとる、でもな、ピッチャーは速い球放るだけが能とちゃうんやで」 「そらそうやけど…」 それぐらいの考えならば阿畑も思いついた、しかし最終的にその案は却下された、なぜなら、阿畑はこれまでストレートで押す、言うなれば西条と同じタイプのピッチャーだった、ストレートの威力ならば、二年にして、地区の中でも5本の指に入る実力を持っていた、しかしこれは変化球が苦手な阿畑がエースを勝ち取るためには、ストレートを磨くしかないと考えた結果こうなったのだ、今更投球スタイルを変えることは難しいし、何よりコントロールもそれほど良くなく、変化球も苦手、そうなれば軟投派へのスタイルチェンジなど無理な話だ。 「ワイにはコントロールも変化球も無いんやで」 「まぁそれはワイも重々承知しとる、お前に下から投げろとかそんなことは言わん」 「じゃあどうすんねん」 話の意図が見えず、阿畑も多少言葉が荒れ始める。 ストレートの威力じゃかんわない、かといってコントロールも無ければ変化球も苦手、どう考えても八方ふさがりである。 「阿畑……お前ナックルって投げたことあるか?」 「ナックル?そんなんあるわけないやろ」 ナックルなんてプロでも投げる物は数えるほどだ、ナックルにトライする人が少ないのもあるのだろうが、それ以上に変化させるのが難しいことも手伝って、ナックルボーラーは日本ではめったに見られない。 「せやろ?ならいっぺん試してみいや」 「アホか、軟球でナックルかかるわけないやろ」 軟球は普通の変化球でも、硬球に比べれば変化が弱くなる、ナックルなどになればまともに変化するかも怪しい物である。 これまで阿畑は度々壁にぶち当たると、赤城のアドバイスによってその壁を乗り越えてきた、もし赤城がいなければ自分がここまでのピッチャーにはなっていないだろうと、思うことは何度もある、しかし今回ばかりは赤城のアドバイスといえど、鵜呑みにすることは出来ない。 「中途半端に投球スタイル変えても勝てないんなら、いっそのこと半端無くぶっとんだ変則ピッチャーになればええやん」 「そりゃ…そうやけど…」 赤城の言っていることは良く理解できる、西条に勝つには自分がまともにピッチャーを続けていては絶対に勝てない、しかし自分にそこまでの野球センスがあるとも思えないし、それを成功させる自信が無かった、もし実行して無理だったら…そんなことを考えると実行に移すことが出来なかった。 「なぁ阿畑…」 「なんや九十九?」 それまで一言もしゃべることが無かった九十九が、突然口を開く。 「オレが知ってる阿畑やすしって人間は壁にぶち当たったら、どんなことがあっても全力でその壁に何度もぶつかってく人間なんやけど……お前はどう思う?」 「は?」 「だからお前はどう思うか聞いてんねん」 少々意味の分からない質問に、聞かれた阿畑も、隣にいる赤城もポカンとした様子で顔を見合わせている、一方質問した九十九は何事もなかったように前を見つめている。 (ワイがワイのことどう思うかやろ?……九十九が言ったとおりの人間……なんかなぁ?) 今まで自分についてどう思うかなど考えたことも無かった、元々そう言う事を考える人間でないのもあるのだろうが、それにしてもこうやって自分について考えるのは阿畑にとって初めてのことだった。 確かに今考えれば、九十九に言われたとおり、自分という人間は目の前に行く手を塞ぐ壁が現れても、何度もその壁にぶつかり続け、そしてその壁を壊して歩いてきた。 「ん……お前の思ってるような人間…やないかなぁ」 「そうか…じゃあ決まりやな」 「決まりって何がやねん」 「何って、壁にぶつかっても立ち止まらないんやろ?ならナックル試せや」 確かにさっき阿畑は自らの口で、九十九の言うとおりの人間だと言った、しかしまさかこんな罠がしかけられているとはまったく予想していなかった、誘導尋問にかけられた心境である。 「自分で言ったんやから、ちゃんとやらなイカンよな?」 赤城も九十九の話の意図が理解できたらしく、九十九に賛同して阿畑に詰め寄る。 「な、なやねん赤城まで…」 「やるのかやらへんのか、一体どっちやねん!?」 「わーったよ、やりゃえーんやろやりゃっ!!」 九十九がしびれを切らしたように大声を張り上げる、その瞬間阿畑もカッとなったのか大声で言葉を返す、その内容は、九十九がそうなるようにし向けたとおりの答えだった。 言葉を発した後、冷静になり阿畑は「しまった!」と言う表情を浮かべたが、それはもう後の祭りだった、上手い具合に九十九の話術にはまり、ナックル習得をOKしてしまったのだ。 「今やるって言ったよな?男に二言は無いで」 「わーったよ、絶対ナックル覚えてエースになったるからな!!」 「その意気や、じゃあ早速公園で練習するで、赤城も来るやろ?」 「当たり前やん、その前にキャッチャーワイしかおらへんしな」 「じゃあこれから毎日三人で練習やな」 そう言うと三人は走って茜色の空へ向かって走っていった 「それも昔のことやなぁ…」 「まぁ……結局エースにはなれへんかったけど、あのナックルのおかげでワイは奔馳中リリーフエースってことで、居場所も出来たしな」 その後阿畑はナックルを習得し、西条と甲乙付けがたい好投手となったが、爪が強いわけでもなかった阿畑は結局エースにはなれなかった、しかし西条がマウンドを降りた後を受けるリリーフエースとしてチームに大きく貢献した。 「にしても不思議やなぁ…」 「何がや?」 「お前は中学卒業の後あかつきに特待生で進んで、その後はあかつき大、野球人としてエリートコース歩んでた、一方ワイはどこの高校からも声かからへんかった,でも大阪の公立じゃ甲子園なんか夢のまた夢や、だからワイは東京のそよ風高校に野球留学した、そこでもナックルボーラーで通してて、それがスカウトの人の目にとまってプロ入り、でもお前はずっとプロから声かかることは無かった……」 「まぁしゃーないやん、オレは運無かったってことで」 九十九はプロになれなかったことを後悔してもいないし、何よりお好み焼き屋をやってることに今は少なからず喜びを感じている、もしプロになっていても、辞めたときは多分お好み焼き屋をやっていただろうなぁと、九十九は今も考える。 「なぁ九十九…」 「なんや?」 「あの時……ああいってくれてありがとな」 「な、何言うてんねん、気持ち悪いな」 阿畑に突然こんなことを言われたので、どこか照れくさいような、恥ずかしいような気持ちが九十九の全身を包んだ、親しい友達にマジメに礼を言われると大概の人は照れる物だ。 「まぁ今は二人とも店大きくせぇへんとな」 「せやな…ワイはまだ屋台始めたばっかやし」 阿畑は数ヶ月前にプロを引退し、現在はたこ焼き屋をやりなあら、パワフル大学の監督補佐をしている、まぁ生活の基本はたこ焼き屋なのだが。 「やっちゃーーんっ!!何してんの、はよ店戻るよ」 河原の上の方から、二人に聞き覚えのある声、そして聞き慣れた呼び名で阿畑を呼ぶ。 「じゃあワイはもう戻るわ、九十九も店頑張れよ」 「あぁ、お前もな」 そう言うと阿畑はその場からゆっくり立ち上がり、声のした方に河原を上っていく。 (恋も野球も、阿畑には惨敗やな…) 芝生の上を涼しい風が走り抜け、九十九の葉っぱが風になびく。 九十九は暖かい日の光を浴びながら、しばらく空を眺めていた