MAMORU's episode(AIR様作) 太陽が沈み月が天に昇る。月の放つ光が街中を淡く照らし出す。 道路を行き交う車の騒音が反響してひしめいている。 マンションの一室。 眼鏡をかけた男がガラスの窓を隔てた先にある夜景を眺めていた。 ポケットからいつも愛用しているタバコを出して口にくわえた。 カチッと音がしてライターから火が飛び出す。窓を開ける。口から白い煙が流れ出る。 彼の名前は大黒英彦(おおぐろひでひこ)。人気雑誌「パワフルスポーツ」のライターを務めている。 今その仕事が終わって一服をしている所だ。今回は大仕事だった。自分でも満足のいく内容を書くことが出来た。 数日前。大黒は「喫茶一服」という名の喫茶店を訪れていた。 穏やかな午後の日差しを背に浴びて木製のドアを開けて店内に足を踏み入れた。 「いらっしゃいませ」 喫茶店のマスターだろうか。口の周りに髭を蓄えた男がコーヒーを入れているところだった。 店内を見渡してみると他の従業員は見当たらない。マスター一人で経営してるのだろうか。 「あの、私大黒と申しますが」 「ええ、存じていますよ。今日は貸切ですので心置きなく取材ができますよ」 「わざわざすいません」 大黒はマスターに会釈をすると窓側の席に腰を掛けた。 店内には落ち着いた雰囲気が漂う。いつまでものんびりと浸っていたい、そんな気持ちになる。 「緊張するな・・・」 テーブルの上に取材ノートとペンを置く。 ちなみに今回の内容は名選手の高校時代がテーマとなっている。 ノートは今日の取材のために新しいものを用意して来た。 あとは待ち合わせをしている人物を待つだけ。この居心地の良い空間がそんな待ち時間を嫌な気分にさせなかった。 木製のドアの軋む音がした。 「いらっしゃいませ」 「こんにちは、マスター」 茶髪で顔立ちの整った男は柔らかな笑顔を浮かべた。 大黒はすくっと立ち上がり深々と頭を下げた。 「猪狩さん、今日はよろしくお願いします」 「こちらこそよろしくお願いします」 そう言って猪狩は椅子に座った。 そう、今日取材するのは―――今や球界の大エース猪狩守(いかりまもる)である。 今シーズンの成績はは15勝9敗、防御率3.16、奪三振161。セ・リーグ最多勝投手に輝いた。 プロ12年目で今年30歳を迎えた猪狩は球速、球威、キレともに抜群で、長年の投手生活で培った投球術が生きていた。 超大物との対面に大黒は感激していた。取材ノートを開き右手でペンを握った。 「ではお話を伺ってもよろしいですか?」 「ええ、どうぞ」 「じゃあまずは、あかつき大付属高校時代のお話を聞かせてもらえますか?」 ―――あかつき大付属高校。地区予選は敵無し、甲子園の常連校で常に優勝候補にも挙げられていた。 「完全実力主義」であり「勝つことが全て」と唱える千石監督が率いていた。 1軍と2軍に分かれている。3ヶ月に一度入れ替え試験があって2軍で成績が悪いと強制退部、とかなりストイックな環境である。 「1軍に昇格したからと言って安心はできない。常に己を磨き続けなければならなかった」 例え入れ替え試験の時にたまたま調子が悪くて成績が残せなくても、結果だけが全てだった。 大黒はノートにペンを走らせながら気の毒だなと思った。 「小波選手とは高校時代からのご友人なんですよね。そのことについて教えてください」 「小波ですか・・・」 猪狩の口元が緩む。コーヒーカップを傾けて一口すする。 小波大介(こなみだいすけ)。猪狩と同じあかつき大付属高校の出身で現在はパワフルズの3番打者として活躍をしている。 「あいつと初めて出会ったのが入部試験の時でした」 ぼくは推薦であかつきに入学し、野球部に入部することは決定済みだった。 それ以外の一般入部の人たちはテストに合格しなければあかつきのユニフォームに袖を通すことは叶わない。 「次!小波大介!」 千石監督に名前を呼ばれ小波は右打席に向かう。 「・・・猪狩!」 千石監督はぼくの方に振り向いた。 「お前が投げろ」 「わかりました」 ぼくはマウンドに登り小波を見下ろした。正直ぼくは小波のことを見下していた。 所詮推薦されなかった凡人が天才のぼくに敵うはずがないと・・・ 「勝負は一打席。結果を残せなければ入部は認めない」 千石監督の重い言葉を浴びせられ、小波の表情は硬く引き締まる。 構えは案外しっかりとしていて安定している。 ぼくは振りかぶり体を捻って左腕を高速で振りぬいた。 強烈な速球がキャッチャーミットに突き刺さる。 「ストライク」 「速え」 小波は口元を歪めた。 「フン、凡人の君にはぼくの球は打てやしないよ」 打たれるなんてことは考えてもいなかった。チラりともそんなことは頭に浮かばなかった。 左腕がしなり剛速球がミットに届く。これで小波は追い込まれた。 「見てるだけなら小学生にもできるよ。振らないとマグレすら起きないよ」 小波は眉をきつく寄せた。 「これで終わりだ」 左腕が振りかざされる。小波の体が動く。鋭いスイング音。 「!」 白球はバットの上をすり抜けてミットに吸い込まれた。 「ま、待って下さい!もう一度チャンスを下さい!」 小波は血相を変えて千石監督に言った。 「いや、もう良い。ここまでだ」 千石監督の言葉に小波は肩を落としてうなだれた。 「合格だ。入部を認める」 「三振なのに合格ですか・・・?」 大黒は府に落ちないと言った表情を浮かべた。 「ええ。空振りをしたもののタイミングは合っていました。3球で小波は調節して来たんです。スイングも目を見張るものがありましたし」 「なるほど」 「ぼくも監督も小波に秘められている素質をあの打席で感じ取りました」 気のせいだろうか、大黒は小波のことを話す猪狩の目が輝いているように見えた。 「入部してぼくは5月に1軍に昇格しました。小波は夏の大会が終わった9月に昇格しました。それから何かある度に衝突をして勝負をしていました」 猪狩は苦笑いをしてまたコーヒーカップを傾けた。 「最初の頃はいつもぼくが勝っていました。でも後の方から小波はどんどん力をつけてきたんです」 「お互い切磋琢磨して成長したんですね」 「彼の成長のスピードは尋常ではありませんでした」 カウンターの向こう側でマスターが食器を洗う音が立っている。 「すいません、トイレ行かせてもらっても良いですか?すいません」 「ええ、構いませんよ」 「奥のほうを右に曲がったところにありますよ」 猪狩さんとの対談で緊張したのか・・・ 取材は一旦休憩となった。 大黒はペンを持ち直すと口を開いた。 「ライジングショット誕生のエピソードを聞かせてもらえますか?」 ―――ライジングショット。あかつき時代に猪狩が完成させた驚異的なノビと威力を誇るボール。まるで弾丸のような螺旋の回転で打者に向かう。 現在はライジングキャノンを経てソニックライジングへと進化をした。 「ウイニングショットの開発手伝ってくれないか?」 ぼくは3年生になったばかりの頃に小波にその話を持ちかけた。 「ウイニングショット?」 「ああ。ぼくだけにしかない武器が欲しいんだ」 前の世代が卒業したあかつきは確実に戦力が落ちていた。去年の秋の地区大会では甲子園に出場することさえできなかった。 地区では敵無しだったあかつきが。ぼくはエースとしての責任を感じずにはいられなかった。 しばらくの時間沈黙が流れた。小波は「そっか・・・」と呟いた。 「お前がそう言うなら協力するよ」 「よし、じゃあ早速今日から始めるぞ」 それから毎日野球部の練習が終わった後もぼく達はウイニングショット開発のため猛特訓を開始した。 小波をぼくの専用球場に招待した。暗くなっても練習ができるように照明がついている。 体を十分にほぐしてからピッチング練習に入った。 夜空には無数の星が瞬いている。汗が首筋を滴る。 「ハア・・・ハア・・・」 ぼくは乱れる呼吸を整えようと努めた。 「おい、もうそろそろやめておいたほうが」 ぼくの身を案じてか小波は心配そうに言った。 「大丈夫だ。まだやれる」 野球部でのハードな練習をこなした後にまた専用球場でウイニングショットの開発。 ぼくの体は疲弊し切っていた。肉体が、骨が悲鳴をあげているようだ。 ウイニングショットの開発を始めてからはや1ヶ月が経過していた。 ぼくの中で焦燥感がどんどんと膨らんでいた。 「あの時、ぼくは本当に焦っていました。自分でも無茶しているのはわかっていました」 天才の猪狩さんでもそんなことがあるのか・・・ 大黒は猪狩の話す内容に全神経を集中させてノートにペンで書き記していく。 「そんなぼくを救ってくれたのが小波でした」 「小波さんが?」 「ええ。あいついたから今のぼくがいる・・・と言っても過言じゃないですね」 「なあ・・・猪狩」 ウイニングショット開発の猛特訓中に小波はぼんやりと呟くように言った。 人工的に生み出された光が球場を照らす。人工芝がきらめていて見えた。 「何だい?」 「いや、あのさ・・・そこまで一人で気負うことなんてないんじゃないか?」 「突然何を言うんだ君は?」 ぼくは呆れたような口調で言った。 「俺聞いちゃったんだよ、監督とスカウトの影山さんが話しているのを。あの時お前はその話を聞いて一人で背負い込んでいるんだろ?」 「・・・・・」 「違うか?その証拠に最近お前の球は球威を失っている」 火がついたような勢いでぼくは小波に詰め寄った。 「何!?」 「今のお前の球なんて楽々と打てるぜ」 ―何を言っているんだ・・・ 唇を強くかみ締めた。 「そんなに言うなら打席に立って証明してくれよ」 「ああ、いいぜ」 バットケースからマイバットを取り出して打席に向かう。 ぼくは投げる前から既に冷静さを失っていた。 「よし来い!」 両腕を天に向かって突き上げる。その時から違和感を感じた。 腕が重い・・・いつものような腕の振りはできない。 (やっぱりいつもの球威がない!) 甲高い金属音が球場内に響き渡る。打球はバックスクリーンに飛び込んだ。 ぼくはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。 「だから言っただろ」 「うるさい!君にぼくの気持ちがわかるのかい?」 小波の言っていることは正しいのに、意地が先走りして素直に謝れない。 「お前何か勘違いしてるんじゃないのか?」 夜風が体に妙に染み渡る。 「野球は一人でやるもんじゃない。チームの仲間達がいるじゃないか。確かにお前は天才だ。だからと言って一人で野球ができる訳でもない」 ぼくはただ黙って小波の言葉に耳を傾けることしか出来なかった。 「だから一人で無理することないんだよ。俺もできる限り協力するから」 ―ぼくは何を一人で気負って考え込んでいたんだろう。チームワークの大切さ。それを改めて小波に気付かせてもらった。 「フッ、ぼくが間違っていたようだな。すまなかった小波」 「いいって。じゃあ気を取り直して練習再開と行きますか」 小波はミットをはめてホームベースにあるキャッチャーの定位置に腰を落とした。 (そう言えば、今までは焦ってどこか力んでいたのかも知れないな) 「よし、いいぞ!」 小波から声が掛かる。ぼくは投球モーションに入った。 全身の細胞を捻るようにして力を蓄えてその力を解き放つ― ズシリと確かな手ごたえを感じた。体の芯にまで衝撃が伝わってくる。 「こ、これは・・・!」 小波はミットをはずし手のひらを凝視した。 「何なんだ・・・今の球は!?」 もの凄い球のノビだった。ホップしたのだ。 「これだ・・・」 ぼく自身も高揚感に包まれていた。今までの苦労が報われた瞬間だった。 「この球はライジングショットと名付けよう」 凄まじいノビを見せた今の球にぴったりの名前だ。 ウイニングショットが完成して安心したせいか、疲れが急にドッと襲ってきた。 「おい、大丈夫か?」 「大丈夫だ。自分で歩ける」 「へっ、意地張りやがって」 二人は声を上げて笑った。二人の笑い声は輝く夜空に吸い込まれていった。 「あの時は本当に心の底から達成感が沸いて来て、嬉しかったです」 猪狩はニコリと笑う。 「なるほど、そんなエピソードが」 「で、ぼくはそのライジングショットを引っさげて最後の大会に臨みました」 あかつきは昨年の地区予選敗退の汚名を返上せんとばかりに快進撃を続けた。 地区予選決勝では猪狩の投球が冴え完封。小波のサヨナラホームランで甲子園行きを決めた。 ―パワーアップしたのはお前だけじゃないんだぜ。 小波の言葉が未だに耳の奥で木霊しているようだ。 「もちろん甲子園に出場して満足してた訳ではありません。常勝あかつきの名にかけて全国制覇を目指していました」 猪狩は今でも常勝あかつきの誇りを胸に抱いている。 甲子園でもあかつきの快進撃は凄まじかった。ぼくが抑えて、小波が打つ。 そんな勝利の方程式が出来上がっていた。いやぼく達だけじゃない。 他の皆も良く戦ってくれた。気迫が全身から滲み出ていた。 そして、あかつきは決勝戦に駒を進めた。相手は全国屈指の強豪帝王実業を大敗で下したアンドロメダ学園。 簡単に勝てる相手じゃない。あかつきナインは覚悟を決めて決勝戦に臨んだ。 ぼくは決勝戦の先発のマウンドに登った。先攻はアンドロメダ学園。 決勝戦は壮絶な投手戦となった。ぼくと大西の投げ合いの対決だった。 均衡が破れたのは7回表。この試合ただ一つの失投をスタンドに運ばれてしまった。 だが、誰一人として勝負を諦めていなかった。あかつきナインの目は最後まで勝利を信じて輝き続けていた。 『―――9回の裏二死ランナー一塁でバッターは4番の小波です』 あかつきの勝利は小波のバットに託された。ぼくは小波のことを信じていた。 あいつはここ一番でとんでもない力を発揮する。 「打て!小波!」 カウントはツーナッシング。マウンド上の大西が振りかぶり左腕をしならせた。 高めに剛速球が向かう― 小波はフルスイングで迎え撃つ。打球は青い空めがけて高々と舞い上がった。 センターはすぐに打球を追うのを諦めた。 ドワァ、と球場内は沸き、大歓声に包まれた。小波は拳を高々と天に突き上げてダイヤモンドを回っていた。 あかつきナインはベンチから勢い良く飛び出してホームに帰って来た小波を手荒く歓迎した。 『まるでドラマのような劇的なサヨナラホームラン!」 実況も興奮して思わず立ち上がってマイクに言葉を載せた。 「それはすごい!」 その話を聞いた大黒も興奮している。 「すいません、取り乱してしまいました。で、その時のお気持ちは?」 「最高でした。小波を信じて良かったと心の底から思いましたよ」 窓からオレンジ色の光が差し込む。いつのまにか夕暮れになっていたことに気が付いた。 「もうこんな時間になっていたんですね」 大黒はぽつりと呟いた。 「マスターの店にいるといつも時間を忘れてしまいそうだよ」 猪狩は苦笑した。マスターはかすかに微笑んだ。 「猪狩さん、今日はありがとうございました」 「いえ、こちらこそ。昔の思い出が蘇って何か燃えてきましたよ」 空になったコーヒーカップをマスターがトレイに載せてカウンターに運んで行く。 「では、日本シリーズも応援しています」 「はい。全力を尽くします」 「マスターも色々とお気遣いありがとうございました」 「またいらして下さいね」 マスターは優しく微笑んだ。この落ち着いた居心地の良い雰囲気ともお別れとなるとちょっと名残惜しい。 大黒は頭を軽く下げて木製のドアを開いて外に出た。 しばらくぼんやりと夜空を眺めていた大黒は自分が犯したミスに気が付いた。 「サインを貰うの忘れてた・・・」