Pressure Of Dream(PON様作) Pressure Of Dreams よく晴れた日の事だった。 新キャプテンを宣言した後、大きな声でグラウンドと監督に礼をして彼らは引退していった。 三年生。 彼らは奇跡のナインと呼ばれた。 推薦も無いただの公立高校が、何十年ぶりに甲子園優勝という奇跡を起こした。 それは強豪「パワフル高校の復活」という、夢を人々に期待させる。 残された部員たちにとっては、重圧以外の何者でもないのに。 そして残された部員達の、少し短い物語。  「さて、どうするッスか。新部長」 部室にて小さな声が響く。 身長の小さい部員が大きい部員…新部長に話しかけた声だった。 名前を手塚、という。 「んなこと言われてもオレっちにはわからんって」 手塚は憮然とした表情でアンダーシャツに袖を通す。 完全にユニフォームに着替えてグラウンドへと赴くと、すでに外野フェンスの向こう側にいくらかのギャラリー、そして内野スタンドの付近にも記者がぞろぞろと揃う。 「今日もまた豪勢なことで。まだ秋の大会まであるってのに、気の早ぇ」 「ま、仕方ないッスよ。なんてたって、うちは夏の甲子園優勝高ッスからね」 「ったく、先輩らも迷惑なことしてくれたぜ…おい円谷、キャッチボールするぞ」 小さい男…円谷と呼ばれた部員はすでにグラブをはめていた。 「はいはい、そういきりたつんじゃないッスよ」 「…」 新部長、手塚隆文は明らかに気が立っていた。 連日まるで休みを知らない波のように押し寄せる記者達は今までまったく自由に練習していた手塚にとってはかなりの重圧となっていた。 元々、人の目を気にする男だ、人一倍敏感なのだろう。 「ちっ、監督も監督だぜ、練習の邪魔になるから規制ぐらいしろっての」 大きく腕を振って相手のグラブへと白球を投げ込む。 景気のいい音がなった。 「仕方ないッスよ、監督もあれだけ記者が訪れるのは初めてだから浮かれてるんッスよ」 「円谷ぁ、お前さっきから仕方ない仕方ないばっかじゃねぇか、そんなんじゃ現状は打破できないぜ」 会話のキャッチボールも弾む、なんだかんだ言って野球をやっているときは色々とストレスを弾き返す事ができた。    実際、新部長としての手塚にかかる重責はかなり大きなものとなっていた。 前年度優勝校の新部長にかかる重圧は並大抵のものではない、今までは負けても仕方ないという雰囲気が漂ってはいたが、現在の状況はそれを許さない。 たとえ強豪暁大付属が相手であろうとこれからは勝ち進んで甲子園に行かなければならない、それが甲子園優勝校としての責任、使命。 正直、普段から手塚がギスギスしていたのは事実である、それは冒頭でもあるとおり。 そして手塚だけでもなく部員たちもわずかばかり動きが固くなっているのは事実であった。  この円谷という男をのぞいて、だが。 「セカンドッ!!」 監督の威勢のいい声と共に土の地面に大きく白球が跳ねる。 ショートバウンドだったが、セカンドプレイヤーはそれに上手くバウンドをあわせてしっかりと捕球、部員たちから歓声が起こる、そしてギャラリーからも拍手。 それに応えて、セカンド円谷は再びノックに戻る。 円谷の野郎、あんなに重圧に強い奴だったとはな。 手塚は心の中で毒づいた、円谷はこの学校に入学した時からずっと一緒に野球部として、そして良き友として一緒にプレーしてきたが、これだけ重圧に強いとは思わなかった。 そういえば、夏の甲子園にいった時も、ベンチ前でガチガチに投球練習してた手塚に対して、円谷はそれほど気にかける様子もなくグラウンドでプレーしていた気がする。 そして、最初に比べて随分と守備も上手くなったものだ、手塚は思った。 「オッケー、ガンガン来いッス!」 今も急にイレギュラーバウンドした球に対して特に慌てず、上手くグラブを合わせて軽く捕球。 最初の頃はただ足が速いだけの奴だったが…手塚はいつだったか円谷が話していた新聞配達のことを思い出した。 足腰を鍛える事は、全てに通じるって言うのはどうやら本当のようだ、実際手塚も前の部長と共に早朝ランニングを続けたことで結果フォームもよくなり、コントロールが飛躍的に上がった。 「ラストー」 またもや皮の音ともに白球はグラブに吸い込まれた、結局円谷はノーミスでノックを切り上げる。 それを確認してから手塚はまた投球用簡易ブルペンへと入っていた。  夕暮れ。 今日も今日とて練習を終え、二人は岐路についていた。 足取り軽快な円谷に対して、手塚はあまり顔色がいいとは言えない。 「どうしたッスか手塚?夜は寝なくちゃ駄目ッスよ」 「違ぇーよ馬鹿」 身体疲労よりも心労だ、あれだけ多くの人に回りに囲まれたんじゃ投球には全く集中できる訳がない、結果制球は乱れ記者の方にも失笑され、監督には怒られてしまった。 やはり自分はスターではないようだ、げっそりとした顔でため息をついた。 「む、人がせっかく心配してあげてるのにッス」 「う…まぁ、それはスマン」 円谷は一度は顔をしかめたものの、表情は微笑みに戻った。 その後すぐさま手塚に尻に衝撃が走った。 「痛っぇーー!なっ、なにすんだお前!!」 「新キャプテンがそんなことでどうするんッスか」 けらけらと笑う。 「あのなぁ…」 尻をさすりながらあきれてはいるものの、その疑問を久しぶりに思い出してしまった。 ―――そういえば、どうしてオレっちが部長に使命されたんだろう? 放り出されたバッグの横、ベッドへと倒れこむと天上を見つめながら思い返していた。 (新しい部長は手塚だ…しっかりとチームを引っ張っていってくれよ) 懐かしい顔が浮かぶ、前部長の顔だ。 入った当初はなんとも情けない先輩だと思ったが、人一倍努力する人であり、誰よりも熱く、そしてドラフトも確実と言われている。 「…なんで、オレっちだったんかなー」 とりとめもない疑問だった。 今の状況を見ていると、自分よりも絶対に円谷の方がチームをまとめるのに向いている気がしてならない。 少なくとも人に見られているだけでコントロールを乱している自分じゃあ無理だ。 はっきりいって甲子園であれだけ投げられたのは奇跡に等しい、といっても結局防御率は四点台、しかも四死球で自滅というパターンが多かった。 チームが六点八点取る打撃チームだからそんなに目だたなかったものの…。 その重圧もあった、というのは打撃力がすさまじかった三年が抜けた今パワフル高校は守って勝つチームとして出発していかなければならないところがある。 元々守備陣は円谷を筆頭として鉄壁の内野陣、外野も一年の猿山がセンターにいることで守備の高さは三年生が卒業してからも定評は高い。 だが問題は投手陣だ。 「…」 エースである手塚にとって、それは悔しくもあり、情けなくもあった。 だが壁を殴っても何も変わらない、ひたすら練習する事でしかそれは回避できない。 いてもたってもいられなくなり、手塚はジャージに着替えて外に出た。 走っていれば、難しいことは忘れるだろう、スニーカーにかかとをはめ込むとアスファルトを勢い良く蹴りまくった。  夜風が涼しい。 「ぜはーぜはー」 太陽はとっくに地平線の彼方へと姿を消し、景色は夜へと変わっている、月は雲に隠れ都会じゃ星も見えない、ただの紫と黒の混じった空が浮かぶ。 荒い息、公園のベンチに腰を下ろし、呼吸を整える。 両手をついた地面は妙に冷たかった、もう夏も終わりである。 「…何やってんだオレっち」 問題から逃げてるだけか、いや走っていることはトレーニングだから逃げていることにはならない、いや走っているから逃げているのか。 何か得体の知れない黒いものから逃げるには走るしかなかった。 今はもう夜の闇にまぎれてそれは消えていた。 呼吸を落ち着けて向こう側を見る、ブランコとジャングルジム、夜の普通の光景が広がっていた。 「こんなことやってるから、余計に疲れるんだろうな…」 確か前に誰かがスポーツはなんにしても最後は結局「自分自身との戦い」だ、と誰か言っていた気がする。 今は試合でもなんでもない、ただ重圧という自分自身で自分にかける馬鹿みたいなものに対して必死に抵抗している自分がそこにはいる。 消えない汗をトレーニングウェアでふき取った。 「ん…?もしかして、手塚でやんすか?」 ふっと、聞こえた突拍子もない口調にすぐに顔は上がった、なんとまぁ向こう側に大量の荷物を抱えた男が立っている。 「あ?矢部先輩ッスか?」 「お〜懐かしいでやんすね、といってもまだ引退してから一ヶ月ぐらいしか経ってないでやんすが」 矢部と呼ばれたメガネの男がひょこひょことこちらへ寄ってくる、見れば見るほど奇妙な人だ、今更ながらそう思う。 ただ人間的には尊敬に値する人だとは思う、なんだかんだ言ってこの人も野球好きだからだ、甲子園で四割を残した実績は馬鹿には出来ない…普段のマニアっぷりからは想像も出来ないが。 「トレーニングの最中でやんすか?精が出るでやんすね〜、もしかしておいら邪魔だったでやんすか?」 「あ、いや、今ちょっと休憩してた所なんで」 「そうでやんすか?あ、ちょっと待ってるでやんす、ジュースぐらい奢るでやんすよ」 こちらが断る暇も与えずに矢部は側にある自動販売機に駆けていった、まぁここはおとなしく奢ってもらうことにしよう。 持ってきたパワエリアスを一気に飲み干すとようやく頭が冷えてきた。 「それにしても、あんまり冴えてる顔じゃないでやんすね」 思わずドキリとした。 「そ、そうですかね」 「伊達に副部長を務めてなかったでやんすよ、こう見えて部長の代わりに部員達の様子を見てた時期もあったでやんすからね」 この人はやはりすごいのかもしれない、そばに置いたアニメのキャラが描かれている紙袋からは想像も出来ないが。 「正直、すまないとは思ってるでやんすよ」 「え?」 「おいらたちが甲子園優勝したことが後輩にとっては重責以外のなんでもないことでやんすよ。どっちかっていうと、青春なんだから楽しんで野球して欲しいでやんす。勝つ為にする野球は名門やプロですればいいでやんす」 「いや、それは違いますよ先輩」 矢部はめがねのズレを直した。 「やっぱり、勝たないと駄目ッスよ。…それが今の俺達には求められてます」 「―――誰が求めてるでやんすか?」  正直面食らった。 そう言えばそうだ、自分たちが勝たなければいけないのは一体誰が求めているんだ。 「そ、それは、そういうマスコミとか、ファンとか…」 「関係ないじゃないでやんすか」 「そ、そんなことは」 「やっぱり周りに踊らされてるでやんすね。おいらたちはそれだけ大きなことをやってしまったでやんすから」 「……」 「おいらたちの時も、夏までにもそういう注目はあったでやんすが、あの時のおいらたちはそんなことよりも勢いで走っていってた感があるでやんすから…それほど周りの目は気にしてなかったでやんす。ただ今の手塚達は一度優勝して冷静になってしまったでやんす、気がつけば周りにはこれだけの期待の目がある」 風が吹きぬけた。 「熱くなって周りを忘れろってのも無理な話でやんすよね、やっぱり一度気にし出すと止まらないものでやんすから」 答える言葉が見つからなかった、矢部も言葉をなくしジュースで喉を潤した。 「……楽しんでやって欲しいでやんすけどね、やっぱり。おいらたちはそれがテーマだったでやんすから、プレッシャーに負けずにいけたでやんす。やっぱり勝つ為にやってたら…」 そういえばそうだ、去年の部長が掲げたテーマは打倒暁大付属でも甲子園優勝でもなく『野球しようぜ』だった、それは何よりも楽しむことで上手くなろう、ということ、今まで意地になって強豪を復活させようとしていたパワフル高校にはなかったものだった。 「……」 「答えなんてないでやんす、皆疑問の狭間で生きてるでやんす。壁に当たって隙間をすりぬけて出たとき、ようやくその隙間が答えだったってことに気づくでやんす」 「はい」 「とにかく今の手塚は固くなりすぎでやんすね、アニメでも見て癒されることが大事でやんす」 その言葉で今までの尊敬が一気に砂になって消えた。 「は、はぁ」 「おすすめでやんすよ、まじかるりりす、コレ見ればくだらないことなんかふっとぶでやんすっ」 やたらカラフルなジャケットのDVDを差し出して力説する矢部。 「ま、そういうことでやんす。野球野球、って考えるから固くなるでやんす。たまには部長命令で変な練習でもやって気を紛らわすでやんす」 と、紙袋を持つ矢部。 「あんまり無駄話で体が冷えてもいけないでやんすから、そろそろおいらは退散するでやんすよ」 「あ、ジュースありがとうございました」 「気にするなでやんす。…っと、最後に一つだけ。『真のプロ精神はモチベーションの意地、自分との戦い』でやんすよ」 それだけを言うと、矢部はスキップしながら帰って言った。 失礼な話だが忘れていた、そういえば『自分との戦い』は矢部先輩から教えてもらった事だった。 なんだか少し軽くなった心で手塚は再び夜の街へと走り出した。 足取りも若干軽くなった気がした。  「は?鬼ごっこ?」 円谷は目を丸くした、そりゃいきなりキャプテンにそんな事を言われれば驚く。 他の部員も同様だった。 「おう、今日の練習は鬼ごっこだ」 「しょ、正気ッスか?手塚」 「馬鹿野郎!オレっちはいつだって真面目だっつの!あれだ、なんつか皆最近周りの目とか気にしまくってるからな、たまにはリラックスしなきゃ駄目だろ!それに鬼ごっこなんかしてたらマスコミの皆さんも呆れて帰るだろ!な?!な!?我ながら名案だべ?」 「そうやって言うから名案に聞こえないんッスよ」 呆れる円谷、だが部員達は笑っていた。 「いいじゃないッスか鬼ごっこ」 「正直キャプテンの言うとおり最近練習が固すぎでしたからね〜」 「ま、やれっていうならやるさ」 手塚は鼻を長くした。 「見たか円谷!!お前馬鹿にしやがって!あのな、鬼ごっこをなめんなよ!これは持久力と集中力、そして脚力を必要とするだなぁ…」  ベンチで監督と話していたスカウトも目を丸くした。 「…どういうことですか、監督?」 「すいません影浦スカウト。今日は手塚の奴が何故かかなりいきりたっていて…」 グラウンド上ではいい高校生が本気になって鬼ごっこに興じていた、ひどくこっけいである。 「しかし、今までの固い雰囲気は消えてますな。今までどうにも甲子園優勝メンバーも力を出し切れてはいないようでしたが…たいした部長じゃないですか」 「そ、そうですか?お褒めに預かり光栄です」 グラウンドでは相変わらず汗が飛び散っていた。 手塚の表情にも、久しぶりに爽やかな笑顔が戻っていた。