大切なモノ(CaNS作) 降りしきる雨の中で、俺はただたたずんでいた。 目の前は殆ど何も見えない、しかしその中に一人、倒れている女性がいた。 ショックで119も忘れ、俺はただたたずんでいた。 「美奈ーっ!」 その時、何にも代えられない大切なモノを失くした気がした。 『大切なモノ』 二年前だったか。 透き通るような晴天。 響くセミの鳴き声。 じりじりと、太陽の熱。 季節は夏。 ふと横を見ると、公園にアイスクリーム屋があった。 俺はいつの間にか公園に駆けていった。 「おじさん、一つ」 「あい、百円だよ」 「はい」 そう言い、鈍く光る銀貨を渡した。 「ありがと」 「おう、また来てくれよ」 俺はベンチへ向かって歩いた。 鞄を置き、呟く。 「さて、と」 いざ、舐めようと舌を出した。 その時。 「っあぁーーーっ!あぁ・・・」 隣のベンチから、悲鳴にも聴こえる女の声がした。 見るとアイスクリームがものの見事にひっくり返り、コーンが高くそびえる丘のようになっていた。 あいにく落としたのだろう、手でも滑らせて。 落とした女は学生服を着ていた、彼女も学校帰りか。 俺は無意識のうちに、ベンチを立っていた。 「大丈夫か?」 地面のアイスと群がるアリを呆然と見ながら、ピクリとも動かないその女に声をかけた。 「え?あぁ、はい」 すっとんきょうな声を上げて、こちらを見上げてきた。 俺はまた声をかけた。 「落としたんだろ?ならやるよ、ほら」 アイスを女に向けて突き出す。 「え、い、いや、でも・・・」 顔を赤くして下を向く彼女。 「大丈夫だって、舐めてないしさ。大体百円ぐらい、どうってこと無い」 俺が一声かけると、女は答えた。 「あ・・・その、ありがとうございます」 俺のアイスを軽く握り、胸の前に持ってきた。 「その・・・、百円、お返しします」 「いいって、どうってこと無い。んじゃ俺、買ってくるから」 そう言って、またアイス屋に駆けていった。 「優しいね、君」 「いやいや」 アイス屋のおじさんの言葉を軽くスルーし、アイスを受け取る。 そのアイスを持って、俺は鞄の方へ向かった。 鞄を持ち、先程の女に目を向けると、こちらをチラチラ見ながら、ちょっとずつ食べていた。 俺は鞄を持つと、またも無意識に彼女の方へ歩いた。 「せっかくだし、話しながら食おうぜ」 俺は彼女の前に行き、問いかけた。 「隣、いい?」 「あ、はい・・・どうぞ」 「名前、なんて言うの?」 「あ・・・え、と・・・」 俺はもじもじとする彼女に途惑った。 しかしあることに気付き、俺は言った。 「ごめん、俺の名前言ってなかったな。俺、宮田。宮田翔って言うんだ」 「あ・・・宮田さんですね」 「硬い硬い、宮田君でいいよ」 「・・・私、澤田美奈、って言います。宜しくお願いします、宮田君」 「それでいいの、それで」 そんな会話をして、俺達は仲を深めた。 「じゃあな、美奈」 「あ、あの・・・宮田君、電話番号・・・教えてください」 いつの間にか「美奈」と呼んでしまうほど、親しみやすかった。 そんな「美奈」に、電話番号を聞かれた。 「え・・・っと、んじゃ、ちょっと待って」 そういうと、鞄からメモ帳を出し、携帯の番号を書いた。 「これで良い?じゃ、またな」 「あ、私の番号・・・」 「いーって、そっちからかけてくれる?悪いけど。んじゃ」 そう言って俺は、その公園を後にした。 日曜の朝。 『ティラーリラーティラーリラー(ORENGERANGE *〜アスタリスク〜)』 会話ボタンを押し、話す。 「はいもしもし」 『えー・・・澤田です、宮田君ですか?』 「あ、美奈?何のご用件?」 『えっと・・・二時ごろ・・・公園来れます?』 「行けるよ、じゃあ二時ね」 『・・・じゃあ、お願いしますね』 「うん、じゃあなー」 そう言うと俺は電話を切った。 「お待たせ」 「あ・・・宮田君」 ベンチに座っていた美奈に、俺は話しかけた。 「で・・・何?」 美奈は言った。 「はい・・・ちょっと今日は、この街案内して頂きたくて・・・」 聞くと、美奈は最近転向してきて、この公園の近くに住んでいるらしい。 この公園は学校にも近いので、美奈は良い土地に引っ越してきたといえる。 「じゃ、早速行く?」 「は、はい」 喫茶店『believe(ビリーブ)』の前で、俺は言った。 「美奈って、彼氏・・・いる?」 「はぃぃ!?え・・あ、いません・・けど」 今の「はぃぃ!?」に驚いた人が数人、こちらを見ている。 「いないんだ・・・と言うより・・・作れない、ってとこ?」 「・・・鋭いですね・・・私、気が弱くて・・・それに、人見知りが激しくて・・・話しかけられないんです」 「・・・よく俺に電話したな」 「・・・・・・貴方なら、話せる気がしたんです」 「え?」 今の言葉に、俺は耳を疑った。 「いや・・・無かったことに・・・してください」 「あ・・・うん」 気になりながらも、俺は歩いていった。 ここが何だ、あそこに見えるのが何だ。 そう教えていった。 これが意外と楽しく、俺は夢中だった。 「・・・あの・・・宮田君・・・」 「何?」 「それ以上行くと、隣町なんですけど」 「・・・・・・あっちゃー」 俺は家に帰った。 美奈の顔、『ありがとうございます』の声。 忘れられない。 『貴方なら、話せる気がしたんです』 「むー」 俺はベッドに寝転びながら、悩んでいた。 そういや小柄で長髪、意外とタイプ。 「あー、こんなこと考えてると興奮するー、寝れないって」 今のうちに寝よう。 電気を消した。 「アイツの番号、聞いてなかった・・・」 一年が過ぎた。 一年間、美奈と話をし、仲を深めた。 もちろん、番号も聞いた。 その頃からだった。 美奈を、「一人の女性」に感じたのは――― 「「・・・あの」」 見事にハモる。 「「お先にどうぞ」」 「じゃあ、俺から行くな」 「あ、はい」 一つ深い深呼吸をし、俺は言った。 「美奈の人見知りもだんだん治り、殆ど対等な感じで話せるようになったし、こういうことも一年やってきたし・・・」 俺は緊張していた。 ここでも一つ深呼吸した。 そして言った。 「だから、ってわけでもないが、あえて今言う。美奈・・・真剣に」 「言わなくても・・・わかります」 美奈が遮った。 「OKです、これからは・・・もっと、宜しくお願いします」 この瞬間俺にとって、美奈が「大切なモノ」となった。 一般に「デート」と呼ばれるものはたくさん行った。 遊園地のジェットコースター、ゴーカート・・・。 ゴーカートではカーブを曲がった時美奈の持ってたアイスが美奈の顔に見事にぶつかった、アレはおもしろかった。 夏の夜は綺麗な夜景を見たりした、つんのめり過ぎて柵を超えそうになったりもした。 秋には山に紅葉を見に行った、拾ってきたもみじで美奈が押し花を作ってくれた。 冬はショッピングに行った、美奈は意外と服選びのセンスが在った。 春はもちろん花見、無邪気に花を見て喜ぶ美奈がやけに可愛く見えた。 そんな一年が過ぎた後だった。 あの、惨劇は。 俺は横断歩道を渡ろうとした。 俺は渡りきったが、美奈はまだだった。 ここの横断歩道が長いので、轢かれないかとハラハラする。 その時だった。 「うわ・・・っ」 足を滑らし、美奈が転ぶ。 「美奈・・・大丈夫か?」 「は・・・はい」 その瞬間。 ―――プアァァァァ! 「トラック・・・!美奈!避けろ!」 遅かった。 その時、雨が降っていた。 土砂降り、前も禄に見えず、足も滑る。 そんな時に起きた、惨劇だった―――。 話は冒頭へ戻る。 あの後我に返った俺は、携帯で119をコール。 間もなく、救急車がやってきた。 ありがたいことに、病院の近くで起きた事故だった。 「手術中」のランプは、未だ点いている。 指と指を交差させ組み、親指を顎のほ方へ出し、その親指に顎を乗せる。 「美奈・・・」 俺の隣には、美奈の家族が座っている。 俺の本当の隣の、美奈の母が俺に話しかけた。 「美奈は・・・何故事故に遭ったの?近くに貴方がいたんでしょ、答えてくれる?」 「今も降っていますが・・・、土砂降りの雨で、美奈さんは転んだんです。そしたら、トラックが・・・」 因みに俺の左隣には、そのトラックの運転手が座っている。 その運転手が、続きを言った。 「そう、土砂降りの雨で彼女が見えなかった。そして、ブレーキが利かなかった。言い訳のようですが、悪条件が重なってしまった。・・・すいませんでした」 「いいんですよ、悪いのは転んでしまった美奈です」 「先に渡った俺の責任でもありますよ」 俺は自分を責めたが、美奈をしばらく、もしくは一生失ってしまうことには代わり無い事は知っていた。 それから間もなく、医者が出てきた。 最初に飛び出し、医者に話しかけたのは他の誰でもない、美奈の母だ。 「美奈は・・・無事ですか?」 「一命を取り留めましたが・・・下半身が辛いですね。車椅子も考えないと・・・」 「生きているだけ、十分です」 数日後、俺は見舞いに行った。 「402・・・『澤田 美奈』ここだな」 拳で扉を叩く、要するにノックだ。 「・・・・・・はい」 「宮田です」 「あ、どうぞ」 戸を開けると、痛々しく固められたギプスを足に巻き、ベッドに横たわっている美奈がいた。 「どうだ、調子」 「・・・うん、良い方です。・・・でも、時々鋭い痛みがあったりするんです。・・・そんな時、なんかネガティブになって・・・死ぬのかな、なんて思ったりします」 「弱気だなぁ」 そんな会話をしていると、看護婦さんが入ってきた。 「澤田さーん、検診にきたわよー・・・あら、彼氏?」 「あ、はい、宮田、って言います」 看護婦さんはまじまじと俺の顔を眺めていた。 「いやぁ、そっくりねぇ・・・澤田さん、貴方画家になれるわよ」 「・・・そんなぁ」 俺は腑に落ちない、美奈に聞いてみた。 「お前、絵描いたのか?」 「・・・うん、看護婦さんがね・・・『彼氏いる?』って聞くから、教えちゃったんです」 「で、絵を描いた、と」 「・・・はい、そうです」 看護婦さんは笑いながら言った。 「うん、貴方の書いてた絵のそのまんま、結構良いオトコねぇ」 「い、い、いや、そんなこと無いですよっ」 自分でも顔が紅潮しているのがわかるほど恥ずかしかった。 俺はほぼ毎日、美奈の見舞いに行った。 看護婦さんのおもしろい話も聞いた、時々美奈は俺の恥ずかしい話を聞かせたりするので油断ならない。 俺が去るとき、美奈はとても寂しそうな顔をしているのが気配でわかる。 俺は、ずっとそばに居たかった。 「いつだって来るんだから、寂しくないだろ?」と言って、紛らわせてやっていた。 時が経つと、それで命を落とさなければどんなケガや病気も治るものだ。 美奈も、今では車椅子の生活になり、俺が来ると日が暮れるまで散歩させられることもあった。 部活に所属していない俺は、時々早い時間に病院に来れる。 そうなると、夕飯が運ばれるちょっと前まで、一時間半近く外で車椅子を押してやる日があるのだ。 そうして、美奈にとって不自由ながらも楽しい時間が、俺にとっても幸せな時間が過ぎた。 二年が過ぎた。 高校を卒業した後、俺はバイトをした。 何しろ一人暮らしで両親の仕送りを貰っている、いつまでもスネをかじるつもりは無い。 看護婦さんに「偉いのねー」と言われたが、軽くスルーした。 そして美奈は、奇跡的な回復を遂げた。 医者の話では、『複雑に折れていたので普通に歩くことはできないだろうと思っていたが、ここまで歩けるようになったのは珍しいのではないだろうか』だそうだ。 そう、美奈はもう、歩けるようになっている。 美奈は俺より一つ年下、俺が卒業した翌年に卒業。 ちゃんと間に合ったのだ。 時々美奈はよろめくが、そんな時は俺がそばにいて体を支える。 仲の良いカップルに見えるのだろうが、気には留めない。 もう慣れている。 一度失った物は殆ど戻ってこない。 今の美奈の足だってそうだ。 だが、「まだ失っていない物」なら戻ってくる可能性がある。 そう、一度失ったかに思えた「美奈」自身は今、戻ってきたのだ。 失いかけた『大切なモノ』は、俺の心に空いた穴を埋め、俺の隣に戻ってきた。 『大切なモノ』は今も、傍らで笑っている。 「美奈、行くぞ」 「うん!」 『大切なモノ』は、昔のような鈍い光ではない、きらめく星のような輝きを放っていた。 『大切なモノ』は、明るくなって帰ってきた。 「俺は、明るい美奈の方が良いな」 「そう?」 Fin。