白猫(幅塚 怪斗作) 師走も下旬。イルミネーションもがこのキリストの誕生日を祝福しているかのようだった。街の雑踏にはサンタの服装をしたアルバイトらしき、若い男性、女性がクリスマスセールのビラを配っていた。買い物客やじゃれあっている若いカップル、学校などの仲の良いグループなどで、商店街はにぎわっていた。…その雰囲気に溶け込めない私もいた。今日は最愛の人を一年前に亡くした日。とは言っても、結婚していたわけではない。しかし、お互い気持ちは固まっていた。…そうであってほしかった。彼女は一年前のこの日不慮の事故であの世に召せれた。いや、そういう運命だったのだろうか…。事故のことは思い出したくない。全くと言っていいほど勝手だが、後は読者の考えに任せるとしよう。もちろん、彼女の容貌も私の容貌も。ふと気づくと私は街の雑踏から離れた片隅にいた。彼女も片隅にいた。彼女といっても人間ではない。彼女は私の亡くした彼女のように肌が白く、大きな黒い瞳を持っていた。彼女と目が合った。いや、私が合わせたのだ。彼女はずっと私のことを見ていたように見えた。彼女は私の足元に近づきじゃれてきた。もうお分かりだと思うが、彼女は白くて、瞳が黒く輝く仔猫。彼女を見ていると妙に愛着が生まれてきた。私は“昔の”彼女が亡くなってからというもの何事にも、何か欠けているような人生を歩んできた。何をしても埋めることができない、心の大きな穴を彼女は埋めてくれたように思えた…。私は帰ろうとしてもその美しい目で何か訴えている彼女を、振り切ることはできなかった。そのまま、彼女を連れて帰った。  彼女と会ってからの生活は見違えるほどよくなった。彼女は私が何処へ行くにも必ずついてきた。よく、幼児が母親のあとを追いかけ、トイレにもおちおち母親が行けないという感じに、彼女は私に付きまとった。私も彼女の事をそう、悪く思ってない。むしろ、彼女を気に入っていたので全く気にはならなかった。もちろん仕事場にもついてきた。会社もリストラされた私は、今はアルバイトで食いつないでいる生活だった。そこでも彼女はついてきたのだが、全く仕事に差し支えはなかった。しかも、彼女がいるとなんだか自分に力を与えてくれるようで、仕事がいつもの数倍はかどった。最も前の働きようが最低だったのもあるが、同僚をはじめ、上司まで私の変わりように驚いているかのようだった。給料もどんどん上がっていき、社内での評価もかなり上がっていった。彼女のお陰で私の人生に一つの光が差し込んでそれがだんだん大きくなっていくようだった。 そんな日が半年ちかくたち、私は社内でも信頼される人物になっていた。アルバイトのくせして大きな契約を結んだりして上司にも認められるようになった。そんなある日上司から正社員になって欲しいという、オファーが来た。私はとても嬉しかった。全ては彼女のお陰だった。 そんな彼女との幸せの日々を過ごしていた私は幸せの絶頂だった。そして一年が過ぎ去った。“昔の”彼女の命日にはきちんと墓参りに行った。もう、去年ほど悲しくはなかった。今、私の隣には私の大きな穴を埋めてくれた彼女がいたからだ。毎日が充実していた。仕事も仲間関係も何もかもが上手くいっていた。くどいようだが彼女には感謝しきれない気持ちで一杯だった。 そのうち、残業が多くなりあまり彼女に付き合っていられなくなってきた。しかし、彼女は辛抱強く私と生活してくれた。時に、私は残業が多くなり、忙しくなった。彼女にあまり構てられなくなった。彼女はそんな私に愛想を尽かしたのか。時々どこかへ消えるようになった。私が残業などで遅れると勝手に会社から消え、一人で帰って見ると家にいたりする―そんな日が続いた。先に帰って私を出迎えていてくれるのかと思っていた。そんな矢先、残業が入って、彼女はまた消えた。家に帰ったらいるだろうと余り心配しなかった。帰り途中、私は不意に道路の片隅のちいさな空き地を見た。そこでは沢山の猫たちが戯れていた。私はこういう所の方が彼女には合っているのだろうか、などと心にも思ってない事を呟いた。心の中では彼女と離れたくない、一緒にいたいと思いながら― ふと白い物が、戯れている猫の集団内にあるのが見えた。白い布か何かで遊んでいるのだろう。と思いながら帰り足を急ぎかけた。その時、聞きなれた泣き声がした。彼女の声だった。仕事で相手をしてやれない…それは分かっている物だと思っていた。しかし、相手は仔猫だ。分かるはずもなかった。私は彼女の名前を呼んだ。彼女は私が分からないらしい。こっちに一瞥をくれるとまた仲間と戯れていた。私は私に腹が立った。なぜもっと彼女にかまってやれなかったのか…。その日彼女が帰ってきたのは明け方近くだった。 翌日、私は反省し彼女の事をもっと考えようと思った。しかし、現実は甘くなかった。会社では忙しく、とても他事を考える余地を与えてくれなかった。彼女に助けてもらいたいとも思ったほどだ。傍から見れば全く反省などしていないようだろう。とうとう、彼女は会社へも来なくなった。さらには私にもついて来ないようになった…。どうすればいいか全くわからない、彼女との時間も取れない。彼女と一緒にいたい―そんな気持ちだけ空回りする日々が続いた。彼女が私から離れるようになって半年ほどたった頃、彼女は私の元から消えた…。実のところ、半年もたつ前からもほとんど家にはいなかった。おそらく他の猫たちと戯れていたのだろう。私の中の光が、大きな光が一筋の光となって消えていった…。 彼女が消えてからというもの私の中で、彼女で埋まっていた穴は―ふさぐものがなかった。しかし、休ませて貰える訳がなかった。やる気がおきないのに回ってくる仕事は後を絶たなかった…。仕方なくやっていた仕事―これを埋める物にするしかなかった。仕事に打ち込んだ。彼女を忘れようと。ひたすら、仕事、残業、契約…。大手のグループ等と契約を結んだりして、私は社内でも必要な人物になっていた。仕事によって私の深い穴は埋められたかのように見えた。そして、いつしか私はひとつの部署を任せられえるようになっていた。彼女がいなくなって二年がたとうとしていた。 私の仕事は私が動くのではなく、部下が結ぼうとしている契約の最終調整等をすることになっていた。そんな私の元に、専務から直々に契約を結んでほしいという、命令が届いた。当然のごとく私は受けた。それは大手化粧品会社との契約だった。これは会社の将来にも関する契約だと、私はわかっていた。 私は契約を結びにあちこち走っていた頃のように、今でも簡単に結べると過信していた。そして、いざ契約交渉。相手は化粧品メーカーの女社長。しかし、交渉は―失敗した。女社長は全く予期してなかった質問を、出してきたのだった。化粧品の事についてどう思うか、と。私は当然の事ながら化粧品など使うわけがなかった。身近な女性なんて…いるはずもなかった。仕方なく適当に答えた。しまった…。女社長は怒り私に、彼女や奥方や化粧品を使う人は身近にいないのか、と。そんな人たちを見て、何か思わないか、と。「彼女」や「奥方」という言葉は今の私には痛々しい言葉だった。何も言えなくなってしまった。初めての契約での挫折だった…。 私はそれからこの契約を結べなかったため、当然のごとく上司に怒られた。そして、結べなければ解雇も考えるといわれた…。それから、私は初心に帰り、相手の事を調べ上げた。もうしくじらないために…。化粧品の事、女社長の事…。私は仕事をすることによって、あの女社長に再び開けられた穴を―埋めた。そして、二度目の交渉にこぎつけた。女社長は当然のごとく、大量の質問を浴びせた。私は全ての質問に完璧に答え、女社長を満足させられる話もした。契約は結ばれた。大成功だった。女社長が好きな料亭でやったこともあったかもしれない。もちろん、これも調べ上げた事の一部だが。私は上司から賞賛され、また、給料も上がった。嬉しい事だ。女社長とは契約後、よく付き合う仲になった。料理を食べたり、オペラや演劇を見たり…。私は楽しかった。開いた穴は仕事ではなく彼女で埋められ始めていた―両思いでもないのに。 そして、女社長は自宅でのX’masパーティに、私を招待した。私は胸が弾む思いでその日を待ち、もう、穴は彼女ではなく、女社長で埋められていた。そして、“昔の”彼女の命日―私は待ちわびていたこの日、タキシードに身を包み、女社長の家へ行った。女社長は私を笑顔で迎え入れ、私は有頂天になっていた。彼女のパーティには多くの会社の重役がそろっていた。私は少しでも名を売ろうと彼女とばかりではなく、社長クラスの人間と、話していた。 ある会社の専務が庭へ出ないかといってきた。私は了承し外へ出た。景気のこととか難しい話をしていると、庭の角に獣がじゃれあっているような影が見えた。犬か何かだろうと思った私は全く気にしなかった。不意に、どこかで聞いたことのあるような鳴き声がした。彼女だった。  彼女は昔と変わらぬ白く美しい毛並みをしており、輝く黒い瞳も健在だった。ひとつ違った事―それは、彼女の隣には黒い美しい毛並みの黒い瞳の猫が立っていたことだった。その黒猫はおそらく女社長の飼い猫だろう。彼女はあの猫の集団の中でここまで立派な猫に射止められていたとは…。私は彼女の名を呼んで見た。しかし、彼女は全く気づかず黒猫の元へ駆けていった。私は彼女がもう私のものではないと悟った。不意に、私の心にかろうじて残っていた彼女への思いは、もろくも崩れ去り、三度、穴が開いた…。そんな私を追い討ちするかのように、家の中では女社長が婚約会見をしていた。私の心の穴はかつてない程広がり私はその場にいられなくなり、足早にその場を去った。 自宅に帰り、私は心の大きな穴を、仕事という二文字で埋めようとしたが、無理だった。というか、不可能だった。そのまま、心に従うように一人でに手が動き、私は辞表を書いた。それは、いままでの、そしてこれからの地位や生命を全て捨てたことに、等しかった。その上に一通手紙を書いた。 「探すな」と…。 …… 何年かして私は、あの時と同じ日にあの商店街の雑踏に紛れ込んでいた。そこには毎年変わらぬ、あの光景があった。イルミネーションがこのキリストの誕生日を祝福し、街の雑踏にはサンタの服装をしたアルバイトらしき、若い男性、女性がクリスマスセールのビラを配り、買い物客や若いカップル、学校などの仲の良いグループなどで、商店街はにぎわっていた。いつしか、あの時と同じ商店街の片隅に私は追いやられていた。心に開いた穴は身体をも蝕み、全てがどん底へと堕ちていた。私はふと、足元の白い草を見つけた。「猫の目草」だった。それはもう枯れかけで、ひとつの大きな花の残骸が、無残に落ちていた。私の人生はなんだったのだろう―自問しても答えは返ってこない。この「猫の目草」というのは、黄緑の花を十数個つけると、前に本で読んだことがあった。しかし、花は大きくひとつの残骸しか残ってなかった。  思うに、『枯れそうな猫の目草に、ひとつの大きな救いが入り、きれいな花がさいた。しかし、ひとつの花がもっと大きく美しく咲こうとしたため、残りの花を枯らしてしまった。そして、養分は全て花に行き渡り他の部位は枯れ、花は結局自分を苦しめ、枯れていく―』そんな、一生をこの草花は生きてきたのではないか―そう、私と同じように。 不意に、雑踏に懐かしい物が通った。あの白猫―彼女だった。その横には女社長の黒猫と、四匹の仔猫。夫の黒猫に似た黒の仔猫二匹と、黒色の体に、昔の彼女のような美しい白いぶちが入った仔猫二匹。幸せそうに歩いていた。その後ろには、女社長と、社長の夫が…。その光景を見たとたん私は急に体に力が入らなくなり、その場に崩れこんだ。ここ何日間何も食べてない私の体は空腹に満ち、全ての希望を失った心はないものに等しかった。 その身体は二度と起き上がる事は…なかった。   了 ※この物語はフィクションです。出てくる人物、猫、会社等は全て架空のものです。