あの人の背中を追いかけて




 いつも僕の傍には兄がいた。家族の中で最も時間を共有している人は兄であることには違いがなかった。
 だが、そんな兄は1つ下の僕に“お兄ちゃん”らしいことはほとんどしてくれなかった。モタモタしていると「遅い」と怒鳴ることも多々あった。
 でも、その後ろ姿を追いかけていけば、必ず兄の傍にいることが出来た。何故なら、どれだけ悪態をついていても兄は絶対待っていてくれるから。
 そんな兄を尊敬している。目標は兄。多分そうなんだろうなぁ、と今でも思う。



   《 あの人の背中を追いかけて 》



 元々我が家は裕福な家庭ではあった。父が大きな会社の社長をやっていたから、お金持ちだったことには違いない。幼い僕にもそれはわかった。
 だが、裕福であっても幸せとは限らない。小さい頃の思い出の隅々を探しても、父と遊んだという記憶は一切なかった。
 父は朝早くに会社に行って夜遅くに帰ってくる日々を続けていた。1週間以上父の顔を見ないなんてことも少なくない。バリバリの仕事人間であった。
 それに対して母は、非常におっとりとした女性であった。いつも穏やかな笑顔を浮かべて、ニコニコと笑っているのが印象に残っている。
 だけど、母は積極的に僕達兄弟に関わることはほとんどなかった。あれこれ薦めてくることもなく、何かを強制させることもなかった。
 僕達が何か良いことをしても悪いことをしてもニコニコと笑みを浮かべて「そうなんだ〜」と間延びした声がいつも返ってきた。母は、昔からこんな感じの人だった。
 だからこそ余計に兄が手近な目標になったのかも知れない。
 勉強も、運動も、そして日々の生活も、時には兄の見様見真似で、またある時は兄の助言で成長してきた。もし兄がいなかったら僕はどうなっていたのだろうか。
 仕事しか目がない父と、何も言わずに遠くで見守るだけの母。この二人の下で育てられたらどんな風に成長したか今でも見当がつかない。

 僕、猪狩進の幼少期はそんな感じだった。
 大きな家に住んで、欲しい物は(母から「そんなに物をねだるような子じゃない」と言われる通り、あまり欲しい物を欲しがるようなことはなかったらしい)手に入ったが、幸せだったかと言われればそうではなかったのかも知れない。
 なんだか友達の話とかけ離れた生活をしていることに時々違和感を覚えることもあった。

 ある日、兄が突然近くの少年野球のチームに入った。なんでも、友達と一緒に野球観戦へ行った時に、真ん中で投げている選手が凄く格好良かったのだとか。
 当時の僕も野球のことについて全然知らなかった。それどころか野球というスポーツを知っていたかも怪しい。父が仕事一筋の人間だから、そういう娯楽で楽しんでいる暇があったら仕事をしていただろう。
 その時の兄の様子は今でも覚えている(本人は忘れているが、僕にとってはそれだけ衝撃的なことだった)。
 野球観戦から帰ってきて一直線に母の元に行き、開口一番「野球の道具買って!」とオネダリしたのだ。
 だが母も母である。毎回毎回興味があるものを見つけてきては母におねだりするが、それに飽きてくると一気に放り出してしまう。要するに“熱しやすく冷めやすい”性格なのだ。
 母がそのことについて追求すると「アレはボクが望んでいたモノとは違っていた」と言い切る。まるで自分に合っていなかったと言わんばかりに。
 そうなると母の小言攻撃が始まる。口調はいつも通りやんわり・おっとりした話し方ではあるが、その裏には真っ直ぐな正論がオブラートに隠れて存在している。
 「あの時『やりたい!』と言ったのは守クンだよね?」とか「物は大切にしないとダメでしょ?」とか。ちなみに母は普段から“〜〜クン”と呼ぶ。自分の子どもなのに。
 最も突かれたくないポイントを中心に攻めてくるので、反撃の余地も与えてくれなかった。もしも反抗したとしてもそれに対して的確な答えを返すのだから攻められる側はたまったもんじゃない。(元々非があるのは兄だが、それを差し引いても受ける側は辛い)
 結局徹底的にやり込められた後は拗ねて新しく興味を持ったモノに熱中する、というのがお約束だった。
 しかし今回は少し違っていた。母が何か言おうとしたが、いつものように駄々を捏ねない。ただ母の瞳をじっと直視するだけで、他に何も言わなかったのだ。
 その真っ直ぐな瞳を見つめ続けた母は、観念したらしく「いいわよ、買ってあげますよ」と降参宣言。この時の無邪気な、そして心の底から喜んでいることが顔の全体から読み取れる笑顔だったことを憶えている。
 それからの兄は野球一筋だった。朝ごはんを食べたら一目散に庭に出たら家の壁に向かって延々とボールを投げ続け、昼ごはん休憩を挟んで夕方暗くなるまでずっと同じことを繰り返していた。
 けれど、2週間程同じ練習を繰り返していく内に一つの問題に直面した。練習に付き合ってくれる相手がいない、ということに。
 あれだけ猛練習をしても野球チームの中では実力が発揮出来ていなかった。壁に向かってボールを投げて、返ってきたボールを拾うという単調なことの繰り返しでは効果がない上に、一人でやっているから集中も途切れ途切れになってしまいがちであった。
 少年野球の監督さんに上手くなる方法を聞いたところ、「誰かと練習をした方が効率がいいよ」と言われたらしいのだ。
 練習相手……そんな簡単に見つからないのが我が家の事情だった。
 父は根っからの仕事人間なのでキャッチボールの相手なんかしてくれない。家に帰っても会社から持って帰ってきた仕事に集中するため部屋に篭ってしまうのだ。
 母からそれとなく野球を始めたことを伝えたのだが、興味を示さなかったとか。これまでの失敗があるだけに(どうせすぐ飽きるだろう)とタカを括っていたようだった。
 一方母は母で大の運動音痴。それに加えてちょっと世間離れしているため野球のことなどさっぱりわからなかったことが拍車をかけた。兄も最初から候補に入ってないようだった。
 そうなるとパートナーとなるのは、年下の僕しかいなかった。
 兄と違って外で元気に遊ぶよりかは一人で絵本を読んだりブロック遊びをしていることが好きな大人しい子だった。目元が母に似ていることから時々女の子に間違われるくらいだ。
 一人遊びが多い原因は性格的な問題もあったが、他にも遊ぶ相手が少ないこともあった。兄と時々遊ぶ以外は滅多に近所の子ども達とは遊ばなかったため、自然と自分の部屋に篭ることが多くなってしまった。兄と同様父母は積極的に関わってくれないことが悪影響を与えていた。
 いつものように部屋で一人お気に入りの絵本を読んでいる僕に、兄が突然言ったのだ。
 「進、ちょっと来い」
 何がなんだかわからないまま、引きずられるように庭に連れてキョトンとしている僕に、兄は僕に話しかけてきた。
 「今からボールを投げるから、進はそれを取ってボクに投げてくれ」
 言い終わると同時に思いっきり振りかぶった兄に、僕は慌てて応えた。
 「ちょ、ちょっと待ってよ兄さん。いきなりそんなこと言われても困るよ……」
 「仕方ないだろ、進しか相手がいないんだ」
 「でも……」
 色々言いたいことは色々あった。だが、それが上手く言葉として言い表せなかった。沢山あるから整理できなかったこともあるし、それを表す言葉が思いつかないこともある。
 僕の様子を見て少し考える仕草を見せた後、兄は何かに気付いたようだった。ここら辺、長い間兄弟として一緒にいる時間が長かっただけに弟の言いたいことがなんとなく理解できたのだろう。
 怖いのか、と兄が訊いてきた。僕は黙って頷いた。
 小さい頃からかけっこだけは誰にも負けなかった。泳ぐのも最初は嫌だったけれど水に慣れたらスイスイ泳げるようになった。僕自身運動することが嫌いではなかった。
 だが、痛いことと怖いことは大嫌いだった。ドッチボールは当たったら痛いし、ジャングルジムは落ちるのが怖いから近づかない。苦手を克服しようという気持ちも全くなかった。
 そして今回も痛そうで怖そうだった。白くて小さくて固そうなボールが自分に当たったら痛いだろうし、早いスピードで向かってきたら怖い。だから嫌だと。
 そのことを表情で察してくれたのか、不承不承自分の右手にはめているグラブを僕に渡してくれた。恐らく「進が怖そうだったから仕方なく貸してあげるんだぞ」という気持ちだったのだろう、言わなくても顔に出ていた。
 兄がグラブをはめているところを何回か見ているので、それを真似てはめてみる。
 「進、お前お箸や鉛筆を持つ時どっちの手で持つ?」
 いきなり訊かれたので普段どっちの手を使っているのか考えてしまったが、よくよく考えるといつも使っているのは右手だったと思い出したので右の手を挙げる。
 はぁ、と大きな溜め息を一回ついた後、兄は言った。
 「あのなぁ、ボールを投げる手はお箸や鉛筆を持つ手だぞ?それだったら投げられないだろう」
 あぁそうだった、と右手にはめていたグラブを左手に替えた。手の大きさが小さいせいか知らないが、左利き用グラブなのに左手にはまった。少しグラブの中は窮屈ではあるが。
 それから二人のキャッチボールが始まった。最初は未経験の僕を気遣って大きく山を描くような軌道のボールを投げてくれたが、それでもポロポロとボールをこぼしてしまう。
 反対に僕から兄にボールを返そうと試みたが、投げたボールは兄の元まで届かなかった。方向違いのところに飛んでいったり、兄との直線距離の半分しか飛ばなかったりでさぞかし兄をイライラさせたことだろう。
 でも、慣れてくる内にボールをちゃんとグラブに収まるようになってきたし、メチャクチャな方向にボールが飛んでいくことも無くなってきた。まだ兄のところまで正確に投げることは出来なかったが、それでも楽しさを感じるようになった。
 我がままで自分勝手で何か気に入らないことがあるとすぐ文句を言う兄にいつも振り回されてばかりだったが、細かいところまで僕のことを見ているようだった。もしかしたら弟の僕にも野球の楽しさを伝えたかったのかも知れない。
 こうして、二人だけのキャッチボールがスタートした。初めの頃はグラブが一個しかないために緩いボールでのやり取りしか出来なかったが、ある日突然右利き用のグラブが進の部屋に置いてあったという事件があってからは少しずつ内容がレベルアップしていった。
 朝から晩までキャッチボールをしても飽きることがなかったし、時々プラスティック製のバットでバッティングの真似事をしてバットに当たった時なんかは凄く嬉しかったことを覚えている。……二人しかいないから打たれたボールを取りに行くのが打った本人というのは少しおかしな話かもしれないが。
 その後兄は少年野球チームでメキメキと頭角を現し、4番エースとして活躍するようになった。その一年後、僕は兄のあとを追うように少年野球のチームに入団した。
 ポジションは迷うことなくキャッチャーを選択した。チームの花形であるピッチャーと比べると非常に“地味”なポジションでみんなからは敬遠されたが、僕にはそれ以外の選択肢はなかった。
 何故か。ピッチャーだったら兄と一緒にプレイすることが出来ない。そしてピッチャーの兄と一番接する時間が多いのは間違いなくキャッチャーだったから。
 小学校の少年野球から中学校の野球部とバッテリーを組み続けていく内に、こう呼ばれるようになってきた。常人外れの実力で脚光を浴びる兄と俊足巧打で影から支える弟による、『黄金バッテリー』と。



 そして地元で有名な強豪校であるあかつき大学付属高校に進学することにした。
 勉強のレベルは問題ないし、野球の実力も申し分ない。担任教師も背中を押してくれたし、父母も反対しなかった。
 一年先に入学した兄は既にあかつきのエースとして君臨していた。秋の大会では「ボクがいなければ甲子園出場なんて出来なかっただろう」とこぼしているのだとか。
 今では父が誕生日プレゼントにくれた専用グラウンドに二人で夜間練習をしている。兄の球を直接ミットで受けている僕から見て、兄もこの一年でかなり成長しているように感じた。
 「よし、ここら辺で切り上げよう」
 ふと時計を見ると、時刻は夜九時を廻っていた。部活の練習でヘトヘトになっているはずの兄だが、それでも疲れを見せることは無かった。
 そんな兄と練習しているせいか、時々中学の練習メニューが生ぬるく感じることが多々あった。そして、中学の部活で受けるピッチャーの球が凄く遅く感じて苛立ちを覚えることもあった。
 今でも僕の基準は兄であることに違いはなかった。
 「大丈夫か、進。また倒れたら困るぞ」
 首に巻いたタオルで汗を拭いながら聞いてきた。高校に入ってから兄の自主練習メニューは格段に過酷さが上がったため、初めの内は練習中に記憶が飛ぶこともあった。
 それを心配しての言葉だろうから、兄なりの気遣いなのだろう。言い方はキツイけれど。
 「平気です。最近は練習に体も慣れてきたし……」
 兄さんと練習している時が一番楽しい。口には出せないけれど、僕はそう思っていた。
 そういう個人的な感情を抜きにしても、高校に入ってからのことを考えると、今のうちに高校野球の練習レベルに体を合わせておいた方が兄さんの足を引っ張らなくて済むというメリットがある。
 そうか、と素っ気無い返事だけ残して兄は自分のグラブを磨き始めた。このグラブは高校入学の際に母から貰ったグラブで、普段の練習でも使っているのだが今でも新品のような革の輝きを放っている。
 このグラブには“18”の刺繍が入っているが、これは兄が憧れとしている投手モデルのグラブだった。どこで手に入れたかは知らないが、このグラブを大切にしようとする気持ちはわからなくもない。
 ちなみに兄が憧れの選手は今でも現役を続けていた。今の兄の目標は“憧れの選手と一緒に練習”だとか。プロに入れるかどうかもわからない現在でありながら、プロ入り出来るものと信じきっているのは自信家の兄らしい。
 体から噴き出していた汗も大分引いてきた。そろそろ帰ってシャワーでも浴びようかなと思っていたら、「進」と呼ばれた。
 「今からキャッチボールでもしないか?」
 今の今まで一緒に練習していたのに、改まってキャッチボールとは。一体どういう風の吹き回しだろうか。先程まで滴る汗も気にせず全力投球の投げ込みをしていたのに。
 だが、僕に拒否権はない。兄の提案に頷かないと機嫌を損ねるから。
 ナイター照明を全身に浴びながら、二人だけのキャッチボール。グラブに収まる小気味いい音だけが球場に鳴り響いた。
 「進」
 また呼ばれた。今日はなんだかおかしな兄だ。必要以上に気を遣っている。
 なんですか兄さん。ボールを返すと、視線を落として自分のグラブの中でボールを弄っている。何か言いにくいことでもあるのかな。珍しいな。明日は雨かも。
 ようやくこちらを向いて意を決したように口を開いた。
 「……いいのか、あかつきで。お前の実力ならどこでも行けただろう」
 確かに『スポーツ特待生として我が校へ!』というお誘いは山程あった。天才・猪狩守の弟というネームバリューと、その名に恥じない実力を兼ね備えたキャッチャーなど全国で肩を並べる存在はいないに等しい。
 実際に去年夏の覇者・帝王実業からもオファーがあった。選抜大会にも選ばれたから、春夏連覇の期待が高まっている。昨年夏もあかつき大付属を一回戦で撃破している。
 現在帝王実業には一年生ながら既に投手陣の柱として君臨する本格派右腕・山口が在籍している。これに猪狩進というキャッチャーが加われば鬼に金棒である。
 だが、猪狩進はあかつき大付属を選んだ。それもスポーツ特待生としてお誘いを受けることなく、一般入試で。
 現在あかつき大付属には磐石な正捕手が存在していた。名前は二宮瑞穂。確実性のある打力と高校生離れした強肩が売りで来年のドラフトで指名が噂されていた。
 兄曰く「あんな短気な人がキャッチャーをしていていいのか」と僕にぼやいているが、そう言っていながら二宮さんの実力は密かに認めているみたいだった。
 だから今のあかつき大付属にとってキャッチャーはウィークポイントではなかった。それと同時に猪狩進の出場機会は一年間減ることになる。
 「いいんです」
 心境がボールに乗り移ったのか、大きく左に逸れた白球を受け取ると、何の躊躇いもなく兄に返した。
 「勿体無いぞ。この天才・猪狩守を打ち砕くという途方もないくらい野望が叶わなくなるぞ?」
 常々兄は言っていた。『この天才・猪狩守を打ち破れるのは進くらいしかいない』と。滅多に人を褒めたりしない兄が堂々とライバル宣言しているのは僕くらいしかいないことを知っていた。
 確かに甲子園決勝戦の舞台で兄と対峙する自分の姿を想像すると面白そうだと思わなくもなかった。
 でも、僕には兄の背中を追うことしか出来ないから―――天秤にかける以前の問題だった。
 口が悪く、自信家で、我侭で、気に入らないことがあったらすぐに怒る、そんな兄と一緒にいた方がもっと楽しいから。
 「いいんです」
 さっきよりも、はっきりと言い切った。何故だと兄から質問が飛んできた。
 「甲子園優勝の瞬間を一緒のグラウンドで味わいたいですから」
 白々しい嘘だな、と自分でも思った。本当は何故あかつき大付属に入りたいのかわからない。二宮さんからレギュラーを奪ってやるという気もさらさら無かった。
 一番の理由は……他の学校に入ると、兄の背中がどこにあるのかわからなくなって、不安になりそうだから、かも知れない。
 ふっ、と兄は笑った。いつものようにキザな笑いではなく、噴き出したような笑い方だった。
 「そうだな、言われてみればその通りだ。このボクの夢を打ち破る人など存在しないからな。この天才・猪狩守の前に敵などいないのだ!」
 今まで曇っていた表情も、何か吹っ切れた表情に変貌していた。いつもの自信家の兄に戻った。
 先に行くぞ、と勝手にキャッチボールを切り上げて球場の中に入っていった。その背中を追うように続いていく。





 これからもこうなんだな、と兄の背中を眺めながらふと思った。





     fin 


 猪狩進の目線で物語を書いてみました。しかし猪狩進の小説って難しいですね。キャラがしっかり立っているのにいざ書いてみるとその人物像を表現するのがなんと難しいことか。流石サクセス中でもイベントによっては大怪我を負わせる程のお人だ!(ただ単に作者の表現力が低いだけであります。全国の猪狩進ファンの皆様、誤解のないよう)
 カリートさんのところで『カーネーション』という作品を読んでビビッと閃いて、思いのままに書いてみました。やっぱり小説は勢いが大切ですね〜。遅筆で悩んでいるのにまさか3日で書き上げてしまいましたよ。……毎回こんな勢いが持続できればいいのですがねぇ。

 パワプロ2000(N64。PS版99と同じ)で登場した猪狩コンツェルン社長として威厳ある父・猪狩茂、パワプロ10で初登場ながら出番が少ない上に再登板の機会が全くない母・猪狩静。この二人の家庭的なエピソードがないので勝手に「こんな感じなんだろうなー」と想像してみました。なんで素材があるのに何故使わないのだろうかK●NAMI様は。実際猪狩守・進の家庭的エピソードは欠乏しているのが現状なんですよね。下手にごちゃごちゃとした設定を設けるよりも全くない方があれこれ想像できるので、そういった選択の余地を残しているのかも知れません。
 今まで猪狩進に真正面から見てなかったのかも知れません。実際に私の書く小説の中で猪狩進という存在は殆ど出てきませんでした。先述した通り自分の中でキャラも掴んでいるし、特に書きにくいということで敬遠していた訳でもないのに。今回この作品で改めて猪狩進という存在を再確認したような気がします。

 あなたの中の猪狩進とは違うかも知れません。こういう猪狩進もいると思っていただければ幸いです。

 (2010.06.12. up.)

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