これで何度になるだろうか。『君が好き』という、メジャーな一言を伝えられなかったのは。
透との付き合いは長い。幼少期の頃からずっと俺の傍には透がいた。
互いに呼吸も性格も理解しているので会話していても途切れることが殆どない。が、それ故に弊害も発生する。
肝心なところに触れようとしても、これまでの位置から近付くことが出来ないのだ。
これは言い逃れしているように受け取られかねないが、事実なのだ。長い間積み重ねてきた関係だからこそ、核心に踏み込むことを躊躇してしまう。
思えばいつからこうした感情を抱いていたか定かではない。少しずつ積み重なっていった結果なのか、ある日突然芽生えたのか、さっぱりわからない。
確かなことは、今感じている想いが紛れもない真実であることだ。
そして月日を重ねていく度に透への想いが風船のように膨らんで心が苦しくなる。いっそのこと思いの丈を相手に伝えればどれ程楽なことか。
だが、俺はぐっと腹の底で堪える。
何故か?
もしも相手にそんな想いがない場合、これまで培ってきた関係が崩壊してしまって互いに気まずい気分になってしまうのではないか、と不安になるのだ。
そうなったら、これまで通り透は接してくれるのか、透と会った時に俺はどうすればいいのか、わからない。
俺はそうなることが怖い。
平静を装うのも存外難しく、透と視線が重なっただけで高まる鼓動を隠すのは容易なことではなかった。
果たして、このまま自分の気持ちを封じ込めたままでいいのだろうか。いや良くない。いつかは踏み出さなければならないのだ。
……しかし、どうやって切り出せばいいのだろうか?
思い切ってストレートに『好きだ!』と言ってみる?
でもアイツちょっと抜けているところあるから真顔で「何が?」って聞き返してきそうで怖い。
もう少し踏み込んで『付き合ってくれ』と言ってみるか?
簡単に「うんいいよ、で、何するの?」と切り替えしてくる気がする。
ならばもっと踏み込んで『俺の女になれ』とクールに伝えてみる?
―――ダメだ、そんな自分を想像しただけでも恥ずかしくて顔面から火が噴きそうだ。
結局のところ自分の脳内で想定問答をしてみたが、どれもこれも成功する気配が一向に見出せなかった。
嗚呼、恋愛ドラマに出てくるような素晴らしい台詞をズバッと言えていたら、今頃はきっと世界を制覇したキングとして君臨しているかも知れない。高校キングなんて比じゃないな。
……こんな真剣に悩んでいるところに、なんで高校キングが出てきたんだろうか。マジメに考えてる所なんだから邪魔しないで欲しい。
そして今日も一歩前に進むことなく、俺の隣に透がいる。俺の恋路を応援するような、背中を押す風は吹かない。
俺の気持ちとは裏腹に、透は相変わらず俺の近くから離れない。
野球部の人数が足りず俺に勧誘されているのを知ると、『朝起きる努力するから入ってあげなよ』と言ってくれた。
活動が活発になってから野球部のことを陰ながら気にしていることを、透は分かっていたみたいだ。
それだけではなく、野球をしている俺を応援しようと自前で応援団を結成した。試合の日にはスタンドの最前列に立って選手達に向けて熱いエールを送って選手達を鼓舞し続けた。
また、テスト前には俺の家に上がりこんで、一つのテーブルに膝を突き合わせて勉強に励んだ。
プライベートでも行動を共にすることが多い。遊園地に出かけたり、一緒に河川敷で花火を見たり、公園でのんびり散歩をしたり。
「いつも一緒にいてつまらないと感じることはないか?」と聞いてみたが、いつも決まって「京ちゃんといるといつも楽しい!」と返ってくる。
その言葉がお世辞や社交辞令ではないことは顔を見ればわかる。俺といる時はニコニコと微笑みが常に絶えることはない。
俺だって楽しいさ。透と一緒にいる時間がずっと続いて欲しいと心から願っているよ。
……願わくば、あと一歩近付きたいのだが。
依然として変化がない関係を保ち続けている。今日も学校へ行く際に透を起こしに行き、昼食は一緒に弁当を食べ、そして一緒に家路につく。
決して楽しくないという訳ではない。むしろ充実した日々を送っている方だと確信を持って断言できる。
だが、俺と透の間には見えない壁が聳え立っている。それも途方もないくらいに高さだ。
この壁があるから透に近付くことが出来ない邪魔者であるが、それと同時に俺は守られる立場だ。
外見は周囲の人を寄せ付け難いように見えるが、内面はかなり脆い。細かいことは気にしないように思われるかも知れないが、実は非常に臆病で繊細な人間なのだ。
その反面、殻に篭っている自分を情けなく思う自分が居る。
『ズルズルと今の関係を続けていっていいのか』『一生自分の気持ちから逃げていくつもりか』厳しい言葉で、俺が俺を焚きつける。
何度も何度も、繰り返し自らに同じ質問を問い続けた。
答えは常に同じ。だが、実際に行動へ移す勇気がない。
『意気地なし』『臆病者』煮え切らぬ態度に俺が俺を辛辣な言葉を浴びせかける。
堂々巡りを何回か続けていく内に、ふっと迷いが消えた。途端に肩にかかっていた重石が取れた気分になった。
俺は自分の気持ちにウソをつくことは出来ない。方向性が決まって、自分を大袈裟なくらい奮い立たせた。
これから戦場に赴くのだ。“恋”という名の激戦区へ飛び込んでいく。
今、俺は、恋の戦士としてこの大地にしっかりと立っている。
勝算なんか関係ない。男には引くことが許されない特別な正念場が巡ってくる。それが、今なのだ。
胆は固まった。撤退なんて有り得ない。敗北上等、潔く散ってみせるさ。
「京ちゃ〜ん、一緒にご飯食べよ〜」
「おう、今行くから少し待ってろ」
午前中の授業が終わり、教室内には開放的な雰囲気に包まれていた。仲が良い者同士で机を寄せ合ったり、昼飯を求めて購買へ行く人がいたり。
そんな中で二人揃って教室の外へ出て行った。恐らく中庭か屋上に二人で上がって一緒にお昼を食べるのだろう。
この光景を眺めている緑髪の女子生徒。羨ましそうに二人の後ろ姿を見続ける。
「いいなぁ〜、透ちゃん」
一方、この緑髪の生徒とは向かいに座っている金髪の生徒は、特に気にする素振りを見せない。
金髪の女子生徒の箸がスルスルと伸びていく先には、意識が離れている真向かいの弁当。狙いは昼食前から楽しみにしていると話していた、ジューシーな鶏の唐揚げ。
「ちょっと、由良里!何しているの!?」
音もなく近付いてくる魔の手を察知して間一髪のところで回避することに成功した。
ゆらりは特に気にする素振りを見せず「気のせいです」「あさみちゃんの幻覚ではないでしょうか」と動じる気配すら漂ってこない。
「……私もあんな風になれたらいいなぁ」
麻美が弁当をつまみながらポツリと呟いた。
今現在、麻美と交際している彼がいる。野球部のキャプテンだ。
混黒高校に居た頃から仲が良かったが、開拓に来てから徐々に距離が縮まっていった。色々あったけれど彼とは順調な付き合いをしている(と麻美本人は思っている)。
彼は大怪我をしたために開拓に編入させられて野球を辞めるか悩んでいた時期もあったが、その時期を乗り越えた後はチームの核として、また良き指導者として、自ら先頭に立って開拓野球部を導いていった。
その結果、開拓高校として晴れて独立した今年の夏に見事甲子園優勝を成し遂げた。どん底から這い上がり、チームメイトに囲まれて歓喜の渦の中心に居た彼の気持ちは、見ていて涙が止まらなかった。
引退した後も、誰からも愛される人柄の影響か彼はあちこち忙しく動き回っている。休日に一緒に出かけたり、学校帰りを二人で帰ったりしているが、あの二人のように親密な所まではまだ至っていない。
人前であれだけイチャイチャされて、自分と彼の関係と無意識の内に比較してしまう。
(私がお手製のお弁当を持って行って「一緒に食べよ」と言えたら)
(一生懸命作ったお弁当を一口食べて「美味しい」と言ってくれたら)
淡く、甘いストーリーを頭の中で思い浮かべる。それだけで幸せな気分になれる。
そして可能性について真剣に考える。
持ち前のドジ発動で、無事お弁当が作れるだろうか?
完成したお弁当を持って行って、果たして彼の口に合うだろうか?
自信がない。成功しているイメージを思い描くことが出来ない。
「大丈夫ですよ。彼は優しいから麻美ちゃんが悲しむようなことは言わないです」
不安になっていたところに由良里からフォローが入った。
由良里は私のことを良く見ている。バスケ部時代はお互いの弱点をフォローし合い、相乗効果で実力以上の力を出せた。
バスケが出来なくなった今でも、友情を超えた深い信頼関係が由良里と私の間に繋がっている。
厳しい言葉を躊躇なく投げつけてくる由良里は、かけがえのない親友だ。二人の関係はこの先も続いていくに違いない。
「でも、彼のために作った弁当を家に忘れたら手の打ち様がないですが」
「ははは、いくら私でもそれはないよ〜」
いつものように軽く流したが、不意に流れる沈黙。思ってもいない展開に戸惑いを感じざるを得ない。
反論したところでキリッとした表情で「冗談です」と返ってくるはずなのに、今の設問に限っては深刻そうな表情でこっちを見つめるばかりで口を開こうとしない。
あれ?何この空気?
固まっている麻美を置いといて、由良里は手際よく弁当を片付ける。既に昼休みも半ばに差し掛かっていた。
時計をチラリと確認した麻美は半分ほど手付かずで残っていたお昼ご飯を口に運ぶ。その様子を向かい合って眺める由良里の表情は、実に柔らかい笑みに包まれていた。
固まった決意に、後押しされた。真っ直ぐ前を見つめ、背筋を正し、胸を張る。そうしたらいつの間にか、悩みも、怖さも、どこかへ消え去っていた。
もう迷うことはない。ただ、自分の想いをぶつけるまでだ。
「俺、透のことが好きだ」
学校からの帰り道。毎日二人で歩いている道の途中、人がいないことを確認して切り出した。
言葉は自分が想像していたよりもスラスラと出てきた。あれこれ悩んでいたことが嘘みたいだ。
一方、何の脈絡もないまま突然告白された透は事態を呑み込めずにいた。瞬きもせずにずっと俺の顔を見つめたまま、微動だにしない。
思えば、我ながらよく言えたセリフだだった。散々悩んだ結果行き着いた結論は実にシンプルなものへ辿り着いた。
変な言い回しで攻めるよりも自分の気持ちを素直にぶつける。勢いがあればバットに当てるのが巧い打者でも空振りを奪えるのだから、俺の想いが届かないはずがない。
さぁ、俺からボールは放たれた。あとは、透からボールが戻ってくるのを待つだけだ。
長い、長い沈黙。
恐らく今の自分が感じる時間は、他人と比べれば間違いなくゆっくりと流れている。その遅さが、今はもどかしく感じる。
何が起こったのかわからず呆然と立っている透だったが、時間が経つにつれて俺の言葉の真意を理解したようだ。
透の返事は、如何に。
「―――私も」
短い言葉。透はニッコリと笑っていた。その笑顔はまるで穏やかな午後の陽光に、柔らかかった。
後に続く言葉なんか必要ない。それだけで全てを悟った。
その瞬間、体中の血液が沸き立つ興奮を覚えた。目の前が急に明るく見えてきた。
大声で叫びたい、大きく空に向かって飛び上がりたい、果てしなく続く道を駆けて行きたい、そして―――目の前の透を今すぐ抱きしめたい。
これまで感じたことのない感覚を言い表すことは不可能だ。ただ一言、近い言葉を挙げるならば『嬉しい』。
抱きしめることは叶わなかったが、その代わり俺と透は軽く手を握って家路に着いた。
これまでの透との距離を考えれば、俺が踏み出した一歩は小さい一歩かも知れない。
でも、その一歩は俺と透にとって大きな一歩であることに違いはない。“手が触れる距離”から“手を握れる距離”に近付いたのだ。
その証拠に今し方付き合い始めたばかりなのに、何十年も連れ添った夫婦のような柔らかい愛情が二人を包んでいた。
恐らくこの関係は永遠に近い間、続いていくことだろう。仲睦まじい二人を邪魔してはいけないので、そろそろ筆を置くことにする。
最後に一つ、言葉を添えて物語を終えたい。
“ Keep on love'n in you I love you from my heart ”
【手を握れる距離の二人】
- END -
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