ホッパーズの選手寮。ファームの選手は昼間に練習なので朝の早い時間からご飯を食べる人も多い。
寮母としては選手の体調管理を考えた献立を提供するのにいつも気を遣っている。中には偏食の方も居て、そういった方にはどうすればバランスの取れた食事を食べてもらえるか試行錯誤している。
とは言っても私もホッパーズの寮母になって1年も経過していない。まだまだ新米でわからないことだらけですが、選手の皆さんの助けを借りてなんとかやっています。
幸か不幸か寮の世話をする人が数年前に退職してから、なかなか人が定着しないみたい。履歴書と面接ですんなりOKだったので人材不足なのかも。
慣れれば結構楽しい職場ですよ?皆さん子どもみたいで可愛らしいですし。
「おはようでやんす〜……」
朝ごはんを食べに来たのは湯田さん。今起きてきたみたいで眼鏡越しに見えるその眼は少し眠そう。
今日も試合だから沢山食べるかなと思いご飯は大盛にしておく。細身の人でも若い人は一杯食べてくれるから作り甲斐がある。
そして湯田さんは器に盛られた山盛りの白飯を見て喜んでいる様子だ。
『―――先日、ゴールデン銀座において爆発事故が発生致しました。幸い怪我人はいませんでしたが周辺では類似事件が多発しており、警察では警戒を強めています……』
ニュースのアナウンサーが淡々と原稿を読み上げるが、抑揚を抑えた声が逆に恐怖を感じる。
「最近“サイボーグ同盟”が活発に行動しているから怖いでやんす」
「ホントそうですね〜」
湯田さんが話していたサイボーグ同盟はホッパーズの親会社であるオオガミグループに敵対するテロ集団だ。
近年サイボーグ技術の進歩によりテロもより危険なものになった。サイボーグ同盟もこのような危険な違法サイボーグ達の集まりで、警察も注意深く監視を続けていた。
何故オオガミを敵対視しているのか定かではないが、手段を選ばないテロ行為も少なくなく、その結果民間人も犠牲になるケースが多いのでサイボーグ同盟への恐怖心は根深いものがある。
(……ホント、どうなっていくのかしら)
私には皆さんに言えない秘密があるんです。
実は私、サイボーグ同盟の一員なんです。
[ 人間の価値]
世間一般ではサイボーグ同盟は悪者に思われるかも知れませんが、私達はオオガミから追われている立場にあります。
私達はオオガミの研究所で生まれました。正しく言えば私達はサイボーグの集まりではなく、オオガミによって生み出されたアンドロイドなのです。
サイボーグは生まれた後に機械化を施された者、アンドロイドは生まれる前から機械化などを施された者。
要するに私達、試験管ベイビーなんですよ。
世の中ではサイボーグになった人達を化物や怪物と蔑みますが、私達は生を受けたその瞬間から化物なんです。
見た目は一般人なんですけれど、中身は全然違います。この体には怪物が棲んでいます。
何故逃げ出したか?
人と人の繋がりで生まれていないので、オオガミの研究者から見れば私達は実験生物と一緒なのです。全て自分達が求めている人材になるように、手を施しています。
私達は物としか見ていません。ダメだったら代わりがあるということで容赦なく命を絶たれます。
実験成果を試すために殺し合いをさせることも日常茶飯事。人権も自由も倫理もオオガミが作り出したハコの中では存在しません。
そんな場所に誰が居たいと思いますか。
誰だって人間らしく生きたいと思うのは当然のことだと思いませんか?
だから私達はオオガミの研究所から逃げてきました。生きるために。
ただ、オオガミも黙ってはいません。
オオガミが私達のようなアンドロイドを生み出した理由は、世界の大企業と渡り歩くための戦力を確保するため。
そして戦争を起こせる程の強力な戦闘力を保持しており、それが脱走した私達に向けて差し向けられる。
研究所の生活も地獄であればオオガミの追っ手に追われる日々も地獄だった。
昨日まで一緒に笑っていた仲間が今日には温もりさえ奪われてしまう。明日を迎えることが保障されない日々に落ち着きなど存在しない。
相手は世界を相手に戦っているオオガミの戦闘集団。肉体強化を施されたとは言え民間人に近いレベルの私達では到底対抗することは難しい。
いつしか武器を手にとって、生きるためにオオガミに立ち向かった。ある者は自分の体にさらなる補強を加えた。
そんな人達が中心となってサイボーグ同盟が結成された。同じ境遇にある仲間達の拠り所として、武器を手にオオガミと対決姿勢を鮮明に打ち出した。
平穏な日常を望むのとは裏腹に過激な集団へと変貌を遂げていった。
そんなある日のことだった。
リーダーから呼び出されて告げられたのは、スパイとして潜入する任務だった。
対象となるのはオオガミグループが保有する大神ホッパーズの選手寮。近頃寮で働いていた人が辞めて求人が出ていたのだとか。
何故オオガミの関連企業ではなく野球チームに入るのか疑問に思ったが、リーダーはホッパーズに何か重要な鍵があると睨んでいた。
リーダー本人が鍵となる情報を探るが、それだけでは心許ない。そこで私が諜報員として潜入して別のルートから炙り出そうというのだ。
正直、この話が出た時には私が望んでいる理想には程遠い結末になることが容易に予想できて、やりたくないと思った。
さらに言えばオオガミの懐に忍び込むのだから命の危険に曝される可能性が低くない。非戦闘員であり諜報員向けに作られた私には百戦錬磨のオオガミからの刺客に太刀打ちすることは到底難しい。
けれど私に拒否権はない。私が首を縦に振らなければ別の誰かが犠牲になる。そして最も信頼している仲間から懐疑の眼差しを向けられる。今の私にとってそれは死に値する行為に等しい。
……まぁ、多分大丈夫だと思うけれど。それに野球チームの寮に何かあるとは思わないし。
潜入して暫くして、サイボーグ同盟の一員と連絡が取れなくなった。それも現在大々的に行われているホッパーズ潜入計画に加わっているメンバーである。
連絡が途絶えたということはオオガミからの追っ手に捕まったと考えられる。持っていた情報は相手に渡ることになり、これはかなりの痛手だ。
近年オオガミは私達脱走サイボーグを捕獲するために大規模な組織を編成しているみたいで、それと共に自社で生産される武器やサイボーグの実用実験を兼ねている。
相手は世界的大企業のオオガミグループ。警察関係にも裏で手回しをしていて、非公式政府組織として活動しているみたいだ。非公式の政府組織・サイボーグ対策室なんて肩書きまで用意され、今では裏の世界で知られた存在となっている。
ホッパーズに脱走サイボーグの臭いあり、と分かればすぐにCCRの組織員が派遣されるに違いない。リーダーは私にCCRの潜入捜査員を捜すように指示した。
……と言っても見当はついているのですが。ドラフトが終わって暫くしてドラフト外で一人選手が入団してきたので、多分その人なんじゃないかなと。
軽率な判断で味方の命を危険に曝したくないので黙って観察しているけれど、かなり怪しい。他の選手となんだか浮いているし、野球の動作もなんとなくぎこちない。
なんだか悪い人には見えないので暫く様子見しておくことにしておいた。なんだか人間味があって可愛らしいもの。
シーズン開幕前にホッパーズの選手が乗るバスに爆弾が仕掛けられ、多数の怪我人が出る事件が発生した。無論この事件にサイボーグ同盟が関わっている。
なんだか方向性がおかしくなってきたと前々から思っていたけれど、やっぱり最近はその傾向が顕著になってきている。リーダーに相談しても「我々の目的のために必要な犠牲だ」としか言ってくれない。
ねぇ、いつから私達は危害を加える方になってしまったの?無関係の人が何も知らないで犠牲になることの痛みを知っている私達が、何故こんなことをしているの?
リーダーはこの事件によって一軍に呼ばれ、シーズンが始まってからも定着しつつある。目的のために前進しつつあるけれど、このままだと只のテロリスト集団になってしまうよ。
サイボーグ同盟がおかしな方向に向かっているのか、私の考え方が間違っているのか確かめる術はない。
わかることは、今やっていることが正しいとは決して思わないこと。何があっても人が傷つく行為は憎しみや恨みしか生まないから。それがわかっているのに何故……
オオガミを倒すために潜入しているけれど、そんな感覚は大して持っていない。
一応寮母として働く時に偽りの身分で子持ちだって書いておいたけれど、ここは子どもみたいな人ばかり。選手にふざけてプロレス技を仕掛けたり、おもちゃで遊んでいたり、漫才の練習に夢中になっていたり。野球少年がそのまま大きくなっただけみたい。
この寮には単身者のコーチも生活しているけど、まるで自分の家のようにくつろいでいる。
そんな光景を毎日のように眺めていると、母性を擽られて自分の子どものように世話をしたくなる。
私達を生み出したオオガミ創設者の息子である大神選手もちょっと気難しいところがあるけれど、言葉には出さないだけで心に熱いものがある。それにオオガミの研究所とは直接の関係はない。
願うならばホッパーズの寮母として今後も生活していきたい。いつか好きな人と恋をして、子どもと一緒に温かい家庭を持つ。
……こんなありきたりな幸せさえ叶わないのよね。ちょっと生まれてくる場所が違っただけで。
去年に引き続いて荒っぽいことをやってしまった。ホッパーズ本拠地の試合中に、突如としてスタンドの一箇所から火が吹いた。
幸いなことに爆発に巻き込まれた人は誰一人としていなかったことが救いか。
爆発の後にマスコミ宛へ出した犯行声明文も大々的に取り上げられた。
『我々サイボーグ同盟は、大神グループの解体を要求する。
手始めにプロ野球から撤退せよ。なされない場合、今シーズンのプロ野球公式戦中に事故は避けられない』
仕掛けたのは言うまでもなく我々サイボーグ同盟だった。
万年最下位に甘んじる実力しか持ち合わせていない大神ホッパーズが世間の注目を集めるには、少々荒っぽい方法を取らざるを得ない。選手の一人として潜伏しているリーダーの発案に誰もが納得した。
この爆発によりホッパーズの観客動員は大幅に減少した。弱小球団でファンの数が元々多いとは言えない部類なのにテロの標的となったため、観客減少に拍車をかけた形だ。
同時に大神が危険な組織であることを社会に対してアピールすることも出来た。
想定されたリスクに対して結果は上々。犠牲者はおろか怪我人すら出さず、さらには大神にも少なからず社会的にダメージを与えられたのだ。皆手放しに喜んだ。
私としては誰も傷つかずに成果を得られればいい、という気持ちにはならないけれど。
実際面と向かってリーダーに抗議もした。「みんながイヤな気持ちになるような作戦には反対です」とはっきり自分の思いを口にした。
リーダーも心の底ではやりたくなかったのだろう。私の言葉に苦悶の表情を浮かべる。
「これがなければ本命の作戦で与える効果が薄いのだ。気持ちはわかるが、どうしてもやらなければならなかった」
そう話すリーダーの表情には確固たる信念さえ浮かんでいた。後戻りなど許されるはずがない、と。
既に2年の歳月をかけて進めてきた計画が、ようやく実行に移されようとしている。もう止められないのだ。
私が今出来ることは見守ることだけだ。無力さをひしひしと痛感させられた。
普段ならばのんびりとした雰囲気に包まれる球団寮がピリピリとした空気が流れている。
先日プロ野球選手を対象にした抜き打ち検査で肉体改造を行っていた選手がいたことが発表されたのだ。
マスコミはこの話題に食いついた。昼のワイドショーはおろか夜のお堅いニュース番組でさえ大々的に取り上げ、お茶の間の話題を独占させた。
勿論球界も手を拱いている暇はない。即座に記者会見を行い、原因究明のために徹底的な調査と再発防止に努める旨をマスコミに発信。
普段なら改革に気後れする球界運営陣も、数日後には対象選手に対して永久追放処分を科すことを決定。さらには全球団の選手を対象にした抜き打ち検査をマスコミ立会いの下で実施することを発表した。
次々と打ち出される対策より、やや加熱気味だった報道も少しは収まったかに見えた。
それでも、現場にいる人間からしてみれば嵐が収束した訳ではない。第二、第三の改造選手が現れない訳でもないし、この事件をキッカケにファンの眼差しは厳しいものになっていると痛感していた。
実際この騒動はリーダーが仕掛けた一手なのだ。
大神ホッパーズの選手には予めナノマシンが仕掛けてある。体への影響が限りなくゼロに近いので本人も気付かないものの、簡易検査機にも引っかかるレベルの代物だ。
この事実が公になれば、サイボーグ開発を手がけているオオガミに対して世間は懐疑の目を向けざるを得ない。会社としてのダメージは避けられないのだ。
……果たして、こんなやり方が正しいのだろうか。
確かにオオガミのやっていることは許されることではない。でも無関係の人を巻き込んでまで推し進めるべきなのだろうか。
今回の計画を実行した場合には、大神ホッパーズに所属する選手は“オオガミグループが保有する球団”に所属していたがためにプロ野球の世界から追放されてしまうのだ。
彼らにも家族があり、応援する人がいて、プロ野球選手として生活しているのだ。多くの人を犠牲にしてまで、やらなければいけないことなのだろうか。
否。
リーダーのやり方は間違っている。私はそう思う。
なにより、我が子のように可愛がってきた選手達が何も知らずに悲しい目に遭うことが耐えられない。
抜き打ち検査が行われる数日前、彼が食堂に来た。ちょうど夕食の片付けも終わり選手達もリラックスしている時間帯、今がチャンスだ。
お茶を勧めると彼は何の疑いも抱かず出されたお茶を啜る。
「……この前、サイボーグ手術してた選手の人たち、もう試合には出られないらしいですね」
「ええ。まあ、ズルをしてたんだから自業自得ってことでしょう」
自分達に関わりのある話題を世間話のように切り出す。中には触れられたくないと即座に話を切り上げる人もいたが、彼は違った。
まずは第一段階クリア。ここからが本題。
「……でも、知らないうちに改造されてたら、怖いですよね」
自分達が『知らない』間に、他の人によって『改造』が施されている。会話の中で隠されたメッセージを自然に織り込めた。
CCRの優秀なエージェントであれば気付くはずだ。そう信じて発した言葉。
あとは受け取る側がどう判断するかだ。日常にありふれた会話の一幕と捉えるか、それとも。
「寝ている内に、ですか?」
彼は最初笑って取り合おうともしなかった。
「サイボーグ手術なんてそんな簡単なものじゃ―――」
彼はCCRから送り込まれたエージェント。サイボーグについての知識はワイドショーに出てくる専門家よりも遥かに精通している。
自分の言葉に勘付いたモノがあったに違いない。一瞬にして冗談めいた表情が一変していた。
「急用を思い出しました」という言葉を残して食堂から駆け去った。それまで見せていた様子からは想像出来ないくらい険しい表情で。
私がやったことは組織への背信行為になるだろうか。
でも、これにより多くの人が悲しい目に遭わないのであれば、悔いはない。
その証拠に、彼が口にしていた湯のみだけ置かれた食堂に一人残された時に(よかった)と心の底から思ってしまった。
翌日発行されたスポーツ紙朝刊の見出しを見て、彼が計画を止めてくれたことを確信した。
『サイボーグ検査が直前に中止。検査機械に重大な欠陥』
ホッパーズの選手には、予め血液中に酸素吸収率を上げるナノマシンが混入してあった。汗や尿などで排出されるリスクもカバーできる体勢を整えてあり、確実に検出されると見込まれていた。
ところが急遽抜き打ち検査の中止を発表。情報筋の話によれば前日昼の段階では実施の方向で動いていたので、土壇場でひっくり返された形になった。
無論この裁定にCCRが一枚噛んでいるのは言うまでもない。思いもしていない内部の裏切りによって、だ。
「残念でしたね」
スポーツ紙を苦々しい表情で眺めているリーダーに声をかける。だが、これくらいのアクシデントで凹むようでは、猛者揃いのサイボーグ軍団を統率できるはずがない。
「……まあいいさ」
この仕込みに多くの労力と時間を割いてきたはずなのに、失敗してもあっさりと引き下がる。
手札はまだ残っている。「次は力づくで行こう」と呟いた顔に恐怖を感じた。
先日の抜き打ち検査の後に見せていた余裕は夜半に飛び込んできた急報で一変していた。
「……山形の部隊が全滅した」
オオガミの研究所から脱出した同志で、機械等に関する知識は群を抜いて優れていた。表向きは喫茶店のマスターとして日中働いて、夜にこっそり戦闘用ロボットの製作に勤しんでいた。
前回仕掛けた計画が不調に終わり、実力行使のために山形の保有する戦力で強行突破を画策していた最中だった。逆にCCRから急襲されて壊滅的打撃を受けた上に、山形自身も連絡が取れなくなってしまった。
捕縛されて研究所に送り返されたか、それとも危険人物としてその場で殺されたか。
どちらにしても深刻な状況であることに変わりは無い。
最新の報告によれば一定の破壊力を備えるまでに整ったが万全を期すためにさらなる増強を図る、とのことだった。つまり、あの時点で突撃していればオオガミの工場を破壊出来ていた可能性があった。
それが一瞬にして灰燼と化した。実力行使に出るために秘めていた力さえ奪われたのだ。
リーダーの顔には焦燥の色が滲んでいる。ここ数年の間にオオガミの研究所を潰すために綿密な計画を遂行してきたのだ。
「も、もう逃げましょうよ。どうせなら、逃走先は南の島で!」
努めて明るく振舞ったつもりだが、自分の表情に自信がない。
今この場で残るのはリスクが高すぎる。大神の地下工場を壊す手立てを全て失った以上、一度撤退して別の方策を立てるのが最善の策だ。
なにより無事に生きていれば、またやり直せる。次に巡って来る機会がいつになるかわからないが、生きていなければ先に逝った仲間達に申し訳ない。
が、リーダーの表情は相変わらず固いままだった。
「……まだだ。半数以上の同志を失ったのに、あそこをあのままに出来ない」
積み重ねてきた時間は、重い。その重みを背負ってリーダーは生きている。
茨の道だろうが修羅の道だろうが、この道を貫く。その姿からは悲壮感が溢れて見えた。
オオガミの研究所が破壊された。私達から見れば忌まわしき施設が跡形も無く消え去ったのはとても喜ばしいことであり、サイボーグ同盟を立ち上げた当初の目的の一つを達成したことになる。
あとは一刻も早くオオガミの魔の手が及ばない場所へと避難すればいいのだが、肝心のリーダーが承服しない。
万年最下位でオオガミの経営を圧迫していたホッパーズが今シーズン限りで解散を発表したが、それとは裏腹にペナント開幕から快進撃を続けている。
チームの一員であり主力であるリーダーは今の状態でホッパーズを離れるのがイヤみたいだ。まったく、貴方も子どもですね。
それならば仕方がありません。最後の最後まで私もお付き合い致しますよ。
全て片付けて早く南の国に飛びましょうね。みんなと一緒に、一人の人間として生活できる場所で余生を送りたい。
でも当分先の話になるかな。ホッパーズで野球をやっている内に愛着が湧いて、離れられなくなった。
私は待ってるから全てを片付けてきて下さい。いつものようにホッパーズの寮でお茶を飲みながらゆっくりしていますから。
大一番を前にして石中が失踪するという情報が寮を駆け巡った。
2年前のバス爆発事件を機に一軍定着を果たした石中は、今やチームに欠かすことの出来ない生え抜きの戦力にまで成長していた。
球団内に動揺が走ったのは当然のことだった。日本シリーズという大舞台を心待ちにしていたのは皆同じだし、行方不明になる理由が見当たらなかった。
只一人、いや二人を除いて。
夜半、シンと静まり返った寮の食堂に電灯を一つだけ点いた下に座っている人がいた。向かいの席にはお茶が入った湯のみが一つ、ポツンと置かれている。
(……リーダー)
石中はホッパーズに潜入したサイボーグ同盟のリーダーだった。オオガミの執拗な追撃から仲間を逃し、個性的なメンバーを見事にまとめあげた。
確固たる信念を持ち、それが故に争いも少なくなかった。私もサイボーグ同盟の方向性で何回も反撥してきた。それでも求心力は衰えることなく、寧ろ強固なモノになったのは石中の力量があってこそだろう。
その石中が消息を絶った。
消されたとしか考えられない。
戦闘能力はサイボーグ同盟の中でもずば抜けた存在だっただけに、簡単に討ち取られたとは思えない。
でも。
野球というスポーツと廻り合ってから石中は少し変わった。四六時中厳しい表情を浮かべていたのが、いつしか柔らかな笑みを目元に浮かべるようになった。
だからこそホッパーズというチームの結末を見届けたいと願ったのだろう。あれ程危険を排除する性だったのに。
ポタリと雫が一滴落ちた。
初めて自分が泣いているのに気付いた。
視界がぼんやり霞んで見える。頬を伝って大粒の涙が一つ、また一つテーブルへ落ちていく。
瞼を閉じれば石中の姿が鮮明に浮かんでくる。時には優しく声をかけてきて、時には厳しい口調で詰る声が、今私の耳を反芻して離れない。
持ち主を失った湯のみからはいつの間にか湯気が立たなくなっていた。その前で一人静かに、泣き明かした。
チームの核として活躍してきた石中を欠く大神ホッパーズであったが、激戦の末に日本シリーズを制した。また、親会社であるオオガミグループがペナントレース終了後に来年度も保有することを発表。
春先に突如沸き起こった球団消滅の危機から這い上がった栄冠に選手寮も大いに沸きあがり、私も歓喜の渦の中にいた。
けれど心の底から喜べなかった。大地監督胴上げの輪の中に、居て欲しい人がいなかったから。
そして秋季キャンプが始まると同時に、大神ホッパーズが電撃トレードで一人の選手の放出を発表した。その選手は今回の日本一に大きく貢献した若手のホープであり、チーム内から異論の声が相次いだ。
野球選手である彼の部分しか見ていなければ今回のトレードは不可解に思えるだろうが、内幕を知っている私からすれば至極当然の行為だと理解出来た。
彼は間違いなくCCRから送り込まれたエージェントだった。石中を倒したことによりサイボーグ同盟は瓦解した。役目を無事完遂したはいいが、いつまでもホッパーズに籍を入れる必要はない。
だからもう、ここに私の居場所はない。いずれ機会を見て此処を去ることになるだろう。
秋季キャンプを怪我なく無事に終えて選手達が帰って来た。寮に普段の活気が戻った。
一方でチームを去る選手がいそいそと荷造りを始めた。ダンボール箱が寮のあちこちに置かれ、別れの時が刻一刻と近付いているのが判る。
バタバタとした雰囲気の中で、一通の手紙が私の元に渡ってきた。差出人は、彼。
『翌朝5時 貴重品その他必要最小限の荷物を持って勝手口へ』
非常に短い文面。几帳面な性格なのか字体はかなり綺麗だ。
どういう意図があるかわからない。サイボーグ同盟の残党ということで抹殺されるかも知れない。
が、それならばわざわざ貴重品を持たせる理由がない。無防備な状態で闇討ちすれば良いだけの話で、下手に資金を持たせると逃走の幅が広がることになる。
野となれ山となれ。どうなるかわからないが、明日に向けて準備だけはしておくことにした。
翌朝5時。周囲はまだ暗く街灯がチラホラと点いている。
指定された勝手口に行ってみると彼が一人で待っていた。茶色のコートに身を包んだ姿は凛々しく映った。
「お待ちしていました。どうぞこちらへ」
促された先にあったのは一台の車。私が持っていた荷物を預かり、後部座席へ静かに置く。
『最低限の荷物』と書かれていたので旅行用キャリーケース一個に入る分だけの荷物を持ってきた。いつでも逃げれるように荷物は最小限に留めていたこともあるけれど。
助手席側のドアを開けられたので勧められるままに座る。まるで私の執事のような振る舞いが新鮮で、ちょっと楽しい。
そして車は動き出した。どこに行くと告げられないまま発車したが、不安はなかった。
大きな道に出たが車の数はそんなに多くない。快適なくらいスイスイと進んでいく。
「サイボーグ同盟の人なんですよね」
ハンドルを握っている彼が突然ポツリと切り出した。
私の本当の姿を知っていない限り出てこない、核心を突いた一言。それと同時に彼はあちら側の人間であることも確信した。
全身の毛が逆立ち、心臓の鼓動が手に取るように判る。今、隣に座っている男は大神側の人間だ。
だが、私の警戒を察したのか彼はにこやかに微笑みながら続けた。
「大丈夫ですよ。オレは大神から抜けましたから」
大神から抜けた?
一瞬彼が何を言っているのか理解出来なかった。
それから彼は独り言を喋るかのように自分のことを語り始めた。
彼は大神から何も告げられることなく、心の底から悪者であるサイボーグ達を退治するために戦ってきたこと。
大神ホッパーズに不穏な動きがあると睨んで潜入操作官として途中入団選手で加入したこと。
何人かのサイボーグ同盟から逃げ出したサイボーグ達と対峙していく内に何かわからない不信感が芽生えたこと。
ホッパーズのホームスタジアムの地下に隠された秘密工場に潜入したこと。
そして―――石中から自分が所属するCCRの正体を知らされたこと。
壮絶な3年間だった。彼は他人事のように話していたけれど、私が彼の立場だったらあんなに笑って今の話をしていられただろうか。
サイボーグ同盟のみんなもそうだけど、彼もまた普通の人ではない。そしてこれからも普通の人間として生きることを許されない。
「どうして私を助けようとなさるのですか?見た目と違って凶悪な人格の持ち主かも知れないのに」
「あなたはそんな人じゃない」
彼は笑って答えた。穏やかな言葉の中には確固たる信念が見え隠れする。
「以前サイボーグ疑惑があった際に解決の糸口を授けてくれたのはあなただった。あなたは人が傷つくことがイヤな人だ。それが例え敵であったとしても、です」
お陰で私達は大神に復讐するキッカケを一つ失った。その一つを失ったが故にオオガミの研究所を自らの手で潰すことが出来なかったが。
でも後悔も反省もしてない。自分がしてきたことが正しいと今でも信じているから。石中の計画を邪魔したことは謝らなければならないが、手段は間違っていた。
そして、隣にいる彼もまた同じなのだろう。自分が傷つくことは厭わないが、他人が傷つくことは極端に嫌がる。私達似た者同士なのね。
二人を乗せた車はいつしか高速道路に乗り、スイスイと快適なドライブを続けていた。
陽も大分高くなってきた頃、道路標識に空港の文字が見えた。
「ありゃ、尾けられていますね」
ルームミラーを一瞥した彼がそう呟いた。サイドミラーから後方を覗いて見ると、確かに先程から黒色の車がずっと追いかけている。しかも一定の距離を保ちながら。
先に渡しておきますね、と彼は私に小さなセカンドバックを差し出した。
中を拝見すると形が変形するくらいに分厚くふくれあがった財布と、パスポート、それに一枚の航空チケット。
戸籍など存在しないアンドロイドにはパスポートなど発券されるはずがないので、彼が独自に作ったものだろう。精巧な作りなので偽物だと思われない。
航空チケットの行き先は聞いたこともない都市の名前。一体どこに行くのだろうか。
「あなたには幸せな生活を送っていただきたい」
先程よりもやや引き締まった表情で、私に囁いた。
「望んでもない場所で生まれたが為に追い掛け回されるなんて悲劇以外の何物でもない。これからは一人の女性として生きて下さい。これは俺が出来るせめてもの罪滅ぼしですよ」
次の瞬間、私達と追っている車の間に突然一台の車が割り込んできた。かなり強引に入ってきた車は、追ってきた車の進行を妨げるように運転している。
これ幸いとばかりに彼はアクセルを一気に踏み込んだ。右に左に揺れ動く車は鉄壁の守りで追い越させることを許さなかった
「仲間ですか?」と訊ねたら「腐れ縁ですよ」と彼は答えた。敵でも味方でもないけれど、今はこの好機を逃す訳にはいかなかった。
その後無事に空港へ到着して彼とは別れた。心配していた追っ手も、出国審査も、問題なくスムーズに進んだ。
飛行機が飛び立った瞬間、涙がホロリと落ちた。この涙は悲しみから来るものなのか、喜びから来るものなのか、定かではない。
そして私は、南の島で日本料理の店を開いている。
オオガミの魔の手はのんびりとした時間が流れるこの島まで追ってこない。島の人達も外から来た私の面倒を見てくれてとても助かっている。
失ったものは多いけれど、私は今こうして生きている。一人の人間として。
END
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