冷たい仮面の下に隠れていた甘いマスク






 私こと本多美奈子は、ふとした瞬間から一つの疑問を抱いた。
 主に野球を題材にして記事にしているパワスポの一記者として在籍している編集部には、多くの記録が残されている。
 プロ野球の公式記録から高校野球地方予選の詳細な試合結果、はたまたどこから仕入れたのか知らないが球団スカウトが目をつけたドラフト候補リストのメモなど比較的簡単に手に入るものからお宝鑑定団に出せば確実に三桁をつけるような代物まで多数保管している。
 その中で私が目をつけたのは、比較的新しい記録である。数年前の甲子園の試合結果を記した記録と大学野球の公式記録である。
 甲子園の記録には春夏連覇を成し遂げた投手の名前が記されていた。1年夏から2年夏まで全て一人で完投している上に全部の試合で勝ち星を上げている。
 高校卒業後は大学に進学して、大学野球選手権優勝など輝かしい成績を残した。高校・大学と通じて大活躍をしている選手なら、プロに入っても活躍が約束されているはずなのに、その選手の名前は突然消えてしまった。勿論プロ野球球団に入団した痕跡も全くない。
 詳しいことはわからないが何かあったのだろうか。この名前を見れば見る程興味が湧いてくる。
 興味を持ったらどうするか。私は誰だ。私は雑誌記者だ。知りたいことがあったら取材するに限る。
 早速編集長の元に取材許可のお伺いを立てに行く。案外簡単に通ったので、早速取材に出掛けることにした。
 ある程度資料をまとめようとしたが、その情報はあまりにも乏しかった。入学年度と名前くらいで学生時代のエピソードなんかも全く見つからない。それが逆に好奇心を擽るのだが。
 彼の名前は“山口賢”。今どこで何をしているのか知らないが絶対に見つけ出してやる。この時の私は情熱に燃えていた。



 【 冷たい仮面の下に隠れていた甘いマスク 】



 彼は現在ミゾットスポーツの社員であることがわかったのは、6月も終わりに近づいた頃だった。
 ミゾットスポーツと言えばプロスポーツ選手からアマチュアまで幅広い選手層に人気のスポーツ用具メーカーで、その知名度はかなり高い。
 その大手メーカーの地方支社に勤務していることをキャッチして、早速アプローチをかけてみた。
 内容は『高校時代・大学時代のお話をお聞きしたいのですが』というやや曖昧な表現だったが、先方はすんなりOKしてくれた。断られてもおかしくないのに取材に協力していただけるとは、記者としては非常にありがたいことである。
 日時は再来週の日曜日午後ということで決まった。今から会うのが楽しみである。

 約束の当日。雲ひとつない快晴だった。太陽を隠すものがないのでアスファルトに覆われた都会は灼熱の大地と化していた。
 オフィス郡からやや離れたとあるカフェで会う約束をしていた。店側にも取材で使う旨を伝えているので万事万端といったところか。
 このカフェ、実は私がプライベートで利用しているのだ。落ち着いた雰囲気の店内にはマスター特製のコーヒーの香りが漂っていて非常に居心地が良いのである。この場所ならば相手も話しやすいかなということでチョイスしたのだ。
 私は早めに現場入りして、今回の取材対象者である山口賢のデータについて振り返ることにした。
 [帝王実業高校に入学。1年生ながら140キロ後半の速球と切れ味鋭いフォークを武器にしてエースナンバー1を背負う。
 地方予選から類稀なる才能を如何なく発揮し、夏の甲子園で優勝投手に。この後2年間“常勝軍団”の象徴として君臨し続ける。
 だが2年の春にはあかつき大付属高校に決勝で敗北するという、初めての挫折を経験する。
 雪辱を誓った夏の大会では準決勝でアンドロメダ高校の猛打に対して10点を奪われる大敗。高校3年最後の夏は悔しい結果に終わる。
 一部プロ野球から獲得の意向を示されていたが、本人はプロ志望届を出願せず帝王大学に進学する。
 大学に入ってからもその実力は存分に活かされる。低迷期にあった帝王大学を大学野球選手権で優勝に導くばかりではなく、個人成績も順調に伸ばした。どこまで成績を伸ばせるか、また記録の更新という周囲の期待があった。
 しかし大学4年秋の大会には登板どころかベンチ入りもせず、そのまま大学生活最後の大会を終える。
 大学時代の実績からプロからもお呼びがあっても良いはずなのに、またしても指名されず。その後山口は野球界から姿を消す]
 今日は特別にVTRも用意した。高校時代・大学時代の山口を撮影したメディア記録を映し出すため、である。
 過去を振り返るためには本人の語りだけではなく映像も必要だ。自分の記憶や感じたことは確かに大切だが、第三者が録った映像を見て思い出すことがあるからかも知れないからだ。
 そんな私は昨晩興奮してなかなか寝付けず、若干寝不足気味であった。今日早めに現場に入ったのもいつもより早く目が覚めたことが影響しているからかも知れない。
 マスターにコーヒー(砂糖多め・ミルクたっぷり)を注文して、気持ちを落ち着かせる。カメラだって用意してあるのだから、そちらの準備もしっかりしておかないと。
 ようやく頭の中も整理されて冷静になってきた頃、一人の青年が店に入ってきた。エメラルドのような透き通った緑色の髪を少し後ろで束ね、顔立ちもすっきりとしているイケメンに分類されるタイプの顔。
 男性はキョロキョロと誰かを捜している様子だったが、私の姿を見てこちらの方に近づいてきた。
 「あの、すみません」
 男の人独特の低音で渋い声ではなく、やや高めでハスキーな声だった。こんな顔でこの声なら俳優とかミュージシャンでスカウトされてもおかしくないのに。私は声をかけてきた男性をその程度の認識しか持っていなかった。
 ボーっと相手の顔を見ていると、やや緊張した面持ちで話しかけてきた。
 「本多さんでしょうか?」
 アレ?なんでこの人私の名前を知っているの?もしかして……この人が山口さん!?
 取材対象者の顔を覚えていないという大失態を犯してしまった。だってあまりにもイメージとかけ離れているんだもん!と心の中で叫んだ。
 写真や映像に映っている山口というのは帽子を目深に被っていて、それでいて帽子のつばからキラリと光る眼光が鋭く、相手を近寄らせないオーラを体中に纏っている姿であった。今目の前にいる姿が別人だとしか思えない。
 「初めまして、山口賢と申します」
 にこやか且つ爽やかな笑顔と共に右手を差し出してきた。私の手も自然と伸びる。手と手が結ばれた時、やはり大きいと実感した。
 ゴツゴツとした肌と一回り大きな手に包まれる感覚で一瞬ドキッとしてしまう。単なる握手なのにときめいてしまうとは。
 続けて名刺交換を行う。山口から手渡された名刺には“ミゾットスポーツ 経理課”と記されていた。確かミゾットスポーツは野球部があったはずだが、山口は在籍しているのだろうかとふと思った。
 形式的な挨拶もそこそこに済ませると、私はカメラを手にして雑誌掲載用の写真を撮ることにした。写真撮影を確認すると、本人は快諾してくれた。
 ライターとして文章を書くことには慣れてきたが、こうして被写体をレンズを通して記録することにはまだ慣れていない。何枚か撮影したが、上手く撮れたと思えるものはないので多分ボツだろう。
 撮影を終えてカメラを片付けたら、テーブルの上にレコーダーを置いて取材準備完了。早速山口さんのことについて聞いていくことにする。



* * * * *



 ―――帽子被ってないと全然イメージ違いますね

 山口 : よく言われます。帽子を被るとスイッチが入るみたいに、集中できるんです。あと怖いから誰も近づかなくなりますし(はにかんだ笑顔) なので、監督から『お前はずっと帽子を被っていろ!』って言われていたんです。だから応援に来てくれた女性ファンもこの姿を見て一歩引いてしまって女避けにもなっていたようです。

 ―――成る程、高校生離れした貫禄にはそんな裏話があったのですね。

 ―――高校1年夏から2年春の決勝まで負けなしで、しかも完投。記録にはありませんが、なかなか打ち立てられない成績ですよ。

 山口 : たまたま結果がついてきただけです。ウチの高校(帝王実業)は打撃が売りのチームでしたから、野手に援けられた面が大きいですよ。私は打撃が得意じゃなかったのでバント練習ばかりしていました。お陰でバントだけはチームの中でも上位に入るくらい上手かったんですよ。
 ※確かに山口の打率は地方予選・甲子園共に高くはない。だがバントの数は他選手と比べて倍以上記録している。

 ―――いえいえ、そんなことないですよ。打者の手元で落ちるフォークを武器にして三振の山を築くだけではなく、ピンチになっても動じずしっかりと自分の投球が出来る山口さんがいたからこそ、素晴らしい成績に繋がったのだと思います。思い出がある試合などありましたらお聞かせいただけないでしょうか?

 山口 : 悔しい思い出なら幾つかあるんですがね……最後の夏に二桁失点してしまってチームのみんなに申し訳ない思いをさせたとか。

 ―――あぁ、あの試合ですか……

 最後の夏、帝王実業の前に立ちはだかったのは準決勝で対戦したアンドロメダ学園であった。
 初出場の高校ながら圧倒的な破壊力を持つ打線と地味ではあるが堅実な守備で着実に勝ち進んできた。ただアンドロメダが勝ち進んできたブロックには強豪校がおらず、実力は未知数な部分も多かった。
 それに加えてエースの大西は150キロを超える速球と多彩な変化球を兼ね備えた本格左腕だったが、制球にやや難があった。これまでの試合も完封した試合はなく、四球も多かった。これがアンドロメダ学園の付け入る隙であった。
 一方の帝王実業は春の大会で甲子園決勝で敗れたものの、優勝を3回経験したメンバーが多く在籍しており、山口も春に比べて制球力・持久力もアップしてここまで危なげなく勝ち進んできた。
 これらのことを踏まえて双方を比べると、ややチームとしては似ている部分はあるが総合力や実績を考慮すると帝王実業の方が一枚上だと見ていた。これは識者も高校野球ファンも同じ見解である。
 そして試合が始まると同時に、甲子園を埋め尽くした観客は息を呑む展開になった。
 初回に山口がアンドロメダ学園の打線の前に4点を奪われる。打者の手前で鋭く落ちるフォークも完全に見極められ、低めのボールでも外野の頭を抜ける長打になる。
 反撃したい帝王実業の前には程よく荒れた球を放つ大西を捉えることが出来ない。速球に詰まらされ、変化球にバットが空を切る。焦って高めの釣り球を球威に押される形で振らされる。
 これ以上失点したくない山口であったが、ある時はコンパクトに流され、またある時はフルスイングして引っ張られ、失点が積み重なっていく。
 結局試合は10-3でアンドロメダ学園が勝利。山口最後の夏は決勝の舞台に立つことも出来ず甲子園を去ることになった。

 山口 : 調子は悪くなかったんですが、ちょっと相手に負けてしまった自分がいたのかも知れません。みんな血の気が無いと言いますか、ロボットみたいに感情の起伏が無い平坦な表情だったんですよ。それがなんだか不気味に思えてしまって。試合が始まっても無表情で打ち返していくんですよ。でも長打打っても得点挙げても誰も喜ばないんです。普通だったら感情に任せて吼えるとかガッツポーズをしたりするんですが、誰もしないんですよ。おまけにあっちはユニフォーム汚れていないんです。試合が終わるまで真っ白。こんなこと有り得ますか?試合が終わった後、自分を責めました。『俺が抑えればこんなことにはならなかった』って。でもチームメイトから『よく投げてくれた、ありがとう』と言われて少し気持ちが楽になりました。気持ちが楽になったら突然涙が溢れてきて、こっそり泣いていました。負けてから学校に帰るまで整然としていられたのは、ベンチ裏で誰にも見られないように涙を流していたお陰なんです。

 最後の夏を終えて、舞台はドラフト会議に移る。
 世間からも注目の的となった黄金サウスポー・猪狩守は10球団が指名。その後プロ入りした後は新人王・最多勝・最多奪三振など数々の賞を総なめにする。
 その他にも初の女性投手・早川あおい、快速が売りなマニアック少年・矢部などこの後活躍する選手がドラフトで選ばれた。
 このことから猪狩守と同年代の選手を俗に“猪狩世代”と呼ばれることになる。

 ―――山口さんはプロ志望届を提出されませんでしたが、何故でしょうか?非公式にも獲得の意向を打診していたとの情報もありましたが。

 山口 : プロの方からそういったお話があったことは事実です。ただ、春夏連覇をしたというプライドがありましたので1位指名確約を条件にしたら、どなたも約束していただけませんでした。やはり帝王実業は打力が自慢でしたので過小評価されていたのではないかと推測します。それに夏の準決勝であれだけ失点していましたから評価が下がっていたのでしょうね。結局10球団が猪狩守君を指名したので、私が志望届を出さなくて正解だったと思います。出していたらどんなことになっていたのか想像もつきませんね。

 ―――世間的には春夏連覇した山口よりも人気のある猪狩守を選んだということですが、そのことについて当時はどのように思っていましたか?

 山口 : それはやはり嬉しくないですよ、実際あかつき大付属とは何回も対戦して勝っていましたし。『なにくそ』って思いでした。今は素晴らしい投手だと率直に褒め称えることが出来ますが、当時はとてもとても言えませんでした。自分の方が数倍上だって信じていましたし。



 ―――帝王実業高校から帝王大学へ進学されてからも、その活躍は留まることを知りません。寧ろ加速していきました。大学のリーグ戦でも連戦連勝、全国大会のトーナメントでは毎試合のように登板してチームの勝利に貢献。その当時のことについてお聞かせ願いますか?

 山口 : 地区予選は各チーム総当たり戦方式なので、試合が毎日のようにあるんです。流石に全部の試合に投げることは監督が許してくれませんでしたが、先発した次の試合もブルペンに入っていつでもいけるように準備はしていました。ただ、高校時代より増して勝利への執念が強くなりました。あんな悔しい思いは二度とゴメンだ!って、練習でも常に全力投球していましたし。

* * * * *

 山口さんがこの時遠い目をしていたことに、私は気付くことは無かった。取材に対して全身全霊傾けてしまい、対象者の観察を怠ってしまうミスをしてしまうが、今の私には気付く術もなかった。

* * * * *

 ―――チームは破竹の勢い、帝王大学を高校時代に続いて黄金時代へと導く原動力となります。そして個人成績も過去の偉人の記録へと近づいていきます。勝利数、奪三振数、防御率といった数字は近年稀に見る好成績ということでプロからも注目を集めるようになりました。そんな中、山口さんは4年夏の登板を最後に姿を消してしまいました。何かあったのでしょうか?

* * * * *



 純粋な疑問だった。私が突きたかった最も謎が残る点。これだけ優秀な成績を収めていながら、突如野球から遠ざかった理由を明かしたかった。
 それまで私の問いかけに何の淀みなく答えていた山口さんだったが、一変して口が重くなってしまった。
 目の前にあるコーヒーに口をつけ、窓の外に広がる西洋風庭園に視線を送る。穏やかな表情ではあるが、一向に喋ろうとする気配は全く無い。
 私はそんな山口さんの顔をじっと見つめた。私の問いかけに答えてくれるのを、ひたすら待った。
 暫く窓の外を眺めていた山口さんがふと私と視線が合った時、やや困惑した表情が滲んでいた。何かを躊躇っている、と私の勘が囁いた。女の勘は当たるのよ、って何かのドラマで言っていたような気がするので、決して間違っていないと思った。
 さらに目線を落としてカップの淵をそのしなやかな指でそっと撫でる。その姿が様になっていてまるで映画のワンシーンのようにも映ったが、今の私にはそんなことは気にもならなかった。
 欲しいのは、言葉だ。偽らざる真実を、求めていた。
 食い入るように見つめる視線に根負けしたのか、山口さんはフゥと一息ついた。顔を上げたその表情に、迷いは見えなかった。
 「……実は、大学4年の夏に肩を痛めてしまいまして」
 ゆっくりと、弱々しく、言葉を選ぶようにゆっくりと山口さんは語り始めた。紡ぎ出される言葉を、私は一字一句聞き漏らすまいと必死になっていた。
 「甲子園で負けた時の悔しさや不甲斐なさを、もう味わいたくないということで必死になってました。朝早くグラウンドに一番乗りで入って、皆が帰ってから当直の人が呼びに来るまでという生活でした。
 試合に勝ち続けることで“常勝帝王”の名を汚すことは無かったのですが、勝ち続けていても練習していても安心することはありませんでした」
 笑みを湛えて話していた先程とは一転してやや俯き加減で表情に暗さを残して話を進めていく山口さん。その表情に自分自身胸に刺さるものがあったが、グッと堪える。
 聞いたのは自分だ。こんな展開になったのは私のせいだ。
 それに私は駆け出しでもプロのライター。ある程度自己の感情は殺し、取材対象者の思いを受け止めなければならない義務がある。
 「流石に大学生相手では高校生の時のように簡単に抑えることは出来ませんでした。簡単に空振りを奪えたフォークですら、上級生相手では簡単に振ってくれませんでしたし、直球も少しでも甘いと痛打されてしまいました。
 そこで考えたんです、的を絞らせないためにはどうすれば良いのかを。その一つの方策として考えたのが新球種の開発でした」
 確かに山口さんは大学時代、それまでの武器であった打者の手前で鋭く落ちるフォークと打者のタイミングを外すカーブの他にシュート系のボールを投げていたというデータが残っている。
 組み立て自体は高校時代と大差はなかったが、時々シュートを挟むことによって狙い球を絞りにくくする効果があった。右打者の内角にシュート系のボールを放ることで凡打に打ち取りやすくなるメリットもあった。
 だが、メリットだけではなかった。新たな変化球を習得するということは、それだけ自分の体に負担がかかるということだ。負荷がかかることにより、肩や肘の磨耗も激しくなり、その結果選手生命を短くする危険性があった。
 少しでも選手生命を長くするためには、徹底管理された練習メニューと適度な休息が必要不可欠である。練習漬けの山口は自分の選手生命を削ってまで勝ちにこだわっているとしか見えなかった。
 「今振り返れば明らかにオーバーワークでした。練習が休みの日でも過酷な自主練習を繰り返し行っていましたし、ボールを投げない日なんて一日もありませんでしたから。
 それによって自分の体を蝕んでいくなんて、夢にも思いませんでした。あの時は一にも二にも勝利という考えで固まりきっていましたから」
 「そして、大学4年の夏に肩を壊した、と」
 「最初は何が起こったのか全くわかりませんでした。いきなり右肩に激痛が起こって痛さのあまりに立っていられませんでした。ちょっとでも動かせば肉が骨から千切れそうなくらいでしたから。
 病院に運ばれて、医者から『貴方は二度と野球をすることが出来ません』と言われた時は目の前が真っ暗になりましたね。これまで勝ちをもたらすことだけが自分の存在意義だと思っていましたので。
 医者の診立てでは運ばれてきた時にはもう手遅れだったようです。肩の健は完全に切れ、肘もいつ壊れてもおかしくない状態まで進行していたと告げられました。
 まぁ、日常生活を送る上では問題ないことについては不幸中の幸いでしたね。こうして普通に物を握ったり、持ち上げたりすることは出来ますけれど……」
 山口さんは言いながら右手で物を掴んだり、掴みながら腕を上下させたりしてみせてくれた。何気ない動作も、今の話を聞かされた後だったら奇跡の所業と思えても仕方がない。
 ただ、今の私にはそれまでの全てを注ぎ込んできた野球というものから見放された当時の山口さんの心中を、表現できるとは思えなかった。
 私の胸の中にドスンと大きな重石が降って来たような気分だ。心が震えて目尻に涙が溜まってきたのが自分でもよくわかる。
 ポケットの中にしまっておいたハンカチで軽く拭ってから、質問を続ける。
 「しかし、野球が出来ない体となっては就職試験も大変だったでしょう」
 「内々に上位指名するというお話は春の段階で何球団かあったみたいです。ですが、このような有様になったので当然の如く全て流れてしまいました。
 スポーツ推薦入学選手でしたが、それまでの実績を考慮されて卒業するのに単位が足りないなんて事態にはなりませんでした。
 肝心の就職ですけれど、粗方採用試験は春の段階で締め切っている会社が多かったですけれど、なんとか今の会社に入社することが出来ました」
 ここで私は再度名刺に目を落とす。先程も確認したが、山口さんはミゾットスポーツの社員だ。
 ミゾットスポーツはプロ野球選手の中でも愛好家が多いスポーツ用具メーカーで、野球のみならずバスケットボールやサッカーなど幅広いスポーツで機材や用品を卸している。
 恐らく大学野球で名を馳せたという実績が山口さんの選考をプラスに働かせたのだろうと推測できる。経理を任されている程だから、学力に関しては問題なかったのだろう。
 「何故ミゾットスポーツを選んだのですか?」
 これも単純な疑問だった。何の気もない質問である。
 「就職活動を始める時期が遅かったので、選べる程余裕はありませんでした。大方の企業は春先には内定を出していますので……偶然にも二次採用という形で残っていたミゾットスポーツに応募したら受かった、というところでしょうか。
 それに、怪我で断念こそしましたが、野球自体には愛着がありました。将来的には、スポーツメーカーの一社員として、または指導者として野球選手を育てたり支えたりするのが希望でした」
 話題が変わったからか、山口さんの表情に若干の笑みが戻ってきた。会った時のような弾ける笑顔とは程遠いが、先程から比べると大分表情が明るい。
 山口さんなら実績も申し分ないし、不謹慎かも知れないが怪我で野球を辞めざるを得ない事態にまで発展したので体調管理もしっかり出来るだろう。多分ではあるがもしも山口さんが指導者になったら良いコーチになるだろう、と推察する。
 私はコーヒーを口にして手帳にこれまでのことを大まかに記していると、私の様子を見て山口さんはクスリと笑った。
 何か粗相したのかな?私が不思議に思っていると、山口さんが再び話し始めた。
 「気を悪くしないで下さい。あなたの仕事熱心ぶりが部下の者と被って見えましたので……」
 山口さんの年齢は20代半ば。そろそろ部下がいてもおかしくない年代だ。
 これは取材とは関係ないのだがその部下のことについて聞いてみる。すると、山口さんは笑顔で答えてくれた。
 「何事にも本気で取り組む、いい青年です。ちょっと無鉄砲なところがあるのでそこが危なく思えてくるのですが、常に最前線に立って物事を推し進めるので周囲からも期待されています。
 彼は野球部に所属していて、やはりプレイスタイルも仕事と同じでガンガンみんなを引っ張っていくところがありました。ただ私はこんな体になってしまったので、野球部には所属しないで仕事一筋の人間として生きていました。
 技術は持っているけれど実際にプレイすることは叶わない人間が野球部にいても無駄としか思えないからです。そして、私みたいな悲劇を見たくなかったから、野球部には入らなかったのです。
 外見では野球と関わることを避けていましたが、内心では色々とアドバイスしたいと思っていました」
 活き活きと話す山口さんの言葉を私は静かに頷く。
 「ある日、彼が練習しているところを偶然見かけたのですが、体に余計な負荷がかかるような練習をしているのですよ。彼は気付いていないかも知れないが、私は一度体を壊している身だからこそわかるんです。
 今はいいかも知れないが、それが積み重なったら間違いなく体を壊してしまう。それでも気付いていない彼は無我夢中で練習している姿がどこか昔の私と重なっているように見えて、つい口に出してしまいました」
 「そうしたら、彼はどのような反応を?」
 「彼は素直に私の忠告を受け入れて、見事に身に着けてしまいました。彼は私の野球技術の高さを見抜いてしまったらしく『是非野球部に入ってください!』と強くせがんできました。
 私は固辞しようと思ったのですが、彼の真っ直ぐな思いに根負けしてしまい、野球部に参加することにしました」
 「再び野球を……しかし大学時代に肩を壊したのでは?」
 山口さんにとって忘れてしまいたい過去の象徴とも言うべき野球というスポーツを再び始めるということは、相当辛いものがあったに違いない。
 だが、これだけはわかる。消してしまいたいくらいに嫌な思い出があっても、野球そのものを嫌いになることは出来なかった。心の底から好きな野球に蓋をするのに限界だったのかも知れない。
 しかし思いだけで出来るものではない。山口さんには肩を壊して野球が出来ない体になってしまった。打ったり走ったり守ったりすることが出来ても投げられなければ野球というスポーツをプレーすることが非常に困難である。
 一体どうやって野球をするのか。一人色々と推考していると、山口さんが謎を解くヒントを出してくれた。
 「次の週の土曜日に、野球をするところをお見せいたします。場所はまだ決まっていませんが、決まり次第連絡いたします」
 何を見せてくれるのか教えてくれないままこの日の取材は終わりになった。その後連絡先の確認や当日の打ち合わせなどを済ませると山口さんは何度も頭を下げてその場を辞した。
 そして私はこの日の会計を払い、今日の内容を一度まとめるべく編集部に戻ることにした。最後の方は特に話を聞くことに集中していてメモを取れなかったので、録音した内容から話を要約せねばならなかった。



 そして約束の土曜日。爽やかな空が広がった朝であった。朝9時前に山口さんから『正午に市民球場へ来て下さい』と連絡があったので、球場へと直行した。
 球場に来てみると、そこには社会人野球チームが試合を行っていた。地区総当りのリーグ戦をしているらしく、色々なユニフォームの選手が球場内をウロウロしていた。
 様々な色のユニフォームを探しているが、ミゾットスポーツと思しきユニフォームは見当たらなかった。会社名で最初は探していたが、あまりにも見つからないので山口さんの顔を頼りに探すことに切り替えた。
 そこへ「本多さん」と声がかかる。これだけ多くの人の中で私を知っている人は一人しかいない。山口さんだった。
 山口さんの方へ駆けていくと意外にもスーツ姿であった。ユニフォーム姿の人だらけの中で一人だけスーツ姿というのも浮いているとは思うが。……雑誌のフリーライターがもぐりこんでいるのも浮いているので人のことは言えないが。
 前の時のお話では『野球をするところをお見せする』と言っていたのだが、今の格好ではとてもそうとは思えない。ピシッと上下スーツで決めてビジネスバッグを片手に持っている姿からは仕事中のサラリーマンとしか思えない。
 と、そこへ山口さんの携帯に一本の電話が入る。電話の相手はわからないが、何か商談でもしているような感じである。
 電話を終えて開口一番山口さんは動き出した。私に何も告げずに歩き出したので少し驚いたが、立ち尽くしている暇もない。
 駆け込んだのはロッカールーム。流石に山口さんの着替えを拝見する訳にもいかないので、ロッカールーム前で私は待機。待機していると選手と思われる人がこちらをジロジロと興味深そうに見てくる視線がなんだか痛い。
 山口さんがロッカールームから出てきた時には“パワフル物産”と記されたユニフォームを身に纏っていた。帽子とグラブを抱えて、いつの間にかスパイクまで履いている。あのビジネスバッグに入るとは到底考えられないので、どのように収納したのか不思議である。
 着替えが終わった山口さんはそのまま一塁側ベンチへと直行した。後についてベンチに入ると、緊迫した雰囲気に包まれていた。
 「おぉ、山口君。待っていたよ」
 山口さんの姿を見てすかさず近寄ってきたのは、恐らくこのチームを率いるキャプテンと思われる人物。端整な顔立ちをしていて、それでいて渋い。ちょっと年が高いけれど、そこがまたダンディーさを生み出しているのかも知れない。
 笑みを湛えているが、他の選手は皆表情が引き締まっている。チラッとグラウンドの方に目を移すと何故こうなっているのか見当がついた。助っ人としてこの球場に来たのだ。
 1点リードして迎えた九回裏の守備。現在ノーアウトでランナーが一塁。塁上にいるランナーが帰れば同点で、バッターがホームに戻ってくれば逆転サヨナラ。
 マウンドに上がっている投手の表情を伺うと、どうも顔が青い。よくピンチに弱い投手を“ノミの心臓”と呼ぶが、今の投手にこそ当てはまるだろう。
 制球が覚束ないのか、ボールが先行している。リリーフとして送り出したがイマイチ信用されていないみたいで、ベンチ内は慌しさを肌で感じれる。
 「嶋田さん、早速ですが条件の確認を」
 「先程も話したが、この回を無事に抑えてくれることが最低条件だ。出来れば三者三振というのがベストだが……」
 結局ボールがストライクゾーンに入ることなくフォアボール。ランナーは二塁に進み、逆転サヨナラのランナーも出てしまった。相手ベンチは完全にイケイケムードでテンションが高い。
 堪りかねてキャッチャーがマウンドに駆け寄る。既に真っ白な顔をした投手に励みも叱咤も利かない状態なので、間を置くことで状況を打開して欲しいというキャッチャーの気配りである。
 「報酬条件は」
 「200万円分の取引だ。結果次第ではボーナスを出すが、負けてしまえばこの話は無かったということで」
 キャッチャーが再び腰を下ろす。試合が再開されたがピッチャーの顔色は全く変わっていない。
 『とにかく腕を振れ』と言わんばかりのジェスチャーをしてピッチャーの奮起を促すが、どうも腰が据わっていない。甘いコースに放り込まれたボールは簡単に弾き返され、三遊間を抜けていく。
 幸いにも二塁ランナーが三塁で止まったので同点とはいかなかったが、後はなくなった。ヒットが出れば一気にサヨナラとなりかねない最大のピンチである。
 「嶋田さん」
 再び山口さんがキャプテンを呼ぶ。嶋田と呼ばれた人は苦渋の表情を浮かべていた。
 「……わかった、250万でどうだ」
 「お受け致します」
 嶋田の答えに即答した。山口さんは帽子を目深に被ってベンチから出て行った。
 帽子を被った山口さんの顔は、高校・大学時代と全く同じそのものであった。先程までの温和で柔らかい表情をしていたのが嘘のようである。
 マウンドに上がって球を受け取ると、おもむろに投球練習を始める。投球フォームも高校・大学時代とほぼ同じだが、一つだけ違うのは、利き腕。
 グラブを右手に着け、左で投げている。右肩を壊して一度は野球を捨てたのだが、左投げとして甦ったのだった。
 私もこの場で初めて山口さんの投球を生で見るのだが、その実力に不安はあった。過去の実績があるにしても、実際左投げに転向して実力がどうなのかはわからない。
 投球練習を終えてロージンパックを手に取る。威風堂々とマウンドに君臨するその姿にプレッシャーを感じる。
 ワイルドピッチもフォアボールも深い位置の内野ゴロも許されないこの状況。山口さんは果たしてどう切り抜けるのか。
 その初球。内角低めへのストレートを打者は見逃し。ゆったりと繰り出されるダイナミックなフォームに息を呑んだが、その投球にも驚きを隠せなかった。
 球場のスピードガンで142キロを計測していた。休日に遊び感覚で野球を嗜んでいる人々からすれば桁違いのスピードであった。早いだけではなくて角度もあるので余計に打ちづらい。先程の打者は悠々と見逃したのではなく、ただ単に手が出なかっただけである。
 二球目も全く同じコースに直球を放る。打者は今回も見逃し。スピードガンは145キロと先程から3キロ増し。初球は肩が慣れていないだけだったのか。
 そして三球目。高めの釣り球にバットが空を切る。ハチャメチャなタイミングで振っている上にスイングにも腰が入っていないので当たる筈がなかった。
 三球で三振に仕留めて次の打者。バッターボックスに入る前からバットを短く持っているので、恐らく狙いはストレート。
 ネクストで待っていた時も山口さんのストレートにタイミングを合わせていたし、スイング自体もコンパクトで振りも鋭い。先程の打者とは格が違うようだ。
 果たして山口さんはどうやって料理するのか。私はマウンドの山口さんに釘付けだった。
 大きく振りかぶって第一球。またしてもストレート。足は踏み込んだけれどバットは振らない。
 恐らく打席に立ってどのような球なのか観察したのだろう。遠くから見るのと近くで見るのでは大分感覚にズレが生じるため、その調整のために打席でタイミングを掴もうとしていた。
 次の球もストレート。今度は振ったが、ボールは彼方後方へと飛んでいく。若干振り始めるのが早かったがタイミングはバッチリ掴んでいる。この点だけ見ると打者もそこら辺のバッターとは違うことがわかる。
 しかし打者はここで一度打席を外した。手が痺れたみたいで、一度手袋を外してブラブラと外の空気に当てている。ただ早いだけではなくて球質が重たいことを示している。
 気を取り直して三球目。ここまで五球連続でストレートを投げ続けているだけあってストレートにタイミングが合ってきている。一打出ればサヨナラの状況で、一流品のストレートだけで勝負するには余りにも厳しい。
 固唾を呑んで見守る運命の球。
 なんとコースも高さもど真ん中。バッターは先程と同じようにストレートを狙い撃ちにするべく迎え撃つ態勢を整えている。
 すっぽ抜けたのか。私もバッターも球場の誰もがそう思ったであった。
 打者の手前でいきなり鋭く落ち始めたのだ。ストレートのタイミングで待っていたバッターはボールを追いかけてバットを出すもののボールは遥か下を悠々と落下していった。
 落ち始めたボールは急降下を続けて最終的には真ん中低めのボールゾーンにまで到達してキャッチャーミットに収まった。二者連続三振。
 私はあれだけ落差があって、打者の手前で鋭く落ちる変化球を生で見たのは初めてだ。過去のVTRでは何度か目にしていたが、この目で生で見るのは初。
 これこそ山口さんの真骨頂とも言うべき、フォークである。
 打者から見れば「いきなり視界から消えてしまう」とまで言われ、高校・大学を通じてそのフォークを武器にして数々の栄冠を獲得してきた相棒のような存在である。
 左投げに転向していたので変化球はどうなっているのかと心配したが、これまでの武器であったフォークまで完璧に再現されているのだから完全復活に近い仕上がりだと言っても過言ではないだろう。
 そしてツーアウト。内野ゴロでもサヨナラ負けの危険性は回避したが、ヒットが出れば即負けという状況に変わりは無い。ここで相手ベンチも動いた。代打を送り込んできた。
 打席にはかなり大柄な選手が入った。まるで達磨のような髭を蓄えていて貫禄がある。
 「……大砲だ」
 隣にいる嶋田が呟いた。大豊、大鵬と頭の中で音と漢字を一致させようとするがなかなか出てこない。
 「大砲製鉄の大砲。その昔野球のW杯日本代表に選ばれた三塁手だ。豪快なバッティングが持ち味で一時期はプロのスカウトも目をつけていたが、打撃以外が評価されずに見送りになったらしい。最近見なくなったが、助っ人稼業をしていたなんて」
 スカウトも一目置いた存在。それから大分経過するが長打力はまだまだ衰えを知らない。なかなか見応えのある好カードだ。
 構える姿もどっしりしていて威風堂々としている。対する山口さんはただじっとマウンドで大砲が落ち着くのを待つ。
 サインのやり取りを終えて注目の初球。内角高めへのストレート。
 腰を大きく捻って体全体で振り抜いた打球は勢い良く三塁線を大きく割り、そのまま球場の外まで飛んでいってしまった。
 やや内角に外した球ではあったが、これがもしもボール数個分内側に入っていたとすれば、間違いなくホームランになっていたであろう。
 手応えを感じているのか大砲はニヤリと笑った。絶対に打てないという不安がそこには微塵も感じられない。対する山口さんは表情を一つも変えずマウンドに君臨している。
 次の球。内角に喰い込んでくる変化球をファールに。やや差し込まれたのかボールは三塁側フェンスにぶつかった。
 何を投げたのかはっきりとはわからないが、曲がり方や落ち方などから恐らくスライダーだと推測する。キレがあって変化量が少ないのでカットボールのような用途で使っているものと思われる。
 これにも大砲は驚きもせず、じっと山口さんを見据えた。カウントはツーストライクで大砲には後が無い。
 そして運命の三球目。外寄りの真ん中より少し低めのコースに先程の変化球とほぼ同じくらいのスピードのボールが放たれた。
 (ウィニングショットのフォーク!)私は直感でこの球をフォークと睨んだ。打ち気満々の大砲を誘い、落差が大きいフォークで空振りを狙うと予想する。
 だが大砲も名の知れたバッターだけあって山口さんの意図を読んでいた。その球が誘い球だと見てバットを出そうとはしなかった。
 前の打席で山口さんのフォークは一度その目で見ている。真ん中の高さで変化したら最終的にはボールゾーンにまで落ちることがわかっているので、手を出せば当てられないことはわかっていた。
 ただガムシャラにバットを振り回すだけではなく、時には冷静に対処する。並の打者では至らない考えである。
 やはり打者の手前で急激に落ち始めた。ストライクゾーンから外れるように……いや、キレは変わらないが変化量は前の打者の時より比べて少ない。
 変化する分が少なかったため、外角低めの隅を突いてキャッチャーミットに収まった。審判はストライクを宣告した。
 「なかなか骨があるヤツだが、我の球を全て見切ったような考えなど百年早いわ。我の前に立つならば死ぬ気でかかってこい」
 三者三球三振。山口さんはマウンドの中央で仁王立ちしていた。一方の大砲は最後の球に全く手が出なかった。顔には若干の笑みが浮かんでいた。
 私は今まで山口さんの凄さに圧倒されっぱなしだった。記録用のカメラを手に持っていたが構えることすら躊躇われた。ようやく自分を取り戻して慌てて一枚撮る。
 ベンチに戻ってくる姿も周囲を容易に近づけさせないオーラすら漂わせていた。“帽子を被ると人が変わる”と話していたが、本当にそうなんだと改めて実感させられた。
 野手陣は山口さんを避けるようにしてベンチに戻ってくると、嶋田が懐を開いて待っていた。
 「いやいや素晴らしかったよ、山口君」
 手放しで喜んでいる嶋田の手は握手を求めている。山口はスッと帽子を外す。
 「いえいえ、これからもよろしくお願い致します」
 一瞬にして優しい山口さんに戻って嶋田の空いている手を握った。
 嶋田の様子を見てようやくチームメイトも山口さんに近付いて話しかける。山口さんは笑みを浮かべてチームメイト達とのスキンシップに応える。
 そしてその様子をただ茫然と見ているだけの私は、いつ話しかければ良いのかタイミングを掴みかねていた。
 すると山口さんは私の姿を見つけて「上で話しましょうか」と声をかけてきてくれた。私はお言葉に甘えて山口さんの提案に乗ることにした。

 「あれが答えです」
 誰もいない球場の観客席に二人で座った。試合を見に球場へ足を運んだことはあるけれど、無人の球場というのは逆に新鮮だった。
 眼下に広がる内野グラウンドの茶色と外野に広がる緑色のコントラストが絶妙で、応援の声もなければボールがグローブに収まる音もない静かな空間。
 そんな場所で、山口さんと二人きりだ。山口さんの首にはタオルが巻かれ傍らにはスポーツドリンクが置かれている。
 「やっぱり自分に嘘はつけませんでした。それまで抑圧していた重石が取れた分野球にどんどんとのめり込んでいきました。チームの練習と平行して密かに左投げの練習をして、なんとかチームの役に立とうと懸命に努力しました」
 「しかし左に転向するのは相当苦労があったのでは……?」
 「勿論大変でしたよ、最初は全力で投げてもキャッチャーまで届きませんでしたから。まるで小学生並だと自分でガッカリしました。
 ボールを握る力を強化したり、鏡の前で自分のフォームをしっかり固めたり、シャドーピッチングを繰り返してようやく120キロまで出るようになりました」
 今は笑って話しているが、恐らくは血を吐くような努力から生まれた賜物なのだろうと思う。昔の自分と比べれば嫌になることが沢山あっただろうし、練習して元のレベルにまで戻れるという確証もない。
 私だったら途中で挫折していたかも知れない。山口さんにそのことを聞いてみると、特に気にもしていないように話し始めた。
 「ゼロからのスタートで到達点はわかっているつもりでしたので特に心配していませんでした。『今日はここまで出来た、じゃあ次はこれが出来るように頑張ろう』と手応えを感じながらトレーニングしていたので焦りや不安はありませんでした」
 サラリと言い流す辺り、やっぱり私と山口さんでは全然違うと思った。
 現在山口さんはミゾットスポーツ野球部のコーチでもあり、エースなのだ。後輩に直接技術的な指導を行ったり、体調管理の大切さを懇々と教えているらしい。
 特に体を一度壊しているのでストレッチや体幹の使い方、過度な練習の防止など口煩く言い聞かせているらしい。その様子を想像するとクスリと笑ってしまう。
 最後に山口さんはこう締め括った。
 「多分私は他の人から見れば悪い手本でしょう。だけど悪い手本でもいい、一人でも私のような悲しい思いをする人を少なくしたい。それが私の一番の願いであり、使命だと思います」



 編集部に戻ると、私は迷わずデスクに向かって原稿を打ち出していた。
 タイトルは『冷たい仮面の下に隠れていた甘いマスク』。これまで山口さんを取材してきたことをそのまま書こうと思った。
 マウンドで険しい表情で君臨する山口さんといつもニコニコしていて親しみを持つ山口さん。二人とも山口さん。
 帽子を脱いだ時の弾けんばかりの笑顔を、私は忘れない……




 帝王実業の山口の過去を雑誌の取材風に振り返ってみました。
 スポットを当てるべき主役を敢えて第三者から捉えた、という新しい表現にチャレンジしてみました。これがまた難しくて苦労しました……楽しく書けましたけれど、上手く皆さんに伝わるかが心配です。
 それと久しく書いていなかった会話文主体の作品。読み辛くないように工夫したつもりですが、いかがでしょうか?
 ……そんな訳で私にとってはかなり挑戦的な作品です(表現の意味で)

 12で仲間キャラとして登場しますが、それ以前までは常に最強のライバル的ポジションでした。本当に山口は強かった……手動操作になる7回で2点差で負けていたら絶望でした。
 そして12でキャラが180度変わって登場。11で投げすぎて肩を壊したというイベントがありましたけれど、まさか左投げで復活するなんて夢にも思いませんでした。やはりK●NAMIだけあってシナリオがきっちり作られている。

 最後になりましたが、この作品を書くに当たってはっぴいだんす様のパワプロキャラクターズを参考にしました。この場を借りて感謝致します。ありがとうございました。

 (2010.09.23. up.)


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