―――ここは、どこだ?
視界には背中を向けた一人の男の子が居るだけ。その傍らには真新しいクレヨンの箱が置かれている。
男の子は嬉しそうな様子で床に置かれた紙に絵を描いている。手に握られている赤色のクレヨンはキャンパスの上を伸び伸びと動いていた。
一体何を描いているのだろうか。頭越しに覗いてみると、そこには戦隊ヒーローのようなキャラクターが。赤色のスーツを身に纏っているキャラクターは奇妙なことに野球のバットを持っていた。
「ヒーローのレッドは、“えーす”で“よばん”。ぴんちになったらかっこよくとうじょうするんだ!“いき”で“くーる”な“ないすがい”なんだよ!」
男の子は誰かに自分の描いたキャラクターのことを喋っていた。
幼稚な絵ではあるが、男の子の気持ちが込められたキャラクターは不思議と勢いを感じた。
ヒーロー、か……
ふと意識が遠くなってきた。ただ、男の子が喋っていた言葉だけが記憶の中へ鮮明に焼き付けられた―――
誰かが助けを求めている。その声でオレは目が覚めた。
あれは夢だったのだろうか……それにしては妙にリアリティのある夢だったな。
と、遠くで澄んだ金属音が鳴った。その音の方角を眺めてみると、何人かの人がグラウンドに散らばっていた。
此処は野球場のようだった。そして助けを呼んだのは、負けているチームの方らしい。ベンチの中をざっと眺めてみると、そこに居る一人に目が留まった―――夢の中に居た、男の子だった。
自分が何者か、どうしてこの場に居るのか。色々と確かめたいことはあるけれど、そんなことは後回しだ。
手近にあった金属バットを取り、颯爽とスコアボードを駆け上がった。恐ろしく高い場所に上がったけれど、高い場所から見下ろすのも案外悪い気分はしない。
―――ピンチになったら格好よく登場するヒーロー、か。
その瞬間、自らに与えられた使命を悟った。
オレはヒーロー。剛速球と多彩な変化球を操るエースであり、豪快なパワーで打ち砕くスラッガーなのだ。彼の願いを叶えるべく、この世に生を受けた身。
彼が困っているならば力を貸す。もしも彼の行く手を阻む者がいるならば容赦なく倒す。
何故なら、オレは粋でクールなナイスガイなヒーローなのだから。
【 虹を翔るヒーロー 】
オレの最初の仕事は代打サヨナラホームランで彼のチームを勝利へ導くことに成功した。
突然降って湧いた救世主の存在に彼は驚きを隠せない様子だったが、それでもチームが勝ったことには素直に喜んでいた。
翌日には彼の学校に編入する手続きを済ませ、正式なチームの一員として迎えられることとなった。
多くの者がオレの存在について怪しい目を向けてきたが、気にしていない。彼を助けるという重要な役割を持っているから、好奇の視線に晒されても何ら揺らぐことはない。
彼に何をすべきか訊ねると「ランニングなどで下半身を鍛えた方がいい」とアドバイスを受けたので、即座に実践した。案外野球というものは派手なものと思っていたが、案外地味な下積みの上で成り立っているのかも知れない。
万台高校との練習試合でもオレは活躍をしたが……キャプテンの東が試合中に怪我をしてしまった。
オレ以外で実力のあるのは精々が東くらい。これは大きな戦力ダウンではないか。何か手を打つ方法はないのか―――
『ヒーローはレッドだけじゃないんだよ』
―――また、あの幼子の声だ。あの時と同じように、誰かに向けて自分の描いた絵について話している。
『ぶるーはれっどのつぎにたよりになるヒーローだよ。“くーる”で“れいせい”な“ずのうは”なんだ!』
……そうか、オレには仲間がいるのだ。頼りになる仲間が。
彼の夢の行く手を阻むのならば、それをぶち破ればいい。戦力が落ちたのであれば、補えばいいだけの話だ。
即座にブルーを召還。翌日には野球部に入る段取りを済ませた。ブルーは最初「野球?何でそんなことをしなければいけないんだ」と反発したが、彼の夢を果たすために力を貸して欲しいと頼むと最終的には納得してくれた。
当面はこれで良し。あとは公式戦で順々と勝ち進むのみ。
だが、事はそう簡単に進まなかった。
迎えた公式戦初戦。オレは先発を任され、途中何度かピンチもあったがそれも凌いで最終回。ランナーを一人出してしまったものの、ツーアウトまで漕ぎ着けた。
ガキッ。明らかに鈍い音を立てて白球はフラフラと外野へと舞い上がった。イージーな外野フライで試合終了。誰もがそう確信していた。
「オーライ、オーライ……あっ」
ここで外野を守る勝野がまさかの落球。さらに打球の行方を見失った勝野の足先にボールが当たってとんでもない方向へと転がっていく。
モタモタしている内に一塁ランナーがホームイン。さらに打者走者も一気にベースを廻り、本塁へ生還。思わぬ形で勝利がこの手から零れ落ちていった。
試合後、お粗末な守備で足を引っ張った勝野にブルーは腹を立てている様子だったが、オレが間に入って宥めたことでその場は収めることが出来た。
……だが、これは由々しき事態だ。
ベンチ入りを果たした彼の行く手を阻むのは相手だけでなく味方までとは。こんなことでは彼の夢の実現には到底及ばない。
こうなれば、役に立たない連中は排除するしかない。それにヒーローは何も二人だけじゃないんだ。
脳裏には様々な色の服を着たヒーローが浮かぶ。パワーが自慢で食いしん坊なイエローがいるじゃないか。
次の日には勝野に代わってイエローが野球部に加入した。これである程度の駒は整った。
野球のことについてはある程度目処がついた。
オレはヒーローだ。正義の味方なのだ。悪を倒すという目的も果たさなければならない。
だがしかし、悪党などそう簡単に現れるものでもない。オレが生まれても対立軸に当たる敵は存在していない。
……敵がいないならば、自分の手で作ればいいじゃないか。
怪人量産マシーンなる代物が存在すると知ったオレはこっそりそれを奪い、そこら辺に居たサラリーマンを捕まえ……スカウトして、“ワルクロ団”という悪の組織を立ち上げさせた。“ワルドス”という名前を与え、ボスとして部下をまとめ上げるよう託した。
その記念すべき初仕事は花丸高校近くにある商店街の福引を妨害する仕事。組織員も揃え、盛大に暴れてもらうよう指示を出した。
「クックック。この福引の商品は全てワガハイ達ワルクロ団が頂く!」
実際に筋書き通りに物事は進み、混乱と喧騒に包まれた中でオレ達ヒーローが颯爽と登場。
「ワルクロ団!そこまでだ!」
「ぬう、貴様はレッド!またしても現れたな!」
「この世に悪の栄えた例はない。正義の目をごまかすことは出来ないぞ!」
その後は群がってくるワルクロ団の下っ端をコテンパンにやっつけて、ワルドスは形勢が悪いことを悟って引き上げていった。
ワルクロ団との一戦を終えての帰り道、チームメイトの湯田から思わぬ一言が飛び出した。
「しっかし、福引の景品を盗むなんてスケールの小さい連中でやんすね」
……スケールの小さい、だと?みんなが楽しみにしている福引をメチャクチャにされて困ったんだぞ。
そう諭すと湯田も理解したものの、まだ納得してない様子だった。
「でも、折角変身ヒーローがいるんでやんすから、もっと凄い悪事を働いて欲しいでやんすよ」
その言葉に対して彼もまた同意をした。どうやら彼もまたそう思っているらしい。
―――そういうものなのか。
商店街の福引を妨害する程度では小さいのか。ならばもっとスケールの大きい悪事をさせなければ。
望まれているのならばそれに応えるしかない。それがヒーローの役目なのだから。
「昨日、宝石店がワルクロ団に襲われたらしいでやんす」
クリスマスも差し迫った十二月のある日、クラス内で湯田が盛んに騒いでいた。
「へぇ〜。前は福引の景品だったのに、随分大きく出たな」
「笑い事じゃないでやんすよ!変な怪物が出てきて警察官がケガをしたでやんす」
緊張と不安に包まれ一瞬で静まり返るクラス内。これではまるでテレビの中の戦隊ヒーローの世界じゃないか。
……何のためにオレ達ヒーローが存在しているんだ。こういう時に駆けつけてこそ、正義のヒーローだ。
「これはオレ達ヒーローが頑張らねばいけないようだな。ブルー!今晩から街をパトロールだ」
「了解!」
クラス内から羨望と期待の視線が一点に集まる。これでヒーローの力をみんなから望まれるようになった。
―――全ては筋書き通りに進んでいる。
「え!?宝石店に夜押し入れと!?」
ワルドスは驚きの声を上げた。そりゃそうだ。つい先日まで普通にサラリーマンをやっていた男に、大犯罪をけしかけているのだから。
先日の商店街の福引を荒らした時でさえ躊躇していた男だ。命令に忠実ではあるが気が小さい小心者であるこの男に、自分から罪を犯すという意識はまだ植えついていない。
役者としては小物ではあるが、やってもらわないと困る。
「この時期は警察官が配備されているだろうし、ワルクロ団の戦力もまだ充分に揃ってない。そんな状態で宝石店を襲うなんて無茶だ」
一応は状況を想定して問題点を指摘するだけの頭はある。だからこそワルクロ団という悪役のリーダーに据えたのだ。
「問題ない。助っ人を用意した―――来い!」
奥の闇からノッシノッシと重たい足音を響かせ、姿を現したのは上半身がカニの姿をした怪人!
ヒッと喉の奥から高い音をワルドスが出したがレッドは平然としている。
とある研究所に怪人製造機なる機械があると耳にしたレッドが、単身その施設へ忍び込み盗み出した。その機械で試しに作ったのが、このカニ怪人である。
何のためにそんな機械を作っていたのか知らないが、ある物は有効に使った方がいい。それに目に見えて悪者という怪人は、正義対悪の戦いに相応しい。
あとはレッドが描いたシナリオ通りに事は進んだ。
深夜、宝石店を強襲。警備員を倒して中にあった宝石を全て攫って逃走。
騒ぎを聞いたヒーローが街の平和を保つためパトロールに赴く。これにより街の人から信頼を勝ち得る。
一方、奪った宝石は闇ルートを通じて売り捌き、実行犯であるワルクロ団が山分け。取り分に関してはボスのワルドスに一任。
互いにメリットのある取引。ワルドスは最終的には話に乗った。
……地道ではあるが、少しずつヒーローの人気を高めていけばいい。悪を倒す存在であるからこそ、ヒーローは存在するのだから。
野球部のエースにして四番。町の平和を守るヒーロー。二つの顔を使い分け、望まれた姿に近づけるよう努力した。
途中で邪魔が入ることもあったが、それは秘密裏に処理をした。正義の道を阻むのであれば排除するまで。
時々不安そうな目でこちらを見る彼の姿があったが、特に気に留めなかった。心配するな。オレ達が甲子園に連れて行ってやる。
夢を叶えて絶頂に酔いしれるその傍らにオレがいる。それだけで幸せなのだから。
最後の夏の予選が始まる頃、思い立ってふらっと河原へ足を運んでみた。
もうすぐだ。あと少しで彼の願いが達成させられるのだ。
思えば長い道のりだったな。彼の前に登場してからの日々が瞼の裏に甦る。
9回2アウトからの大逆転劇から始まったストーリー。野球だけでなく正義のヒーローとしてワルクロ団との戦い。彼と肩を並べて練習を積み重ねてきた日々。
彼が望んだ通りにオレは動き、彼が抱くヒーロー像を忠実に守ってきたつもりだ。だが、まだ終わった訳ではない。
『甲子園に出場して、彼はプロ野球の世界へ進んで、みんなから愛されるスーパープレイヤーになる』
彼が小さい頃から抱いていた夢の一つが、もう少しで叶えられる。甲子園優勝は一つのステップかも知れないが、彼の人生はまだまだ先があるのだ。
これからも困難が彼を待ち受けているに違いないだろうが、
きっと彼も喜んでいるに違いない。
「隣、えぇかの?」
白髪のおじいさんが隣に腰かけていた。人気のない昼間の河原だから別に隣へ来なくてもいいのに、と思わなくもないのだが。
だが老人はこちらの戸惑いを気にする素振りを見せることなく、手にしていた釣竿を川へと垂らす。
「お前さん、今巷で人気になっとるヒーローじゃろ?」
「そうですが……失礼ですが貴方は?」
「ワシ?ワシは黒野じゃ。そうじゃな……強いて言うならば悪のマッドサイエンティストといったところじゃろうか」
悪。まさかこの町には悪クロ団の他にも悪党が居たのか。かなり精力的にヒーロー活動をやってきたので知名度はかなり高い。オレ達の存在を知って倒そうと現れたと考えられなくも無い。
思わず身構えるこちらに対して老人はヒラヒラと手を振って否定する。
「そう構えなさんな。ワシの悪は人様に迷惑をかけるようなモンじゃない。言ってみればロマンみたいなモンだ」
敵意もない様子だったので一旦は矛を収める。
しかし、好き好んで悪い方をやりたがるとは……普通なら悪を倒す正義の方になりたがるものだと思うのだが。
「正義のヒーロー、大いに結構。誰かの為に手を貸す、素晴らしいことじゃ。……じゃが、お前さんのやっていることは本当に“正しい”のか?」
―――自分のやっていることが“正しい”、だと?
今まで疑ったことのないことを口にされ、思わず動揺が走る。
悪を倒す正義のヒーロー。求められ、与えられた役割を全うするべくガムシャラにやってきた。それが果たして“正しい”とは。
「『人を殺めることが許されない』、これは万人共通の認識じゃろう。だが、それ以外のことはどうかのう?それぞれで正義の線引きは違う。ある人が『正』と思っている行いも、別の人からすると『悪』なのかも知れない」
「……」
「そして、自分のやっていることが常に『正』と思っている者ほど、歪んだ『正』となって他者を苦しめる。『正』を履き違えていつしかエゴになってしまうのじゃ」
目の前の老人はオレ達から見れば明らかに敵だ。だが、その敵が喋っていることに反論一つする気になれない。それ程にまで核心を突いていた。
「……おっと、つい喋りすぎてしもうた。あんまり余計なことを喋ると正義のヒーローに倒されてしまうからな。くわばらくわばら」
いそいそと釣竿を片付け、さっさと立ち去っていった。オレは返す言葉が思い浮かばず、遠くへ消えていく小さな背中を黙って見送るしかなかった。
一人だけ取り残された中で、老人の口にしていた言葉が心の中に小骨のように突き刺さったまま離れなかった。
「―――オレ達に、野球部から出て行け、と?」
青天の霹靂、とはこういうことを言うのだろうか。まさか彼の方からオレ達の力がいらないと言われるなんて。
これまで一生懸命彼のために力を貸してきたのに、どうして彼はオレを不要と思ったのだろうか。何かの勘違いではないかと思ったが、彼は本気のようだった。
彼が何故そんなことを言っている意味が理解出来ない。これまでの戦いぶりを見ていてもオレ達がこのチームを引っ張ってきたのは一目瞭然だ。むしろ役に立たないお荷物を背負っての戦いだったから、勝つには相当苦労していた。
実力もそうだが監督からの信任もこちらが得ている。頭数ばかり揃った烏合の衆で、本当に勝てると思っているのだろうか?
それでも彼の決意は固いようだった。その瞳に強い拒絶を含んだ眼でこちらを見ている。
全く分からない。戦力の差は歴然であり、戦う前から結果が見えているのに。それ以外に何があると言うのか。
これではまるで―――オレ達の方が邪魔者ではないか。
当日。何も知らない者から見れば部内戦に映るかも知れないが、互いに存亡を賭けた天下分け目の大勝負である。
こちらはヒーローを召還すればいい。この試合に勝てば足を引っ張る邪魔者を排除して、ヒーローだけのチームに統一出来る。
彼等の方は戦力的には遥かに格下。何かオレ達の知らない所でコソコソとやっているみたいだが、無駄な徒労だ。
ヒーローマスクで相手の戦力をチェックする……成る程、密かに特訓でもしていたのか。戦力が全体的に底上げされている。
少しは歯応えがありそうではないか。これから甲子園で全国の猛者を相手にする前哨戦にはもってこい。こちらの新戦力を試す機会にもちょうどいい。
おまけに今回の戦いをどこで聞きつけたのか前キャプテンの東も相手に加わっている。東もケガさえなければスーパープレイヤーになれるだけの素質がある人物。これは要警戒。
―――さぁ、雌雄を決しようじゃないか。
これは、どういうことなのか。目の前の光景が未だに信じられない。
一点差で勝っているが、戦力差を考えれば想定外の事態だ。格下の凡人を相手にオレ達が苦戦している、だと。
オレには150キロを超える豪速球もあれば鋭く曲がる変化球もあるし、針の穴を通す抜群の制球力もある。持久力だって誰にも負けない。
この野球部に入った頃には無かった経験も技術もこの三年間で培ってきた。今のオレと真っ向から対峙出来る高校生なんか全国にもそう多くない。
それなのに、何故点差が広がらない。手を抜いている訳でもないのに。
……待て。冷静になれ。まだ、こちらが勝っているではないか。たかが一点、されど一点。この一点を守り抜けば、オレ達の勝利だ。
優位に立っていると気付いた後は力が程よく抜けて、相手打線を抑えられるようになった。それからはスルスルと投げられた。
そして迎えた最終回。あっという間に二つ三振を奪ってツーアウト。これで奴等は追い詰められた。
あと一人。あと一人抑えれば、オレ達の勝利だ。
だが、最後の打者だと気を緩めたのが悪かったかコントロールが僅かにズレたのか、フォアボールで同点のランナーを歩かせてしまう。
問題ない。これまでもランナーは出したがホームまで返さなかったじゃないか。今度こそ、抑えてみせる。
次の打者は―――何の因果か、アイツが打席に入ってくる。
運命の神様がいるとすれば何と言う巡り合わせだろうか。身の丈も弁えずオレ達の力はいらないと豪語した張本人が最後の打者になるとは。
メラメラと闘争心が体の内側から湧き上がってきた。絶対に抑えてやる。そして正真正銘、ヒーローだけで甲子園に出て頂点を取ってみせる。
大きく振りかぶって投じた初球。目の覚める豪速球にアイツはタイミングを合わせられずクルクルと独楽のように体を回転させ尻餅をついた。
目算でも150キロは超えていただろう。これが序盤だけでなく終盤でも出せるパフォーマンスを、オレは持っている。
ここまでアイツは内野ゴロ一つに三振二つ。フリーバッティングも含めてヒット性の当たりを打たれたことは数える程度にしかない。負ける要素が見当たらない。
間合いを置かず変化球を投げ込む。目が先程の速球に慣れているせいで再び無様に体勢を崩して空振り。これで完全に追い込んだ。
だがアイツの顔には悲愴感が一切見られない。その瞳にはメラメラと闘志を滾らせ、こちらをじっと見つめる。
その心意気だけは認めてやる。ここで完膚無きまで実力差を見せつけて、刃向かったことを後悔させてやる。
呼吸を整え、投球動作に入る。ウィニングショットは決めていた。一番自信のあるこの球で、全精力をこの一球に込めて、勝利をこの手に掴む―――
・ ・ ・
外角高めへ投じた全身全霊のストレート。球速も伸びも回転も今日一番のレベルだった。
勝利の期待と自信を乗せて一直線に突き進む白球の前に、アイツのバットが立ちはだかる。力みも迷いもなく振り出されたバットに当たると、勢いそのままに方角だけ変えて高々と空へ舞い上がった。
澄んだ金属音が耳に残る。白球が低い弾道で飛んでいく。目の前の光景が、音が、信じられなかった。
綺麗なスイングで振り切ったアイツもまた、手に残った感触を感じる間もなく打球の行方を目で追っている。
右翼方向へ飛んでいく白球を、外野手は追いかけなかった。足が一歩も動かなかった、と表現した方が正しいか。ぐんぐんと高度を上げて突き進み、グラウンドに立つ選手の頭も、校舎を守るために張った防護ネットも、軽々と超えていき、青空の中へと消えていった。
逆転サヨナラホームラン。時が再び動き出した瞬間、相手ベンチから歓声が沸き上がった。
「おいレッド。こうなったら実力行使で―――」
あまりに劇的な結末にイエローが不服そうに詰め寄ってくる。刹那、自分の腕がイエローの顔を殴りつけていた。
「見苦しいマネをするな!……オレ達は野球で負けた」
負けた方が野球部を去る、という提案を呑んだのはオレ達だ。それを負けたからと言って実力行使で覆そうなんて醜態を晒すのはヒーローとしてあるまじき姿だ。
事実は潔く受け入れる。この瞬間、一つの答えが出た。もう彼等にヒーローの助けは要らない。きっとオレ達の代わりに真紅の優勝旗を持ち帰ってきてくれるだろう。
「よもやここまで強くなっているとは思わなかったぞ。では、これでサラバだ」
背中を向けて歩み出す。その背後から声が飛んでくる。
「おい、ちょっと待ってくれ!結局お前達は何なんだ!?」
口から出てきた言葉は、何の感情も含んでおらずあまりにもあっさりとしていた。
「……さあな。“正義の味方”ではなかったようだが」
言い終わると突如として意識が遠のいてきた。体が薄れていくのも肉眼ではっきりと確認出来る。
与えられた役割は終わったのだ。無意識の内にそう実感した。
ボタンを掛け違えたまま行き着いた先に待っていたのは、思い描いていた結末とは程遠いものだった。
いつから勘違いしていたんだろう。オレ達が主役ではなく、彼が主役なのだ。
まぁいい。最後は彼の前に立ちはだかって彼の成長に大きく寄与することが出来たんだ。これもまた、いい。
次に意識が戻った時は、先程と同じグラウンドの上だった。周囲を見渡すとオレと同じようにヒーローが意識を失って倒れこんでいた。
一体どうしてなんだ……?オレ達はアイツに負けて消えたのではないか?
直後、校舎の方から割れんばかりの歓声が上がった。その声で他の面々も目を覚まして起き上がる。
「レッド、これは……」
「分からん。どうして今ここに居るのかオレにもさっぱり分からん」
湧き上がった歓声は止む事なく続いている。若い張りのある声に混じって万歳も聞こえる。
「……なるほど。アイツら、優勝したのね」
ポツリと漏れるピンクの声。視ることに長けているピンクが現況を確認するべく校舎の様子を視たのだろう。
そうか、アイツはやり遂げたのか……
『自分達の力で甲子園優勝を成し遂げる』。その言葉はハッタリではなかったようだ。
本当に自分の力だけで夢を掴み取ったのだ。オレ達の力を借りることなく、困難や逆境に打ち勝ったのだ。
あの試合で本気でぶつかり、そして敗れた。負けたことも、単純にオレ達の力が自分達の力だけで勝ちたいという強い意志を持っていたアイツ等に及ばなかったからだと潔く諦められた。
―――だが、この込み上げてくる感情は何なんだ。
胸の奥から湧き上がる感情。祝福なんて甘いモノではない。マグマのように熱く、それでいて粘着性のある不可思議な気持ち。
「ケッ、このまま黙って引き下がってられるかよ」
「おい、やめろ。みっともない」
毒づくブルーを諌めるイエロー。だが感情は収まらないらしく、不服そうな態度を隠そうともしない。
負けた方が野球部を去る。その約束を違えるつもりはない。弱い方が悪いのだ。
「……いや、ブルーの言う通りだ」
驚いた様子でイエローもブルーもこちらを向いた。
せめて一矢報いたい。燃え尽きた心に、別の炎がメラメラと燃え上がっていた。
オレ達は校舎を占拠。凱旋してくるアイツ等を迎え撃つことにした。
この学び舎こそアイツの財産。それを人質にとって最後の一戦を交える。これはオレ達が失った何かを取り戻すための聖戦なのだ。
真紅の優勝旗を掲げて戻ってきたアイツ等は案の定、甦ったオレ達に困惑していた。怯んだ隙を突いて攻勢に転じようとしたその時。
遠くから響き渡る地響き。規則的な重音は徐々にこちらへと近付いてくる。
「レッド!あれ!」
指差した方角には一体の巨大なロボット。
「黒野博士!?」
「ガハハ!間に合ったか!」
あの老人、こんな馬鹿げた物を造っていたのか!野心が見えなかったので放置しておいたが、始末しておくべきだったと後悔の念が浮かぶ。
自らは操縦席から降りてアイツに譲り渡す。
思わぬ援軍に動揺を隠せない仲間達。果たして勝てるのかと脅えの色を見せるヒーローもいる。
「デカブツが一体出てきただけで揺らぐな!人数ならばオレらの方が上回っているじゃねぇか!」
ブルーの声が耳に入る。何かと反抗的な態度を取るブルーではあるが、この一戦に並々ならぬ思いを抱いて臨んでいることが伺える。
……揺らぐな。オレは粋でクールなナイスガイじゃないか。
【 END 】
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