二月。学校からの帰り道、スーパーへ立ち寄った。授業が終わったタイミングで母からメールが届いて、おつかいを頼まれたからだ。
入り口でカゴを手に取って店内に入ると、有線のBGMが耳に飛び込んできた。何の曲だったっけ、聴いたことはあるけど曲名を思い出せない。でも、テンポが良くて何か好き。ちょっとだけ気分が上がり、意気揚々と進む。
子どもの頃から、スーパーに来るとウキウキした気持ちになる。色々な商品が並んでいて眺めているだけでも楽しいし、自分の背丈を超える陳列棚が立ち並んでいるのを見ると未開のジャングルのようで探検したくなる。それは成長した今でもあまり変わらない。
頼まれていた品を無事に確保してレジに行こうとした矢先……ある物を見つけて立ち止まった。
それは―――製菓コーナー。何の変哲もないお菓子売り場だったが、思い立ってそちらに足を向ける。
育ち盛りの高校生なので人並みにおやつは食べるから別にお菓子売り場に居ても違和感は無いけれど、お菓子売り場に来たのはある目的があったからだ。
クッキー、キャンディ、ポテトチップス、ビスケット、お煎餅、おかき……和洋様々なお菓子には目もくれず、ある棚の前でピタリと止まった。
チョコレート―――それも、板チョコに目が釘付けだった。
チョコ自体は好きな方だ。でも、食べるならチョコビスケットでも一口チョコでもチョコスティックでも良いけれど、今は板チョコじゃないとダメだった。
(……先輩は、私がお菓子を作ったら、喜んでくれるかな)
ある人の顔を思い浮かべ、少しだけ頬が朱に染まる。
二月には一大イベントがある。節分? 違う、そっちじゃない。そもそも、もう終わっている。
バレンタインが、二日後に迫っていた。
友達の間で「みんなでバレンタインの日に手作りのお菓子を持ち寄って、お互いに渡し合おうよ!」と話題になっていたのを思い出したのもあるが、それとは別に意中の人へ渡したいと前々から考えていたのだ。
その人は……私がこの学校に入るキッカケをくれた恩人。
一年前、難関校志望だった私は滑り止めのためにこの学校の受験を決めていた。当時の私の学力から考えれば安全圏内で、落ちることは万に一つも無いレベルだった。
しかし、受験日当日に私は致命的なミスを犯してしまう。受験票を紛失してしまったのだ。
校門前で一人パニックになっている私に声を掛けてくれたのが、件の先輩だった。
恐慌の渦中にあった私から話を聞くと、先輩は一緒に事務局まで案内してくれた。そこで事情を説明すると、本人確認が出来れば受験票を再発行してくれることが分かった。すぐに再発行してもらい、無事に試験を受けられるようになった。
正しく、地獄で仏だった。もしも先輩が救いの手を差し伸べてくれなかったら、どうなっていたことか。あの時の出逢いは運命としか言えなかった。
その後、合格するかどうか分からなかった難関校も無事合格したけれど、私が選んだのは滑り止めで考えていた高校だった。決め手は言うまでもなく、先輩が居るからだ。
入学してから初めて先輩に会った時、私のことを覚えていてくれたのは凄く嬉しかった。今では時々遊びに行ったりするけど、先輩は変わらず優しいままだ。
先輩の好きな物って何だったっけ……? 板チョコを手に取りながら一生懸命考える。
「お父さん!! 仕事中はラジオ聞くのは止めてって言ったでしょ!!」
いきなり背後から大声が聞こえ、現実に引き戻される。ビックリして振り返ると、そこにはうだつの上がらない中年男性が高校生と思しき女の子から注意を受けていた。男性は軽く平謝りすると、バックヤードへ引き揚げていった。
直後、その女の子と目が合ってしまった。しまったと思ったが、女の子はこちらに気付いた様子で近付いてきた。
「ごめんなさいね、見苦しい所を見せてしまって……あれ? もしかして花丸高校の子?」
「あ、はい。そうですけど……」
女の子は私の持っているチョコを見ると、別のチョコを手に取った。
「そのチョコも美味しいけれど、加工するならこっちの方がおススメかな。砂糖は控え目だから味の調整も出来るし」
そう言うと女の子はウインクして、バックヤードの方へ歩いていってしまった。
どうして私が手作りチョコを作ろうと考えていたのが分かったのだろう? あのウインクはどういう意味があったのだろう?
……まぁ、いいか。女の子がおススメしてくれたチョコを買い物カゴに入れ、精算するためにレジの方へ向かった。
二日後、バレンタイン当日。
前日に実家の台所で試行錯誤しながら作ったが、我ながら上手に出来たと思う。友達にあげると「美味しい!」と喜んでくれたので、とりあえず安心した。
あとは、先輩に渡すだけ。先輩用だけは量も多めで袋にもラッピングをしてある。
昼休みの時間に先輩の教室へ向かう途中……廊下で先輩がこちらに向かって歩いてきた。
「先輩!」
先輩を見つけた瞬間、手を振って呼びかける。先輩は私に気付いて笑顔を見せる。
「チョコを……あ!」
「危ない!!」
先輩に会えて嬉しくなった直後、バランスを崩して倒れ込みそうになる。先輩は猛スピードで走り出すと、一気に距離を詰めて私の体を抱えてくれた。
「大丈夫? 春香ちゃん」
「あ、はい……凄い!! 先輩、チョコもキャッチしているじゃないですか!! 流石野球部!!」
なんと、先輩は私だけじゃなく、チョコまで掴んでくれた。おかげでラッピングしたチョコも無事だった。
やっぱり野球部で毎日練習しているのは違う。私みたいに大事な所でドジをしても、先輩はいつでも助けてくれる。やっぱり頼りになるなぁ……。
「そんな先輩には、ご褒美としてチョコ食べさせてあげちゃいます!! はい、『あ〜ん』して下さい」
テンション高めに言ってから、ラッピングした袋から一つチョコを取り出して先輩の口に差し出す。
先輩はやや恥ずかしながら口を開けて……チョコを口に含む。
「……おいしいですか?」
愛情込めて作ったけれど、これで「美味しくない」って言われたらどうしよう。一瞬不安が過ったが……
「うん、美味しい!!」
満面の笑みではっきり「美味しい」と言ってくれた。その言葉を聞けて、嬉しくて天にも昇る気持ちだ。
「本当ですか!? また作ってあげますね!!」
それだけ伝えると、私はペコリと頭を下げて自分の教室に戻るべく走り出した。
……やっぱり、先輩は素敵な人だ。まだドキドキが収まらない。
次、いつになるかな。それまでに料理の腕を上げておかなくちゃ。
BACK TOP NEXT