鋼の魂を宿す侍







 侍であること。それ即ち存在意義であり譲り難い矜持でもある。
 時は大正。侍の時代が終焉を迎え、文明開化により西欧諸国から入ってきた明治からの流れは既に庶民の間にも実感できる程のものになっている。
 古いモノは次々と新しいモノに塗り替えられていき、いつしか武士は人々の記憶から完全に抜け落ちていた。まるで最初から存在しなかった、と言わんばかりに。
 俺の場合もそうだった。
 会津の貧乏農家の生まれで細々と暮らす家ではあったが、曽祖父の代までは会津藩に仕える侍の血筋だった。
 ただ、両親や祖父母が侍であった時のことは一切喋ろうとしなかった。床の間に飾られている大小のみが、侍であったことを証明する唯一の品だ。
 何度か、曽祖父から酒の席で侍だった時のことを聞いたことがある。顔を真っ赤にしながら淡々と語られる曽祖父の話は、幼子である俺の心に強く印象が残った。
 曽祖父の口から明かされる侍の価値観、生き様、心得。実際にこの目で確かめられないが、俺の心の中で描かれる空想上の侍は、細々と暮らす現状とは打って変わって魅力的な姿だと映った。
 しかし祖父母も両親も侍である過去を頑なに否定し続けた。侍のことを必要以上に蔑視して、ひたすら一介の百姓であることを強く刷り込もうとする態度が気難しい時期にあった俺にはひどく違和感を覚えさせた。
 何故それ程まで頑なに侍であったことを拒むのか。ご先祖様は消し去ってしまいたい程のモノなのか。月日を経る度にその思いはどんどんと膨れ上がっていった。

 そして俺は侍として生きる決意をした。侍であったことを否定して百姓になりきろうとする家族の態度に嫌気が差したこともあるが、胸の中にある侍という生き方が魅力的に感じたこともある。
 跡継ぎに関しては下の者がいるので憂いはない。むしろ、手に余る暴れん坊を放逐できたと手放しに喜ぶ顔が目に浮かぶ。
 家を飛び出す夜、床の間に置かれていた大小をこっそりと持ち出した。どうせ家に残しても調度品として朽ち果てる運命なのだから、俺が使って活躍の場を与えた方が刀にとっても本望だろう。
 幾許かの路銀と大小の刀を帯びて、郷里を離れた。もう戻ることのない故郷に背中を向けて、帝都へ向かって長い長い旅路に踏み出した。





     【 鋼の魂を宿す侍 】





 勇んで帝都に出て来たはいいが、時代錯誤な恰好をしている者に対して近付いてくるのは警察官くらいなものだった。
 髷こそ結ってないが羽織袴で廃刀令を破って刀を帯びていることが警察官からすれば目に余る模様だ。それならば腰に差しているサーベルはどうなんだと切り返してやりたいが、余計な揉め事をして狭い箱の中へぶち込まれたくないので黙ってやり過ごす。
 やはり会津の片田舎では多少大目に見てくれても帝都では見逃してくれないようだ。

 何をするでもなく侍の姿をして街を歩いて暫く経った頃、一人の男がふらりと声をかけてきた。
 「君、物騒な物をぶら下げているね。本物かい?」
 相手から俺に声をかけてくるのは滅多に居ない。物珍しい視線を投げ掛けてくる人は大勢いるが、俺がそちらに目を向けると途端に視線を逸らしてしまう。皆、我が身可愛さで近付かないのだ。
 そんな中で相手から向かってくるのは、そうした普段見慣れないモノに対して興味が恐怖を上回る好奇心旺盛な輩だ。人を見世物程度にしか考えてないので至極鬱陶しい存在で、おまけに相手のことなどお構いなしに遠慮ない質問をぶつけてくるので面倒臭い。
 だが、こちらが気分を害したのを察したらしく「これは失礼した」と素直に謝ってくれた。侍として尊重する気持ちを、帝都に来て初めて感じた。
 最初は適当に相槌を打って追い払うつもりであったが、俺自身がこの男に関心を持った。言葉を交わしていく内に興味本位で話しかけたのではないことが薄々と伝わってきた。
 聞くところによると、この男(以降『彼』と表記する)は帝都で主に探偵稼業を生業にしているが、冒険家として世界を飛び回ったり武装集団を制圧したりと幅広く仕事をしているのだとか。
 俺も噂程度で話を聞いたことはある。『世界を股にかける探偵・冒険家が帝都に在り』『帝都の快男児』と名を上げている男がいると知っていたが、今目の前にいる彼がそうだとは到底思えなかった。
 人懐っこい笑みを浮かべる優男が、帝都で名を馳せる快男児とは……人は見た目に寄らないとはこのことか。
 特に最近は帝都の治安を脅かす我威亜党という武装集団の制圧に力を入れているらしく、優秀な仲間を求めているのだとか。
 彼自身の語り口は天下一品であった。まるでその場に居合わせた錯覚に陥る程に自身の体験談を滔々と語ってくれた後に、「危険を冒して見えてくるものがある」と薦めてくれた。
 ……正直、手を貸して欲しいと頼まれたことが無性に嬉しかった。何かを為すでもなく手持ち無沙汰な毎日を過ごしていて辟易していた頃でもあり、一も二もなく彼の申し出を快諾した。
 仕事をする条件は、事案に応じて彼の仕事を助ける、とのことだった。報酬は仕事を終えた際に支払い、旅費は彼が負担する。
 そして提示された報酬が過分な金額だった。命を落とす危険性を鑑みた対価だということではあるが、侍として少々高めに設定してくれた彼の心意気が嬉しかった。
 躊躇など微塵も無い。侍はいつ何時その命を散らしても良いように常日頃から覚悟と準備を怠らなかったと聞く。戦場(いくさば)へ赴く際に臆する気持ちがあれば士気にも関わる。
 この泰平の世となった大正の時代に命を賭けた仕事が出来るのだ。こちらから喜んで仕事を引き受けたいくらいだ。
 そして、彼が言っていた「危険を冒して見えてくるもの」に興味があった。



 彼の元には俺以外にも男女を問わず様々な人が集っていた。それも一見しただけで一癖ありそうだと分かる者ばかり。
 職業も違えば恰好も色とりどり。正統派、奇抜、色物と選り取り見取りだ。
 そんな中でも刀を帯びている者も幾人か存在した。
 好き好んで侍に望んでなった俺とは違い、生粋の武士として生きてきた倉刈。
 性根は弱気で刀を構えても腰が引けていて俺から見ても「大丈夫か?」と心配したくなる時もあるが、食うために用いていた銃の扱いは一目置くものがある。特に獣を仕留めるのは仲間多しと言えど倉刈の右に出る者はいないのではないか。
 新聞記者を自称する珠子は忍の末裔らしく太刀筋が独特で読みにくい。立ち振る舞いにも隙がないが甘い物には目がないのは女性といったところか。
 水夫の青野も一応は刀の使い手ではあるが、むしろ刀の方に愛着を持っている様子で剣士とは言い難い。同様に巫女の詩乃も祀っている霊刀を持っているが、そもそも奪われて取り返した代物だ。傷つければ一大事なので鞘から抜くことも憚られる。
 あとは……陸軍将校の大神くらいか。
 とある事件を解決した際に軍上層部の目に留まったらしく、彼のお目付け役として派遣されたという経緯がある。サーベルを携えているが専ら銃を用いている。
 時世のこともあるので軍人が刀に固執する必要はないと思っている。だが、初対面のこともあって印象が悪い。
 侍の魂である刀の手入れをしている所を大神が通りかかった際、俺の姿を一瞥すると心の底から侮蔑を込めた溜め息を洩らした。
 「おいおい、時代遅れの侍がいるのかよ……」
 わざわざ人に聞こえるように溜め息を洩らされ、黙っていられる程に俺は度量が広くない。
 こっちは侍の心意気に惚れて好き好んで侍になったのだ。安易に侍は役立たずだと決め付けられる輩に侍の矜持を汚されてたまるか。
 確かに軍人も西洋式を取り入れて侍は姿を消したかも知れない。だが、その信念や生き様まで西洋の者に劣るとは言えない、と俺自身は考えている。だからこそ風変わりな恰好と言われても侍を続けてきたのだ。
 こちらの気迫を感じ取ったのか、それ以上は何も言わなかった。俺の言葉が本当かどうかを見定めようとしていたのかも知れない。
 だが、初対面が後味悪い形となったことで気に食わないという印象だけが強く俺の中に残ることとなった。
 次に会った際も最悪だった。偶然顔を会わせた時に「なんだ、まだ居たのか」と顔に書いてあった。
 一方的に言われ続けるのも癪なので「所詮今時の軍人など形勢優位になってから勝ち馬に乗った根性なしの血縁なんだろうな」と皮肉をぶつけてやった。
 すると大神は明らかに気分を悪くしたみたいで「俺の一族は長州出身だ」とムキになって反論してきた。
 その答えを聞いて納得した。道理で気に入らない訳だ。
 「……ほぅ、貴様は長州の者か。俺は会津出身だ」
 幕末の折に当時過激派だった長州の志士が京で多く討たれた。その大半が新撰組によるものであったが、その新撰組を監督していたのは京都守護職を拝命していた会津藩だった。
 そのため長州・薩摩の恨みは一身に会津へ向いた。戊辰戦争の時には攻め寄せる薩長主体の新政府軍が真っ先に矛先を向けたのは会津藩だったという話があるくらいだ。
 長州・薩摩の人と会津の人は過去の経緯もあって互いに忌み嫌う犬猿の仲なのだ。
 一触即発の状況を察して仲裁が入ったのでその場は何事も無かったが、この一事によって大神と相容れない仲だと決定付けられた。



 彼の仕事は多岐に渡った。大物権力者の気まぐれから財閥令嬢のペット捜索、我威亜党との抗争と多種多様で仕事に対して飽きが来ない。
 そして全てに共通するのは、どの仕事も必ず無事に生きて帰れる保証がないことだ。
 権力者の気まぐれで蝶を採取して欲しいと頼まれて赴いた先では先住民が襲い掛かって来る中でどうにか採取してきたとか、財閥令嬢から“タマ”を連れ戻す依頼を頼まれたのでネコだと思っていたらベンガルトラだったとか。
 死と隣り合わせな状況を求めたのは自分であり、戦場に身を投じる侍の気概や命への執着、そして大きなやりがい。
 これまで生きてきた中で学ぶことの出来なかったことを実感できることは素晴らしいことだし、誘ってくれた彼に感謝の言葉は尽きない。
 だが―――その一方で湧き上がる虚しさは何だろうか。
 銃火器が戦闘の主流として定着した大正という時代において、羽織袴に身を包んで刀一本で単身敵陣へ斬り込む姿はあまりにも場違い感が半端ない。
 どんな剣の達人であっても刀が触れなければ相手を倒せないのに、相手は引き金を引くだけで相手を倒せる。しかも此方は命を危険に晒すのに、相手は身を隠して銃を撃てる。どっちが効率的な方法か、子どもでも判別出来る。
 この恰好をしていて道化だと嘲られることもあったが、よくよく考えれば滑稽としか言い様がない。兵士だけでなくギャングでさえも銃を手に入れられる時世だから余計に浮いて見える。
 ならば銃火器を持たない相手を討てばいいと考えるが……摩訶不思議なことに刀で斬れない相手が俺の考えている以上に存在していた。
 我威亜党は警察でも対処し難い蒸気鉄人を多く保有しており、拠点を襲撃した際には党員よりも数が多いくらいだ。
 鉄人達は殴る・体当たりなど単調な動きだけではなく内臓された機関銃をぶっ放してくる輩もいる。我威亜党の下っ端連中が束になってかかってくるよりも手強い。
 しかも鉄の装甲で覆われているため頑丈さが一番の取り得と来た。これでは正に文字通り刃が立たない。
 それよりも厄介なのは生霊の類だ。物理攻撃は全て通過してしまうので対処の仕様がない。一方的に嬲られるしかないのが腹立たしい。
 生霊への対処は巫女など霊力を持った者に任せるのが一番の有効手段だ。一部の霊力を持つ武器ならば攻撃が当たるらしいが……憎らしいことに大神が持つ銃は有効な模様だ。



 彼から引き受ける仕事以外にも幾つか剣術道場の師範代として日銭を稼いでいる。そうした手伝いをしていく中で気になることがあった。
 それはこの国で最も強い格闘家を決める大会があると風の噂で耳にしたものが、先日訪れた道場でそのような風聞を聞いていないと言われた。
 俺は侍なので武闘に興味は持っていないが、有名な道場は揃って呼ばれていないことに疑念を抱き探偵である彼にその旨を伝えておいた。
 すると後日、格闘家を決める大会というのは真っ赤な嘘で陸軍幹部の任月准将の差し金による八百長であることが彼の調べにより判明した。
 陸軍に籍を置いている大神に真相を問い質したところ苦い表情を浮かべていたのでこの手の不祥事は日常茶飯事の模様だ。流石にこの件に関しては同情を禁じえない。
 さらに情報を集めた結果、大会に呼ばれた歴戦の猛者達は万一にも勝つことがないように一箇所に監禁して弱らせているとのことだった。事態を重く見た彼はすぐさま身柄を確保すべく出場者が押し込められている現場へ急行することにした。情報を提供した俺もこの任務に同行することとなった。
 任月准将が用意した警備の者は正式な陸軍の兵士ではなく雇われの者らしく、銃で武装はしているものの扱いに慣れてないらしく幾度も戦場を経験した俺達の敵ではなかった。
 大会に出場する選手が押し込められている館に到着すると周囲を確認した上で踏み込んだ―――正に足を踏み入れたその時、視界の端に屋外へ投げ飛ばされていく彼の姿が目に入った。
 出合い頭の不意打ちだったとは言え、彼もそれ相応の武術を嗜んでいて容易に懐へ入られて投げ飛ばされるなんて有り得ないことだ。何度か稽古で相対したが、隙は見当たらず踏み込む間すら与えて貰えなかった。
 ……これが任月准将から委任された武闘家なのか。てっきり身勝手で周囲を振り回す無能な迷惑者とばかり考えていたので、これ程の使い手だったとは夢にも思わなかった。
 上背はそれ程高くないものの眼光鋭く構えに一分の隙も見当たらない。迂闊に近付けば手痛い反撃を貰うことに違いない。
 ちょうどいい。こちらも雑魚ばかりで退屈していたところだ。
 スラリと刀を抜いて、剣先をやや下に向け刃を寝かせて地面と平行になるよう保つ。一先ず相手の出方を伺うことにする。
 もし相手が打って出た場合には迎え撃って容赦なく薙ぎ払い、逆に相手に隙ありと判断すれば間髪入れることなく踏み込んで斬り下ろす。攻防どちらにも柔軟に対処できる構えで様子を見る。
 力量を図れない者ならば油断していると誤解して迷わず襲ってくるのだが、意味あり気にニヤリと笑っただけで間合いを詰めようとしない。
 試しにこちらが一歩踏み出すとその分だけ後退して一定の距離を保っている。しかも俺だけでなく他の仲間の動きも目で追いながら、だ。
 どうしても一対一で対峙していると目の前の人間に意識が集中してしまい、他の人間への警戒が疎かになってしまう。懸命に間合いを保った結果、追い詰められていたなんて笑い話にならない話はよくあることだ。
 釈然と周囲への警戒を怠らず、むしろ張り詰める緊張を楽しんでいる余裕さえ伺える。この者、相当な手練れに違いない。
 こちらの力量を悟った上で根競べに持ち込む算段のようだ。どちらが先に痺れを切らすか待っている様子だ。尤も、自分から攻めても勝てる自信を持っている風だが。
 さて。どうしようか。
 相手は丸腰で寸鉄すら帯びていない。間合いで勝負すれば刀を持つこちらが有利かも知れないが、接近戦となると相手の方が格段に上であることに違いはない。剣士は刀を奪われた途端に実力が一気に並の人間まで落ちる者が多い。
 このまま意地を賭けた我慢比べに突入しても構わないが、それでは相手の土俵で相撲を取っているようで気分が悪い。
 ―――ならば相手の誘いに乗ってみるのも一興か。
 こちらは複数。危うくなれば即座に援護が入るだろうし、万が一に俺が仕損じても仇くらいは討ってくれるはずだ。
 思い切って相手の間合いに踏み込む。寝かせていた刀を立たせた刹那、間を置かず一気に振り下ろす。自ら目掛けて落ちてくる白刃が肌に触れる間際まで見据え、左手で刀の側面を払い軌道を逸らす。
 真っ直ぐ振り下ろした刃が外され若干体勢を崩されたところで、反対側の拳で無防備となった俺の体に渾身の突きを打ち込む。
 しかし繰り出された拳を懸命に体を翻して避ける。位置が逆転した時点で再び同じ間合いを空けて向き直る。
 この間、僅か数秒。隙が生まれれば遠慮なく踏み込んでくる仲間達は、目の前で繰り広げられた光景をまるで演舞のような立合いだったと見惚れていた模様。
 一方の俺自身も刃を交えた瞬間から勝負を忘れていたが、危険を顧みず突っ込んだ身としては援護して欲しかったというのが正直な気持ちだ。
 「……やっと少しは骨のあるヤツが出てきたのぅ」
 自分の実力と張り合える実力者とようやく出会えたことを嬉しく思っているみたいで、不敵な笑みを浮かべて楽しそうな表情をしている。
 拳と刀を一度交えて盛り上がってきた。こうなればどちらが先に音を上げるまで根詰めてみたくなってきた。
 「―――そこまでだ!」
 不意に割って入った声。発せられた方向に目をやると見慣れぬ男が一人立っている。チラリと相手を見たがこちらも知らぬ存ぜぬという顔。
 「我こそは任月准将より託された、今大会において名を挙げる男、その名も……」
 嗚呼成る程、この茶番の優勝者か。
 風格も見た目も平々凡々で今相対する相手と比べても格が一枚も二枚も劣っていて、八百長でもしない限り知名度のある大会で優勝なんか到底不可能だ。
 そんなどうでもいいことよりも。
 「おい、お主。折角楽しんでいた所に水を差しおって……邪魔した落とし前どうつけてくれるかな?」
 額に青筋を浮き上がらせ、常時から鋭い眼差しがさらに険しくなっている。腹の虫を収めるには、突然降って湧いたお邪魔虫を退治するしか方法はない。
 ツカツカと歩み寄ると流れるように右の拳を顔に一発お見舞いする。あとは抵抗する暇さえ与えず一方的な展開で殴られていくだけ。
 この事態を終息したのはお邪魔虫が自ら発した断末魔の叫びを聞きつけた警備の者による中断だったという屈辱のおまけ付。助け出された頃にはすっかり顔の形が変わってしまっていた。
 一通り殴ったら気が済んだらしく、退散する俺達と一緒にその場を後にした。
 名を村上と言い、自分と対等に渡り合える猛者を求めて大会に応募したのだとか。幸か不幸か村上が通う道場の知名度が高くなかったがため招待状が送られてきたようだ。
 そしてこの事件を縁に彼の仕事に加わることになる。



 そして今、俺は彼の仕事を手伝って南の島にいる。
 ここまで幾度となく死線を潜り抜けて、ようやく体の使い方が分かってきたように思う。
 如何に相手との距離を詰めるか。誘き寄せるか、こちらから近付くか。駆け引きと共に瞬時の判断が重要となる。
 そして間合いに入ったり隙を見つけたその時を逃さず、斬る。力の入れ加減や身のこなし方など、実践の場において学ぶことも沢山あることを知った。
 歴戦の猛者は決して驕ることなく常に死を覚悟していたと聞く。この経験こそ、侍にとって財産なのだと思う。
 時折この島に住む先住民や島に生息する獣と遭遇するが難なく応じられる。複数体で一度に襲われても対処出来る術も身についた。
 だが……奥地に足を踏み込んだ現在、俺は岩陰に身を潜めて向こうから吹き付ける鉛の暴風雨から耐え凌いでいる。
 倒すべき相手は五十歩以上先に居る白兵が二人。移動が可能な大型固定式機関銃の銃口は、明らかに場に不釣合いな恰好をしている俺を標的にしていることは明白だった。
 既に周囲の木々は間髪入れず撃ち放たれる銃弾によって幹から折れて大地に伏せっている。身を挺して俺を守っている大きな岩もまた当初とは形を変えてしまっている。このまま鉛の雨に晒され続ければいつ崩れ落ちてもおかしくない。
 ここは思い切って一旦後退することにする。幸いなことに相手は跳弾防止に備え付けられている大盾のため視界が狭められている。助手の眼がないことを確認した上で、弾雨の隙間を縫って後方にある大岩へ一目散に駆ける。その際に一発の銃弾が掠めたが大事ない。
 ホッと一息ついたのも束の間、前方でそれまで断続的に発していた軽い音とは明らかに違う重低音が耳に入った途端、先程まで身を隠していた辺りから土煙が上がった。
 何事かと少しだけ顔を覗かせると大きな岩が跡形も無く粉々になっている無残な姿を晒していた。砂埃越しに眺めたら新手の対戦車砲が加勢していた。
 いつまでも姿を現さないネズミに痺れを切らした相手が一気に片付けるべく不釣合いな大物を繰り出してきたのだ。
 しかし、一掃するはずだった砲撃が空振りに終わった以上、相手は無遠慮に大筒と機関銃による絨毯射撃に切り替えるはずだ。そうなれば耐え忍ぶばかりで対抗手段を持ち合わせていない俺に万に一つの勝ち目はない。
 事ここに至れり。命運尽きた以上、覚悟を決めなければなるまい。
 胆が固まると存外すっきりした気分になった。心の隅にあった生きることへの執着や我が身を撃ち抜かれることへの恐怖が消えてしまったのだ。
 潔く銃撃の嵐を斬り込んで一人でも地獄へ道連れに出来れば御の字だ。幸いなことに双方次弾装填のため沈黙している。破壊力のある対戦車砲は連続して撃てないし、機関銃は一度撃ち尽くしてしまえば補充するまで火を噴くことはない。
 やるなら今だ。あとどれだけ装填するまで時間がかかるか俺には分からないが、今を置いて突っ込む好機は他にない。
 岩から躍り出る。ただ隠れるばかりで討って出るとは考えていなかった白兵に驚きの表情が浮かぶ。特攻をかける俺に早く準備を整えようと慌てる素振りが映る。
 これはもしかすると。一筋の光が見えたものの、機関銃の装填が終わったらしく銃口がこちらを向く。照準を合わせて引き金を引くよりも前に渾身の思いを乗せた刀が相手に届き―――そうにもない。
 駆ける足は止めない。最期の瞬間を迎えるまで諦めない。雄叫びが、心からの咆哮を叫びながらガムシャラに前へ進む。
 刹那―――一発の銃声が森林に響く。機関銃の射手が膝から崩れるように倒れる。隣で何事かと目を剥く砲撃手に今度はがら空きとなった背中へ一本のナイフが突き刺さり、がくんと地面へ滑り落ちる。瞬く間に二人が倒されて怯んでいる残り一人の白兵に、白刃が振り下ろされる。
 一時の沈黙は永遠のものとなった。
 この状況。立っているのはジャングルには似合わない羽織袴を着ていて刀を一本携えている侍が一人。傍には扱い手を失いガラクタと成り果てた機関銃と対戦車砲が一つずつ。
 何が起こったのか、何故生きているのか。置かれた現状が理解出来なかった。圧倒的劣勢に立ち、蹂躙されるがままだった俺なのに。
 先程まで絶え間なく音が発せられた中に居たので、打って変わって訪れた静けさに耳が慣れず居心地が悪いまま立ち尽くしていたら、脇の茂みが突如ガサガサと音を立てて揺れた。
 新たな敵かと刀の柄を握る手に力が入ったが、現れたのは今まで対峙していた碧色の瞳と白い肌ではなく、陽に良く灼けた茶色の肌でもない、俺と同じ黒色の瞳と肌色をした人だった。
 「無事だったか!?鋼!?」
 真っ先に駆け寄ってきたのは誘ってくれた彼だった。
 自身も戦闘でついたと思われる傷を幾つもつけているのに、自分のことなどお構いなしに仲間のことを心配する。
 元々危険な仕事であることを理解した上で引き受けて、しかも金で雇われている関係だからもっと突き放してもいいはずなのに、その点で彼は全員が無事に帰還することを望んでいる点では風変わりかも知れないが大した奴だと思っている。
 万能な彼は使っている得物は幅広い。そのことから察するに投げられたナイフは恐らく彼だったとして、その前に放たれた銃弾は一体。発射された角度はナイフの飛んできた場所とは正反対の位置なので彼であるはずがない。
 反対側の草むらから出てきたのは予想通りの奴だった。
 こちらは彼とは違い、手放しに無事を確認することは無かった。相変わらずの仏頂面は「手間かけさせやがって……」と言葉に出さなくても顔から滲み出ていた。
 頑なに肩から提げている銃だけを使い、腰からぶら提げているサーベルは鞘だけの竹光かと皮肉を投げつけたくなる―――大神だ。
 いつもなら―――そんな態度が気に食わないと噛み付く所だが、今はそんな気になれない。
 「足手まといになるなよ」と先日言われた言葉が、俺の心にずんと重く圧し掛かる。
 果たして酔狂に侍の真似事をしていて良いのだろうか。これまで疑うことのなかった疑念が脳裏に焼きついて離れなかった。



 何故侍になったのか。時々人に訊ねられることがある。
 よく勘違いされるのは“人を斬りたいから侍になった”と思われていることだ。俺は決して人を斬ってみたい衝動に駆られたことは一度もない。
 俺は侍の生き様や心意気に惚れて、侍として生きることを自ら望んだのだ。
 だが大正という時代は侍として生きるには辛く険しい。
 鉄人や霊は斬れない、刀の切っ先が相手に届くよりも遥か遠くの距離に居る者が放った銃弾は我が身を貫く。
 ならば何のために戦いの場に身を置いているのか。それも自らが志願してまで。
 単に侍になりたいだけならば安全な場所で羽織袴で居るなり甲冑を着けるなり好きにすればいい。恰好だけ似せても真の侍に近付けないからこそ、命を危険に晒して侍になろうと懸命に生きている。
 果たして、俺はどうしたいのだろうか。
 好き好んで侍になったはいいが、時代遅れで隊の足手纏いと化している。俺一人のために味方の命まで脅かして、一体何がしたいのか。
 そして身を投じた末に数多の命を奪ってきた。この手は拭いきれぬ程の血が染み付いて離れない。
 己の所業は何なのか。結局は自己満足なのではないか。
 考えれば考える程、答えから遠ざかる泥沼の渦中に居る気分になる。
 「どうした、鋼の。何を難しい顔をしちょる?」
 声の主は村上だった。修行上がりらしく上半身は裸で首に手拭いを巻いている。肌からは珠のような汗が雫となってあちらこちらから浮き上がっていて、風呂上がりの体みたく湯気が濛々と立ち昇っていた。
 格闘大会の事件から互いに気が合うみたいで、機会さえあれば一手交えることが度々あった。両者譲らず白熱しすぎて『死合』になりかけた、なんて笑い話にならないことも数える程度あるくらいだ。扱う武器は違えど齢も近く武人として認め合っている仲だから、だろうか。
 村上から声を掛けられて深刻な顔をしていることに気付いた。が、気を許している村上に気付いて貰えたことに内心安堵した。
 その様子が只ならぬと察した村上は真向かいに腰掛けて聞く姿勢を取った。その好意に甘えて、俺が抱いている疑問をぶつけてみた。
 “俺らは何のために戦っているのか”
 俺の問いかけに村上は特に表情を変えることなく「理由なんかないわい」と一蹴した。
 獲物を狙う野獣の如く相手を竦める鋭い眼光も、いつ顔を合わせても不機嫌だと誤解される険しい表情も、平素の村上そのものだ。
 「ワシは強くなりたい。ワシは強い者を倒したい。その一心で戦いの場に身を投じちょる。ワシは阿呆だから難しいことはわからんが、強くなりたいという気持ちに理屈も理由も意義も必要なんかないわ」
 単純明快。その口から語られる言葉に飾り気は一切存在しない。同じ道を行く者だからこそ俺の心にじんわりと沁み込んで来る。
 強くなりたいという自分の欲求を素直に応じているのだ。だからこそ村上は迷うことはない。
 そんな無駄なことを考えるのは心が弱いからだ、と言わなかった。恐らく村上自身も何度か悩んだ経験があり、それを乗り越えて導き出した答えなのだろう。
 己を鍛えることは肉体を昇華させるためだけではなく自らの迷いや不安を払拭するために行っているのだ。厳しい鍛錬をしている間は余計な考えが浮かぶ暇さえ感じない程に意識が集中している。
 俺もまだまだ未熟だな、と改めて思い知らされた気分になった。
 「久しぶりに手合わせ願おうか」と誘ったら村上は快く応じてくれた。先程まで猛稽古の余韻である荒れた呼吸も徐々に整いつつあり、肌に浮いていた雨粒大の大きさをした汗もいつの間にか乾いていた。
 俺の顔を見てニヤリと笑い、「受けて立とう」と返ってきた。やる気充分、互いに倒れるまでトコトン付き合ってくれるようだ。
 格闘家として顔が怖いは褒め言葉だと人は言うが、険しい顔を崩して笑うその姿は人懐っこさが前面に出ていて、それもまた村上に人を惹きつける魅力なのかも知れない。
 そのことを本人に伝えれば怒るかも知れないが、俺はそう思う。



 今回も彼に連れられて仕事を手伝っているものの、些か今日は疲れた。
 夜営を張りお粗末な食事を腹に入れて一息つくと、身を置いていた戦闘のことが知らず知らずの内に頭の中に思い起こされる。
 相手は白兵一人。だが手にする機関銃が一度火を噴けば俺に反撃する暇さえ与えて貰えない。
 機動力でも袴を穿く俺は洋服の相手よりも劣っている。案の定、劣勢を挽回することが出来ず身を潜めることとなる。
 そこへ他の者を倒した彼が駆けつけ加勢。怯んだ隙を突いて一気に畳み掛けてどうにか侍として意地を見せつけた。
 だが、仮に彼が来なかった場合はどうなっていたか。荒れ狂う弾雨に晒され続けて俺の体は蜂の巣と化していたに違いない。
 ギャングでさえ機関銃を手にしているこの世で侍をやることは、どう考えても時代遅れでしかない。粋がっても覆すことの出来ない現実が、自分の無力さをより引き立たせる。
 侍の心意気・生き様に憧れ勇んで戦場に足を踏み入れたのに、役立たず同然のこの身は一体何なんだろうか。幼い頃に抱いていた侍像が、今は霞んで映る。
 じっと目の前で火花を散らす炎を見据えていると誰かがこちらに向かって歩いてくる足音が耳に入った。願わくば苦悩する姿を誰にも見られたくなかったが、夜営していることなので衝立など存在しないので仕方ないと割り切れる。
 問題なのは、今最も顔を合わせたくない奴が来てしまったことだ。大神だ。
 「なんだなんだ、貴様らしくもない。侍をやるような馬鹿は無駄に元気ではないといかんぞ」
 嘲笑と呼ぶに相応しい軽口を叩くが、今日ばかりは反論する気力が湧いてこない。
 どれだけ技を鍛えても、引き金を引くだけで遠くの敵を倒せる銃や大砲が戦闘の主流となった時代では無意味に等しい。傍から見れば愚かだと映るだろう。
 心中を吐露すると大神は複雑な表情を浮かべた。
 「陸軍の上層部もお前くらい物分りが良ければな……」
 それから大神は仕える陸軍の愚痴を語り始めた。
 先日の戦争で手痛い犠牲を出したにも関わらず上層部は未だに“刀は銃よりも強い”という考えで凝り固まっているらしい。故に戦闘の基本は刀と銃剣とする基本姿勢を近々定めるのだとか。
 正直なところ俺でさえ懐疑的に感じていることを未だに馬鹿の一つ覚えの如く信じているとは。しかも動乱の匂いがまだ残っている明治の世ではなく今の時代で。
 その考えが正しければ徳川幕府は未だに健在に違いない。幹部達のご先祖様は皆揃って討ち死も同然だ。
 「お主が刀にこだわる俺を嫌う理由はそれか?」と尋ねると大神は縦に首を振った。諺で“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”とあるが言い得て妙だ。
 おまけに出身別に派閥が出来て内部は足の引っ張り合い状態だと来た。こんな醜態を近くで見せ続けられていれば自然と侍を毛嫌いしてしまう。
 全く、他人事とは言えこの国は一体どうなってしまうのだろうか。行く末を案じると同調する大神がさらに言葉を継ぐ。
 「そうそう、国の未来を心配するなら馬鹿な男の悩みなど小さい小さい。ましてや自ら求めて入った馬鹿の道ならば今更……」
 こうも馬鹿だ馬鹿だと連呼されると無性に腹が立ってきた。愚かな上司を持った者へ同情する気持ちではいたが、やはり根底には俺を馬鹿にする気持ちがあるみたいだ。
 俺自身を貶されるなら幾分マシだが、このままでは侍そのものまで馬鹿だということになってしまう。それだけは許せない。
 またいつものように噛み付くと、大神は楽しそうな表情を浮かべて「そうそう、そのくらい元気がないとこっちも張り合いがない。お主はそのまま一生そうやって侍を続けていてくれ」と言い残してその場からスタスタと立ち去っていった。
 もしかして俺を元気づけたかったのか?―――ならばアイツも俺と負けず劣らず不器用な奴だ。
 自分の信じる理想に向かって一点の妥協も許さず我が道を歩む姿勢は奇しくも俺の生き方と重なっているようにも思える。似た者同士だなと感じた瞬間、急に大神に親近感を抱くようになった。
 ああやって囃し立てる奴がいないと面白くない。お主に言われずとも俺はこのまま侍の道を突き進んでみせるさ。
 空には満天の星空が輝く。帝都で久しくお目にかかれない夜の下で一人そう誓った。



 自分の道を貫くことは決して楽なことではない。寧ろ適当な所で折れたり妥協したりする方が世間の荒波に上手く乗れるだろうし、他者から“大人になった”と映ることもあるだろう。
 平坦ではない道のりを歩んで惨めな思いをするなら最初から挑まない方が無難だと考える者も多いかも知れない。だからこそ大半の者は人生のどこかで生き方を変えている。
 恐らくそうした苦い経験があったからこそ子孫には味わって欲しくないと願って侍として生きてきた過去を封印してきたのだと推察する。平穏な暮らしを望むからこそ、ひたすら農民になりきろうとしたのだろう。
 その考え方も幾度も侍を貫いてきて辛く感じたからこそ分かる。
 だが、危ない目に遭って欲しくないというだけで侍の魂まで否定するのは如何なものか。現に苦境に立たされようと未だに侍を続けている者も居る。
 倉刈は家族を故郷に残して単身帝都へ出稼ぎに赴いている。生計が厳しいためオンボロな身なりをしていて刀を構えても腰が入っておらず見苦しいが、それでも刀を捨てようとはしない。
 命を危険に晒す仕事をしているのは遠い故郷で帰りを待つ家族を養うため。実際に報酬の大半を家族の下へ送り、自らは最大限の節制をして暮らしている。
 この仕事が一区切りを迎えた暁には今回得た金を元手にして開拓移民に応募して異国で家族と一緒に暮らすのだとか。その夢のために今日も倉刈は汗を流して頑張っている。
 時代は移ろい、侍は無用の長物と成り果ててしまった。どれだけ厳しい鍛錬を積んだ剣客でも引き金を軽く引けば簡単に討ち取れる現状、戦で役に立たないのは明白だ。
 しかし如何なる逆境に置かれても最期を迎える瞬間まで諦めず立ち向かう心の強さ、いつ戦が行われても良いように万全の備えをして日常を過ごす覚悟、そして多くの侍達が心血を流した結果の上で永い太平の世があったことを皆は忘れてしまったのか。
 確かに今の時代に不必要かも知れない。だが“使えない”“無駄”と簡単に切り捨てるのも如何なものかと思う。
 政府によって侍の魂である髷を奪われ、刀も奪われた。それでも侍は絶えていない。俺が最後の侍になろうと、生きている限り続けていく。
 侍の生き様を俺自身の手で証明してみせる。



 月日は流れて9月。彼が趣味だと公言していた野球人形のコンテストがあった翌日のことだった。
 足元が大きく揺れ、まるで大地が割れ裂けんばかりの大地震が帝都を襲った。揺れが収まって目の当たりにした光景は、それまで見ていた景色から一変していた。
 煉瓦造りの頑丈な建物も崩れ落ち、辺り一面瓦礫で埋め尽くされている状態で、あちこちで火の手が上がっているらしく黒煙が空に舞い上がるのも確認出来る。
 只ならぬ事態が起きたことは容易に察しがついた。最低限の身支度を済ませると無意識の内に彼が構える探偵事務所へと足が動いていた。
 資金面で余裕がないにも関わらず一等地に建っていた立派な事務所は見る影もなく崩れ落ちていたものの、彼や湯田は怪我一つなく無事な様子。俺が駆けつけた頃には何名か彼の元で仕事を手伝っていた仲間が集まっていた。
 そうこうしている間に面子が揃ったので、彼は仲間を幾つかの班に分けて被災者の救助や治安維持に動くよう指示を出した。一刻を争う非常事態でもあるので全員が了承して早速動き出した。
 常日頃から彼は探偵・冒険家として休みなく活動しているが、人を見て人を惹きつけ人を引っ張る能力は俺が知る中でも群を抜いて秀でている。金銭感覚が致命的に乏しいのは玉に瑕であるのはご愛嬌だが、当人は全く気にする素振りを見せない。
 彼を慕うからこそ立場や職業の違う仲間達は危険な旅にも躊躇せず手伝い、報酬が出るか分からない今回も進んで参加する。これこそ彼の人徳が為せることだ、と思う。
 まだ瓦礫が散乱する帝都の中心部へ出てきたものの、普段は表に出てこない我威亜党の下っ端連中が姿を現している。被災したというよりも市中制圧のため密かに動いていると受け止めるのは、やはり手にしている物か。
 もし仮に被災したのならば崩壊した家屋から最小限の荷物を抱えているはずだが、揃ってナイフや銃火器の類を所持している。非常事態であるとは言え、何かきな臭さを感じさせる。
 我威亜党は一体何を企んでいるのか。意図が読めない中、一発の銃弾が飛んできた。危険因子だと思って排除すべく発砲してきたのだ。
 これは看過することが出来ない。放置しておけば一般市民に被害が及ぶ可能性がある。
 白刃を抜いて音を殺して相手に近付き、間を置かず一人を斬り捨てる。直後に後方から援護射撃が入る。銃声を聞きつけた敵味方が集結してきて一気に大混戦の様相を呈した。
 人数からすれば我威亜党側が圧倒的に有利ではあるが、こちらは幾度も死地を切り抜けてきた一騎当千の実力者達。それが束になって迎え撃つので十派一絡げな戦力で太刀打ち出来るはずがなく、戦況は時が経つ毎に優勢へと傾いていった。
 団子状態の中で遠くから地響きが聞こえた。途端に相手は波が引くように最前線で戦っていた党員達が撤退していく。
 何事かと傍観するのも束の間、後ろ姿の先に横一列に連なって押し寄せる我威亜党が誇る蒸気鉄人軍団。大小に色も様々な鉄人が砂埃を上げて向かってくる光景は恐怖と言うより圧巻であり壮観でもある。
 頬に触れる風が妙に心地良い。窮地に立っているはずなのに清々しく感じるのは何故だろうか。
 チラリと傍らに佇む村上を横目で見る。なんと楽しそうな表情をしているのか。自慢の拳が通用しない頑丈だけが取り得の相手が無数押し寄せる、この現状で。
 「……鋼の、ワシは今この時を待っちょった。己の拳で鉄人共を屠る、この瞬間を!」
 ふと反対側に目を移すと、普段は矢弾が飛んでくるのを恐れて後ろに下がっている倉刈が前線に出てきていた。
 倉刈の持つ銃は旧式のため射程も短く威力も弱いため、鉄人の装甲を貫くには至らない。その点で言えば戦力の頭数に入っていない俺達と同じ部類に入る。
 「お主、怖くないのか?」
 怖くないはずがない。既に膝はガクガクと震えて顔から血の気が引いて白く映る。だが、その眦は遥か先から向かってくる敵を見据えている。
 正直な下半身とは対照的に実に男らしい引き締まった表情をしていた。
 「そりゃ怖いですよ。でも、一世一代の大勝負ですよ?……役に立たないかも知れませんが、ここで奮い立たないと故郷で待っている家族に申し開きが出来ないですからね。私なりに精一杯のことはさせてもらいますよ」
 滔々と語るその横顔は、明治の世を生き抜いてきた侍であることを強く印象づけるものだった。弱々しい声色とは裏腹に落ち着いた口調で語る倉刈に常とは異なる高揚感が言葉の端々から感じ取れた。
 目の前でこれだけ大見得を切られた以上、全力を尽くさなければ真の漢、いや侍とは言い難い。
 一歩一歩と大地を踏み締めるように段々と近付く度に地鳴りと振動が大きくなってくる。ぼんやりしていた鉄人の一挙手一投足が両眼ではっきりと視認できるくらいの距離になると、誰ともなく鉄人集団へ駆け出した。それを見て遅れてはならぬとばかりに前衛組が全員突撃する。
 大型鉄人が足元へ駆け寄ってくる敵に狙いを定めている最中、突如一体の鉄人が爆炎を上げて地面へと倒れこんだ。続け様に別の一体が頭から雷撃を受けて動作を完全に停止してしまった。
 背中を預けている後方支援組も、なかなかやる。負けじと前衛組も奮起する。
 気合を込めた一撃は銃弾すら弾く装甲も貫いて瞬く間に鉄人を動かない鉄屑へと変えていく。また敵対象を察知する眼の部分は材質が硝子のためか威力が劣る旧式銃でも撃ち抜けば眼の光を失って動かなくなる。
 これだけ仲間の活躍を見せ付けられている現状、俺一人だけ日和見していられるはずがない。ましてや拳で貫けるのであれば刀が通らぬはずがない。
 精神統一するため瞑目する。ここぞとばかり振り下ろされる鉄人の拳、大振りとなってがら空きとなった胴体。
 そして研ぎ澄まされた集中を一気に解き放つ。眼前に躍り出た体を迷いや不安と共に、斬る。
 直後、鉄人の体に刻まれた一筋の直線を境にして胴体が上下に分かれ、上半分は滑るように地面へと流れ落ちていった。
 一連の流れがまるでコマ送りになったような錯覚を覚える程に緩やかで濃密な時間だった。
 最初の一体を斬り伏せてからは無我夢中だった。一心不乱に刀を振り続け、視界に入った鉄人を次々と白刃の餌食にしていった。敵陣の真っ只中で俺は舞でも舞っているのではないかと勘違いする程、斬りまくった。
 自らの喚声も、所々で上がる爆炎も、目の前で繰り広げられる光景も、まるで他人事のように感じた。怒涛の如く過ぎ去っていく時間は幾許のものか見当もつかない。
 もう全ての感覚がこの戦場では鈍くなっていた。考えることすら忘れてしまっていた。
 眼前に二体の小型鉄人が躍り出た。内蔵されている機関銃の銃口がこちらに向けられるよりも先に手際よく二体を片付ける。だが視界に入った鉄人ばかり見ていて背中への注意が疎かになったことで僅かな隙が生まれた。そして自分一人だけ敵陣で孤立していることにも気付かなかった。
 ガッと自分の胴が締め付けられたと思った途端、俄かに体が宙に浮いていく。何事かと振り返れば、一体の大型鉄人が俺を掴んでいたのだ。
 くそっ、侮っていた。ただ向かってくるしか能がない連中としか頭に入ってなくて、人のように連携した動きが出来るとは想像もしていなかった。
 体をジタバタと揺らすがビクともしない。小型鉄人よりも分厚く強固な装甲のため倒すには破壊力のある武器が必要だが、元々巨大な対象物を想定した対戦車砲では人質となっている俺の身に危険が及ぶので撃てない。
 そして救出しようと前衛組も大型鉄人へ向かおうとするが、小型鉄人が一重二重と囲んで壁の役割をしていて容易に辿り着けそうもない。
 さらに足下には小型鉄人が銃口を揃えて俺の体に照準を合わせて待ち構えている。加えて逃すまいと大型鉄人が握る力も徐々に強くなってきている。
 このままでは蜂の巣にされるか捻り潰されるか。成す術なく命が尽き果てるのを待つしかないのか。
 体を圧迫されて徐々に息苦しくなる。瞼がゆっくりと閉じていき、眼に見える世界がゆっくりと黒色に染められて狭くなっていく。
 「―――……」
 折れそうな心に誰かの声が聞こえる。
 そんなはずはない。聞こえてくるのは蒸気鉄人が発する機械音のみ。仲間の声も騒々しい音で掻き消される。
 では、誰か。
 「命が燃え尽きる瞬間まで諦めない心。それこそ真の侍が持つ姿ではないのか」
 空耳でもない。幻覚でもない。遠いようで近い位置から、確かに聞こえた。
 声色は力強く自信有り気に、知らぬ声の主は俺の心に語りかけてくる。
 しかも不思議なことに聞き慣れた感じがする、どこか懐かしい声。
 「お前は侍の心意気に惚れたのではないのか?お前の憧れとやらはその程度の大きさだったのか?」
 嗚呼、ようやく思い出した。この声は―――俺自身の声だ。刹那、一発の銃声が耳に入る。
 ふと鉄人の締め付けが弛む。瞼が閉まる力を必死に堪えて眼を開けると、鉄人の頭が傾いている。片方の眼が一発の銃弾によって割られていた。
 一体誰が。目を剥いた先に偶然それを成し遂げた男の姿を捉えてしまった……片膝をつけて銃を構えてこちらを向いている大神の姿を。
 何重にも取り囲んでいる外から正確に制御部分へと銃弾を撃ち込む卓越した技術と失敗を恐れぬ大胆な胆を兼ね備えた存在。憎らしいがアイツにしか出来ないことを平然とやってのける。
 失いかけていた気力も尽きかけていた体力も甦ってきた。
 体の自由を奪っていた両手を撥ね退けると、すぐ真下に群がる小型鉄人を踏み台にして真上に広がる大空へ目掛けて飛んだ。
 もう既に満身創痍。俺の全部を、この一振りにぶつける!
 裂帛の気合を込めた渾身の一撃。頭の天辺から爪先に至るまで一直線に打ち下ろした。
 地面へと着地した直後、縦から真っ二つに割れた鉄人は再び繋がることなく大地へと吸い込まれるように崩れていった。覆い被さる巨体を避けきれず大勢の小型鉄人が下敷きとなる。
 その頃になると群がる鉄人を突破した仲間が合流すると共に後方組による一斉砲撃が行われた。間もなく大地を埋め尽くした鉄人達は殲滅した。
 自慢の鉄人軍団を打ち破られた我威亜党は敵ではなかった。遅れていた警官隊並びに陸軍が制圧、こうして長い長い一日がようやく幕を下ろした。



 大震災や我威亜党と繰り広げた死闘の傷跡も時間と共に少しずつ癒えてきた頃、久方振りに彼の探偵事務所へと足を運んだ。
 今回最大の功労者である彼は相変わらず世界を飛び回る忙しい日々を送っているらしく、財布の事情も前とほぼ変わりが無い様子だ。借りていた金は全額返済したのに余裕がないとは、行商人で相棒を務める湯田も辛いだろうと内心同情する。
 茶菓子で持て成され、彼の近況で話は大いに盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていった。
 やがて話が途切れると彼から「これからどうするんだ?」と尋ねられた。
 あの激戦の疲れや受けた傷も治ったが、嵐のように過ぎ去っていった日々を忘れられず手持ち無沙汰な毎日を送っていた。それもあって具体的に何がしたいか明確に決まっていない。
 とりあえず己を一から鍛えるつもりで帝都を離れて諸国に武者修行に赴く予定ではあるが、倉刈の話を聞いていて所帯を持ちたいという気持ちが強くなった。何れ嫁を貰って家を持ちたいと漠然には考えている。
 彼に一通り話したら「似合わないな」と腹を抱えて笑われた。失敬なと内心憤ったが彼よりも先に嫁を見つける自信だけはあった。
 その後に何か手伝うことがあったら遠慮なく呼んでくれと言い残して事務所を後にした。

 近頃、帝都では老若男女を問わず洋服を着ている人を多く見かけるようになった。羽織に袴それに刀を帯びている若い男は大勢いる男の中でも俺一人くらいなものだ。
 人と違うからと言って恥じる気も辞める気も毛頭ない。だってこれは俺自身が選んだ道なのだから。



 俺は生涯侍を続ける。
 一度熱を帯びて鎚を入れられた鋼は打たれる以前よりも段違いに堅くなる。この度の一件で俺の心は鋼のように堅くなった。
 そう易々と挫けることはない、鋼の魂を宿した侍は今日もどこか空の下を歩く。





     完


 前々から大正冒険奇譚編の鋼を書いてみたかった、と思っていました。
 ですが最初の方は書けても途中で「あれ?どうしたらいいんだ」と筆が止まってしまい、完成まで至りませんでした。(少なくとも3年前の段階で大まかな構想は浮かんでいました。何度か実際に書き出したものの、「何か違う」ってことでボツに……)
 何故急に甦ったかと言いますと、自宅で悶々と創作のことを考えていたら今までお蔵入りしていた大正冒険奇譚編の鋼の話が頭に浮かんで、「試しに書いてみるか」程度に軽く考えて買ってから大して使っていないレポート用紙にガリガリと書いてみました。
 ……これが自分でも驚くくらいに筆が進む、進む。一週間くらいで結局完成まで漕ぎ着けました。
 まぁパソコンへ打ち込む際に推敲していたので二週間かかりましたが。

 当初は大神ルートを基本にして村上を少し噛ませる程度、大神とのやり取りを終えてまとめて終わり、くらいに考えていましたが、いつの間にか倉刈とのやり取りが加わるわ、ラストバトルの裏側が出来上がるわ、締めもそれなりに纏まっているわ、と筆が作者を置き去りにして大暴走を遂げることに。(しかもパソコンに打ち込んでいる段階でも指が勝手に動いて加筆がかなり加えられている、というオマケ付)
 一応原作に基づいて書いていますが、今回は脚色したり端折ったりしてます。なので原作をやられた方でも「あれ?」と思われるかも知れませんが、二次創作ということで大目に見ていただければ幸いです。
 そして意外に頭を悩ませたのが題名。完成間際まで『侍』と一文字だけでした。思い浮かばない時は本当に出てこないものです。

 やっぱり文章量ががっつりある作品っていいですよね、と思っているのは私だけでしょうか?

 (2013.04.01. up.)

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