クリスマスと正月という二大イベントが終わった後に待ち構えている実力テストを乗り切ると、一月はほとんど何もない月となる。
だが一月の下旬頃から徐々に学校内に変化が訪れる。三年生が三月に卒業を迎える準備が始まるのだ。
卒業制作や思い出作りなんて話も時々耳にするけれど在校生にしてみればあまり縁の無い話ばかり。まだ実感が湧かないこともある。
そして二月になると今度は別の意味で慌しくなるイベントが待っている。バレンタイン?確かにそうだけど私は関係ないかな。
入試シーズン真っ只中にあるので、受験用の試験を作成したり、入学願書の受け付けに忙しかったり教師達は皆忙しいのだ。
そんな先生達の緊迫感とは裏腹に生徒達は束の間の休息を心待ちにしていた。入学試験のある日は全休なので、その日は平日にも関わらず遊びに行けるからだ。土日に遊ぶのは当然のことだけれど、平日に遊ぶのもいつもと違って楽しいからだとか。
でも私には入試の時期になるとどうしても思い出してしまうことがある。
あの時もしも先輩に出逢わなかったら、この学校に入っていなかった。
入ることが奇跡と言われた高校に行くよりもずっと大切な先輩に。
[ 出逢い ]
* * * * *
地元の花丸高校に進学するつもりは全くなかった。当時の私が目指した志望校はかなりレベルが高く、合格するのが難しいと言われていた。
そのため万が一のことを考えて保険のために受験しておくように、と周囲からアドバイスを受けたのだ。
正直私とすれば、そんなことに時間を費やすのならば勉強した方が有意義だと思っていた。
しかし結局は周囲の薦めに抗いきれずに花丸高校を受験することにした。不本意ながら絶対に受かるという保障がなかった。
試験は二月の第二週。本命の受験日はそれから一週間ほど後だったので、予行演習のつもりで受ける気持ちでいた。
やるからには手を抜くつもりは一切ない。例え偏差値で見ればほぼ確実に受かる学校だったとしても油断すれば痛い目を見るのは自分だ。
もしも行きたい高校に行けなかった時には通わなければならない学校だ。全力は尽くすつもりだ。
来るべき時を迎えるべく前日の夜までみっちり試験勉強に明け暮れた。その日はいつものように電気を消したらぐっすりと眠ることが出来た。
翌朝。目覚めはすっきり爽快。朝ごはんもしっかり食べた。
忘れ物がないかちゃんと確認。受験票、学生証、筆記用具、要点をまとめた自作ノート。
よし、準備は万端。いざ行かん花丸高校へ。
道順は昨日下見に来たので大体頭の中に入っていた。
防寒装備はばっちりしてきたはずなのにバス停でバスを待っている間で大分肌が冷たくなっていた。白い息がふわふわと漂って、いつの間にか空に吸い込まれるように消えていく。
ようやく到着したバスに乗り込むと、受験生と思しき学生服に身を包んだ生徒が数多く乗っていて混雑していた。その内の何人かは学校で見たことのある顔が混じっていた。
どうにか届くつり革に掴まりユラユラと体を右に左に揺らされて、どうにか最寄のバス停に到着した。
降りていく学生達の表情は皆堅い。もしかしたら私もこんな顔しているのかな、とちょっと気になった。
少し歩いたら花丸高校の正門前に到着した。私と同じように試験を受ける学生が次々と学校の中に吸い込まれていく。
いざ校舎を目の前にすると柄でもなく少し緊張してきた。いつもならもっと肩の力が抜けているのに。
試験会場は番号順で教室が割り振られているので受験票を見て確認しようと鞄の中に手を入れた。
……あれ?
受験票を入れた鞄の前ポケットを確認したが見当たらない。
いつも模試とかある時はこの場所に入れているのに、今日はそこに入っていない。もしかして別の場所に入れたのかな。
よく親から「あんたはそそっかしいからね」と注意されるから今回もその類だと簡単に考えていた。
人通りの多い正門前から離れた場所に移動して、鞄の中をもう一度改めて確認する。
いつも受験票を入れている前ポケット、もしかしたら間違えて入ったのかも知れない内ポケット、何かに挟まっていないかノートの類まで見てみる。
ない。
受験票が、ない。
家に忘れてきたのか。バスに乗っている時に落ちたのかな。それとも学校?
様々な場所が頭に浮かぶが、どれもこの場所から離れている。取りに行っては試験時間に間に合わない。
でも受験票がなければ試験を受けることが出来ない。
もう八方塞がりな状態だった。
どうすればいいのかわからないし、どうしたらいいか聞きたくても周りに人はいない。
自分一人ではどうすることも出来ない。頭の中はゴチャゴチャになるし、動揺する自分を抑えることすら難しかった。
だが無常にも時間だけが過ぎていく。時計の針が刻々と私の心を追い詰めていく。
「どうかしたの?」
この学校の生徒と思われる男性が私の前に立っていた。人が近付いてきたことすら認識できないくらいパニックになっていたみたいだ。
気のせいか目の前の景色がぼやけて見える。もしかして私は涙目になっているのかも。
「え、あ、その……」
頼みとなる人が現れたことによる安心と、一刻も早く状況を打破せねばならないという焦燥が、綯い交ぜとなった。
「助けて下さい!」
思わずそう叫んでしまった。この言葉が今私を意味する言葉かどうか定かではないが、助けを求めていることには変わりは無い。
そして突然見ず知らずの女性から「助けて下さい」と叫ばれて半分茫然としていたが、相手は年長者としての余裕からかすぐに平静を取り戻した。
何がそんなに困っているのかを聞くために、まず私に落ち着くよう話してくれた。他愛もない話をして男性は私の心を徐々に落ち着かせてくれた。
やや冷静を取り戻したところで今度は何故困っていたのか訊ねてきた。先程とは違って何がどうなって困っているのかを相手にわかりやすく伝えることが出来た。
受験票を失くしたことがわかると、今度は試験を取り仕切る事務局にまで私を連れて行ってくれて、事の経緯を説明してくれた。
そこからは事務局の人に言われるままだった。本人であるか確認するために学生証を提示、願書の写真を照らし合わせて本人確認、受験者本人と確認されて無事受験票が再発行された。
これで無事試験を受けられる。受験票がないという最悪の事態から脱出することが出来た。
「本当にありがとうございました」
私は深々と頭を下げた。本当に言葉に言い表せない程の感謝の気持ちで一杯だった。
あの時この人が通りかからなければ、私は今頃不安と焦りと自責の念で自分を見失っていただろう。とても試験を受けれるような状態ではなかったに違いない。
その窮地を救ってくれたこの人が、今私にはヒーローに見える。
「いや、いいって。それよりも時間大丈夫?」
ちらっと腕時計を確かめると、試験開始の時間が迫っていた。立ち話をしている場合じゃない。
本来ならばもっとお礼の言葉を言っておきたかったけれど、後ろ髪を引かれる気持ちで試験会場へと向かった。
去り際に「試験頑張ってね」と励ましの言葉まで頂いた。これはもう頑張らない訳にもいかない。
私のためにこれだけのことをしてくれた人のため、合格するためにベストを尽くそうと誓った。
数ヵ月後、入試の結果が届いた。
花丸高校は当然ながら合格通知が届いた。だが周囲を驚かせたのは、かなり厳しいとされた難関校に合格したことだった。
受かることが奇跡とまで言われる所以は受験者数が圧倒的に多くて倍率が高いことと偏差値が高いこと。
さらに加えて制服が可愛かったり設備が充実していたり魅力的な部分が多いことが挙げられる。
そんな高校に合格した私は、当然のことながらその高校に行くものだと皆思っていた。
でも、違った。私が選んだのは花丸高校だった。
確かに合格できたことは率直に嬉しかった。正直合格するのは難しいと自分でも思っていたから喜びは倍増だ。
けれど、それ以上に魅力的なモノに出逢ってしまった。
私の窮地を救ってくれた先輩だ。
あの先輩がいる高校に行きたい。試験が終わった後からその思いが日に日に強くなっていった。
みんなはこの選択に不思議がったけれど、一切迷いなど無かった。だって、私を待っているのは明るい未来だと信じているから。
* * * * *
あの時の選択に後悔していない。むしろ充実した毎日を送っている。
入学して早々に先輩を見つけて合格の報告をしに行くと、先輩は私の姿を見て自分のことのように喜んでくれた。
携帯電話の登録も先輩が一番最初。部活に励んでいる先輩を校門前で待っていたり、一緒にお弁当を食べたり、試験前には二人で勉強したり。
花丸高校に入ってから私は青春を謳歌している。先輩も私と同じ気持ちに違いない。
先輩は運命を変えてくれた人。
不幸のどん底にあった私を救ってくれて、
私にこんな楽しい学校に入るキッカケを作ってくれたのだから。
運命を変えてくれた先輩と、共に歩んでいくつもりだ。
先輩が卒業しても、私が卒業しても、これからずっと変わらないだろう。
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