北国街道の宿場町・・・。
そこの蕎麦屋に二人の男がいた。
一人は見た目は三十路に入ったくらいの痩せ男。この時代の者にしては珍しく丁髷を結っていないスタイルである。
対して片方は体格はどっしりとした巨漢。髪の毛はうっすらとあるが到底多いとは言えない。
しかし両人共通し、刀を持っていた。
痩せ男は日本刀を二本、大男は大刀を一本、自らの傍らに大切そうに置いてあった。
大刀の大きさは軽く(現代風に)2メートルは超えている。勿論鞘に収まるハズが無く、簡単に布で覆っているだけである。
「・・・和尚。貴殿は何を召される?」
痩せ男は大男に対して訊ねた。
「う〜む。私は一応仏に仕える身。普通の盛蕎麦を頂きたい。」
「では拙者も。」
二つ盛蕎麦を店の者に頼むとのんびりお茶の味を楽しんだ。
数分後、注文した盛蕎麦が届くと早速箸を手に持った。
手を合わせて合唱すると早速蕎麦をダシに付ける。
ずずずっ、と口の中に入れると蕎麦の香りが広がった。
「うむ、美味。のう、和尚。」
“和尚”と呼ばれる者は只黙々と蕎麦を口に運ぶ。
対して痩せ男は蕎麦の味を堪能しながら味わっている。
そうこうしている内に痩せ男は3分の2を食べ終えたところで席を立った。
残りは和尚が処理して全て平らげた。
和尚は空になった皿の前で合唱し、のっそりと席を立った。
「毎度。」店の主が涸れそうな声でお客を送り出した。
外に出ると、太陽の光は道を旅する者に容赦なく照りつけていた。
編み笠を被っても長い間旅をしてきたせいか穴が転々と空いている。そこから太陽の光が入ってくる。
幸い海沿いに街道があり、海からの潮風と防砂に植えられた松の木陰で幾ばくかは暑さは和らげていた。
先を急ぐわけでもなく、のんびり景色を堪能しているわけもなく普通の旅人の速さで歩いた。
と、行き先で何やらもめ事が起きているのが見えた。
「む。和尚。なにやら起きているようですね。」
「・・・私は遠慮させて頂きます。この図体ですので目立ちます。」
「では拙者のみで行かせていただきます。」
「その方が宜しいですね。では私は先に行っていますので・・・。」
和尚は体に似合わず俊敏に走った。無論あの大きな刀を肩に携えて。
人集りのある場所に人をかき分けて行ってみると材木が散乱していた。
さらに直径1メートルもある大木が女性の上にのし掛かっていた。
話を聞くところに寄ると御神木を運んでいる連中が松の木に御神木を立て掛けて置いて休憩していると松の木が重みに耐えきれず折れてしまった。
そこに偶然通り掛かった若い女性が運悪く下敷きになったとか。
その材木は御神木の下に入れてコロコロと運ぶ為に使われていたらしい。
「おい、どうするべか。」
「この御神木は大の男30人はいないと動かすことすら出来ないだ。」
「・・・拙者に任せろ。」
先程の痩せ男が大きな御神木の前に立った。
ざわざわとしている観衆が徐々に静かになっていく。
辺りには風に揺れる松の枝の音と海の漣しか聞こえなくなった。
侍は瞼を閉じて自然体の立ち振る舞い。
カッと目を開くと刀の柄に手をかけてサッと大木を切った。
おぉっ、と周りの旅人は歓声を上げた。
女性は今がチャンスとばかりにそそくさと木の下から解放された。
しかし運び手の顔は一瞬にして蒼白となった。
「お、おい!お前さん。御神木を真っ二つに切りやがって・・・。罰が当たるべ。」
「心配御無用。さ、手伝って下され。」
侍は一生懸命二つになった丸太をくっつけようとした。
何が何だかわからないが運び手も手伝う。
切り口を重ねてみるとなんと元に戻ったではありませんか!
「おぉ、何事だべか!?」
「ご、御神木に神様の力が乗り移ったのだべか!?」
日本という狭い国で数える程しか使える者がいない神業とも言える剣技「戻し斬り」。
切り口の細胞を壊さず切ることにより、後々切り口を合わせると見事切る前と変わりないようにくっつくのである。
それにはタイミングと巧みな技が必要とされるため、使い手は滅多と言うほど現れない。
そんな凡人には何が起こったのかわからずガヤガヤとしている間に侍はスタスタと歩き始めた。
そこに先程下敷きになっていた女性が近付いてきた。
「あの・・・ありがとうございます!!!このご恩一生忘れません!」
「これはわざわざ丁寧に・・・。感謝致す。」
「あの、お侍様のお名前を伺って宜しいでしょうか?」
「拙者?拙者の名は坂本永禮(さかもとながれ)。全国を旅する浪人也。」
『雨露』 作:FourRami
女性はペコリと頭を深々と下げると夏の北国街道へ足を進めた。
それを見送ると坂本は女性とは反対方向へ先を急いだ。
先刻も書いたが、“和尚”が先に行っているからである。
だが体が大きいので直ぐに息を切らして何処かの茶屋で腰を降ろして団子でも食らっているに違いない。
そんなに急ぐでもなく、早足で歩くことにした。
坂本の予想通り茶屋で団子を食らっていた。
「遅かったな。坂本殿。」
合図のように手を挙げるが、その手には串団子が。
既に何本かは満たされていない腹に収められているらしく、皿が何枚か重ねられていた。
「和尚殿の食欲は何時になったら満たされるのでしょうか。」
「はははっ。まだ何本もいけますぞ。」
冗談で言ったハズが真に受けて聞こえたらしい。
それに溜め息を吐き出してこれ以上食べないように勘定を頼んだ。
最後の串団子も一口で食べ終わると口に含みながらまた歩き始めた。
「・・・この調子なら行程通りあと3日で琵琶湖を望めますぞ。」
歩きながら坂本は話す。口には途中道端に生えていた雑草をくわえて。『武士は食わねど高楊枝』といった所か。
余程串団子が食べられなかったことが悔しいみたいだ。
そんな心境をいざ知らずに歩く和尚。
「私達は本当に近江に入ることが目的でしょうか。」
「さぁ。拙者にはわからない。終わることのない旅だと思うので、安息の地を求めるにはまだ年齢が早いですよ。和尚。」
「私は近江では訪ねたい場所がある。その場所では個別行動をしたい。それでも良いでしょうか?」
飄々と笑顔を絶やさない和尚が珍しく真剣な顔をして話した。
「まだ着いていないのでわかりませんが、今のところ構いませんよ。」
坂本は素っ気なく返事を返す。
感謝致す、と和尚は手を合わせて感謝したが気付いているのか気付いていないのかスタスタと足を止めることなく歩いていた。
夕暮れになり、宿場町が近くなってきた。
「どうします?今夜の宿はあそこにしませんか?」和尚が訊ねた。
「拙者はあと数里先の宿場町の方が都合が良いと考えるが。如何致す?」
どちらも決めかねていた。この先の宿場まで行くまでに確実に陽が落ちているだろう。
そうなると夜盗が出てくる可能性が高くなり、持ち金はおろか命まで奪われてしまうやもしれぬ。
無難に近場の宿場で一夜を明かすのが最善。しかし明日の行程を考えると平地続きの次の宿場まで行った方が明日歩く距離は少なくなる。
それに明日は峠越えが待ち構えている。今日多く歩いて少しでも距離を稼いでおきたい。
しかし考えている暇もない。ぐずぐずしていたら陽が落ちる。
「・・・先を急ぎますか。」和尚は決断した。
「ですね。」相槌を打つように返事を返す。
善は急げ、とばかりに二の足を踏み出すスピードが早くなった。
幸い日が沈むまで時間があった。なんとか周りが暗くなる前に次の宿場に着いた。
部屋に通されると今日一日の疲れを癒やすことにした。
朝早くに起きてから陽が落ちるまで食事・休憩を挟んで何時間もぶっ通しで歩き続けているからだ。
旅籠の食事を済ませると坂本は風呂へ一路直行した。
風呂まで少し距離はあったが温泉が源泉かけ流しだったので早速温泉を堪能しに向かった。
ざぱぁっ、と豪快に入ると疲れが染み出る快感に陥った。
「あぁ〜。」
誰もいないので誰隔たりなく大声を上げた。
手勺で水を掬うと顔に運んで顔を洗う。
昼間にかいた汗が疲れと共に温泉の中に染み出るような気分になる。
風呂から上がると草むらの方へ歩いていった。
誰もいないはずの周りを伺いながら草むらの奥深くへ進んでいった。
「・・・鳥。」囁いたような声でボソッと呟いた。
その声は木の葉が擦れる音でも聞こえないような音で。
「魚。」木の上から声が聞こえた。人が居る。
「我々は明日には山を越える。近江に入ったらどうすれば良いのだ?」
「上からの命令はまだ下されていない。3日後、琵琶湖の甲の場にて待つ。追々詳細を話す。」
「了解。その時に路銀の手配を上に頼む。」
「心得た。では3日後。」
木の上の者は風のように消えていった。
そう、彼は幕府から派遣されている庭番(密偵)である。
諸国放浪の旅をしているのは謀反の疑いがないか隈無く探しているからである。
坂本も相当の腕の持ち主である。先程披露していたように居合いの技は右に出る者は居ない。
通称“剣士”。現在風に言えばコードネームである。
敵に本名を悟られないために常に通称で呼び合っている。
対して相方“和尚”の本名は中岡頑真(なかおかがんじん)。見た目通り怪力の使い手である。
一応仏門に仕える身。しっかり右腕には数珠を携えているがイマイチ殺生を慎む部分は欠けている。
外見も数珠を外せば浮浪者に見えないこともない。決して武士とは思われることがない。
先程風のように立ち去ったモノについては後々紹介しよう。
翌朝。空を見上げると一面曇り空が横たわっていた。
朝餉を早々と済ませると早速草鞋に足を通して宿場を後にした。
厚い雲が空を覆っている状況。下手したら大雨で旅路に影響が出かねない。
自然と進める足も速くなっていた。せめて峠だけは越えておきたい。
更に雨が降ると泥濘(ぬかるみ)に足を取られたり、体力を消耗したりで翌日に疲労を残すことになる。
「和尚!ぐずぐずしていると置いて行くぞ!」
「ハァ、ハァ・・・。待ってくださらないか。」
黙々と先行して歩いている坂本に対して中岡が既に息を切らしている。
峠が近付くに従って坂道が増え始め、さらに上空の雲の色も黒くなってきている。本格的に降り出すまで一刻もかからないだろう。
ようやく頂上の茶屋に着いた頃、雨はポツポツと降り始めた。
中岡の肩は激しく上下に行き来している。担いでいる大刀もそれに合わせて上へ下へ上下している。
「どうする?少し腹にモノを入れるか?」坂本が気遣って話しかける。
「・・・そうですね。握り飯でも入れましょうか。」
ドカッと椅子に腰掛けると少しは落ち着いたらしく、茶屋の娘が持ってきたお茶を一気飲みした。
懐から早朝に作ってもらった握り飯を取り出すと貪るようにありついた。
「おいおい、和尚殿。そんなに急いで食べたら喉に詰まりますぞ。」
「心配御座らぬ。いざとなったら水で流し落とすまでで御座います。」
少々荒い言葉遣いなのでどう見ても旅する高貴な坊主とは思えない。
雨は次第に地面を叩き付ける音を立てて本降りになってきた。
半時ほど経つと雨は弱くなってきた。
休息を入れていた二人は再び身支度を始めた。
「さて、大分時間が経ってしまいました。そろそろ参りますか。」
坂本は立ち上がるとつられて中岡も立ち上がる。
幸い雨も小降りになり、此処からは下り坂。少しは負担は少なくなる。
スタスタと小雨が降りしきる中歩み始めた・・・。
また半時ほど経った時。
周りは断崖絶壁に囲まれ、人二人が並んで歩くのがやっとなくらいな道に差し掛かった。
「むっ。」坂本は異様な殺気を察知した。
自然と自分の左手は鍔を握り、体が身構えていた。
その様子に気付いた中岡も周りを見渡す。誰一人として旅人が居ない。
「・・・敵か。」
「左様だな。後ろから5名、前から2名・・・。」
中岡は布を巻いておいた刀を取りだした。
二人とも臨戦態勢に既に入っている。どの角度から敵が襲ってきたとしても直ぐに対応できる。
と、後ろの道から巨大な岩が転がり落ちてきた!
「和尚!後ろを頼む!拙者は前を片付ける!」
「心得た!」
坂本は後ろの守りを頼むと一直線に前に突っ込んだ。
右手は刀のすぐ近くにあり、いつでも刀が抜ける。
すると彼から向かって左の草むらから侍が飛び出してきた!
「覚悟!!!」
振り上げた刀を一気に振り下ろしたが虚しくも空を切った。
次の瞬間刺客の斜め後ろから剣を薙ぎ払う坂本の姿が見えた。
(残り一人・・・。)
そう思って目をやると左の方にホゥと赤い光が見えた。種子島(火縄銃)だ。銃火器相手では剣は歯が立たない。
咄嗟に左手で脇差を抜くと銃口目掛けて投げつけた。
隠れていた敵は怯んで銃口を上に向けたところに相手の懐に踏み込んで肩を一刺。もんどり打って相手は倒れ込んだ。
これで前方の刺客は全て片付けた。先程投げた脇差を鞘に戻すと突如何かが聞こえた。
「うぉぉぉぉっ!!!」
中岡の大声に振り返ってみると両の手を充分に使って巨岩を受け止めている姿が見えた。
このままでは巨岩の裏から不意打ちを喰らう。
そう直感で判断した坂本は一気に駆け戻り、彼の肩を使って一気に跳び上がった。
やはり思った通りだった。坂の上には弓兵が一人居た。
矢を番え弓を弾くと空中にいる坂本に目標を定めた。空中に居るためどうにもこうにも避けることは出来ない。
ヒョッと空気を切る音が聞こえた。矢を放し、勢いを付けて一直線に向かって来る。
空中で剣を使って叩き切ると次の跳足で弓を番える弓兵を真横に切った。
「クッ、引け!引くぞ!!!」
残りの4人の内真ん中に居た頭領と思しき大男が大声で言い放った。
これで奴等は我々を襲ってこない。そう確信した坂本は剣を鞘に収めた。
フゥ、と溜め息をついて後ろを振り向くと中岡が居た。
「大丈夫だったか。」心配そうに声をかけてきた。
「そっちこそ大丈夫か?あんな大きい物抱えると明日は腰痛じゃないのか?」
真顔で冗談を言うと先程の藪に歩いていった。
一人肩を刺して生かしておいた連中の仲間から事情を聞くためだ。
先程の男を明るい道に引きづりだすと質問をした。
「・・・お前達は何者だ?」
坂本は初めから低い声で脅すように尋ねた。
「う、うぅぅ・・・。」男は未だに傷が痛むのか何も喋らない。
突き刺して動きを奪っただけだが傷はそんなに深くはない。2、3ヶ月程療養すれば治るだろう。
身なりは地元の猟師のような感じだった。しかし忍びの者や闇の刺客もこれくらい当たり前のようにしてくるから簡単に判断できない。
「仕方ない。その傷なら片腕は何ともないのだが此処は貴様の片腕を一生動かないよ・・・」
「ま、待ってくれ!全て話すからそれだけは勘弁してくれ!!!」
簡単な脅しに引っかかるとは・・・。コイツ、忍びでも刺客でもないな。そう判断した。
話を聞いていると旅人目当てで野盗をしている連中でここら辺を縄張りとしているらしい。
北国街道でも有数の難所という事で攻めるに易く、逃げるに易い場所でもある。
しかし引っかかる事があった。
金目当てなら巨岩など使わなくても数で攻めれば良いことをこの連中は手の込んでいる事をしている。
大体普通の猟師だったら火縄銃など持ち歩いていない。大概弓で仕留めるのが主流。
どうする?という言葉を含めて中岡をチラリと見た。現在風に言えばアイコンタクトである。
すると反応した彼は珍しく坊主みたいな口調で話し始めた。
「今回のことは魔が差してやったことでしょう。毎日、仏の前で念仏を唱えなさい。さすれば罪は消え去るでしょう。」
「は、ははぁっ!!!」土下座の体勢で頭の上で手を合わせて合唱をした。
「仏のご加護を・・・。南無阿弥陀仏。」
「ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・。」
肩の傷の手当をしてやり、先を急ぐ二人が見えなくなるまで彼は地面から額を離すことはなかった。