天正十年五月、安土にて

 天正十年四月二十一日。織田“上総介”信長は甲州征伐から安土に凱旋した。
 ただ、安土を発した三月五日の段階で、既に大勢は決していた。家臣の離反が相次いだこともあり、武田勝頼は三月十一日に天目山にて自害。信長が戦場に立つことは無かった。その後、論功行賞を終えると東海道筋を見物しながら戻ってきた。
 信長、この時齢四十九。黒の南蛮甲冑に赤のビロードという出で立ちは、色白で長身の信長によく似合っていた。
 馬上から真っ直ぐ前を見据え、粛々と歩みを進ませる。長年苦しめられてきた武田家を滅ぼしたにも関わらず、その表情は険しい。日ノ本を一つに統一する天下布武の実現が迫り、絶頂期を迎えているはずなのに、何故そのような表情をしていたのだろうか?



  天正十年五月、安土にて



 鎧を脱いで平装に着替えた信長は、天守閣の最上階で一人くつろいでいた。
 襖を開け放ち、はだけた胸元に扇子で風を扇ぐ。南蛮渡来品の椅子に座り一時の涼を味わっていると、階段を上ってくる足音が聞こえてきた。
 足音だけで誰が来るかすぐに分かった。信長は抜群に頭の回転が早く、記憶も鮮明だ。何度か顔を会わせた者ならば名前や年齢だけでなく、生国や家族構成まで覚えていた。
 傍らで控えていた美少年がさり気なく下がると、入れ替わりに階段を上ってきた人物が部屋へ入ってきた。
「お帰りなさいませ、上様」
 柔らかな笑みを湛えながら挨拶する女人。それに対して信長は「うむ」と短く応える。
 信長は若い頃から言葉数が極端に少なく、部下も主君の意向が読み取れず困惑する事も多々あった。おまけに平時は表情の変化に乏しいので、顔色から推察するのも難しい。
 しかし、女人はあまり気にすることなく信長が座る向かいの椅子に腰を下ろした。当時の日本人には少々座高がある椅子だが、女人の足はしっかりと地面に着いていた。
 特に話しかける訳でもなく、向かいに座る信長を眺めるだけ。一方の信長も、無言で窓から吹き抜ける爽やかな風を感じながら、外の景色を眺めていた。
 窓の外には琵琶湖や比叡山、眼下には安土の街並みが見える。雄大な景色は慣れると飽きてくるが、人々の営みは一時も同じ瞬間がないので眺めていても飽きることがない。
 女人は長く艶のある黒髪を風に揺らしながら、信長と同じ方向に視線を送っていた。言葉も視線も交わさないが気にする素振りを見せず、共に居るだけで満足している様子だ。
 暫くその状況が続いていたが、汗も引いて一心地ついた信長は一つ息を吐いてから女人の方を向いた。
「老いたわ」
 吐き捨てるように発した言葉に、女人は小首を傾げた。
「上様が、ですか? あまりお変わりないように思いますが……」
 織田家の血を引く者は、美男美女と評される人が多い。信長の妹・市は周辺諸国にも知られる程に絶世の美女であり、信長もまた美丈夫であった。五十手前となった信長だったが、齢を重ねても肌は透き通るように白く、身体も引き締まって余分な肉は付いていない。若い頃と比べても外見に変化は見られなかった。
「そういう“濃”こそ、変わりないではないか」
 信長から“濃”と呼ばれる女人。正式には“帰蝶”と言う名前で、信長の正室である。
 帰蝶は一代で美濃を手中に収めた斉藤道三の娘で、三十年以上前に織田家と斉藤家の友好の証として嫁いできた。信長は『美濃から来たから“濃姫”』と安直な理由で帰蝶をそう呼んだが、当の本人もその名前が気に入ったのか“帰蝶”ではなく“濃”と名乗る辺り、案外お似合いの夫婦なのかもしれない。
 美濃を手に入れて濃姫の利用価値が薄れても遠ざけられることなく正室として扱われているのは、何かと気難しい信長と相性が特に良かった事が大きい。人を道具のように扱う信長は、利用価値が無いと判断すれば迷いなく斬り捨てることで有名だっただけに、濃姫の存在が如何に特別なのかがこの一点だけでも伺える。
 濃姫は袖を口に当てて、高らかに笑った。
「あら、私もこう見えてお婆に近づいていますよ。髪に白い物が混じるようになりましたし、皺も増えてきました。近くでご覧になります?」
 そう言って誘うと、信長は体を乗り出して自分の息が掛かる程の距離まで近づく。まじまじと見つめると、ゆっくり自分の椅子に戻る。
「……確かに。暫く見ない間に変わってる」
 あまり老けたことを明らかにしたくない女人が大勢を占める中で、濃姫は気に留める素振りを一切見せない。信長も変わっているが、濃姫も負けず劣らず変わり者であった。
 ふう、と溜息を一つついてから信長は話し始めた。
「昔は帰ってきたら戦で昂ぶった血を抑えきれずに誰彼構わず欲するままに抱いたが、今はそんな気にもならん。若い頃は一晩寝れば激戦の疲れも吹き飛んだが、今は眠りが浅いせいか一向に抜けてくれん。今度の戦も物見遊山も同然だったが、それでも体が鉛のように重たい」
 信長は言い終えると左手で右の肩を揉む。その様子を見て濃姫は「ふふっ」と笑みを漏らす。
「巷では“魔王”と呼ばれ恐れられていますけれど、上様も年寄り臭いことを申されるのですね」
「アホウ、俺は魔王でも神でもないわ」
 比叡山焼き討ちや一向一揆への苛烈な仕打ちに対して、人々は信長のことを密かに“魔王”と呼んでいた。織田に仕える者ならば誰もが口にするのも憚られる単語でも遠慮せず言ってしまう濃姫に、周囲の者は幾度もハラハラしてきた。しかし、信長はそうした言動に対して咎めたり気分を損ねたりすることは無く、寧ろ楽しんでいる風にも映った。
「しかし、上様は自らを民衆に拝ませているではありませんか」
「あぁ、盆山か? あれはただの戯れだ。民は何かに頼りたいからな、その対象を設けているに過ぎぬ」
 安土城の一角に社殿が設けられており、民衆が自由に参拝することを許可していた。その中には仏像やご神体は置かれておらず、信長が城の近くで拾った石が据えられていた。信長自身は信仰心が薄いこともあるが、こうした遊びを好む性格でもあった。
 しかし、噂に尾鰭がついて、世間には『あの社殿は信長を奉っている』『自身を神の化身と考えている』という誤解が流布していた。濃姫はそれを指摘したのだ。
「……ところで濃よ、今日は何用で参った?」
「あら? 何か用事が無いと来たらダメなのですか?」
 鋭い切り返しに、思わず言葉に詰まる信長。その反応を見て濃姫は再び笑う。
「冗談ですよ。ただ、久しく上様のご尊顔を拝していなかったので、つい用も無くふらりと参りました。……お邪魔でした?」
 皮肉っぽい言い方ではあるが、言葉に棘は感じられない。釣られて信長も笑みが零れる。
 そういえば、濃とこうしてゆっくり言葉を交わすのはいつ以来のことだろうか。武田征伐で二月安土を留守にしていたが、それ以前も政務に忙殺されて濃と顔を合わせた記憶がない。正月まで遡れば何とかあったような気がする。
 ……思えば、濃から何を言われても不思議と腹が立たない。諫言も素直に聞き入れられる。どうしてだろうか。
 幼い時分より、他人は俺のことを認めてくれなかった。従来あるやり方を変えようとすれば説教され、奇抜な振る舞いをすれば軽蔑の視線を送り、挙げ句には“うつけ”だと影で囁いた。実の母ですら俺を認めてくれなかったのに、敵国から人質同然で嫁いできた赤の他人である濃は俺を理解してくれた。本当はもう一人俺の全てを受け入れ愛してくれた人が存在したが、今はもう居ない。
「申し上げます。中将様、上様にお目通りを願っています」
 先程下がった美少年が来客した旨を伝えてきた。見目麗しい姿は一見すると女のように映るが、立派な男である。一応声変わりは始まっているがまだ幾分高いので、声の低い女人と言われても遜色ないことを本人は内心好ましく思っていないみたいではあるが。
「あらあら、私はお邪魔みたいですね。ではまた、気が向いたら参りますね」
 こういう所は察しが良く、にこやかに笑みを見せて濃姫は立ち上がり去っていった。入れ替わりで部屋に入ってきた男の顔を一瞥すると、先程濃姫と話していた際に思い浮かべた女人の顔が重なった。しかし、それも一瞬のことで、すぐに本来の顔に戻っていた。
「甲信の仕置、固まりました」
 挨拶も世辞も一切挟まず、単刀直入に用件を告げる。仕える主に対して一見無礼な振る舞いではあるが、信長に限れば逆に好印象を抱いた。長々と前説や時節の挨拶を並べられると苛々するし、そういう奴ほど伝えたい事が分かりにくい。
「甲斐は河尻秀隆に、信濃の北四郡を森長可に、信濃伊那を毛利秀頼に任せました。また、甲信の国人衆は多くを本領安堵とした上で、各人の与力として差配しました」
 流れるような説明ではあるが、大半は信長が武田征伐の際に決めた事と変わりがない。不満は無いが面白くない。
「穴山信君に甲斐一国を任せる選択は考えなかったか?」
 試しに今思いついた事を投げかける。もし仮に賛同すれば確たる意見を持たないごますり野郎と斬り捨てられるが、果たしてどういう反応を示すか。
 すると目の前に座る男は眉一つ動かさず即座に反論してきた。
「有り得ないでしょう。あ奴は我等が信濃へ軍勢を進めた途端に躊躇なく主家を捨てて寝返った輩。機を見るに敏くても、信頼の置けぬ食わせ者に過大な褒美を与えては後々面倒なことになりましょう」
 自分の見立てと全く同じで満足したが……やはり面白くない。
 穴山信君は武田の重臣で、武田家当主の勝頼とは親戚関係にある人物だ。先代信玄からの信頼も篤く、駿河の統治を任される程の実力者であった。しかし、勝頼とは折り合いが悪く疎まれていた為に、織田・徳川が侵攻すると即座に勝頼を見切り降伏してしまった。信長が引見した際には秘かに隠し持っていた黄金を差し出し、仲介した家康にも見返りに黄金を渡すという抜け目の無さを発揮していた。
 時勢を見る目があり、自らが生き残る為なら黒い鳥を白と言い放つくらいの従順さを演じられるが、逆に言えばこちらが劣勢になれば簡単に掌を反すということだ。おまけに不平不満を溜め込みやすく、反逆の火種を抱えやすい。適度に抑えておく必要がある、扱いの難しい注意人物であった。
「長可に関しては上様の決裁を待たず、こちらの独断で任地へ先行させました。この後の仕置もありますので、早めに動かした方が上策と思いました故」
 許可を求めながら独断専行したと言い切る。矛盾した行動ではあるが、これも正しい。
 今後、北陸の雄である越後の上杉家を攻めるに当たり信濃は重要な拠点となる。加えて、北国担当の柴田勝家と連携していく必要があり、そうした意味で戦上手の武将である森長可を北信濃へいち早く赴任させるのは、的確な選択であった。
 戦の準備には労力も時間も掛かる。兵糧や秣も揃えなければならないし、徴用した兵を鍛錬する期間も必要、越後へ向けて攻める為に道や地形を下調べも欠かせないし、国人達と信頼関係を築く必要もある。早い内から新地に赴いて損はない。
 万事、恙無く進めている。俺の描いた絵図の通りに、意図や狙いもしっかり把握した上で行動している。これ以上何を望むのかと他人は訝しむだろうが、俺の中ではすっきりしない何かが心の中に引っかかる。
 目の前に座する男の顔をまじまじと眺める。色白な肌、端整な顔立ち、すっと伸びた鼻。どれも俺と瓜二つだが、どこか違う。その違いが気になって懸命に自分の中で探していると、怪訝に感じたのか問いかけてきた。
「……私の顔に何かありましたか?」
 その声で我に返り、平静を装いつつ「別に」と素っ気無く答える。幼少の頃から一度気になり始めると納得する答えが出るか諦めるまでとことん突き詰める癖があるが、これだけはいい歳した大人になっても治らない。
 まぁ、似ていて当然だ。何故なら、目の前に居る男は俺の血を引く嫡男だからだ。
 織田“中将”信忠、齢二十七。先日の武田征伐では総大将として織田勢を率い、危な気なく武田家を滅ぼした。表向き織田家の家督は信忠に譲っており、家中の仕置についても信忠が行っている。天下統一に向けた舵取りは俺が握っているが。
 俺が若い頃には奇抜な行いを散々やってきたのに対して、信忠は一貫して大人しく物静かに過ごしてきた。そんな息子が、どこか気に喰わない。内政も俺が安土に移った後の岐阜や清洲も問題なく治めている。人事も論功行賞も好悪や評判に左右されず、公正公平。家臣からの評価も決して悪くない。ただ、ここで言う“悪くない”は『悪い』と言う者が居ないだけであって、『良い』と言っている者の話も耳にしないから“悪くない”と捉えている。
 俺の眼から見た信忠を言い表すならば、“面白味に欠ける”。それ即ち、個性が薄いということだ。俺はずば抜けた変人と自認しているので別格だとしても、家中を見渡せば特徴的な個性を持っている者が多い。中国攻めを任せている“サル”こと羽柴“筑前守”秀吉は、下賤上がりで知性のカケラも無いが底抜けに陽気で愉快な奴。北陸担当の柴田“修理亮”勝家は、剛直な見た目そのままに思い切りが良い。今は何の役にも就いてないが明智“日向守”光秀は知的な雰囲気を常に漂わせている。
 だが、信忠は俺の血を継いでいる筈なのに、これと当てはまる印象が全く浮かんでこない。それがつまらなく感じるし、面白くない。
 気に喰わないせいか、扇子を小まめに開いたり閉じたりを繰り返す。そんな居心地の悪さなど構うことなく信忠は俺に問いかけてきた。
「……して、上様のお考えは如何に?」
 それが先程求めてきた仕置の判断と咄嗟に分からず言葉に詰まるが、その仕置も元々は俺が土台を造ったものだ。今更になって否応もない。
「構わぬ。そのように致せ」
「承知しました」
 すると信忠は用事が済んだとばかりに無言で一礼すると立ち上がり、さっさと部屋から退出していってしまった。ズルズルと居座って主君の機嫌を伺う者も少なからず存在するが、信忠はそういう姿勢を一切見せない。他の弟達と比べても一線を画していた。
 北伊勢の北畠へ養子に出した次男の信雄は用が済んでも訳もなく長居して俺が「下がれ」と言わないと分からないし、中伊勢の神戸に養子に出した信孝は終始俺を窺い怯えている。信雄は気が回らないし、信孝は気を回し過ぎている。だから養子先から織田家へ戻そうという気にならない。悔しいが、嫡男の信忠と比べれば、一段も二段も劣って映るのだ。
 ちなみに信孝が三男という扱いだが、実は信雄より三日早く生まれている。俺の元に知られた差で次男三男の格がついている。仮に信孝が信雄より明らかに秀でていれば序列を変えようかと考えるが、五十歩百歩の違いではそう思わない。
 信忠が辞して暫く経ってから、それまで信忠に抱いていた何かがようやく掴めた。
「―――どうして濃と似ているのだ、信忠よ」
 誰も居ない対面の間に、自分の声だけが響く。有り得ないのに「俺と濃の子だ」と公表すれば皆違和感を抱かない程に、面影が重なるのだ。
 信忠と信雄の母は生駒家の吉乃で、二十年近く前に亡くなっている。信忠が産まれる際に俺自身が立ち会ったので間違いない。吉乃は濃と性格も外見も全く異なるが、良い女子だった。それなのに、どうして他人に似るのか。
 本当に、世の中は分からないことだらけだ。だからこそ面白くもあり、苛つく。

 安土に帰った当日は人を遠ざけて寝台で眠った。南蛮より渡来した寝台は床に布団を敷くよりも幾分楽だが、それでも眠りが浅く夜明け前に目が覚めてしまった。そこから惰眠を貪る訳にもいかず、仕方なく部屋にある書物に目を通すことにした。
 最近は宣教師の話を和訳した本を好んで読んでいる。読んでいると自分の知らない世界の一端に触れた心地がして、心が躍る思いになる。
 静かに紙を捲っていると、音を立てず襖が開いた。そこに居たのは昨日も傍らに控えていた美少年である。彼は森“蘭丸”成利、俺が今一番気に入っている小姓であった。
「お早う御座います、上様……と、これは失礼しました。既にお目覚めとは気付きませんでした」
「構わぬ。俺が刻限よりも目が覚めただけだ」
 蘭丸が非礼を詫びようと頭を下げるのを制する。信長の側近くに仕える者は物音や所作一つ見逃さず察知する能力が求められるので、常に神経を研ぎ澄ます必要があった。主の起床に気付かなかったことを失態と恥じるくらいでないと務まらない。
 信長は予定が入ってない場合は卯の刻(午前六時)に起床する。蘭丸は気を取り直して手桶を捧げて部屋に入る。城の井戸から汲まれた水は冷たく、その水で顔を洗うと肌が自然と引き締まり脳が覚醒する。信長が無言で手を差し出すと乾いた手拭いが渡され、その手拭いで顔全体を拭いていく。
 寝巻から着替えると厩へと向かう。信長は若い頃から馬が好きで、暇さえあれば遠乗りを楽しんでいた。
 厩には全国各地の大名から献上されたり市場で買い求めた良馬が揃っており、その馬も信長が一匹一匹丹念に確認した上で優秀と認めた馬しか飼われていなかった。
 一通り馬の様子を愛でたり首を撫でたりした後に、下働きの男に訊ねた。
「今日はどの馬が良い」
「へい。三番目の馬は最近遠乗りしていないので、走りたくてウズウズしています」
「で、あるか」
 信長の言葉数は極端なくらいに少ない。それが時に憶測を呼んだり誤解を招いたりする事が多々あったが、それでも話の脈絡さえ分かっていれば信長の真意は相手に伝わった。信長と幾度も接していく内に主人が求めている何かを理解する者も現れ、気遣い心配りの利く者は出所の尊卑に関わらず立身出世させていった。その辺りの人の力量を見極める眼は五十手前になった今でも衰えない。
 さらに付け加えるとすれば、信長は刻限や約束事に対して厳格な価値観を持っていた。戦国の世では平気で半刻遅れたり仕事の手を抜いたり城の日用品を勝手に持ち帰るなど、今とは考えられないくらいに規律が緩い感覚だった。しかし、繊細で物事の無駄を極端に嫌う信長は、自分の価値観を仕える者にも徹底させた。面会の刻限は厳守、城の備品も差異や浪費が無いか調べさせていた。
 下働きの男に勧められた馬に跨り、城を出た。後ろに従うのは従者が二人。馬と心を一つにして夢中に走った。馬に揺られ、風を切る感覚は何度味わっても心地いい。まだ静かな安土城下を駆け抜けて郊外まで走らせると、ようやく小休憩をとった。馬の息が乱れたのもあるが、それ以上に己が疲弊してしまったことに年齢を痛感せざるを得なかった。
 帰りはムチも入れずにゆったりと城へ向けて歩みを進ませる。途中、馬上で従者と他愛ない雑談をして盛り上がる。信長は天下様と呼ばれる身にありながら、安土城下の世情にも驚く程に詳しかった。各地で残忍な行いをしてきたが、それはあくまで対外的な方策。自国に関しては領民が安心して暮らせるよう尽力した。領民が疲弊する過重な負担は将来的に御家を滅ぼすと気付いていたのだろう。
 城下に達すると陽も高くなったこともあって人々が商いを始めていた。道端で露店を出して新鮮な野菜を並べたり屋台で軽食を提供していたりと、眺めていて飽きることがない。近隣の住人や街道を行く旅人も混じり、通りは人で溢れ盛況していた。
 すると信長は一軒の茶店で歩みを止めた。馬から颯爽と降りると店番をしていた中年の男性に声をかけた。
「亭主、団子をくれ」
「へい」
 従者が馬を繋いでいる間に軒先の長椅子に腰を下ろすと、扇子を開いて胸元に風を送り込む。一心地ついた頃に薄茶と串に刺さった団子が出された。信長はそれを躊躇いもなく口に運ぶ。中年の男性も暢気に団子を頬張る男が安土城の主とは思ってないし、店を訪れる旨を先に伝えてもいない。
 理由は二つある。一つは庶民の暮らしを把握すること。価格、品質、客への応対、その他細かい点まで観察する。交通の便や通行量は価格に直結するし、代金に釣り合わない粗悪な物を出しているなら店側が利益を出せていない証だし、愛想が悪ければ店が暇ということだ。質の悪い店が淘汰されないのは町自体に活気が無い裏返しだ。店員の男性はやや寡黙だが許容範囲内、味もまずまずで適正価格。安土城下はそれなりに賑わっていると判断した。
 それともう一つ、これは毒殺の予防。城の賄い場に敵の忍びが紛れ込んで毒を食事に仕込むことも考えられる。予め立ち寄る店でも先回りされることも十分に有り得る。しかし、大多数の一般人が利用する店を無作為に選べば毒殺の危険性は限りなく無くなる。
 尾張の地方大名の時代から型に嵌らない奔放な行動は変わっていない。その一方で、天下人に最も近い存在であることを自覚しているからこそ、自分の身を第一に案じていた。戦場で討たれる可能性が低くなれば、平時に謀殺するしか選択肢が絞られる。
 信長は気に入ったのか団子をさらに追加すると、それも綺麗に平らげて店を後にした。勘定は自らの懐に仕舞っていた麻袋から銭を出して払った。
 信長は再び馬に跨ると、居城へ向けて歩ませた。城下の賑わいに内心満足していたのか、口元は少し綻んでいた。

 五月一日。天守閣の最上階で書見していると蘭丸が姿を現した。
「上様。日向守様が参られました」
「通せ」
 短く答えるとすぐに中年の男が部屋へ入ってきた。所作は落ち着いているが、その表情には若干の陰りが見られる。
 明智“日向守”光秀。西近江と丹波を治める織田家の重臣だ。年齢は定かではないが、一説には濃姫の父である斉藤道三の小姓を勤めていたとする話もあることから、信長よりも年長であると考えていいだろう。
 文武に秀で、特に有識故実に精通していたことから朝廷や幕府との仲介役に尽力した。畿内方面の部隊長的位置づけで、時に遊軍の役割も兼ねていた。先日の武田征伐でも従軍している。
「お呼びと伺い、参上仕りました……」
 礼儀作法に則り頭を垂れるが、発する声が弱々しく掠れている。その瞳には怯えの色が強く滲んでいる。これには伏線があった。
 先日の武田征伐の際、武田家を滅ぼした後に開かれた酒宴でのこと。ほろ酔い気味だった光秀が「我等が長年に渡り骨を折ってきた労苦が結ばれた」と同僚の家臣に漏らしているのを耳にした信長が突如激昂。怒りにまかせて打擲した結果、光秀が流血する事態にまで発展した。
 それに加えて、信長は光秀の能力を高く評価はしていたが性格面では肌が合わなかった。信長が好んだのは秀吉のように剽軽な性格や、勝家のような武骨な性格など。一方の光秀は知的で陰気、信長の目から見れば可愛げなく映る。さらに信長は旧来の伝統やしきたりを毛嫌いしているのに対して、光秀はそれを重んじて固執している考え方の持ち主。価値観の点でも相容れない関係であった。
 あれから一月も経過しておらず苦い記憶も鮮明に残っていたので、光秀の表情や態度に恐怖が色濃く表れていた。
 脇息に体を預けながら信長は平伏している光秀を見つめる。作法通りに頭を下げているが、余計な力が入って強張る肩は嫌でも緊張しているのが伝わってくる。上座の者が声を発するまで顔を上げないのもつまらない。粗相のないよう努めているのだろうが、逆に窮屈で息苦しくなる。胸の底から苛立ちが募るのが不快なので、こちらから言葉をかける。
「表を上げよ」
 初対面の時以来、一貫して古来からの作法を曲げずに行う。俺がもう少し若い時分なら皮肉めいたことを一言二言投げつけていたが、それも無駄だと悟ると堪えるようになった。
 唇を真一文字に結び、どんよりと曇った表情でこちらを伺う光秀の顔を眺めていたら、余計に腹が立ってきた。早々に本題を切り出す。
「近々、三河殿が安土へ参られる。その接待役をお主に任せる」
 感情が言葉に乗らないよう意識して話す。だが、肝心の本人は反応に乏しかった。
 こういう人物だと頭では理解しているが、生理的には受け入れられない。自然と込み上げてくる怒りを押し殺して、さらに続ける。
「存じていると思うが、三河殿は我が織田家にとって大切な相手。よって、此度の役目は戦に臨む心構えで務めよ」
 三河殿とは、徳川“三河守”家康のことである。二十年以上前に同盟を結んでから今日に至るまで親密な関係を築いてきた。家康が東を固めたことにより、信長は後顧の憂いなく西へ兵を進めることが出来たのだ。
 現在では二十ヶ国を治める織田と、三河・遠江・駿河の三国を治める徳川の間に大きな差が開いたが、未だに同盟関係は堅持され続けていた。
 その家康が先日の武田征伐で駿河一国を与えられた事に対して御礼の意を伝えるべく、安土を訪れる。徳川には幾度も手助けしてもらった事もあり、その恩に報いるために手厚く歓待したいと思った。
 光秀は有識故実に長けており接待役に適任と捉えたが、当の本人は「承知致しました」とありきたりな返事を口にするのみ。
 秀吉なら飛び上がらんばかりに喜びを露にするだろうし、勝家は期待に応えるべく「粉骨砕身の所存で務めます」と勇んで断言するに違いない。しかし、光秀は控え目な性格であることを差し引いても、気持ちを全面に押し出そうとしない。その態度が物足りなく感じるし、正直不満だ。
 俺の苛立ちを察知したのか光秀はそそくさと辞去していった。その去り際もきちんと作法を遵守しているのがまた癪に障る。
 胸焼けのようなどんよりとした気持ちを抱え、じっと空を睨む。小刻みに鳴らす舌打ちの音だけが、部屋に響いていた。

 五月四日。今日は京から来客が訪れていた。と言っても、誼を通じたい武家の遣いやご機嫌伺いの商人ではない。公卿であった。
 勧修寺晴豊。武家伝奏、朝廷と武家を結ぶ繋ぎ役を務める人物で、信長も何度か面識を重ねている。
 黒書院に通された晴豊は直衣に烏帽子という服装で平伏していた。信長が蘭丸を伴って部屋へ入ると、恭しく頭を上げた。
「遠路はるばるご足労をかけます」
 ゆったりとした口調で信長が語りかけると、晴豊はニコリと笑って応じた。相手が公家ということで粗略な扱いは出来ないので、言葉遣いも丁寧になっていた。
 信長は勢力を拡大させると共に官位も昇進していき、最終的には右大臣に任じられた。しかし、四年前の四月に信長は一方的に全ての官職を辞したので、現在は無位無官だった。
 本来であれば正客である晴豊が上座に座るべきだが、前右大臣で政事と武力の両面で多大な影響力を持っている事情を考慮して、敢えて晴豊が下座に座った。
「いえいえ、日々の宮仕えは肩が凝ることばかり、安土まで参るのは良き気分転換になりました」
 袖で口元を隠しながらコロコロと笑う晴豊。だが、信長は知っていた。顔では笑っていても腹の中では痛烈に毒づいていることを。武力を一切持たず権力闘争に明け暮れる公家は皆腹に一物抱えた化物揃い。気を許して近付くと足元を掬われかねない。
 わざわざ安土まで出向いたのは何か理由がある。信長は穏やかな表情を崩さずに相手の出方を窺う。
 しかし晴豊は京の様子だったり安土の町並みだったり世間話に終始して、本題に入ろうとしない。俗に公家言葉と呼ぶ一般人には理解不能な長ったらしい喋り方をしていないのでまだ堪えていたが、公家の雑談に対して悠長に付き合っていられる程に暇ではない。
 天下布武に向けて各地からの報告を受けたいし、堺や博多の有力商人と今後のことについて協議したい、安土の治政も滞りがちなのでそれも片付けたい。形式的には隠居した身なので織田家に関わる事は全て信忠に委ねている分だけ負担は軽くなったのだが、それでも天下人である自分は体が幾つあっても足りないくらい多忙を極めていた。
「あぁ、失礼した。話し相手が居ないのでつい長話をしてしもうた」
 わざとらしく扇子を手で叩いてから晴豊は詫びる。既に信長は腸が煮えくり返っているが、笑顔を辛うじて繕いながら続きを待つ。
「帝は、信長公にまた官職を授けたいご意向をお持ちです」
 晴豊の言葉に信長は「ほう」と小さく唸った。それまでの世間話を脇息に体を預けて聞き流していたが、少し背筋を正して話を聞こうという姿勢を見せる。
「長らく続いていた戦乱の世を終結すべく日々東奔西走されているのは重々承知しておりますが、やはり信長公が宮家の強い後ろ盾となって支えてくれるのが望ましいと帝はお考えのようです。そこで信長公には―――太政大臣・関白・征夷大将軍の三職いずれかに推任したいと」
 ……これはかなり大胆な条件を提示してきた。
 太政大臣と関白と言えば公家の最高位の役職、武家出身者では過去に平清盛と足利義満の二例しか経験のない、普段は公家の間で持ち回りされてきた名誉ある官職だ。そして武門の棟梁の象徴である征夷大将軍はこれまで源氏系しか任じられておらず、平氏系を自称している信長は任じられる資格を有していなかった。
 その前例を覆してまで武家と公家の最高職である三職を勧めてきたのは前代未聞の事態であった。裏返せば、官位に縛られていない信長の影響力に宮中が脅威を抱いていた証でもある。
「大変、身に余る光栄に存じます」
 信長の返答に好感触を抱いた晴豊の瞳が一瞬輝いた。が、すぐに「なれど」と続けた・
「折角の申し出ながら辞退させて頂きます」
「……理由をお伺いしても宜しいでしょうか?」
 予想外の答えに困惑した晴豊は目を丸くしながら訊ねた。まさか固辞されるとは思わなかった、という顔をしている。
 征夷大将軍は朝廷が時勢に乗る武家を手懐ける常套手段で辞退する理由は分からなくもないが、太政大臣も関白も公家でさえほんの一握りにしか与えられない大変名誉な官職だ。破格の条件を躊躇いなく蹴る意図が晴豊には全く解せなかった。
 風の噂では、信長は自らを神として崇めさせていると聞く。もしや、利用価値のない朝廷を排除するつもりか。最悪の事態が脳裏を過り、冷や汗が背筋を伝った。
 だが、ここでも信長は晴豊の思惑とは大きく異なる返答を口にした。
「官職に興味が無いのです」
 さらりと言ってのけた信長の顔を、まじまじと凝視する晴豊。
「官位を得て偉くなりたいと思ったことは一度もありません。『この日ノ本を一つにまとめたい』、ただその一存で今日まで至った次第です。それにご存知かと思いますが、某は天下統一に向けて精力的に動いている身。宮中へ参内する時間も、幕府を開く労力も、一寸たりともありません。全てを片付けてから、改めてゆっくりと考えたいと存じます」
 『時間が無い』というのが信長の偽らざる本音だった。官職に就けば朝廷へ定期的に出仕しなければならず、その分だけ手間と時間を浪費することになる。「そんな暇はない」と突っ撥ねたも同然の回答だった。
 それでも晴豊は「はい、そうですか」と大人しく引き下がる訳にはいかなかった。信長はこれまで古い概念を打ち壊してきた考えの持ち主。このまま無位無官のまま野放しにしていれば、後々に朝廷や宮中に厄災が降り懸かる恐れが拭いきれない。何も生み出さない、何の得も無いと判断して本気で朝廷を潰そうと目論むかも知れない。
「申し訳ありませんが、次の面会者を待たせているのでこれにて失礼致します」
 額に大粒の汗を滲ませながら黙り込む晴豊に、信長は非情とも取れる言葉をかけて席を立った。
 背中から縋るような視線に気付いていたが、敢えて黙殺して部屋から出て行った。確固たる信念の前に晴豊は結局何も言うことが出来ず、一人黒書院に残されることとなった。

 同日夜。信長は蘭丸を始めとする小姓も遠ざけ、居室の寝台に一人腰かけていた。
 ひどく疲れた顔をしており時折深い溜息を吐いている。日中に晴豊の他にも様々な人物との会合を重ねたのが夜になって一気に噴出したのだろうか。
 暫くそうしていると、静かに障子の戸が開かれた。誰かと思って顔を上げると、そこには濃姫が立っていた。
「お疲れのようですね」
 濃姫が率直な印象を口にすると、信長も力なく応じた。
「疲れた」
 吐き捨てるように短く告げると、再び俯いてしまった。
 齢を重ねると、体を動かさなくても疲れてしまう。人と会っているだけなのに、激戦直後のような倦怠感に襲われる。おまけに、肉体的な疲れと比べて精神的な疲れは何日経っても抜けた気がしない。真に厄介だ。
 濃姫は信長の前に座るが、信長はそちらに目を向ける気力も失せているのか俯き加減のまま吐露を続けた。
「毎年毎年、考えなければならない事が増えていく。領土が広がれば広がった分だけ懸念事項が多くなる。付き合いが増えると応対するのも面倒臭くなる。どうしたらいいのか、全く見当がつかん」
 どうしてだろうか。濃を前にすると言いたい事が次々と口から出てくる。
 口下手で、自分の思いを言葉に表すのが苦手で、言葉足らずな自分が、いつの間にか雄弁を振るっている。溜め込んでいた想いや感情が素直に打ち明けられる。本当に不思議な気分だ。
 思いの丈を全て吐き出し終えるのを待って、濃姫はさらりと指摘した。
「上様は少々荷を背負い過ぎているのです」
 柔らかい口調で、それでいて断定するような言葉に、信長は反射的に顔を上げた。その顔をしっかりと見つめながら濃姫は続けた。
「その肩に天下が懸かっているのです。今この国で最も重たい荷物を担いでいるのですから当然疲れましょう。なれば、少しだけ気楽に、頭の中を空っぽにしてみては如何でしょうか?」
「左様なこと、簡単に出来るはずなど―――」
 反論しようと濃姫の方を向くと、その膝の上に何か乗っているのが見えた。鼓である。刹那、信長の脳裏に閃くものがあった。
「……『敦盛』、か」
 濃姫は小さく頷くと鼓を肩へ乗せた。成る程、これに付き合うのも一興。
 信長は扇子を開くと寝台から立ち上がる。瞑目して呼吸を静かに整えると、意を決して声を発した。
「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは 口惜しかりき次第ぞ」
 朗々とした声で謡いながら、濃姫の打つ鼓の音に合わせて優雅に幸若舞を演じ切る。その顔には先程までの疲れや迷いが一切消えていた。
「如何ですか?」
「……少し、楽になった」
「それは良うございました」
 濃姫の問いにすっきりとした表情で答える。吹っ切れた様子であった。
「……桶狭間の合戦の前の晩を、思い出した」
 家督を巡る内乱を終結させて落ち着いた矢先、駿河の今川義元が上洛を目的に侵攻してきた。家臣の中から寝返りも発生し、侵攻に備えて造った砦も次々と陥とされ、信長は苦境に立たされていた。
 そんな状況の下、清洲城の一室で濃が鼓を打つ中で信長は敦盛を演じた。舞い終えると立ちながら湯漬けを流し込み、乾坤一擲の大勝負に出た。敗色濃厚で勝てる見込みは不明。それでも、座して死を待つのは絶対に嫌だった。
 一か八かの賭けは、天候と運に恵まれた信長の勝利で終わった。今思えば、あの戦いで掴んだ勝利が、天下へ飛躍する第一歩だったのかもしれない。
 敦盛の一説にある『人間五十年』の一節は、信長の行動哲学だ。齢五十になるまでに日ノ本を統一する。その目標を果たす為に今日まで足を止めることなく走り続けてきた。だが、年齢は既に四十九を数えるが、九州・四国・関東・奥羽は手付かずの状態だ。寿命が五十だとすればあと一年しか残されていない。その事実が信長を追い詰めていき、焦りを生んだ。
 効率を優先する傾向は年々強まり、達成の為ならばどんな犠牲も厭わなくなった。全ては、あと一年で天下統一を実現するために。
「あれこれ急いでもキリがありません。上様は無駄を嫌う性分ではありますが、時にはゆるりと立ち止まられてはどうでしょうか?」
「……考えておく」
 濃姫の言葉に信長は素っ気無い返事を返した。他人の助言を素直に受け取れない意固地さも昔と変わっていないことに、濃は嬉しそうに笑っていた。

 五月十日。
 この数日の間に晴豊の面談や家康を迎えるための準備、滞っていた決裁の処理など政務に忙殺されていた信長は、気晴らしも兼ねて市中へ出掛けることにした。供は蘭丸一人だけ連れる身軽な散策であった。
 まず始めに向かったのは吉利支丹が多く集まる南蛮寺。数年前に京で宣教師と謁見した折、余程楽しかったのか安土での布教を許可しただけでなく建物を建てる土地も提供した。日頃仏教勢力に辛く当たっていたのとは対照的な厚遇ぶりである。
 聞いた話では日に日に入信者が増えており、今では門前に物見目当ての人垣が出来る程に盛況していた。街道に近い場所のためか、旅人と思しき人も遠目から眺めている。
「凄い人の数ですね」
「で、あるな」
 感嘆の声を上げる蘭丸に対して、関心が薄いのか素っ気無く返す。
 異国の地から伝来した宗教ということで目新しさや物珍しさから入信する者も多かったが、既存の仏教に嫌悪した人が本気で宗旨替えを望む人もある程度存在した。世の中でも、旧来の勢力が幅を利かす今の状況に辟易して新興勢力に乗り換える流れが生まれているらしい。
 金色の鐘が打ち鳴らす澄んだ音色、信者達が声を揃えて唄う賛美歌、聖女を象った白い像。それら全てが仏教に慣れてきた人々の心を刺激した。
 ただ、城下の寺院からは南蛮寺に関する苦情が日々訴えられたが、信長はこれを黙殺した。一度布教を認めた以上は庇護していく姿勢に変わりはなく、そもそも門徒が減るのは自分達が食い止める努力を怠っているからだと信長は考えていた。衰退していく者が淘汰されていくのは自然の真理であり、別に片方へ肩入れしている訳ではなかった。
 その様子を確かめると信長は満足気に頷いて、それから馬を進ませて移動した。南蛮寺の周辺は大変混雑しており、いつまでも乗馬している者が立ち往生していると通行の邪魔になる。
 ゆるゆると馬の好きなように進ませていくと、民衆が多く居住する宅地へ差し掛かった。往来では商店が軒を連ねて活況に沸いていたが、ここは一転して静かであった。母親と思しき女人が洗濯していたり、細い路地で子ども達が道の真ん中で遊んでいたり。ここで生きている人々の営みがそこかしこで見られる。
 そんな家々に混じって頑丈な門扉を構えて土塀で囲われている邸宅が散見される。武家の屋敷は何箇所かに分けて固まっているため、このような場所にポツンと存在するのはまず無い。中からは読経の声や木魚を叩く音が漏れ伝わってくる。お寺であった。
 近隣の村々から人々が移り住むのに合わせて周辺の寺院も安土へ移転してきたのだ。日蓮宗、一向宗(浄土真宗)、真言宗とその宗派も様々である。
 すると信長は一軒の寺の前で馬を止めると、そのまま下馬して手綱を門前に繋いでしまった。蘭丸も慌ててそれに倣う。
 ずかずかと敷地内へ入っていくと、足音を耳にしたのか一人の僧侶が姿を現した。
「暫し休息したい。済まぬが水を頂けぬか」
「……どうぞ」
 突然の来訪にも関わらず、僧侶は落ち着いた対応で迎え入れてくれた。無論この訪問者が安土城の主とは思っていない。手水場で口と手を濯ぐと本堂の縁側に腰かけた。程なくして先程の僧侶が水の入った器を二つお盆に載せて運んできた。信長は僧侶の気遣いに頭を下げ、器を受け取る。
 安土城の中では天下様として扱われているが、今は一人の参詣者。分を弁えて殊勝な態度で接する。巷では信長は気短で傲慢横柄な性格と噂されているが、織田家当主の立場以外の信長は文化人として相応の振る舞いをしていた。
 わざわざ井戸から汲んできたのだろうか、水はひんやりと冷たい。その小さな心遣いがありがたく、心地いい。
「上様、一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
 不意に蘭丸が尋ねてきた。信長は無言で先を促す。
「どうして一向宗の布教をお認めになられるのですか?」
 現在安土では南蛮寺が突出して人気を集めているが、城下には仏教の寺院が数多く点在していた。名刹の多い京は例外としても、清洲や岐阜と比べてその数は圧倒的に上回っていた。
 信長はこれまで、既存の宗教勢力と抗争を繰り広げてきた。敵対していた大名へ露骨に肩入れした延暦寺は見せしめに焼き討ちにしたし、伊勢長島で発生した一向一揆では老若男女を問わず虐殺したし、石山本願寺に至っては十年に渡り熾烈な攻防戦を繰り広げてきた。容赦ない仕打ちに仏教関係者は信長のことを“仏敵”と呼び心の底から憎まれていた。
 過去の経緯から大量の怨みを買っている織田の城下町で一向宗の門徒が増えれば、将来的に禍根を残すのではないか。蘭丸はそれを危惧していた。
 しかし、信長は蘭丸の懸念を一蹴した。
「民衆が何を信じようと勝手な話だ。好きにさせればいい」
 手にしていた器を一口啜るとさらに続ける。
「人という生き物は、他人から自由を制約されるのを極度に嫌う。もし仮に、元々あった自由が脅かされたとすれば人々は身命を賭して戦うことを選ぶ。先々の危機を用心して下手に手を打つより、多少寛大な姿勢を示しておいた方が不平不満は蓄積されない」
 統治していく中で非効率な方法には介入してでも改善させるが、信仰心や居住権といった人が生きていく上で大切な事項に関して信長は一切触れていなかった。
 そもそも一揆が起きるのも過重な年貢や労役の負担が原因で、“生きるために仕方なく”起きるのが大半だ。石山本願寺との対立も、信長が求めた寺院の移転(代替地も用意した)に本願寺側が反発したのが発端であり、信長もここまで反発されるとは思っていなかった。誰かが意図的に唆して一揆が起きるのは極めて稀で、伊勢長島は本願寺の檄文を受けて蜂起したのがそれである。
 事実、信長が石山本願寺と全面戦争に突入した後も、尾張や美濃など領内に点在する末寺に報復措置を行わず、以前と変わらず布教の自由を認めていた。全国各地で大名や地侍に反発した一向一揆は頻発していたが、尾張でも美濃でも一向一揆は起きていなかった。これこそ、信長の施策が一般庶民に広く受け入れられている証でもあった。
「蘭丸よ。何事も程々が肝要ぞ。民百姓に窮屈な思いをさせれば、必ず人心が離れて崩壊を招く」
 若かりし頃から庶民と分け隔てなく接してきた信長が導き出した答えを、訓戒として授けた。この先、一国を預かる可能性のある若者へ向けてささやかな助言であった。
「坊主、馳走になった」
 器を縁側に置くと、奥に向けて謝辞を伝えた。蘭丸も中身を一気に飲み干すと空になった器を隣に添える。
 門前へ出ると信長は再び馬上の人となった。遠くに聳え立つ安土城の天守を仰ぐと、今日も日の光を浴びて絢爛に輝いていた。

 五月十五日。遂に徳川家康一行が安土に到着した。
「よう参られた、三河殿」
 安土城の正門に出て信長は家康を出迎えた。その後ろには小姓の森蘭丸や接待役を務める光秀の姿もある。
 徳川“三河守”家康。この時、齢三十九。丸顔でやや小柄な体躯ながら、筋肉質で引き締まった体格をしていた。
 家康は長旅の疲れを見せることなく、ニコニコと微笑みを浮かべながら身分が低い者に対しても丁寧に挨拶していた。
「右府殿御自らの出迎えとは、恐れ入ります」
「何を申されるか、三河殿。織田と徳川は長きに渡り盟約を結んできた間柄。賓客を迎えるなら亭主が出迎えるのは当然のこと」
 恐縮する家康に対して、鷹揚に振舞う信長。この二人の付き合いは長い。
 家康は幼少期に今川の元へ人質に送られる途中、家臣の翻意により織田へ引き渡された。およそ二年間、人質として織田の本拠である那古屋に留め置かれたが、その頃に信長は家康の下を訪ねて親交を重ねていた過去がある。
 その後家康は人質交換という形で駿河に送られ一時は敵味方の関係となるが、桶狭間の戦いによって今川義元が討たれると互いに一国の大名という立場で再会。同盟を結び、以来二十年に渡ってその関係は堅持されてきた。その証として家康の嫡男と信長の長女が結婚して、縁戚関係にまで発展した。
 戦国時代における同盟関係というのは実に脆く、情勢が変化すればすぐに破棄してしまうことも頻繁であった。織田・徳川のように二十年にも渡って継続するのは極めて稀有な例だ。
 しかしながら、現在はその関係性に変化が見られた。織田が勢力を拡大していくと、徳川に対する扱いが徐々に変化していった。織田家は表向き徳川家を対等な立場のように扱っているが、実状は織田と提携する下請けのような状態であった。それを象徴するように、三年前には家康の嫡男と正妻が武田と内通した容疑で二人を殺害するよう信長に命じられ、家康は苦渋の決断の末に信長の要求に従った。
 それでも、信長は安土を訪れた家康一行を丁重に迎え入れる姿勢を崩さなかった。逆に家康は主客でありながら隅々に至るまで配慮を重ね、失礼が無いように振る舞っていた。
 何とも奇妙な関係ではあったが、その場に居る誰もが違和感を覚えることはなかった。それから信長が先導する形で城の中へと入っていった。

(……つまらん)
 能舞台を観賞する信長は欠伸を噛み殺しながら心中で毒づいた。
 家康一行の来訪を歓迎する目的で催された能楽であったが、演目が当たり障りのない退屈なものだった。演者も京から招いたのだが、新鮮味に欠ける。
 そしてまた、主役であるはずの家康も楽しんでいる風には見受けられなかった。元来家康は能楽には関心が薄い人であることを信長は知っていたので『ただ演舞を見ているだけ』なのだろう。
 だが、信長は自らも幸若舞を演じるほど、能楽に対して知識も経験もあった。光秀の選択は決してハズレではないが、斬新さや奇抜さが感じられなかった。それが信長には退屈で仕方なかった。
 恐らく光秀は伝統と知識に則ったやり方で家康を饗応していく腹積もりなのだろう。畿内各地から食材を集め、京から選りすぐりの料理人を招いて豪華な膳で相手を喜ばせる。確かに、貴賓を応対するならば正しい選択だ。
 ただ、家康は言い方が悪いかもしれないが田舎の大名だ。流行の先端を行く畿内の文化を目の当たりにさせることで、家康を驚かせ楽しませる方が良いのではないか。俺ならばそうした面から趣向を凝らして準備をしていただろう。
 光秀は奇を衒うことを何よりも恐れている。相手に粗相のないよう、失礼のないように細心の注意を払う。分かりやすく言うならば、常識の枠内からはみ出さないようにしている。
 しかし、常識とは何世代にも渡って受け継がれた慣習や仕来りの積み重ねであって、それは時代の変遷によって形が変わっていくものでもあると俺は考える。鉄砲が南蛮より渡来したことにより戦の形式は大きく変わった。無敵の騎馬軍団を擁して周辺諸国を震え上がらせた武田家も、大量の鉄砲を前に成す術なく敗れ去っている。昔からのやり方が今も正しいとは限らないのだ。
 だから、俺は若い頃から常識を疑い、時代に即した方法か検証を重ねた。古い価値観を尊ぶ連中は俺のことを“うつけ”だと嘆き、影で嘲った。それでも、誰が何と言おうと俺の考えを貫いた結果、天下人に最も近い存在にまで成り上がった。
 思えば、俺の半生は旧来の価値観を持つ者達との戦いの連続だった。朝倉や武田といった地方の名門大名、延暦寺や本願寺といった宗教勢力、形骸化していることを頑として認めようとしない幕府と将軍。それ等が手を携えて抵抗してきたのは流石に骨が折れた。何度「これまでか」と追い詰められたことか。それでも切り抜けられたのは運の援けもあるだろうが、俺の価値観が時代に受け容れられたことが大きい。
 ……光秀もあれで昔は時代の流れを機敏に読める人間だったが、今は見る影もない。目の前で行われている能楽を眺めている信長が光秀に対して抱いた感情は、苛立ちではなく悲しみであった。その心境を表に出すことなく、仏頂面で舞台を見つめていた。

 能舞台の演目は不満だったが、接待役を任せた光秀は実によく働いた。食事でも材料の一つ一つに至るまで一級品を揃え、器にもこだわり、見た目でも楽しめる贅を尽くした膳を提供した。饗応三日目の十七日になっても家康が飽きないように趣向を凝らしている。元来の生真面目さが如何なく発揮され、それでいて使命感に燃えているのか表情は活き活きとしていた。
 この日の昼食は両家の家臣が顔を合わせて大広間で会食と相成った。信長は日頃接する機会の少ない徳川家の家臣達と言葉を交わし談笑していた。
 そんな時、蘭丸が険しい表情をして信長の元へ静かに寄ってきた。宴席の場で愛想良く振舞える蘭丸が緊張した面持ちということは、何か想定外の事態が起きたのかと察する。さり気なく体を倒して耳を寄せる。
「備中の羽柴様より火急の使者が参りました」
 羽柴秀吉は中国方面担当で、毛利家と対峙している。先日は備中高松城を攻めると報告があったと記憶している。
 秀吉は織田家の家臣ながら近江長浜と播磨・但馬を治め、単独でも大名級の武力を持ち、さらに与力として付けている大名や臣従している備前の宇喜多家の軍勢も合わせれば総勢二万を超える軍を指揮している。そんな秀吉が緊急で使者を寄越すとなれば、備中で何かあったと考えていい。
 蘭丸の報告を受けて信長が立ち上がると、隣に座っていた家康が怪訝そうな顔で見つめる。
「……如何されましたか?」
「ちょっと野暮用が入りましたので、少し席を外します。三河殿はゆるりとされて下され」
 信長がにこやかに微笑むと、家康も強張った表情が幾分か和らいだ。軽く一礼すると蘭丸に先導される形で別室へ向かった。

 秀吉からの使者を待たせている別室に入ると、甲冑姿の若武者が神妙な面持ちで端座していた。
 若武者は信長の姿を確認すると平伏し、着座するのを確かめて頭を上げると懐から一通の書状を取り出した。蘭丸を介して書状を受け取ると、すぐに中身を改める。
「……お主、名は?」
「はっ、大谷“平馬”吉継と申します」
 書状から目線を離さずに訊ねると、吉継はハキハキとした声で即答した。信長はそれに応えず文面に目を通す。
 そして最後まで読み終えると吉継を見据えて問い質した。
「……備中高松城を囲む羽柴勢に毛利・吉川・小早川など総勢四万の大軍が来襲したと書いてある。相違ないな?」
「はっ。某も、この眼でしかと確かめましたので間違い御座いません」
 吉継は信長の威圧感に臆することなく明朗に答える。その態度と姿勢から誇張や偽りがないと判断した。秀吉は時折物事を脚色したり大袈裟に伝えたりするから信用ならない。
 備中高松城を包囲した秀吉は当初力攻めを試みたが、城の周囲が湿地帯だった為に損害ばかり出して捗々しい成果を上げることが出来なかった。攻め倦ねていた秀吉は思い切って発想を変え、城をぐるりと囲む形で堰を造って近くを流れる川の水を引き込んで城を丸ごと水没させる“水攻め”を行うことにした。
 この策は過去に前例がない奇策であったが、これが功を奏して高松城は人工的に造られた湖の中に取り残されることとなった。
 一方、毛利方も黙っていない。備中高松城が水没の危機に瀕しているとの一報を受けた毛利家当主の輝元は、すぐに救援の為に出陣することを決意。先代元就の子で毛利家の屋台骨を支える吉川元春と小早川隆景もその動きに同調して高松城へ救援に出向いた。
 毛利家が総力を挙げて現れたことで単独で対応するのは困難と判断した秀吉は、直ちに安土へ援軍を要請。我等も総大将である上様の出陣を懇願する旨が書状には記されていた。
「何卒、上様の出陣を賜りますようお願い致します」
 言い終えるなり吉継は深く頭を下げた。その姿から味方を危機から救いたいという気持ちが滲み出ていた。
「相分かった。直ちに備中へ向かう」
 熟慮するまでもなく、即決した。信長の眼から見ても、毛利家と決着をつける絶好の機会と捉えた。
 まず、秀吉が毛利の全軍を高松城まで引っ張り出したのは大きい。毛利をここで倒せば織田の版図は西へ一気に拡大して、その先にある九州が見えてくる。天下統一に向けて大きく前進することに間違いない。信長の勝負勘がそう囁いた。
 今現在、融通が利く軍勢は信忠率いる織田本隊と、丹波を平定以降は遊撃部隊の位置づけにある明智光秀の軍勢だけ。他の有力家臣達は各地に散らばり参集することは難しい。北陸の柴田勝家は越後目前まで迫り、丹羽長秀は三男信孝と共に四国へ渡海準備中、関東の滝川一益は赴任したばかりで国衆をまとめることで手一杯。ただ、先述した二人に加えて畿内周辺の与力大名も動員すれば、数万は捻出することが出来る。それだけの規模があれば毛利に遅れをとることはないだろう。
 問題は、遠路はるばる安土へ訪ねて来た家康への対応だが……戦は時機が一番大切なので仕方ない。一月もあれば片がつくだろうから、その間は京や堺を見物してもらおう。光秀は先遣隊として出発させるべく、接待役の任を解いて戦支度に備えさせる。
 それらの方針を瞬時に固めると、吉継の方に向き直る。
「秀吉にはくれぐれも注意を払うよう申し伝えよ」
「承知仕りました」
 信長の厳命に吉継は深々と頭を下げた。
 これで先日の武田に続いて、毛利とも決着がつく。上杉も最早風前の灯。ようやく天下布武に向けて目処がついてきた。先行きの明るさに気分が高揚するのを信長はひしひしと感じ取っていた。

「三河殿、真に申し訳ない」
 宴席に復帰した信長は開口一番に事情を説明し、非礼を詫びる。状況を察した家康は嫌な顔一つ見せず応えた。
「戦況は刻一刻と変化するもの、仕方ありません。ですから、お気遣いなく。……そうだ、こうして立ち会ったのも何かの縁。もし良ければ私も中国筋へ参陣致しましょうか?」
 招かれた客であるはずの家康から思いがけない申し出を提案されたが、信長は鷹揚な態度で断った。
「それには及びません。毛利など一月で片付けますので、三河殿はそれまでゆっくりと畿内を散策していて下され。帰ってきたら今度は茶の湯にてもてなしましょう」
「右府殿自ら亭主となるとは、何とも恐れ多い。この家康、その日が来るのを心待ちにしております」
 快く応じた家康に、信長は静かに頭を下げた。理解ある盟友に対して感謝する気持ちに偽りはなかった。

 十七日夜。信長は近臣達に中国出征を内示。各自合戦に備えて支度を整えるよう通達を出した。信長の側近くには優秀な官僚が揃っており、兵站の手配や軍資金の調達などが迅速かつ的確に行えるような体制が確立されていた。
 それから具体的な動きについて指示を伝えるべく、居室に蘭丸を招き入れた。信長の一番近くで差配を見てきたこともあり、蘭丸には側近としての資質が備わっていた。
 蘭丸は文机に紙と墨を満たした硯を用意して、主君の言葉を一語一句聞き漏らさないよう万全の態勢で待っている。この場で記した内容が順次織田家の家臣へ発給されていくので、責任重大だ。
「まず、光秀」
 そう告げると信長は一旦口を閉ざした。普段ならば思いつくままにスラスラと言葉を並べていくのに、珍しく考え込んでいる。暫く逡巡していた末に、ゆっくりと話し始めた。
「接待役を直ちに解く。新たに、秀吉への後詰めとして急ぎ備中へ向けて先行せよ。また、石見・出雲の両国を切り取り次第と致す」
 蘭丸は信長の言った通りに書いていく。丹波平定後は各方面への遊撃的位置づけにあった光秀だったが、今回の中国出征によって新たな任務を与えられたこととなる。
直後、信長は一旦言葉を区切ってから「但し」と付け加える。
「近江坂本・丹波は召し上げとする」
 衝撃的な内容に、蘭丸は息を呑んだ。
 石見も出雲もまだ毛利の支配地域、つまり敵国だ。平定するまである程度の年月を要するのは明々白々。にも関わらず、領地を手に入れる前に今ある領地を没収するとなれば、光秀を始めとする明智軍は帰る場所も兵站の補充も失われてしまう。『生き残りたければ死に物狂いで奪い取れ』と宣告しているも同然で、極めて苛烈な命令であった。
 ただ、信長は光秀が憎いから虐めているのではなく、奮起してくれることが狙いだった。
 織田家に仕官した当初から光秀の実力を認めていたし、その評価は今現在も揺るぎない。文化や作法に精通し、内政でも優れた才能を発揮し、さらに軍事面でもしっかり成果を残している。惜しむらくは、光秀は最近“守り”の色が濃くなっていることだ。
 昔の光秀は、勝算の薄い博奕も平気で打てる思い切りの良さがあった。それを思い出して欲しいと切に願い、敢えて苦境に立たせることにしたのだ。
 一方で、信長も光秀が石見・出雲の両国を簡単に取れるとは思っていない。兵が足りなければ秀吉に援護するよう命じるつもりだし、軍資金が足りなければ遠慮なく与えるつもりだった。気力さえ蘇れば、光秀の実力なら必ず成し遂げると信じて疑わなかった。
「……宜しいのですか?」
 蘭丸がおずおずと訊ねてきた。常ならば主君の言葉に聞き質すことなど有り得ないことだが、内容が内容だけに確認せずにいられなかった。
「うむ」
 短く、そして力強く信長は応えた。蘭丸はそれ以上何も言わず首肯した。
 その後も、中国出征に関わる配下の大名や家臣に対して具体的な指示を発していく。蘭丸はそれを一語一句漏らすことなく次々と紙に書き写していく。
 明日になれば諸将へ向けて発給され、毛利攻めに向けて家中が動き始める。唯一気掛かりなのは、苛烈とも言える内容を聞いた光秀がどう思うのか。
「蘭丸、明日お主の口から光秀に伝えよ」
 最後に、信長は蘭丸に告げた。
 例え主君の意向であっても、苛烈な命令を伝える仕事は誰だってやりたくないはずだ。それを敢えて一番のお気に入りである小姓に任せたのは、信長なりの試練であり愛情でもあった。
 蘭丸は表情を変えずに「御意」とだけ答えた。その反応に満足して、信長は一つ大きく頷いた。

 翌十八日。
 家康の饗応役には側近の長谷川秀一を充て、子飼いの小姓達は中国攻めの命令を伝える為に各自出立していった。その中には光秀の元へ送られた蘭丸も含まれている。小姓達を送り出した信長は、安土城でとある人物の来訪を待っていた。
 この日も安土は晴天に恵まれ、気候も穏やかであった。お気に入りの場所である天守の最上階で外の景色を眺めながら一人で時間を過ごす。
「お待たせ致しました」
 相手の声が聞こえると信長はそちらの方に顔を向けた。現れた人物を一瞥すると「うむ」と小さく応じる。
 待っていたのは―――嫡男・信忠。
 信長は目で向かいの椅子に座るよう促し、信忠もそれに従い腰を下ろす。そこで目線の高さがあまり変わらないことに信長は驚いた。並の人間より背が少し高いと自覚していたが、信忠も相応の背丈であった。普段は一段低い位置で座しているので気付かなかったし、特に意識して見ることもなかった。
 一方の信忠は信長の驚きも露と知らず、静かに椅子に座っている。呼ばれた理由は推察出来るはずなのに、信長の口から明かされるのを待っている様子だ。
 やがて観念したように信長は切り出した。
「昨日、備中の秀吉から毛利が動いたと使者が参った。この機を逃さず、決着をつける」
 そう伝えてもなお、信忠は表情を変えない。その反応に内心怒りを覚え、舌打ちしたくなる衝動を何とか堪えて続ける。
「直ちに岐阜へ戻り、戦支度を整えて安土に来い」
「……承知致しました」
 信忠は事務的な返事をするのみで、その態度がまた気に喰わない。光秀の堅苦しさにも腹が立つが、信忠の淡々と答える対応も癪に障る。自分の考えを明らかにせず、何を考えているのか腹の底が読めない。それが不気味であり、苛々する。
 仕事面ではこちらの思惑通りに動いてくれる忠実な家臣であり、実績も着実に残している。それなのにどうして俺は信忠に不満を覚えるのか。
 その理由を自分の中で追求して、ようやく答えに行き当たることが出来た。
「信忠よ。お前、俺の後を継ぐのだよな?」
 唐突に飛び出した質問に、信忠は困惑したような表情を浮かべる。
「はぁ……上様より家督を受け継いでおります故、左様に心得ておりますが」
 織田家の当主の座は既に信忠へ譲っているが、重要な事項については信長が実権を握っていた。天下統一の目標はまだ道半ばなので、隠居する気はさらさら無いのだが。
 しかし、信長の目から見て、信忠に天下人の資質があるか甚だ疑問だった。
 天下人となれば様々な難題に直面する。政はどうするか、家中はどう治めるか、帝や朝廷とはどう付き合っていくか。誰にも頼れず自分自身で意思決定していかなければいけない。現状でも信忠は家臣の意見を幅広く耳を傾けてから物事を総合的に判断しているのに、天下人の重責に果たして耐えられるか。
 高みへ向けて着実に歩みを進めている信長でさえ、天下人の重圧に苦しんでいた。まだ道半ばにも関わらず全てを投げ出してしまいたい衝動に駆られるのに、これから頂に到達したらどれだけの重さになるのか。まだ見当もつかないし、考えるだけで気が滅入る。
 敦盛の一節にあるように俺の寿命が五十年しか生きられないのであれば、あと一年で織田家は信忠が引き継ぐことになる。天下人となる意識があまりに希薄で重荷を背負っていく覚悟があるのかも疑わしい。そんな奴に後事を託すなど、御免蒙りたいものだ。
「俺が居なくなれば、お前が俺の代わりをしなければならない。それは分かっているな?」
「はい、それは承知しておりますが……」
 話の真意が読めず曖昧な返事に終始する信忠に、信長はさらに畳み掛ける。
「では訊ねるが、お前が天下人になったらこの国をどうするつもりだ!!」
 このまま無事に天下統一を成し遂げれば、俺が死んだ後は必然的に跡継ぎの信忠が次の天下人となる。この国の将来を民達に示していかなければいけない立場で、信忠は一体どういう形で導いていくつもりなのか。その気概を信長は質したかった。
 しかし、信忠の答えは信長にとって予想外のものだった。
「それはまだ申し上げられません」
 あまりに無責任な言動に怒号が喉まで上がってくるが、それを制して信忠は間髪入れず言葉を続ける。
「私はまだ、上様から天下布武を果たした後のことを伺っておりません。それを踏まえた上でお答え致します」
 思いがけない指摘に信長は言葉に詰まった。確かに、言われてみればその通りである。何人かには『こうありたい』と話した記憶はあるが、信忠に話していない。何も知らないのに叱責するのは筋が違う。
「……良かろう。ならば話してやる」
 信長は一度瞼を閉じて大きく息を吸い込み、静かに細く吐き出して心を整える。こちらも生半可な状態で伝えられない。ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて意識を集中する。
 そして覚悟が固まると目を開いて、信忠と正対して告げた。
「天下布武を果たした後は数年の準備期間を経て、異国へ兵を送る」
 まさか日ノ本を飛び出して海を渡るとは夢にも思っていなかったらしく、信忠は驚きで目を丸くした。
「信忠よ。異国では宣教師が切利支丹を増やした後に、本国から軍隊を送り込んでその国を乗っ取るやり方が横行しているそうだ」
「な……!」
 信長から明かされた衝撃の真実に、信忠は言葉を失った。
「まさか……奴等はあくまで布教が目的で、そんな魂胆を隠しているとは思えませぬが」
「その敬虔な聖職者が、裏で商人と通じて我が国の民を奴隷として送り出しているらしい」
 さらなる事実を突き付けられ、信忠は息を呑んだ。信長も苦々しく顔を歪める。
「皆、目先の利益にばかり目が眩んで奴等の本当の目的が見えておらぬ。隙を見せている者が悪いが、このまま放置しておけば近い将来に南蛮の属国へ成り下がってしまう。それだけは是が非でも避けなければならない」
「しかし、天下布武を成し遂げたとしても、兵や民が疲弊していては外敵に攻め込まれても対応出来ませんが」
「だからこそ、一刻も早く戦を終わらせて我が国を一つにまとめる。全国バラバラな暦も統一し、為替を固定し、非効率な市や座を廃し、関所を取り払う。国が潤う仕組みを日ノ本の隅々まで行き渡らせ、その間に大筒や鉄砲を大量生産させ、大船を建造させ、全てが万事次第に一気呵成で出撃する」
「なれど、我等が海を渡る大義は無いように思いますが……」
「相手が攻めて来るのを待っていれば、いつか必ず押し込まれる。我が国を守りたいのであれば一歩でも外へ出て戦う、これが織田の流儀ぞ」
 信長は尾張を治める地方大名の時代から、これまで一貫して領地の外に出て戦ってきた。攻め込まれれば例え相手を退けたとしても、損失ばかりで得るものは一つも無い。その行動哲学は現在に至るまで変わらず、天下人までのし上がった原動力となっていた。
「南蛮の者共がそうしたように、我等も大船を仕立てて攻勢に出る。それこそ我が国を守る唯一の手段だ」
 全て言い終えた信長は、胸の内に何とも言えぬ高揚感が満ちてくるのを感じた。こんなこと、初めての経験だ。
 こうして誰かに対して、この国の未来について真剣に語ったことは一度もない。ずっと一人で考え、一人で悩み、一人で答えを探し求めてきた。日ノ本でこれだけはっきりとした構想を抱いているのは俺以外に存在しないと自負している。
 天下布武はあくまで通過点に過ぎない。明日にも南蛮の軍隊を乗せた大船が大挙して押し寄せてくるかもしれないのだ。全ては、この国を守るためである。
 争いに敗れれば、その後に待っているのは悲惨な現実だ。女子は飢えた獣と化した男共に欲望の捌け口にされ、人民は家畜のように売買され、財産も穀物も根こそぎ奪われてしまう。狭い島国の中で行われている小競り合いでもこのような状況なのだから、外国に侵略されれば規模も比例して拡大するのは明白だ。
 そのような惨劇を防ぐ手立ては、ただ一つ。国全体が一丸となって他国からの侵略を撥ね返す力をつけることだ。早期の目標実現の為ならば、多少の犠牲もやむを得ない。
「……上様のお考えは、よく分かりました」
 信忠はそう言うと、口を閉ざしてしまった。よく見ると肩は強張り、小刻みに震えている。どうやら俺の苦しみの一端に触れたようだ。
 さて、俺の考えは包み隠さず話した。その上で、信忠はどういった答えを返してくるのか。それを楽しみに待っている自分が居て、とても不思議な気分だった。
 信忠は暫く俯き加減に考え込んでいたが、やがて意を決したように信長と正面から対峙した。
「真に壮大な計画だと思います。実現すれば我が国は海の向こうにも領地を有する、南蛮にも劣らない強くて豊かな国になりましょう」
 実の息子から絶賛され、率直に嬉しかった。信忠にも俺が思い描いているこの国の未来像が見えているのだ。共感を得られた喜びで、頬が緩むのが自分でも分かる。
「―――ですが」
 信忠はそこで一度言葉を区切ると、一つ呼吸を入れてからはっきりと告げる。
「私は、上様の夢を受け継ぐつもりはありません」
 信長は一瞬、何を言っているのか分からなかった。固まる信長に構わず、信忠はさらに続ける。
「長きに渡り戦乱の世が続いた影響で、人民は疲弊しきっています。私が後を継いだ後は、まず商いを奨励させ、荒れた田畑を蘇らせ、失った国力の回復を優先して行います」
「ならば、南蛮への手当ては如何する。明日にも海を埋め尽くす大船の軍団が押し寄せるかもしれないのだぞ。その対策こそ喫緊の課題ではないのか!」
 真っ向から反論されて、つい声を荒らげてしまった。こうして人と話して熱が入るのは……生まれて初めてのことかもしれない。振り返ってみれば、俺を慕い従ってくれる人は大勢居たが、同じ土俵に立って向き合う人間は存在しなかった。自分の思いを打ち明けたり、互いの夢について語れる、対等の立場で話し合える存在。それが齢四十九になって出来るとは夢にも思わなかった。しかも、相手は俺の息子だ。
 信長の短気、そして感情的になれば手を出す、場合によっては刀の柄に手を掛けることもあるのは家中の内外に広く知れ渡っている。怒れる信長を前にしても、信忠は動じることなく堂々と対峙する。
「なればこそ、国を豊かにして敵に付け入る隙を無くすことが先決です。敵も“与しにくい”と判断すれば、攻めることを躊躇しましょう。刃を隠しながら外国と上手に付き合うことこそ肝要と私は考えます」
 感情的にならず、それでいて思いの込もった熱弁を振るう。その振る舞いや受け答えに、信長は驚きを隠せなかった。
 これまでの信忠は自分が命令されるままに動くだけの駒とばかり思っていたが、いつの間にか具体的な方向性を内に秘め、それに見合うだけの見識を備え、この俺と同等に渡り合うまでに成長を遂げていた。その姿に信長はただただ驚かされた。
 正直、信忠を後継に指名したものの、期待より不安の方が圧倒的に大きかった。何を考えているのか分からず、資質も愚かでないだけで秀でているとも思えない。織田家の将来を託すことへの不安は常に抱いていたし、織田家が潰えないよう神経を使った。
そんな時、ある噂を耳にした。同盟相手の徳川家の嫡男・信康は『粗暴さはあるが、父をも凌ぐ器量の持ち主』と評判だと言う。俺自身も何度か対面したが、自らの若かりし頃と重なって見えることも度々あった。『いつか信康は信忠を上回る』、そう判断した俺は信康を危険分子と認定した。だが、相手は俺の長女の旦那であり、徳川の未来を担う将来有望な跡取り。簡単に手は出せない。
しかし……三年前、信康はその母・築山殿と共に武田家に内通しているという疑惑が浮上した。この機を逃さず、家康殿に信康の切腹を命じた。他家からの内政干渉ということで徳川家家中の反発も大きかったが、家康殿は要求を呑んで信康を切腹させた。
この一件で友好関係に亀裂が生じる可能性は低くなく、これがきっかけで徳川が敵に転じる最悪の事態も覚悟したが、家康殿はよく辛抱してくれた。その恩は表に出せないが、今でも心の底から感謝している。
 ただ、今なら自信を持って言い切れる。信忠を後継に指名した判断は正しかった。
「……俺の構想と比べれば一回りも二回りも小さくなることに、他人はお前を“愚か者”“軟弱者”と嘲笑するであろう。それでも良いのか?」
「構いませぬ。国を滅ぼして惨めな思いをするよりも、何も知らぬ者から汚名を着せられる方が余程マシにございます」
 きっぱり断言した信忠の瞳には、相当な覚悟と決意が強く表れていた。
 事業を伸張拡大していく時には協力や賛同する者は多くても、逆に統合縮小する時には非難や反発を表す者が多い。その道が正しいと信じたからには誰からも理解されず、自分一人で謂われない中傷とこの国の未来を背負うことになっても、敢えて至難な道を信忠は選んだ。頼りないとばかり思っていた信忠は、いつしか強固で揺るぎない心を身につけていた。
 次々と明るみになる息子の知らない一面に圧倒されていると、信忠はさらに言葉を重ねた。
「例えるならば……上様は壊す人、私は均す人。元からある物を壊していくのは莫大な気力と確固たる信念が必要とされますが、私にそれがあると思えません。されど、壊した後の片付けには、最後までやり遂げる根気一つあれば充分です。それくらいなら私のような凡愚な人間でも持ち合わせています。従って、身の丈を弁えて自分の器に合わせてやっていく所存」
 まだ二十六歳とは思えない、落ち着いた物言いだ。しかも私情を一切挟まず、それでいて自分を冷静かつ客観的に捉えている。
 俺みたいな変わり種は百万人に一人存在するか否かの稀有な特殊例だが、信忠みたいな奴は集団に必ず一人は居る。俺を親に持ちながら普遍な自分と対比して、資質の違いまで見極めるとは大した奴だ。
 そして何より凄いのは、その“普通”な所だ。癖のない個性だから他の者の個性を邪魔せず、逆に他人には違和感なく受け入れられる。それもまた一つの強みだと、今初めて気付かされた。
 俺とは系統が異なるが、信忠も天下を任せられる資質を有していた。悔しいが、その器量を認めなければいけない。
「……最後に一つ問う。お前が目指す国の姿は、どう映る?」
「万民が戦に怯えることなく、安心して暮らせる世が見えます」
 繁栄より平穏を望む、か。実に信忠らしい答えだ。世代の違いか、それとも歩んできた道のりの違いか。
 思い起こせば、俺は家督を継ぐ前から他人と戦ってきた。嘲笑する者を見返し、害する人に抗い、行く手を阻む者は倒した。俺という存在と価値が世の中で生き残る為に。争いの中で積み重ねてきた半生と表現して過言ではない。信忠の言葉を借りれば“壊してきた”人生だ。
 だが、壊した後には瓦礫や屑が塵芥となって堆積して散らかっている。例えるなら荒れ地を開墾しても石ころや木の根が残っている状態だ。実りを生み出す田畑へ変える為には余計な物を取り除き、土に栄養を与え、作物を育てる下地を整えなければいけない。それには単純に壊すよりも数倍手間も時間も労力も必要とされる。だが、誰かがやらなければ始まりは訪れない。その面倒で煙たがる仕事を、信忠は自ら手を上げるというのだ。
 何とも物好きな男だ……まぁ、俺が親だから酔狂な性格をしているのは当然か。
「良かろう。天下統一を果たした暁には、お前にこの国を任せる。自らが目指す理想へ向けてしかと励め」
「はっ、承りました」
 信忠は体を折り曲げて深々と頭を下げた。信長が信忠を自らの後継として認めた決定的瞬間だった。
 ……子とは親の知らない間に大きくなるのだな。目の前で平伏する息子の姿を眺めながら、信長はしみじみと実感していた。

 その日の夜。信長は一人天守の最上階で葡萄酒を飲んでいた。元々下戸で酒を飲んでも口を付ける程度だが、今宵は無性に酔いたい気分だった。
 肴は置いていない。あるとすれば、昼間この国の未来について語り合った余韻か。外を眺めながら、ゆっくりと杯を傾ける。
 葡萄酒には硝子製の無色透明なギヤマンの杯がよく映える。その見た目も洗練されて美しいが、眺めているだけでも遥か遠く先の南蛮に思いを馳せることが出来る。
 一口葡萄酒を含むと、舌の上で果実の爽やかな風味とまろやかな酸味が広がる。南蛮からの渡来品でなかなか手に入らない品だが、清酒よりも飲みやすくて信長は好きだった。ふわふわとした気分なのは酒に酔っているのか、見果てぬ夢に酔っているからか。ただ、ここ暫くで一番心地いい。
「あらあら、珍しいですね」
 一人の時間を満喫しているところに、濃姫が侍女を伴わず一人でふらっと入ってきた。
 濃姫は自然な流れで信長の向かいにある椅子に腰を下ろした。その席は昼間信忠が座っていた場所だったな、と信長はぼんやりと考える。
「私もお相伴しても宜しいですか?」
 おっとりとした口調で訊ねた濃姫に、信長は無言で首肯する。ちょうど一本目を空けたところだったので、小姓を呼んでギヤマンの杯と一緒に葡萄酒を持ってくるよう命じる。
届けられたギヤマンの杯を濃姫に手渡すと、信長は葡萄酒の栓を開けて濃姫の杯に注ぐ。
 葡萄酒の赤紫色は血を連想するせいか嫌煙する者も多いが、濃姫は物怖じすることなく一息に飲み干した。男勝りな飲みっぷりに信長は惚れ惚れと眺めていた。
 自らの杯にも葡萄酒を注いで一口飲むと、ポツリと呟いた。
「俺も、老いたわ」
 先日の武田征伐から帰ってきた際も濃姫に同じ台詞を口にしたが、今回は前と比べてやや軽い感じだった。
「老いるのは嫌なことだとばかり思っていたが、案外楽しいのかもしれない」
 杯を手の中で弄びながら呟くと、信長は杯に視線を向けながら続けた。
「今日、信忠と話し合った」
「はい」
「なかなか面白い議論を交わして、信忠に後事を託しても大丈夫だと分かった。すると、途端に肩の荷が少し軽くなった」
「それは良うございました」
 濃姫がニコリと笑うと、信長も釣られて頬が緩んだ。葡萄酒を一口含むとさらに続けた。
「俺も今年四十九。この先どれだけ生きられるか分からんが、将来を担う者の為に何か残してやりたいという気持ちを初めて抱いた。無論、余生は好きなようにやらせてもらうが、後を継いだ者がやりやすいように下地は整えてやろうと思う」
 自分は神でも仏でもなく、一人の人間だ。いつか必ず寿命が尽きる時が訪れる。老い先短い者が未来ある者のやりやすいように繋ぐのも、先達の役割だと気付いた。
 そういえば父も俺を後継と決めたら、俺のやりたいようにさせてくれた。見えない所で俺が好き勝手出来るよう配慮していたのかと考えると、感慨深い気分になる。
「それで宜しいと存じます」
 濃姫は鷹揚に応えた。葡萄酒を一口含むと果実の甘味と酸味が口の中で弾けた。
 毛利を従えれば、その先に梃子摺りそうなのは九州の島津のみ。それでも、秀吉に中国筋の兵を授ければ二年程で片付けてくれるだろう。四国も渡海して足場固めを済ませればあっという間に平らげられる。北陸の上杉は風前の灯、関東の北条も辞を低くして接してくるから条件次第で配下同然に扱える。そう考えれば、東国は奥羽を残すのみ。中国で秀吉と光秀を争わせたように勝家と一益を競わせれば、東国も早く片付けられる。全て換算すれば早くて三年、遅くとも十年以内には天下布武を果たせる。
 天下布武を成し遂げた後は、全国津々浦々に楽市楽座を広め、暦から貨幣、枡に至るまでバラバラになっている仕様を統一。差異のある価値を共通にして、売買を円滑に行えるように改めよう。関も廃して水運の通行料も禁じれば、人や物の行き来が活発になる。商いを奨励させて庶民に戦乱の世が終結したことを印象付ければ、固く締めていた財布の紐を緩めて銭を使うようになる。新たな銭で商いは盛んになり、実入りも増えて生活も豊かになる。利益から利益を生む好循環が整うわけだ。
 その為には、今の段階から先を見据えて動かなければいけない。貨幣や枡の規格は豪商に協力を求めれば何とかなるが、問題は宮中の役人が管轄である暦だ。旧来のやり方を頑なに踏襲するばかりで改善しようという気概すら持たない無能者の集まりと言っていい。宣教師の話では南蛮では我が国で使われているものとは全く異なるやり方を用いているとか、唐でも以前から使われているものを誤差が少ないやり方に改善が進んでいると聞く。古くから非効率な方法を革新する意思を強く示さなければいけない。……今度上洛する際に帝へ上申してみるか。
「そういえば、濃は京を見たことはあったか?」
 ふと思いついたことを聞いてみると、濃姫は静かに首を振った。
「いいえ。私は清洲と岐阜と安土だけですね」
「……何処か行ってみたい場所はあるか?」
 まずい質問をしたと思い信長は尋ねると、濃姫は即答した。
「私は上様と一緒の世界を見れるだけで満足です」
 真っ直ぐな言葉で返されて信長は頬を赤らめる。色白な肌に朱が差すと一目で分かる。
 そう言われると、濃姫が知らない世界を見せてあげたくなるではないか。
「……ならば、その望みを叶えてやろう」
 杯に残っていた葡萄酒を一気に呷ると、濃姫の瞳を見つめながら続けた。
「まず手始めに、京だ。千年王都と呼ばれるだけあって、流れる水や薫る風も趣を感じられる。毛利攻めから戻ったら必ず招く」
「まあ。そのお言葉、信じていいのですか?」
 思いがけない提案に目を輝かせる濃姫に、信長は力強く頷く。
「当然だ。俺がこれまで約束を違えたことがあったか?」
 聞かれて、濃姫は首を振る。思い返せば、信長は濃姫が嫁いできてから、ずっと約束したことは絶対に守ってきた。公的には伊勢長島一揆の際に偽りの誓約を結んで皆殺しにしたが、私的な時に限れば交わした約束は必ず果たしてきた。世間では信長を冷酷と評するけれど、付き合ってみれば温かみのある優しくて律儀な人だと濃姫は思う。
 政略結婚という形で濃姫が織田家にやって来て間もない頃、信長は意識して濃姫の部屋へ足繁く通った。市中の噂や馬鹿話を仕入れてきては身振り手振りを交えて話したり、遠乗りの途中で見つけた可憐な野花を摘んで渡したり。今となっては、良い思い出だ。
「待っておれ、濃。毛利攻めから帰ってきたら、俺は一旦骨休めする。その時は必ず濃が知らない世界を見せてやるからな」
 はっきり宣言した信長は、不意に濃姫の顔に急接近して―――優しく唇を重ねた。
 事後にどうして俺はこんな衝動的な行為をしたのか、自分でもよく分からなかった。
「南蛮では愛する者に接吻すると聞く……嫌だったか?」
「いえ、まだ上様から愛されていると思い、濃は嬉しゅうございます」
 直後、瞬く間に信長の顔は真っ赤に染まった。葡萄酒を呷った酔いが急激に現れたものではないのは明白だった。
 初な反応に濃姫は「うふふふふ」と楽しそうに笑う声が、二人だけの部屋に響いていた。

 五月二十九日、信長は合流した信忠の兵と共に安土を出発。この時、信長の手勢はおよそ百人、信忠の手勢も二千程度と、普段と比べて極端に少なかった。
 信長一行は琵琶湖を船で横断して当日中に上洛、宿所の本能寺へ入った。本能寺は法華宗の寺であるが、信長が毎回京都を訪れた際に滞在する為、堅牢な造りに改装されていた。
 翌六月一日には朝廷へ参内。予め武家伝奏の勧修寺晴豊にその旨を伝えてあった。帝と対面した際に、全国各地で使われている暦を一つに統一するよう要請した。これはこの先の天下統一を果たした後のことを見据えての提言であった。一方で、帝や公家衆は信長から突然の要請に困惑した……とされる。
 そして日付は変わり、運命の日を迎える―――



(了)




 
 この作品は、元々二年前にある新人賞へ応募したものの落選した作品を大幅に手直しした作品です。
 ……手直しなんてレベルではなく、土台と元の材料だけ残したフルリフォーム状態でした。表記が間違っていたり文体が違っていたり余計な文章を大幅に削ったり。特に最初の入りの部分に至ってはあまりに酷かったので全部書き直しました。

 今回の裏話はかなりマニアックな内容となっていますのでご注意を。
 『天正』は戦国時代の元号になります。そして、この作品の設定から一月後の天正六月二日は―――本能寺の変が起きます。つまり、織田信長が甲州征伐から帰ってきてから京都に出発するまでの、信長が死ぬ前の一月にスポットを当てた作品となっております。……甲州征伐から安土に戻ってきたのは四月二十一日ですので、正確には“およそ”一ヶ月ですが。
 戦国時代を題材にした歴史小説でありながら、合戦シーンは一切ありません。「信長が何を考えていたか」というのが一つのテーマとなっています。信長というのはカリスマ的存在だったり残虐な魔王だったり、書き手によって異なりますが、私自身はもっと人間味のあるキャラクターだったのでは? という前提で書きました。
 信長の考えを引き出す役には森蘭丸を据え、人間味を引き出す役には濃姫を据えました。私自身様々な歴史小説を読んできましたが、自分の中ではこの配役が最初から頭にありました。
 信長と朝廷の関係については武家奏伝役の勧修寺晴豊を選びました。作中にあった三職推薦についても、実際にあったとされるお話です。
 備中高松城からの使者に大谷吉継を選んだのは、“武勇に秀でつつも理路整然と援軍を乞う”という難しい役柄を託せるのは、秀吉お気に入りの小姓の中でも知勇兼ね備えた吉継しか居ない! と思ったからです。完全に個人の趣味です。
 さて、嫡男の信忠ですが……偉大な父を持つ二代目というのは得てして苦労人が多いのです。歴史を紐解いても『初代は英邁、二代目は地味で苦労人、三代目は優秀』という系譜が多いです。例えば徳川家だと家康→秀忠→家光……といった具合です。信忠の評価も、信長の功績と比べるとかなり低いです。というか、目立った活躍をあまりしていません。しかし、人使いが荒く他者を見る目が厳しい信長が信忠を嫡子と定めてからずっと変えなかったというのは、それだけで信長から「有能」というお墨付きがあったからこそだと考えています。信長は子沢山で信忠以外に大勢男子が居たので、もし「使えない」と判断したら即座に首をすげ替える……というのは簡単にやってのけたと思います。

 色々と酷かったのですが、手直ししたら意外と良い作品に仕上がったので内心満足しています。
 これを読んで「面白かった!」と思っていただけたら、作者冥利に尽きます。

(2019.10.08. up.)

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