「ブラック、聞いているか」
ハッとして周囲を見渡すと、一様に戦隊物ヒーローの格好をした人が並んでいた。赤、青、黄、緑、桃など色は違うが皆同じスーツを着ている。
この光景がおかしいとは感じない。これがいつもの日常なのだから。
声をかけてくれたのは赤色の戦隊ヒーロー。彼は“レッド”と呼ばれ、様々な性格で争いも絶えない集団を見事にまとめているリーダーだ。
普段からみんなの輪から一歩引いた距離で議論を眺めているが、最近どうも話が頭に入っていかないことが多くなってきた。
レッドは気を遣ってくれるが、他のメンツは冷めた態度で接してくる。不快感を隠さずにぶつけてくるメンバーも少なくない。
ふと思ったことがある。『自分はみんなと違うのではないか』と。
嫌われるのも合点がいく。個々の性格に違いはあれど同じ方向を向いて団結しているメンバーの中に、一人だけ輪に入らず傍観者に徹している。和を乱す者は嫌われるのが組織の常識だ。
それに限らず、他にも自分は他の人と違うような気がする。
ヒーローの集団にいることに不満はない。が、存在意義がイマイチわからない。その上、自分の生い立ちは覚えていない。
そんなある日だった。彼に出逢ったのは。
花丸高校で野球をしている青年に出逢ったのは偶然だった。
街を歩いていたら道端の片隅にポツンと箱に入れられた子猫が目に入って、その場で屈んでいたら声をかけられた。軽く声をかけられたというよりも、どちらかと言うと説得されていた?。
何故強く迫られたのかよくわからなかった。子猫を見て「美味しそう」と呟いたことがそんなにおかしいことだろうか?
子猫を腕にかかえてその場を去った。この後子猫には“スキヤキ”と名前を付けた。
それから何回か彼と会った。名前を聞かれた時には普段呼ばれている“ブラック”と言わずに、“芹沢真央”と名乗った。
彼は魅力的な人だった。人前で喋ることが少ない私は専ら聞き役に徹したが、彼の口から出てくる物語はいつ聞いても飽きることがなかった。
なによりも人としての温もりや優しさ、慈しむ心を持っていた。一緒にいるだけで心が和むのが自分でもわかった。
時々私のことを聞いてくることもあったが、うやむやにして答えを避けた。私には、答えるほどの中身がない。
先述した通り、自分の生い立ちについて理解していないし、ただ漠然とレッド達についていく日々を送っていた。これと言って話せる程に経験を積んでいない。
一度だけ、クリスマスの時に彼から告白を受けた。
素直に嬉しかった。でも、これ以上踏み込んだら魔法が解けるような気がして怖かった。
そのことを率直に打ち明けると、彼は難しい顔をしながら理解してくれた。代わりに彼と会うことが多くなった。
こうして一定の距離を保ったまま付き合いを重ねていった。
彼と過ごしていく内に、二人の思い出が少しずつ重なっていった。好きと好きが重なった、甘く淡い日々に幸せを感じていた。
しかし、満たされた時間は永く続かなかった。風雲急を告げたのはヒーロー達であった。
加入する前から在籍していた無能な連中が勝負を仕掛けてきた。もし相手が勝ったら俺達に野球部を出て行け、と。
ブルーやイエローは役に立たない部員を除きたいと思っていたので、千載一遇の機会と捉えていた。他のメンバーも露骨な嫌悪感を露にしていなかったが、少なくともヒーローだけで甲子園に行くことを望んでいた。
だがブラックは違った。
今目の前で行われている議論に危機感を抱いた。
正義のヒーローが、ヒーローでなくなりつつあるからだ。
発足当初には明確な悪が必要だということでワルクロ団を生み出して、ヒーローの存在意義を自ら作り出した。
ワルクロ団が悪事を働いているところに颯爽と登場して、街を荒らす悪を正義のヒーローが成敗する。シナリオを達成した報酬としてワルクロ団は奪った商品を自分達の物にする。
双方の目的が合致して生まれたギブアンドテイクの関係。年々悪巧みが過激になってきたが、それに比例してヒーローへの期待は高まっていった。
しかし、本来あるべき姿から徐々に離れていった。
無邪気な願いが、邪な気持ちでどんどん上塗りされていく。このままだと最も守らなければならない本質さえも呑み込んでしまう。おまけにレッドまで今の立場に酔いしれている。
そしてワルクロ団は役目を終えたとして秘密裏に潰してしまった。甲子園に行く上で「ヒーローと手を組んで荒稼ぎしてきた」と告げ口されるのを恐れて。
このままではいけない。今の状況で、ヒーローを止める者が誰一人として存在していない。
危機的な状況に立ち向かえるのは、彼しかいない。他のメンバーに見つからぬよう黒野博士の元を訪れた。
数日後、黒野博士から連絡があった。ヒーローにしか効果がない妨害装置が完成したのだ。
機械を受け取って即座に花丸高校へ駆け出した。早く届けなければ、という使命感が足を速める。
「ハーイ♪」
間延びした声。姿を現したのはピンクだ。
行く手を遮るのならば、例え辛苦を共にしてきた仲間であっても容赦はしない。人間の姿からヒーローへ変身した。
「野球場へ向かっているのね。悪いけどアナタを行かせるわけにはいかないの」
勘付かれていたか。自分を忌み嫌っていたブルーの差し金か。
実際ピンクもブルーからの指示だと口にした。ブルーに対してピンクは仲間以上の感情を持っている様子なので、ブルーの頼みならば断ることがない。
「・・・・・」
時が惜しい。意識を集中させて、その場から消えた。まるで最初からいなかったかのように。
これが私の能力だ。痕跡を残すことなく変幻自在に消えることが出来るので重宝している。障害物を通り抜けられる訳ではないので、隠れると表現する方が正しいか。
一瞬の内に私が視界から消え去ってもピンクは動揺することは無かった。
「アナタは姿を隠すのが得意だっけ?でも、アタシは見つけ出すのが得意なのよね〜♪」
繰り出してきた攻撃が見事に当たった。情け容赦のない攻撃で左腕の骨が折れる音がした。
相性は最悪だ。どれだけ上手く隠れても見つけ出されるのであれば意味がない。
「あらあら、イイ音したじゃないの♪―――私、アナタのこと嫌いだったの。だから、ここできっちり潰してアゲル♪」
宣言通り惨い攻撃の連続だった。急所を狙うことなく、じわじわと痛めつけてくる。
強行突破したくても脚が粉々に折られたのでは満足に動くことも出来ない。激痛に顔を歪めながら必死に前へ行こうと悶くが、ピンクはそれを許そうとしない。
まるで虫けらだった。圧倒的優位に立つピンクは苦しむ様子を楽しんでいるようだった。
黒のヒーロースーツは砂や汚れに塗れ、体の一部も本来あるべき方向を向いていない部分もある。
「いい気味ね。薄汚い黒猫は地べたを這い蹲っているのがお似合いなのよ」
抵抗出来ず地面に倒れこんでいる上に跨って、ネチネチと攻撃を止めない。ダメージが大きく変身スーツは解除されて本来の姿に戻っている。
頭上から降り注ぐ言葉に、思わず唇を噛む。何も出来ない不甲斐なさや悔しさが心の底から沸々と湧きあがってくる。
「真央ちゃんに何をしているんだ!」
声が聞こえた次の瞬間、体の上に感じていた重しがふっと軽くなった。見るとピンクが横に吹き飛ばされていた。
何故、何故ここにいるの。
この声、あの背中。間違えるはずがない。
球場にいるはずの彼だった。
どうやらピンクは想定外の一撃を喰らって気絶しているみたいだ。彼はボロボロになった私を見てひどく狼狽していた。
恐らく試合を抜け出して駆けつけてくれたのだろう。肩で大きく息をして、全身から汗が噴出している。
こんなに薄汚れて傷ついた黒猫でも彼は受け入れてくれる。けれど、今その優しさに甘えることは出来ない。
彼は重大な岐路に立っている。自らの夢を掴み取るか、驕り高ぶった自我の暴走に呑み込まれるか、の瀬戸際に。
辛うじて動かせる腕を渾身の思いで動かして、彼に一つの機械を手渡した。
黒野博士が作ってくれた、ヒーローの力を弱める機械だ。披検体として自らの体を差し出し、実際にその身で確かめたので問題なく作用する。
それでも彼は私を思ってその場に留まろうとしている。
「私……丈夫だから―――試合、行って」
思うように口が動かず言葉が掠れてしまった。彼はじっと私の瞳を見つめる。
言葉は必要なかった。最後には私の言葉を信じて、一目散に来た道を駆け戻っていった。
小さくなっていく背中を見送りながら、一つ咳をすると口から血が出てきた。彼の勝利を強く願ったのを最後に、意識が途切れた。
別れた後に球場へ到着した彼は、見事ヒーローを撃破したようだ。そして、その勢いに乗って彼は甲子園を制覇した。
あれから彼には逢っていない。逢わないように意識した。
世間一般的に言えば彼とは付き合っていたけれど、今まで彼や他の人達に行ってきた酷い仕打ちを考えれば、彼に合わせる顔がない。
元々は彼のために生まれてきたはずなのに、いつの間にか彼の願望さえ踏み躙ってまで自分達のために生きようとしていた。元ある姿に矯正するにはあの方法しかなかった。
そして、ヒーローとして最後の仕事に取り掛かった。街の人々の中からヒーローの記憶を消すことだ。
彼の願いから生まれた私達は紆余曲折を経たが達成させることが出来た。願いを成就した以上は存在する意義がない。
実際に他のヒーロー達は跡形もなく消え去ってしまった。彼の中には甲子園優勝という夢のような思い出だけ残る。ただ惜しむらくは私と過ごした日々も共に消えてしまうことか……。
あれから数ヶ月が経過して、すっかり夏の名残も街の中から消えていた。
彼は見事ドラフト一位でプロ野球への道に進んだ。これで幼い頃から抱いていた夢が実現したことになる。
一生逢わないと心に決めていたが、ふと彼に再び逢いたいという衝動に駆られた。懸命に押し殺そうと努めたが、自分の気持ちに逆らえなかった。
いつも学校へ向かう際に通っている道に潜んで、一目だけ彼の雄姿を瞳に焼き付けようと思った。ほどなくして、彼は歩いてきた。あの日と変わらず元気な姿だった。
これでいい。
私は街角にいるような猫なのだ。彼とは生きる世界が違う。
見た目だけで忌み嫌われる黒猫は、暗い路地裏でひっそり息を潜めて生きていくのが性に合っているのだ。今までが特別な日々だったのだ。
何事もなく平然と通り過ぎていく彼を見送って、立ち去ろうとした。
「―――真央ちゃん!」
背後から聞き馴染んだ声が飛んできた。自分でも何故呼ばれたのかわからない。
……どうして?どうして、覚えているの?記憶は消したはずなのに。
だが彼は忘れることなく、はっきりと記憶していた。
「だって君からはまだ何も教えてもらってないじゃないか。大好きな君のことを、もっともっと教えてもらわないことには、忘れてあげないよ」
私は彼から色々なものを受け取った。日陰者で嫌われていた私を救ってくれたのは、紛れもなく彼自身だった。
教えてあげられることはあまりない。空っぽな私を、人間として育ててくれたのは彼だから。
そしてイタズラっぽく笑う彼の表情は、あまりにも眩しかった。視界が滲んで世界がぼやけて映る。
思い余って彼の胸に飛び込むと、何も言わずに優しく受け止めてくれた。
居場所がなく彷徨っていた黒猫は、どうやら自分の居所を見つけたようだった。
fin.
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