"僕はとんでもないくらい、明るく振舞い続ける友人を持ってしまっている"。
そんな彼は、僕と同じあかつき付属の二年生でクラスメイトで……野球部だ。しかもピッチャーで"二年生エース"という肩書きを担っている事には正直、驚いている。 彼の性格からして、どう考えても…想像もつかない"役どころ"なのだから…。
そして…こんな僕、猪狩進は彼…米沢俊幸に振り回される毎日。兄さんの守にも兄弟という面で振り回されているが…兄さんは僕に程よい程度に手厚かった…。 しかし…彼は容赦ない。高校内での全ての時間は…ことごとく、彼の為に潰されていくのである…。 …でも…そんな彼の天然さに殴り続けられるのも…いいかな。
"僕はとんでもないくらい、ヘンテコな友人を持ってしまっている"。
しかし、それは逆に…規律正しくされている僕の生活に…新しい風を舞い込んでくれているのかもしれない。何故なら…僕は本当の"ヨネザワ"という、彼の本心を知ってしまったのだから。
いつも、奇想天外で冗談なのか真面目なのか…全く分からない事ばかり話す彼だけれど…それでも、僕は彼から逃れようとはしない。もし…僕が米沢君から無理にでも離れてしまったら……━━━
彼…ヨネザワという存在自体が消えて無くなってしまうのだ…。
*
「……じゃあ、お聞きしましょう! 進君は"カレーライス"と"ライスカレー"の違いについて…説明できるのか!?」 「知らないよ! 君も早く、そのカツ丼を食べなよ!」 「……じゃあ、お聞きしましょう! 進君は"勝つ"と"カツ"の因果関係について…説明できるのか!? ただ単の同音異義語じゃないのか!?」 「どうでもいいよ! 早くしないと…先にカレーライス食べちゃうよ?」 「……じゃあ、お聞きしましょう! 進君はやっぱり……"カレーライス"と呼んでしまうのか!? …はぁ……そうなのかぁ…」 「え…? …それじゃあ何? 米沢君は…"ライスカレー"って呼ぶの?」 「そうだよ! "米があってなんぼのカレー"だからねぇ♪ ライスが先頭に付くのは当然じゃないか?」 「………………ふ〜ん………ごちそうさまでした!」 「おい、ちょっと待ってて。3分…2分…いや、1分120秒待ってよ!」
「…………戻ってない?」 「………………ホントだ…、あ…うん、ホントだねこりゃ」
こんな会話が、高校内の食堂で繰り広げられるのだ。一口、モノを放り込んでは米沢君の口からは、くだらないモノが飛び出してくるのだ。閑散としている食堂内で、僕と米沢君の会話が飛び交っているだけ。厨房の向こう側の職員の方が、鍋を片手に口端で笑っているのがチラリと見える。
シワ一つ点在しない薄茶色のブレザーに、ワイシャツの上までキッチリ上げているネクタイの僕と、……ブレザーではなく…シワだらけのワイシャツ姿で、ネクタイも中途半端な位置にぶら下がっていて、髪もワックスの所為で立ってしまっている米沢君。 対照的なまでの二人…。まるで一般人と不良…。クラスでも奇怪な事に席は隣同士…。 と、いう訳で……無論、授業中も先生が黒板に向かっている隙を覗っては、真面目にノートを取っている僕の耳に己の手を宛がい、ヒソヒソ話を展開してくる。この瞬間が一番、ゾクリと来る。
「…………進君の左頬……バンソウコウ……気になる…。……封印?」 「だから…米沢君、何も封印されてはないよ。……って、授業はしっかり聞こうよ」 「何だとぉぉ!!」 僕の耳に宛がっていた手をパッと離すと、行き成り席から立ち上がり、クラス中を騒然とさせる。 "あちゃぁ〜"と思いながら、僕が額に手を添えてガックリと落ち込んでいる素振りを見せても、米沢君のナチュラルパワーの暴走は止められない。
「これだけは言っておこう、進君! 訳の分からない"レ点"やらが付いてる漢文の授業なんかどうでもいいんだ! そんな事より、その! 君の! バンソウコウの秘密!その裏には何があるんですか!? 剥がしたらどんな怨霊が、こう……ブワァーって出てくるんですか!?」 「………いやぁ…少なくとも、怨霊は潜んでないよ」 「じゃあ何なんだ!! ご先祖様の御霊か!? …ん? ライトセーバーか? こう傷口から…光が溢れ出て…剣の形になって…そしてシャキ――――ン! …そうなんだ!!」 「勝手に決め付けないでよね……」 「うん、決まった!! 進君のそのバンソウコウは仮の姿なのだ…! フフフフ…、敵が襲って来た時の為の……ファイナルウェポンなのだぁぁ!!! シャキ――――ン!」
立ち上がり、身振り手振りを交えながら力説している米沢君に、僕はすっかりウンザリ冷めていた。授業が壊されていくのに堪えられなくなり、涙目になってしまう弱い僕。 無論、クラスの皆は、彼の姿に釘付けである。
……でも、皆は認めていたんだ…彼…"ヨネザワ"のことを…。国語の女の先生だって、怒っていやしなかったんだ。ただ目頭を押さえている僕の肩を…擦りながら…
「猪狩君…どうか彼に惑わされないでね。…君も分かっているでしょ? 彼も…貴方…"猪狩進という姿の存在"が必要なの…。そこの部分は…理解してあげて…」 先生の言葉に、僕は我に帰り…言葉に煮詰まりながらも、ゆっくり舌を動かす。 「………はい、分かりました………。僕が…しっかりしないと…いけないですよね」 「そうね。彼を支えられるのは…きっと、猪狩君しかいないんだから…」
必死に…必死に、涙を拭って……僕はやがて、横にいる米沢君のワイシャツの裾をグイッと掴んだ。泣いてはいない事をアピールするみたいに、米沢君に……真剣な眼差しで話し掛けようとした。その時、彼のマシンガン・スピーキングは、ピタリと 五月蝿さを無くしてしまった…。
「米沢君………授業、聞こう? 君の話なら放課後になったら、いくらでも聞くからさ」 その言葉で、彼は気力が全身から排出されたように、コテンと席に座り直した。 「……ゴメン…ゴメン、ついさ…自分の話に酔っちゃうん…だよね」 「大丈夫! …君は……悪くない。君を止められない僕が……悪いのかもね」 「……ゴメン…ね。僕は……こんな性格だから…」 「……うん、君は…米沢君は気にしなくても良いんだよ」
僕は左頬のバンソウコウを触りながら、静まりかえっている米沢君に微笑んで見せてあげた。"この秘密なら後で、幾らでも教えてあげるよ"…なんて答えながら。
そうさ…そうなのだ、多分…きっと…、彼の今の人格には何の罪も無いのである。 米沢君は悪くない。でも…"ヨネザワ"という存在が、彼を羽交い絞めにしているのだ。
米沢君は悪くない。でも…"ヨネザワ"という存在を受け入れている彼は、既に…犯罪者なのかもしれない。 僕の直ぐ横で、未だに自分のしてしまった事への後悔の念に駆り立てられている米沢君の姿。力無く、猫背で座っているその様は、彼の本来の人格を見せびらかしているように思えたのは…果たして…、僕だけなのだろうか。
彼から、時々飛び込む声……"ゴメンね"と。 そうさ…そうなのだ、多分…きっと…、こんな彼を支えられる役目は…僕なのだ。 明るくも、こうして切なさも醸し出す彼を、汗流しながらも支えられるのは、きっと僕という人間が…必要なのかもしれないんだ。
僕…猪狩進は、"ヨネザワ"という存在を知ったのだからね…。
「…でも……良かった。バンソウコウの中身が怨霊だったら、困るな…。今は生憎、伯方の塩とかは持ち合わせていないからね。振り撒けないからなぁ…」 「そう…。僕も…困るよ。塩なんか振り撒けられるとね」
それでも…こんな状況でも、冗談を言い続けようとする彼の努力には感服する。 冗談だけれど、僕は冗談抜きで…本当に感服してしまう。 ━━━ヘンなの…。
*
そんな出来事も、彼は今日の内でさっさと忘れてしまうのである。頭の切り替えがズバ抜けているかどうかは、知る由も無い。いや…あまり知りたくも無い。知りたいと思う頃には、また米沢君は突っ走っているんだから。 それは、部活…野球部の練習時にもそうなのだ。
そして………同時に、"ヨネザワ"という存在が垣間見える時……。
「兄さん、そうだね…最後の一球は外角低めに真っ直ぐで行きましょう」 「…分かった、アウトローだな」 あかつき大付属野球部の専用グラウンドの敷地内、太陽に身を照らし…放課後の夕焼けを受けながら、皆は各自取り組んだメニューをこなしている。ベンチ横のブルペンで、僕と兄さんは時折垂れる汗を気にしながら、右打者を想定した投球練習に励んでいる。
そして、兄さんが最後の白球を投じようとした時…、ベンチから"次の順番"を待っている米沢君から、僕等の覇気こもった練習を削ぐような台詞が投げられて来た。
「アウトロー…! 男はやっぱり"アウトロー"に生きるべきですか? 守先輩!」 ワインドアップからの投球をストップさせ、振り上げていた腕を下ろす兄さん。 両眼をキョトンとさせながら…彼の言動を気にせずにはいられない様子であるようだ。 「君は…この状況が分かるだろう。君の考えは……"アウトロー=擦り切った不良のような連中"を指しているようだけれど……、君も投手という肩書きを担う者ならば、練習の時は責めて、"アウトロー=ストライクゾーンの外角低めのコース"くらいは理解出来ないのか!!」
「…あ、なるほど。話が見えてきましたよ」 「何が見えてきたというのかい?」 「つまり、つまりですよ? アウトローという定義は、外側の低め…という事…… になる訳ですよね? 確かに…外側はキツイですからねぇ…」 「…………そうだよ…。って、今…僕が言ったよね?」 「やった! これで解決ですね! テッテレ〜〜♪」 大きく両手でガッツポーズする米沢君はきっと、兄さんにとっては異色に感じただろうね。でも米沢君は、自分は"自然体"を貫いているとか思っているだろうな。
目を輝かせながら話に夢中になる米沢君と、グラブを嵌めたまま、溜息ついでに頭を抱える兄さん。……しかし、兄さん…猪狩守も、また"ヨネザワ"という存在を知った一人なのだ。 兄さんだけではない。この学校中の皆も…"ヨネザワ"という存在に気付いている。彼の抱くもう一つの世界の広がりを、毎日受け止めているのだ。
「……もう、いいや。…進! ラスト、行くぞ!!」 「いつでもどうぞ、兄さん…」
兄さんが辛うじて、邪念を拭き取って投げた投球は、いつにも増して…重くズシリと体感できる球質である。僕のキャッチャーミットは、"バシンッ!"と鋭く、乾いた音を響かせていた。そして刹那……、兄さんは何かに吸い込まれるように、ふと…ベンチに待機中の米沢君に視線を流した。僕も、ボールをミットに収めたまま、ハッと米沢君に眼を向ける。
そこには……
時が止まってしまったように…ゼンマイが止まってしまったように…、米沢君は瞬き一つもせずに、僕等…"兄弟"を眺めている。 ピクピクと突発的に唇が震えるだけで米沢君は"時が静止する空間"に迷い込んでしまっている。逆回転する懐中時計たちが漂う、抽象的な空間に…彼は誘われているのかもしれない。 自分の犯した過去を、さぞかし熱心に振り返るように、過去と現在を行き来するのだ。 まるで、兄さんの最後の投球が放たれたのが、タイムスリップの引き金になったかのように…。
━━僕にも……僕にだって………兄さんが…いたさ…。兄さん……兄さん……━━
光が突き抜けたようなこの短い間に、彼は過去を想っていた。 僕…猪狩進と、僕の兄…猪狩守を食入るように、懐かしそうに眺める米沢君の中には、"ヨネザワ"というもう一人の存在……即ち"第二の人格"が形成されている。
きっと…きっと、彼が投球練習を始める頃には、米沢君はもう米沢君ではない。 悲しいけれども…僕も、この時ばかりは米沢君ではなく…"ヨネザワ"として、彼の人格を…彼の投球と共に受け止めるのだ。
彼は……"ヨネザワ"なのだ……。
*
暫くして…彼は重い腰を上げ、兄さんとバトンタッチをする感じで、ブルペンのマウン ドに登る。青色の彼のグラブと、緩やかなカーブが形作られているツバが付いている 使い古された野球部の帽子を被れば、彼のスタイルの完成。
「……進君、今日は何球くらい…投げようか?」 「君が決めれば良いよ! 何球だろうと、僕は付き合ってあげるけど…?」 「そうか…。それじゃあ…気の向くままに……気が済むまで……」 「……分かったよ。……君が……納得するまでね…」
僕は再び、キャッチャーマスクを装着し…引かれた白線の上に身を低く、そして構えた。 マスクの隙間から見える彼の姿は…まるで…まるで、別世界の次元だった。 いつもひょうきんな米沢君。いつも変な冗談ばかりで…僕を無理矢理笑わそうとする米沢君。そんな米沢君はもう居ない……。マウンドに居る彼は、笑ってはいないのだ。
泣いている…。
僕と…米沢君の横に立っている兄さんを気にしながら、泣いていた。けど、帽子を深く被り、懸命に堪えつつ……足を振り上げ、腕を振りかぶって…僕のミットに、ボールをぶち込み続ける。 がむしゃら…とは、こう言った状況を指し示すのだろうか。 僕がサインを言う前に、彼は既に投球モーションなのだ。形振り構わず、深く身を沈ませ、サブマリンから次々に、投球される。
カーブ…シンカー……シュート…ストレート。とにかくマウンドから放った。 撓る右腕から…次々と……。
彼はやっぱり、"ヨネザワ"だった……。
小休止を入れる事無く、"ヨネザワ"は唸る右腕から…多種多様な球種を無作為に投げ続けた。…兄さんの投球練習より、ずっとハードな内容だ。僕はマスク越しに微弱に震える息を吐き、"ヨネザワ"は流れ滴る汗を、顔をブンブンと横に振り払いながら…大きく口を開け…荒々しく息を吐く。
それと一緒に…"ヨネザワ"の頬には涙が伝わり、まだ瞳が潤んでいる。 まだ…投げようというのか…、僕の顔をハッキリ捉えている。僕も彼の顔を正面からハッキリ捉えていた。その時であった…。マウンドの横で腕を組みながら見守っていた兄さんが、慌てたように、僕に向かって首を横に振り、彼の限界点を知らせてくれた。
「米沢君……。終わろう…」 「……僕の気が済むまで…と言った筈だけどね……」 呆然としながら僕は立ち上がり、マスクを外し…マウンド上で肩で息をしている米沢君を静止する。もう…何十分と、間髪入れずに投げ込み続けたのだ…。もはや、"気が済むまで"とか、そのような問題ではない。しかし、"ヨネザワ"は細く眼を光らせ僕をキッと睨みながら…息も絶え絶えな声で続ける。 「まだ…まだだ……。……!! うぁ……ふぅ………」 次の動作に急いだ時…彼の体は、無情にもマウンドの上で崩れた。 「米沢君!!」 でも…彼は崩れ去った体を無理にでも立ち直そうと必死にもがいている。 でも…"ヨネザワ"の弱りきった視線は、ちゃんと僕に真っ直ぐに見つめていた。 僕の顔を見て、安心したのか…彼は、脆弱な声量で、笑いながらボソリと呟く…。
「兄さん……。兄さん、ゴメンなさい…。僕は…やっぱり、役立たずだよ…」
"僕を…僕を、"兄さん"と呼ぶその声…。同級生を、兄と呼ぶその声…"
"役立たず"にアクセントを強調しながら、彼は"僕の兄さん"に抱えられながら、真っ白になってしまっていた。……思考も…感覚も…リセットされたように…… "ヨネザワ"は消沈したのであった。僕は、マスクをポトリと落として…体を両手で擦りながら、震えを抑制する。 僕も……リセットされそうだよ…。
━━駄目だよ…。僕には……荷が重過ぎるよ。君のお兄さんだなんて……。でも━━…
意識が朦朧としている彼を、ベンチに移動させている僕も、体が身崩れしてしまいそうだ。滲む両目を片方の袖で何とか抑えるも、"ヨネザワ"…もとい、米沢君の発言に…翻弄されている僕……。いつも言われている事だけれど、やはり何度言われても、辛い…辛すぎる。共に運ぶ兄さんに"大丈夫か?"と問われても、今の僕からは何も出てくる余裕は……きっと無い。
*
「また……お兄さんを…思い出してしまったんだね?」 「そうだよ…。僕はいつも思い出すんだよ。進君を見る度に……君が…兄さんと重なるのが……怖いんだ……」 「怖いから…マウンドに上ると、米沢君はあんなに…強がって見せるんだね…」 「僕は…僕は……、君を殺すつもりで全力投球…してるんだ…。そう…殺すつもりで。かつて…僕が、"僕の兄さん"にしたように…。今度は、進君をも殺そうとしている」 「だから……君は…、"殺す"という衝動に駆られないように、無理にいつも、明るく振舞っている。周囲を巻き込んでまでしなければ、君は僕を殺してしまうんだ」
「でも…!! 進君は…こんな狂った理性を持つ僕を許してくれている!! …なのに、なのに僕は…!! 僕は……ボクハ……」 ベンチにて…、僕と兄さんに板挟みされるような形で、米沢君がチョコンと座っている。 僕達…"兄弟"に挟まれながら、彼はスポーツタオルで顔を覆い、下唇を噛み締めながら悔し涙を流している…。そんな米沢君に、僕が出来る事といったら…、彼の震える膝を擦ってあげるくらいだ。そうしていたら……何だか僕も歯痒くて、さっきまで兄さんに励まされながら耐えていたものを…とうとう、目尻から零してしまう。
<……僕は、米沢君に殺されようとしている。>
*
━━━米沢君のお兄さんは"生前"、僕と同じ捕手で…彼とバッテリーを組んでいた。 リトルリーグの頃から、チームの中心的存在で…毎試合を湧かせていたんだ。でも、お兄さんは……米沢君を妬んでいた…。何故ならば、"兄という存在を差し置いて、弟という存在が実力が上手だったから"。 それは…試合数をこなしていくだけ…募るばかりだったそうだ。
中学校に上がってから…、彼の兄は有望視されている自分の弟に殺意を抱き、何時しか"自分の弟を殺すことしか"考えられなくなった。 ……部活でも、兄は…米沢君を避け別の投手と練習をしていた。 しかし…米沢君は…"兄"を失いたくなかった。必死にお兄さんにアプローチし、また一緒にバッテリーを組むことを志願し続けたのだ。
しかしそんなある日、彼のお兄さんの口からこんな発言が飛び出たという…。
"お前と組むと……キャッチャーミットの代わりに、ナイフを持ってしまいそうだよ"
……と。狂った思想家になり掛けていた兄に影響されるかのように、米沢君の心も侵食されていった。……全てを……悟った。"自分は自分の兄に殺されようとしている"と…。
「だから…僕は……殺したんだ! 兄さんは…僕をナイフで殺そうとしていた。だったら僕も、兄さんを殺す手段は……ナイフしか無い…ってね」 「……米沢君…」 「そして、僕は殺した! 自宅の兄の部屋で本人を待ち構えた…。こっそり…ポケットに忍ばせながら……ゆっくりと………"歴史的瞬間"を待ち望んだんだよ…」
いつか……彼が話してくれた会話の断片。この時の彼は、淡々と面白おかしく語ってくれたのを覚えている。………"ヨネザワ"の笑みから読み取れるものは……
━━━殺して…良かったんだ━━━
典型的な理由だったのかもしれない。殺さなければ、自分が殺されてしまう…。 野球が出来なくなってしまう…。とにかく"ヨネザワ"は満足気だった。家裁で特別保護観察という形で、施設には入らなかった米沢君。それが善し悪しのどれを示唆しているのかは……分かんない…。
こうして米沢君は、"ヨネザワ"という人格を背負ったまま、曲がりくねった坂道を登りながら…今の経緯に至るのだ。"そんな前科の輩とは交わりを得るな"と、父さんにキツクお灸を据えられるけれど……僕は、偶然にも出会ってしまった"ヨネザワ"との関係を切除したくなかった。
彼は……今…泣いているのだ。僕…猪狩進という、"理想のお兄さん"にすがり付きながら…米沢君は自分を見知らぬ壁に叩き付けている。そんな彼を救えるのは、しつこいようだけれど…"兄さん"と呼ばれている……僕かもしれない。
僕なんかで良ければ、幾らでもしがみ付いても……大丈夫だよ。
*
「泣けば良いさ…。泣いていれば良いさ…。お前の"気が済むなら"それで良い…」 "僕の兄さん"は、米沢君の肩を撫でながら…盛り上がった土が異常に抉られた、ブルペンのマウンドを、寂しそうに"鑑賞"している。 「うううううぅ…! こほっ…ぇん! うわああああああぁぁ!!」
真っ赤に腫れ上がった瞳は、何を物語ろうとしている? 自分の過去? それとも、今を生きる自分? 米沢君ほど、不思議で…繊細で…大胆な人はいない。 同級生を"兄さん"と呼ぶくらいにまでなってしまった、ちっぽけで間違った彼の心の隙間。そして泣き叫ぶ、彼の悲痛な心の空間…。 …空間は鋭利な刃物で切り裂かれ…より一層、内部を広くする。 それは僕への殺意の源なのか、それとも…自分で自分を殺そうとしているのか…。
でも…僕は信じたい…! 米沢君の切り裂かれた空間に入り込んでくる、隙間風がそのまま米沢君の生きる糧になる事を。澄んだ空気でいられるように…。例え、煙混じりの風だとしても、僕と米沢君で澄んだ空気に変えれば良いじゃないか…。
━━━だから━━━…
「僕は……君のお兄さんで良いよ…」
━━━君から…"殺してしまった兄の残像"という僕への殺意が消えるまで━━━…
「僕は!! 僕は!! …いつも、君に迷惑しか掛けられない……。そんな存在しか…ならない…!」 「そうかな? 結構な退屈しのぎだよ。飽きないよ、毎日がね♪」 米沢君はまどろむ瞳を僕に光らせ、僕のユニフォームの袖を握り締めている。 「"兄さん"……。君は……本当に僕の…"兄さん"と呼んで良いの…?」
━━━好きなだけ…そう呼べば良いよ…。君から…"ヨネザワ"が消えるまで━━…
* 真っ赤に燃える西の空。間もなく、夕闇が辺りを覆わんとする頃…僕ら"兄弟三人"は…ベンチにたたずむ。心身ともにグシャグシャになって、疲れ果てて眠っている米沢君を、僕と兄さんで尚も板挟みしていた。 それを眺めながら、僕…猪狩進と、兄…猪狩守は、ホッと安堵する。 米沢君の涙で半乾きの顔に、夕陽が照らされ、煌々と輝いていた……。 でも明日には、涙はもう乾ききり、いつもの"米沢君"に戻っていることだろう。いつも通りに、冗談を言い…僕を困らす米沢君がいる筈だろう。
「明日には…"全てが白紙"になってるだろうな…。なぁ、進」 「仕方ないですよ。兄さん…。……そうしないと、米沢君は前へ進めない…」 「可笑しな話だな…。全く…、同級生を"兄"と呼ぶ奴が、この世の何処にいる?」 「ベタな振りですね。……そんな奴は、今…こうして互いの隣りに健在ですよ…」
僕らは横を振り返る。そこには、寝たっきりの彼の姿が…。いや、僕からすれば…弟の姿がいる…。不思議な事に、僕と米沢君は同い年にして、兄弟の関係になって しまった。 でも、そんな関係も…いつか終わると信じて━━━…
━━僕はとんでもないくらい、明るく"振舞い続けようとする"友人を持っている━━
あ…、いやいや失敬…。……現時点では…"弟"だね…。
━━━ヘンなの…。
fin.
多くのパワプロ小説書きは猪狩進を脇役として見ていますが、敢えて当たらない人へスポットライトを当てる事は素晴らしいことと思います。
内容もしっかりしていて、何度も読み返したくなりました。
(相互リンク記念)
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